プリンセス・プリンシパル ~London Has Fallen~ 作:アルビオン王国ハドソン湾会社
通路を抜けて『壁』の外へ出たプリンセスとドロシーは、歴史が変わる瞬間を目にしていた。何千、何万もの人々が立ち上がり、それぞれの『壁』を壊そうとしていた。
そこにいる人々は、決して特別な力を持っていた訳ではない。普通の庭師だったり、メイドだったり、警官や工場労働者だった。スリもいたし、オカマや死体処理業者もいた。
だが、今や彼らの一人一人がヒーローだった。
自らの意思で最初の一歩を踏み出し、それぞれの願いを叶えるために動き始めた普通の人々。生まれや育ちの違いなど問題ではない。
各々の人生において、自分こそが主役なのだと。今宵、彼らは皆が平等に主人公であった。
「すごいな……」
ドロシーは目を輝かせ、思ったままの感想を口にしていた。
共和国の陰謀やプリンセスの演説は、あくまで小道具に過ぎない。目の前に広がる光景の本質は、自分で『壁』を打ち破ることを決めた人々の勇気の結果なのだ。
(アンジェと委員長、そして父さんにも、見せたかったな……)
もうこの世にいない、大切な人たち……その一人一人の顔を思い浮かべながら、ドロシーは一筋の涙をこぼした。
(みんな見てくれよ……この国は凄いぞ、みんながヒーローだったんだからな)
ドロシーの隣では、プリンセスが静かに佇んでいた。彼女もまた、もっとも大切な人の事を想い浮かべていた。
(ねぇ、アンジェ……貴女にも見えるかしら? この奇跡が )
きっと、アンジェも気づいていたはず。スパイとして活動する傍ら、普通のロンドンに住む人々と接する中で彼女は知ったに違いない。
この国に住む人々の中に、どれほど素晴らしいものが眠っているかという事を――。
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やがて「越えられないもの」「変えられないもの」の象徴であった、『ロンドンの壁』でも異変が起きようとしていた。
『壁』へと殺到していた人々は、ふと耳に違和感を感じてその歩みを止めた。無数の人々が一斉にに歩みを止め、爆音の様に鳴り響いていた群衆の足音が波が引くように消えていく。
その代わりに聞こえてきた音は、金管楽器と弦楽器のオーケストラからなる華々しい序奏だった。
始めこそ微かに聞き取れる程度の音量だったが、やがて徐々にそれは大きく鳴り響き始めた。それはアルビオン国民なら誰もが知っている曲だった。
「エルガー作曲、行進曲『威風堂々』第1番……」
ドロシーがぽつり、と呟いた。いつの日か、アンジェの約束した“女王陛下のオーケストラ”の力強い演奏だった。
(……馬鹿野郎、カッコつけやがって)
彼女は約束通り、最高の夜にチケットを一番の相棒に渡したのだった。
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音楽がどんどん大きくなり、弦楽器の低音部による勇ましいメロディーへと続いた。行進曲主部が雄々しく鳴り響き、スピーカーの音量は上がり続けている。
何人かの人々が大きく息を吸い込み、『希望と栄光の国』と名付けられた歌詞を歌い始めると、やがて他の人々もつられて歌い始めた。
愛でるべき希望の国、汝は戴冠せり。
神は汝を偉大にしたり!
愛され、偉大なるその君主たる額に
今ひとたび、汝が冠を戴き給え。
自由によりて得たる、汝の等しき御法よ、
其は汝を良く、そして長く統べたり。
自由により得られし、真実によりて保たれし、
汝の帝国は強大たるべし!
思いおもいの音程で唄われた歌はお世辞にも上手とは言えなかったが、無数の人々の奏でるハーモニーは魂を揺さぶられるような魔性の力を秘めていた。それは大地に根差した今を生きる人々の心の叫びだった。
深夜にもかかわらず、その日、街中の至る場所で人々はひっきりなしに歌い続けた。
『ロンドンの壁』で隔てられた反対の共和国側でも、多くの家で子供たちが目を覚まして驚いていた。人々は何事かと月明かりの下、通りに出て壁の向こうへと耳を傾けていた。
今や音楽は大爆音と化し、人びとを深い眠りから覚まそうとしていた。その旋律はさらに激しく、激烈さを増していった。
シンバル、ティンパニ、バスドラム、ホルンが大砲のような爆音をあげ、クライマックスへ向けて着々と盛り上がっていく。
やがて再び有名なトリオの旋律の再現部にさしかかった瞬間、突如としてが割れるような爆発音で引き裂かれた。爆弾を満載したトロッコが、ついに最後の役割を果たしたのだ。
―――――轟音―――――――
目も眩むほどの輝きが、『ロンドンの壁』から溢れ出す。やがて『壁』は激しい炎と煙に包まれ、内側から破裂して何百もの粉々の破片となった。
演奏に合わせるかのように爆発は次々と連鎖して更なる破壊を引き起こし、アルビオン王国と共和国の間にそびえた分断の象徴は人びとの目の前で崩れ落ちていった。
基礎部分が吹き飛び、自重を支えられなくなった上層構造部分が倒壊する。ロンドンを取り囲むようにそびえ立っていた『壁』は、起爆点を中心としてドミノ倒しのように両側へと次々に崩れはじめた。国境から市街地へ、市街地から郊外へと崩壊の連鎖は広がってゆく。
その光景を、ロンドン中が固唾を飲んで見守っていた。あらゆる職業、あらゆる人種が心を一つにして、共に手を取り合って天を仰ぎ見ていた。
難攻不落を誇った『ロンドンの壁』が、音を立てて崩れてゆく。その残骸はオレンジ色に燃え盛り、かつて世界に覇を唱えたアルビオン王国最後の煌めきとなった。
それは同時に、10年に渡った分断の歴史の終焉を意味していた。何千何百もの陰謀と策略、数多の人々の願いと呪い、その最後の残滓を焼き尽くす火葬であった。
イギリスといえば『威風堂々』、別名「希望と栄光の国」
映画『キングズマン』ではネタでしかなかったけど、クラシックに合わせて爆発って良いですよね。