With You.   作:長串望

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Ouverture.

 踏んだり蹴ったりっていうのは、おかしいんじゃないかと思う。正しくは踏まれたり蹴られたりじゃないだろうか。だってそうだろう。踏んだり蹴ったりは加害者の台詞で、酷い目に遭ってる人からすれば踏まれたり蹴られたりっていうのが正しい言い方だとさやかは思う。

 きっと別の言い回しが段々変わっていったとか、何がしかの由来があったのだとは思うけれど、そういうごちゃごちゃしたことを考えるのはさやかの得意とする所ではなかった。大事なのは今だ。いま、どう思うかだ。とてもじゃないけれど、踏んだり蹴ったりなんてやりたい放題食べ飲み放題3800円みたいな景気のいい気分にはなれない。踏まれたり蹴られたりだ。

「どっちかっていうと、跳ね飛ばされたり潰されたり、かな」

 それでもまだ説明不足で、全然足りないけれど。

 埃っぽい薄暗がりで、揺さぶられた三半規管がようやく落ち着いてきて、やっとこさ上下の感覚が戻ってきた。女子中学生にあるまじき体勢で、というよりは投げ捨てられた玩具の様な体勢で上下さかさまになって瓦礫の下にある自分を発見したのは、それからさらに少し時間を置いてからだ。自分の状況がわかると、今度は体中が思い出したように痛みを訴え始めた。何処が痛くないのかわからない程だ。

 痛いと感じるうちはまだ大丈夫よ、とクソ生意気な転校生の言葉が頭をよぎったが、何が大丈夫だ。さやかは舌打ちした。痛いっていうのは、つまり、痛いって事なのだ。気持ちいいでも眠いでもスカッとするでもない、痛いのだ。痛いのは嫌なことだ。きついし、しんどいし、勘弁してってなる。それが全身から響いているのだ。さやかの頭が考えないようにしても、手とか足とか、腰とか背中とか、頭とか顔とか、良くわからないあちこちだとかがひっきりなしに悲鳴を上げて大合唱だ。

 付き合っていたら頭がおかしくなる。さやかは苦労して呼吸を整え、痛覚を遮断した。イメージはつまみをゆっくり回す感じだ。音量を下げて行って、ミュートにするように。オンオフをはっきりさせるのは良くない。スイッチ方式では駄目だ。感覚の急激な途絶や復帰は、神経を驚かせる。なにより自分がロボットみたいな気分にさせられる。魔法少女は色々と人間からはみ出しているけれど、でも人間だ。女の子だ。人間のまま魔法少女をやっていくには、切り替える手順が大事なのだ。変身の時に必要もないのに舞い踊るのも、戦うための武器に美しい装飾をあしらうのも、人々の目を忍びながらも華やかな衣装に身を包むのも、すべてそうだ。受け売りだが。一番ロボットみたいな奴に、しつこい位に言われたものだ。

 十分に痛覚を遮断し終え、さやかは一息ついた。これで身体を動かせる。全身を縮こまらせ、ばねのように解放して、げしりと瓦礫を蹴り上げ、寝起きのモグラのようにずるずると穴からはい出る。生憎と日陰者を射殺す日差しはなかった。天気は最悪だった。空はまだ嵐の只中だった。

 少し、多分ほんの少し気絶している間、どうやら神様はジオラマの上でバスケの練習をする気分になったらしかった。見滝原の街並みは、さやかの知らない新たな一面を見せてくれていた。具体的に言えばビルの内側とか地下とかアスファルトの下の地面とか。街は生き物だという喩えに従えば、見滝原市は現在内臓をぶちまけてひっくり返る瀕死の獣だった。もはや蘇生限界はとっくに超えている。復興はいつになることやら。いや、新しく一から街をつくることになるのだろうか。

 馴染の通りや、ランドマークとして機能していた建築物の悉くが、いまや灰色の瓦礫と成り果ててしまっていて、さやかは自分の居場所を早々に見失った。叩き落された時の記憶が確かなら多分銀行か何かがあった辺りだとは思うが、定かではない。貯蓄と言うが概念と親しくないさやかにはあまり縁のない施設だし。

 まだぼんやりする頭を振り、とにかくさやかは歩き出した。血が足りないのか、やけにふらつく。普段ならどうということもない瓦礫につまずき、咄嗟に身体を支えるべく伸ばそうとした左手がない。意図せぬ空白に思考が停まり、さやかは頭から瓦礫に突っ伏した。ごろんごろんと無様に転がり、恐る恐る自分の左側を見てみれば、さやかの左腕は肩口の辺りから乱雑に引きちぎられて、筋肉と骨と神経と血管とが、ぐちゃぐちゃな断面を見せて力なく出血を続けていた。それは血も足りなくなるはずだ。

 腕一本生やすほどの魔力はもうない。マントの切れ端で止血し、軽く表面だけ整えて、それでよしとするしかなかった。どこかに腕の一本でも転がっていれば、繋げることぐらいはできただろうけれど、あの調子では多分、さやかの腕は今頃コンクリートに磨り潰されてミンチだろう。

 自分がこうなっているとなると、他の皆はどうしているだろうか。一緒に戦っていた筈の魔法少女達は。願いの為に戦うさだめを課せられた仲間たちは。

 視界の端に入り込んだ火災現場に、燃え盛る炎のその赤に、杏子のことが思い出された。佐倉杏子はさやかと同じ前衛だった。しかしさやかより余程器用だったのは間違いない。近距離から中距離まで広くカバーする、多節棍にも切り替わる槍を振るう杏子はいつも飄々としていた。鉄火場には慣れているのか、余裕すら感じられて、さやかはいつもなかなか追いつけず悔しい思いをさせられていた。いい加減なようでいて、存外真面目な杏子は、戦い方こ巧みだったが、真っ直ぐなやり方を好んでいた。嵐の様に変幻自在の槍を振るい、とにかく攻める勢いのある魔法少女だった。

 そういう性格だったからだろうか。杏子は最初に脱落した。一番危ういと見られていた、近接戦しか能がないさやかよりも呆気なく。死を恐れぬように颯爽と飛び出し、使い魔たちを蹴散らし、魔女へと肉薄し、そしてその蛮勇の代償として無造作に放られたビルに押しつぶされて終わった。勿論さやかはすぐに飛んでいき、助けようとしたが、ダメだった。さやかの回復魔法はメンバーの中でも随一だったけれど、流石にころころと転がってきた靴だけでは、中身が入っていたからと言ってそこから全身を再生させるのは無理だった。余りにも呆気ないその終わり方は、いっそ死のうとしていたのだと言う位に潔かった。何処か抱えるもののありそうな杏子の事だ。最後まで分かち合えなかった隠された部分に、或いはそんな思いがあったのかもしれない。

 さやかは苦労して炎から目を逸らして、また歩き始めた。さやかはまだ歩くことが出来た。

 脚をかける度にがらがらと崩れて行くコンクリート片の丘を登り切り、ぐるりを見回してさやかは一息ついた。灰色の粉塵が今もまだ立ち上っていて、視界の限りは灰色にけぶっていた。人間の街と言うのは、こうして崩してみると全て灰色のもので出来ているのだろうかとさやかは訝しく思った。普段生活して、笑い、泣き、怒りながら過ごしているあの美しい見滝原が、こうしてただ灰一色に染まっているのは、不思議な光景だった。武骨で、無機質で、とにかく荒れ果てていた。

 乾き果てた光景に、さやかは自分もまた酷く乾いていることに気づいた。血が抜けて干乾びつつあることだけでなく、口の中に入り込んだ砂利が舌に絡み不快だった。一度気付くと違和感が酷く、何度か唾を吐き出したけれど、軽減はされても解決はしそうにない。水が欲しかった。口をゆすぐだけではもう足りない。たっぷりの水が欲しかった。シャワーも浴びたい。そうしてさっぱりしたら、アイスでも食べたい。そうしたら、着替えて、綺麗に身嗜みを整えて、ああ、そうだ、紅茶が飲みたい。紅茶を飲みに行きたい。マミさんの紅茶が。

 乾きは連想の結果、頼りになる先輩を思い出させた。巴マミは魔法少女だった。さやか達の中で誰が最も魔法少女らしい魔法少女かと言えば、それは間違いなくマミだった。少なくともさやかの中ではそうだった。可憐で、華やかで、茶目っ気のある先輩。戦い方は派手で格好の良い、見栄えの良さを考慮したものだったが、その見かけ上の余裕を飾るだけの基礎がしっかりと積まれていた。主に銃を用いた遠距離攻撃を担当していたが、彼女の最大の武器は器用さと信念だっただろう。遠近共にそつなくこなし、相性の良し悪しを言い訳にしないだけの応用力があった。そしてさやかが彼女を最も魔法少女らしい魔法少女と認めるに足る所以、誰が見ているでもないのに、人々を守ろうとするその精神を、さやかは評価していた。

 だがその正義の味方も、圧倒的な暴力の前には屈した。杏子の抜けた穴を補うべく、また危なっかしいさやかのフォローをするべく、マミは手を広げ過ぎた。さやかなど放っておいて、砲撃に集中していれば、或いは結果は変わったかもしれない。しかし杏子を失い、勝機に焦り、マミは前に出過ぎた。全ての事に対処しようとして、気付けばすべてが対処不可能になっていた。圧倒的手数を誇る魔法少女は、無慈悲な物量に押しつぶされたのだ。さやかが殺したようなものだ、とまで自惚れる気はない。しかし、場当たり的な対処に飛び回るより、最大の火力であるマミの楯として戦っていれば或いは、とは思わなくもない。

 だが全ては過ぎ去ったことだ。

 足を踏み外し、瓦礫の丘を転げ落ち、鉄骨に強かに頭を打ち付けて、さやかは蹲った。痛かったからではない。痛くなかったからだ。痛覚は遮断したままだ。仲間達の死を思いながらも、さやかのソウルジェムの濁りは不思議と遅い。片腕を失い、額が割れても、痛みさえ感じない。そんな自分の在り様が、人間を止めてしまったような反応が、辛かった。そしてそれすらも、所詮は自己憐憫に過ぎず、自己満足でしかないのだと、いつかあの女に辛辣に突き付けられたことを思い出した。あの時はただただ生意気な奴だとしか思わなかったし、口ばかりの女だと感じていた。苛立ちはしたし、腹立ちもしたが、その言葉が真実胸に響くことはなかった。だが今ではその言葉の意味が良く良く理解できた。何しろソウルジェムは正直だ。仲間の、友の死を思いかえした時よりも、自身の在り様を苦悩した時の方が、余程に濁ったのだから。

 ふらつくように立ち上がった先では、砂塵が吹き飛ばされ、彼方の空で高笑いを上げながら踊る魔女の姿が見えた。

 ワルプルギスの夜。舞台装置の魔女。見滝原を襲った最悪の災厄。結界を必要としない最大の怪物。こうして都市一つを平らにして、押並べて有り触れた悲劇に仕立て上げ、喜びも怒りも、哀しみも楽しみも、全てを全てひとまとめに平等に、ただの単なる戯曲の一幕にしてしまった暴風雨。

 見滝原に起った魔法少女達を平然と返り討ちにし、いや、そもそも相手にするつもりもなくただただひとしきり舞い踊っただけなのか、なにもかもを根こそぎにして満足したらしく、嵐の余韻を十分に残しながらも、魔女は去ろうとしているようだった。

「ふざっけんな……ッ!」

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、さやかはさかしまに回る魔女を睨む。徐々にその姿を消しつつある嵐を、ひたすらに睨みつける。

「ふざけんな、ふざっけんな……ッ!」

 血がにじむほどに拳を握りしめ、奥歯が砕ける程に歯を食いしばり、子供の八つ当たりのように地団太を踏み、さやかは叫ぶ。

「ふざけんなよ美樹さやか――ッ!」

 去りゆく姿に確かな安堵を覚えた、覚えてしまった、自分自身の心の弱さに、美樹さやかは激怒した。住み慣れた街を破壊し、愛すべき生活を薙ぎ払い、手を取り合った仲間達を物言わぬ屍に変えた憎むべき存在。それが背を向けて去ってくれることに、自分の命を見逃してくれることに、もうこれ以上あの絶望的な戦いに身を投じなくて良い事に、さやかは『ほっ』としたのだ。『ほっ』としやがったのだ。いなくなってくれてありがとう、見逃してくれてありがとう、放っておいてくれてありがとうと、そう思いやがったのだ。自身の心の働きに、さやかは言いようのない嫌悪感を覚え、憤怒し、そして、そしてそれでもまだ確かに胸に巣食う安堵に、涙した。ソウルジェムは濁ったが、しかしまだ輝きを残していた。自身への失望は、しかし生き残ったのだという圧倒的な安堵を前に、絶望に至ることを許されなかった。しかしそれは救いを意味しない。自身への、いまや憎悪に変わりつつある嫌悪は確実にソウルジェムを穢し、その精神は悪循環のままに精神を傷つけ続けるのだ。

 とにかく今は、退けたという事にしよう。逃げ遅れた人たちがいないか、探さなければ。尤もらしいそんな理屈さえ、自身を正当化させるための建前にしか感じられず、さやかのソウルジェムはじわじわと濁っていく。一度穢れが溜まりはじめれば、その穢れ自体がまた新たな穢れを生む。その穢れは誰かに押し付けなければ晴れることはない。そしてその仕組みの真実を知ってしまえば、もはや押し付けるという行為自体が穢れを生む。魔法少女という存在は、そんな救いようのない前提を条件としていた。

 それでもさやかは歩く。歩き続ける。そうしなければ本当に、さやかは身も心も動けなくなってしまう。小さな、本当に小さな、希望とも呼べない希望、浅ましい願いに突き動かされ、さやかは歩く。杏子は死んだ。マミも死んだ。だがあいつの死ぬ様をさやかはまだ見ていなかった。だから、或いは、もしかしたら、あの暴風雨の殆ど中心で、自殺的にすら見える危険な攻撃を、惜しげもなく晒し続けたあの生意気な女は、まだ生き残っているのかもしれない。もし誰かが生き残っていて、その誰かの傷を癒すことが出来たならば、それが、それこそが、さやかなんかが生き残ってしまったたった一つの意味なのだ。それがあのいけ好かない女であっても、それはさやかが最後に縋れる藁だった。

 あの女の姿を探して、さやかは崩れ落ちそうになる体を引きずって、瓦礫の丘を歩き続けた。

 暁美ほむらの姿を求めて。

 時間の感覚を失いかける程に歩き続けて、瓦礫の尽きるところにほむらはいた。

「あんたが生きてて良かったなんて、まさかそんなことを思うとはね」

「……随分な……言種ね…………美樹……さやか……」

 ほむらは生きていた。今はまだ、と言うべきかもしれないが。

「随分とまあぼろぼろになっちまったもんね。まあ、あんだけドンパチやってて、それだけ残ってる方が凄いのかもだけど」

「あなたこそ……まさか腕一本落としてくるほど痴呆症が進んでたなんて」

「口ももう少し減らしてほしかったわ」

 しかしこれ以上減らすのは無理そうだった。ふらつきながらもなんとか立っているさやかから見るほむらは、普段より大分低い位置にあった。その両足は瓦礫に押しつぶされていまや赤い染みと成り果て、ほむらの体は半ば瓦礫に埋もれるようにして投げ出されていた。額からの出血が流れて顔は血みどろ、左腕は肩の辺りから行方不明で、コンクリートの剥げ落ちた鉄筋が、荒々しく肉を切り裂いて、背中から腹に薄い身体を貫通していた。

 そして、それでもまだ生きていて、意識は明瞭な様だった。魔法少女と言うものはつくづく頑丈な生き物だ。特にこのほむらと言う女は恐ろしいまでのしぶとさを感じさせた。いや、感じさせていたというべきだろうか。ワルプルギスの夜に挑むほむらは、何としても殺してやるという底知れぬ憎悪と、その過剰なまでの殺意と矛盾するような、失敗しても何としても生き延びるというどこか後ろ向きな戦意があったように思う。しかし今はそれが酷く薄れて、今にも死んでしまいそうな程儚くすら見えた。

「よりにもよって貴女とはね」

「なによ?」

「いいえ。……いいえ。ただ、最初に死ぬのは貴女じゃないかと思っていたから」

「へん、お生憎様。しぶとさには定評があるのよ」

「そうね。後衛の巴マミを差し置いて生き延びている貴女だものね」

 鋭く返された毒に口ごもるさやか。ほむらはまるで気にした風もなく、眠たげな眼を押し開けると、震える右手を持ち上げて、瓦礫の小山を指した。

「あの辺り。多分、あの辺りだったと思うわ」

「なにがよ」

「私の手」

「うげ」

「ソウルジェムがついてるのよ。あれがなければ死んでしまう。意識があるってことはまだ壊れてもいないし、そう遠くは無い筈。拾ってきてくれないかしら」

 まるでロボットだ。げんなりしながら瓦礫の小山をぞんざいに足でがらがらと崩してやれば、幸いにもほむらの左腕はすぐに見つかった。肩口の辺りから人形の手足でももぐかのように荒々しく持って行かれたらしく、断面は直視に耐えかねる有様だったけれど、多少傷があるくらいで折れたりはしていないようだった。意識のない人の体は重いというが、腕一本もまた運びづらいものだった。重量自体は精々3kgくらい、盾を入れても4kgくらいだとは思うが、何しろ力が入っていないので関節がグニャグニャ曲がり、持ち方を気をつけなくてはならない。しかし丁寧にしてやろうと気を遣うと、今度は自分が人間の腕だけを大事に持ち運んでいるという姿に頭がおかしくなりそうだ。

 結局、一番持ちやすかった手首の辺りを掴んで無造作にぶら下げることにした。断面も見ないで済むし。

 人間の腕を引きずるようにして持ち運ぶ、自分も片腕を落っことしたコスプレ紛いの格好の女子中学生というパンクでロックな自分の有様にさやかは頭がおかしくなりそうだった。半ば現実逃避とはいえ、掴んでいる腕に指を滑らせ、日に焼けていない白くてすべすべな肌が少し羨ましいななどと考えている辺り実際かなりおかしくなっていた。

 血が足りなくてふらつきながら、えっちらおっちら戻ってきてみれば、ほむらはうつらうつらと舟をこいでいた。整った顔立ちがそうして居眠りこいている姿は何となく愛嬌があったが、一見可愛らしいそのうつらうつらが意識が飛びそうになっているかなり危険な状態なのは笑えなかった。文字通り寝たら死ぬだろう。

「ほら、持ってきてやったわよ」

「んっ……ああ、ありがとう。助かるわ」

 ぺちぺちとこいつ自身の手で頬を叩いてやれば、ほむらは微睡むように頼りない声で応えた。眼もあいてはいるが、焦点はいまいちあっておらず、何処か虚ろだ。少ない魔力で何とか止血はしているようだが、出血量が多すぎるし、第二の心臓ともいうべき足を失ったせいで血流も滞っているのだろう。とどめにどてっぱらに大穴まで空いている。

 何故だろうか。杏子やマミの死を感じた時はあんなにも心が乱れたというのに、同じ魔法少女であるほむらの死にゆく姿には、さやかは心動くものをあまり感じられないでいた。余りの事に心がすっかり麻痺してしまったのだろうか。死と言うものを受け入れてしまい、響くものがなくなってしまったのだろうか。それもあるのかもしれない。

 だがほむらにだけそうした無感動を覚えるのは、きっとほむらだけが違ったからだろう。マミは尊敬できる魔法少女の先輩だった。杏子とは反発しあう時もあったが、時間があればきっと良い喧嘩友達になれたのではないかとも思う。けれど、ほむらはそうではなかった。ほむらはそういうものではなかった。マミと杏子は仲間だったが、ほむらは違った。敵ではなかったが、仲間にはなれなかったように思う。

 隠し事が多い事。一々一言多い事。生意気な憎まれ口ばかり叩くくせに肝心なことは何一つ言わない事。人の失敗や怪我はあれこれ言うくせに、自分の事は全部自分で背負って隠してしまう事。色々理由はあった。しかし突き詰めれば全てはほむらからの拒絶にあったように思えた。隠し事をするほむらへの反発は勿論あった。しかしそれ以上に、二人の間に刻まれた断絶には、ほむらからの冷たい壁があった。ほむらは馴れ合いを良しとしなかった。四人が魔法少女としてワルプルギスの夜と戦うに当たり、最低限のコミュニケーションはとったし、チームワークも即席にしては良く出来ていたように思う。しかしそれだけだ。例え同じテーブルについて同じポットから注がれた紅茶を口にしていても、ほむらは独りだった。戦場を共にしても、それは仲間ではなかった。三人のチームとソロのプレイヤーが、同じ戦場で同じ相手と戦っていただけの事だった。

 断絶の壁を前に、マミは少しでも関わろうとした。すげなくされても、気にかけていた。杏子はソロでやっていたこともあり、ほむらの遣り方にどちらかと言えば賛同していたが、しかし実力以外の所で背を預けるつもりはないようだった。さやかはその壁が気に食わなかった。壊してやりたかった。あのお高く止まった澄まし顔を歪ませてやりたかった。そうだ。本当は仲間になりたかった。信じてやりたかった。しかしほむらの方でそれをさせてくれなかった。今さやかの胸中に居座る居心地の悪い無感動は、全てほむらによってつくられたもののように感じられた。

「…………美樹、さやか。治せるかしら」

「あたしの魔法でってことなら、全部は無理。傷口塞いで、死なない程度には治せるけど、それ以上はガス欠でね。ご覧の通り自分の腕だって生やせないもん」

「……腕を、繋ぐ位は出来るかしら?」

「あー、まあその位なら」

「そう……そう。それなら……そうね」

 ただ、いまのほむらに腕をつないだところで意味があるようには思えない。その分を生命維持に回した方がまだ助かる見込みはあるだろう。尤も、両足を失ったほむらは魔法少女として戦ってグリーフシードを集めることはできないし、片腕のさやかも満足に戦える気はしない。残った魔力をどう扱おうと、魔法少女としてはもう終わりだ。廃業して、微妙に陰のある壮絶な過去を背負った隻腕の美少女さやかちゃんとして再スタートするしかあるまい。それで、とりあえず腹の傷を塞いだほむらを病院に担ぎ込んで、毎日お見舞いなどしてやって敗残兵二人で傷を舐めあうのがお似合いだ。

 そんな自棄になったさやかを気にした風もなく、ほむらは眠りに落ちそうな瞼を何とか押し開けて、訥々と言葉を紡ぎ始めた。

「私、ね。今度こそはどうにかなるんじゃないかと、そう思っていたの」

 それはまるで懺悔でもするような響きだった。

「巴さんと、杏子と、あなたと……それに、私。まどかも魔法少女にならず、揃えられる限りのメンバーで、出来る限り最善の状況で挑めて…………ここまでうまく行くことは、殆どないの……もう一度揃えようとしても、とてもじゃないけど狙っては出せない、最高のカード」

 がくりと落ちかけた頭をゆっくり持ち上げて、ほむらは一度深呼吸をした。ただ呼吸するだけで、ほむらの生命が零れ落ちていくのが感じられた。しかしさやかには止めることはできなかった。そうすることはほむらの命を留めるかもしれなかったが、ほむらの口からこぼれる真実をも、止めてしまうからだ。さやかは聞きたかったのだ。今際の際であっても、ほむらの隠さぬ言葉が。

「こんな状況が出揃うように、何度も繰り返したわ。……何度も、何度も。失敗して、遣り直して、それも失敗して、遣り直して、それをも失敗して、遣り直して、それさえ失敗して、遣り直して、本当に、何度も、何度も。遣り直すたびに私は全てを捨てて最初から。きっとその度、私自身の何かも、少しずつ切り捨てていったのね。

 ……ふふ。ブリキの樵を知っているかしら。彼はもともと人間だったけれど、仕事道具の斧を呪われて、自分の手を切り落としてしまうの。鍛冶屋の友達に頼んでブリキの手を付けて貰うのだけれど、呪われた斧のせいでどんどん自分の体を傷つけて、どんどんブリキに置き換えて、最後には胴体さえブリキに変わって、人を愛する心を失ってしまうの。

 私もきっとそうなのよ。大事なものを守りたいだけだったのに、それ以外にも大事だったはずのものを、どんどん取りこぼして行ってしまうの。けれど何もかも大事に抱えていては、本当に大切なものを守る事が出来ないから、私は捨てていくしかなかったの。大事だったもの、大切だったもの、今でも本当は拾い上げたいもの、全部全部捨てて行ったわ」

 なにもかも、なにもかも。そう呟いたほむらの顔は、泣いている様な、笑っている様な、或いはただただ呆然としている様な、不思議に曖昧な物だった。

「そして、その結果が、全部全部捨てた結果が、この有様。まだ捨て足りないのかしら。私は身軽に動くにはまだまだ荷物が重すぎるのかしら。これ以上私は何を捨てたらいいのかしら。ここまで揃えて、それでも、まだ、ダメなら」

 ソウルジェムが濁りきらないのが不思議なほどの絶望が、ほむらの細い喉から零れ落ちた。

「美樹さん。わたし、疲れちゃったの」

 すっかり脱力し、険の取れたほむらの呟きは、いたいけな響きがあった。断絶の壁の向こう側、堅く分厚い氷の殻で覆われたほむらの本音が、するりとこぼれ出た様にさやかには思えた。

「疲れたんなら、少し休めばいいじゃん」

「いいのかしら」

「あんた、普段から肩肘張ってさ、気ぃ張り過ぎだって」

「そう、かしら」

「そうそう。よくわかんないけどさ。あんだけ頑張ったんだもん。少しくらい休んだって罰は当たらないでしょ」

「休んで、いいのかな」

「いいっていいって」

 ほむらは少し迷うように息を整えて、そうして、言った。

「すこしだけ、美樹さんに、任せて、いいかな」

「いいよ」

 深く考えずにさやかは答えた。ほむらの事は嫌いだ。生意気で、隠し事ばかりで、自分で壁を作って。でも、弱り切って、死にそうになっている女の子にいちいち突っ掛るのは、さやかの性に合わなかった。

 ほむらは少し咳き込んで、黒く濁った血を吐いた。それから、澱み始めた目で、さやかをじっと見つめた。

「丁度、あなたも左腕がなかったわね」

「丁度って何さ」

「嫌でなければ、私の左腕を持って行ってくれないかしら」

「持って行って、って」

「繋げるだけなら、できるのでしょう?」

 出来ると言った。確かにそう言った。他人の腕であっても、きっとさやかの魔法は繋げられるだろう。血液型の違いや拒絶反応に関しても、抑えられない事はないだろう。さやかにしても隻腕のままやっていけるとは思えないし、丁度良いと言えば丁度良い。しかしこれはほむらの腕なのだ。それが嫌だとか気持ち悪いだとか、そういうことを言うつもりはない。

「でも、これ、あんたのソウルジェムが……」

「形見、なんていうつもりはないけれど」

「…………あんた」

 嫌な目だった。さやかが大嫌いな目だった。上から見下すような冷たい目ではない。さやかの軽率な行いを侮蔑する視線でもない。時折、ほんの時折、向けられているさやかでさえ余程タイミングがよくないと気付かない様な、そんなひっそりと向けられていた目が、いまそこにあった。美樹さやかを頼もしげに見る、暁美ほむらの目が。ほっと安堵して、まるで友達にでも向けるような視線が。さやかはそれが嫌いだった。断絶の壁の向こうから、遠い日の思い出を眺めるようなそんな目を向けられるのが。

 舌打ちを一つして、さやかはほむらの腕の断面を、自分の腕の断面に押し付けた。にちゃりと冷たい感触に顔をしかめながら、さやかは傷口に魔法をかける。見る間に押し付けられた断面はぐちぐちと肉を盛りあがらせ、太さの違う骨をつなぎ、出会ったことのない神経を絡ませ、馴染のない血管同士を接続させていく。死んでいた腕に血液が流れ込み、それに伴うように魔力が隅々まで駆け廻り、細胞の一つ一つを賦活させていく。深い理解や高度な知識もなしに、ただそうあるものだからという属性によって成し遂げられる奇跡。その尋常ならざる神秘を、その遣い手たる当のさやか自身は全く意識しない。

 応急処置程度に繋ぎ終えた腕を、さやかは軽く動かす。神経を接続したばかりで少し痺れる感覚があり、違和感はあるが、そのうちに馴染むだろう。肩口の辺りではっきりと肌の色に違いが出ており、腕の太さの違いも見て取れる。だが、今はこれで十分だろう。

 さやかは魔力を抑え――その瞬間、左手から逆に魔力が溢れた。

「!?」

 それはさやかの魔力ではなかった。自分の物ではない魔力が、腕を伝い肩を上り、さやかの全身へと急激に駆け巡って行った。それは弱々しく薄い魔力だったが、しかし疲弊しきったさやかは突然のことに対応できない。自身のソウルジェムにもその魔力の弱々しい波が届きかけてようやく対処しようとしたが、今度は目の前のことに驚いて、思考が停まる。

 ほむらが起き上がっていた。

 自分の腹を貫く鉄筋を握りしめて、自分の薄い腹を横に引き裂いて、その杭から抜け出していた。そんなことをすればただでさえ死に瀕していたほむらの肉体は破壊されるばかりだ。黒く濁った臓物が盛大にぶちまけられ、背骨一本と、片側だけ残った薄い肉でようやく上体を支えている。

「ば、馬鹿! あんたなにやって……!?」

 自分の状況も忘れてほむらの傍に屈み、その体を支えようとしたさやかに、ほむらはしがみついた。死にかけの、それも本当にぼろぼろの身体とは思えない程の力だった。ぎりぎりと音を立てそうなほどに力を込めて、いまやさやかの腕となった左腕の、その盾を握りしめている。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。でも、もう、私は、きっと、折れてしまう」

 血の匂いさえ濃厚に香る、そんなすぐ傍で、さやかはほむらの顔を見てしまった。直視してしまった。見てしまったからには、さやかの体は完全に化石して、息も止まる思いでそれを見つめる他なかった。暁美ほむらの、泣き顔など見てしまっては。

「あなたが、美樹さんが、あの日みたいに、私に声をかけなければ、きっと、頑張れたのに、でも」

 もう、ダメみたい。そう呟くほむらの涙は濁った血の色をしていた。

 ごめんねとそう最後に残して、ほむらは勢いよく盾を回した。

 がちりと無慈悲な音が鳴り、歯車がさかしまに回り始めた。

 ほむらと名を呼ぼうとしたのか、待ってと呼び止めようとしたのか、何ものにもならない声を上げ損ねて、さやかの意識は途絶した。

 

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