『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第九部「ジェネシス」   作:城元太

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第百七話

 精神的には健常な、視覚を完全喪失した者のみを苦しめる〈シャルル・ボネ症候群〉と呼ばれる症状がある。当事者は、視覚を取り戻したかのような色鮮やかで複雑な光景を認識する。しかし精神が健常であるが故に、幻視症状が現れた者は自分自身の情緒不安を疑い、他者に語ることをしない為顕在化し難い。発症者は幻視を告白できず、孤独のまま苛まれ続けるのである。

 

 桔梗は幻を観ていた。

 鮮烈な赤い炎に黒い怪竜が浮かび上がる。翼端に装備された回転する鋸刃が放たれ、何処ともなく飛来した隕石群を次々と破壊し雄叫びを挙げる。

 怪竜の背後には、宇宙に青く輝く惑星Ziの姿。

(惑星を守っている?)

 紅玉の風防に覆われた怪竜の双眸が、虚無の空間に漂う桔梗に向けられた。

 小次郎の顔と、それと似ても似つかぬ怪竜の貌とが重なる。いつの間に裸身となった桔梗が虚無の空間に拡がり、恋い焦がれる愛しい者のように怪竜に寄り添う。

(これほど意識がはっきりとしているのに。自分は白昼夢を観ている)

 桔梗が〈シャルル・ボネ症候群〉の名と症状を知る由もないが、光を失った瞳孔で繰り広げられる壮大なページェントに息を呑んでいた。

(これほど明瞭な幻を見るのは、間もなく命が尽きるからなのかもしれない)

 その時、鋭敏な聴覚は回廊に響く足音を捉えた。小次郎の足音であった。

「……四郎、四郎は居らぬか」

 慌ただしい様子と四郎将平を呼ぶ声から、恐らくはタブレットの事と察せられた。四郎は偶然、桔梗の間に近い場所にいたらしく、程なくして応じる声がした。

「なにもそこまで慌てずとも。身体を休めておられる孝子様にもご迷惑です」

「そうであった。すまぬ、孝子……桔梗よ、目覚めさせてしまったか」

 声を潜め、弟の諫言にきまり悪く口篭もる。御簾で隔てられた奥、床に臥せた桔梗の応えはない。小次郎の安堵の溜息が聞こえ、それでも忙し気な口調で四郎に問いかける。

「純友殿より〝猟師暗号〟とやらが届いているのだが、操作がさっぱりわからん」

 御簾の奥、坂東の覇者として名を馳せる平将門が時折見せる人間らしさに、臥せったままの桔梗は思わず顔を綻ばせる。自分の弱さを曝け出せることこそが、多くの人々を魅了するのかもしれないのだと。しかし次に小声で感嘆したのは四郎であった。

「海賊戦艦アーカディア號が発進したとの報せです」

「遂に――」

 思わず声を挙げ、慌てて小次郎は声を潜める。

「――遂に完成したか。場所は何処だ、日振島か」

「いいえ、曳航し上陸した摂津国にて誕生し、飛翔を試みるとのこと。送信した時点では摂津須岐駅でソラの追捕海賊使と交戦中ともあります――状況が整い次第、孰れ坂東にも来訪するとも」

 会話が途切れた。無言の間合いから、小次郎の思案する姿が思い浮かぶ。桔梗は、今し方まで見えていた幻視世界の怪竜が、海賊純友が生長させたアーカディアであったと悟った。

「あの時空也上人様は『純友殿はアーミラリア・ブルボーザを完成させ、天空より飛来する災厄を迎え撃つ』と仰いました。ですがこれでは本気でソラに叛逆を企てていると思えます。純友殿は一体何をお考えなのでしょう」

「俺にも純友殿の考えはわからぬ。だが、あの方にはあの方の信じるものが在る。この惑星を守るのと同じくらい、守るべき己の誇りがあるのだろう」

 小次郎の答えは清々しく単純であった。

「仰る意味が判りません」

「お前のように学問に優れた者には、到底納得できぬことかもしれぬ。四郎よ、海賊とは、武士(もののふ)とはそんなものなのだ」

 小次郎が呵々大笑した。

「アーカディアにせよディグにせよ、巨大なゾイドとやらを早く目にしてみたいものだ。秀郷のディグには間もなく遭遇するだろう。なればアーカディアが坂東に飛来するのが楽しみだ」

 笑いながら去る小次郎の後を四郎が追う。

「お待ちください兄上、せめてタブレットの操作法を今一度学んでください……」

 一時加速した流れが停止したような、穏やかな時間を桔梗は感じていた。

 突如背中に激痛が奔る。声を殺し、身体を丸めて痛みを抑え込もうと試みた。

(脊髄にまで転移している。大丈夫、じきに痛感も失うはず)

 床の上、呻きながら無様に煩悶する己を認め、刻一刻と迫る最期の時を思う。

(今の私が死んだら、兄秀郷は必ず新たな私を生み出し小次郎様に戦いを挑ませる。だから死ねない。少しでも長く生きて、新たな私の再生を阻むんだ。

 記憶全てを消し去れればいいのに。私が無数に蓄積した闘いの記録を消去し、私が存在したことも全てを無かったことはできないのでしょうか)

 無言で床の上をのたうち回る桔梗の視界には、明瞭に黒い怪竜アーカディアが映っていた。

 

 宙征く餓狼は獲物を求め、剥き出しの牙の如き銃身を鈍く輝かす。エアウルフの両脇に装備された機関砲が火を噴き、腹部より迫り出した三連衝撃砲が黒鳶色の蝙蝠を薙ぎ払う。黒煙を曳き落下していくザバットと、着弾と同時に爆破四散するザバットが、摂津須岐駅の上空を鮮やかに染め上げていった。

 バインドコンテナを投棄したザバットが、一斉に腹部の誘導弾を狼めがけて撃ち放った。主の元を離れた猟犬は、嬉々として獲物を追い詰めんとする。

 エアウルフより閃光の塊が放たれた。哀れな猟犬は高熱に誘われ、閃光の塊に攪乱され次々と自爆する。狼は無傷のまま、硝煙の奥から不敵な姿を現した。

 数を頼りに車懸りとなり、エアウルフを包囲せんと押し寄せた刹那、衝撃波が蝙蝠の群を襲った。狼の姿が消失する。

〝プラントル・グロワート特異点〟を超え、断熱膨張により円錐状のベイパーコーンが出現、エアウルフが音速を超えたのだ。衝撃波に打たれ、ザバットは失速し急降下する。墜落は免れたものの狼狽する蝙蝠の背後で、再び狼が牙を剝いていた。

 黒い翼竜が過り、ザバット数機を切断する。

〝我らの初陣だ。手出しは無用〟

 翼竜は翼を振り、ハイレートクライムにより直上の天空レドラーに向かう。雲霞の群は既に寡数となり、上空に遊弋する十機の天空レドラーが露わとなった。

〝伊予日振島の海賊衆が副将、藤原三辰。推して参る〟

 空戦性能に於いて上回るストームソーダージェットが相手では、如何に天空レドラーでも分が悪い。忽ち三機が斬り裂かれ、玻璃の翼を散乱させながら落下していく。

 見渡せば、蒼空に浮かぶのはエアウルフとストームソーダージェットのみ。墜落し爆発炎上する黒煙が棚引く地上に、周囲を圧しアーカディアが聳える。

 その地上に、襟と長大な二本の角を持つ構造色の骸骨竜の群が出現していた。後方には、燐光を放つ獣脚類型の骸骨竜が随伴する。

〝船長、バイオゾイド部隊がアーカディアに向かっているぞ。まだ飛び立つことは出来ぬのか〟

「急くな。エアウルフはアクアコングと合流し共にバイオゾイドどもを叩く。ストームソーダージェットはアーカディア上空で対空監視だ」

 純友がアクアコングの操縦席で下令する。

「格納庫の扉を開放しろ。文元、文用(ふみもち)文公(ふみきみ)、上陸せよ」

 摂津の渡し場に鋼鉄の腕が懸けられた。鋼鉄の貌に鋼鉄の身体を持つ海神三体が、飛沫を上げて浮上する。

「相手は流体金属装甲を持つバイオゾイド、確実に葬るには腹部にあるバイオゾイドコアを貫くことだ。アイアンハンマーナックルを打ち込んでも機体は拉げないが、晒したコアをリーオの銛で衝く。バイオトリケラの蛇腹剣に用心しろ。耳と鼻を削がれた同胞の恨み、惟幹と子高にはしっかりと償ってもらう」

 開き切らないアーカディアの格納庫より、純友の操るアクアコングが飛び降りると、索敵を続けていた文元達三機のアクアコングと合流する。眼前に展開するのはバイオトリケラの群れ。立ち止まった純友のアクアコングが激しくドラミングを行った。

「これが地上で暴れる最後となろう。貴様らには思う存分海賊衆の脅威を味わわせてやる」

 四機のアクアコングの直上に舞い降りるエアウルフ。アーカディアを背後にした海賊衆の精鋭ゾイドは、バイオゾイドの大群と対峙していた。

 

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