プリンセス・プリンシパル ~London Has Fallen~ 作:アルビオン王国ハドソン湾会社
何かが焦げた香りがした――。
多くのロンドン市民はその香りに安心を感じるだろう。なぜなら彼らがこの世に生を受けてから、今までずっと嗅ぎ続けてきた香りだからだ。
焦げた匂い、煙の臭い、そして―――ロンドンのニオイ。
今から10年前、ケイバーライト技術の独占によって世界の覇者となったアルビオン王国で革命が起こった。
貧富の差や腐敗した社会制度に怒った民衆の蜂起はアルビオン王国を二分する内戦となり、王国は東西に分裂する。
革命軍によって本国領の大半を奪われた王国は、残った領土を維持すべく首都たるグレーター・ロンドンからテムズ川河口流域にかけてを囲む、巨大な『ロンドンの壁』を建設した。
その壁を見上げるようにして、一人の少女が空き家の屋根に佇んでいた。闇と霧に潜んではいても、わずかにマスクと帽子の隙間から覗く眼光は、揺るぎ無い信念に支えられた強い光を放っていた。
彼女は人を待っていた。同期で同僚、腐れ縁とも呼べる数少ない友人を。
「ドロシー、来たのね」
背後から接近する人影に気付いたアンジェが、背中を向けたまま言った。
「3分遅刻よ」
「屋根の上で黄昏る誰かさんに見とれてたんだ、許してくれよ」
特に反省した様子もなく、適当なことを言いながらドロシーはアンジェの隣に立った。
彼女はアンジェより少し年上で、未熟な少女の清純さと成熟した女性の妖艶さ……世の女性が羨むであろう特徴を彼女は兼ね備えていた。通常であればスパイなどという暗く陰湿な裏方仕事より、スポットライトの下で眩しく輝くべき美だ。
だが、それでも彼女はこの世界にいる。ハッキリと説明されたわけではないが、それでも彼女の過去に何があったのか、どんな世界を見てきたのかは容易に想像がつく。
「で、何を見てたんだ? 相棒」
ドロシーが問うと、黒い手袋をつけたアンジェの左手が滑らかに動き、指の一本が暗いロンドン市街地の向こうを指した。
「あの『壁』よ」
闇夜に視界が遮られてなお、その建造物の放つ絶大な存在感は消える事が無い。高さ50mを超える巨大な人工物がその威容を誇るかのように、ロンドンの四方をぐるりと囲んでいる。
革命勃発と同時に、王国の心臓部たる首都ロンドンを防衛すべく建てられた壁は、休戦条約が結ばれてからも休むことなく工事が進められている。
改築に増築を繰り返し、10年の内に見る者を圧倒する難攻不落の要塞と化した。
「アルビオン王国、革命、ロンドンの壁……」
共和国からの防衛が目的であったはずのこの『壁』であるが、今では別の意味も持っている。
それはアルビオン国民を分断する壁であり、とり残された国民を押しこめる鳥籠であり、旧態依然とした貴族階級の権威と権力の象徴であった。
革命が起こってなお、生き延びた王国の支配階級は自らを省みることはなかった。
いや、むしろ以前にも増して労働者と植民地から苛烈な搾取を行うようになっていたというべきか。
停戦合意後、内務卿のノルマンディー公を中心とした保守派は諜報・公安・警察という3つの鉄のトライアングルでもって、国内の革命運動を徹底的に弾圧した。
検閲と監視システムを駆使し、恐怖と暴力で瀕死のアルビオン王国を延命させようとした。
幸か不幸かノルマンディー公の政策は功をなし、風前の灯であったアルビオン王国はここまでの復興を遂げることが出来た。
植民地同士を反目させることで独立を未然に防ぎ、古い貴族の血縁関係を利用した外交によって王国の正統性を確保している。
だがその結果、アルビオン王国の民衆は共和国と王国とで長きにわたる分断の歴史を味わうことになった。
王国の存続と同時に、差別や偏見といった見えない壁もまた、その多くが残ったままだ。
そしてアンジェの目の前では、あたかも分断の象徴であるかのように、今なお『ロンドンの壁』はその威容を誇っていた。
「私、あの壁は嫌い」
アンジェがぽつりと呟く。
「あの『壁』を毎日見ていると、自分も同じになっていく気がするわ。色々なものが自分から切り離されて、新しい壁が出来ていくような……そんな錯覚」
アンジェが呟くと、ドロシーは肩をすくめた。
「スパイから詩人にでも転職したのか? アンジェにしては珍しく饒舌じゃないか」
茶化すようなドロシーの言葉に、アンジェはほんのわずかに唇を動かした。口元を覆うマスクで隠された微笑みは、自らの感情をも騙すようであった。
「私の職業は黒トカゲ星人よ。壁の無い星から来たの」
「そうかい。――で、その黒トカゲ星人は何しに遠路はるばるロンドンまで来たんだ?」
「決まっているわ。ロンドンを征服して、黒トカゲ星の一部にするの」
アンジェの淡々とした返事に、ドロシーは口元を抑えてくっくっと笑った。
「いいアイデアじゃないか! そうなりゃ王国の人間も共和国の人間も、みんな仲良く黒トカゲ星人ってか」
「ええ。共和国のスパイ、アンジェは世を忍ぶ仮の姿……その真の姿はロンドン征服のために暗躍する、黒トカゲ星のスパイだったの」
「これはこれは! なんてこった、アンジェがそんな大それた陰謀を企てていたとは驚きだ。こりゃあ、明日にでもLに報告する必要があるな」
ドロシーがおどけたように言うと、アンジェは眉根を寄せ、わざとらしく考え込むような仕草をする。
「それは困るわね。ちょっと買収されてくれないかしら?」
「ほう、何をくれるんだ? 言っておくが私は安い女じゃないぞ」
挑発的な目でアンジェを見るドロシー。
妙に凝ったアンジェの嘘は嫌いじゃない。次はどんな虚構が出てくるのか、値踏みするように目を細める。
「そうね、じゃあ――」
アンジェは指を一本立てると、それを唇の前につけた。二人だけの内緒、という訳だ。
「ロンドン交響楽団の演奏を特等席で聞くチケットを1枚あげるわ。今度、知り合いから貰う約束になってるの」
「あの誉れ高き“女王陛下のオーケストラ”か。いいね、悪くない」
「じゃあチケットが手に入ったら後で渡すわ。ちなみに演目は『威風堂々』よ」
「そうかい。まぁ期待しないで待ってるよ」
即興で無駄に凝った設定の嘘をつけるのもスパイの素質なのだろうか。相変わらずアンジェの真意は分からない。
思えば、昔から何を考えているか分からない奴だった。ただ、不思議と不快感はなかった。むしろ彼女の嘘が真実であればいいのに、とすら思えた。
「壁の無い世界か……それはきっと、素晴らしい世界なんだろうな」
知らず知らずの内にそんな言葉が口から漏れる。どこか驚いたように片眉を吊り上げたアンジェを見て、少しばかり気恥ずかしくなる。
「さっ、無駄話はここまでだ。今日の任務はパーティーでプリンセスと接触する事だ。行くぞ」
ドロシーが言うと、アンジェは仕事用の真剣な表情になって頷いた。そのままCボール(個人携帯型ケイバーライト移動装置)を起動させると、下に待機させてある車にジャンプして乗り込む。
(『ロンドンの壁』か、……)
最後に一度だけ分断の象徴たる巨大建造物を見やり、ドロシーもまた踵を返した。
――――それが、今から1年前の話。チェンジリング作戦が始まる前、アンジェとドロシーが組んだとあるミッションでの出来事だった。
今年一番の個人的ダークホースだった「プリンセス・プリンシパル」、放送終了記念に投稿しました。
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あと原作の2期はあると信じてる。