「おい、ラーメン食わねえか」
水曜日はどうでしょう。
日曜日の朝っぱらから安アパートの薄いドアをノックすることもなく、フィジカル・アンチロックドブレードでこじ開けて押し入ってきたヤクザシスターに対して、寝ぼけた頭が絞り出せたのはそんないまいちパッと来ない文句だった。
「らー、え、なに? 何時いま?」
「ラーメンだよラーメン。ラーメン食いに行こうぜ」
「馬鹿なの?」
「佐倉だよ」
なんだこの早起き魔法少女事件。
頭が痛い。時計を見てみれば時刻は七時だった。朝の七時だった。平日に起きる時間としては間違っていないが今日は日曜日だ。六日間頑張った『私はある』という人が自分へのご褒美に制定した人類の休日であり、自分が休みたいが為に世間まるごと休日に指定した安息日なのだ。その上私はつい先程までケミカルなパウダーの調合に勤しんでやっと寝入った所だったのだ。まさに今しがた寝入った所だったのだ。これを妨害されるという事がどれほど辛いことか。ようやく冷めきった布団に体温が馴染んできたところだったというのに。
「大丈夫だ」
「何がよ」
「あたしは寝てないからな!」
「寝ろ」
「だが寝ないね! 何しろ一周回って目が冴えてきたからな!」
「ダメだわ……これはダメね」
大方サタデーナイトフィーバーで一晩中魔獣を追っかけまわしていたか、もしくは狂気の沙汰デーナイトフィーバーで一晩中魔獣に追っかけまわされていたかだろう。それで目も冴えているし腹が減ったから、気軽に飯を食いに行ける相手を求めてやってきたと、まあそんなところだろう。巴マミは女子力が高いのでお店を評価するときには必ずお洒落か否かを気にするし、女子力の低い美樹さやかは人目も気にせず大声で店の文句を言うので地雷臭がする。ではまどかならどうかというと、言う程接点がない、言うなれば友達の友達ポジションで、気軽に飯食いに行こうぜと声をかけるのは憚られたのだろう。杏子はなんだかんだそういう面倒臭いもとい繊細な所がある。
こうなるともう手が付けられない。
人を24時間営業のコンビニエンスな女と思ってるんじゃなかろうかこの女。大体なんでいつもいつも私なのだ。地雷臭で言ったら私が一番地雷ではないか。思いつめた挙句に時を超えた粘着ストーカー周回プレイを繰り返し約束一つを胸に見返りもないのに色々と取り返しのつかない地雷原を駆け抜けてきたような女だ。私なら控えめに言ってノーセンキュー。出来る事なら同じクラスに居ても話しかけたくないタイプだ。あれ。なんだろう。悲しくなってきた。
「おい早く準備しろよ。減ってるんだよ。腹が」
「減ってるのは脳細胞よ」
「良質なアミノ酸が要るな」
「まず寝なさいよ……」
仕方がない。
ウザったい絡みに段々苛ついてきたし、眠気も薄れてきてしまった。布団も冷めてしまっただろう。私は仕方がなく杏子に少し待つように告げて引っ込んだ。さらば寝間着。正味二十分ほどの付き合いだったけれど。
「はあ? トマトラーメン?」
「おまえほんとその嫌そうな顔並ぶ者がいねえな」
「嬉しくないわ。それで、え? なんですって? トマト? ラーメンに?」
「おう」
「馬鹿なの?」
「まあ、まあまあまあ、待てよ。おい待てったら。食えばわかるって」
「なによ。美味しいの?」
「知らん」
「はあ?」
「おまえほんとその嫌そうな顔並ぶ者がいねえな」
「あなた食べたこともないもの食べに行くのにこんな朝っぱらから人を誘いに来たの?」
「はっはっは」
「はっはっはァ?」
「お前を笑いに来た、って待て待て待て小指は止めろ」
「ちょっと捩じ切るだけよ」
「お前のちょっとシビアだなオイ。まあ待て。お前この店いつできたか知ってるか」
「知らないわよ」
「あたしも知らない。いつの間にかできてた。そしていつの間にか食ってきたって奴が増えてるんだ」
「なによそれ。何処情報」
「クラスの連中がさァ、最近トマトラーメン食べたんだけど佐倉さんはァって言ってくるんだよ」
「貴女のクラスだけじゃないの。私は言われたことないわよ」
「そりゃ、ほむらはそもそもクラスの奴に話しかけられ、あ、いや、なんでもない。なんでも」
「中途半端に気を遣ってんじゃないわよ!」
杏子に連れられてしぶしぶと入った店は、どうもラーメン屋という風情ではなかった。
いつも杏子が連れて行くラーメン屋と言えば大抵、殆ど趣味でやってるんじゃないかという寂れ具合で、テーブルがどこか油でぺとついたようで、店主はあいよとほれよの二語しかしゃべらないような無愛想で、そして食べ始めてから食べ終えるまで一言も発せずに済むようなそんなラーメンを出すのだった。
この店はそうではなかった。まず入り口のガラス戸からして綺麗だ。ヤニで曇ってもいないし、油でぺとついてもいない。洒落たポップボードなんか置いてある。そして店内。なんだこれは。如何にも新規開店ですと言わんばかりに清潔なばかりか、こじゃれたログハウス風の内装に、洋物の小物が並んでいる。それイケアで買ってきたのと聞きたくなるような椅子じゃあないか。
店員も愛想のいいお姉さんで、早朝で客も少ないだろうに既に支度は十分と言わんばかりに気力に満ちていて、いそいそと席に案内して、これまたこじゃれたグラスにお冷を注いでくれる。
さて、さて、さて。
席についてメニューを眺めてみるとますますおかしい。
売りであるトマトラーメンとやらの写真が載っているのだが、成程、スープが赤い。まるで坦々湯麺だ。しかしトッピングに半熟煮卵やチャーシューと言った見慣れた面子に並んでチーズやらバターやらが並んでいるのを見ると頭がおかしくなりそうだった。ラーメンにチーズ? ここは日本じゃないの?
トマトはまだギリギリわかる。ヘルシー野菜ラーメンの勢いだ。だがチーズ。こいつは面白くなってきた、と杏子なら言う所だろう。
「こいつは面白くなってきた」
外さない芸人か。
杏子も私も、第一印象でぱっと決めた。初めての店で初めての料理だ。うだうだと考えてもらちが明かない。店の売りに、自分の好みをそっと添える。その位でいい。
私はトマトラーメンに追加チーズのトッピングを決めてみた。あえてこんなトッピングを堂々と載せているのだ。その挑戦は買おう。
杏子はトマトラーメン大盛りに、チーズと煮卵、それにチャーシューも追加した。更にライスも。朝からよく食べることだ。その上餃子まで頼んでいる。
お冷を半分ほどちまりちまりとあけたころ、まず餃子がやってきた。五個入り。味は可もなく、不可もない。良くあるラーメン屋の餃子だ。安牌だ。注文する前は頼んでおこうかなと軽い気持ちだが、一つ食べると、なんか割高だったかなと感じる例のあいつだ。
この餃子は特に面白味はなかったが、問題は並ぶ調味料だった。
餃子タレ、ラー油、ニンニク、胡椒、そしてタバスコ。
「タバスコ?」
「使う?」
「……後で使うかもしれねえ。生かしておこう」
「そうね」
そしてやってきた。
トマトラーメンだ。
スープは濁った赤色で、ホウレンソウが鮮やかな緑を浮かべている。そこに生白い麺がなんだか艶めかしく見え隠れしている。
私はこれを前に少しうっとした。
というのも、トッピングのチーズが思いの外多かったからだ。写真で見たレギュラーの物は、粉チーズがかかっているのかなという程度だったが、これには粉チーズの小山が出来ている。スープに接した部分からじわりじわりととろけだしていて、如何にもチーズというチーズだ。
隣を見ればもっと酷い光景だ。私のより一回り大きな丼にたっぷりのラーメン。半分に切った煮卵がとろりと赤く輝く半熟の黄身を、いまにもスープに溶け出させようとするように身を投げ出している。そしてチャーシューは、どうも豚ではなく鶏のようなのだが、これがまた惜しげもなく焦げ目の付いた白い肌を扇状に並べている。そしてやはりチーズの小山だ。
早速嬉々として箸をつけ始めた杏子を尻目に、私も食べ始める。
まずは蓮華を手に取り、スープだ。思った通り見た通り、かなり濃い目だ。やはり、坦々湯麺に近い印象。しかし飲んでみると印象は全く違う。見た目はすっかり濁っているし濃いめだが、味はさっぱりとしている。トマトの色だから当然トマトの味なのだが、これが悪くない。安いミネストローネや缶のスープなんかは大分薄く感じるが、このスープはトマトが濃い。トマトの酸味や甘みを薄っぺらに出してくるようなことはなく、裏ごししたトマトを煮詰めてスープでのばしましたといった具合に濃厚なうまみがある。
麺を箸で取ってみると、なんだか白いと思っていた麺にぶつぶつと黒っぽく何かが練り込まれている。なんだろうとメニューを見てみると、何とバジルを練り込んでいるという。私としてはトマトにはオレガノだと思うが、しかしバジルも悪くない。実際に麺を啜ってみると、そこまでバジルを感じないが、なに、ジェノベーゼを食べようというのではない。こんなものだろう。全体の邪魔もしない。
少し食べ進めて、勇気を出してえいやっとチーズを混ぜ込んでみる。あっという間に赤いスープに白い濁りが混ざり込む。どろっととろける程ではないが、程よく溶けて麺に絡んでくる。少し重たくなった麺を、跳ねないように気を付けながら啜ってみると、味がひとつ変わった。先程のトマトラーメンが重みのある長剣で殴りつけてくるとしたら、今度はフルプレートアーマーを着込んで体重をかけて殴りつけてきた。パワーだ。チーズの持つ旨味と香りが、先程のトマトの旨味を殺すことなく、まるまる乗っかって殴りかかってくる。ちょっとヘヴィなくらいだ。最初からこの調子だったら、途中で飽きが来たかもしれない。加減が難しい。トマトの酸味が、負けてきている。
舌が重たくなってきて、軽く髪をかきあげてお冷を口にすると、隣で杏子がごそごそ何やらやっている。何かと思えば、ラーメンに何かかけている。赤い、細長い瓶。タバスコだ。
「……成程、ね」
ここでタバスコが生きてくるわけだ。
杏子がたっぷりとかけ終えた瓶を掠め取り、チーズがとろりと絡んだ麺に慎重に振り掛ける。見極めが肝心だ。多すぎれば、台無しになる。程よい具合にタバスコをかけ、軽く混ぜて、一息に啜る。
「……ほふっ」
タバスコ、やるじゃない。
タバスコの本領は、辛味よりむしろそれと合わさってやってくる酸味にあると思う。ただ辛いのではない。さっぱりとくる。タバスコの辛味によって味がひとつ開き、そして酸味によってチーズとトマトで広がりきった旨味を爽やかに締めてくれる。
三段階の味の変化は悪くない。
ぞろぞろと止まることなく麺を啜ってしまう。スープも飲み干してしまえそうだったが、そうするとチーズが重い。チーズがなければ、なにしろトマトのスープだ。さっぱりと飲み干せたかもしれない。しかしやはり、チーズは重い。ちょっと先走ったかもしれない。だが悪くなかった。それが答えだ。
私が満足してお冷を呑み干していると、不思議な事に気づいた。
杏子のライスが減っていないのである。
炭水化物と炭水化物の組み合わせを何よりも愛する、パンは主の肉でコメは主食と言い張る杏子が、なぜかラーメンは美味しそうに食べながらもライスが一切減っていないのである。これは奇妙だった。焼肉屋に行って肉より米を多く消費する人種の杏子が、米を食べていない。ある種異様な光景だった。
しかしその答えもすぐに知れた。
大盛りなのに私と大差ない時間内で麺を啜り終えた杏子は、そのままスープも飲み干すかと思いきや、なんとそこにライスを投入したのである。
「!?」
「おー、なんか本当にリゾットっぽいな」
「リゾッ……ト……?」
メニューを見てみればなるほど、食べ終えた後にライスを投入してリゾット風に楽しめますとある。チーズトッピングでよりそれらしくとも。見通していた。私としたことが。
ライスがトマトのスープをたっぷりと吸ってふっくら膨らみ、とろりととろけるチーズをまぶされ、杏子の口へと消えていく。
しまった。私も頼めばよかった。しかし今更隣で食べているのを見て欲しがるなんて言うのもなんだか卑しい感じがする。それに徹夜明けの朝っぱらで、いまいち腹が空いていた訳でもないのだ。
「……リゾットっぽいかしら?」
「っぽいな。ぽい。悪くねえ。ところでピラフとリゾットの違いって何?」
「炊き込みご飯とおじやみたいなものよ」
結局ライスは頼んだ。
結局スープまで平らげ、支払いを終えて店を出ると、朝日はすっかり通常営業を始め、街もすっかり目覚めて動き始めていた。
そしてお腹が一杯になった私は猛烈に眠くなってきていた。ライスをおかわりしてスープが足りなくなったこの馬鹿もそうらしい。
「悪くなかったろ?」
「そうね。でも」
「でも?」
「ラーメン食べてる感じじゃあなかったわね」
「
イタリアンな朝食を済ませ、私たちは安アパートに辿り着くなり冷めた布団に縺れるように倒れ込んだのだった。
寝息はチーズとトマトの香りがした。