魔法少女まどか☆マギカ短編集   作:長串望

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魔女の醍醐味(なぎさや)

 さやかが百江なぎさという少女に出会ったのは、スーパーの乳製品売り場で必死に背伸びしている所を見かけて、目当ての物らしい商品をひょいと取って渡してやったのが最初だった。家は割合に近所だったから、或いはそれ以前にも見かけたことはあったのかもしれなかったけれど、不思議と記憶にはなかった。まあ、意識しないものは記憶にも残らない。何気なく過ごす日々の背景として処理されていたのだろう。さやかはそのように理解している。いまでは視界の端にそれらしい人影がちらと見えただけで振り向いて探してしまうというのに、不思議にさやかはその認識を頑なに信じていた。

 さやかがあまり好んで食べることのない、香りの強い外国産のなんとかいうチーズを受け取って、なぎさはしばしさやかをじっと見つめた。さやかも何とはなしに見つめ返し、間の抜けた沈黙が流れた。そしてふと気づいた。もしかすると気の弱い人見知りの子なのだろうか。つい見ていられなくて手助けしてしまったけれど、この子は見知らぬ軽薄そうな女子中学生に突然絡まれて怯えているのではなかろうか。頭の中が真っ白になって硬直してしまっているのではないだろうか。数秒後には火が付いたように泣き出すのではないだろうか。ところで火が付いたように泣き出すってそりゃあ尻だろうとどこだろうと火が付いたら大の大人でも慌てふためいて大いに騒ぎ泣き出しかねないけれどそれにしても物騒な喩えだ。後から調べたら火が燃え上がるように勢いよくという意味だったので、別に子供に火箸を押し付けて泣き出す様が慣用句になる程日常的に見られたという訳ではなさそうなのでひとまずよかった。いや、全然よくはないのだ。泣きだなさいとしても何しろ昨今の小学生は挨拶してくる近所のおじさん相手でも通報しろという教育をされている人間不信予備軍だ。このぼけらったと見上げてくる能天気そうな顔が、次の瞬間には使命を帯びた勇者の如き中身のない覚悟をもって抜き慣れた伝家の宝刀可愛らしい子供用防犯ブザーのピンをこなれた様子で引き抜くかもしれないのだ。

 チーズを手渡した時の軽薄な笑みを浮かべたまま、回転の遅いさやかの脳がそれだけのことを考え、焦り、脱兎の如く逃げ出すべきかどうかの脳内審議を始めるかどうかを検討する脳内会議に使用する仕出し弁当の発注先を揉める贈収賄を含む談合の日程を決めかねている辺りで、なぎさはぺこりと可愛らしく頭を下げて、拍子につやつやと赤いランドセルがその背中に見えた。

「ありがとうなのです」

「あ、うん」

 言葉遣いに幼さを感じるが、礼儀は正しい。漫然と頷いたさやかより余程。真っ直ぐにさやかを見つめて礼を言ってくるくりくりとした目は不思議な色合いをしていた。チーズを大事そうに持った手は小さく、桜色の爪は綺麗に切り揃えられていた。色の薄い髪はふわりと柔らかそうだ。何故だかさやかは、そんな風にこの子供をじっくりと眺めてしまった。それまで見たことも無い筈なのに、不思議とその面影に覚えがあったような、そんな気がしたのだった。

「ねえ、もしかして、」

「なぎさちゃん!」

 もしかして、どこかで会ったことがないだろうか。そんなナンパじみた言葉を遮ったのは、こちらは間違いなく聞き覚えのある声だった。

「あ、マミ!」

「もう、探したわよ。勝手に一人でいなくなっちゃ……あら、美樹さん?」

「保護者が板についてますね、マミさん」

「お陰様でね」

 巴マミ。同じ見滝原中学校の制服を身に纏っている筈なのに、隣に小さな子供を置いてみるだけで溢れだすこの母性。見滝原中学校新入生の三割(美樹さやか主観)が恋に目覚めた柔らかく抱擁感のある空気がそうさせるのか。或いは見滝原中学校新入生の五割(女子含む)が性に目覚めた柔らく豊満な肉体がそうさせるのか。まだ15歳だというのにどことなく未亡人を思わせる妙な色気があった。

「また妙なこと考えてるでしょ、美樹さん」

「いえいえ、何時見てもお綺麗だなっと」

「昨夜、私の制圧射撃に『おっかねえ、旦那さんは尻に敷かれそう』って言ってたの知ってるのよ」

「いやあははは、あれは杏子へのからかいって奴で」

「まあいいわ」

 呆れたように溜息を吐くマミの裾を、小さな手がついと引いた。

「マミ、お友達なのですか?」

「ああ、そうだったわね。なぎさちゃん、この人は美樹さやかさん。私の後輩よ」

「みき、さやか」

「そう、サヤカ・ミキ」

「んう? サヤカ? ミキ?」

「もう、遊ばないの。美樹が名字でさやかが名前よ。美樹さん、この子は百江なぎさちゃん。近所の子でね。偶に面倒を見ているの」

「ああ、そうだったんですか」

 てっきり隠し子かと。

「美樹さん?」

「いえいえなんでも。なぎさちゃんだったっけ。マミさんの友達ならあたしの友達だ。よろしくね」

「はい、よろしくなのです、さやか!」

 自然にすいっと差し出された小さな手に、さやかは反射的に手を伸ばし、玩具みたいに小さくてやわらかい手を握り返した。そして多分、それが切欠だったのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

「偶然とはいえ、リンクが繋げたのはよかったのです」

 小生意気そうな声だった。くりくりとした、不思議な色合いの瞳がさやかを覗き込んでいた。

「……なんだ。夢か」

「夢の中のさやかはまだ頭の巡りがいいのです」

「知ってるのと知ってないのとじゃ反応も変わるわよ」

 どこまでも果てしない、上も下も、右も左も、遠いも近いも、過去も未来も、何もかもが曖昧な真っ白な闇の中で、なぎさとさやかはようやく再開した。

「夢の中まではあいつの力も及ばない――のか、大したことはないと端から勘定に入れてないのか。まあ、どっちにせよあたしが記憶をたもってられるのはここだけ。今までは一人でうんうん唸るだけで生産性の欠片もなかったわ」

「そりゃあ、さやかみたいな猪頭じゃ、何処にも進まず何にもならないのです」

「あんたね……」

 起きている時の方の世界ではあの後、好奇心にあふれた小学生の女の子に相応しく、随分とさやかに懐いて遊び回り、純真無垢なことこの上ない笑顔を振りまいてくれたものだが、目の前の相手は実に生意気そうな顔つきだ。しかし思い返してみれば、円環の理と共ににあった時、なぎさは大体こうであったようにも思える。するとこちらが素なのか。女子小学生の社交性恐るべし。

「まずは居心地を良くするのがいいのです。よいしょ」

 なぎさが大きく手を打ち鳴らすと、真っ白な空間にぱたぱたと畳が敷かれた。なぎさがそこに足を下ろすので、さやかもそこに降り立った。次になぎさは手を上げて、見えない紐を引くようにした。するとぱちりと音がして、木目の天井に柔らかなLED照明が灯った。こうしてさやかの夢に天と地が生まれた。

「広すぎるのも落ち着かないのです」

 なぎさがこんこんと何もない空間を軽くノックすると、クリーム色の壁紙に覆われた壁が四方を囲んだ。四畳半ばかりのこじんまりとした、しかしなかなかに落ち着く広さだ。

「かといって密閉されてるのも落ち着かないのです」

 一方の壁に両手を当てて、するりと左右に広げると、そこに窓が出来た。窓の向こうは相変わらず真っ白な闇に包まれていたので、なぎさは何処から取り出したのか、テレビのリモコンの様なものを何度かぽちぽちと操作した。その度に窓の外の景色は、高原の爽やかな朝、透明度の高い一面の海、星々の煌めく宇宙空間と次々に切り替わり、最終的に見滝原の街並みに落ち着いた。

「あとはー、まあこんなもんなのです」

 なぎさがまた一方の壁に手を当てて横に引くと、そこにふすまが出来た。開いた先には細やかな押入れがあって、なぎさは小さい手でよいしょよいしょと折り畳みの卓袱台を取り出して、少しもたつきながら足を立てると、部屋の真ん中に設置した。それから自分用に可愛らしくふわふわのクッションを取り出して座り、さやかには悲しくなる位薄っぺらい座布団を投げてよこした。

「さやかは何をぼうっとしているのですか? ただでさえ間抜けなのに一層間抜けに見えるからそうやって間抜けに棒立ちするのはやめた方がいいと思うのです。あと女子小学生にこれだけ働かせておいてそれを見ているだけとか鬼畜にも程があるのです。そういう趣味なのですか?」

「色々言いたいことはあるけどぶっとばーすぞー?」

 なんだか恐ろしい勢いで、曖昧な夢の世界は世俗じみた四畳半に成り果ててしまった。これは真面目に考えた方が馬鹿なのかもしれない。さやかは溜息を吐いて、薄っぺらい座布団に腰を下ろした。

「まさかこんな風に模様替えが出来るとは思わなかったわ」

「いくらここでだけは円環の理の記憶を思い出せるとはいっても、結局それだけのことで、ここはただの夢の中でしかないのです。上も下も過去も未来も、決めるのは夢を見ている主体なのです」

「あの何もない空間はあたしがそうあれって願ってたっていうの?」

「さあ。なぎさはなぎさでさやかじゃないので、さやかの考えそうなことなんて全然さっぱり想像もつかないのです。でもあれじゃないですか。ほむらにしてやられた屈辱感とかまどかを護れなかった無力感とかそういうのに言い訳するために、どうしようもないからどうしようもないんだって強弁するために、自分が役に立たないんじゃなくて相手が悪すぎるんだって逃げ出すために、行き場のない無限の空間に籠ってたんじゃねーのですか」

 全然想像がつかないという割に、なぎさの言葉はザクザクと容赦なくさやかを刺して行った。刺さるのも当然で、言われててみればそうかとしっくりするほどに、なぎさの言葉はさやかの思いを言い当てているようだった。

 成程そうなのかもしれない。ここ暫くさやかの内でくすぶっていた行き場のない苛立ちは、或いはそのような面倒な気持ちの絡み合いから生じたのかもしれない。どうにかしたいがどうにもならない。どうにもならないがどうにかしたい。しかしやっぱりどうにもならない。そんな鬱屈が現れていたのかもしれない。

「そんなもんかしら」

 だからさやかは怒るでも反発するでもなく、するりと自然になぎさの毒を飲み込んで、するりとそんな軽い言葉を漏らした。さやかがそんな風にあっさりと受け流して見せたのが気に食わないようで、なぎさは顔をしかめながら棒付きのキャンディを取りだし、がりがりと齧った。

「全く。円環のさやかは物分りがよすぎるのです」

「いいことじゃない」

「いまのさやかは円環の理から切り離されているのですよ」

「でも、あたしが円環の理の騎士であることは変わりないわ」

 飴ではなく苦虫でも噛み潰したような顔で、なぎさはしばらくさやかをねめつけていたが、やがて呆れたように溜息を吐いて、噛み潰されてぐしゃぐしゃになった棒を吐き出し、いつの間にか部屋の隅に置かれていたゴミ箱へ放った。

「本当に。円環のさやかは物分りがよすぎるのですよ」

 吐き捨てるように呟いて、なぎさはごろりと怠惰に横になるのだった。

 

 

 

 

 

 

「さやかは本当に物分りが悪いのです!」

「いやだって、ねえ」

「なんなのですか? なぎさが悪いのですか? なぎさの教育に問題があったのですか?」

「あんたに育てられた覚えはないって」

「じゃあパパとママの愛情が足りなかったのですか?」

「そこまで言われるほど!?」

 郊外のショッピングモールに店を出す輸入食料品店。そのチーズ売り場の前で、さやかは生まれて初めて年下の女の子に地べたを這う虫けらでも見るかのような目で叱責されていた。救いようのないものを見る様な憐れみと、その陰に隠しきれない程度の侮蔑と、理解できない断絶を見る様な怪訝さを伴った視線が、さやかを刺した。

 深く長い溜息の後、なぎさはにかっと笑顔を繕った。

「あのですね、さやか。さやかは立派なのですよ。自分の方から年下の子供に『教えてくれ』なんてなかなか言えるもんじゃあないのです。ナチュラルチーズとプロセスチーズの違いだってちゃんと覚えたのです。教えた通りやればちゃんとできるのです。さやかならできるのですよ」

 まるで小さな子供を諭すかのように、なぎさは笑顔で優しく、労わるように声をかけてくれるのだが、それがまた一層さやかを惨めな気持ちにさせるのだった。

「いいですか? このモッツァレラはどんなチーズですか?」

「モッツァレラは……水牛の乳から作った……えと……フレッシュチーズッ?」

「そうッ! やっぱりやればできるのですよ! もう半分出来たも同然なのですよ!」

「そーよねッ! よしッ!」

 なぎさが単ある愛らしい少女だという希望は、見滝原魔獣バスターズ(ピュエラ・マギ・ホーリー・トリオ)で一番面倒臭い女こと巴マミのご近所であるという事実から早々に捨て去っていたが、まさか思わず「うわぁ」と声に出してしまうレベルでドン引きのチーズ狂いだとは思わなかった。

 毎日のように面倒を見てやって、休日にはこうして遠出してまでチーズを探しに来たりはまあいいとして、試験勉強は前日の夜だけという一夜漬け至上主義者のさやかにまでチーズ知識を植え付けようとして来るのはたまったものではない。それでもなんだかんだと付き合ってしまう辺りがなぎさに目をつけられたのだろうが。

 イタリアのチーズであるモッツァレラは、それなりに聞き覚えもあるし、なぎさにも食べさせて貰ったので他の舌を噛みそうな名前の物よりは憶えていた。味や香りに癖がなくて、チーズというものをちょっと敬遠していたさやかもあっさり受け入れられたので、その好印象もあっただろう。

 あとはなぎさに指示された条件に合うチーズを選び出せば試験は合格だ。いや、別に合格したくもなんともないのだけれど、そうしないとこの小さなお姫様が納得してくれないのだ。

 なぎさが興味深そうに香辛料の棚を眺めているのを尻目に、さやかはうろ覚えのチーズ知識を頼りに、何とかそれらしいかなと思う品を揃えてみた。普段見ることのないなんかこう、さやかにとってはレベルが高そうな、マーブル模様したチーズなんかを眺めてるとあたしって実はスゲーんじゃないなどとスゲー頭の悪そうなことを考えながらなぎさを呼びつける。

「やったわよッ! 終わったわよなぎさ! ……どう?」

「ン。できたのですか? ……どれどれ?」

 なぎさはさやかの掌の上に揃えられたチーズを眺めて、小首を傾げた。

「何なのですかこれ……?」

「へへへっ。当たってる?」

 ちょっと自信あるんだよねと鼻をこするさやかに、なぎさはにかっとまた例の笑顔をつくろい、そして容赦なく愛らしい赤い靴の爪先でさやかのすねを蹴りつけた。

「あぎゃアアァ――ッ!」

「この赤点娘がッ! なぎさをナメてるのですかッ! 何回教えれば理解できるのですかァ!

 何か一つウォッシュチーズ持って来いって言ってるのになんでブルーチーズもってきてやがるのですか、この……さやかがァ――ッ!」

「なんかまるであたしの名前が罵倒語みたいに!?」

 地団駄を踏むようにさやかの爪先を踏みつけるなぎさの権幕たるや凄まじいもので、世界で一番人気のチェダーチーズさえ在庫がないというチーズ・ショップにさえもう少しは大人しい怒りを示したことだろう。少なくとも、店主の頭を拳銃で撃ち抜く前は。

 さやかの爪先をビル・「ボージャングル」・ロビンソンよろしくひとしきり踏みつけ、お店の人に迷惑だからという至極尤もな正論を三回ほど聞き流してから、なぎさはようやく息を落ち着けて、今更ながらにシャムネコみたいに澄まして見せた。

「まあ、さやかのお頭でそんなに簡単に覚えられるとは思ってないのです」

「うっわすっごい上から目線」

「でもでもさやかならきっとなぎさの大好きなチーズの事を覚えてくれるに違いないのです」

「うっわすっごいあざとい。でも可愛い」

「さやかがロリコンさんでよかったのです」

「ぶっとばーすぞー?」

 先程までの喧騒もどこへやら、二人仲良く姉妹のように並んで、さやかはなぎさが一つ一つ指示しては説明するチーズ談義を、半分以上耳に心地よい小鳥の囀りめいてBGM代わりに聞き流し、時折どこかで聞いたような単語だけ拾って適当に相槌を打った。なぎさの方でもそんなさやかの適当な態度に気づいてはいるようだったけれど、やれやれ仕方のない奴なのですと大人の受け止め方だ。まあ実際にはチーズ語りが楽しくて仕方がないのだろうけれど。小学校での話はとんと聞かないけれど、マミの所でも余りチーズの事を熱弁する機会はないようだから、たまの機会があるとこんな風に熱も入るのだろう。

「ねえ、なぎさ」

「カース・マルツゥの写真ですか?」

「いや、そんなグロ画像のことじゃなくて」

 カース・マルツゥはチーズバエの蛆に発酵を行わせるとかいうエグイ作り方をしたエグイ程柔らかい見た目もエグイチーズだ。

「なんであたしにばっかチーズの話するのかなって」

 よく面倒を見ているマミにも、チーズケーキをねだりはしても専門的な話はしない。よく一緒に買い食いしている杏子にだって、こんな薀蓄を垂れたりしない。一番真面目に話を聞かないだろうさやかにばかり、なぎさはこうして熱心にチーズの話をするのだ。それがさやかには不思議でならなかった。

 第一、そもそもの話として、さやかはどうして何時の間に自分がなぎさとこうして二人きりで買い物に遠出するほど仲が良くなったのかさえいまいち思い出せないでいた。本当にいつの間にか、それが自然と思える様な不自然な付き合いとなっていた。

「そうですね」

 なぎさはカッテージ・チーズのパックを手の上で転がしながら、少し考えて、さやかにこう質問を返した。

「好きな人に自分が好きなものを好きになって欲しいと思うのは変なことなのですか?」

 

 

 

 

 

 

「あれ、どういうつもり?」

「んん? なんのことなのですか?」

 夢の中、四畳半の部屋で卓袱台越しに向かい合ったなぎさは、六ピース入りのプロセスチーズを積み重ねて螺旋階段を作ろうとするというひたすらに不毛な作業に従事しながら適当な生返事を返した。なお、二人きりのこの部屋で、唯一の話し相手を放置してチーズ螺旋階段という草木も希望も星の王子様もない砂漠の様な不毛な作業を繰り広げているのは、暗にも明にもいまお前の下らない話に付き合う気分にならないんですという露骨なメッセージだったが、当然さやかは気にしない。

「昼間のあれよ。好きな人がどうたらっての」

「起きている時のなぎさは、円環の記憶もないただの小学生なのです。十年位しか生きてないちみっこが懐いて、付き合いのいいお姉さんに絆されただけなのですよ。さやかはようやく年齢二桁になったような子供の戯言をいちいち気にするのですか?」

 お前の便所の落書き程の価値もない雑談よりチーズ螺旋階段のほうが大事なんですけどと言わんばかりの、至極面倒臭そうななぎさの返答に、しかしさやかはうなずいた。

「うん。気にする」

「……うぇー。さやかってば本当にロリコンさんなのですか?」

「別にそういう訳じゃないわよ。ただ、あたしだってたかだか14歳だもん。小学生の言葉だって、真面目な物なら真面目に考えるわ。第一、あれもあんたじゃない。記憶がなくても、本質は変わらないでしょ」

「…………円環のさやかは本当に面白くないのです」

 ひたすらに天井を目指していた不毛の塔は、あえなく造物主の気紛れによってカ・ディンギルよろしく崩れ去った。造物主ことなぎさはその煉瓦の一つであるチーズを取って包装を剥ぎ、まくまくと頬張った。言葉の乱れを与える代わりに、なぎさはどうやら対話をする気になったらしい。

「別にどういうつもりもこういうつもりもないのですよ。百江なぎさは多感な小学生。付き合いのいい気さくなお姉さんに面倒を見て貰って、我儘を聞いてもらって、お姫様みたいに扱ってもらって、年相応な初恋を経験したというだけのことなのです。相手が同性っていうのがまあ変わってはいるですけど、ちょっと変わっているの範囲内なのです。おさなごころのこいごころ。はしか(、、、)みたいなものですよ」

「はしか、ね」

 なぎさの言うのは、尤もな話だ。もっというなら、尤もらしく聞こえる話だ。面倒を見てくれる年上の相手に懐いて、憧れて、恋心みたいなものを経験して、そしてほろ苦い失恋を経験する。ドラマや少女漫画で聞きそうな筋書きだ。起きている時のさやかならすんなり受け入れただろう。

 しかし夢の中のさやかはそうではない。夢の中のさやかには、円環の理の内側で得た知識があり、経験があり、記憶がある。

「あたしは円環の理で、あの過去も未来もない、全てが全て等しく重なり合った概念の内側で、あたしが果たした成功も、あたしが犯した失敗も、何もかも何もかもを経験した。魔女に成り果てる世界。魔女と相打つ世界。魔法少女と争い、破れる世界。自らの死を選ぶ世界。どんな世界でもあたしはバカばっかりやってたけど、それでもバカなりに学んだわ。少しは成長した」

 さやかは崩れたチーズのカ・ディンギルから一ピースを手に取り、掌の上で転がした。

「起きている時のあたしは、ささやかな違和感しか覚えていない。『気が付いたら』だとか、『いつの間にか』だのが、良くある忘れやすい日々の中に埋もれてしまっただけだと、そう納得している。でもこの四畳半の中でだけは、あたしはその異常に気が付ける」

 ぱたり。卓袱台に押し付けたチーズの先端が、鋭くなぎさを指す。

「もう一度聞くわ。どういうつもり?」

 さやかが真っ直ぐ叩きつける視線に、しかしなぎさは答えない。ただぱちりぱちりとチーズを組み合わせて、六つ揃えて綺麗な円を作っている。

「なぎさ。あんたの面倒を見ていたのは、マミさんであってあたしじゃあない。この世界であたしとあんたは出逢ったばかりの、知り合いの知り合いでしかない筈なのよ」

「…………」

「あたしもあんたも円環の記憶を、封じられているとはいえ宿している。でもそれだけでどうにかできる程、現状は甘くない。現状をどうにかできるのは、まどかか、或いはもう一人しかいない。まどかの記憶が厳重に封印されている以上、なぎさ、あたしはあんたがあいつの力を借りているとしか思えない」

「…………」

「なぎさ。あんた、あの悪魔(、、)に、」

「さやか」

 なぎさの手元で組み合わされたチーズが、かちりと音を立てる。

もう目を覚ます時間なのですよ(、、、、、、、、、、、、、、)

 じりりりりと破壊的な音を立てて、なぎさの手元で目覚まし時計が鳴り響き、四畳半の世界は硝子のように割れて爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

「おいさやか! ぼうっとしてんな!」

「え、あ、うん!」

 杏子の怒声に、さやかは眼前に迫っていた魔獣の攻撃を、殆ど体に染みついた反射的な動きで回避する。ええと、いまは何処で何をしているんだったか、さやかはぼんやりしていた頭を回転させる。

 無意識の内に魔力で足場を作って跳ねまわっているのは、夜の見滝原市だ。ビルの間を駆け回り、いまいち回転があがらない脳に代わって、馴染みの動きを体は繰り返す。つまり、剣を振るい、投げ、魔獣どもを殲滅していく。

 視界の端を杏子の槍が煌めき、さやかは自然と逆の方向に駆け、魔獣を一所に押し込めていた。更に進んだ先から、見た目ばかりはきらきらふわふわと美しい、しかし凶悪な破壊力を持ったシャボン玉が魔獣たちを追い詰めてくる。三方からの囲い込み。さやかの頭が回らなくても、さやかの考える気のない神経の方では慣れた動きのままに魔獣を確かに予定のポイントに誘導していた。

 テレパシーで伝わる合図に飛び退けば、凶悪な魔力の奔流が、集められた魔獣を一緒くたに貫き、消滅させていく。

「マミの砲撃は相変わらずすごいのです」

「確かにね。あればっかりはあたしらじゃ真似できないもん」

 呑気に笑いながら姿を見せるなぎさに、言いようのない違和感を抱えながら、さやかは頷いた。じゃらじゃらと零れ落ちる黒いキューブを回収する二人の下に、遅れて杏子が跳び来たり、それからもう少し遅れて、リボンを巧みに操ってマミが姿を現した。魔獣大量発生地において未だに黒星なしの見滝原魔獣デストロイヤーズ(ピュエラ・マギ・ホーリー・カルテット)の四人が揃った。

 見慣れた魔法少女達が、キューブを回収しながら談笑する姿に、通い慣れた通学路の様な馴染み深さと、模様替えしたばかりの部屋の中の様な落ち着かなさが同居する奇妙な違和感の中で、さやかは首をかしげた。

「ねえ、なぎさ」

「なんなのですか?」

「あんたっていつから一緒にやってるんだっけ?」

「もう、さやかは忘れっぽいのです!」

「そうよ美樹さん。皆でパーティもしたじゃない」

「そうでしたっけ……?」

「おいおい大丈夫か? 変なもんでも食ったんじゃないの?」

「杏子と一緒にしないでよ!」

「あたしは変なもんなんか食べねーぞ!」

「いつもなんか食べてるじゃない!」

「この前はマミのご飯があるのに買い食いしてたのです」

「あっ、ばかっ」

「佐倉さん……?」

「ち、ちがっ、あれはなぎさが!」

「もう、小さい子のせいにしないの!」

「むぐぅ……」

 何時もの様に笑い合っているうちに、違和感は鳴りを潜めた。確かにこうであったような気もする。いや、こうであったのだ。いま、さやかは幸福の内にあるのだ。頼りの仲間たちがいて、慕ってくれるなぎさがいて、生き甲斐に満ちた生活がおくれている。日々は楽しく、希望にあふれている。

 さやかは間違いなく最良の日々の内にあるのだった。

 

 

 

 

 

 

「違う、違う違う! これは、こんなのは違う!」

「何が違うっていうのです、さやか」

 四畳半の狭い室内で、さやかはいきり立ち、なぎさはクッションを抱えて座ったまま、ころころと小さく小分けに包装されたスモークチーズを味わっていた。

「あんたは魔法少女じゃなかった! 少なくとも、あたしが面倒を見ていた、小学生の女の子は……!」

「なぎさはもともと魔法少女なのです。じゃなきゃ円環の理なんかにいなかったのですよ」

「ちがう、そうだけど、そうじゃなくて……!」

 さやかは苛立ちのままに卓袱台に拳を打ち付けた。

 間違いなく、世界は改変を続けていた。それも恐らくは、なぎさの意図によって。なぎさの目的が何なのかは見当もつかない。しかし、いかにして改変を行っているのかは想像がついた。幾ら円環の理の記憶があるとはいえ、それは夢の中でしか思い出せない。さやかにしてもなぎさにしても、世界に影響を及ぼすほどの力などありはしない。あるのは奴だけだ。

「あんた、ほむらと手を組んだの!?」

「手を組んだなんて、まるで悪者みたいなのです。人聞きが悪いのですよ」

 悪びれる様子もないなぎさに、さやかは爆発しそうになるのを必死にこらえた。感情のままに荒れ狂ってどうにかなる問題ではない。しかし抑えきれない激情が、自然と言葉を荒くする。

「なぎさ! あんた一体何が目的なのよ!? こんな、こんな好き勝手世界を弄繰り回して……!」

「さやかは、嫌でしたか?」

 しかし激昂も、あまりに落ち着いたなぎさの姿に、困惑と共にしぼんでいく。悪びれない所ではない。穏やかですらある。ただただ静かに、微笑みさえ浮かべてさやかを見つめてくる不思議な色合いの目に、さやかは動揺した。

「い、嫌って……そういうことじゃ、」

「誰か、悲しい思いをしたのですか? 誰か、嫌な思いをしたのですか? 辛い事や酷い事、見過ごせない不幸が、あったのですか?」

「それは……それは、なかったけど」

「誰かが蔑ろにされていたのですか? 虐げられていたのですか?」

「それも、ない……」

「マミがいて、杏子がいて、まどかもいて、ほむらもいて、学校の皆も毎日勉強が面倒臭いって言いながら元気に過ごしてるのです。朝起きたら家族がおはようって言ってくれて、美味しいごはんが食べられて、みんなと遊んで、夜は街を護る為に戦って、ベッドですやすや気持ちよくお休み。これって悪いことなのですか?」

「悪い事じゃ、ない……けど、でも……っ」

「ねえ、さやか。ねえ。さやかは、嫌でしたか?」

 再度の問いかけに、さやかは答えられなかった。

 嫌では、なかった。全然嫌ではなかった。寧ろ好ましくさえあった。この世界でずっと生きていけたら、きっと幸せだろう。そう思えた。そうしたいとさえ思った。だが言えなかった。言ってはならなかった。他の誰がいいのだと言っても、さやかだけは言ってはいけなかった。それだけはできなかった。

「ふふふ。わかっているのですよ、さやか。楽しくて、幸せで、心地よくて、誰も不幸にならなくて、寧ろどうにかしてしまったら誰かが不幸になってしまう。それでも、さやかは耐えられないのですね。認めちゃいけないと思っているのですね」

 なぎさが笑う。

「だって、それは正しくない事だから」

 そうだ。円環の理を乱し、世界の秩序を破壊し、恣意のままに世界を塗り替える。そんなことが許されない。許されてはいけない。それは正しくない事なのだから。

「さやかも言っていたのです。本質は変わらない。さやかもそうなのですね。正しくないことを認められない。ふふ。本当に、さやかは変わらないのです。憐れなくらいに」

 

 

 

 

 

 

「さやか、ねえ、さやか。さやかは円環の理が、いいえ、まどかが正しい事をしたと思っているのです。全ての魔法少女を救い、自分は概念と化して因果から外れてしまう。まるで聖人君子なのです。さやかは自分の正しさを最後まで貫けなかった。だから、まどかを尊いものとして神格化してしまっているのです。当たり前にエゴイストで当たり前に考えなしな女の子の、身勝手な願いの果てがこの円環の理だというのに。

 確かに、みんなを救いたいというのは立派な事なのです。そのために身を捧げるなんて誰にでもできることじゃあないのです。

 でもね。でも、さやか。

 なぎさは救われたくなんてなかったのですよ。

 救ってほしいなんて言ったことなかったのですよ。

 なぎさは誰かに救ってもらわないといけない程、可愛そうな子だったのですか?

 なぎさは自分の絶望を、自分で受け入れちゃいけなかったのですか?

 なぎさは救われたくなんてなかった。

 願いを叶えたことも、間違った願いを祈ってしまったことも、失敗を嘆いたことも、絶望に沈んだことも、それは全部なぎさのものだったのです。全部全部、なぎさのものだったのです。

 でも、なぎさの絶望も後悔も、そして覚悟も決意も、何もかも何もかも、全てが全部、円環の理というクソッタレなエゴの塊に拾い上げられて、大変だったね、辛かったね、可愛そうだね、でももう大丈夫だよっていうふざけた馬鹿女に、全部全部台無しにされてしまったのです。

 そう、そうなのです、さやか。なぎさは、円環の理なんて、ずっとずっと大っ嫌いだったのですよ」

 

 

 

 

 

 

「あなたも、悪趣味ね」

「悪魔に言われるほどじゃないと思うのです」

 よく晴れた午後。涼しい風の吹く木陰で、二人の少女が語らっていた。

 一人はただの魔法少女で、一人は只者ではない悪魔だった。そして二人ともが恋する少女だった。

「一体あれの何処がいいのかしら」

「そっくりそのまま、まるっとお返ししたい所なのですけれど、そうですね、さやかの可愛い所は、正しさというもののの正しさを信じている所なのです」

「正しさというものの、正しさ?」

「ええ、ええ、そうなのです。まるで穢れを知らない白雪みたいに潔癖なさやかは、世の中には何か絶対的な正しさというものがあると信じているのです。正しいのだからそうするべきだと盲目的に信じて、正しさから外れる世の中に憤って、自分自身も正しくあろうとする。けれど正しくあろうとしても報われない事に疲弊し、報われるために正しくあろうとしている自分自身を汚らしく感じてしまうのです。そしてそんな自分を回復するために一層正しさというものに縋りつくのです。そんなもの最初から存在しないのに」

「報われないものね」

「そうなのです。今のこの世界の幸せの中にあっても、これは正しくないのではと常に悩んでしまうのです。本当に可愛そうな可愛いさやか。なぎさを責めようにも、なぎさが救われることを望んでいないと知って、絶対的に正しいと思っていた円環の理への信頼が揺らいで、何が正しいのかもうわからないでいるのです。正しさというものに囚われなければ、もっと楽に生きられるのに」

「そうなるように仕向けたのは貴女でしょうに」

「手伝ってくれたのはほむらなのです」

「手伝わせたのは貴女でしょうに。全く、つくづくあなたは魔法少女なんかにしておくのは惜しいわね」

「魔法少女も悪いものではないのですよ。少女より魔法少女を出し、魔法少女より絶望を出し、絶望より魔女を出す。魔女は幸福なり。もし浴する者あらば不幸皆除く。これぞ魔女の醍醐味なのです」

「やれやれ。手を貸した私が言うのもなんだけれど、美樹さやかも憐れなものね」

「救いに来て半裂きにされたまどか程じゃないのです」

 くすりと笑い声が重なった。

 

「「この悪魔め」」

 

 

 

 了。

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