雲一つない太陽が地平線の向こうを照らしていた。単色の世界に日の光が反射して海にグラデーションをかけていく。秋の到来を予感させる冷たい海風と程よく暖かい日光が混ざり合って過ごしやすい環境になっており、これがもう少し季節が過ぎると太陽の光さえも敵わない寒さが襲ってくる。
港の周りには量産型のミニマム化された軍艦たちが出入りしており、時折カモメと合唱するかのように汽笛を鳴らして煙突から煙を出していた。
そんな港の埠頭に一人の男が釣糸を垂らしながら、只々その船たちを見送っていた。彼の後ろには学校と戦艦が入るドックなどの軍事施設が合わさった奇妙な建物がそびえ立っている。
それは重桜の言葉を借りると鎮守府、つまりは海軍提督府であった。居住区が学校になっているのはこの鎮守府の主力は量産型の戦艦ではなく、戦艦の力を持った少女達だからである。
学校の他にも戦術教練科、売店、食堂など軍港と言うよりは海沿いの学校と言う方が適している部分もある。
そして男はこの鎮守府の提督の一人なのであった。だが提督と呼ばれることは少なく専らここに住む人々からは階級である「中尉」と呼ばれていた。
提督の役職に対して中尉と言う低すぎる階級は、今や提督が戦艦一隻の代表と言うことではなく、艦隊娘を管理及び率いる役職を指して呼ばれる言葉に変わっているからであった。いまや提督は何百何千と存在し、本来の意味で使われることはもはや有り得ない事であった。
中尉は釣竿の横に置いているバケツの中を見て一つため息をついた、その中には海水しか入っていない。此処に釣り糸を吊らしてからずっとこのままであった。
これは今日はボウズかな。中尉は頭を掻いてそのまま固いコンクリートの上に寝そべると暖かい日光が彼を包んで微睡の誘惑が彼の顎を撫でる。このまま寝てしまおうか、敵襲があってもここからだったら海からも近いのだし。
中尉はそのまま軍人らしからぬ勤務態度でそのまま眠りの神に身を預けようとしていると、誰かがこちらに歩いてきている音がその耳に入ってきた。
足音から軍靴ではなく、女性が履くようなヒールが付いている音である。つまりは上官ではないと判断した中尉はそのまま目を開けずに昼寝を決め込もうとそのまま目を開けずに狸根入りを決め込んでいく。
「ご主人様、お目覚めください。先ほどまで起きていたことは知っています」
それは鈴を鳴らした様な耳触りの良い声であった。中尉がその声に体を跳ねて目を開けるとそこにはメイドの出で立ちをした一人の少女が立っていた。
長身でグラマラスな体型に物静かな風貌であった少女は若若さに満ちた女性と言っても良いほどであったが中尉よりは年下である。名をベルファストといった。
そのまま少女は中尉が目覚めるのを確認するとまず頭を下げて礼をしてから彼の近くへと歩み寄った。その動き全てが洗練されており、見惚れるくらいの上品さであった。実際に中尉も見とれていた節がある。
「執務室にいらっしゃいませんでしたので、探しに参りました」
「なにか用かな? 今日は特に演習の予定もなかったはずだけど……」
「ええ、存じ上げています」
「じゃあ何故?」
「お暇を持て余していたようなので」
「軍人が暇ということは良いことさ、だろう?」
「はい、しかしながら私が思いますに、ご主人様の机の上にある書類の山はご主人様に暇をお与えになっていないようですが」
「あれが兵站にかかわる仕事ならもちろんやってるさ」
ベルファストの言葉に中尉は少しだけ目を逸らす。食糧、弾薬、戦術書、食堂の鍋、それらの申請書、または費用のずらりと並んだ紙の束が中尉の脳裏に浮かんだ。むろんそれが兵站にかかわることなら済ませているが、中尉の元に来るのは新しい食堂のメニュー、新食材の費用、嗜好品とも言えぬ玩具、穴の開いた鍋の修復依頼などおおよそ兵站と言うよりかは雑用と言った方が正しい書類ばかりであった。
「あんなのは事務方にでも投げ捨てておけばいいんだ、まったく」
「おっしゃるようですがご主人様、申し上げますとあなたがその『事務方』でございます」
「分かってるよ、分かってて言ったんだ。まったく提督とか指揮官とかの名前もいよいよ無用の長物となるかな、雑用係とか事務員とかほうがしっくりくるかもしれない」
「ご主人様の立場では仕方のないことだと」
この世界は未知の生命体であるセイレーンに対抗するために作られた組織アズールレーンとその組織から分離、独立した組織レッドアクシズが対立しセイレーンをそっちのけでお互い血で血を洗う戦争を繰り返していた。
アズールレーンにはユニオン、ロイヤル、東煌が、レッドアクシズには鉄血、重桜がそれぞれ所属し、陣営によってその軍の方向性及び
その中で中尉はそのアズールレーンに所属しているのだが、元々はレッドアクシズに所属していた重桜の提督でもあった。本人は重桜から逃げ出して亡命してきたと言っているが真実は定かではない。だがベルファストはそれ以上は進んで知りたいとは思っていなかった、誰がどうであれ忠誠を誓った主人には最後まで付き添う。というメイドの矜持からであった。
なのでベルファストが分かっているのはその元重桜が故に殆どの提督と艦隊娘から腫れ物扱いされているということだけである。
現に中尉は戦場から遠く離れた場所に配属され、基本的に艦隊を動かすことも許されていない。中尉から昇進できないのもそれが一つの理由であった。
「まぁ勝手に亡命してきて、収容所送りにならないだけマシなほうだと思うとするか。ベルファスト、君も早く他の仕官先を見つけた方が良い」
不貞腐れたように言いながら中尉は立ち上がると自らの執務室へと歩き出した。その背はベルファストよりも若干小さい。
ベルファストも中尉の言葉に「私もお手伝いをさせていただきます」とだけ言ってその背中に続いて行った。
一見すると名のある領主とそのメイドであるが、実際は名ばかりの提督とその秘書艦。二人はこの鎮守府で名物の二人なのであった。
○
一般に提督はその役職が大量生産されたことによってその名前の価値は大暴落しているのものの、個人的な執務室が与えられるほどの特権は有していた。
人一人が使うには広い部屋に、広い机、無駄に大きい椅子に、大きい置物、それぞれの提督でその部屋は異なってくるが大体の司令官はそんなレイアウトで纏められる。
執務室程の大きさの部屋を複数人で使う艦隊娘と比べたらそれは贅沢と言ってよいだろう。その代りその大きい机に毎日の如く様々な紙の束が置かれる破目になるが。
だが中尉の執務室はその一般の提督の常識には当てはまらなかった。
他の提督たちが使っている執務室の半分以下の面積の部屋に、小さな机が二つ小さく並んでおり、椅子も使い古してボロボロである。しかもその椅子は一つしかないので中尉はベルファストにその椅子を譲り自らはパイプ椅子に座っている。
風で窓は揺れるし、隙間風も入ってくる。唯一マシな点と言えばベルファストが力を入れて掃除をしてくれたため部屋は清潔を保っており、何とか執務室として見られているだけである。
「『提督のセクハラが酷い』、憲兵隊。『新メニューが欲しい』、食堂。『好きな人に思いを……』? まったく、そんなことまで面倒見切れるか」
「トイレが詰まった、窓が割れた、空調が故障……流石ご主人様、信頼されていますね」
「皮肉かい?」
「はい」
容赦ない答えに中尉が何も言えずに困った顔をすると、ベルファストは少しだけ笑みを浮かべた。時々彼女は身分なども関係なく中尉をからかってはその困った顔を見るのが趣味だった。
だが、着任当初にベルファストからの「雑用でも立派な任務です」という言葉にしたがってどんなことでもやってきたことで、ある方面において中尉が信頼されているというのは事実であった。信頼と言っても「あいつに投げとけばいいか」みたいな、便利な借りる猫の手程度の信頼であったが。
「そういえば、君が私の所に着任してから結構長くなるんじゃないか?」
思えば、ベルファストは中尉がアズールレーンに亡命してからの付き合いである。もうそろそろ一年になるだろうし、その時は何かお祝いをしても良いかも知れない、安い給料しか出ないのでほんの小さなお祝いしかできないが出費を抑えて貯めれば何とかなるだろう。
「そうですね、今日で丁度一年になります」
「そうか————は? 今日?」
「はい、今日です」
しまった。中尉は冷静に頷くふりをしながら内心焦って壁にかけてあるカレンダーを見た。見ればカレンダーにはベルファストが付けたのであろうか大きな丸が今日の日付に付けられていた。
どうやら自分だけが忘れていたことに気付くと中尉はさらに焦りを積もらせていく。この一年世話になりっぱなしだというのに、これ以上のだらしがない所を見せられない。ということで中尉は知ったかぶりをすることにした、今からでも街にあるレストランの予約は取れるだろうし、なにか気の利いた物だって用意できるはずだ。財布は空になるが背に腹は代えられなかった。
「あ、あぁ勿論分かっていたさ、レストランの予約だって取ってあるし……」
「そうですか、こちらも予約を取っていたのですが……」
「え、あ、取ってたの……?」
「はい、他の艦隊の皆様から教えてもらいました。御洒落で評判の良い所だったのですが……こちらはキャンセルいたします」
「いや! 私がキャンセルするよ。そこにしよう! いやそこが良い!」
「そうですか……ご主人様がそうおっしゃるなら」
「あぁそうしよう。じゃあ私はキャンセルの電話をしてくるから!」
しめた。これなら後はプレゼントでも決めるだけだ、ベルファストが好みの……そう言えば彼女の私生活というのは除いたことが無かった。ああ、くそ、自分の甲斐性の無さには悲嘆にくれるしかない。
中尉はそのまま慌てて部屋から飛び出していく、売店である。とりあえず気軽に話せる明石に女性の好みを聞いてそれから町の方へ繰り出すつもりである。余りに焦っていたので書類の山はそのまま置きっぱなしである。
ベルファストはその慌てる様を笑いかけながら見送ると、中尉の分の書類を自らの机に乗せて処理し始める。
「完璧にダメ男ね」
ふと、一人の少女がため息をつきながら入ってきた。名をエイジャックス、他の提督の指揮下にある戦艦娘の一人である。つまり他の提督が帰ってきたということであり勝手に町に出る司令官が見つかって咎められていないだろうかとベルファストは少しだけ心配する。
「あら、エイジャックス様いつからそこに?」
「記念日の下りから」
ベルファストに比べてエイジャックスは年下に見えるがベルファストは誰にでも丁寧な口調と佇まいで接していた。メイドとはそういうものだと認識している。
「記念日は忘れる、見え見えの嘘はつく、おまけにがさつで、だらしないし、お金もすっからかん。私の子豚だったら教育しなおしだわ」
エイジャックスの提督への嗜虐趣味には艦隊全員があまり気にしていない、というか知るのが怖かった。
「もしかしてダメ男に仕えるのが趣味なタイプだったり?」
「確かにご主人様の矯正もメイドの務めではありますが、私にそういった趣味はございません」
「良く分からないわね、じゃああの提督のどこが良い訳?」
「貴方が御自身の提督をお慕いしている理由と同じです」
ベルファストの言葉にエイジャックスが少しだけ頬を染める。ベルファストには余り理解できなかったが日々小悪魔的に提督をいじめて嗜虐感に浸るエイジャックスにも提督を想う気持ちがあるらしかった。あまりその提督には表に出さないのが可哀そうでもあったが。
そのままベルファストは書類にペンを走らせながら、ふと窓の外に映った売店に走る提督を見てまた笑みを漏らす。
「つまりは、惚れた弱み。という物です」
続く。
一番初めだということで、あまり起承転結のない内容です。
ルームでの会話をしているうちに書くことになった小説で、これからもお題を貰っていくごとに書いて行きたいと思っています。