それなのに、こんなにも胸が弾む。
かしゅ。
缶飲料のプルタブというのは、どうしてこう期待を持たせる音がするのだろうか。
美樹さやかはロング缶を手にふと思った。
他愛もない些細な音に過ぎないのに、そのちっぽけな音を聞くと、なんだかわくわくしたような気持ちになる。さやかはこの持論にかなりの自信を持っていたが、いまのところ共感者は少ない。そうかな、そうかも、という程度である。
担任の早乙女和子教諭はとてもよくわかると頷いてくれた。彼女の場合は仕事上がりの缶ビールだったが。さやかには残念ながらその気持ちはまだわからなかった。
ともあれ、さやかはその期待とともに缶の中身を呷った。
正直なところ、その期待からはちょっと外れた味わいなので、小首をかしげたくもなる。不味いわけではない。むしろ心地よくさっぱりと飲める。若干の塩味が、疲れた身体に効く、ような気がする。
ただやっぱりこう、もっとえげつないぐらいパンチの利いた味を期待していただけに、やや物足りなさは感じる。何事においても満たされないやつらを対象としているにしては、と。
「……なにを飲んでらっしゃるんですか?」
「ウルトラなやつ」
「ウルトラなやつ……」
そんなさやかを胡乱気な目で眺めているのは常盤ななかであった。
缶を呷るさやかの白い喉はいつまでも眺めていられたが、それはそれとしてその缶に描かれた荒々しい爪痕を思わせるパッケージはいささか気になるものだった。その特徴的なデザインは、ななかでも名前くらいは耳にしたことのあるエナジードリンクのものだった。これはそれのウルトラなやつであるらしい。
ななかはエナジードリンクなるものを飲んだことがない。いわゆる栄養剤、小瓶で売られているものくらいならば、疲労や体調不良を感じるときに飲んだことはある。しかしそれは医薬品としての扱いであって、まるでジュースのようにごくごく飲む類のものではない。
「あまり健康には善くないと思いますが」
「燃料補給よ燃料補給。あたし、動き回るから」
「確かに、よく跳ねまわってますものね」
「……なんか言い方が気になるけど」
魔法少女は基本的にタフだ。
物理的な耐久性は勿論、莫大なカロリーを消費してそうな運動をしてもけろりとしているスタミナや、翌日に疲れを残さない回復力など、通常の人類とはかけ離れた性能を持つ。
とは言えそれは万能ではない。
単純な身体能力の強化とはいえ、それらはすべて魔法の産物だ。魔法少女の全ては魔法によるものと言っていい。極端な話、魔法少女にとって肉体とは、本体であり魂であるソウルジェムが操縦する修理可能な乗り物に過ぎず、燃料さえ切れなければ動かし続けることのできる便利な人形。
逆に言えば、魔力が切れてしまえばその肉体は通常の人類のそれと何ら変わりない。それどころか、神浜のような特殊地帯でもなければ、魔力切れはほとんどイコールで穢れをため込み魔女化すなわち死につながる。
魔法少女のタフさは魔力頼りなのだ。
だからこそ莫大な魔力持ちはそれだけで強いし、グリーフシードを集められるものはその回復にもつながる。そして魔力を効率的に運用することがより優秀な魔法少女への道だ。
なので少ない魔力をできるだけ効率的に運用し、普段から体調や健康を気にかけること、身体のメンテナンスを行うことが必要だ。
さやかもそれは大事だと思うし、自分も気を付けるべきだと思う。
その上でのエナジードリンクであった。
「やっぱりさ、いくら魔法で痛くない疲れないってなっても、どっかで無理してると思うんだよね。そう言うの普通のご飯とかだけじゃ足りないから、燃料補給みたいな」
「……燃料にしては、カロリーがありませんね」
ノンシュガー、カロリーゼロがうたい文句であった。
エネルギー、たんぱく質、脂質、見事にゼロが並ぶ。これでは燃えるものもあるまい。
「……心の! 心の燃料だから!」
「飲んでみたかっただけ、ですね」
「むぐ」
図星である。実際のところ、興味本位以上の意味などなかった。
そして一口飲んでしまうと、その興味も収まってしまった。
あれほど魅力的に思えたパッケージも、しかし味を知ってしまった今は、ビタミンとカフェインを含むスポーツドリンク風の飲料でしかない。あっさりさっぱりごくごく飲めるが、満足感はやや乏しい。
酸っぱいクエン酸は疲れが取れるような気がするし、カフェインなんかのおかげで目も冴えてくるけれど、カロリーゼロは確かに意味がない気がしてきた。まるで燃料にならない。
覚醒感のおかげでバリバリやる気が出ているが、走り回っても燃やすものがないのだ。エンジンの空ぶかしに等しい。あとで大層腹が減ることだろう。
しかしわざわざそんなこと指摘しなくていいだろうとさやかは恨めしげにななかを睨んだ。気付かなければあとで後悔するだけで済んだのに。
そもそもこの女はなぜさも当然のような顔をしてしれっと隣にいやがるのだろうかとさやかは訝しんだ。チームを組んだわけでも、ましてやお友達なんかであるわけでもない。にもかかわらず、神浜をうろつくと高確率でこの女と出くわしてしまうのがさやかには不思議だった。
さっさと飲み干して立ち去りたいところだが、ロング缶はなかなか容量があって一息には飲み切らない。いくらさっぱりしていようと、一缶分というのは意外に量があるのだ。かと言って歩き飲みするには、缶というのは存外じゃまだ。
邪魔な缶。邪魔な女。ダブルで邪魔だなとさほどの悪意もなく考えて、さやかはこの二つをまとめてしまえばいいのだと気づいた。
「おっしゃるとーり、飲みたかっただけで、満足したし、あとあげる」
「……よろしいんですか?」
「よろしいよろしい。じゃあたしはこれで」
きょとんと眼を丸くした顔は、なんだかあどけない。押し付けた缶を両手で受け取って、まじまじと飲み口を見つめる姿はどこか子供っぽい。それがなんだか新鮮で、少しの間さやかは見守ってしまった。
ななかは少しの間、よくわからないものをよくわからない気持ちで見るような目で缶を、その飲み口をじっと見つめて、そしておもむろに両手で掲げてこくりと一口飲んだ。
あまり口に合わなかったらしいことは、寄せられた眉が如実に語っていた。ちろりと赤い舌先が唇から顔を出し、舐めるようにもう一口。
「……悪くはありませんね」
「うっそだぁ」
「いえ、そうですね」
ななかは少し目を伏せて笑った。
「さやかさんのような味がしますね」