未確認生物セイレーンが初めて撃破され、その技術が解析されていくと同時にこの海ではある技術革新が起こった。
戦艦少女たちの誕生である。全ての陣営がアズールレーンで共同戦線を張り技術を共有していた時代、ユニオンの技術者たちがそのセイレーンのデットコピーを誕生させ、ロイヤルがそれを解析してアーキタイプを仕上げると、鉄血が量産化を進めて、重桜がその技術をオカルトを組み込み更に昇華させた。
この戦艦少女は戦艦の記憶を持ちながら、鉄の塊ではなく、生きた人間として柔軟性のある思考を獲得し、戦艦の攻撃力を持ちながらそれ以上の速さで移動することが可能な高軌道戦闘を可能にした。
それにより大陸横断弾道ミサイルなどのミサイル群はもはや無用の長物になった、その高速戦闘によってミサイルは容易には当たらなくなり、戦艦少女のシールドはその熱量を容易に防ぎ、シールドの応用によって都市部はミサイルが飛んできても民家の一つも傷つけられずに終わった。
そもそもセイレーンにさえ効果が無かったのだからその衰退は目に見えていたのだが、戦艦少女の誕生によって一気に荒廃にへと追いやられたと言ってもいい。戦艦少女、もといそのシールドに守られている拠点を傷つけられるのは戦艦少女の攻撃だけだと分かると、各陣営は戦艦少女に全ての資金をつぎ込み進化させていった。
その進化の過程で最も注目すべきは兵器たちの前時代化及び縮小化であった。戦艦少女たちが戦闘に当たるにあたって、現代の超長距離戦闘はミサイルの無力化によって空も飛べず、頼みの主砲もそれほどセイレーンにダメージを与えられ無かったのだ。
その中で見直されたのが大鑑巨砲時代に見られた、口径の大きく長い砲塔たちであった。その破壊力はシールドを容易く破壊し、セイレーンにも効果的であったのだ。
それを搭載するにあたって、威力は小さくならずに砲塔だけを小さくする技術も開発されると、魚雷にも応用され、前時代的海戦略構想の逆戻りに拍車がかかった。
戦艦少女たちをサポートする護衛艦、昔の戦艦をそのまま縮小化し食糧配達、支援砲撃、囮、自爆特攻を無人で行う船たちが生まれイージス艦の時代が終わりを告げると、戦術も縮小され、一艦隊あたりの戦闘可能地域も縮小されたことで、海は陸の様な大勢の兵士が跋扈する戦場となったのだった。
先々代ロイヤル代表クイーン・エリザベスはこれを「
そうして戦争は劇的に変化した。少女が平原で馬をかける様に水上を駆け抜け、他の者達がそれに続く。それは戦争が発展していく内に失われた、戦場のロマンチズムの復活、ノブレス・オブリージュの復活さえも意味しているかのようだった。
ただその中で変わらないのは、そこで命を落とす兵士の数だけであった。
○
「おい、そこの。そこのガラスがまだ汚れているぞ、しっかり掃除せんか!」
「は、はい……」
その日中尉はガラス磨きをしていた。ユニオン製のガラスクリーナを使って新聞紙でせっせと磨いていく。自分の顔を移すほどの輝きを取り戻したガラスを見るとなんだか誇らしくなってくる。もう軍人なんかやめて清掃業者で働いた方が良いんじゃないだろうか、くそう、自分で分かるこれは自棄だ。
なぜか? と問われると理由は一つ、これが上官の命令だからである。軍において上官の命令は神の次に絶対なのである。
だからと言って、一提督が——そのブランドの価値が著しく低下したとしても―掃除に顎で使われてはいけないはずである、まず部下に示しがつかない。
が、この中尉は提督と呼ばれるには艦隊は持っておらず、部下もベルファストと呼ばれる戦艦少女ただ一人であった。そしてその部下も日々着用しているメイド服に似つかわしくガラス拭きに勤しんでいる。しかも中尉とは比べ物にならないぐらいの出来であり、ベルファストが磨いたガラスと比べると中尉のはまるで砂で磨いたような出来である。
「流石はベルファスト君、磨いた窓がなんとも新品の様ではないか。執務室の廊下も滑る様にピカピカだったし、やはり君に任せて正解だったよ。そこの不出来な男も見習ったらどうだね?」
そういうのは、この基地での最高権力者であった、階級は大佐でありでっぷりと腹に乗った脂が目立つ男である。そのセクハラと階級を笠に着る態度は艦隊少女おろか提督からも評判は良くない。提督たちのコネクションだけで成り上がった様な男であり、この戦場から遠く離れた補給基地に着任できたのもそのコネのおかげとも言われている。
「お褒めの言葉、恐縮でございます」
「右に同じく」
「貴様は褒めとらんわ! ……こほん、それでどうだね、この後食事でも? 今日は大将閣下が視察に来る日でもある、君の事を紹介しても良いが……」
ほらきた。と中尉は思った。何を考えているのか良く分かる目をしている、ここまで分かりやすいのも一種の才能だろう。これでよく戦艦少女達から訴えられなかったものである。
人間の手によって作られた命である艦隊少女たちでも権利は認められている。その命が生まれた時から宿命づけられている命がけの戦闘という義務を果たしているから当然のことであった。
もし彼女たちの人権もとい艦権を非道に破る者がいれば無慈悲に軍はその輩に鉄槌を下すであろう。無慈悲というのは脅しではない、艦隊少女たちの権利は各陣営の立法機関が軍に全てを委託している。元々が人間に作られた人間の様な者というのは複雑であり元々の法律では図りにくい所があるので、法律上は「兵器」として扱うしかなくそれらの扱いは軍に任すしかない。おおよそいつまで続くか分からないこの戦争が終わるまでは。
なので、陣営によっては―鉄血の様な厳格な軍人たちが集う所では―本当にその身が海に沈む。軍では行方不明、または事故死として扱われ軍の外に情報が漏れることが無い。
そんなことはこのアズールレーンでは聞いたことがないが、それでも厳罰に処されるのでそれを知りながらああいうセクハラが出来る大佐と言うのはある意味豪胆な人物なのかもしれない。
「申し訳ございません、今日は先約がございまして……またの機会にお願いいたします」
「そんな、先約と言ってもそこの男とサンドイッチでも食べるだけだろう? いつもそんなばかりを食べていると君の折角の美貌が台無しになる」
「先約は、先約ですので」
「だ、だがねぇ……大将閣下も……」
「申し訳ございません」
そのままお辞儀をするベルファスト、その仕草も洗練されており美しい。後ろから同じく掃除に励んでいた戦艦少女たちの含み笑いも聞こえ始めたので大佐は何も言えず、代わりに中尉に「窓がまた汚れているぞ」と強い語気で言いつけながら大股で執務室へと歩いていった。
大佐の姿が消えた後、わっと周りから艦隊少女たちがベルファストに集まっていく。中尉には目にもくれないので足が当たったり体が当たったりで痛い。
「さっすが、ベルファストカッコいいー!」
「あのオヤジの顔見たらすっきりしちゃった」
「いえ、先約があるのは本当ですので」
「ここの提督って戦闘が滅多にないからいっつも雑用とかさせるし、あの大佐に至ってはセクハラも多しであんまり良い環境じゃないわよね。今日大将さん来るんだしお願いして前線に行こうかしら?」
やれ、戦うために生まれてきたとしても平穏を望んでも良いだろうに。中尉は心の中で漏らした。彼女たちには彼女たちの矜持があるのは理解しているが、中尉にはどうにもセイレーンと言う全人類の共通の敵がいるのに、同じ人間同士で戦わなければいけないこの状況に一種ばかりか多種にわたる疑問を持っていた。
無論そんな疑問を持っても、戦争が終わるわけではないが……
「そう言えば知ってる? 今日の視察。只の視察じゃないみたいよ」一人の少女がベルファストを中心とした輪の中で発言した。
「どういう事? 視察が来るたびにこんなにピカピカにするのはいつもの事でしょう?」
「気付かない? 入ってくる量産型の数が多いし輸送船だけじゃなくて戦艦型がこの周りにいくつも停泊してる、まるで前線基地みたいに」
「ここは、戦闘とは縁のない補給基地では?」ベルファストも興味を持ったらしく同僚に言葉を促す。
戦闘の主戦力が戦艦から戦艦少女に変わるにあたって問題となったのが兵糧であった。戦艦の場合はその大きさから航海時の食料はその戦艦の中に貯蔵することが出来た。
だが、戦艦少女の場合はそれが出来ない、何日分の食料を背負っていくことは不可能であるし、高速戦闘の場合邪魔になる。
なので遠征などの場合は量産型補給艦を同行させることが主流であったが、真っ先に補給艦を狙われる様になるとそれも上手く行かなくなった。
それで生まれたのが海上中継基地である、海上に展開されたそれは補給基地から輸送された物資を貯蔵し、またさらにその中継基地から前線の基地へと補給していく役割を持っていった。
したがって中継基地たちに補給を行う補給基地には大量の物資が送られてくる物資で溢れかえり、やはりそこから物資を横流しする輩も出てくるので、物は流通し人は増え町が栄えてくる。
中尉が在籍している基地もまた補給基地であり、少女が言った通り敵が前線を突破し何重にもある中継基地を潰してこない限り突如とした現れるセイレーン以外との戦闘は望んでもあり得なかった。
「だから、可笑しいのよ。大将が此処に来るといってもここまで守りを固くする必要ないわ。もしかしたらすごいVIPか元帥かくるのかも!」
「きゃー! 良いわね、元帥直属の秘書艦なんて憧れるわね!」
「あの、皆もうそろそろ掃除に戻ってはどうかな……?」
そろそろうるさくなってきた少女たちに中尉が恐る恐る言葉をかけるが、少女たちは軍帽の代わりにタオルを巻いて、軍服の代わりにエプロンをつけている提督をちらりと見てまたこそこそと喋りはじめる。
「ベルファストさん、もうそろそろ提督も変え時じゃありません?」
「あちら、軍からVIPじゃなくてVUP待遇を受けている人ですよ?」
「V.U.P……?」
「ベリー・ウザい・パーソンです」
「聞こえてるんだけど……」
完全に見下されている中尉であるが、言い返せる実績も自信もないので只々困った顔をするしかない。それの顔を見てベルファストは雪山に咲く花のように静謐な美しさを思わせる小さな笑みを浮かべた。ベルファストは中尉が困った顔見るのが好きな一面がある。
「笑い事じゃなくて、ベルファストはそもそも前線で活躍していた一人なのでしょう? 良い待遇の提督から引く手あまたのはずだが」
それは真実であった。ベルファストはおそらくこの補給基地の誰よりも戦歴が長く、実力もまたそれに値するものを持っている。中尉とも海戦の際お互い顔を見ることは無かったが、指揮する者される者の違いはあることながら殺し合っている仲でもあった。
「皆様のお言葉は有り難いのですが、私にも好みと言うものがございますので……あぁ、昼食の用意をしなければならないので失礼します」
そういうと、ベルファストはバケツを持ってその場を後にする。
少女たちの視線が全て中尉にいくので、慌てて自分も余所に行こうと立ち上がるがその際にバケツをこぼしてしまい、他の少女達から叱られながら雑巾で廊下を拭いていく。
その様は提督と言うよりも、用務員の方が似合う。それもとびっきり使えない用務員。
「ベルファストさんってもしかしてダメ男が好きとか?」
そんな中尉を見ながら他の少女たちは口にした。まったくもって男女の仲というもの海の底のように不可解な世界であった。
○
「それで、今回来ると思われる謎の訪問者に心当たりはあるのかい?」
「いいえ、私には」
数刻後、中尉とベルファストは鎮守府にある食堂の中ではなく屋上で昼食を取っていた。食堂の中は周りの視線がきつく、執務室は狭くて落ち着いて食事ができない。それで二人は明石から屋上の鍵を「調達」して、ひっそりと侵入していたのである。
それに、ここからだったら軍港も見えて、今日来るお偉いさんの姿もこっそり覗くことも出来る。
「もしも元帥閣下が来るとしてだ……」中尉は広げられたシートに置かれたサンドイッチを一かじりして怪訝な顔をした。「これ、何を挟んだ?」
「ウメのペーストです」
「梅……?」
「重桜ではポピュラーな果実らしいのですが……これはそれを干して……」
「知ってる、私が聞きたいのは何故これをパンに挟んだんだ?」
「中々手に入れるのに苦労しました。これは東煌産の物ですが、ご主人様には馴染みのある味なのでは?」
この世には完璧な人間と言うのは存在せず艦隊少女もまたそれは同じである。ベルファストの場合は料理であった。
彼女の料理の腕は中尉をして「独創的」だと言わしめる腕であり、糧食にマイナス方向に定評があるロイヤル陣営を代表出来るほどの腕前であった。
の割に彼女は中々の料理好きであり、料理と言うには抽象表現主義の画家が描いた絵をそのまま三次元に取り出した様な物体を中尉に振る舞うのを趣味としていた。
その中でも唯一マシな料理がサンドイッチなのだが、今回は梅という侵略者がその平穏を奪っていた。
「いや、私は重桜では食事は殆ど合成食糧で済ましていたからね。あまりこういう物は食べたことは無かった……君が来るまでは」
「合成……?」
「ここで言うカロリーバーみたいなものでね、あれ一本で一日戦えるが売りだった。まぁ味は皆無だったからおかげで初めて濃い味の料理に慣れるのに苦労することになったけど」
「なるほど……だからご主人様が初めて私の料理を食べた時に盛大に嘔吐されたわけですね」
それはまた別の理由があるのだがその言葉を喉の奥に飲み込みながら中尉はただ困った顔をした。それ見てベルファストは少しだけ微笑む。
おおよそこの陣営に亡命してから中尉の生活はベルファストによってさまざまな彩りを加えられていた。当初は少々眩しすぎると思っていたが、今になってになってはそれが心地よいし、彼女が作る料理は好きだった。……少々独創的ではあるが。
そうしていると、大佐とその秘書艦が軍港へと歩いていくのが見えた。遠くの海にはいくつかの量産型の戦艦と幾人かの戦艦少女が見えた。
「どれ、お客人が到着の様だ」
そう言って中尉は腰を上げて興味津々に海を注視してると、その船たちが近づいてくるたびにその顔がどんどん険しくなってくる。
「ご主人様……?」
滅多にしない主人の顔にベルファストも注意の横に立つと、その普通の人間よりも強化されている視力にはおおよそ信じられない光景が移っていた。
「なぜ、アドミラル・ヒッパー級の重巡が此処に……!?」
それは此処にあるはずのない、いるはずのない軍艦がそこあったからである。
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦三番艦プリンツ・オイゲン。自分たちと敵対してるはずの鉄血陣営の、その戦艦少女と量産型が堂々とこの基地へと入ってきていた。横にユニオンの軍艦を添えて。
軍港には大佐だけではなく、物見人として様々な人間が集まっていた。その中には敵艦に仰天して慌ててとび出してきた提督や戦艦少女も含んでいる。
敵艦の砲塔はこちらに向けられていないし、敵意もなく手を振っているので攻撃する気はないが、相手が不振な行動をすれば何時でもその引き金を引けるようにしている。
しばらくすると鉄血の戦艦がそのまま軍港へと入港し、タラップが繋がるとそこから二人の男が降りてくる。鉄血の軍服を着用しておりどうやら本当に敵陣営の人間らしい。
一人は岩が擬人化したようないかつい顔をした男で体もまた岩のように隆々としており軍人らしい軍人である。
もう一人はその男とは全ての意味で対照的な男であった、まるで美の女神がその手で彫琢したような美形であり、金色の髪とエメラルド色の瞳が光を反射して煌く様であった。見ていた艦隊少女たちも思わず敵国である男に黄色い声を送っている。
ついでその横に着港した戦艦から降りてきた老いた大将には誰も目を向けなかった。
大佐はその三人を確認すると長い人付き合いで獲得した「人懐っこい笑顔」を張り付けながら駆け寄ってくる。
「いやぁ、長旅ご苦労様でした。お疲れでしょう、ささ、こちらへ。粗末なものですがレストランでの昼食をご用意しております!」
「御苦労大佐、さあこちらに……」
「了解しました、プリンツ!」美形の男が港で艤装を外しているプリンツ・オイゲンへと呼びかける。その美形に恥じぬ美声であった。
「およびかしら、少将?」
銀色の髪をなびかせてプリンツが美形の男へと向かう。黒を基調とした服と銀色の髪はお互いの美しさを高め、小悪魔的な童顔とそれと正反対な肉体は提督たちの目を奪うには十分であり、二人並ぶとおとぎ話の王子様と王女様のようである。
「私は大将閣下と共にこれから談合に向かう。君には自由時間が与えられるが、個々の人々に迷惑はかけないように」
「あら、護衛は要らないのかしら。もし談合先で撃たれても知らないわよ? 私も撃たれるかも」
「不要だ、私達は法で守られている。君ももしもの時は戦闘を許可する」
「ヤヴォール、コンタアドミラール♪ まぁ、こんな所私一人でもぶっ潰せるけど……」
その言葉に何人かのエースたちが自尊心を傷つけられた顔をする。戦闘が無い区域でも過酷な訓練で鍛えられている彼女たちは、いざとなれば彼女を捻る潰せるぐらいの自信があり、いざと言う時は防御と要となる少女達であった。
「行ってらっしゃいのキスは御入り用かしら?」
「冗談はよしてくれ。私の事は知っているはずだが」
「少将、早くしろ」
これまたイメージ通りの獣が唸るような声で鉄血の大将が少将を呼ぶと、彼は優雅に金の髪なびかせながら大将の元に駆け寄っていく。プリンツはそのまま大佐を加えた四人が車で町の方に行くのを見送ると、敵意を加えられた視線を艶かしく口角を上げて応えると「そう言えばお昼まだだったわね」とそのまま少女たちに道を譲らせながら目についた食堂に足を運んで行った。
「なぜ鉄血の軍人が此処に……」
その光景を食堂の屋上から眺めていた二人もまた驚きに包まれていた。
ベルファストは、鉄血の軍人とユニオンの軍人が仲良く握手するという有り得ない光景が未だに何を意味するのか掴み兼ねており、珍しく困惑した声を出して中尉に意見を求める。
「ご主人様、これは一体……」
「さあね、私にも分からない。あちらさんも亡命してくるというなら良いんだが……それよりも……」
一方中尉はその二人には興味を示さなかった。驚いたのは鉄血の軍人にではなく、その軍人に護衛として付いてきていたプリンツ・オイゲンの方であった。目立つ銀色の髪とあの顔には大いに見覚えがあったからである。
中尉は顔を青ざめるとベルファストの方へ顔を向け、もう一度食堂の方へ近づいてくるプリンツオイゲンを見ると、勢いよく立ち上がり上着を羽織っていく。
「ご主人様? 如何なさいました?」
「いや、その……なんだ……今日までの書類を思い出してね。早く処理しなければ……」
「それは全て今日私が終わらせましたが?」
「本当にあったのか! 助かった……じゃなくて、その……そう、ちょっと催してしまって」
「十五分前に行ったばかりでは?」
「うっ、その……とりあえず私は隠れ……用事があるから誰も執務室に通さないでくれ。頼む」
「あの、隠れたいのならば……ご主人様?」
隠れるのならばこの屋上にいればよいのではありませんかという声も聴かずに、そのまま中尉は屋上を後にしていた。遠くで誰かが階段を転げ落ちる音と数人の悲鳴が聞こえてきた。
「ハイ、突然だけれどザワークラフトってあるかしら? あとゆでたソーセージとビールが有れば良いのだけれど」
「あ、あのう……貴方敵……」
その日の食堂は騒然としていた。いきなり敵国の印を携えた少女が、食堂に来たかと思えば注文をし始めたからである。食堂で働いている戦艦少女はどうすればよいのか分からず只々困惑するのみである。
「あるの? ないの?」
「あのう、食券にあるものしか……」
「へぇ、どれどれ……フィッシュ&チップスって何?」
「あ、あのえーっと……」
「って、私こっちの通貨持ってなかったわね……なんだ食べられないじゃない」
マイペースで進めていくプリンツは食券を買おうとポケットに手を入れてから思い出す。共通通貨でも作ってくれればいいのに、面倒な。
そうやって心の中で悪態をついていると、プリンツが入ってきた入り口とは別方向、厨房や屋上へと続く道が続く廊下方で大きな物音が響いた。皿の割れる音と誰かの声と言い誰かと誰かがぶつかったらしい。続けて叱りつける声も聞こえてくる。
「中尉! 目は付いていらっしゃるのですか! あぁもう見てください服がこんなに……!」
なるほど、弛んだ艦隊少女が少女なら提督も阿呆提督だ。しかも中尉とはアズールレーンも人材不足と見える。これは本当に私だけでやれるかもしれない。
プリンツが鼻で笑い、空腹を誤魔化しながら食堂を後にしようと踵を返した。何処か両替できるところでもあればよいのだけれど。
「す、すまない。必ず弁償はする、クリーニング代も払う。だからちょっと今は先を急がせてくれないかい?」男の声にプリンツの足が止まった。廊下の向こうへと信じられない物を聞いたような顔をして目を向ける。
「そんなこと言って逃げようとしたって無駄です! もう、掃除も手伝ってもらいますから!」
プリンツの足が廊下の方向へと向いた。数人の少女が不審に思って止めに入るが、それを難なく躱し、掴まれた手を捻じって投げ飛ばし、自らの強さを艤装なし証明させながら廊下のドアを開けて男の後ろ姿を確認すると、一つ呼吸をして声をかける。男はぶつかった少女の対応に必死でプリンツには気付いていていない。
「アドミラル!!」
その声で男は————中尉は身をすくませる。そしてそのままプリンツを一瞥もせずにそのまま元の場所に戻ろうとする様に廊下を走り階段を駆け上がっていく。
「させるか!」
だがプリンツの行動も早い、その美しくも健脚であるその足で一気に中尉に追い付くと、その襟首を捕まえて引っ張りそのまま壁へと叩きつける。
「————っ!」
肺の空気が全てが吐き出されるような衝撃に、中尉は呻き声を上げることも出来ずそのままプリンツから拘束され、そのままなすすべもなく拘束されていく。軍隊式のコマンドサンボ、その関節技であった。
ぶつかった少女が突然の出来事に呆気にとられるが、助けを求めに食堂へと飛び出していく。
「誰かと思えば……何時地獄から戻ってきてたわけ? 死んだ人間に会えるなんて」プリンツの目は怒りというよりは驚きと興奮で燃えていた。
「重桜には地獄の窯の蓋が開く時期があってね……いたたたたた!?」
「ふ・ざ・け・な・い・で。シャイセ……死んでなかったの? じゃああの親王も?」
「私が答えると思うか?」
「その解答はイエスと同義よバカ」
「え? 本当に?」
改めて中尉は自分は舌戦もダメダメな事を思い知らさせる。ここまでくれば情けないを通り越して自嘲気味な笑いまで出てくる。
「この場で笑うなんて、流石ね。やっぱり想定内だった? これも作戦のうち?」
「いや、その普通に笑ってただけ……」
「誤魔化しても無駄」
その笑みを完全に誤解しているプリンツは拘束を解いたと思うと、そのまま中尉を押し倒してマウントを取る。美少女が自分の上に乗っているのに提督にはこのまま顔をボコボコにされるイメージしか湧いてこない。
「ここで、何をしているわけ? 潜入? スパイ? そもそも何て死んだとされている親王の部下が此処にいるわけ? 加賀は?」
「質問はなるべくひとつずつしてくれないか?」
「死んだ人間がひょっこり出てきたらこうにもなる。というか、何よその恰好、まるで清掃員……それに貴方の階級中尉? 冗談でしょう?」
「此処には私を過大評価する人間はいないようでね」
その中尉の言葉にプリンツは少し微笑むと、そのまま中尉の体に寝そべっていく。中尉の体に柔らかい感触が包み、何だか心地よいが、彼女が今何を考えているか分かっている中尉にとっては「この前よりか太ったな」とかそんな失礼極まる感想しか出てこない。乙女心とか男女の空気とかこの男にはまるで関心がなくデリカシーという言葉もない。
「この前よりふとぶべっ」そして口にしてプリンツから殴られる。鼻から一筋の血が垂れてきた。
「乙女にそんなこと言ったら死・ぬ・わ・よ♪」
「ずびばぜん」
「よろしい。それじゃあ親王の居場所だけど……」
そうして物理的に骨抜きした中尉に、重要な事を聞き出そうとしたプリンツであるが、それは大勢の足音と何かの道具がすれる音で邪魔をさせる。
何かと二人が階段の下を見てみると、それは先ほど助けを呼んで行った少女であった。後ろには援軍も駆けつけており、手には不審者を捕まえるための網などをそれぞれ持ち寄っている。
せめて、効果はないといえど銃や殺傷武器を持ってくるべきだろうとプリンツは逆に心配してしまった。こんなギャップは味わいたくない。
「皆さんこっちです! こっちで中尉が敵艦から襲われてキャー! 違う意味で襲われてるー!」
「おのれ鼻血を垂らしよって、提督の風上にもおけんスケベが!」
「中尉サイテー!!」
「あの、何故私の評価が下がっているんだい? これどっからどう見ても私が被害者だよね……?」
「うるさーい! この浮気者!」
「あら、ケッコンしてたの?」
「いや、今のところはまだ……あ”」そこで中尉はある一人の少女の事を思い出した。
カツンと上から降りてくる足音が聞こえた。その音は廊下に響くごとにどんどんと大きくなってくる、それに気づいたのはプリンツと中尉だけであった。そして上から降りてくる人物に見当が付いたのは中尉だけである。
どんどん中尉の顔が青ざめていく。それが鼻血の流しすぎて貧血を起こしているわけではないのはプリンツにも分かるが理由が分からないので首を傾げるばかりだがその答えはすぐに降りてきた。
「ベルファストさんにあやま……あ”」下から見上げていた少女たちが声を上げた。
「一体どうしたって……あら?」ふと顔を上げたプリンツがその少女と目を合わせた。
「あのぅ、これはそのぅ……」予測がついていた中尉が目を逸らした。
「ごきげんよう、プリンツ・オイゲン様」そして階段を下りてきた少女が、————ベルファストがプリンツに笑顔で挨拶をした。
中尉を挟んで両者の目が一寸も反られずに見つめ合う。それは女性同士の修羅場と言うより、肉食獣の雄が雌を巡って戦う時の様な目をしていた。
それに、中尉だけが分かることであったが、ベルファストは怒っていた。
3に続く。
続き、今回は中二満載の設定をこれでもかと詰めてみました。
この話はそのまま3に続きます。
45の人たちに感謝を。