DIGIMON STORY デジモンに成った人間の物語 作:紅卵 由己
それ以外に何も言える事が無い……とりあえずアドコロは最高やなと。
暗い。
さながら眠りから覚めるように目を開いて、そうして視界に入った景色に対して、彼が抱いた第一の感想はそんなものだった。
(……ここは……?)
彼を取り巻く世界にあるのは、夜闇のそれを世界全てに塗りこんだが如き真っ黒の景色。
五感を介して感じられるものは、生きている心地を感じられない寒々しい風と、頭の先から何かに引き寄せられるような落下の感覚のみ。
自分が何故こんな場所にいるのか、ぼんやりと思考をしてみて。
そうして、前後の状況がさっぱり頭に思い浮かばない事に気付く。
何か、忘れている気がする。
何か探さないといけないものがあったような、何かやらないといけないと思った事があったような。
霧がかかったように朦朧とした意識は、正しいと信じられる答えを導き出そうとしない。
眠る前に何を起きていたのか、いやそもそも自分が何をやっていたのか。
(…………)
何も浮かばない。
寒々しい暗闇の中、光源の一つも見えない。
自分以外の誰の声も聞こえない。
誰もいないのだから、この状況を抜け出すためのヒントも何も無い。
延々と続く落下の感覚と寒々しさが織り成す気味の悪さに、どうしようも無い不安ばかりが過ぎる。
自分は死んでしまったのか。
それとも、ただ単に夢を見ているだけなのか。
夢だとして、この何も無い景色はいつになったら終わるのか。
そうして疑問が疑問を生み、やがて寂しさと言える情感が湧き出てきた頃。
ざ
ザ
暗闇の中に、薄っすらと光が灯り始めた。
長々と続いていた落下の感覚が消え、彼は現在の自分がうつ伏せの体勢で倒れている事に気付く。
気だるげに四肢に力を加えて立ち上がろうとするが、思いの他うまく立ち上がれない。
違和感を覚え、ふと首を動かし手から足までなぞるように確認してみると、彼は自分の体が人間のそれでは無くなっている事に気付く。
ああ、そうだったなと思い出すように理解する。
今の彼の体は、人間のそれとは違うものになっている。
脳に宿っているらしいデジモンの力を用いた変換の能力を用いて、狼男のような姿に成っているのだ。
ザザザ!!
ざざざざざっ!!
「――っ?」
頭の中をかき乱すようなノイズがあった。
まるで寝不足か何かのように、鈍い痛みが頭に集中している。
殆ど反射的に目を閉じ、痛みを抑えつけようと獣のものと化した片手を頭に押し付けていると、やがて頭に集中していた痛みは鎮まった。
改めて、彼は自分の体を確認する。
青と白と銀の色を宿した、部分部分が刃物のようになっている毛皮に身を包んだ狼――ガルルモンと呼ばれるデジモンの体を原型とした、さながら人狼と呼んでも差し支えの無い姿。
思うように立ち上がれなかったのも当然だ――人間のそれとは逆の間接を有し、二足歩行には基本的に向いていない構造をしているのだから。
しかし、理解してしまえば話は簡単だ。
二本の足だけではなく、二本の腕も支えとして立ち上がればいい。
二足歩行ではなく、四足歩行の姿勢。
ぎこちなさなどは特に無い慣れた様子でそれに移行すると、人狼は周りの景色を一望する。
月明かりに照らされた、深緑の広がる森の中。
少なくとも、都会の景色の中には存在しない規模の場所だった。
毛皮を伝う夜風が不思議と心地良い。
夢にしては随分と現実染みているが、本当に何がどうなっているのだろう。
そんな風に考えていると、ふとして風が吹くような音が聞こえた。
誰かが呼んでいる、と人狼は判断した。
ただでさえ理解の及ばない状況だったのもあってか、人狼は誰でも構わないから会いたいと思った。
何の躊躇も無く四足で駆け出し、光源の乏しい森林の間を無我夢中に抜けていく。
何処となく慣れた挙動でもってある程度の距離を進んだ先には、円を描くような形で存在する一つの湖があった。
夜を照らす黄金の満月を映し出した、美しい湖面を中心とした景色。
その中には、先客とも呼べるかもしれない一人――いや、一匹の姿が見える。
今の自分の身を包んでいるものと同じ色の毛皮をフードのように被る、人間の五歳児ほどの小柄な背丈をした一本角のナニカ。
見たところ草笛を吹いていたらしいそれは、デジモンの種族としてはとても有名なものだった。
「……ガブモン?」
自分の現在の姿の原型たる、ガルルモンというデジモンに最も進化する可能性が高いとされる種族。
何故自分の目の前にいるのかといった声色で、彼は呆然としたようにその名前を呟いていた。
その声に反応してか、そのガブモンは自らが吹いていた草笛から口を放し、その顔を静かに人狼の方へと向ける。
まるで、友人か何かに向けるような、穏やかな表情をしていた。
目の前に現れた、人間ともデジモンとも呼べないかもしれない異形に対する恐怖や驚きなど、微塵も見当たらない。
初対面である
疑問だらけの中、穏やかな表情をしたガブモンの口がゆっくりと、うご
ざざざざざざざざざざざザザザザザザザ!!
ザザザザザザザザザざざざざざざざざざざざ!!
「――ぁ、が……っ!?」
先ほどよりも更に強く、頭の奥で雑音が響いた。
タワシを擦り付ける音を何倍にも増幅させたような障りのある音に、人狼は耐え切れないといった様子で両の手を頭に押し付ける。
二本の足で自重を支える事さえも出来ず、ガブモンの目の前で人狼は倒れ込んでしまう。
頭が割れてしまいそうだった。
思考が定まらず、見えていた森と湖の風景さえも
許容量を超えた痛みに耐え切れなくなったように、その目元から涙が溢れ出てくる。
言葉らしい言葉も吐き出せず、ただただ呻き声だけが漏れて。
色彩の奔流に呑み込まれるような形で、彼の意識は落下の感覚と共に再び閉じていく。
◆ ◆ ◆ ◆
率直に言って。
熊の人形のような姿をした怪物の右肩に向かって刃を突き立て、その半分ほどを稲妻の刃でもって切り裂いてみせた司弩蒼矢の体力は限界に近付きつつあった。
炎の魔人との戦いの中で受けた殴打と火傷のダメージは全く癒えておらず、擬肢である右腕と右脚を除いた生身の筋肉は過度極まる電気刺激の影響で疲労し、激しい痛みを断続的に発してしまっている。
そして、今の竜人の姿に成る前は人工物で構成された作り物であった右腕と右脚についても、再度電気を流したりしたら痙攣程度では済まないレベルで使い物にならなくなるかもしれないと危惧するほどに、感覚が薄れてきている。
正直な所、熊人形の右肩を半分切断する事が出来たのは幸運だったと言えた。
刃を突き立てた時、自分の声にウサギ耳の少女が応え、磯月波音の体を受け止めてくれた事も含めて。
本当に、あのウサギ耳の少女には感謝しか無いと蒼矢は思う。
(……だからこそ、本当に戻って来てほしくないんだけどなぁ……)
『そういう事は全部自分で何とか出来るようになってから言うべきだな』
浮かべた思考に対して、宿りし怪物が呆れ気味な声色でそう漏らしていた。
実際問題、眼前に見える熊人形の怪物は自分達の事を逃がす気はないだろし――二人の少女の事を想うのであれば、まず自分一人の力でどうにかしてみせるべきだろう。
熊人形の怪物が、竜人と成った蒼矢を睨みつけながら忌々しげに言葉を吐きだしてくる。
「チッ……どうやってアイツに勝ちやがったのかは知らんが、面倒事を増やしやがって」
「そっちが色々と諦めてくれれば話は早いんだけど」
「やなこった。これから先、お前のような強大な力をもった戦力が必要になる場面は少なくねぇんだ。何が何でも、お前には仲間になってもらう」
「……少なくとも、こんな方法を取られた時点で仲間になるなんて絶対嫌だな」
鱗の鎧を纏った赤き竜人と鋭利な爪を携えた黒い熊人形の怪物は、それぞれの獲物を構え出す。
蒼矢はその腕に携えた稲妻の剣を、熊人形の怪物はその左手の携えた獣の爪を、腰元にまで寄せる形で。
先に動き始めたのは熊人形の怪物の方だった。
「大人しく仲間にならなかった事、しっかり後悔させてやる――」
呪詛のように害意の篭った言葉と共に、あからさまに構えた左手ではなく右の手が差し向けられる。
見れば、熊人形の怪物の周囲に、明らかに物理現象によって発生したものとして説明出来ない未知の凶器が複数発生していた。
「――ヘルクラッシャー!!」
「っ!!」
その個数を数える間も与えぬ形で怪物が言葉を吐き出し終えると同時、怒号の如き声と共に未知の凶器――紫色に燃え盛る禍々しい怨念染みた炎――が飛び道具として放たれる。
同時、蒼矢は氷に覆われた両脚でアスファルトの地面を蹴り、素早く滑り出すことでそれを回避していく。
紫色の炎の群れ、その一つ一つはとても大きく、蒼矢の半身を丸呑み出来てもおかしくない規模のものとなっており、下手に掻い潜ろうとすれば痛手を負いかねないほどに密度も高い。
故に、求められる進路は遠回りの道なのだが、氷の特性を利用した移動手段では踏ん張りを利かせづらく、途中途中で紫色の炎に命中しそうになってしまう。
その度に稲妻の剣を振るって紫色の炎を切り裂く事で直撃を免れようとするが、ただでさえ高速で動いている中で完璧な迎撃など出来るわけも無く、二回ほど紫色の炎に身を焼かれてしまう。
鉄の面を被った炎の魔人が放っていた炎のような熱は感じられないが、命中した箇所からは血肉を炙られているかのような鋭い痛みが生じている。
それに顔を歪めながらも、どうにか左手で右腕を押さえつけるようにしながら、稲妻の剣の先端を熊人形の怪物の方へと向け、
「
必殺の意を有する言霊を口にする。
直後に赤き竜人の右腕に存在する金色の外殻――に備え付けられた銀の刃から青白く輝く稲妻が迸り、それは瞬く間に熊人形の怪物の胴体を貫いていく。
人体に対して放つものとしては膨大極まる電力の暴威――それに貫かれた以上、感電による神経系へのダメージは避けられないはずだが、雷撃に胴部を貫かれたはずの熊人形の怪物は明らかに平然としている様子だった。
「ハッ、この程度の電気が俺に効くかよ。せめて肉を焼き焦がせる程度の熱は持っとくんだ、なッ!!」
そんな軽口を挟みながら、紫色の炎に続く形で熊人形の怪物は駆け出してくる。
その挙動自体は少し前に対峙した炎の魔人と比べると鈍重と言えるものなのだが、なまじその巨体の歩幅は大きく、三秒もしない内に間合いを詰められてしまう。
氷を纏った足で滑る竜人には咄嗟の回避を間に合わせられるだけの猶予など与えられず、止むを得ず赤き竜人は稲妻の剣を携えた右腕を左の腰元に動かす事で居合いの姿勢を取り、熊人形の怪物が振るいに掛かる熊の爪に対して真っ向から打ち合う。
ガギンッ!! と金属の鳴る音が重く響き、二体の怪物の刃が鍔ぜり合いの構図を成す。
右肩を半分切断されているにも関わらず、赤き竜人の腕に伝わってくる力はようやく拮抗出来ている、と言えるほどだった。
疑問を覚えて右肩の方に視線を向けてみれば、切断されて
詳しい理屈は解りようも無いが、この分だと熊人形の怪物の体は単純に切られる程度では根本的な欠損に繋がらない構造をしているのかもしれない。
やがて、少しずつ圧す力が強まってくる。
そして、
「――へっ」
「――っ!?」
鍔迫り合いの、その最中に。
熊人形の空いた左手が自身に対して差し向けられる。
その、一見して無意味に思えなくも無い挙措に良からぬ意図を感じ取った赤き竜人は、熊人形の怪物の腕力に押されるようにして左側に向かって跳躍した。
直後、熊人形の怪物の左手から、先ほどまで赤き竜人が立っていた位置に向かって、何やら黒いひび割れたハートの形をした何かが解き放たれていた。
着地し、跳躍の慣性と足に纏った氷の特性に危うく転倒させられそうになりながらも、どうにか左手を地に着いてバランスを取った赤き竜人はたった今放たれた攻撃に目を細めていた。
即座に彼は、思考の形で怪物の事情に詳しそうな――リヴァイアモンと名乗るその存在に対して問いを投げ掛ける。
(一応聞くけど、今のは?)
『深く考えるまでも無く触れたらまずいものだろうよ』
(……具体的には?)
『良くないウィルスの類が仕込まれてる可能性が高いって話だ。触れたら最後、体だけじゃなくて心まで蝕まれるかもな』
(……心? ちょっと待て、ウィルスでそんな事が……?)
『人間からすりゃ珍しいのかもしれんが、
ロクでもない、それでいて耳を疑う返事が返ってきた。
だが、デジモンと呼ぶらしい存在に関しては人間の自分よりも多くの知識を有しているであろうリヴァイアモンの回答は、恐らく正しいものだ。
事実として、熊人形の怪物と協力し合う関係にあると思わしき炎の魔人は、蒼矢が現在の姿に至って抵抗の意思を見せると、恐らくは脅迫して操ってきたのであろう磯月波音を、今度は殺害しようとした。
その言葉を真に受けるのであれば、蒼矢の心を自らの望む方向に傾けるために。
絶望と諦観で染め上げて、あるいは屈服させるために。
だが、そこまでの話を聞いて、事情を理解して。
ふとして、赤い竜人――蒼矢は地に左手を着いた姿勢のまま、熊人形の怪物に対して問いを口にした。
「……どうしてだ?」
「あん?」
「心変わりを促す力なんてものがあるのなら、最初からそれを使って僕の心を弄くれば良かったんじゃないのか。あの子を利用して僕を誘導する、なんて方法は最初から取る必要が無かったんじゃないのか」
「何だ、そんなことが聞きたいのか? まぁ、こっちにも色々あるわけなんだが……」
何より、と付け加えて。
熊人形の怪物は、赤い竜人の問いに対してこう締めくくっていた。
「
「――――」
その、何を当たり前の事を聞いているんだとでも言わんばかりの、軽い調子の言い分に。
自然と、赤い竜人の口元から舌打つ音が漏れた。
人生において始めてと言っても良い振る舞いだった。
(……本当に、ふざけてる……)
納得など、共感など、理解など、出来るわけがない。
この熊人形の怪物は、確かにこう言ったのだ。
今回の案件において、磯月波音を利用したのは自らの愉しみのためだと。
ひょっとしたら言葉にしていないだけで、何らかの都合や効率の話だって絡んでいるかもしれないが。
もし、仮に理由が愉しみのためだけだとしたら。
導かれる答えは一つ。
司弩蒼矢を手に入れるための利用の対象が、磯月波音でなければならない理由なんて、何処にも無かった。
あの少女はただ、この怪物どもの楽しみのための消費物とされたのだ。
その理不尽に、怒りを覚えずにいられるはずが無かった。
が、その時――怒りに煮え滾る頭の奥底から、宿りし怪物の声が響く。
『ちょっと代われ』
(……リヴァイアモン?)
『
(……解った……)
自分の体を、自分では無い誰かに預けること。
それは下手をすれば、自らの自由を失うかもしれない提案だったのだが、司弩蒼矢は特に躊躇などはしなかった。
今この状況に至るまでの事を想えば、信頼を置くに足る存在である事は疑う余地も無かったから。
無論、彼はスイッチでも切り替えるような体の主導権を変更する方法などは知らない。
ただ彼は、心の中で今の姿に至る前に見た海の中を夢想した。
そこに自分が潜り、代わりにあの巨大極まる赤色の鰐を、その心を浮き上がらせるようなイメージを抱いた。
結果から言って、体の制御権の移行は完了したようだった。
自分では無い存在が、実感でも確かめるように右手を握ったり開いたりしているのが、解る。
声質こそ変わらないが、別人のような喋り方でもって、竜人の口が開く。
「おい、小僧」
「あん? 何だ、急に偉そうになりやがったな」
「一つだけ聞かせろ」
そして。
司弩蒼矢の肉体を借りた怪物は、熊人形の怪物に対してこんな問いを出した。
「お前達の
その、質問というよりは、まるで答え合わせでもするような言葉に。
熊人形の怪物は、疑問を覚えたように首を傾げ、こう返していた。
「……はぁ? そりゃあ、あながち間違いじゃねぇが……何だ? 急に偉そうになったと思えば、今度は知った風な口を利いて……いや、待て。テメェはまさか、
が、問いを出した当人の方は熊人形の怪物の問いには答えようとせず、代わりに心の中で言葉を漏らしていた。
『……やっぱりか。クソが、人間の世界でまで幅利かせてやがんのかあのジジイ……』
(話が掴めないんだが。バルバモンって、それもデジモンの名前なのか?)
『さっき心変わりの力の事を聞いただろ。俺の知る限りではそれを得意とする筆頭であり、欲しいモンのためなら何でもするってヤツだ』
(……まさかとは思うけど、知り合いなのか?)
『嫌な意味でのな』
デジモンの事を詳しく知らない司弩蒼矢からすると、リヴァイアモンの言うバルバモンというデジモンがどういった存在なのか、イマイチ理解は及ばない。
しかし、つい先ほどまで冷静な言葉を投げ掛けていたリヴァイアモンの声色が、明らかに嫌悪の混じったものになっている事は理解出来た。
そんな事実には気付くわけも無く、熊人形の怪物は体の主導権が司弩蒼矢から宿る怪物の方に移っている事だけを察したらしい熊人形の怪物は、嬉々とした笑みでも浮かべるような調子で一つの提案を口にした。
「そうだ、
「馬鹿を言え。七大魔王ってのが組織の名称じゃあなく、ただの称号に過ぎない事も知らねぇのか? 安易に同類扱いしてんじゃねぇよ吐き気がする」
「何だよ中身の魔王サマも正義面かよ。それとも『
「下らん媚び売るくらいならもう放っておけ。何者であれ、俺の力を利用しようとして俺以外の何かを貶めようとするような輩の要求に従う気はねぇんだからな」
「従えば、少なくともソイツの身内には手を出さない……と言ってもか?」
「約束を守ろうなんて善性が残っているようには見えんが?」
「……なぁるほど、筋金入りってわけか」
心からの譲歩の意思など微塵も無い言葉の応酬があって。
熊人形の平らにも見える右手が改めて赤い竜人に差し向けられ、先端に黒いハートの形をした力の塊が生じる。
他ならぬリヴァイアモン自身が蒼矢に警告した、心変わりの力を使うつもりらしい。
現在体を動かしているのは司弩蒼矢の意思ではなくリヴァイアモンと名乗る怪物の意思によるものだが、仮にあの攻撃を受けてしまった場合、どうなるのか解ったものではない。
現在体を動かしているリヴァイアモンの精神が弄くられてしまうかもしれないし、逆に体を動かさず内的世界に精神を沈めている司弩蒼矢の精神が抉られてしまうかもしれないし、あるいはどちらに対しても何らかの効果が発揮されてしまうかもしれない。
回避以外の選択肢は無かった。
赤い竜人の体の主導権を担うリヴァイアモンは、右脚に力を込めて真横に力強く跳躍する事で放たれてくる黒色のハートを回避し、跳躍の勢いによって空中で回転した体勢のまま稲妻の剣の先端を熊人形の怪物に向ける。
直後に空気が弾けるような音が炸裂し、稲妻の剣から蒼光りする雷撃が放たれ、それは熊人形の怪物の頭部を瞬きの間に貫いていく。
が、どう考えても意識を断絶されて然るべき一撃を受けた熊人形の怪物は、返しの一撃にも大したダメージを受けた様子は無く、平然とした様子でその視線を赤い竜人の方へと向けていた。
肩から地面に激突し、それでも殺しきれなかった運動量の分だけ転がった赤い竜人は、殆ど四つん這いに近い体勢になって熊人形の怪物を睨む。
見方によってはトカゲのようにもなったその姿を見て、熊人形の怪物の口から嘲弄の声が漏れる。
「なんだぁ? カエルみたいにピョコピョコ跳ねるのが好きなのか? ハハッ、嫉妬の魔王サマの進化前は実はゲコモンだったってかぁ!? トノサマゲコモンもそういや赤かったっけなぁ!!」
「…………」
あからさまに嘲弄された赤い竜人は、特に表情を変えたりはしなかった。
熊人形の怪物の嘲弄などよりも、ずっと思考を必要とする話があったからだ。
(……頭を電気で貫かれて、平然としてるなんて……)
『この分だと「サンダージャベリン」は効かねぇみたいだ。おい人間、あの野朗の弱点とかに心当たりは無いか』
(僕は君達デジモンの事をそもそもよく知らない。着ぐるみみたいに見えはするけど……)
『キグルミって、何だ?』
しかし、現在は戦闘の真っ只中。
合間に挟める思考は、即座に敵対者の行動によって遮られるのが定め。
熊人形の怪物は嘲弄の声を漏らしながらも、自らの周囲に複数の紫色の炎を出現させ、更には両の手の先端から再び黒いハートの形をしたエネルギーの塊を出現させていく。
今度は逃がさない、とでも言いたげな布陣だった。
それに対して嫉妬の魔王の意思で動く赤い竜人は、窮地の中にある状況を理解した上で、鼻で笑った。
そして言う。
「手抜きなんて、狩る側としては三流もいいとこだな」
「これだって何も消費しないわけじゃねぇんだ。サービスしてやるから大人しく食らいなッ!!」
宣言とも言える言葉が吐き捨てられ、闇の猛攻が迫る。
赤き竜人は即座に両目を凝らし、回避のためにどの方向に跳び出すべきかと一瞬思案して、
「だあらっしゃあああああああああああああああああああ!!」
直後の出来事だった。
赤い竜人に対して猛攻を放つ所だった熊人形の怪物の後方より。
聞き覚えのある少女の声が聞こえ、それに熊人形の怪物が気付いた時にはもう遅く。
拳法着染みた黄色の衣装を身に纏った兎の獣人の右拳が、熊人形の怪物の背中に深く突き刺さっていた。
これまでの攻防から単純に考えて、痛手になり得るとは思えない一撃。
されど――少女が叩き込んだ拳は、ただの拳ではなかった。
何か、黄色く眩い輝きが宿ったものだった。
「――ぐ、
故に、だろうか。
熊人形の怪物に対して放たれたその一撃は、熊人形の口元から悲鳴を上げさせていた。
集中力でも切れた影響なのか、周囲に出現していた禍々しい飛び道具は全てその形を崩して空気に溶けていく。
『――なるほどな。代わるぞ』
(え? わ、解った)
位置の関係で状況を詳しくは読み取れなかったはずだが、熊人形の怪物の様子に赤い竜人は何かを察した様子で瞳を閉じて――体の主動権を、リヴァイアモンから司弩蒼矢へと戻した。
突然の判断に戸惑いを覚えながらも、体の主導権を戻してもらった司弩蒼矢は四肢を地に着けた四つん這いの体勢から一転、右手に備えた稲妻の剣を支えとして素早く立ち上がる。
気付けば、熊人形の怪物は赤き竜人の方など見てはいなかった。
勢いよく背後へと振り返り、その視線を拳法着に兎耳の少女の方へと向けていた。
彼の標的は間違い無く司弩蒼矢とそれに宿るリヴァイアモンの力であるはずにも関わらず、だ。
「てめぇ、このクソガキ……!!」
「さっき言ったでしょ。すぐ助けに来るって!!」
返す刀として殺意をもって振るわれる鋭利な爪を避け、兎耳の少女は即座に赤き竜人のすぐ隣にまで足を運んでくる。
必然的に熊人形の怪物の視界には赤き竜人と兎耳の少女の姿が入り、自らの置かれている状況かあるいは一向に抵抗を続ける彼等の振る舞いに苛立ちを増したらしい彼は、こんな言葉を発してきた。
「無駄な抵抗してんじゃねぇ!! こっちが『組織』だって事実を解ってんのか。仮に俺を倒せたとしても、お前等に気の休まる時なんか来ねぇんだよ!!」
その言葉は、真実だろうと蒼矢は思う。
今の姿に成る前にも考えた事だが、磯月波音を利用するにあたっての計画的な行動を考えても、彼等の所属する『組織』の戦力は少なくとも両手の指の数を超えている。
炎の魔人に続き、目の前の熊人形の怪物を撃破出来たところで、また新たな襲撃者がやってくる可能性は決して低くない。
他ならぬ被害者である磯月波音自身も、言っていたではないか。
こいつ等は、家族を人質に取る事だって厭わない輩だと。
今になって思えば、あの囁く形の言葉は彼女自身の状況を表してもいたのだろう。
自分ではなく、自分にとって大切な誰かが命を狙われる状況。
それは、決して独りの力では抗いようの無い現実だ。
(それでも、諦めるわけにはいかない)
だが、その事実を理解した上で司弩蒼矢は屈する選択だけはしない。
自分が屈するだけで全てが無事に済ませられる話では無いと、そう理解しているからだ。
と、そこまで思考した時だった。
拳法着に兎耳の少女が、疑問ある声色でこんな事を聞きだしたのだ。
「アンタさ、何か『組織』がどうの言ってるみたいだけどさ。それにしてはまったく増援が来る気配が無いんだけど? アンタ等の狙いだと思うヤツが逃げ出したのに。連絡を取ってないならまだしも、ただの一人も来ないってのは本当にどういう事なの?」
「解ってねぇな。俺達の狙いはリヴァイアモンだけじゃねぇんだ。別件があんだよ。そしてその別件さえ終われば、すぐにでも増援は――」
「つまり、アンタ達悪党と戦ってるのは私達だけじゃないって事よね」
その言葉に。
司弩蒼矢だけではなく、彼に宿る怪物もまた、息を呑んだ。
戦っているのは、自分達だけではない。
敵の敵は味方――なんて言葉がどこまで鵜呑みに出来たものかは解らないが、少なくとも熊人形の怪物の言う『組織』の意向に抗う形で戦っている誰かが、何処かにいる。
顔も声も知らない、きっと自分と同じく怪物――デジモンの力を振るう人間が。
「アンタ達の企てたことの全容なんて知らないけど、アンタ達の行動を良く思わない人はいるんでしょ? そうじゃなかったら、こんな街外れ……目立たない場所に移動する必要なんて無いはず。コソコソやらないといけない事情が、少なからずあったはず。そして、それは多分……アンタ等を強さで超える正義の味方の存在よ」
「ハッ、嬢ちゃん。仮に正義の味方だったら何だってんだ? そいつが、魔王を宿してる化け物の味方になるとでも? むしろ逆だろ。正義ってやつを果たすために、全力でブチ殺しに掛かるだろうよ。わざわざ仲間にしようとしている優しい俺達とは真逆でなぁ?」
「アンタの言う通りなのかどうかなんて知らないけどさ」
迷いの無い声で。
赤き竜人の隣に立つその少女は、熊人形の怪物に対してこう告げる。
「少なくとも私はこの人を『助ける』側に回るわよ。絶対に、独りになんてさせてやらない」
確証なんて無くとも、明確な希望なんて見えなくとも。
初めて出会ったはずの、名前も顔も知らない相手を『助ける』ために戦うと、少女は宣言した。
その姿に、司弩蒼矢が脳裏に真っ先に思い浮かべたのは、殆ど暴走状態にあった自分と夜中のプールで戦った、牙絡雑賀と名乗った狼男。
自然と、胸中を蠢いていた不安が解きほぐされていく。
独りではないという事は、助けてくれる誰かがいるという事は、こんなにも心強いのだと、理解する。
であれば、自分の事を『助ける』と言ってくれた少女と、自分の事を想って犠牲の道を選んでしまった少女のために、彼が紡ぐ言葉も決まりきっていた。
「……行こう。僕達が帰るべきだと、きっと誰かが待っている場所に!!」
そうして。
最後の攻防が、始まった。
◆ ◆ ◆ ◆
「――――っ?」
意識が覚めたその時には、全てが変わっていた。
落下の感覚は唐突に途切れ、両脚は地面の感覚を確かに捉え、殆ど横倒しに近い状態にあった姿勢は何事も無かったかのような直立の姿勢に整えられている。
体の方は変わらず人狼の姿だったが、殆ど発狂寸前にあった思考は知らず知らずに安定を取り戻していて、両の瞳はそれまで見えていた
夜闇と月の光に彩られた森の景色と、そこに存在していたはずのガブモンの姿の代わりにその視界に映し出されたのは、牙絡雑賀という人間にとっては見慣れた光景とも言える街中の裏路地。
コンクリートのジャングルとも呼べるその場所を照らす光の色は、焼け付くような橙色。
肌寒さを僅かに帯びる空気から察するに、時は黄昏時――学業を営む者たちにとっては放課後に該当される時間帯らしい。
先ほどの自然溢れる深緑の光景とは真逆に、乾いた灰色が広がる汚れた景色。
彼はそれに対して、不思議と懐かしさと覚えていた。
霧がかかったように浮かび上がらずにいた思い出が、少しずつ浮かび上がってくる。
(……確か、ここって……)
思考に合わせるように、裏路地の中に何人かの人間のシルエットが浮かび上がる。
顔は黒く塗り潰されているかのように解りづらいが、構図を見ればどういった行いが為されているのかは明白だ。
一対六の、男同士のケンカ――言ってしまえば、
獣人の口から、うんざりするようにため息が漏れた。
解るのだ。
この構図、この光景が示す意味が。
これは、とある友人と出会う事になった、切っ掛けの光景だ。
中学生の頃の話だ。
彼が通っていた中学の生徒の間では、ある一つのグループが構築されていた。
今となっては記憶がおぼろげだが、それなりに格好を付けた気になってそうな名前が付けられていた覚えがある。
そのグループは、言ってしまえば暴力を誇示するための枠組みだった。
ただ無邪気に、自分達がやりたいと思ったこと――気に入らないヤツを相手にした私刑を行ったり、そうして屈服させた相手に金銭を要求したりといった――を暴力に任せて遂行していく。そんな思考を持った学生が集った枠組み。
それが生まれた最初の発端がどんなものだったのかは知らないし興味は無かったが、ある頃からそれは頭数を増やしていき、嫌が応でも彼という存在を巻き込んでいった。
幸か不幸か――今となっては後者だと思えるが――彼は賢い人間だった。
いつか標的にされてしまえば、一人の力ではどうしようも無い――そう危惧したからこそ、彼はそのグループの中に入り込む道を選んだ。
具体的に言えば、リーダーの男に先んじて媚び諂い、その方針に従うよう動いたのだ。
グループが標的と定めた、何の恨みも無い少年の顔面を殴ったりなどといった、私刑に対する加担という形で。
グループのリーダーは、自分の定めたルールに同調する相手に対しては友好的な態度を取る人間だった。
プライドや良心などを捨て去ってしまえば、取り入る事自体は簡単だったのだ。
愛想笑いの作り方や、人の殴り方を体得するには、十分過ぎるほどの時間――彼は自分という存在を群れの中の一人として形作っていた。
無論、学校の内外で行われたグループの目に余る行為は時として教師の耳にも入る事があった。
しかし、当時の被害者からすると本当に不幸なことに、学校は被害者達が望むような形の対応を行ってくれなかった。
停学や退学などといった「今後」のための対応は無く、申し訳程度の面談による注意という形に留めてしまったのだ。
そして、そんな学校側の控えめな対応に付け上がる形で、グループの行いは更にエスカレートしていった。
なまじ人数だけは多かったからこそ、場合によっては教師の力にも抗えるとでも思っていたのかもしれない――集団特有の心理だ。
生徒達の間で、秩序などもう殆ど在って無いようなものだった。
それは最早、暴力を司る一個人による独裁でしか無かった。
確かに、結果として彼に対するグループの暴力が振るわれる事は無かった。
だが、一方でそうした結果に対する安堵や喜びなんて無かった。
自衛のための選択、そう言い訳したって胸の中には虚しさばかりが募っていた。
自分のやっている事が悪い事だという事ぐらい、最初から理解はしていた。
だけど、一人が正義に立ち上がったところで物事が解決に繋がるわけでは無いとも思っていた。
無駄な痛みを背負うぐらいなら多数決の勝利に乗っかった方が、まだマシな話だとも。
ただでさえ、彼が混じってからもグループという群れの規模はどんどん大きくなっていて、たったの一度でもその方針とは異なる行動に出てしまえば、どんな目に遭わされるかは解ったものではなかったから。
どうせ、卒業さえしてしまえば半数近くは出会わなくなる相手だ。
自分の人生に関わる可能性など、さして高いわけでも無い赤の他人なのだ。
そんな相手のために、下手をすると一生モノになってしまうかもしれない傷を負う必要なんて無い。
個人の意思なんて、プライドなんて、集団の力の前には何の役に立たない。
自分が立っている世界とは、現実とは、所詮そういうものなのだから。
不思議と長く感じられる月日の中、彼はそんな風に自分が加害者であるという現実を受け入れて日々を過ごすしかなかった。
そう、ある日の裏路地で、とある少年がグループによる私刑の現場に独りで首を突っ込んで来るまでは。
「――――」
その、現代においてはどこにでもいるような黒髪の少年の目は、怒りに染まっていた。
自分自身が被害を被ったからではなく、単純に目の前の所業が許せないといった顔だった。
どうも、その日の私刑の標的が裏路地に連れ込まれる所を目撃してしまったらしい。
哀れな
結果から言って、勝負になんてなっていなかった。
そもそも根本的に、その少年の動きにはケンカ慣れしている様子さえ無かった。
正義に燃えた少年は、当たり前のように集団の暴力でもって数々の痣を残される羽目になった。
ボロボロに踏み躙られ、道端のゴミのような扱いを受けていくその様を、彼は加害者の視点から眺めていた。
結局、これが現実なのだ。
集団の力の前では、個人の力などこの程度のものでしか無い。
どうせこいつもすぐに屈服する。
そんな風に思いながら、冷えた心を胸に仕舞い込んだまま、暴力に加担して。
そうして、何度も殴って何度も蹴って――それでも弱音を吐かない少年に対し、ふとして疑問を覚えたように彼はこんな問いを出したのだ。
なんで首を突っ込んだのかと。
勝ち目が無いと解りきっているはずなのに、何故一向に諦めようとしないのかと。
ただただ、お前が損をするだけなんじゃないのか、と。
そうして、自分で自分が虚しくなる言葉を吐き出し終えると、殆ど間を置かずにその少年はこう答えていた。
――許せないから。
――ただ、こうしたいと思ったから。
ただの感情論だった。
追い詰められた状況の中で吐き出されたその言葉の中には、勝算や利害、損得の話など微塵も臭わない純粋な思いが感じられた。
きっと、少年自身にとっては当たり前の選択だったのだろう。
正義の味方になった気になって、善性に酔っているわけはないとも思えた。
後で知った事だが、標的とされた生徒自体も、その少年の友達でも知り合いでも何でも無かった。
彼はただ「独りを多人数で痛めつける」この状況を見て、自分が何をしたいと思うのか――いっそ本能とも呼べるものに従っただけだったのだ。
無論、どんなに綺麗事を口にしても、当然ながら現実は変わらない。
集団の暴力は、個人の意思など容易く押し潰していくことだろう。
たとえ心が折れなかったとしても、体の方はいつかロクに力が入らなくなる。
そこまで理解して、そこまで想像して、そして。
彼は。
ただ、心からそうしたいといった調子で。
彼は、少年の顔面を殴ろうとしたグループの一員の顔面を殴り飛ばしていた。
突然の裏切りに戸惑うクソガキ共を一瞥すらせず、彼は仰向けに倒れ伏していた少年の手を掴んで引いた。
彼の突然の行動に対して、集団だけではなく少年の方もまた驚いたような表情を浮かべていた。
だが、きっと確認の言葉は必要ないと思ってくれたのだろう――少年は、彼の助けを経て立ち上がると、彼と共に改めて集団に立ち向かっていった。
お互いに腕っ節が強い部類では無かったが、結果から言って二人の少年は集団をどうにか撃退する事に成功していた。
撃退に成功した彼と少年からしても無我夢中の行いであったため、詳しい攻防の内容をいちいち覚えたりはしていなかったが、二人の抵抗によって集団が逃げるようにいなくなった頃には、二人揃って裏路地の汚い壁に背中を押し付けるような形で腰を下ろしていた。
標的とされる所だった生け贄の少年は知らず知らずの内に逃げていたようで、時間経過によって影が濃くなってきた裏路地には二人の姿だけがあった。
疲れきった様子の少年は、彼に対してこんな問いを出した。
――どうして、こっちの側に立って戦ってくれたんだ?
対して、他ならぬ少年に暴力を振るった集団の内の一人だった彼は、こう返していた。
――多分、お前と同じ理由だ。
加害者であった彼自身、どの口でほざいているのかとも思いはした。
そもそも彼の立場を考えれば、今の行動は利口な判断とはとても呼べないものだ。
まず間違いなく、彼の裏切りは暴力の集団に速やかに伝わっていくことだろう。
なまじ最初から反抗していたのではなく、裏切りという形で集団の方針に抗ってしまった以上、標的としての優先度は高くなる。
もう、標的にされる事は避けられない。
人混みの中に紛れ込んだ
今まで自分が助かるために他人に押し付けてきた暴力が、あるいはこれまで見てきたもの以上の害意を伴って襲い掛かってくる未来。
そんな、自業自得とも言える未来を少しだけ想像して。
それでいて、彼は薄く笑みを浮かべていた。
――お前、名前は?
――牙絡雑賀。お前の方は?
――紅炎勇輝。
それはまるで。
ずっと、お利口ぶって自分の心を偽ってきたのが馬鹿だったと。
最初からこうしていれば、もっと話は簡単だったかもしれないのにと言わんばかりに。
そして、そう思ってしまった時点で、彼は自分の本音を誤魔化す事など出来なくなっていた。
後悔と、そう呼べる感情が湯水のように湧き出てくる。
自業自得である事など百も承知だ。
偽った気持ちのまま情けない行いを続けてきた過去は絶対に消せない。
これからどうすれば良いのかなんて、すぐには思い浮かべられなかった。
だから代わりに、彼はいっそ開き直るように、一つだけ自分に決意した。
もう二度と、自分の気持ちを偽る事は止めよう、と。
下らない後悔に塗れるぐらいなら、せめて自分で自分に誇れる選択をしよう、と。
例えそれが、後に取り返しのつかない事態を招いてしまうかもしれなくとも。
(……ああ……)
思考が纏まっていく。
記憶が繋がり、自分がやるべき事を思い出す。
彼は、自分と言えるものを取り戻す。
同時、瞬きの間に黄昏時の裏路地の景色はまたも一変し、彼の視界いっぱいに黒が広がる。
一番最初に見た時には、道標一つも見えなかった世界。
ふと、その景色に移行するにあたって、落下の感覚が無かった事に疑問を抱いて。
ふとして足元へ視線をやれば、彼自身が自分が何をやるべきなのか、何を目指したいと思っているのかを思い出したからなのか、淡い緑色の炎で形作られた一本の道が、三歩先の位置から遥か遠くに向けて姿を現していた。
遠近感も何も無い世界にて発生した、安易に触れてしまえば足先から全身を炎上しかねない道。
彼には、現実的とは言えないその存在が、自らに対してこう告げているように思えてならなかった。
この先は地獄だぞ、と。
一度踏み締めれば、
彼自身も、何となくその通りかもしれないと思った。
きっと、自分が向かう道程は地獄と呼べてしまう類のもので。
そこに向かうという事は、避けようの無い危機を受け入れる事に他ならないのだと。
まだ、今なら後戻りが出来るかもしれないそれを、受け入れるのか否か。
そうした、炎の道からの暗示を受け、彼は誰に対して告げるでも無くこう答えた。
「……行くさ。行くに決まってる」
背後を振り向く事はせず。
彼は、その人狼は確かに両の手で闇を踏み締める。
「もう心に決めてんだ。司弩蒼矢だけじゃない。苦朗のヤツも勇輝のヤツも……俺が大切だと思える奴等は全員助けるって。助けるために全力を尽くすって」
躊躇無く、駆け出す。
当然のように、淡い緑色の炎が人狼の全身を燃え上がらせていく。
三色を宿した美しい毛皮が、人間の頃から履いていたジーンズが、その輪郭を失う。
人狼の全身が、緑色の火だるまになる。
毛皮を失った獣人の五体が、炎の中で血のように鮮やかな赤色に染まる。
「たとえ、そのために向かう場所が、本物の地獄だったとしても――」
だが、それでも。
彼の四つ足は、決して前に――目指すと決めた場所に駆ける事を止めない。
緑色の炎に包まれた彼の赤い体には、同時にこの世界を彩るそれと同じ黒の色を宿した鎧が纏われ始めていく。
「俺はもう、俺に嘘は吐かないって誓ってるんだッ!!!!!」
地獄にも等しい世界の中。
彼という人狼は、ただ一心不乱に炎の上を駆け続けて。
そして、
◆ ◆ ◆ ◆
――ガルルモン、進化――!!
荒れ果て、見捨てられた都会の残骸の上で。
深い傷を負った
かくして、その存在は産声を上げ地に降り立つ。
自らを縛り付けていた鎖を、それを構成していた物理を越えた何かを全て飲み込み、糧としながら現れたのは。
堅牢な外殻に身を包み、両手の先に犬の頭のような形の火器を、両足から銀に煌めく鍵爪を携えた赤黒の獣人。
其は、デジタルワールドにおいて地獄の番犬と称される魔獣。
存在の根幹、ギリシア神話においてもまた死者の向かう先とされる冥府の入り口を守護しているとされる者。
その名を、示される変化の形を、受け入れるように彼――牙絡雑賀は自らの名を告げる。
「ケルベロモンッ!!」
「――なっ!?」
戦力外の存在だと思っていた存在が急に姿を変えて現れたその事実に、上空から誰かが驚きの声を漏らしたが、変化を遂げた
その視線を、地に降り立った自分のすぐ近くにて仰向けに倒れた状態の
「……おい、大丈夫か? なんかやべぇ事になってるみたいだが……」
「……誰の所為でこうなったと思っているんだこの馬鹿野朗……?」
その怒り混じりの言葉に、
完全体クラスのデジモンの力を振るう相手を三人も相手にしていたとはいえ、究極体――それも『七大魔王』というビッグネームを掲げる存在を原型とした力を振るう者が追い詰められてしまっているほどの重荷を、押し付けてしまっていたのだと。
それを理解した上で、
「……何だかんだ言って、俺のこと護ってくれてたんだな」
「やかましい、そして勘違いをするな。俺が護ると決めているものぐらい、お前は察しているだろうに」
「そうだな。悪い、今の台詞は忘れてくれ」
「馬鹿言う暇があったら敵を見ろ」
互いに、つい先ほどまで意見の相違で衝突したとは思えない口ぶりだった。
元々敵同士というわけでは無いのだから、あるいはこれこそが当然の振る舞いなのかもしれないが。
そんな彼等の会話の内容など気にも留めないように、敵対者である三人の
嵐の如き真っ黒い蝙蝠の群れが、生き物のように口を有した有機体系ミサイルが、上空から速やかに迫り来る。
応じるように、牙絡雑賀は即座に両手に存在する犬の頭の形をした火器、その砲口を素早く向けていく。
そして、必殺の言霊を口にした。
「
言霊が口に出されると同時、犬の顔の形をした火器の砲口から膨大な量の熱が噴き上がった。
その色は、
その猛威は暗黒の蝙蝠の群れと有機体系ミサイルの群れを速やかに喰らい尽くし、灰も残さず消し去ってしまう。
そんな圧倒的な炎を放ってきた
そうして、粉々に砕けたそれを見やる事なく、
互いに、互いを共闘相手と見なした上で、怪物に成った二人は告げた。
「せめて、足を引っ張った分ぐらいは役に立てよ。番犬」
「俺は俺で好きにやる。そっちも気張ってくれよ。魔王」