カーテンからこぼれた朝日で、男は目を覚ました。
体を起こして、窓から港を見てみると、縮小化された軍艦たちが汽笛を鳴らしながら出入港している所が見えた。何時もの光景であり、こちらが戦争に勝つか負けないかしない限り続いていくであろう景色であった。
男は窓から反射した自分の顔を見る、今年三十四になるこの男は未だに全盛期の頃の面影を残していた。屈強な体つきと精悍な顔つきに鋭い目つきは狼を思わせるようであったが、一方で重桜の人間に良く見られる黒い髪と黒い眼は年を重ねるごとに落ち着いた大人というイメージに一役買っており、女性からは包容力のある男性として見られている。
男は、髭が濃くなってきたかな。と漏らすと、ベットから足を下ろして近くにあった煙草に火をつけた。紫煙が緩やかに部屋に霧散し、空気へと溶け込んでいく。
「……もう朝なの?」彼の一人用のベットでモゾモゾと一人の女性が毛布の中から男に声をかけた。その体には一糸も纏われておらず、背中には艤装装着用の端子が埋め込まれており、彼女が戦艦少女だと示していた。
「いいや、まだ寝てていい」そういう男も全裸であった。男は下着だけ履くと、そのまま部屋のキッチンへと向かった。昨日飲んだ酒がまだ残っており、それが金づちとなって男の頭を叩いていく。
男は冷蔵庫から水を取り出して一飲みすると、そのまま卵やらベーコンやらを取り出してフライパンに火をかけた。ついでに二本目の煙草にも火をつける。
しばらくすると、フライパンの中にベーコンが乗せられて肉の焼ける音が鳴りだした。続いて黄色い太陽が二つ落とされて、綺麗な丸型に整えられていく。
それから数分して半熟になった目玉焼きを皿に移すと、それにベーコンと野菜を添えて、ベーコンを焼いている間にパンを入れていたトースターから良い匂いになったそれを取り出して、その皿にその横にバターとジャムを置いて出来上がり。彼が良く作る朝食の一つであった。勿論二人分。
「ゆうべはおたのしみ。だったようだな」
部屋の入り口から皮肉の混じった口調の男の声が聞こえた。海軍の制服を着ており、首には少佐を示す階級章が付けられている。男に比べると若く、その碧眼はまだくすんでもいない新品の宝石の様であった。
「別に夕べだけじゃありませんがね、何か用ですか少佐?」男は敬礼もせずに、皿を二つ持ちながら声をかけた。
「私の方が上官なんだから敬礼でもしたらどうだね大尉?」少佐はその態度に眉をひそめる。
少佐は大尉と呼ばれた男よりも十三歳程度年下であったが、その年と比べると彼の階級は高い。それは彼の生まれが関係していたし彼自身が有能である印でもあった。
それは彼自身自分が周りから期待されている人間だということを自覚できる理由でもあった。期待によるプレッシャーもあったが、自分より年が上の人間が自分の下に仕えるということに一種の優越感があったし、自分に媚を売る人間がいるというのは一種の快感でもあった。
だが目の前の大尉は違った、まるで少佐をまだ幼い子供の様な態度で接し敬うという態度が全く感じられずそれが彼の自尊心に傷をつけるのだった。
「これは失礼、手が塞がってしまっているもので」
そう言って大尉と呼ばれた男は不敵な笑みを漏らすので、少佐は増々苛立ちを増したようである。
だが、上官として喚き散らすという行為は沽券に係わるので代わりに大きく鼻息を一つ吐くと手に持っていた一枚の書類を叩きつける様に机に置いた。
見ると書類には「秘書艦登用願」と書かれていた。つまりは何処かの艦隊少女が大尉に秘書艦の立候補したことになるのだが、それに疑問を抱いたのは誰でもない大尉である。
基本的に提督、司令官を補佐し、不在の時上司の代わりに指揮を執ることもある秘書艦は基本的には提督たちの指名制となっている。大体は提督たちが第一に信用する少女を指名するのだが、稀に秘書艦の登用に前向きではない提督や、立候補させ当番制にする司令官もある。
その為に秘書艦を少女の方から申請するための「秘書艦登用願」なのだが、直前に記したような秘書艦の登用をしない司令官にはそれは有無を言わせない上からの強制的な人事異動命令でもあるのだ。
「私に秘書艦が?」
「先日の会議で決まった事なんだがね、重桜からの逃亡者とはいえ秘書艦の一人も付けなければ司令官は及び提督とも言えないだろう。君も秘書艦がいなくて苦労しているだろうしな」
「お気遣いは有り難いんですがね、自分が此処で苦労することはデスクワークでも訓練でもなく一晩のお相手探しだけでしてね。秘書艦が居なくても十分やって行けてますよ」
これは真実であった。彼の教育者としての一面と、デスクワークの処理能力の高さは彼の顔よりも評判が良い。
大尉がこの補給基地に来てから、基地内部の作業効率、訓練効率は書類上どころか目に見えるほどに高くなり、補給物資の分配などは彼が一日いないと三日分の予定が遅れるとまで言われていた。
————少佐が風邪を引くと一艦隊が熱を出すが、大尉が風邪を引くと基地全体が寝込んでしまう。という言葉はこの基地では誰もが知る笑えない笑い話である
「秘書艦が来るとかえって効率が落ちますよ、私は一人がやり易いんです。それにそれにもう一つ理由がありましてね」
「何だ?」
「私が誰かを秘書艦にすると、特別扱いされたと言ってやきもちを焼く女が出てきては困ります。私は同じ女性を二夜連続抱くことはしないんでね」少佐の眉がさらに潜まるのも気にせずに大尉は続けた「一日間隔を置くのであったら別ですが」
「これは会議で決まったことだ大尉。君に出来ることは素直にこの秘書艦を登用することだ」目の前の男のせいで歳不相応な皺が刻まれそうな少佐は否応なしにそう告げた。
「素直なんて言葉は少佐ぐらいの年に置いてきてしまったものでね、私みたいな年になると捻くれることしか出来なくなってしまうんです」
「覚えておこう。それでは今日の
そのまま少佐は大尉の肯定も否定も聴かずにそのまま背を向けると「ちゃんと服をきるように」と付け加えてからそのまま部屋から出て行ってしまった。
ある意味大尉に言うことを聞かせるにはこの一方的に命令して話を聞かずにその場を去る、という行為は一番有効な手であったので、自分の減らず口を自覚している大尉は溜息をつきながら朝食をベットで寝ぼけている昨日の相手へ持っていくことしかできなかった。
大尉の執務室は他の提督たちと比べて資料室と言っても良いような作りになっている。洒落た家具などの代わりに本棚が壁に沿って並んでおり、その中にはこの基地に関する資料が詰っており、その真ん中に一つだけ置かれている机には何時も山の様な書類が置かれ、その横にただ一つの色添えとして花が何本か日替わりに花瓶に入れられているだけである。
その中で大尉は日々山のように送られてくる資料を整理し、中継基地への補給物資を配分し、商人から取引した嗜好品などから出た支出の計算、少女たちの委託管理など全ての報告書を処理して書きとめる。
大尉の事を只の女好きだと思っている少女たちはこの部屋に来ると必ずと言っていいほどそのギャップに驚き、その仕事ぶりにさらに驚嘆することになる。もっとも女性が彼の執務室に来ると手を止めて口説きに来るので―花瓶に入っている花もそのため―その仕事ぶりを見れることは少ないのだが。
だが今日の大尉は休憩中に吸うはずの煙草を既に五本満喫していた。
理由は今日来る秘書艦志望の少女であった。どうやって静かにお帰りいただくか、それだけが大尉の脳内を巡っており、煙草でも吸わないと職務に集中できない。
そう言いながらも業務はすでに一山は終わらせており、他の提督たちと比べるとずいぶんと速い。
大尉が時計を見ると十時近くを指しており、もうそろそろ例の秘書艦が来るころである。
写真もなくプロフィールには何も記載されていない秘書艦登用願いには上層部の否応なしに自分へ秘書艦を登用させようとする思惑が伝わってくる。せめて、スタイルの良い美人ならいいが、果たして軽巡に多い青い果実達が来たらどうしたものか、熟れてない果実を食べるのは自分の趣味に合わない。
「失礼いたします」
そうしているうちに、ドアから声が聞こえた。どうやら件の秘書艦が来たらしい。
大尉はそのまま「どうぞ」と返事をすると、ドアが開き一人の少女が入ってくる。長身で髪の長い美人である。
「……君が秘書艦願いを?」
だが、大尉の声には少しの困惑が混じっていた。確かに大尉の眼鏡にかなう美人であったが、その少女は朝に来た少佐の秘書艦であったからである。
「いいえ、私はこの子の案内を頼まれただけでして、残念でしたね?」少し口元を緩ませながら、その少女は大尉にウィンクする。
「いいや、今度また付き合ってもらうさ。それで秘書艦殿はどこに?」大尉もウィンクを返しながら、肝心の秘書艦を聞いた。せめて彼女ぐらいに優秀ならば文句も出辛いんだが。
「私のすぐ横にいます。ほら、入ってらっしゃい」
その声に反応して、一つの影が部屋に入ってくる。美しい金髪にルビーのように煌く優美な緋色の瞳、健康的なふともも、海に浮かぶ氷山を思わせる様な佇まいと顔立ちは彼女の冷静さを具現化したようであった。
「冗談だろ?」思わず、大尉は声を出した。呆れと困惑と怒りが混じっている。そこには一つの好意的感情表現も混じってはいなかった。
「いえ、まぎれもなくこの子です。お気持ちはお察ししますが」大尉が何を感じているのか分かる少女は苦笑いをするだけであった。
大尉の反応も無理はなかった。部屋に入ってきた少女は紛れもなく少女を下回った幼子であったからだ。真の意味で少女である。
戦艦少女たちは時に幼い姿で生まれてくることがある、駆逐艦に多く見られるそれは一般的に未成熟体と呼ばれ、そのほとんどが軍学校で訓練を受けながら育っていく。
未成熟体から育てた方が結果的には優れた戦闘能力を持つことが通説であったが、その分コストは何十倍、何百倍にも膨れ上がるので、実際に未成熟体を意図的に作り上げて育てていくという方法はロイヤルでも年に数艦しか取られていない。
その上で目の前の未成熟体の少女は戦闘可能な年齢にも達していないように見えた。戦場に出せばすぐに沈んでしまうのではないか。
「駆逐艦か?」
「はい、名前はエルドリッジと言います。ほら、着任の挨拶をなさい」
「…………」
引っ込み思案なのか、エルドリッジと呼ばれた少女は目の前の提督を値踏みするようにじっくりとみると、何を思ったのか大尉に向かって手招きした。
「……?」
「こらエルドリッジ、何をしているのです」
困惑するのは大人二人であり、ずっと手招きをしてくるので仕方なく大尉が席を立ってエルドリッジの方へを近づいていく。
「————とぅ」その時であった。大尉が近づいたと見るやエルドリッジの頭から飛び出している一房の髪の毛―一般的にアホ毛という―が提督の方を指し、エルドリッジは素早く駆け寄って提督の懐へとダイブをした。まるで魚雷である。
「うぐふぅ!」
ボディーに強烈な一発を食らった大尉は思わずそのまま体をくの字に曲げた。そのまま倒れ込まなかったのは、流石と言うべきであるが、胃液が出そうになるのを必死で抑えなければならなかった。
「司令官、エルドリッジ、着任した」その声は顔の期待に裏切らず静かで美しい声であった。
「こら、エルドリッジ! そんな着任挨拶がありますか!」
慌てた少佐の秘書艦がエルドリッジを大尉から引き離そうとするが、エルドリッジはそのまま提督の体に引っ付いたまま離れない。そのまま秘書艦も引っ張るのでいつ間にかエルドリッジは渓谷にかかった橋のように宙ぶらりんになってしまう。
「こら、手を離しなさい!」
「や」
「や、じゃなくて!」
「おいおい、今離したら二人ともあぶないぞ」大尉はため息をつきながら大人の対応で二人を落ち着かせようとするが、吐き気のせいであまり声が出せない。
「いいから離しなさい、エルドリッジ!」
「や!」
強めの口調が彼女を驚かせたのか、エルドリッジが目を閉じて少しばかり大きな声を上げたとたん、彼女の身に不思議なことが起こった。
アホ毛が意志を持っているかのようにうねうねと動き出した後、飛びださんばかりに天井を指すとそこから火花が走り、一瞬彼女の姿が青白い光に包まれると、それが電流となって放出された。
「うぐぐぐぐっ!」
「きゃああああああ!?」
それはまるで稲妻だった。
無論それは激しいショックとなって二人に襲いかかり、頭の隅からつま先天辺まで電流が走り思わず秘書艦は手を離してしまう。
「は、はららららら……はっ、た、大尉!」あまりの衝撃に舌までしびれたが、すぐに目の前の光景を見て我を取り戻す、エルドリッジが掴んでいる提督にはまだ電流が流れたままであった。大尉の体には青い稲妻が走り、煙が出ているようにも見える。
「う、ぐぐぐっ、え、エルドリッジ!」電気ショックに、固まった体を何とか動かし、エルドリッジに顔を上げさせた。このままでは本当に電気ショックで死にかける羽目になる。こんな時だからだろうか、エルドリッジの緋色の瞳が宝石の様に美しい。
「……あ」
エルドリッジの目が大尉の瞳を捉えると、彼女も何が起こったのか察したのかエルドリッジを覆った電気は消えたようであった。アホ毛もそのままだらんと力を無くした様に垂れ下がり、大尉だけがショックの余韻で震えるのみになる。
「……ごめんなさい」少し申し訳なさそうにエルドリッジが謝ると、アホ毛もまた謝る様に上下に動いた。どうやら怒られると思っているらしい。
「……次からは」だが大尉の顔には怒りの顔は無かった。どちらかと言うとエルドリッジを心配しているような顔である「……気を付ける様に」
そう言って大尉は床に倒れ込むと、そのまま遠のいていく意識に身を委ねてそのまま目を閉じた。遠くで大佐の秘書艦が慌てて叫ぶ声が聞こえ、いろいろと問いただしたくなるが今はそんな余裕もない。
おそらく目覚めるのは次の朝だろう、明日から大変なことになる。大尉はいっそこのまま起きませんように儚い願いをこめながら意識を手放した。
これが大尉とエルドリッジのファーストコンタクトであり、同時にワーストコンタクトでもあった。
2に続く。
新しい提督とエルドリッジのお話。
始めなので、短いです。
45の人たちに感謝をこめて。