プリンセス・プリンシパル ~London Has Fallen~ 作:アルビオン王国ハドソン湾会社
case12.15:アンジェ
全てを終えた後にカツン、と地面に何かが当たる音がした。アンジェのポケットから滑り落ちたそれは、小さな注射器――――前のミッションで“処置”した同期、かつて『委員長』と呼ばれていた女スパイの遺品であった。
(ありがとう委員長、貴女の私物を勝手に使わせてもらったけど、とても役に立ったわ………)
だが、麻薬の鎮痛効果もそろそろ時間切れのようだ。痛覚が徐々に戻ってきている。足取りはふらつき、呼吸が徐々に乱れていく。
「シャーロット!」
プリンセスは不安な思いで叫ぶと、急いでアンジェの元へ駆け寄った。アンジェの口元にかすかな笑みが浮かんだかと思うと、彼女は糸が切れた人形のようにプリンセスの腕の中で崩れ落ちた。
「プリンセス……」
「無理に喋っては駄目、怪我が酷いわ……!」
両腕で抱きしめるや否や、プリンセスの両手は血塗れになっていた。ぜいぜいと喘ぐように荒い息をするアンジェの鼓動が、抱きしめた腕越しに伝わってくる。硬直したアンジェの体はひどく強張り、一目で彼女が限界を迎えている事が分かる。
「出血を止めないと……」
アンジェを近くの壁に座らせると、プリンセスは自身の上着を迷うことなく脱いだ。アンジェの傷口を抑えるように上着を巻いていく。
だが、それでもアンジェの出血は止まらない。純白のドレスが赤く染められていく。
「ありがとう……でも、もういいの」
アンジェが息も絶え絶えに言う。
「だけど……!」
「いいのよ。もう、いいの」
アンジェの右手がプリンセスの腕を優しく掴み、左手はプリンセスの頭を抱えるようにしてぎゅっと抱きしめる。まるでそれが、最後の抱擁であるかのように――。
「シャーロット、そんなこと言わないで……」
本当であって欲しくなかった。傷の深さから見て、アンジェがどういう状態なのかは嫌でも想像がつく。
だが、それでもプリンセスはそのことを認めたくは無かった。
「プリンセス……いいえ、“アンジェ”にはもう嘘はつかない」
「っ……!」
泣き声を押さえる事が出来ない。涙を堪えようとしても、嗚咽が漏れてしまう。
「お願い……死なないで」
「私は―――」
プリンセスの懇願に、アンジェは笑顔で返す。残された命に少しでも長くしがみつくかのように、プリンセスの腕をつかむ手に更に力を入れる。
「私はこの10年間、ずっと貴女と一緒になるために『壁』を壊すことだけを考えてきた……」
アンジェの声はか細く、ほとんど囁き声になっていた。今にも消え入りそうで、プリンセスが一句もらさず聞き取るためには顔をもっと近づけなければならなかった。
「人嫌いで怖がりだった空っぽの私に……貴女は初めて生きる理由をくれた。初めて出来た友達……貴女にもう一度会いたい……その理由があったから、今日までずっと戦ってこれた……」
残り少ない命を削って絞り出しす様なアンジェの独白に、プリンセスはただ彼女を抱きしめながら咽び泣くことしか出来ない。
「貴女にもう一度会いたかった……そして、もう一度会って貴女に、アンジェに謝りたかった……」
「私は……私は後悔なんかしてない!」
涙で顔をくしゃくしゃにしながら、プリンセスは必死に叫ぶ。
「シャーロット、貴女と会う事が出来て良かったって、今も昔もそう思ってるわ……!」
「……私も、あなたに会えて良かった」
もはやアンジェの声は、聞き取れないほど小さな掠れ声になっていた。それでもアンジェは最後の力を振り絞り、プリンセスの耳元に口を近づける。
「――、―――――」
「っ…………!?」
目を見開くプリンセス。驚いてアンジェを見つめると、彼女は穏やかに微笑んでいた。
―――大好きだった、彼女の笑顔。
永遠とも錯覚する僅かな時間が過ぎていく。プリンセスの目から頬に涙が幾重にも伝い、アンジェの顔へと零れ落ちた。
「大好きよ」
少しだけ名残惜しげな表情で、アンジェが告白した。やがてプリンセスの腕を掴んでいた手から力が抜けていき、アンジェの体は徐々に重くなっていった。
「シャーロット……?」
そっと問う――――――二度と目覚めることがないのは明らかだった。アンジェは満足げな微笑みを浮かべながら眠っていた。
「私も、貴女の事が好きよ」
答えは無かった。それでも、プリンセスは自分の想いを口に出さずにはいられなかった。
「世界中の誰よりも、貴女の事が好き。貴女には幸せになってもらいたかった……二人で一緒に夢を叶えたたかった」
それが限界だった。想いがはじけ、涙が溢れて止まらなくなる。
残されたプリンセスは為す術もなく泣きじゃくり、言葉にならない慟哭が暗い地下通路の虚空に響き渡った。
前話のアンジェ無双の正体:麻薬
良い子は真似しないでね!