都会っ子であるという程、都会を満喫してきた人生ではなかった。
暁美ほむらが生きてきた都会というものは、つまるところ最新の医療機器に囲まれた病室の中か、いずれ崩壊することが確定している爆薬の設置場所でしかなかった。人間性をすり減らしながら相当長いことやってきたのは確かな話だったが、それは言うならばゲームの最初のステージの結末を認められないまま延々と繰り返してきただけに過ぎず、まともな人間生活ですらビギナーでしかないほむらにとって都会というものはまだまだ不明な点の多い概念だった。
それでも、少なくとも都市部の人間であるという自負はあった。自負というには余りに感傷のない事実認識に過ぎないが、少なくとも最低限度より大分文化的で現代的な生活を送ってきた。
だから救援を求められて遥々長野の畑しかないような山奥くんだりまで遠征に出てくるにあたっては、かなりの不便を覚悟してきた。
実際のところその覚悟は殆ど杞憂に終わり、コンビニもあればWiFiも通じるし、精々バスが少ないので足に困るといった程度で、それさえも駅まで車で迎えに来てもらったので何ということはなかった。
暮らすにはいささか不便だが、たまの旅行にはちょうど良い毒抜きになる、などと言う有り触れた感想は、いま目の前にあるものによって打ち砕かれかけていた。
今日は助かりましたという感謝の言葉とともに、屈託のない笑顔で地元の魔法少女が差し出してきたものを前に暁美ほむらは躊躇していた。
今年は畑でたくさんとれたのでおすそわけです、お礼というほどのものではないですけれどどうぞどうぞお召し上がりくださいと、全くの善意と好意と感謝から寄越されたものを、無碍に拒絶できるほどほむらの精神は強くはなかった。
「食べるの? これを?」
「おまえほんとその嫌そうな顔並ぶ者がいねえな」
「嬉しくないわ。それで、ええと、これ、食べるの? というか食べられるの?」
「見てみろよ、あいつらうまそうにむしゃこら食ってるじゃん」
「それが理解できないわ」
「前テレビで見た時だっていけそうだって言ってたろ」
「あれは佃煮だったじゃない。佃煮にしたらなんだって醤油と砂糖の味しかしないわよ。これ素揚げよ? 塩振っただけじゃない」
「シンプルな方が美味いってよく言うだろ」
「シンプルにもほどがあるわ。信州人はこれ食べないと生きていけないの?」
極めて失礼な会話は勿論肉声によって交わされたものではなく、愛想笑いでへらへらとどうでもいい雑談で時間稼ぎをしている裏で、閉鎖系念話によって交わされたものだ。その位の腹芸は心得ている。
ほむらは最大限の不満とわずかな不安を念話に漏らしながら、皿に盛られたそれを改めて見つめた。
「だってこれ……モロ虫じゃない」
「イナゴだからな」
「せめてこう、なに? 形をどうにかしようと思わなかったの?」
「小エビみたいなもんだろ。いちいち解体できっかよ」
「やめて、エビ食べられなくなる」
「エビだって大概妙な面構えだと思うけどなあ」
「なんであなたそんな平気そうなのよ。ホームレス生活者は慣れてるのかしら?」
「ぶっ殺すぞ。食いもんとして出されたのを食わねえわけにもいかねえだろ。それに聖書にもイナゴは食っていいって書いてある」
「食べていいのと食べるべきというのは全然別問題だわ。そんなカシュルート誰が気にするのよ」
完全に及び腰のほむらと違って、杏子はしれっとしたものだ。勿論、どう足掻いても虫を素揚げしたものでしかない虫そのものが皿に山盛りに盛られている光景に思うところがない訳ではないようだったが、まだ食べ物として認識できているようだった。
「ありゃ、お客さんはイナゴ駄目でしたかね」
「いんや、何しろ山盛りだからな、食い切れるかってね」
「大丈夫大丈夫。見かけより軽いから」
「そうかい。じゃあ遠慮なく」
一向に手を付けない二人に気兼ねしたらしい現地の魔法少女に気さくに受け答えする杏子だったが、ほむらに向ける視線は厳しい。こと食べ物に関して、杏子はどうもこだわるところが強い。勧められた場合決して断るということがない。他人にまで強要するようなことはないが、しかしほむらが食べなければ、例え満腹でもきっと杏子はひとりで平らげるだろう。そうなるとさすがにほむらの薄っぺらな良心も痛む。以前杏子のこの性質を利用してサルミアッキを完食させた経験があるだけに。
「いいわ。いただきましょう」
「よしきた」
別に示し合わせたわけではないが、余計なためらいを排除するために、二人はそろってイナゴを手に取り、口に放り込んだ。中途半端に噛み切ると感触やら断面やらが気になりそうだった。
さくり、と思いの外心地よい触感だった。確かに、軽い。スナック菓子というほど軽くはないが、カラッと上がったてんぷらのように気持ちの良い歯応えだ。微妙に引っかかる何かにこれ足なんだろうなあとか、ちょっと固い部分にこれ頭なんだろうなあとか、色々無駄なことを考えなければむしろ上等な揚げ物としてカウントしていい歯応えだ。
虫の味というものを細かく想像したことはなかったが、なんとなく考えていたいやらしい味はなかった。水分が飛んでサクサクとした歯ごたえの中に感じられるのは、労働の後だからだろう強めに打たれた塩味と、そしてどこかで食べたことのあるような味だった。
「あー……あれだ。エビ」
「エビ?」
「エビフライとかのさ、尻尾の味」
「あー……わかるわ」
「なー」
からりとうまく揚げられたエビフライの尾は、あれでなかなか美味しい。揚げ方が下手だと嫌に硬くて食えたものではないけれど、このイナゴの素揚げは上手に揚げられたエビの尻尾のようであった。
「考えてみればエビの殻もキチン質だもの。同じだわ」
「キチンシツってなんだ」
「エビの尻尾よ」
「そうかい」
ひょいひょいとつまんでいく杏子につられて、ほむらもいつの間にか二つ三つとつまんでいた。勿論、どう見ても虫でしかないこいつを正面からまじまじと眺めるとどうやっても気分が悪いので、故意に目への魔力供給をカットしてなんだかよくわからないスナックとしてつまんでいた。この戦略はなかなか悪くなかった。見た目はともかく、味は確かに、悪くないのだ。
「なんかこう、香りがいいな。エビの香りじゃないんだよ」
「何かしらね。確かに爽やかな香りがするわ」
強い香りではなかったが、ともすれば油で辛くなる舌に、いくらか優しい爽やかな風味である。
「いやあ、気に入っていただけて幸いです。お土産に包みましょうか?」
完全に善意と好意と感謝からそんなことを言ってくる現地の魔法少女に、二人は顔を見合わせた。
「是非」
帰りの道中のおやつにちょうど良いという食べ盛りの食欲以上に、巴マミのリアクション芸が楽しみだったのである。