ダンガンロンパカレイド   作:じゃん@論破

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【タイトルの元ネタ】
『名前のない怪物』(EGOIST/2012年)


幕間5
名前のない英雄


 取るに足らない妄想に耽ることは、誰にでもあるだろう。たとえば、退屈な授業を聞き流しつつ持て余した時間を浪費するとき。人は現実離れしたことを妄想するとき、無意識の内に自分の願望を反映させるものである。満たされない自己肯定感を慰めるため、せめて空想の中ではと自分を美化し、虚栄の悦に浸る。その欲望をぶつけられる対象も様々だ。突如襲来してくる宇宙人。どこからともなく現れるゾンビの群れ。教室に侵入してくる謎のテロリスト。

 それらは得てして空想の中にしか存在しないものである。現実にそんなシチュエーションに遭遇することはあり得ないのだろう。それこそ驚異的な、不運と呼ばれるほどの幸運に恵まれていなければ。


 妄想をしていた。無意味に時間を浪費するよりも、せめて自分の気を慰めようと、あり得ない妄想に耽っていた。結局その妄想にさえ意味がないことには器用に目を瞑り、ただ空虚な悦楽を享受していた。

 自分は飛行機に乗っている。楽しそうに話しながら旅行に向かう家族。忙しそうにキーボードを叩くビジネスマン。到着までのゆったりとした時間を眠って過ごす老夫婦。多くの人の平穏な人生の一部が、そこにはあった。そのとき突如として銃声が響く。座席から立ち上がってあっという間に客席を制圧する覆面姿の男たち。テロリストだ。銃を構えてコックピットまで押し入り、すっかりハイジャックされてしまう。

 そこで自分は隙を見て立ち上がり、近くにいる犯人グループの一人を殴って銃を奪う。それを駆使して襲いかかってくるテロリストたちを次々にいなし、主犯と思われる男を無力化した。そのままコックピットに向かい、気を失った機長の代わりに操縦席に座る。このままでは墜落してしまう飛行機を、必死に操縦桿を握り締めて立て直す。高層ビルすれすれのところを翼が掠め、建物の間を縫うようにして飛行機は空港に向かう。なんとか体勢を立て直した飛行機はゆっくりと滑走路に着陸し、なんとか乗員乗客全員を無傷で解放することに成功する。そして自分はテロリストから多くの命を救った英雄として迎えられる──。


 「はあ・・・」

 

 張り詰めたような静寂ではない。不要な音だけが柔らかな床に吸収されて、楽しげな声や話し声だけが耳を撫でるように聞こえてくる。並んだふかふかのベンチに腰掛けることもなく、併設された少々割高な喫茶店で寛ぐでもなく、トイレ近くの壁にもたれ掛かりながら、雷堂航はため息を吐いた。

 

 「雷堂!」

 「ぅおあっ!?は、はい!?」

 

 背後から襲った声と衝撃に、雷堂は飛び退きながら敬礼して応じた。厳しい訓練の中で身についてしまったこの癖は、同級生たちからしてみればからかって面白がるには格好の的である。

 

 「あーっはっは!気ぃ引き締まってんな雷堂!」

 「なんだ林藤か・・・おどかすなよ」

 「いや悪い悪い。それよかお前、ため息なんか吐いてる場合じゃねーぞ。こっから楽しい修学旅行だろうが」

 「まあ、そりゃァそうなんだけどさ・・・」

 

 雷堂に人なつっこい笑顔を向けるのは、現在の学校に入学して最初に親しくなった友人、林藤千夜(リンドウチヤ)だ。控えめで大人しい性格の雷堂とは反対に、林藤は気さくで明るい性格をしている。なぜ彼らが友人になれているのか不思議に思う同級生も少なくないが、なんとなく彼らは仲が良い。

 パイロット育成コースでの成績は、林藤の方が雷堂よりずっといい。と言うより、雷堂より優秀な生徒はたくさんいる。雷堂は適正検査こそパスしているものの、成績は下位層、よくて平均程度といううだつの上がらない生徒。それが周囲が雷堂に対して抱いている印象だった。その周囲というのも、ごく身近な数人だけだが。

 

 「苦手なんだよな。こういうイベント事っつうのは。盛り上がってねェと空気読めねェと思われるし、盛り上がったら盛り上がったで浮かれてるとか調子乗ってると思われンのもイヤだし」

 「こんな時までネガティブだなお前は!あのな、体力試験とか公開訓練とか実技とかじゃねーんだぞ?これは正真正銘、他の普通の高校にもある、俺たちみたいな高校生にとってのビッグイベントだろうが!」

 「公開訓練と実技はともかく、体力試験をイベントと捉えてるお前はお気楽過ぎねェか?」

 「それくらいじゃねーとキツ過ぎんだろ!いくらパイロット育成コースっつったってよ!おまけに女子0だぞ!?知ってっかお前!?今年パイロット育成コースの女子割合0だぞ!?CAコースは例年並みにいんのによ!」

 「そのCAコースってのが・・・」

 「今回の修学旅行は全校合同だから、一緒に旅行行けるんだぜ〜?女子だぜ女子!しかもウチのCAコースの入試厳しいから、平均以上の保証付き!何も起きないわけがなく・・・だろぉ!?」

 

 周囲の目も憚らず自らの内に渦巻く欲望を言葉に乗せる林藤に、雷堂は呆れつつも周りの目を気にして隅の方に移動させる。自分も同じだと思われたらたまらない。そんな林藤も、普段は気の良い男なのだが、抑圧された環境に身を置いていたせいか、女性関係については歯止めが利かなくなるところがある。はじめはそうでもなかったのだが、ここ最近は特にひどい。

 

 「お前はいいよな雷堂!地味に女子人気あるから!」

 「そんなことねェだろ」

 「あるわ!お前知ってんのか!?女子がこっそり作ってるランキングで何位か!」

 「・・・えっと」

 「8位な!?ぶっちゃけ言うけど成績も大してよかねえ!特に目立つわけでもねえ!そんなお前が顔面だけで8位なんだぞ!?」

 「8位って微妙だし、女子がこっそり作ってるランキングをなんでお前が知ってるんだよ」

 「細けえこと言うなって雷堂。そういうところが8位なんだぜ?」

 「そういう林藤は何位なんだよ」

 「くっ・・・!」

 

 思い返してみて、確かに女子にちらちら見られている心当たりはあった。自意識過剰か、よくない噂でもしているものだと思っていたが、そんなランキングを作っていたのか。と言うよりも、勝手に男子全員が女子の主観で順位付けされていることに対しては何も思わないのだろうか、とさえ思う。だが純粋な興味で尋ねたことで悲しそうな顔をする林藤に、これ以上何も追及できなかった。

 

 「なんかごめんな」

 「謝るんじゃねえよちくしょう!なんだ!モテ野郎の余裕か!」

 「モテねェって。今までそんな浮ついた話もなかったし」

 「そういうヤツに限って、この修学旅行で告白されたりとかするんじゃねえのか?」

 「いや・・・というか、そういうお前は、告白とかしねェのかよ」

 「ん?」

 「お前、その手の話好きだけどさ、いざ自分が告白したとか告白されたとか、お前こそそんな話一回もしたことねェじゃんか」

 「・・・あのな雷堂。お前はモテてっから分かんねえかも知れないけれど、クマセンの方針で不純異性交遊は禁止なんだ。つかクマセンに見つかったら並んで歩いてるだけでスーパー扱きタイムが待ってんだぜ」

 「え、そうなのか?」

 

 きょとん、とした顔でまた林藤に呆れられた。道理で今まで林藤が、運動会や公開訓練のようなイベント事のときには一際へろへろになって帰ってきていると思った。どうやら毎度毎度余計なことをして、クマセンこと日野熊郷武(ヒノクマゴウブ)先生の警戒網に引っかかって扱かれてきていたらしい。女子に気にはされていても、直接絡むことがなかった雷堂にとっては、無縁の話だった。

 

 「でも、修学旅行は特別なんだろ?だったらこのチャンスに告白ぐらいしてみたらいいじゃねェか」

 「いやまあそりゃそうなんだけどさ・・・」

 「フられンのが怖くてできねェのか」

 「できらあ!」

 「へ?」

 「この修学旅行中に告白して彼女作ってやるってんだよ!」

 「いいのかよそんな宣言して。俺はいいけど、お前声デカいからさっきっから周りのみんな聞いてンぞ。これで告白できず仕舞いだったりフられたりしたら、ものすげェことンなるぞ」

 「え!?修学旅行中に告白して彼女を!?」

 「なんなんだよ」

 

 旅行を前にテンションが上がっているのか、林藤は顔の造形が変わるくらい大騒ぎする。一緒にいる雷堂も、林藤と話しているとなんとなく楽しくなってきて、憂鬱に感じていた修学旅行を楽しむ気持ちになってきていた。

 そんな雷堂たちの前を、件のCAコースのグループが通り過ぎる。当たり前だが、空港内に男女の仕切りなど存在しない。年相応の高校生らしくはしゃぐ一群を、パイロット育成コースの男子たちは遠目から眺める。それだけで既に満たされている者さえいる様子だ。

 

 「うおおおいっ!!雷堂!オイ雷堂!見ろよ!CAコースだぜ!」

 「見えてるっつうんだよ、うるせェな・・・」

 「お前あそこにいるの知ってんだろ?CAコースの主席でうちの学校史上最強のマドンナ!雨宮心(アメミヤココロ)だぜ!?もう生で見られるなんてツイてんぜ!」

 「あの人が雨宮先輩か・・・」

 

 女子の一団の中でも一際背が高く、頭頂からつま先まで洗練された品性を感じさせる女子がいた。林藤に名前を呼ばれたことに気付いたのか、雷堂と一瞬目を合わせて微笑み、周りにいる同級生の女子生徒たちとの会話にすぐ戻った。背後で林藤が悶える声が聞こえた。

 

 「はうあっ!?い、いま雨宮先輩、俺のこと見て笑わなかったか!?目が合ったぞ!」

 「いや・・・あ、まあ、そうかもな」

 

 実際に目を合わせたのは自分なのだが、あまりの林藤の喜びように残酷な真実を突きつけることが忍びなくなった雷堂は、適当に合わせることにした。

 

 「あ〜あ、俺も雨宮先輩と付き合えたらなぁ。毎日めちゃくちゃ楽しいぜ。てか告ってOKされた瞬間、嬉しすぎてぶっ倒れるかも知れん」

 「またオーバーな。じゃあお前、今回の修学旅行で告ればいいじゃンか」

 「んな軽いノリみてえに告白できる相手じゃねえんだよ!お前はホント何にも分かってねえな雷堂!恋愛とか興味ねえのか!?」

 「興味ないっていうか、分かんねェよ。誰にも教わったことねェし」

 「そういうところだぞ!」

 

 通り過ぎていったCAコースの一団を男子生徒が見送った。その後すぐにやってきた日野熊先生に、鼻の下が伸びきったまま見つかったパイロット育成コースの面々は、修学旅行後の精神鍛錬スペシャル扱きコースが確定したのだった。

 搭乗手続きを順番に終え、全ての生徒や一般乗客が搭乗し、出発準備が整った。こうしたフライトの準備を実際に目の当たりにすることも、雷堂たちにとっては学習の一環になっている。機長がマイクを通して全員に挨拶し、客室乗務員が洗練された仕草でフライトの注意事項の説明をする。隣に座る林藤が説明中の女性客室乗務員にデレデレしているところを見て、雷堂は呆れるばかりだった。数列前の席には、件の雨宮のお団子頭が覗く。

 

 「ん?」

 

 ふと、雷堂は頭上に目をやる。なんてことはない、ただの棚の底が見えるだけだ。何か音がしたような気がするのだが、重ねた荷物が崩れでもしたのだろうか。

 

 「なんだよ雷堂。今更離陸が怖えのか?」

 「いや・・・うあっ!?」

 

 後に言葉を続けようとする雷堂だったが、それは座席の揺れに阻まれた。下から突き上げるような急な衝撃、後ろのシートの客に席を蹴られたのだった。反射的に後部座席を見る。

 

 「すみません」

 「あっ、いや・・・どうも」

 「なんでお前が萎縮してんだよ」

 「うるさいな、いいだろ別に」

 

 大きなダウンコートを着た男性が、短くそう言った。ただならぬ雰囲気を感じた雷堂は恐縮してしまうが、気にせず椅子に座り直した。間もなく飛行機は動き始め、離陸のために滑走路に動き出した。

 大きく機体を回転させ、乗客達の高揚感もピークに達する。回転数を上げるエンジンが甲高い唸りをあげ、付随する震動に期待も高まる。背中がシートにへばりつきそうになる急加速をしたかと思うと、車輪が地面を離れ飛行機全体が上昇するのを全身で感じ取れた。多少の揺れとそれに続く浮遊感で小さく悲鳴が上がることはあったが、パイロット育成コースの面々は慣れたもので落ち着いていた。何より、女子の前で悲鳴などみっともなくてあげられるわけがなかった。

 

 「っかあ〜!この感じがたまんねえんだよなあ・・・」

 「変態かよ」

 「たった今俺たちは日本の大地を離れて、遠く離れた西の国へ旅立つのであった・・・!果たしてそこで待ち受けているものとは・・・!って感じじゃんか!」

 「俺はそんな風に、自分を物語の主人公に据えたような妄想はしねェんだ」

 「ロマンがねえなお前は!」

 

 ある程度揺れが収まってきて、ベルト着用サインが消える。前座席の後ろについているモニターをいじって、今日の航路や到着時刻を確認する。今朝のニュース番組の録画なんかも見られた。長距離のフライトであるため、早めに機内食が提供される。メニューはハンバーグプレートだ。

 

 「俺ちょっと先にトイレ行ってくるわ」

 「行儀悪いヤツだな・・・」

 

 林藤が席を立つ。雷堂に避けてもらって、通路の後ろにあるはずのトイレに向かおうとした。そのとき、何気なくさっき雷堂の椅子を蹴った男性を一瞥する。そして、たまらずもう一度見た。

 大事そうに抱えて、上の棚にさえ載せないキャリーケースの口は開いていた。そこから男が今まさに取り出したものを見て、林藤の思考が止まる。それを理解するまでの一瞬だけで、もう遅かった。

 

 「・・・はあっ!?」

 「行くぞ!」

 

 男は、何の問題もないとばかりにヘッドセットで誰かに連絡をとる。林藤は何が起きたか分からず、ただ目の前に突きつけられた重厚感に恐怖して、指一本動かせなかった。

 

 「大人しくしてろ」

 「なっ・・・なっ・・・!?」

 「おいコラア!!よく聞けテメエら!!大人しくしろ!!」

 

 唐突に聞こえた背後からの脅迫の声につられるように、飛行機の前方、中央、後方のそれぞれで男と似た格好をした男女が立ち上がった。それぞれ手には似たような長く黒い物体を握り、周囲を警戒しつつもその先端を向けて牽制していた。

 

 「この飛行機が向かうのは楽しい楽しい修学旅行なんかじゃねえ!!どこに行くかはテメエらの態度次第だ!いますぐあの世に行きてえってヤツだけは俺が連れてってやってもいいぜ!!」

 「なに・・・!?」

 

 いち早く状況を理解したのは日野熊先生だった。しかしそのとき既に男達のグループは機内全体を制圧しており、生徒達の悲鳴や一般客の騒ぐ声が機内を満たしていた。飛び立って間もなく、まだ日本の領空から出ていないにもかかわらず、雷堂たちの乗る飛行機は、完全にハイジャックされてしまった。

 

 「う、う、うそだろ・・・!?おい・・・!」

 「しゃべるんじゃねえ」

 「林藤・・・!」

 「テメエも動くな」

 「うっ・・・!」

 

 立ち上がろうとした雷堂は、突きつけられた冷たい銃口を目の前に、席に戻らざるを得なかった。男は林藤の首に腕を回して完全にホールドしていた。林藤の必死の抵抗は意味をなさず、こめかみに宛がわれた銃でいつでもその命を奪えることを理解して青ざめた。

 

 「ら、雷堂・・・!たすけて・・・!」

 「来い!」

 「・・・!」

 「あ、雨宮さん!!」

 「いや!!いやあああっ!!」

 「来るんだよ!!ぶっ殺すぞ(あま)ァ!!」

 

 前の席から聞こえてきた声で、他にも人質が取られていることに気付いた。見るからに荒っぽい大男が席から引きはがしたのは、地上で全員の視線を浴びていた雨宮だった。無理矢理立たされた雨宮は激しく抵抗するが、顎に拳銃をあてられてすぐに大人しくなる。

 

 「降りてこい」

 「はい!」

 「えっ!?ええっ!?」

 

 男が頭上の棚に向かって声をかけると、ハイジャック犯たちが座っていた座席上の棚から、雷堂たちより少し若い子供たちが出てきた。手には主犯格の男たちが持つものより小さいが、殺傷能力は十分であろう拳銃を持っている。主犯グループの目が行き届かないトイレや後方座席にも、隈無くその脅威が張り巡らされた。

 

 「よぉ先生。このガキどもぶっ殺されたくなきゃ、操縦室行って機長共連れて来い。この飛行機の操縦権はオレたちに譲ってもらおう」

 「や、やめろこんなこと・・・!子供たちを離してくれ。せめて私が人質に・・・!」

 「誰がテメエみてえなガテン系人質にするかよ。いいから行ってこい!」

 「先生ぇ・・・!助けて・・・!!」

 「くっ・・・!」

 

 どうやらこのハイジャック犯たちはかなり結束が固いグループのようだ。リーダーと思しき男は林藤に銃を宛がったまま日野熊先生を脅迫する。その間、周りにいる少し背の低い仲間や女性の仲間は、客席と日野熊先生に銃口を向け続けている。離陸した時点で、既にこの飛行機はハイジャック犯たちの手中にあったのだ。

 

 「下手なことすんなよ。ひとりぐらい消えたところで、誰も分かりゃしねえんだからな」

 「ひいっ!」

 「・・・」

 

 銃口で林藤の頭を小突いて日野熊先生を牽制する。もはや選択の余地がない日野熊先生は、悔しげに拳を握ったまま立ち上がり、操縦室へ向かった。その間にも子供のメンバーが、常に背中に銃を付けていた。


 突然の出来事に機内が騒然としても、操縦桿を握る手が機長からハイジャック犯に変わっても、飛行機は変わらず飛び続ける。目的地は日本から遠く離れた異国の地。管制塔への連絡は問題なく続き、未だ地上はこの事件が起きたことさえ気付いていない。水面下ならぬ雲外で起きるこの事件の中で、雷堂は今はまだ、ただの一介の人質に過ぎなかった。

 

 「あー、乗客ども。たった今、この飛行機は俺たちがジャックした。大人しくしてりゃ、すぐ命を奪うことはしないでおいてやる。全てが俺たちの思い通りに進めば、飛行機を降りるまでの命は保証してやる」

 

 機長が使っていた放送機器で、ハイジャック犯の主犯から乗客全員にアナウンスがあった。物騒な装備で脅してはいるが、むやみに命を奪うようなことをするつもりはないらしい。それでも数百人の乗客が人質になっていることは変わらない。常に見張られていては反撃のチャンスをうかがうこともままならない。

 

 「・・・」

 

 いつまで続くか分からない膠着。目的不明なまま指先1つで命を奪われかねない暴力。迂闊な身じろぎ1つで、不用意な発言1つで、誰かの命が消えてもおかしくない緊張感のせいで、空の旅はとても長く感じる。連れ去られた林藤をどうすれば助けられるのか、この状況を打破するにはどうすればいいのか。雷堂は必死で考えていた。自分一人で解決できるわけないことなど、雷堂自身が一番よく分かっているのに。

 どれほど時間が経ったか分からない。だが張り詰めた空気の中で、雷堂に小銃を向ける子供のグループメンバーは、じっと雷堂の前にある機内食を見ていた。その腹が、唐突にぐうと鳴る。

 

 「?」

 「・・・それ、くれない?」

 

 銃を指代わりに、少年は機内食のハンバーグを指した。まさかこの状況で食べるわけにもいかないし、勝手にとることもできるのにもかかわらず断りを入れる律儀さが妙に思って、雷堂はきょとんとしていた。

 

 「ど、どうぞ・・・」

 

 それを聞くが早いか、少年は手袋を口で外してズボンで汗を拭き、ソースに浸っているハンバーグを手づかみで食べ始めた。パンはともかくレタスやトマトのような野菜も、指で摘まんでどんどん食べて行く。大して質の良い素材を使っているわけではないはずだが、少年は手が止まらないといった様子で腹に収めていった。

 

 「ふぅ」

 「そんなに腹減ってたのか」

 「う、うん。ずっと音楽ケースの中にいたから・・・」

 「音楽ケース・・・」

 

 やけに重たそうな荷物を持っている人が多いと思ったら、その中には子供のメンバーが隠れていたのだ。これだけの数を一気に密航させてしまうセキュリティの甘さにも不安になるが、どうやらこの子供たちも大変な思いをしてここまで来たらしい。ひとしきり機内食にありついた子供は銃を持ち直すが、銃口は窓の外を向いている。

 

 「・・・な、なあ。お前たち、何が目的なんだ?なんでこんな普通の旅客機をハイジャックして・・・行き先も変えてないみたいだし」

 「行き先はきみたちと同じだ。ぼくたちはあの国の反政府ゲリラだから。この飛行機ででっかいテロを起こして、頭でっかちで何にも知らない政府のヤツらに、ぼくたちの怒りを、悔しさを思い知らせてやるんだ。ぼくたちが、変えてやるんだ!」

 「テ、テロって・・・それじゃあ俺らってどうなるんだよ・・・?」

 「・・・できれば誰も殺したくない。テロって言ったって、人を殺すのは教えに反するから」

 

 教え、というのはおそらく、宗教における教典のことだろう。殺生を禁止する信仰に身を置いているにもかかわらず銃を構えるのは、大いに矛盾しているような気もするのだが。

 

 「だったらなんでこんなこと・・・テロ以外にやり方があるんじゃないのか?」

 「・・・時間がないんだ。真っ当なやり方は時間がかかる。それじゃあ遅い、ダメなんだ」

 「遅いったって・・・」

 「時間だけじゃない。カネも、人も、ぼくたちには足りなさすぎる」

 

 わざわざ日本にやってきて、これだけの人数で、銃もチケットも用意して、カネがないというのもおかしな話だと思った。だが、そのチケットだって正規のルートで購入したとも限らないし、よく考えたらいま客席を牽制している子供たちは、楽器箱や衣装ケースに隠れていた密航者だ。どうやって保安上の検査を突破したのか分からないが、少なくともこれだけのことをする覚悟と強い意志があるということは、雷堂にも理解できた。

 

 「きみたちみたいな、豊かな国の子供には分からないだろうさ」

 「そりゃ分からないけど・・・こんな手段じゃなんにも解決しないだろ・・・」

 「そうだね。きみの言う通りだ。でも、ぼくたちはそれでもいい」

 「・・・ど、どういうことだ?」

 「暴力で解決するなんて思ってない。この飛行機が乗っ取られたくらいで、一国の制度が大きく変わるなんて、はじめから考えてない。それでも、ぼくたちがこうすれば、世界はぼくたちに目を向けてくれるようになる。あの国の暗い部分を全世界に知ってもらえる。そうすれば・・・ぼくたちは無理でも、ぼくたちの弟や妹、子供や孫・・・その先のみんなの暮らしが良くなるはずなんだ。だからぼくたちは、命をかけられる」

 

 綺麗事だ。机上の空論だ。そう唾棄することは、雷堂にはできなかった。その少年の目は、本気でそんな未来を信じていたからだ。まだ生まれてきていない、未来に存在しているかも不確かな世代のために、命すら危険にさらす覚悟を持つこの少年の気持ちは、やはり雷堂には到底理解できなかった。

 

 「だからって、きみたちの思い出をこんな形でじゃましたことは、悪いと思ってる」

 「・・・そんな風に言われたら、俺はどうすりゃいいか分かンねェよ。少なくともこの状況はイヤだし、やってることは犯罪なんだけども・・・なんか、全部が悪いかって言われると違う気もしてくる・・・。気持ちは分かるって感じだ」

 「ありがとう」

 

 話の流れからか、退屈しのぎのつもりだったのか、銃を構えた健気な少年の身の上話を聞いていると、雷堂は徐々にハイジャックされているという実感が薄らいできていた。異常事態であるにもかかわらず、空気が張り詰めていた機内は緩やかにほどかれてきていた。

 どれほどの時間が過ぎたか、もうじき目的地国の領空に入ろうかというころ。突如としてその平静は破られた。

 

 「んっ・・・!?」

 「うっ!?おあああっ!!?」

 

 遥か上空では、機体以外に音を出すものなど存在し得ない。だが、雷堂は明らかな異常音を聞いた。その正体に辿り着くよりも先に、その影響は飛行機全体に表れた。座席から飛び出しそうなほどの衝撃と同時に襲い来る浮遊感。体勢を立て直そうとする暇さえ与えない揺れの連続。機体は左翼側に大きく傾き、銃を構えていた子供たちはバランスを崩して床に倒れたり座席にころげる。

 

 「なんだあっ!?」

 「これは・・・!!」

 

 雷堂の隣にいた少年も、雷堂に覆い被さるように倒れ込んだ。銃が暴発しないかと雷堂は肝を冷やす。一方で少年は、窓の外に見た景色で、その衝撃の正体を知る。そして何かに突き動かされるように起き上がった。

 

 「いけない・・・!!」

 「えっ!?あ・・・おい!どこ行くんだよ!?おい!」

 

 機体の前方に向かって駆け出した少年に、雷堂は戸惑う。追いかけようかとも思うが、そもそも犯罪グループと人質という立場。多少の言葉を交わしたと言えど、手助けする理由などどこにもない。それでも、気付いたとき雷堂は既に席を立って走り出していた。突然の揺れで周りにいた他の子供たちも無力化しており、その雷堂を止める者は誰もいなかった。


 「うわあああっ!!」

 

 飛行機全体を襲った突然の衝撃は、犯罪グループが占拠していたコックピットにも影響を与えていた。バランスを崩した犯罪グループの隙をつき、人質にとられていた林藤は体当たりをかました。2人いた主犯格のうち1人はその勢いにおされて頭を打ち気を失った。

 

 「何この揺れ・・・!?ちょ、ちょっとキミ・・・!!」

 「今のうちに逃げてください雨宮先輩!」

 「ぐっ!?こ、このガキ・・・!」

 「おぅら!!」

 「ごあっ!」

 

 起き上がろうとするもう1人の男に決死の頭突きを食らわせて、林藤と雨宮はコックピットを制圧した。しかし腕を縛られていてそこから上手く立ち上がれない。

 

 「キ、キミ・・・すごいね」

 「はあ・・・!はあ・・・!こ、こんくらい、なんとも・・・!ねえっすよ!」

 「キミ、パイロットコースだよね?この揺れ・・・どうなってるか分からない・・・!?」

 「いや・・・不時着の訓練くらいならしてるけど、そこまでは・・・!」

 「うわ!?えっ・・・き、きみたち・・・!?」

 「ぎゃあっ!?」

 

 息も絶え絶えになっている林藤だが、必死に雨宮の前では取り繕う。そこに、焦った様子の少年が駆け込んでくる。気絶した仲間二人を見て驚くが、今はそれどころではないとすぐに操縦席に座る。後からやって来た雷堂も同様に驚くが、少年と違い林藤と雨宮の方に駆け寄る。

 

 「り、林藤・・・!大丈夫か!?」

 「らいどおおおおおっ!!!たす、たたたっす!!おまえおまえたすかっしぬがとぉ!!」

 「お、おおうおっ、おちっけって!」

 「二人とも落ち着きなさい・・・!そこのキミ、私とこの子のロープを解いて。すぐに日野熊先生を呼んで来て、なんとか一旦どこかの空港に着陸させてもらわないと・・・!」

 「は、はい!」

 

 雷堂を見るや泣きながらすり寄ってくる林藤に、雷堂もまた焦り出す。ひとり冷静な雨宮の指示に従い、雷堂は2人を解放する。しかし件の日野熊先生は、先程の揺れで犯罪グループ同様気を失ってしまっていた。林藤と雨宮はそんなことも知らず、慌ててコックピットから客席に戻る。雷堂はコックピットに残り、倒れている犯人から銃や武器の類を取り上げた。また、林藤と雨宮を縛っていたロープで犯人を縛る。

 

 「ふぅ・・・お、おい。この揺れはなんなんだ!お前たち何したんだ!」

 「ぼくたちのせいじゃない!バードストライクだ!」

 「バ、バードストライク・・・?こんなときにか・・・!?」

 

 エンジンから噴き出していた煙の正体を知り、雷堂は吐き気を覚えた。バードストライク──巨大なタービンエンジンに渡り鳥などが吸い込まれ、回転の妨げになったり故障を引き起こす現象のことだ。離着陸の前後に高度を下げたところに、渡り鳥の群れがぶつかって起きたりすることがある。目的地が近付いて徐々に高度を落としていたために、ぶつかってしまったのだろう。

 

 「つかまって!このままじゃ街中に墜落する!」

 「は!?ど、どうすンだよ!?」

 「不時着しかない!」

 「お前、操縦できンのか!?」

 「やったことはないけど・・・勉強はしてきたんだ!なんとか体勢を立て直す!ここからだと・・・コナミ川しかないか・・・!」

 

 少年は目の前に広がる機械をいじりながら、サングラスをかけて操縦桿を握る。少年が姿勢をあげれば飛行機は上向きになり、横に倒れればその方向に傾く。ふらつきながら空中を進む飛行機の中は、それまでなんとか体勢を保っていた雷堂やその他の乗客も立てなくなるほど激しい揺れに襲われていた。激しく揺れる飛行機の中で、雷堂はなんとか這い回りながら操縦席の横まで来る。

 

 「お、おいおい・・・!めちゃくちゃ揺れてるじゃねえか!大丈夫なのかよ!?」

 「もう少し・・・!もう少しで大丈夫だから・・・!」

 

 気を抜くと揺れに弾き飛ばされて壁に叩きつけられてしまいそうだ。強烈な浮遊感とGが交互に襲ってきて、吐き気と眩暈に見舞われる。コックピットから見える景色は上下左右に激しく変化し、酔いそうになってくる。耳が痛くなるほど轟々と唸るエンジン音に苛まれながら、少年は必死にバランスを建て直す。

 徐々に飛行機は高度を下げていく。目の前には海と見間違うほどの広い川が見えてきた。飛行機はゆっくり旋回して、川の流れに正対する。それでも飛行機はまだふらつく。バランスを整えながら、ゆっくり高度と速度を下げていく。ひとまずここまでくれば、後は落ち着いて着陸態勢に入るだけだ。

 

 「お、お前すごいな・・・こんなことできるのか・・・!」

 「・・・上手くいってよかったよ。当初の目的とは違うけど・・・みんな助かってよかった」

 

 雷堂はこの状況に既視感を覚えた。夢に見たわけではない。シミュレーターにもなかったこの状況。見たのは、退屈な授業中の妄想だった。テロリストに制圧された機内。コックピットは奪還した。緊急着陸を要する飛行機。後は川に着水さえすれば事態は収まる。自分が、自分の手で、操縦桿を握らなければならない。操縦席に座っているのは、自分でなければならない。雷堂はそばの壁に手をかけ、ハンドルを掴む。

 

 「ここまでくれば、後は・・・!」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ああ。後は・・・俺にやらせてくれ」

 「えっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 操縦席に座る少年に肉迫し胸ぐらを掴む。とっさのことでベルトをしていなかった少年は席から引きずり降ろされる。同時に手をかけたハンドルを回した。緊急脱出用のハッチが開き、冷たい風がコックピット内に吹きすさぶ。

 

 「うあっ!?」

 

 左腕はドアを開く。右腕は少年を引きずる。右手はそのまま、ハッチに向けて開かれた。

 

 「な、なにを・・・!?」

 

 少年はとっさに床につかまる。激しく吹きすさぶ冷気とその圧力で、数秒さえ掴まっていられない。それに気付いた雷堂は、慌てて駆け寄る。

 

 「きみ・・・!たすけ──!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ひとりぐらい消えたところで、誰も分かりゃしねェよな?」

 

 

 

 その手を、つま先で払った。いとも容易く少年の体は引きはがされる。少年は空に舞う。生き物であることが信じられないほど簡単に。その先に待つ大きなエンジンに向かって。吸い込まれていく。少年の体はエンジンに飛び込んでいった。

 ひときわ大きな爆発が起きた。左翼にある2基あるエンジンの両方が異常を来す。雷堂はハッチを閉め、操縦席に座った。大きく息を吐き、操縦桿を握る。訓練通り、シミュレーターで何度も繰り返したように、ゆっくりと高度を下げ、コナミ川へと着水していった。


 その日から、雷堂の生活は一変した。コナミ川から大使館に行くまでの間、野次馬と報道関係者たちにもみくちゃにされ、大使館でも詳しい事情を話すことになった。用意されたホテルでも教師陣や同級生、別のコースに通う生徒からも熱烈な視線を浴び続け、ようやく布団に入ったころには日の出が近かった。

 帰国すれば空港で待ち受けていたカメラのフラッシュに眩暈がし、学校の団体とは別にタクシーで帰宅するも執拗な追跡により家までついて来られ、またしても警察を呼ぶハメになった。そんな日々が繰り返される。

 それからほどなくして、希望ヶ峰学園のスカウトマンを名乗る人物まで現れた。新手の詐欺か何かだろうと思っていたが、数日の後に希望ヶ峰学園から正式に入学通知が届いてひっくり返った。学園に問い合わせまでして事実確認した。卒業するだけで成功が約束されるという学園に入学する権利を得た。その事実がこの上なく嬉しかった。

 そのとき既に、雷堂の頭からあの少年の顔は、すっかり消え失せていた。




明けましておめでとうございます。
一年の始まりは七草粥のようにお腹に優しい幕間から。
初日の出のように大きく温かい心で読んでくださいね。
お年玉のように評価・感想いただきますと獅子舞のように喜び狂います。

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