──本当に、本当に大好きだから……“今”を変えるのが怖かった。
※pixivの方にも投稿しました。
こんなにガッツリ書いたの久しぶり。
◆◇◆◇◆
何時からだっただろうか?
自分の中で、彼女の存在が大きくなっていったのは──。
何度思い返しても、明確な答えは出てこない。
ただ気がつけば、いつの間にか彼女を目で追いかけるようになっていたこと。そして、ふとした時に彼女が何をしているのか、何を見ているのか、誰といるのか……そんなことばかり考えるようになっていたこと。たった一人の女子にうつつを抜かす、己の体たらくがはっきりとするだけだった。
具体性に欠けた不明瞭な感情の渦。なのに、確かに秘めた“それ”を自覚してからというもの、どうにも胸がざわついて仕方がない。誠実に、堅実に努めようとしても、やはり情は捨てきれないようだ。
──海風──。
愛しくて恋しくて、だから渇望して、けれど満たされることはなくみっともなく求めすがって──あまりの情けなさに何度、反吐が出そうになったことか。
全く持って情けない、なんという体たらくだろう。募った恋慕を伝える勇気もないのに、いたずらに想いだけは強くなっていくのだから。
彼女を想えば想うほど、共に過ごした日々の一幕が鮮明に描き出される。
──提督!
森林を流れる川のせせらぎのような、澄んだ優しい声が届く。
──提督?
生糸のような蒼銀の髪から、甘い果実のような香りが漂ってくる。
──提督……。
意図せず触れ合った手のひらから、ほんのりと身体の火照りが伝わってくる。
提督、提督、提督と──俺を呼ぶ彼女の声が、顔が、仕草が、何もかもが、脳裏に深く焼き付いて色褪せることがない。きっとこれからも、彼女が薄れることはないのだろう。
まるで底なしの沼にはまってしまったかのようだ。
知れば知るほど、時間が経てば経つほどに彼女の魅力に溺れていってしまう。逃さないとばかりに捉えられ、なのにそれが心地良くて藻掻きもせずに沈み込んでいく。そして気がつけば、取り返しのつかないところまでどっぷりと浸かりこんで抜け出せないというのだから、つくづく頭の痛くなる話だ。
──あぁ本当に、頭が痛くて堪らない。
だというのに、彼女は事ある毎に口にするのだ。提督のことを“尊敬している”と、“信じている”と……微笑みながらそう言って敬意を表してくれている。
そこに他意は無く、不純な感情など一切含まれず、ただただなんの屈託もなく心の中をさらけ出すように、それだけが如実に伝わってくる。あるがままの、希望を打ち砕く現実を、否が応にでも突きつけてくる。
結局のところ、彼女と俺の関係は所詮、艦娘と司令官であり部下と上司なのだ。彼女にとって俺は“尊敬する司令官”であって“愛する男性”ではない。忠誠を誓い、共に世に平和をもたらすために戦う同志でしかないのだ。
欲してしまえば、きっと壊れてしまう。
だからこそ、この感情はひた隠そうと心に誓った。
──彼女が慕う俺は、己の感情を押し付けてくるような不誠実な人間ではないから。
──彼女が尊敬する俺は、情事にうつつを抜かす不真面目な男ではないから。
──彼女が信頼する俺は、人々の未来のために戦う立派な指揮官なのだから。
己の劣情を満たすために、彼女が抱いてくれている期待を裏切るわけにはいかない。月明かりのように優しく輝く、彼女の笑顔を鈍らせるわけにはいかない。
彼女の“理想”を壊し、失望されることだけは何としてでも避けなければならない。
そのためならば、俺は──。
◇◆◇◆◇
(──って、心に決めていたはずだったんだがなぁ……)
昨夜にカーテンを閉め忘れてしまい、窓から盛大に朝日が射し込んでくる寝室。容赦のない弾幕を受けて目を覚めた提督は、ベットから身体を起こし、ズッシリと重い頭を疎ましげに抱えて唸っていた。
すこぶる現実から逃げ出したい。提督の脳内では、何度もそれだけが反復して響き渡っていた。爽やかな日射しと反する鬱屈とした気分が、ありありと顔に出てしまっている。
ただそれは別に、朝日が鬱陶しいとか、溜まった仕事を思い出して面倒くさくなったとか、昨日の酒が残っていてダルいとか、無いこともないが大部分はそんなことで参っているわけではない。
では一体何故か? それは至って単純なこと──。
「その……おはよぅ、ごさいます。提督」
「……ああ、うん。おはよう」
──目が覚めると、何も身にまとっていない海風が隣にいたからである。
(……やっちまった)
それだけではない。ベットの横のゴミ箱にはティッシュが溢れ返り、部屋には体液が乾いたすっぱい臭いが充満していた。
これは疑いようもなく、完全に
(何も覚えてねぇし……)
提督は手で顔を覆った。
油断した、なんて生易しいものではなかった。今までの苦労すべてが台無しになる大惨事である。浮かれて気を抜いたばかりに、深い後悔と罪悪感がヒシヒシと胸中を染め上げていく。血の気が引き、顔が青ざめていく感覚がはっきりと伝わってくる。
おまけに自分の状態を鑑みれば、これは間違いなく酒に酔ってした行為。それがより拍車をかける。
「……」
そんな提督の心情を知ってか知らずか、海風は身体に掛けていたタオルケットを持ち上げて赤く染まった顔を隠し、モジモジと身を小さくしながら提督のことを見ていた。何かを言いたげに提督のことを見ていた。
視線を向けられていることに気付いた提督は、幽鬼のようになった顔を上げる。
「どうした?」
「へっ!? あっ、ええっと……ですね……」
視線を向けたり落としたり上げたり逸したりと落ち着きがない。けれど、口だけはどっしりと構えられていて、ゆっくりではあるが迷走することなく言葉が続けられていく。
「提督はその、昨晩のこと……覚えて、いらっしゃいます……か?」
心臓を的確に狙った追撃だった。容赦の欠片もない攻撃が提督を襲う。
これはいけない。守備を固めなければ──。
「……いや。すまない、覚えてないんだ……」
まさかの自爆。提督のライフはレッドゾーンに突入する。
「──そう、ですか……」
「すまない、本当にすまないっ!」
「い、いえ大丈夫です! 酔いも深かったようですし、無理もないことですから……」
とは言うものの落胆が隠しきれない海風。哀しそうに影を浮かべ、顔を落としてしまった。
その表情で遂にライフがゼロを振り切った。
(そうだよなぁ〜……失望するよな当然。酔って手を出して覚えてませんって、そんな無責任なことなかなか無いもんな〜)
最早、乾いた笑みすら浮かべられない。
(どうしてこうなった……?)
鉛のようなため息を吐き出し、提督は働かない頭に鞭打って昨晩の記憶を遡れるところまで遡った。モヤモヤと霧が立ち込める、その前の記憶を思い出していく。
手探りで進んだ先に見えてきたのは昨晩の宴会──西方海域のカスガダマ沖攻略を記念した祝勝会でのこと。多くの資材と労力を費やして開放したため、それはもう盛大に祝い、みんなが飲んでは食ってと有頂天に騒ぎまくっていた覚えがある。
かく言う提督も、この時ばかりはハメを外し、空母や戦艦に混じって料理を貪り、駆逐艦たちと戯れ、飲兵衛艦たちと杯を交わして大いにはしゃぎ回っていた。
(……あの飲兵衛共と同席するとか浮かれすぎだろ、なに考えてたんだ俺は……っ!)
提督の中で確かな記憶として最後に残っているのは、酩酊した隼鷹、千歳、那智に囲まれ、ポーラに勧められたワインを仰いだところまでだった。
飲兵衛たちに勧められるままに舌に転がせた勝利の美酒は、まさに極上の言葉が相応しい一品たちであった。一杯、また一杯と手が止まらなくなったのも頷ける品々。
浮かれていた提督は美酒と勝利の愉悦にどっぷりと酔い痴れてしまったのだ。
(昨日の俺を殴り飛ばしてやりたい……)
調子に乗った罰か、しかし、何もかもが終わった今となっては後悔先に立たずである。
(あああぁぁぁ〜…………どうしよう……)
だが、だからといってこのまま諦めきれるものではない。
新海域の探索中に保護をして早2年。その出会いを経て心に育み続けてきたこの想いを、その相手に嫌われる形で終わらせてしまいたくはない。
(出来ること……今、俺に出来る最善の選択は?)
あれやこれや、いやでも待てや。
けれど考えたところで、どうやっても好転する未来が見えてこない。そもそも最善を尽くそうにも、既に最悪の一手が指されている事態では、やはり何もかもが手遅れで策の施しようが無かった。
(……無理ゲー……)
提督の脳内に、デカデカと“俺氏終了のお知らせ”と垂れ幕が開く。幾多の海域をその手腕と機転で開放に導いた歴戦の司令塔といえども、戦略ではなく感情が絡み合う戦の前ではあまりにも無力だった。
もういっそのこと、海の底で物も言わぬ貝になれたらなと、大海原を思い起こしながらそっと目を閉じた。
今度こそ、ひっそりと海風のことだけを思い続けられたらと、一筋の涙を流して──その時だった。
「あのっ、提督!」
提督があれこれ拗らせている間、ずっと黙っていた海風が突然、声を張り上げた。いきなり大声で呼ばれた提督は面食らい、身体を強張らせる。
「は、はいぃっ!?」
「あっ、すみません! いきなり大声を出してしまって……」
「い、いや、すまない。それは構わないんだが……」
自分を責め立てる言葉が飛んでくるとばかり思っていた提督は、どうやらそういうわけではない空気を察し、一先ず安堵の息を吐いた。
しかし気は抜けない。今一度、心に活を入れなおして海風と目を合わせた。何やら先程までとは違っているようだった。
「その……いろいろ考えて、言うのが少し遅くなってしまいましたが……」
提督が自己嫌悪に陥る前には、海風は提督が何も覚えていないことに落胆を露わにしていた。
しかし今、この少女にその色は無く、むしろ強い決意と覚悟を灯したような勇ましさすら感じられる。提督があーだこーだと考えていたとき、海風もまた、自分の中の何かに悩んでいたのだろう。
そして、海風はそれの答えを出したようだ。
「海風はっ! 提督と肌を重ねたことは、嫌ではありませんでしたっ!」
顔を真っ赤に染めながら海風は叫んだ。
提督の身体から緊張が抜ける。その答えは提督にとって、希望の光となり得るものだった。
「な、なのでっ! あまりご自身を責められないで下さい!」
自責に繋がれた提督の楔を断ち切る、救済の言葉が捧げられた。
もっとも、この続けられた言葉が提督に頭に入ることはなかったのだが。深い海の底に射した一条の光に、提督は縋るように手を伸ばすばかりでそのような余地は残されていなかった。
「──本当に?」
「は、はいっ!」
「本当に……嫌じゃなかったか?」
「本当です! 海風は嘘をつきません!」
力強く断言する。
「確かに、初めはお酒のせいか強引で、抱えられたまま部屋に連れ込まれたときは少し怖かったですけど、でも、やっぱり提督は優しくて、ずっと『好きだ』って言ってくれて、それが嬉しくて、幸せで、それで……」
己の心を詳細にする恥ずかしさから早口で、しかも声が小さくて聞き取り辛いことこの上ない海風の告白。けれどもそれを意に介さず、今度こそ提督は一言一句を聞き漏らさない。
「でも、提督が覚えてらっしゃらないと聞いたとき、胸の奥が痛くなって……悲しくなって、泣きそうで……それが何故なのか分からなくて、考えて……」
熱い、煮え滾った感情がこみ上げてくる。
提督はずっと海風に抱いてきた想いを隠すつもりでいた。それは、彼女が自分に向けてくれる意が“男と女”のものではないと思っていたからだ。
だが、それは大きな勘違いだったようだ。
ただ見えていなかっただけで、彼女自身が昨夜の行為に至るまで自覚を持っていなかったからこそ、“敬愛”という蓋に巧妙に隠されていただけだったのだ。
「そして思い至りました。きっと、きっとこれが──」
どんな言い訳をしても、きっかけは不誠実だ。
不真面目な人間と罵られても仕方ない所業を行った。
信頼も尊敬も理想も、すべてを裏切ったのにも関わらず、なのに
「これが──提督が言ってくれた『好き』と同じ気持ちなのだと」
──とても綺麗に、笑いかけてくれるんだね。
「海風っ!」
「きゃっ!?」
我慢できなかった。
提督は堪らず、海風のことを強く抱きしめた。愛しくて恋しくて、渇いていたものがようやく満たされた心地に瞳を潤わせた。
「……気を遣わせて、ごめん」
「大丈夫です。提督が元気になれば海風も嬉しいです」
声が震えていた。身体も小さく揺れている。
「悲しませて、ごめん」
「大丈夫です。提督のお気持ちは既に知っていましたから」
「乱暴にして、ごめん」
「大丈夫です。提督は優しかったですよ」
「勢い任せでこんなことになって、ごめん」
「それは……そうですね、反省して下さい」
「こんな提督で、ごめん」
「大丈夫です。提督は海風が一番尊敬する提督です」
「それから、それから──」
抱きしめる力が少し強くなる。けれど、海風は嫌な顔一つせず、それを優しく抱きしめ返す。
「俺は──海風が好きだっ」
「はいっ……海風も、提督が好きです」
提督の頬に、一筋の雫が流れ落ちた。
悲しみではない意を収縮させた感情の形。届かぬからと諦めていた幸せを掴んだ、ありったけの歓喜の証明であった。
晴れやかな朝の、美しいドラマ。
方や己の心をひたすらに隠そうとし、方や己の心をきっかけを得るまで気付けなかった。本来なら交わることがなかったはずの2つの想い。それは、両人の本意ではない事件を経て交錯した。
様々な要因が絡み乱れた結果ではあったものの、2人の間には確かな
「……海風」
「はい、海風はここにいます」
陽が影を払い、鳥は祝福を歌う。小さな恋の成就に、世界も彩りを活気付ける。
「海風」
「はい」
しかし今は戦時中、深海棲艦との攻防は激化の一途を辿るばかりだ。護国の要たる艦娘と司令官である2人のこれからが、大きく変わることはないのだろう。
「海風っ!」
「はい、海風です」
ずっと、このままでいたい。
心ではそう願っていても、現実はそれを許してくれない。
「そろそろ時間ですね」
「……ああ、そうだな」
名残惜しそうに身体を離す。時計を見れば、多少の余裕はあるものの朝礼の時間が近づいてきていた。
身体に染み付いた臭いを落とし、身嗜みを整える。自室の提督はともかく、寮まで戻らなければならない海風にとっては、ギリギリ足りるか否かといったところだろう。
「では、海風はそろそろ部屋に帰ります」
「そうだな、ではまた──」
──また後で会おう。
そう口にする前に、海風によって口を塞がれる。
「っ!?」
「──んっ」
目の前いっぱいに広がっていた海風の顔が遠のいていく。
何をされたのか、何が起こっていたのか、正しく理解したからこそ呆気に取られる。
「それではまた、執務室で」
床に散乱した衣類を手早く着込み、海風は恭しく頭を下げる。一礼を終えてなお呆然とする提督に、海風は照れくさそうに微笑んだ。
「美味しい緑茶──期待してて下さいね?」
そう言い残して、彼女は部屋を足早に去っていった。
ガチャリと、扉から開閉の音が鳴る。もうこの部屋に海風はいない。後には一人、未だ夢見心地の提督がベットに座り込んで残されていた。
「……」
そっと、唇に触れる。
きっと行為の最中には何度も何度も重ねられたのだろう
つまり今の、海風によって奪われたソレこそ、記憶に残る初めての口付けであった。
「…………ハハッ」
提督は笑った。自分が抱いていた決意は勘違いも甚だしいものではあったが、正しいものもあったのだと。
底なし沼とは、なかなか妙な例えをしたものだ──提督はまた、自分の中に深く沈んでいった感情にくすぐられ、バタリとベットに倒れた。
「緑茶……楽しみだな」
提督と海風──2人の関係は変わっていない。けれど2人の距離は大きく変わった。
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、腹立たしいこと、これまでより多くの時間と感情を2人は共有していくのだろう。
それは幸多き、されど不幸も多き道であるけれど、いつか振り返ったとき、“幸せだった”と笑い合える時間となるはずだ。
提督は身体を起こし、窓を開け放つ。
柔らかな風に髪を撫でられながら、空を見上げた。
そこに見えたものは優しい陽を射す太陽と、一片の曇りも無いどこまでも澄んだ青空であった。
無理矢理感ハンパないけど、これ以上はどうしようもなかった。