「美味しいのかしら」
ぼんやりと呟いたのは、別に深い意味からではなかった。ただ本当に、ぼんやりと、先ほど見た光景を思い返しながら、ふと思い立ったのだった。
日曜日の朝。私が杏子と教会でミサの見物をするなんて悪趣味な真似をしたのは、いやがらせでも何でもなく、ただの成り行きだった。いや、或いは嫌がらせだったのかもしれない。そうしようと思ったわけではなかったけれど、杏子がいい思いをするわけがないということはわかっていた上で、拒もうとしなかったのだから。
教会に勤めているという魔法少女に協力を要請されて、暇だからと行かされたのはまあいい。巴さんにも、何か考えがあったのだろう。それがどんな悪手であろうとそれは善意からの勧めだっただろう。私は渋り、杏子は何でもないように引き受けた。結果がそうなら、私は何も言わない。
朝早くに訪れた私たちは、ミサがあるので申し訳ないがと待たされた。よければ部屋を用意するともいわれたけれど、私が何か言うよりも先に、適当に後ろの方で待たせてもらうと杏子はどっかり腰を下ろした。私に否やはなかった。
信者でもない私にとって、教会というのは異所だ。昔はミッション系の学校に通ってもいたが、思い出深いというにはあまりにも平坦な記憶に過ぎない。思いの外に姿勢よく腰かけた杏子の隣に居心地悪く腰を下ろして、神聖さという目に見えないステータスに気圧されたように、私はただ黙ってミサの行く末を見守った。杏子はどうだっただろう。薄暗い聖堂だか礼拝堂だかの、最後列の影と混じった曖昧な長椅子に腰かけた彼女の横顔は、石像のように物静かだった。
滞りなく儀式が終わり、敬虔な修道女然とした魔法少女と打ち合わせをした時も、杏子は何ということもなくいつもの皮肉気な応対だった。また夜に落ちあうことにして、主のご加護がありますようにと見送ってくれた魔法少女に、杏子はただ面倒くさそうに手を振るだけだった。
夜までどうやって時間を潰そうかと歩き始めて、そうして私が何となく呟いたのが先の言葉だった。
「なにがだよ」
「さっきの。何か食べてたじゃない」
「…………ああ。ホスチアか」
ほすちあ。聞き慣れない言葉にオウムのように繰り返す私をちらと見て、杏子は口の中でもごもごと言葉を探した。
「聖体。聖餅。『これは私の肉である』」
ああ、と私は思い出した。
確か聖書の中で、キリストが言うのだった。パンを裂き、これは私の肉であると。葡萄酒を注ぎ、これは私の血であると。
「カニバリストなのかしら」
これまた深く考えずに呟いた私に、思いがけない言葉を聞いたという風に、杏子はふへっと中途半端にふきだした。
「まあ、どうだろうな。肉と血を共にして、共同体としての絆を深めるなんて話もある。誰かの肉を食べたいなんてのも、或いは足りないものを満たしたいのかもしれねえな」
足りないもの。
私はなんとなく自分の胸を押さえた。平坦な胸だ。だが物理的に貧相である以上に、その内側は欠けばかりであるように思われた。私の中にはたくさんの穴ぼこだらけで、私自身落としたり捨てたりしてきたものがもう何だったのかよくわからないでいる有様だった。それでもその穴ぼこは、そこに何もないというのに、何もないということをもって、時折重たいほどの存在感で私の中に居座るのだった。
先を歩く杏子の薄い肩を眺めながら、食べれば満たされるのだろうかと、私はぼんやりとまた呟いた。
「美味しいのかしら」
「味なんてしねえよ。ただの小麦だ」
そう、と返した私をちらと振り返って、杏子は黙ってしばらく歩いて、おもむろにコンビニに足を運んだ。特に用のない私がなんとなく栄養ドリンクの棚を眺めている間に、杏子はおかしと飲み物を買ってきた。
コンビニを出て、日差しを逃れるように店先のひさしの下で、杏子はビニール袋から葡萄味の炭酸飲料を取り出して蓋を開けた。また、買ってきたクラッカーの包装を開くと一枚を取り出して、まあこれでいいだろと呟いた。
杏子はクラッカーをぱきりと半分に割って一つを自分で食べてしまって、残った一つを私に見えるようにかざした。
「『これは私の肉である』」
「は」
杏子はそのクラッカーの片割れを、ペットボトルの飲み口に差し込んで湿らせた。
「『これは私の血である』」
そうして私に向けて突き出されたクラッカーを、私はじっと見つめた。
「これはあなたの肉なのね」
「そうだ」
「これはあなたの血なのね」
「そうだ」
「いいのかしら」
「ただの小麦だ」
「あなたの血肉なのに?」
「血肉にするのはお前だ」
私は黙って膝をつき、口を開けた。
舌に乗せられたクラッカーを口に含み、咀嚼し、飲み下す。
「美味いか」
「……ただの小麦だわ」
「そうだな」
「でもあなたの血肉」
「そうだな」
安っぽく甘い葡萄味のクラッカーは、胸のがらんどうにことりと落ちて、そうしてそこに居座った。