友達なんだから何でも知っている、なんて思い上がっていたわけではなかった。
ただ、思いの外に知らないことが多かったのを、さやかが勝手にショックに感じただけだった。
そのショックはなんだか妙に大きなもので、少しの間ぽかんとしてしまっただけだった。
そう、それだけだ。
「やはりさやかさんには、青がよく似合いますね」
「ええ、本当に。はい、少し上を向いてくださいね、そう……」
「緊張されていますか? リラックスしてくださいね」
「いつもの元気なさやかさんも素敵ですけど、こうしているとまるでお姫様の様で……」
「ふふふ、本当に」
「ふふふふ」
左右から、前後から、二人の声に翻弄されながら、さやかは困惑した。
どうしてこんなことになったのか。
この頃の仁美は、お稽古に前向きだった。
様々な稽古事を嗜んでいることは知っていた。そしてそれをいくらか重荷に感じているということも。
それが、放課後になるや足取りも軽く楽しそうに向かうようになった。
ため込みがちな仁美が、なにか気持ちを軽くするものに出会えたのならばそれはいいことだった。
聞けば、新しい華道の先生というのが、ほんの一年先輩の中学生なのだという。
おいおい大丈夫なのとさやかは思ってしまうが、年も近く話も合うということで、仁美は最近お花の楽しみとやらを思い出してきたのだそうだった。
さやかはそれが我がことのように嬉しく、そして少し寂しい。
もちろん、さやかやまどかとの付き合いがそれですっぱりなくなってしまったわけではない。
稽古のない日は放課後を共に過ごしもするし、仁美がさやかたちを遠ざけることも、また自ら遠ざかることもない。
ただ、お稽古の日にはあんまりにもあっさりと手を振って、迎えの車に乗って去ってしまうのである。
なんか寂しいなー、ちょっともやっとするなー、などと言うことを口にするさやかではなかったが、それ以上に顔面が雄弁過ぎた。
放課後に少し目を伏せて見送る物憂げなさやかの表情は、仁美の庇護欲をこれでもかと刺激した。
玄関まで見送りに出て、きゅうんと心細げになく子犬のような愛らしさだった。
それは仁美にしか見えない幻覚で、まどかには「ちぇー」と口をとがらせているようにしか見えなかったが。
自分の知らないところで、自分の知らない新しい友達を作って、その誰かさんのことを楽しそうに話す親友。
仁美は自らの身に置き換えて想像し、さやかに悪いことをしてしまったと深く反省した。
もし自分がさやかに同じような仕打ちを受けたら、興信所に札束が積まれたことだろうと。
けれどいまさら「先生」との仲をなかったことにはできない。
そこで仁美が状況の打破のために選んだのが、個別の関係性を一つにまとめてしまおうということだった。
つまり、仁美と「先生」、仁美とさやかという二つの関係性を、仁美と「先生」とさやかというひとくくりにまとめてしまえばいいのだと。
そうして連れられた先で、さやかは知った顔を見ることになったのだった。
「あら、さやかさん?」
「常盤、ななか……?」
「ななかさんとお知り合いなんですの?」
むしろ仁美こそ、という気持ちだった。
小ぢんまりとした和室で待ち構えていた少女は、常盤ななかといった。
さやかは彼女についてあまり詳しくはない。ほとんど知らないと言ってもいい。
断じて友達ではないし、知り合いと言うほどでもないと思う。
しかし、知らぬ仲、とも言えない。
常盤ななかは魔法少女であった。そして美樹さやかもまた魔法少女であった。
見滝原がホームであるさやかと、神浜にヤサを移してきたというななかは、そもそも土地が違うから出会うことすら珍しい。はずだ。
その割には神浜に行く度になぜかこの女はさやかに奇遇ですねと挨拶をかましてくるのだが、言ってしまえばそれだけの仲だ。
時折その場の流れで共闘することもあるが、目的も違えば方針も違う二人だから、仲良く御一緒にという感じでもない。
しかしその微妙な関係性は、魔法少女ではない仁美には説明が難しい。
だから曖昧に誤魔化したいところなのだが、不器用なさやかはなんだか隠し事でもあるみたいにええとまあうんそんな感じとか適当な返し方をしてしまう。
ななかはななかでそれを面白そうに眺めて、何とも言えぬ含みのある笑みを深くするものだから、まるで本当に何かあるみたいだ。
親友の可愛い嫉妬をなだめるために合わせたはずなのに、今度は仁美の方が降って湧いた嫉妬心に困らされた。
「ななかさんがさやかさんをご存知とは知りませんでしたわ」
「私も、仁美さんがさやかさんのような方とお友達とは……」
「意外、でしょうか?」
「そうですね、少し、意外かもしれません」
仁美とななかは、さやかを挟んでゆるゆると語らった。
それは傍目には微笑んで和やかな会話でしかなかったが、さやかはなぜだかお腹の奥の方がじんわり重くなって痛むような気がした。
もぞもぞと足を崩して、「この部屋冷房利きすぎてない?」とでもいうように、「この部屋重力強くない?」とさえ思った。
お手伝いさんが入れてくれたお茶の味さえ、なんだかいまいちわからない。
もともと貧乏舌のさやかに高級なお茶の良し悪しはよくわからないが。
仁美の新しい友達にささやかな嫉妬を抱いて不満を感じていたはずのさやかは、いまとなってはむしろ二人とも仲良くしてという気持ちでさえあった。
自分が原因となって仲のよかった友達の間に軋轢が生じるのはつらかった。
なぜかわからないがさやかはたまにそう言うシチュエーションに遭遇するのだ。
別の友達グループの子にちょっとした用で話しかけたり、ありがとーと軽く肩を抱いたりすると、なんだかそのグループは少しぎこちなくなったりするのだ。
なぜかはわからないが。
ここはさやかちゃんが身を挺して二人の仲を取り持つしかないかな、などと教科書の落書き程度の覚悟を決めようとしていると、ふと自然な笑い声に我に返る。
ぱちくりと瞬きして二人を見れば、なぜだか短い間に仁美とななかの間のわだかまりはすっかりとけてしまったようだった。
「そうですか、そうですよね。さやかさんはそういうところがありますものね」
「ええ、ええ。仁美さんも苦労されているんですね」
「まあ、苦労なんて。好きでやっていますもの」
「ふふ、わかります」
話を聞いていなかったが、もしかするとさやかのバカ話でもして盛り上がっていたのかもしれない。
そういう形であっても二人の仲を壊さずに済んだのであれば、普段のおちゃらけもまんざら無駄でもなかったかな、などと馬鹿なことを考えていると、唐突に話を振られる。
「ねえ、さやかさんもそう思いますでしょう?」
「え? あー、ウン? 仁美が言うならそうかな」
「あら。私なら頷いてくれなかったでしょうに」
「いや、そう、そんなこともないんじゃないかなー、なんて」
全然聞いていなかったので適当に返事してしまったことを、さやかはずいぶん後悔することになる。
◆◇◆◇◆
「やはりさやかさんには、青がよく似合いますね」
「ええ、本当に。はい、少し上を向いてくださいね、そう……」
「緊張されていますか? リラックスしてくださいね」
「いつもの元気なさやかさんも素敵ですけど、こうしているとまるでお姫様の様で……」
「ふふふ、本当に」
「ふふふふ」
左右から、前後から、二人の声に翻弄されながら、さやかは困惑した。
困惑、そう困惑だ。それ以外に何と言ったものかわからない。
すっかり仲直りして楽しそうにするふたりは、なんだかよくわからないうちにさやかの言質をとり、あっという間に制服をひん剥いてしまった。
え、え、え、え、とさやかが目を白黒しているうちに上から下までうっかり脱がされてしまって、さすがに慌てたところに今度は着せられていく。
お手伝いさんが持ってきた姿見に映し出されたのは、見事な振袖姿のさやかだった。
さやかも、夏祭りで浴衣くらいは着たことがある。しかし振袖となると話が違う。一般庶民のさやかはお正月でだってこんな上等なものは着たことがなかった。
あるいは成人式でようやく着ることになるかもしれない。
そんな、生地からして高そうな振袖だ。
仁美とななかはとても楽しそうにさやかを着せ替え人形にして、たっぷりとした厚みのある座布団に座らせる。
どう考えても異常なシチュエーションだが、あんまり楽しそうにしているので口もはさめない。
まあ楽しそうだしいいかな、なんて思ってしまう。
「さやかさんは、本当にそう言うところさやかさんですわね」
「ええ、まったく。本当にさやかさんですね」
「えっ、待って、そのさやかちゃんの用法、あたしが知らないやつじゃない?」
馬鹿にされているのか、褒められているのか、それさえ分からない。
ただ、きれいどころが二人して楽しそうに笑っているのだから悪いことではないんじゃないかとさやかは思ったりする。
なんだか脳裏で親友のまどかが「そういうところだよさやかちゃん」と言っている気もするが、さやかには何が悪いのかわからない。
「これ高い奴じゃないの? あたし着ていい奴?」
「もともとさやかさんのためにあつらえたんですの」
「えっ」
「とてもお似合いですよ、さやかさん」
「あー……うん、ありがとう?」
よくわからないさやかだが、美少女二人に手放しで褒められて悪い気もしない。
なんだか照れ臭くなってしまった。
二人はその様子を眺めて笑みを深くし、そして続きを始めた。
「ではまず髪を」
「爪も磨きましょうね」
「さやかさんにはまだお化粧は早いですけれど、ほんのすこし」
さやかが何か言う前に、さやかの体は二人がかりで改造され始めた。
短い髪には仁美の手で綺麗に櫛が通され、結えないまでも髪飾りでアレンジが入れられていく。
ななかの指先が唇にそっと紅を落とし、真正面からまじまじと覗き込まれてどぎまぎした。
左右から二人がかりで指を磨かれ、信じられないくらいつやつやにされてしまった。
置かれたまんまの姿見の中で、知らないオンナノコが不安げな、でも期待をどこかに秘めた顔をしていた。
それはさやかだった。さやかの知らないさやかが、鏡の向こうで二人に拓かれていく……。
そうして今やさやかは花器になっていた。
花をいける一つの器になっていた。
慣れない正座でしびれた脚を崩して、片手を畳につけて体重を支えるさやかの姿は、不思議な艶があった。
仁美とななかはそんなさやかを左右から挟み込んで、鏡の中と見比べるようにしながら華やかに飾り立てていく。
はじめは生花を髪に飾られていくだけだった。まるで簪のようにそれはさやかを飾った。
次にはまるでアクセサリーのように、さやかの耳元や、胸元に花がいけられていく。
さやかはそれをどういう目で見たものかもうわからなかった。
鏡の中のオンナノコは、なにもわからないまま美しくなっていく。
少しの不安と少しの期待、まるで酔っぱらったように目元が揺れる。
仁美とななかは、花器に花をいけるように、さやかに花をいけていった。
襟元は緩められ、勿忘草が差し込まれる。
花の香りとさやかのにおいが混ざり合って、さやかはくらりとする。
左右から甘い香りがする。仁美とななかの香りが……それらはさやか自身のにおいとさらに混ざり合う。
さやかはもう自分がどうなっているのか、何をされているのか全く分からなくなっていた。
状況にずるずると流されていくうちに、異常な状況そのものをうまく認識できないでいた。
左右からさやかを甘くとろかす声が、絶え間なく耳朶にしみていく。
鏡の向こうには知らないオンナノコがわらっている……。
「さあ、もっと可愛くなりましょうね」
「もっともっと可愛くなりますよ」
「……あー……うん………」
さやかは頷く。何に頷いたのかもわからないまま頷く。
胸元が緩められ、着物ははだけられていく。
青い花がさやかを飾り立てていく。
少女たちの白い指がさやかを拓いていく。広げていく……。
◆◇◆◇◆
「それではまた次のお稽古で」
「ええ、楽しみにしていますわ」
ななかと仁美の朗らかな別れの挨拶に、さやかは不意にぱちりと目を覚ました。
スイッチを切り替えたように、不自然な目覚めがあった。
「えあ……?」
「大丈夫ですかさやかさん?」
「お疲れだったのかもしれませんね」
仁美とななかに顔を覗き込まれ、さやかは思わずのけぞる。
さり、と指先に触れる畳の目。
イグサのにおい。
見下ろせば、少し骨ばった足がスカートの下で半端に折りたたまれて、崩した座り方をしていた。
それは着たときのままの姿で、だから、なにもおかしくはないはずなのに、さやかは奇妙なつながりの悪さを感じる。
「う、ん……? あれ……?」
「すっかり寝入ってしまったんですよ、さやかさん」
「あれ……そうだっけ……?」
そうでした、と言われると、さやかにはそうだったのだろうとしか言えない。
気遣われるようにして立ち上がり、なんか寝ちゃってごめんね、いえいえお疲れだったんですよと曖昧なやり取りを交わす。
半ばななかの肩を借りるようにして志筑家を辞すと、夕日はとうに沈みかけて、その端の方が残り火のように西の方で頑張っていた。
東にかけられた夜色に挟まれて、空は薄紫色をしていた。
「ん、んん……? なにしてたんだっけ……?」
「お喋りをしているうちに、寝入ってしまったんですよ。お花の話は、さやかさんには退屈だったかもしれませんね」
ななかがさらりとそう告げる。まるで台本をそらんじるように完璧だった。
さやかにはわからない。なにもわからない。でもそうだったんだろう。だぶんそうだったんだろう。そう言っているのだから。きっと。
少しの間、さやかはななかと並んで歩いた。
そうして、分かれ道に差し掛かって、立ち止まる。
さやかの家は向こうだ。ななかは送るというが、駅は逆方向。
ななかが自然につないでいた手に気づいて、さやかはぼんやりそれを眺めた。
よくわからないものを見る気持ちで、一本一本指を剥がすようにして手を離す。
「まあ、あんたが仁美と仲良くしてるってのは、わかったわ」
だから、今度からは邪魔しないわよ、とそう言おうとしたはずだった。
けれど言葉は口から出る前に、なんだかぼんやりとしたもやもやに変わってしまって、何を言おうとしたのかもわからない。
なんだっけ。さやかは軽く頭を振る。
髪の先から、ふわりと香るものがある。
それは、そう、甘い──
「ええ、ですからまたご一緒しましょうね」
「え? ああ、うん……またね」
「ええ、また」
さやかが流されるように返した言葉に、ななかは心底嬉しそうにほほ笑む。
眼鏡越しの目がなんだか眩しくて、さやかは目をそらした。
なんだか無性に頬が熱くて、息苦しい。
またね、ともう一度だけ交わして、さやかは家路につく。
ふわりと風に、花の香りがした。
そのはずだった。