今夜はアメリカンドッグにしよう。
何の話かと言えば、魔女狩りの疲労を訴える小腹に詰めてやる賃金、夜食のことだ。
毎度デザイナーの正気を疑う結界の中とは言え、いい加減うんざりするほど長い階段を降り続けながら、美樹さやかはすでに終わった後のことを考えていた。
ジャンボなフランクフルト・ソーセージもいい。そこはかとなくジャンクな感じでありながら、正統派まっしぐらの充実した肉っぷりは、シンプルに過ぎるかもしれないが、そのシンプルさこそが正にパワーといった感じで、いい。
ただ、今夜は肉肉しい気分ではなかった。少し前に避け損ねた攻撃で中身を詰めてないソーセージがお腹からまろび出たので、ちょっと受け付けない。
肉まん、あんまん、ピザまんてのも捨てがたい。たまに変わり種も入るが、いまはそういう時期でもない。つやつやと白い魅惑のお肌にそのままがぶりとかぶりつくのもいいし、押し頂くように半分に割って、ふわりと立ち上るその犯罪的な香りを顔に浴びるというのも、いい。
馴染みのコンビニは、深夜帯でもホットスナックの品ぞろえがいい。というより、ホットスナックの品ぞろえがいいから、馴染みになったのか。
ただ、気分はやはり、アメリカンドッグだった。
炭水化物とタンパク質と、そして何より脂質が欲しかった。からりと上がった揚げ物が恋しかった。例え脇腹にしがみつく呪いがあろうとも、この時間に頂く揚げ物の魅力にはとてもかなわなかった。
ざくりとした外側をかじると、ふわりと柔らかな衣が広がる。そしてぷつりとちゃちな歯応えのソーセージ。肉肉しくなくていい。素朴な味わいでいい。ケチャップとマスタードをかけて、ざくりざくり、もしゃもしゃと一心不乱に食べたい。食べよう。絶対食べよう。
このくそったれな結界を生み出したくそったれな魔女を片付けたら、絶対にアメリカンドッグを食べよう。
さやかはそのように決意して、闘志を燃やして階段を駆け下りた。
そしてその闘志はすぐに鎮火して萎えた。
というのも、駆け下りていった先に、背中が見えたからだった。それも見知った背中だった。
着崩した牡丹色の和服の下に、洋装のドレスをまとったような装束。たおやかさすら感じさせるその意匠と裏腹の、その手に携えられた凶器。鞘の両端から柄を見せて収まった小太刀二刀。
向こうも気づいたようで、おやと見上げるのは腹立たしくなる程に落ち着き払った瞳。
「常盤、ななか」
「奇遇ですね、さやかさん」
微笑みを浮かべて会釈するななかに対して、さやかは眉をひそめた。礼儀の上では褒められた態度ではないが、美樹さやかという少女は良くも悪くも感情に素直だった。好意を持つ相手には笑みも見せるが、敵意を持つ相手には刺々しい。
さやかは、常盤ななかに対して敵意を持っているわけではなかった。敵意という程のことではない。ただ、好意もない。好きでも嫌いでもないというには、やや嫌いより。嫌いというよりももっと正確な言葉を探すのならば、それは不信感という言葉が当たるのだろうと思う。
不信であるし、不審だ。
刃を向けられたことがあるわけではないし、魔女や使い魔をけしかけられたことがあるわけでもない。悪質な罠を疑うわけでもない。戦闘中に落っことした指をぽっけないないされておやつ代わりにかじられたわけでもない。そんな奴はひとりで十分だ。
しかして、さやかはこの女に苦手意識があった。
さやかの露骨なまでの態度に、いっそ笑みを深くさえして穏やかに見上げるこの女に。
この空気を持った相手に対してさやかが持ちうる語彙は一つだけで、つまり、胡散臭い、だった。
例えば暁美ほむらも大概胡散臭いが、あれが腹立たしいのはむしろ言ってもわかる訳がないという上から目線の拒絶であり、私はあなたのことをよく知っているんですよという根拠不明のわかってる面であり、自分一人で何もかも抱え込もうとするがための秘密主義である。
こっちを見ようとしない不信感がほむらにあるとしたら、ななかにあるのはこっちを見ている不信感である。
じっとさやかを見つめる目は、どうにも何かを見透かしているようで、気持ちが悪い。含みある物言いはさやかのおつむには回りくどいし、やることなすことも手の札が見えず考えが読めない。
「なによ、お仲間はどうしたの?」
「別にいつも一緒、というわけではありませんから。それにさやかさんも」
「そう言う日もあるわよ」
「私もそう言う日なんです」
「あっそ」
すげない態度のさやかに、しかしななかは何がおかしいのか微笑みを深くしただけで、こつりこつりと階段を降り始めてしまう。
ここで黙って見送るのはなんだか馬鹿らしい、ななかが気に食わないからと言って引き返すのはますます馬鹿らしい。かといってわざわざ追い越していくというのはいよいよもって馬鹿馬鹿しい。
それで、微妙な距離を置いて後から階段を下りていくのだから、これも全く馬鹿だなとさやかは思った。ななかはなんだか知らないがご機嫌の様子で、さやかはますますげんなりしてきた。この女と魔女退治を同道するというのはあまり気持ちのいい話ではない。
第一、共闘するという間柄でもない。一時的な協力は魔法少女にとってよくあることだが、グリーフシードの取り合いは美しいものではない。結局はスタンドプレーが結果としてチームワークの形になるだけだ。
ただでさえ胡乱な相手に、いつまで続くともしれないこの階段。
さやかはため息をついた。愚痴も出てくるというものだ。
「はーあ。ついてないわ。いつまでも階段が続くと思えば、今度はあんた」
「退屈な旅路に連れができたのはプラスでは?」
「掛け算じゃないんだから。マイナスとマイナスは、足してもマイナスじゃん」
「つれませんね」
「つらないもん。あーあ、とっとと終わらせて、アメリカンドッグ食べたいのに」
「アメリカンドッグ」
「そーよ。コンビニよって、アメリカンドッグ食べたいんだから」
「それは素晴らしい!」
ぎょっ、とした。
くるりときれいなターンで振り向いたななかは、きらきらと輝く目でさやかを見上げた。
流れるように手まで取られて、さやかは唖然とした。
「深夜のコンビニで、ホットスナック! 私、したことがありませんわ」
「ああ、そう……?」
「それもお友達と!」
「誰が?」
「さやかさんが」
「誰と?」
「私、常盤ななかと」
「オーケイ、あたしちょっと今月はCD買い過ぎたから間食は控え」
「もちろん奢りますわ?」
柔らかく手を取って、楽し気に上目遣いで見上げるななかに、さやかは口ごもった。
その手は、花を生ける手に似ている気がした。
この目は、なんだか仁美に似ている気がした。
そしてそういう目に、さやかはノーと言えないのだった。
「……あー……」
「いー?」
「そういうのいいわよ。ああもう、しかたない」
「それでは?」
「あたし早く帰りたいんだから、急ぐわよ」
「では、参りましょうか!」
結局、アメリカンドッグは自分で買ったし、コーヒーマシンの使い方は教えてやった。
肉まんの湯気を浴びる顔は、存外に幼い、ような気がした。