司令官…なちゅらるに変態っぽい
明石…真面目な工廠の責任者
夕張…不謹慎な工廠の担当者
ぽすぽすぽすぽす。
爪を立てたら傷つけちゃうから…爪を引っ込めたまま、前足の肉球でクズ司令官の足を繰り返し叩く。視線が降りてくると、ダッシュで執務室のドアに向かい、今度はドアをかりかりして振り返る。二、三回繰り返してるのに…ほんっともう、使えないっ! 早くしてったら!! じゃないと…大変な事になるわよ………あたしが。
「んー、もうちょっと待ってくれよ、この書類すぐ終わるからさ、そしたら散歩に行っておいで。ああそうだ、後で妖精さんに頼んでキャットドア付けてもらわないと」
-うがーっ!! 悠長なこと言ってる場合じゃないのよっ。 これは、霞という一人の少女の尊厳の問題なの、分かる?
もう居ても立ってもいられない、とドアの前でくるくる走り回る私。やっとクズ司令官は椅子から立ち上がり、のたのたこっちへ近づいてきた。そうそう、早くドアを開けなさいよ、このクズッ! あたしのこの緊張感に満ちた表情、見て分からないの? …分からなかったんでしょうね。ドアノブに伸びるはずの手は、私を抱きかかえた。前脚の付け根を支える大きな手、お腹を見せながらぶらーんと伸びたあたしの体。あ…衝撃を与えないでよ…。
「よっ…意外と大きいんだよな。子猫ではなさそうだが…そういや、お前って何の種類なんだ?」
-何の種類かって? 朝潮型駆逐艦10番艦、そしてアンタの秘書艦よ。そんなことも忘れちゃったの?…まあ、今は猫だけど。って、てゆうか…あ、や、やだ…また揺らすっ。もう…だめ……我慢の限界……お願い、見な、いでぇ……。
ぷしゃあっ。
「何とっ!! これは慈雨にして甘露っ…まさにゴールド・エクスペリエンス!! 」
-………………恥ずかしさで死ねる。何がゴールド…よ…。死ねっ!! ううぅ~っ。
※これは猫の話です※
もうっ、さっさと降ろせっ、この変態クズッ!! 体を右に左にひねり、とにかく滅茶苦茶に動く。しっぽでぺしぺし叩く。もうあったまきた。引っ掻いてやろうかしら。
「うぉっ、突然暴れ出すな、落っことしちまうだろう。にしてもトイレに行きたかったのか。そこに猫用トイレがあっただろうに」
だからっ…ク…クズ司令官から見える所で、お、おし…用を足すなんて出来る訳ないでしょうっ!! ほんっっっとデリカシーのかけらもないんだからっ!! 知ってる? 猫だって涙目になるんだからねっ? あーもーっ、恥ずかしすぎるっ。
「まぁあれだ、しちゃったものはしょうがない。幸い俺の顔と制服で全部受け止めたから良しとしよう。えっと…ウェットティッシュは…」
-………………………………はい?
「ちゃんと拭かないとだめだろう。ほら、見せてみろ」
※繰り返しますが、これは猫の話です※
「あいててててっ、また噛んだな、お前っ!」
自業自得、いい気味よっ。ぴょんと床に飛び降り、たたたっと
「ごめんなあ、俺、猫なんて飼った事ないからさ。猫は気まぐれって言うけど、もうちょっとお前の考えてる事とか、好き嫌いが分かればいいんだけど、な」
そう言いながら、クズ司令官は優しく、壊れ物を扱うようにあたしの背中を撫で続ける。ま、まあ…やれば少しは出来るじゃない…褒めてあげるわ。あっ、止めちゃダメだって! あたしがよし、って言うまで続けなさいっ。ふあ……何だか、眠くなってきちゃった…かしら…。
目が覚め、段ボール箱の縁に前足を掛けてきょろきょろ部屋を見渡す。…誰もいない、わね。クズ司令官は外出したみたいで、執務室には私しかいなかった。そして、ドアは既に加工されていて、隅っこに小さなキャットドアが作られてるのが分かった。
-♪
頭でくいっと小さな猫用ドアを押し、するりと潜り抜けて部屋の外に出る。はあっ!? トイレよりも大事な用事があるのよっ。
◇
-だいぶん片付いてるわね。さすが妖精さんと明石さん、って所かしら。
クズ司令官は『強行偵察ついでのハラスメント』って言ってたっけ…。アンタの方がよっぽどハラスメントだけどね。壊れた機械の破片、埃で散らかっていた床はすでに綺麗になり、大きな残骸は二、三か所にまとめられてブルーシートが掛けられている。あたしの視線はとある一か所に止まる。同じようにブルーシートで覆われたやや大型の機械。
-改装ドック…はやっぱりダメか。…何でこんなことになっちゃったんだろう…。
ホントだったら今頃は改二乙の改装を済ませていたはずだった。改装後の姿は明石さんから既に聞いていた。白いブラウスとサロペットスカートは一緒、でも赤いリボンが無くなって代わりに白い鉢巻きが追加、左足だけニーソックスになるって言ってたっけ…。
-あ、これって…改二乙っぽい色になってるんだ。
工廠の中は作業時の安全確保のため死角を減らすことを目的に、あちこちに鏡が取り付けられている。その一つに映った自分の姿。基本はグレーだけど、グラデーションがかかったように、顔から背中、お尻に向かって色が濃くなって、ふさふさの尻尾は薄い色。両方の前脚はどちらかというと白っぽくて、右後ろ脚は膝のあたりまで、左後ろ足は太ももの中ほどまで、それぞれ濃いグレー。
角度を変えながら自分の姿をいろいろと眺めてみる。金色の目だけは何も変わらない。ふと、自分の後ろをゆらゆらと影が左右に動いているのに気が付いた。
-何よっ! あのクズこんな所まで私を付けてきたって訳っ!?
ばっと振り返ると誰もいない。そして反対側から伸びてきた手にあたしはつかまり持ち上げられた。
「捕まえたっ! 絶対そのうち来ると思ってました」
声を聞いてそれが誰かすぐに分かったから抵抗はしなかった。
-明石…さん。そっか、てゆーか、あたしの事、分かってるっていうの?
◇
「空襲のあった日に、あたしが言ったのは最悪の可能性として起こり得るものだけど、あんなに落ち込んだ司令官を見てると、ちょっと可哀そうで、別な可能性を必死に考えていたんです」
明石さんを警戒しながらジト目で見つめる。
「あ、安心してください。いくらカッコよくても、私ロリコンはちょっと…。でも純粋に何とかしてあげたいな、ってそう思ったのはほんとです」
掌を前に出して明確に司令官にNGを突きつける明石さん。何であたしはほうっと安堵のため息ついてる訳っ!? 肩を撫で下ろして…って猫だから撫で肩だけど。床にちょこんと座って明石さんを見上げてると、お茶を飲みながら白衣を着た明石さんは語り始めた。
「改装される艦娘は改装を受ける際、ドック内で特殊な溶液に浸かります。あの液体は皮膚から体内に吸収されると、艦娘の分子配列を変化させる…つまり一旦艦娘の体は分子レベルまで分解されるです。だから裸になる必要がある。今はパンツだけは穿いててOKになったんですけど。でも、分解されない唯一の物があります。何か分かりますか、霞ちゃん?」
あたしは無言で首を横に振る。
「こんな事もあろうかと、夕張、いい物を開発しちゃいました~」
話の腰を複雑骨折させ、ドヤ顔、それ以上に表現できない表情で鼻息も荒く、夕張さんが大ぶりの板とその付属品みたいのを持って唐突に生えてきた。夕張さんは基本的にスレンダーな体型をしている。羨ましい細い腰回りに羨ましくない控えめな胸。スリムなお腹をアピールするみたいに、へそ出し半袖の黒いセーラー服に緑のミニスカ…を覆い隠す長く尖がったフードのついた黒いマントを着込んでいる。…まるで魔女みたい。
「ハロウィンも近いですからね、雰囲気づくりです。霞ちゃんは猫のコス…にしては本格的過ぎますけどね」
-そうそう、コスプレじゃないの、よ…って、夕張さんも知ってる訳っ?
「そんな事よりも、霞ちゃんの心で実験しましょうよ、ね?」
…今本音が漏れてたようだけど? 技術者って人の話聞かないのよね…。私に話しかけてるはずなのに私に目もくれず、目の前でいろいろ準備してる。伸びたケーブルがプロジェクターにつながった四角い板と、ワイヤレスマウスみたいなやつ。スクリーンに投影された盤面、左上には戦艦棲姫、右下には空母ヲ級の顔が描かれ、真ん中にはひらがなが書かれている。
「これは最新鋭のウィジャボード、はっきり言って自信作ですっ」
何となく、嫌な予感がする。けれど、一応人の話は最後まで聞こう。
「霞ちゃんは、私達の言葉が理解できる。でも、霞ちゃんが喋るのは猫の言葉。そこでこのウィジャボードを使います。霞ちゃんは、そのワイヤレスマウスを動かして文字を選びます。そうすると、ほら―――」
夕張さんが試しに動かす。入力したい文字にマウスを動かしクリック、そうすると画面の下の方にその文字が表示される。こ、これは凄いっ! これがあれば会話できるじゃないっ。あたしは面白くなってワイヤレスマウスを前足でちょいちょい動かして遊び始めた。明石さんは怪訝な表情を見せていたけど、気を取り直したように、私に話しかける。
「さっきの話の続きですけど、改装で分解されない唯一の物は、魂です。これまで培った記憶や思い出を基に、その上で改装後の自分の姿を強くイメージすることで、体は新たな姿として再構成されます。…つまり、あたしが何を言いたいか…霞ちゃん、改装の時何を考えてました?」
あたしは小首を傾げ、尻尾をふりふりしながら思い返す。あの時、改装ドックの中で何を考えていたのかを。そして俯くとぷるぷる肩を震わせる。
『言える訳がない。明石さんにリラックスしろと言われて考えたのは、クズ司令の…いやらしい顔。改装中に始まった空襲、その時はアイツが無事かどうか、一刻も早くアイツの所に駆け付けたい、それだけを考えていた。改装後の艤装のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。つ、つまり…あのクズ司令の事で頭がいっぱいだったなんて…言える訳がないでしょうっ! 』
「なるほどなるほど。いやぁ~霞ちゃん、そんなに司令官の事が好きだったんですね~」
四本の脚を突っ張らせて尻尾もぴーんと立たせ、身体の毛も逆立ててふぎゃーって叫ぶ。嘘でしょ!? な、何で今のあたしが考えてたことがスクリーンに映ってるのよーーーーっ!! てか、何で体が勝手に動いて文字を選んでるのよーーーっ!
「言ったじゃないですか、
さらっとトンデモない事言ってるんですけどっ!? あ…明石さんが巨大なハンマーで叩き割ろうとしてる。うん、やっちゃってっ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。あと一つ、あと一つだけ質問っ。霞ちゃんと猫って、なんか関係あったんですか?」
-…ここまでダダ漏れになっちゃったんだし、今さら隠しても…意味、ないか。
あたしはウィジャボードの上で、前足を使いちょいちょいとマウスを滑らせる。
『猫だったら、あの隙間から外に出て、アイツの所に行ける…そう思った』
必死に外に出ようとしたけれど、壊れた改装ドックの蓋は少ししか開いてくれなくて。もしクズ司令官が怪我でもしてたら、万が一死んじゃったりしたら…とにかく必死だった。
「これで話の整合性が取れます。再構成の途中で、霞ちゃんは霞ちゃんの強い強い願いを叶えられるように、自分で自分を再構成しちゃった、そういう考えるべきですね。とにかく、現状を司令官に報告して、霞ちゃんを元に戻す方法を―――」
明石さんの言葉を遮る様に、もう一度ウィジャボードを操作する。画面に映った文字を見て、明石さんと夕張さんが顔を見合わせる。
『今はアイツに言わないで。お願い…お願いだから…』