魔法少女まどか☆マギカ短編集   作:長串望

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部屋とコロッケとあなた(さやほむ)

「よっ、ほむらー。コロッケ食べる?」

「頭がおかしいの?」

 顔を合わせるなり正気度判定を開始するのは流石に大人げなかったかもしれない、と暁美ほむらは出来るだけ理性的に頭を働かせた。いかにこの「脳がカロリー分の仕事をしている魔法少女ランキング」ぶっちぎりのワーストを突っ走ってそうな軽薄な少女が相手であっても、そこは最低限の礼節としてわきまえるべきだ。相手が誰であれ粗雑な扱いをするのは自分の品格を下げることにつながる。

 暁美ほむらはしばし瞑目して道理というものを考えた。

 大型の台風が接近し危険であるということで休校の報せが来たのが昨夜。今朝には虹の彼方にまで招待してくれそうな強風と豪雨が安普請の窓をがたがたと揺らしていたので、これ幸いと惰眠を貪ろうと昼過ぎまでお布団とマリアージュしていたのがさっきまで。そしてそんな危険な日にアポイントメントもなしに執拗にチャイムを鳴らし、すわ緊急事態かと寝起きで不機嫌なまま応対したほむらにすこぶる健康的な笑顔と冒頭の台詞を投げかけてきた雨合羽の美樹さやか。

 ふむ。

「頭がおかしいの?」

「二度までも!?」

 よく考えてもやはりダイスロールが必要に思えた。

 寝なおそう、と閉めかけたドアは凶悪な低気圧と凶悪な美樹さやかの握力で阻害された。

「まあまあまあ、そんな恥ずかしがんなよー」

「頭がおかしいの?」

「今日あんたの口からそれしか聞いてないんですけど!?」

「おかしいの? 頭が」

「まさかの倒置法!」

「おかしいのね。頭が」

「納得された!」

 かけあいノルマは終えたと思ったのだけれどなかなか解放してくれないさやかに、ほむらは溜息を吐いた。

「仕方ないみたいな溜息まで!」

「違うわ。どうして神は完全な世界を御創りにならなかったのかと考えていただけよ」

「人を不完全代表みたいに!」

「そのまま燃え尽きてくれればいいのに」

「物理的完全燃焼はしたくないかな!」

 台風の日には子供と畑を見に行くお爺ちゃんがやたら元気になると聞いてはいたがここまで鬱陶しいとは思わなかった。

 風はますます強くなり、さやかの体が盾になっているとはいえ吹き込む雨で玄関も濡れはじめた。厄日だった。全く厄日だった。

 このまま強引に放りだす術は幾つか思いつくけれど、しかしそれを実行してこの台風の中さやかを一人で帰らせれば、台風明けにほむらを襲うのは今度は批難の嵐だろう。台風程度で魔法少女がどうこうなるか、と言いたいところだけれど、何しろ重たい鉄の看板だって吹き飛ばされるのだ。それが油断している所に直撃すればただでは済まないし、うっかりソウルジェムが濁流に流されたらそれだけで終わりだ。無事帰れたとしてもその後はどうだ。佐倉杏子はばっかでーと笑うかもしれない。しかし巴マミは眉を顰めるだろう。百江なぎさは興味を持たなそうだけれど、鹿目まどかは間違いなくほむらちゃん酷いよと涙目で憤慨する事だろう。

 仕方がない。

 悪魔にも世間体というものはある。

 もう一度鉛のような溜息を吐いて、暁美ほむらは馬鹿を独り部屋に受け入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 風邪を引くし何より部屋が濡れるからと、ほむらは玄関でさやかをひんむき、風呂に放り込んだ。呑気な鼻歌とシャワーの音を聞きながら、雨合羽の水気を払って干し、防ぎきれなかった風雨に負けた衣服を洗濯機に放り込んだ。

 着替えはどうしたものだろうか。下着はまあ、つけてきたものを使用してもらうほかない。生憎と残酷な現実というものがこの世には存在していて、さやかとほむらの下着には互換性がないのだ。主に胸部の質量差によって。

 どうせこの天気では部屋から出ることもないし、適当なものでいいだろうと、部屋着用に古着屋で適当に買ったTシャツとスウェットを引っ張り出してきた。少し大きめの、色気も何もない無地のものだけれど、仕方がない。しかしこれだと、シャワーを浴びさせているとはいえ台風の中歩いてきてすっかり冷え切った体には涼しすぎるかもしれない。同様のカーディガンも用意しておいた。

 こんなものかと見回して、それから慌ててバスタオルを用意する。うっかりしていた。

 なんだかそれだけですっかり疲れてしまった。

 万年床に潜り込む気も薄れ、薄っぺらい座布団に腰を下ろして、冷えた卓袱台に体を預ける。一旦作業から離れ落ち着いてしまうと、何をしているのだろうかという徒労感がほむらの脳裏を巡った。全く、本当に何をしているのだろうか。

 しばらくして、着替えあんがとね、と実に気安い文句と一緒にさやかはシャワーを終えてやってきた。印象にあわず意外と丁寧に髪の水気をタオルで取りながらやってきたのだが、何故だろうか。色気の全くない古着屋で買ってきたアイテムも、さやかが着ると不思議にカジュアルスタイリッシュとか謳いそうな具合だった。着こなしもへったくれもないようなものだから、これはもう純粋にスタイルの問題だろう。奇妙なことだが胸部が平坦なほむらが着ると途端に板に布をかぶせたような具合なのが、さやかが着るだけで全体にメリハリが発生するのだ。滅びろ三次元概念。

 女子中学生が住んでいる部屋というより、アンドロイドが待機時に使用している倉庫といった具合の、万年床と卓袱台しか物の存在しない生活感の欠片もない部屋に苦笑いしながら、さやかは畳に腰を下ろしてほむらと向かい合うように卓袱台に肘を下ろした。生憎と座布団は一枚しかなかった。

「あんた結構お洒落さんだから、もっとインテリアにもこだわると思ってた」

「誰かに見せる予定がないもの。必要も」

 ふぅん、とさやかは小さく鼻を鳴らした。ほむらは電池の切れた玩具の様に脱力し切って、卓袱台に突っ伏している。普段背筋を伸ばして、あの陰気な目で笑っている悪魔の姿とは大違いだ。誰も信じないと強がって、捨てきれずにいる何かに足元をがんじがらめにされていたあの頃とも大違いだ。しかし或いは、そう言った何もかもを取っ払ってしまうと、暁美ほむらの中身というものはこんなものなのかもしれなかった。ほむらにはまどかだけがあって、そしてそれ以外はないのかもしれなかった。持ち続けることが出来ないのかもしれなかった。どうする事も出来ないのかもしれなかった。どうしたいのかもわからないのかもしれなかった。

 そんな姿をさらすのは、仕方のない事態だったとはいえ、さやかに気を許しているからだろうか。勿論ノーだ。さやかは自問に即座に自答した。どうでもいい(、、、、、、)のだ。この悪魔にとって、宿敵たる自分の存在などどうでもいいのだ。

 その証拠にほむらは何も考えていなかった。ただどうしようもない退屈と無駄な時間を、万年床での睡眠で消費していたのが、こうして思考停止状態で突っ伏することに変わっただけだ。

 さやかは空虚な卓袱台に、持参した袋を置いた。その音にほむらはちらりと視線を遣る。コンビニの袋だった。まあ、この台風だ。コンビニくらいしか開いていないだろう。コンビニだって、店仕舞いしていいと思う。

 中身を取り出しながらさやかは再度言った。

「コロッケ食べる?」

 袋の中身はコロッケだった。

 この嵐の中最寄りのコンビニで買って、雨合羽の内側、懐で大事に抱えてもってきたらしく、まだ温かいコロッケだった。如何にもな安っぽい揚げ油の匂いが、寝起きの胃袋をたたき起こそうとしていた。

「いやー、この台風の中客が来ると思ってなったみたいで準備してなかったんだけどさー、お願いしたら揚げてくれて、いやでも迷惑かなーって思ったんだけどすっごい暇だったみたいで逆に感謝されちゃって」

「どうして?」

「え? ああ、元ネタは知らないんだけど、ネットでさ、台風の日にはコロッケみたいのがあって、折角だし乗っかろうかなーって」

「違うわ」

 のっそりと体を起こして、暁美ほむらはゆっくりと瞬いた。

「どうして、この台風の日にわざわざ私を訪ねてきたのかしら」

 美樹さやかは少し考えるようにして、髪の水気を取り終えたバスタオルを丁寧に畳んで、横に置いた。それから改めてコロッケを取り、ほむらに勧めた。

「コロッケ食べる?」

「……頂くわ」

 紙袋に包まれたコロッケを受け取り、ほむらはなんだか異世界の物でも見るような心地でこの黄金色を見下ろした。

 ああ、ソース貰って来るの忘れた。そんな気の抜けた声を聞きながら、ほむらは小さく一口をかじり取る。ざくりとした軽い歯触りに、ほくほくとした芋の触感。

 それは確かにコロッケだった。

 

 

 

 

 

 

「どうして?」

 再度の問いかけに、コロッケをかじりながらさやかは視線を巡らせた。言葉を探した。そして結局うまい言い回しは見つからず、彼女なりの言葉を積み上げることにした。

「あらしが来てたから」

「意味が解らないわ」

「あんたさ、何回も何回も、それこそ円環の理にいたはずのあたしですら気が遠くなるほど何回も、あの一か月を過ごしてた訳じゃん」

「そうね」

「でも、次の一か月のこととかは、あんまり知らないんじゃないかって」

「意味が解らないわ」

「あんたは見滝原の夏を、知らないんじゃないかって」

「夏なんてどこでも同じだわ」

「病院での夏も?」

「……そうね」

「あんたにとっちゃ、まどかのこと以外はどうでもいいのかもしれない。でもそのまどかが生きているこの世界は、それで、あんたも生きているこの世界は、あんたの言うどうでもいいもので溢れていて、そのどうでもいいものを呼吸して、どうでもいいものを食べて、どうでもいい生涯を送るんだ。どうでもいいことを楽しんだって」

「余計なお世話よ」

 如何にも古着屋で買ってきた如何にもなスタイルで、しかし暁美ほむらは冷たい拒絶を示した。壁の手前で、美樹さやかはコロッケをざくりと食んだ。

「それに、そう、うん。あらしが来てたから」

「意味が解らないわ」

「もう乗り越えたかも知れない。どうでもいいものになっているかもしれない。でも、あらしを怖がっているかもしれないから。だから来たわ」

「余計なお世話よ」

「そうかもね」

 暁美ほむらはコロッケをざくりと食んだ。火傷するほどではない、人肌に近いぬくもりがあった。

「昔ね、絵本の作家がこういったんだって。どんな時でも正しい行いっていうのは実はないんだって」

正義の味方(あ な た)らしくもない」

「かもね」

 皮肉にちらとだけ目を伏せて、さやかはつづけた。

「立場ごとに正義があるんだってさ。あたしにはあたしの。まどかにはまどかの。あんたにはあんたの。でもね、絶対に正しい行いがあるんだって」

 綺麗な歯並びに丸く削られたコロッケ越しに、美樹さやかは暁美ほむらを見た。ちまちまと小さく削られたコロッケ越しに、暁美ほむらは美樹さやかを見返した。

「困ってる人、餓えている人に食べ物を分け与えることは、立場や人が変わったって、正しいことなんだって」

「それでコロッケを?」

「うん」

「あさはかね」

「うん」

「余計なお世話よ、偽善者」

「そうかもしれない」

 チープなコロッケは、安っぽくやさしい味がした。

 

 

 

 

 

 

 窓を揺らす風は強くなる一方だった。

 カーテンを閉め切り、人工の明かりに照らされた室内では、時間の感覚がおかしくなってくる。今は何時だろうか。時計を見上げてみたけれど、午前も午後もわかりやしない。

「絵本と言えば」

 コロッケをかじりながら過ぎる沈黙の間に、美樹さやかはそっと話題を差し込んだ。

「こんな風にね、あらしの夜をひとつの小屋でやり過ごすお話があるの」

「ああ、そう」

「真っ暗な闇の中、もしかしたらこの小屋も吹き飛んじゃうかもしれないって不安になりながら、二人は夜通し話して意気投合するのよ。それでまた、次の日に会いましょうって」

「へえ」

「そうして翌日、秘密の合言葉を携えてやってきたらなんと、片方は狼で、もう片方はヤギだったのよ。食べる側と食べられる側。でもお互いの事をすっかり話してすっかり仲良しになっちゃってたもんだからさ、今更もとの関係になんて戻れなくて、二人して群を飛び出して」

「ばかばかしい」

 するりとはだえに走る剃刀のように冷たく鋭い声だった。

「私はこの世界を好きなように書き換えた悪魔。あなたは書き換えられた世界を取り戻すべく正しさに奔走する騎士。あらしの夜に一緒にコロッケを食べたら仲良しになれるとでも? それをあなたが言うの?」

 風が強く窓を打った。

 そうだ。最初に拒んだのは彼女だった。

 目的を達成した悪魔にとって、全ては些事だった。何もかもが上手く回っていた。全てに対して寛容な気分だった。自分の中でうつうつと下らぬことをわめきたてるちっぽけな自分自身さえ、放っておいてやろうと思う位に。その誘いを断ったのは彼女だ。仲良くしてやろうという誘いを拒んだのは彼女だ。誰も不幸にならない。誰も割を食ったりしない。みんなでお茶会出来るような世界を作ったのに!

 ほむらの中のちっぽけなほむらは、冷笑を浮かべた悪魔に、もっと酷薄に嗤うのだった。ほら、と。ほらやっぱり、と。お前はいつもそうなのだ、と。馬鹿ばっかりだ、愚か者ばかりだ、どうしてこの箱庭の素晴らしさがわからないんだろうと嘆く悪魔に、ほむらの中のちっぽけなほむらは馬鹿ねあなたはと嗤うのだ。そのどうしてを知っている筈なのにと。

 

「わたしは」

 

 稲光がカーテンの隙間を走り、ばちんと全ての明かりが落ちた。

 停電だった。

 ブレーカーを確かめようと立ち上がる少女の裾を引くものがあった。お互いの輪郭すらもぼやけ切った闇の中で、見上げる瞳があった。少女はすとんと腰を下ろして、それからずりずりと輪郭の解けた闇と隣り合って座った。

 視界は闇で覆われ、耳にはごうごうがらがらというあらしの音ばかりが聞こえ、体温ばかりが二人の間にやりとりされた。そしてそれ以上のものはこの闇の中に無かった。

 少女が頭を傾げると、寄り添うように少女の額が寄せられた。安っぽい、コロッケの揚げ油の匂いがした。

 

「あらしのよるに」

 

 少女が呟いた。

 

「あらしのよるに」

 

 少女が返した。

 

 

 

 それはあらしのよるにあったかもしれないおはなし。

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