星を見送ったナズーリンは、文机に向かい筆を走らせた。それは自身が使える毘沙門天へ宛てた報告書である。報告書には自身の近況の他に、寅丸星が恋をしたこと、その相手が大変モテル為に、星が少々不利な立場にある事、そして地震ではそのことに気付いていないことなどが綴られた。
「さて、これでいい。あとは野となれ山となれ、毘沙門天様の御心のままに・・・・」
報告書を書き終えると、ナズーリンは静かに微笑み、自身の眷属に報告書を持たせ、毘沙門天の元へ送り出した。
この時、ナズーリンは自身の報告書が思わぬ人物を幻想郷に招くことになることをまだ知らない。
釈迦や帝釈天などが居を置く
というのも、星のことを毘沙門天は実の娘のようにかわいがっているためである。そうでなかったらわざわざ直属の部下を補佐として付けるなどしない。実は毘沙門天と妃である吉祥天との間には子供が何人も居るのだが、男ばかりで娘が一人もいないこともあって、吉祥天ともども実の娘のように可愛がっている。以前、白蓮が復活したと知り、これを口実に毘沙門天直々に幻想郷に赴いて星に会おうとしたが、部下の夜叉や羅刹に他の弟子の手前もあるから特別扱いは辞めて下さいと止められたのはご愛敬である。(しかし、諦めてはいない模様)そのため、ナズーリンから星の近況を知るのが楽しみなので、厳つい顔にも思わず笑みが零れてしまうのだ。そのため、部下や弟子に怪訝そうな目で見られてしまうことが多いので、本来は執務中に目を当すのが筋であるのだが、いつもプライベートの時に読んでいる。
しかし、今回ばかりはどうも様子が異なるようで、眉間に皺が寄っている。その様子を妻である吉祥天が見つけ、声を掛けた。
「どうしたのですか、あなた。難しい顔をして、残業ですか?」
「いや、そうではない。ナズーリンからの報告書なのだが・・・・」
「星に何かあったのですか?」
ナズーリンの報告書を手に悩む夫を見て、吉祥天は星の身に何かあったのではないかと不安になり、思わず夫に問いかけた。
「う~む。あったと言えばあったようなのだ・・・・」
「いまいちはっきりしませんわね。一体どうしたというのですか。」
急かす吉祥天を一瞥すると毘沙門天は報告書をいったん机の上に置くと、甘茶で喉を潤してから、吉祥天に向き直り言葉を続けた。
「・・・どうも星が男に惚れた様なのだ・・・」
「まあ、それは吉報ですね。ようやくあの子にも春が来たということですか!お相手はどのような方なのです?あの子が思いを寄せるのですからさぞかし素敵な殿方なのでしょうね。」
毘沙門天の言葉に吉祥は小躍りせんがばかりに、喜ぶ姿を見て、実の娘とばかりに可愛がっている娘が恋をしたと知って複雑な気持ちの毘沙門天は少々あきれながら話を続ける。
「問題は其の事なのだ・・・・」
「あら、焼きもちですか?儂の娘はやれん!みたいな。あなたも以前、あの子は年頃の娘なのに、浮いた話の一つもないと憂いておられていたのに。」
「そういう気持ちが無いと言えばウソになるがな・・・・儂は武神ではあるが、縁結びの霊験もある。儂の代理であるのだから、そうした経験をするのもまた修行になるだろう・・・しかし、どうも星自身、余り自覚がない、経験が無いから仕方がないと言えばそれまでだが、問題は相手なのだ・・・・」
吉祥天はもしや、悪い男に惚れたのかと歓喜の表情がとたに不安にかられ、その表情が陰った。
「もしや、あの子は悪い男に騙されているのですか!そうとなったらこうしては居れません。今すぐ幻想郷に赴いて、その男に天罰を・・・・」
「そうではない・・・。いったん落ち着くのだ妃よ。話は最後まで聞くのだ。」
毘沙門天は今にも幻想郷に殴り込みをかけそうな吉祥天をなだめ、話を続けた。
「落ち着け、妃よ、決して悪い男に騙されているのではない。むしろ相手は身持ちが硬く独り身だ、恋人も居らぬし、誠実な好青年の様だ。安心せよ。」
「それなら良いのですが、それの何が問題なのですか?」
小首を愛らしくかしげて吉祥天は問う。実に悩ましい仕草だ。その劣情は後で発散するとして話を続ける。
「ゴ、ゴホン!ああ、問題は、どうも相手は相当にモテル色男のようでな、それも尋常ではない程に・・・・その上当の本人は無自覚なのだ。天然ジゴロというやつだ。」
「なるほど、恋敵が多いと。それも一人や二人では無いと。どのような方なのですか、興味が湧いてまいりました。」
「ホレ、報告書に詳しいことが書いてある。見ると良い」
「どれどれ・・・・フムフム・・・・」
ナズーリンの報告書を要約すると次のようである。
毘沙門天代理寅丸星は最近ある男性に恋慕の情を抱いているようである云々。件の男性の名は森近霖之助、半妖の男性で、香霖堂という古道具屋を経営。道楽商売ではあるが、物の用途と名称を知る程度の能力の持ち主。その能力を生かし、流れ着く外来品を収集し販売。話が長いが、その手腕は確か。寅丸星が紛失していた宝塔もこの男性が回収。適正な価格にて買い戻すこととなった。それ以来の付き合いで、私も香霖堂よく利用し、大変に助かっている云々。
人柄も紳士的であり、いかなるものに対しても分け隔てなく接し、好感が持てる。そのため、寅丸星が思いを寄せるのも納得である。この森近霖之助に思いを寄せるものは多く、幻想郷の創設者の一人である八雲紫、異変解決と結界の管理をする博麗霊夢、魔法使いであり昔なじみの霧雨魔理沙、人里で寺子屋を営む上白沢慧音etc.etc・・・・・と大変に多くいるが、天性のフラグ建築士でありながら、誠に鈍感なる朴念仁であり、勇気を振り絞って告白に踏み切るも玉砕するものが多数・・・・・寅丸星の思いが成就するのは難しいものと思われる。また、本人も無自覚に思いを寄せ、表面的な関係性は良好であるものの、積極的な行動が無く、香霖堂を積極的に利用するに留まる云々かんぬん・・・・。
一通り目を通すと、吉祥天は報告書を置いて、毘沙門天に向き直った。
「・・・・なるほど、よく分かりました。確かに難しい問題ですね・・・」
「そうであろう、しかし、恋愛成就の霊験を持つ毘沙門天として、この恋を成就で切れば、博が付くというものだ。」
「で、本音は?」
「・・・・・可愛い愛弟子の恋、応援してやりたい」
「そうでしょうね。しかし、星の恋の助力はあなたには難しいでしょう・・・」
「???なぜだ、我は毘沙門天なるぞ」
自身を持っていた毘沙門天は、吉祥天の言葉に納得がいかないようである。その様子をみて報告書を示しながら言葉を続けた。
「そうでしょうか?あなたは気づきましたか、どうも文面から察するにナズーリンもこの森近という方に告白して玉砕していると思われますよ。」
「そうなのか?儂は気づかなんだ・・・・」
「そうでしょうね。ですが私には分かります。あのナズーリンが好意的に評価をしつつも、まるで実体験のように森近氏が難物であると述べており、何より森近氏に思いを寄せる者たちについて非常に詳しく、交際関係まで詳しく把握している・・・・報告の為だけではなく、自身のためにも調査をしていたことが分かります。いかにあなたとは言え、このことにも気づけないようでは難しいことでありましょう・・・・・」
一人の女としてナズーリンの報告書から、ナズーリン自身も玉砕した身であることを見抜いた吉祥天。女の勘と恋愛事に関して鋭い洞察力に毘沙門天は舌を巻いた。
「では、どうしたらよいのだ、儂は黙ってみているしかないのか・・・・・何か策はないか妃よ?」
「そうですね、あなたにも難しいように、私の手にも余るでしょう・・・・では、このようにしたらどうでしょうか?」
「なにか名案があるのか?」
吉祥天すら手に余るというものの、この案件に関して策があるという。それはいったいどのような策なのか。毘沙門天は吉祥天の目を見つめ、その策の内容に耳を傾ける。
「相手が天然ジゴロだというのなら、こちらも天然ジゴロをぶつけ、双方に刺激を与え、二人の関係を動かしてしまえばよいのです。」
「・・・・うまくいくのか?そもそも天然ジゴロをぶつけると言っても誰を・・・・もしやあの方か?」
「そうです、あの方に頼ればよいのです。あの御仁ならこうした色事にも明るく、機智に富、聖と俗が同居し、清濁併せ呑む。しかもかなりの女誑しでもあります。我らがあれこれ策を巡らすよりもずっと良いでしょう。」
吉祥天が挙げた人物は毘沙門天にも心当たりがあった。しかし、そう上手く事が運ぶのか、正直不安があった。
「考えは分かったが、そう上手くいくのか?そもそもこの案件を受けてもらえるかも分らぬのに。」
「そこはあなたが交渉し頼み込むのです。せめてそれくらいのことはしなければ。それにあの方なら幻想郷の事を知れば、きっと自身で赴きたいと思われるはず。きっと上手くいきます。」
「では、さっそく頼むこととしよう・・・だがその前に・・・・」
「????キャ!!」
作戦の方針が決まり、あとは行動するだけとなったが、毘沙門天はおもむろに吉祥天の細く括れた腰に手を回し抱き寄せた。
「もう夜も更けた。足を運ぶのは明日として、今宵は久々に二人で楽しもうぞ・・・・」
「・・・嫌ですわ。」
「嫌とな?」
「続きは閨で」
「フフフフフ、心得た。」
吉祥天の艶やかな唇から合意の旨が述べられると、毘沙門天はその唇を吸い、軽々と抱きかかえて閨に向かった。
その夜、久方ぶりに閨を共にした二人は、新婚夫婦か心中前の恋人同士のように熱く激しく摘みあい、気づけば一睡もすることなく朝を迎えることになり、毘沙門天は寝不足のまま件の人物の元へ向かうことになったのである。一方の吉祥天は瑞々しく、艶やかな肌でとても機嫌が良かったという。
毘沙門天は部下の羅刹と夜叉に留守を任せると寝不足と昨晩の疲れと共に目的地へと向かった。
件の人物は山に居り、時折現世や異界へ赴き気ままに旅をする。一応、聖白蓮や豊聡耳神子のような聖人に分類されるが、特に勢力を率いているわけでもないし、積極的に布教活動をしているわけでもない自由人である。しかし、その発言や実力は無視しがたいものがある。そのため、神仏は彼の人物には一目置き、後ろ盾ともなっている。
その人物は人である時から、その類まれなる才でもって、その名を轟かせた。その名は弘法大師空海。天下三筆の一人として知られ、五筆和尚の異名を持つ人物でもある。今日の仏教は顕教と密教の二つの系統に分かれる。この違いを述べていたらきりがないが、何れも今日の日本において今だ大きな宗教勢力である。その密教の基礎を築いた人物こそ空海であった。それこそ、中国で伝えられていた密教の全てを持ち帰った人物で、ある意味、中国から密を盗んで来た男ともいえる。そんな彼は、生前からの修行によって解脱に成功し、聖人となった。どちらかと言えばもはや神仏、精霊の類とも言えるだろう。
そんな空海の住まいに毘沙門天が訪れるとそこにはコンガラがいた。
「これはこれは、毘沙門天様ではございませんか、御自ら御出でになるとは珍しい。」
「コンガラか、久しいな。ここへは何用で来られたのかな?」
毘沙門天はこの地を訪れた理由を問うた。するとコンガラは快く質問に答えた。
「実は先日、空海殿とお話がしたいと不動様がお招きになりまして、その後地獄の様子を見聞することになりまして、私がその案内と護衛をすることになり無事、終わったところでございます。」
「ほう、それは御苦労であったな。して、不動明王様は何故空海殿を招かれたのか?」
「はあ、なんでも、かのヘカーティア・ラピスラズリが何事かを企み、最近動きを見せた由にて、其の事について空海殿の意見を聞きたいとのことでした。これを機にヘカーティアが治る地獄を取り、十王と鬼神による統一を図るべきか否かという話だったようで。」
気軽な会話であった筈なのにかなり不穏な話がコンガラの口から出てきた。一体どうしてこうなった。
「う、うむ、そうであったか・・・・儂の知らぬ間にそのような事が。しかし、そのような内密の話、儂にしても良いのか?」
「かまいませぬ。いずれ皆さまの知るところになる事でありますし、暫くは戦にはならぬようです。」
「ほう、何故?」
声を潜めながらも、とりあえず、戦は起こらぬとはどういうことか。ヘカーティア・ラピスラズリと戦となるならば、多くの天部を始めとした武神が動員されるだろう。毘沙門天にとっては決して他人事では無い。
「はい、空海殿は戦を起こすは得策ではないとのご意見でした。不動明王様は、何故かと問われれば、空海殿はこう仰せでした。ヘカーティアと戦になるならば、ヘカーティアだけを相手にすれば良いわけではありませぬ。盟友である仙霊・純狐は勿論として、ハデスを始めとしたギリシアの神々が戦に加わる可能性は極めて高い・・・」
「・・・・」
「他にも、ヘカーティアの領地に侵攻すれば、他に地獄を領地とする魔神や悪魔が危機感を募らせ、ヘカーティアの元に援軍を送るなり、参戦するなりすることは必定。こうなれば現世にも影響を与えるほどの大戦に発展する・・・・・」
「・・・我らが負けるとは思わぬが・・・・確かに得策では無いな。」
悪いイメージが付きまとうが、多くの魂の管理、悪鬼、悪霊の封印などを地獄は司っている。戦となってそれらの管理が怠る事だけでなく、現世にも影響を出すなどすれば、支配体系を一本化するために戦を起こすのに、大混乱をもたらしては本末転倒である。
「空海殿はそれだけではないと」
「ほかにも?」
「近年、EU地獄と日本地獄は不可侵の平和条約を結びました。仏教界が戦を仕掛けては、このことを理由にEU地獄側が条約破棄とみなし、日本地獄に攻撃を仕掛けることもあり得ぬ話ではない。関係の深い日本地獄に迷惑をかける。そうなれば、苦労して締結した条約は無意味になり、あの第一補佐官殿まで敵に回しかねません。敵にならずとも、支援は期待できない。敵は増え、味方が離れていくばかり、良いことなど一つもありません」
「なるほど、さすが空海殿。よく物事を見ておられる。」
ここまで、地獄の情勢を分析しているあたり空海はやはり侮れぬと感心しつつも、底知れぬところのある男だと再認識した。
ともかく、これだけ、戦に利が無いと説かれれば、当分戦は起こらぬだろうと毘沙門天は安堵した。何より、地獄を取り仕切る影の傑物たる閻魔大王の第一補佐官の鉄面皮が、眉間に皺をよせよこちらを睨むのが目に浮かぶ。あれを敵に回しては良いことなどないだろう。その様子をみて、コンガラは微笑み言葉を続けた。
「それに、空海殿はこうもおっしゃっておりました。」
「?」
「現世は多様な国と文化、様々な世界が存在するから面白いのに、地獄が統一化などされては面白みが少なくなってしまうと。つまらぬと」
「ぷっはははははははは!空海殿らしい‼」
「はい、実に」
地獄は文化圏ごとに様々な様相を呈している。日本地獄など276も異なる部署に分けられている。何をもって罪とするかも異なり、価値観も当然違う。それを一つにして一括して管理しようという意見は強い。だが、現状維持でも良いというものもいる。理由は様々だが、だだでさえ多忙なのにこれ以上仕事を増やすなというものだ。しかし、彼の弘法大師はつまらぬの一言で済ませてしまう。彼にとって数ある名所の一つでしかないのだ。好奇心の強い彼らしい言葉だ。神仏が彼のことを好むのは才能豊かであり、頭脳が明晰であるだけではない、そんな彼の人間性が好ましく、引き付ける。
「さて、随分笑わせてもらった。そろそろ行かせてもらう。ではこれで、道中気を付けて、と言いたいが、お主にはそんな心配は無用であろうな。」
「はい、腕は鈍っておりません。それでは失礼いたします、毘沙門天様。」
そう言うと、コンガラは颯爽と飛び去っていった。
その姿を見送ると、毘沙門天は空海がいる房の中に入っていった。
房の扉は閉ざされてはいない。術が施されてはいるが、来客を知らせるものであるようだ。つまりは入ってよいということだ。都合が悪ければ扉を閉ざし、厳重に結界を施すだろう。普段、空海が生活しているのは、房と言われる僧侶の居住空間だ。内装は極めて簡素だが、置かれている調度品は素晴らしい細工が施された立派なものだ。中に入り、ほどなくすると空海が姿を現した。
「これは、毘沙門天様、わざわざ御出でとは、御呼び頂ければこちらから出向きましたのに。」
「空海殿」
毘沙門天は空海に軽く会釈した。改めて空海を見ると、中肉中背というよりも、少し骨太で、少し痩せた印象があるものの引き締まった若い姿の僧がいつもと変わらぬ簡単な法衣をまとい、たたずんでいた。
「実は、個人的な頼みをしたくてな、こちらに出向いたのだ。良い運動にもなるしな。」
「なるほど、確かに少々運動をなされた方がよろしそうだ・・・・」
空海は少し出ている毘沙門天の腹を見て笑みをこぼす。その言葉に少し、むっとして返す。
「む、鎧をまとうにも、戦うのにもこれぐらいが良いのだ。お主こそ、少し太れ、痩せすぎだ。」
「私もこれくらいがちょうど良いのです。それに生前から少々多く食べてもあまり体系が変らぬものでして。」
「・・・・・嫌味に聞こえるぞ。」
肥満や体形維持に悩む人が聞けば気を悪くしそうなことを言いながら、空海は毘沙門天を客間に誘う。
毘沙門天は誘われるままに椅子に座り、廻りを見わたす。開けられた窓からは、小さな庭園が見え、差し込む日差しと木々の木漏れ日が美しい。客間には来客用の椅子と机の他に、中国風の茶托が置かれている。全体的には中華風だが、その雰囲気を乱さぬ日本風の床の間があり、軸と香炉が飾られ、良い香りがたちこめている。
空海は湯を沸かし、茶を入れて毘沙門天に差し出す。その所作の一つ一つが落ち着いており、その素養の高さが伺えた。
「相変わらず、趣味がいいな。」
「貰いものばかりです。それを見よう見まねで適当においているだけですよ。」
「よく言うわ・・・・」
慥かに、置かれている物はほとんどが貰い物であるが、どれも一級品である。というのも、術具や法具の以外にあまりに頓着しないために、余りにも質素だったため、訪れる神仏が提供したのだ。毘沙門天は空海の性格を考えると、そこまで織り込み済みだったのではないかと思っている。
茶を飲みながら、庭を見ると、妙なものがあった。あったというのは語弊がある。いたというのが正しいか。
「?金魚?鯉か?」
ランチュウか錦鯉にも見える魚の顔が見えた。おかしい、魚なら、水の中に居るはず。飛び出したのなら横になっているはずだが、こちらを真っ直ぐ見ている。
おぎゃあ❕❕❕
突然鳴いた、というよりも叫んだ。さしもの毘沙門天も度肝を抜かれた。
「なんだ!あれは⁉」
「ああ、あれですか。コンガラ殿の案内で先ほどまで地獄に行っておりました。閻魔殿を訪れた時に、鬼灯殿に頂きました。自ら品種改良なさった金魚草という地獄特産の植物だそうです。」
「ああ、コンガラからも聞いたが、あれは植物なのか?」
「雌雄があるので動植物かもしれません。なんでも食用にもなるそうで、番で頂きました。いや、大きくなり、増えるのが楽しみですよ。実に良いものを頂きました。」
開花や紅葉も楽しめるそうです。と嬉しそうに続けている空海を見て、毘沙門天は、あれを喰う気なのか、そして、雌雄があるのか、花が咲き、色が変わるのかなどと驚き、空海の底の知れない一面を感じた。また、そのような事をこともなげに言う空海を見て、毘沙門天は、吉祥天に言われて来たものの、果たしてこやつに相談して大丈夫なのかと少々不安になった。しかし、適任者はこの男しかいない。出された茶を飲み干し、意を決して話を切り出すことにしたが、その様子を察したのか空海が口を開いた。
「それはともかく、毘沙門天様、この空海に何か御用とか。」
「ああ、お主に頼みがあるのだ。」
「毘沙門天様御自ら御出でということは、個人的なものでしょうか?」
「うむ‥‥。弟子の星の事なのだ。」
星の名を出すと、空海は空いた茶碗に新しい茶を注ぎながら興味深そうに毘沙門天を見た。
「噂は聞いております、妖怪出身で毘沙門天代理を任されるほどに優秀な方だと。」
「ああ、自慢の弟子だ。星は真面目で融通の利かないところもある。おまけに空回りしてドジをすることもある。だが、親切でやさしく、明るい。何事にも真剣に取り組む。そして努力家で多くのものに慕われる。」
「その方に何か?」
「恋をしたらしい。」
「ほう」
これまた、興味深そうに相槌を打つ。実に面白そうに。
「自分で言うのもなんだが、我は恋愛成就、縁結びなども司る。その代理たる星にもそうした経験があってもいいと思って居るが、生真面目が過ぎて経験が無い。ここは一つ星の恋を応援したいのだ。」
「これは面白い。軍神として名高い毘沙門天様が弟子の恋ためにわざわざこのようなところに御出でとは。」
少々嫌味にも聞こえるが、それも仕方ないと、また茶を飲んで毘沙門天は言葉を続ける。
「確かに、そうだ。それに野暮だとも思う。だが、何かしてやりたいのだ。儂と妃は星を娘とも思うておる。儂らには息子は居るが娘がおらんでなぁ。それに良い弟子だ、飲み込みも早く優秀だ。しかし、儂は、儂らは星に何もできておらん。聖白蓮封印の折も、神仏現世不干渉の方針により、星たちに泥水を飲ませてしまった・・・せめて、星には、幸せになって欲しい、あいつは真面目であるが故に、恋の一つもせず過ごしてきた。肉食と酒は覚えたようだが・・・・ともかく、あやつには幸せになってもらいたいのだ。それが師匠として、おこがましいことだが親としての願いなのだ。成就せずとも良い、恋をし、誰かを一人の女として愛することを知ってほしい。頼む、お主の知恵を貸してほしいのだ。頼む、頼む。」
毘沙門天は深く頭を下げた。ポタリ、ポタリと音が響く。小さいはずの音がいやに大きく聞こえた。今まで胸の内に秘めていた本音を口に出し、恥も外聞もなく、泣いていた。そこには血は繋がっていなくとも、絆でつながった一人の娘を思う父がいた。己の無力を呪う一人の男がいた。
「・・・分かりました。お受けしましょう。そこまで真摯なお気持ちを私に打ち明けて下さったのです。どれほどの事ができるか分かりかねますが、力添えしましょう。」
空海は静かにそういうと、毘沙門天に頭を上げるように促し、茶を入れ直した。
「すまぬな、感謝する。」
毘沙門天は涙を拭き、空海に向き直った。その様子を見ながら空海は茶を入れ終わると静かに微笑み、うなずいた。
「さて、星殿が今何方にいるのか、お相手はどのような方なのか、お聞きしないことには何もできません。」
「ああ、勿論教えよう。星は今、幻想郷に居る。」
「幻想郷?」
「おう、詳しくはナズーリンからの報告書を読んでもらいたい。儂が説明するよりも良いだろう。」
聞きなれぬ土地の名に、空海は少年のように目を輝かせた。その様子を見て、吉祥天の見込みは間違いなかったと思いながら、毘沙門天は空海にナズーリンの報告書を渡す。そこには幻想郷についてのこと、命蓮寺のこと、寅丸星のこと、そしてその想い人森近霖之助について詳細に記されていた。空海は報告書を読み終わると。静かに置いて口を開いた。
「なるほど、よく分かりました。」
「では、どのようにすればよい空海殿?」
「毘沙門天様には一つだけやっていただきたいことがございます。」
「してそれは?」
「私を幻想郷に送っていただきたい。」
「なんと!」
空海は目を見開き、吉祥天の目論見通りになったことを喜ぶ毘沙門天を見て、静かに微笑んでいた。
この日、伝説の僧侶が幻想郷へ旅立つことになった。
「しかし、吉祥天様もお人が悪い。」
「見抜いて居ったか。」
「はい。」
空海のキャラは「沙門空海唐の都で鬼と宴す」の空海です。毘沙門天は私の想像です。
因みに、この小説を書く際に私はちゃんと香川県の善通寺にお参りして、許しを請いました。