DIGIMON STORY デジモンに成った人間の物語 作:紅卵 由己
(更新)止まるんじゃねぇぞ……。
気を引き締めるような宣言の直後に。
息を強く吸い込んだ赤き竜人は、即座に熊人形の怪物の足元を目掛けて氷の吹き矢を数多に放出していく。
雷撃は通用しない、であれば冷気の類は通用するのか――そんな疑問の元に放たれた攻撃。
それは熊人形の怪物の体に確かに命中すると、熊人形の体を表面から凍結させんと氷の膜を形成し始める。
が、それは熊人形の怪物が即座に自身の周囲に出現させた紫色の毒々しい炎によって見る見る内に消し去られてしまう。
出現した紫色の炎は紛れも無く熊人形の怪物自身の体をも焼いているはずなのだが、熊人形の怪物の体は遠目から見ても焼け跡一つ見当たらない。
返す刀で向かってくる紫色の炎の群れに対し、氷の靴を有する赤き竜人は兎耳の少女と共に動き出す。
片や氷の力でもって滑りながら稲妻の刃を振るい、片や軽快に駆けながら暖かな輝きを纏った拳で紫色の炎を迎撃していく。
何事も無いように見えるが、彼らは共に戦いの中で消耗している身。
少しずつ、だが確実に――息は上がり始めていた。
対照的に、熊人形の怪物の方はあまり戦闘の中では体を動かしていない所為か、特に息が上がったりなどはしていない様子だ。
現在に至るまでに受けた攻撃の数を思えば、熊人形の怪物の方こそが消耗していて然るべきはずなのだが……? 明らかに生き物のそれとは異なる体の構造をしている相手に、真っ当な消耗や損傷を期待するほうが間違っているのだろうか、と赤き竜人たる司弩蒼矢は疑問を抱くが、当然ながら力の大元たるデジモンの事など知らない彼の頭では答えなど出ない。
だから、司弩蒼矢は回避行動を取りながらも頭の中で自らに宿る怪物と言葉を交わしていた。
(訳知りな感じに
『まず、あの子を援護するべきだってのは確かだな。何のデジモンの力か正確には知らんが、闇の種族に対して有効な「聖なる力」ってのを持ってるようだし』
(援護って、具体的には?)
『
ある意味においては無駄の無い、解りやすい答えが飛んできた。
故に、赤き竜人たる司弩蒼矢は悩む事を止めた。
氷の靴を用いた滑りの軌道を鋭角に曲げ、紫色の炎の間を掠めるような軌道でもって、熊人形の怪物の方へと素早く向かっていく。
稲妻の刃を構える彼目掛けて、熊人形の怪物は即座に獣毛を有する左腕を振り下ろしてくる。
力で押し勝つ事は出来ない――それを理解した上で、赤き竜人は真っ向から熊のそれを想わせる鋭利な爪を稲妻の剣でもって受け止める。
二度目となるつばぜり合い。
ただでさえ消耗が重なっている故か、あるいは思い通りに目論見が進まない事に怒りでも感じている故か、赤き竜人の右腕を起点に圧し掛かってくる熊人形の怪物の腕力は更に強いものになっていた。
氷を靴の形で纏っている両足は、押し潰されないように踏ん張るのが精一杯――今このタイミングで更に攻撃を重ねられてしまったら、一度目のつばぜり合いとは異なり跳躍で回避する事も出来ない。
そうなるように、恐らく熊人形の怪物も強く圧力をかけてきているのだろう。
一見万事休すの状況――されど、赤き竜人の表情に絶望の色は無い。
今戦っているのは、自分だけではないと知っているからだ。
「ちっ……!!」
熊人形の怪物が、素早く追撃の手を加えようとするその寸前。
いつの間にか熊人形の怪物の右側面にまで移動していた兎耳に拳法着の少女が、熊人形の怪物の頭部目掛けて力強く跳躍した。
無論、彼女の存在については熊人形の怪物の方も意識には入れていただろう。
事実として、跳躍した兎耳の少女を阻むように、熊人形の怪物が発生させたと思わしき紫色の炎が進行方向上に存在しているのだから。
だが、兎耳の少女は動じることなくその両手に暖かな輝きを纏わせると、跳躍した勢いをそのままに自らに向かってくる紫色の炎を殴り散らし、同じく輝きを纏っていたその右脚を熊人形の怪物の頭に叩き込んでいた。
少女の脚に、かつて感じていた鉛のような重さが返ってくることは無く。
棄てられ廃れた街の残骸の上に、肉が潰れる水っぽい音の代わりに、バレーボールかサンドバックでも打ち付けるような音が響いていく。
「ぐ、お……っ!?」
先の流れにおいて通用する事の無かったその一撃は、輝きを伴ったことが影響してか、今度の今度こそ熊人形の怪物の口から呼吸の詰まるような声を漏らさせた。
放たれた蹴りの威力、あるいはそれに纏わりついていた輝きの力、あるいはその両方の影響からか、熊人形の怪物の頭部が綿を漏らしたぬいぐるみのよう容易く凹み、直後にその巨体が嘘のように二転三転する。
その姿を見やってから、足が地面に埋まるのではないかと思わんばかりの圧力から開放された赤き竜人は、両足と右手を地に着けて着地をした兎耳の少女と顔を見合わせ、互いに軽く頷いた。
ひび割れたアスファルトに熊の爪を突き立てる事で体勢を整えた熊人形の怪物は、
「調子に乗るんじゃあねぇッ!!」
「「――っ!?」」
怒声と共に、腹部に存在していた縫い糸を解けさせていた。
毒々しい緑色の『目』だけを覗かせていた人形の、その
一言で言えば、それは闇だった。
人形の中身としてかくあるべき白綿などは形も見えず、代わりに不定形に蠢く闇が綿の代わりに人形の内側を満たしていた。
その中心部――一般的な人間の身長で言えば胸部にあたる高さ――に見える緑色の『目』が、さながら心臓のように蠢いているのを見ると、綿のような形を得ているように見える闇もまた血管や神経のそれを想起させる。
明らかに、現実の世界に存在する物質の類では無い。
最初から理解していた事ではあるが、これは想像を遥かに超えた怪物だ。
(……あの目って、もしかして……)
『ヤツの核……あるいは、本体とでも言うべきものだろうな。胴体とかを雷撃でブチ抜いても何ともなかったのは、そもそもあの体が「操るもの」でしか無かったのと、あんな濃密な「闇」の力に覆われていたからだろう。相殺されたのか受け流されたのかは知らんがな』
(あんな滅茶苦茶が当たり前って……リヴァイアモン、いったいどんな世界で生きてたの?)
『デジタルワールドだっつってんだろ』
見れば、中身を曝け出した腹部以外にも、熊人形の体に存在する他の縫い目の部分からも同じ闇色の綿が噴出しつつある。
それには光を遮る効果でも含んでいるのか、赤き竜人の目には周囲が少しずつ薄暗くなってきているように見えた。
ともあれ、リヴァイアモンの推理が正しければ、熊人形の怪物は自ら弱点を曝け出した事になる。
意図は知らないが、この機会を逃す手は無い――即座に司弩蒼矢は稲妻の剣を構え、その先端から雷撃を放っていく。
狙いは無論、曝け出された闇の中心に蠢き光る緑色の『目』だ。
しかし放たれた雷撃が『目』に直撃する前に、熊人形を満たす闇がさながら繭のように『目』を外側から覆い隠してしまい、雷撃はその進行を闇に阻まれる形でかき消されてしまう。
リヴァイアモンの言った通り、物理では説明出来ないあの『闇』の力には雷撃を防ぐほどの何かがあるらしい。
そして、蒼矢の行動に応じるように、中身を曝け出した熊人形――を操る本体と言える『目』の持ち主――の方にもまた新たな動きがあった。
飛び道具として周囲に出現させていた紫色の炎をそうしたように、中身を満たし弱点たる『目』を護るために生じさせていた『闇』を何らかの力で操り、縫い目や腹部より曝け出されたそれに先端が棘のように細い触手のような形を与えて、赤き竜人と兎耳の少女を襲わせ始めたのだ。
「ちょっ……何よ、第二形態とかそういうヤツ……!?」
「――っ!!」
突然放たれる未知にしておぞましき攻撃手段に、二人の人外の背筋に嫌でも悪寒が走る。
明らかに自由自在といった様子で伸縮し迫り来るそれに対し、赤き竜人は即座に口から氷の吹き矢を放つことで迎撃するが、次から次へと闇色の触手は熊人形の
いくら迎撃そのものが可能だとしても、このままではジリ貧になるとしか思えない。
だが、赤き竜人はその場に踏みとどまり、氷の吹き矢と稲妻の剣から放つ雷撃でもって迫り来る闇色の触手を迎え撃つ事を選んだ。
先んじて決めた方針に習うように。
(何にしても、あの子の力が倒すのに必要なら、無理やりにでも押し切るしかない……!!)
『ああ、それで正解だ。いちいちビビってんなよ、こっちがやるべき事は変わらねぇんだからな』
「
回避のために動いても、どうせいつかは息が切れて追いつかれてしまう。
逃げるだけでは、根本的に勝ちの目に繋がる道には繋がらない。
むしろ、回避しきれないと解っているものを下手に回避しようとすればするほど、無駄に疲労は積み重なっていくばかりだ。
今必要なのは、あくまでもあの『闇』の力に対する有効打を持つ兎耳の少女にとっての突破口。
片方が迎撃に動く事で、もう片方にとっての突破口になるのであれば、迎撃の役を赤き竜人の方が担うのがこの場における最適解である事は間違い無い。
赤き竜人の呟くような声を獣毛を帯びたその長い耳で聞き取った兎耳の少女は既にその意図を汲み取り、回避のために動き回りながらも赤き竜人が作ると信じた空隙へ跳び出す機会を伺っている。
この日に会ったばかりの仲でありながら、 あるいは自分に出来ることを精一杯という一念で、窮地の中にある彼等は確かに信頼し合っていた。
しかし、ただでさえ肉体的に追い詰められている彼等に対して、熊の人形を操る闇の怪物は更なる一手を打ってくる。
「オラァァァアアアアアア!!」
「っ!?」
殆ど咆哮染みた声が飛んできたかと思えば、熊人形の――獣毛と鋭爪を携えた――左腕が千切れていたのだ。
その内側から漏れ出た『闇』によって縫い目が解かれる形で。
一見したその時点では、膨大な力を制御出来ずに自分で自分の得物を放棄してしまっただけのようにも見えたが。
縫い目から漏れ出ていた『闇』が千切れた左腕を覆い始めた事で、二人はその意図を知った。
先に放たれた闇色の触手を見れば解る通り、怪物が操る『闇』は伸縮自在の産物だ。
わざわざそれを用いて、千切れた左腕を繋ぎ合わせたということは。
即ち、
『――
赤き竜人の頭の中で、リヴァイアモンが警告の声を発した直後、彼の言葉通りの出来事があった。
粘ついた闇に全体を覆われ、関節と言えるものがそもそも不定形になってしまったその左腕が真横になぞるような軌道でもって振るわれる。
熊人形の挙動に合わせてか鞭のようなしなりが加わったそれは、棄てられた建物の外壁をガガガガッ!! と削り砕きながら赤き竜人と兎耳の少女を薙ぎ払わんと急速に襲い来る。
伸縮自在なそれに対して、後方にただ跳躍するだけでは避けきれるとも限らない。
彼等に取れる選択は一つ――精一杯の力で跳び、縄跳びの要領でもって左腕を回避する事だった。
しかし、実際に跳んで回避した直後――まさに、彼等が地から離れたそのタイミングを狙っていたかのように、熊人形の腹部から生じる闇色の触手が伸びてくる。
着地は間に合わない。
殆ど反射的に口から氷の吹き矢を放ち迎撃しようとするが、咄嗟の行動故か精度が甘くなり、結果として撃ち漏らしてしまった二本の闇色の触手が赤き竜人の左肩と右脚にそれぞれ突き刺さってしまう。
「ぐっ……?」
鋭利な見た目をしていた割に、焼け付くような痛みは無かった。
が、ここに来て何の害も無いものを突き立てに来るとは思えない――着地しながらもそう思った赤き竜人は、即座に引き抜こうと稲妻の剣を携えた右手で闇色の触手を掴み取ろうとして、
「――が、ぁ……っ!?」
寸前で、その手が止まった。
赤き竜人の裂けた口から、息が詰まるような声が漏れる。
その体が、痺れでも感じているように得体の知れない震えを発していた。
速やかに闇色の触手を引き抜きたい、そんな彼の判断に反した体の動きだった。
(……これ、は……!!)
『……おいおい、マジかよ……』
赤き竜人自身、体を動かそうと意識はしているのだ。
しかし、その意思に反して体はただ震えるばかり。
闇色の触手を突き立てられた直後の、明らかな異常。
その正体を、宿りし怪物は速やかに看破し言葉とする。
明らかに、その事実に焦りを覚えた声色で。
『あの獣染みた体が、操るためのモノでしかなかったって解った時点でまさかとは思ったが……アイツ、あの野朗……闇のエネルギーを使って
最悪な回答がそこにあった。
自分の体に突き立てられた黒い触手、その真意に赤き竜人の背筋が急激に凍り付く。
明らかに自分の体の内部へと入り込んでいる触手の先端、その実態がどうなっているのかは全く解らないが、もしかすると現在進行形で植物の根のように張り巡らされているのかもしれない。
鋼鉄をも容易く溶かす炎よりも、それは遥かに恐怖というものを感じさせるものだった。
右手が、それに備え付けられている稲妻の剣が、竜人の意思とは関係無しに動き出す。
(まず、い……っ!!)
体の自由が利かないというだけでも致命的。
まして、相手の意のままに操られてしまうともなれば、嫌な予感は爆発的に膨らんだ。
熊人形を操る闇の怪物、それが所属しているらしい『組織』の目的は、司弩蒼矢の身柄の確保もそうだが彼の心変わりにこそあるらしい。
実際、先に戦った炎の魔人は彼が現在も護りたいと思っている少女――磯月波音を殺すことで『後押し』するとまで言っていた。
その言葉が適当に吐き出されたものではなく、更に目の前の闇の怪物の能力がリヴァイアモンの推測通りであれば、件の『組織』が司弩蒼矢に望んでいる心変わりが絶望や悲しみといった負の方面の意味を含んだものである事は明らかだ。
確かに現在、件の『組織』が司弩蒼矢の感情を負の方向に『後押し』させるために命を狙う磯月波音の身柄については、兎耳の少女が動いてくれたおかげで戦いに巻き込まれない場所に隠されてはいる。
しかし、何も磯月波音を殺害する事だけが絶望を抱かせる方法とは限らない。
例えば、何の事情も知らずにいながら純粋な善意で助けに来てくれた兎耳の少女を殺害されてしまう、とか。
それだって、心中に強い絶望を落とすには十分な案件だ。
意図が解りきっていても、そんな悲劇に耐えられる自信など司弩蒼矢は持ち合わせていない。
そもそも目の前で起きた悲劇を否定したいと思ったからこそ、決起したのだから。
まして、自分という存在が無ければあるいは『組織』に狙われることも無く平和に過ごせたかもしれない無関係の少女が死ぬという現実が、他ならぬ
「――っ!!」
そう思考した時点で、赤き竜人に取れる選択肢は一つだけだった。
目立った前触れも無く、赤き竜人の全身から青白い電光が迸り始め、脚を靴の形で覆っていた氷が速やかに弾け飛ぶ。
自らの体の各部に備え付けられた甲殻の鎧――それに内臓されている発電装置を、一斉に起動させたことで。
炎の魔人と戦った際には、その強靭な身体能力に対抗するために、全身の筋肉を電気刺激によって強制的に伸縮させ身体能力を飛躍的に向上させるために行った手段。
それを今度は、自らの体内に現在進行形で潜り込んで来る闇色の触手を駆逐するために用いているのだ。
実際問題、その対応自体は決して間違いでは無かったのかもしれない。
一泊を置いて、彼の体内に潜り込んでいた闇色の触手の影響が消えたのか、彼の体が得体の知れない震えを発することは無くなり、自らに突き立てられていた闇色の触手を引き抜くことにも成功したのだから。
しかし、直後に――その全身を激痛が貫いた。
闇の怪物が何かをしたわけではない。
これは、この場に来るより先んじて予見されていた話。
氷の靴など作って、滑って追いつかなければならなくなったそもそもの事情。
苦悶の表情を浮かべ、呻き声を漏らし、全身を痛みに奮わせる赤き竜人の脳裏に、焦りの色を含んだ怪物の言葉が走る。
『――っ、馬鹿野朗ッ!! お前、俺がさっき言った事を忘れたのか!? そんな必殺技レベルの電気を体に流したら、体の方が途端に駄目になっちまうぞ!!』
(それで構わない!! 今ここで、僕があの子を攻撃してしまうようになるよりは……!!)
『体がいっそ駄目になってしまえば操られないって思ったのか? 馬鹿、あの野朗は元々中身があるかも定かじゃないガワを操ってたんだぞ!? 体が駄目になった所で、ヤツがお前の事を操れなくなるなんて確証が何処にあった!?』
(だったら、体が動かせなくなる前に決着を付ければいい……!! たとえ、もう二度と手足が動かせなくなるかもしれなくても、今ここで彼女達が殺されてしまうよりはずっとマシだッ!!)
『……っ……!!』
司弩蒼矢とリヴァイアモン。
彼等の思考は、あるいはどちらも間違ってはいなかったのかもしれない。
ただ、安全と言える選択肢が存在しなかっただけで。
リスク抜きでは打開が出来ないほどに追い詰められてしまった故の、結果でしか無いのだから。
「っ、ぐぅっ……!!」
「――っ、ちょっとアンタ、大丈夫なの!?」
痛みを背負う事は覚悟していた。
だが、どれだけ激痛を背負っても体の動きはどこかぎこちなく。
とても、動き回って戦うなんて事は出来ないような状態になっていた。
そして、そんな彼に対して――闇の怪物は、容赦をしなかった。
「――ははっ!! わざわざ自滅してくれるとはなぁ!!」
彼が操る熊の人形――その頭部に存在する口が、闇色の綿のようなものを開いた腹の前方に漏らしながら生物的に開く。
見る見る内に、漏れ出た闇色の綿の外側から少しずつ紫色の炎が生じ、やがてそれは全体的な形を球体の形に整えられながら肥大化していく。
司弩蒼矢の目には、それが爆弾、あるいは砲弾のように見えた。
結果的に動きが鈍くなってしまった自分の抵抗するための力を、決定的に叩き折るためのものだとも。
「させ――っ!?」
「……っ!!」
マトモに動けない蒼矢の姿と、口から何か恐ろしい攻撃を放とうとしている熊人形を交互に見て、即座に兎耳の少女は熊人形の頭部目掛けて跳び出そうとした。
しかし、その直前に一度振り切られた熊人形の闇の左腕が再度動き出し、目の前の危機に視野を狭めてしまった兎耳の少女の体を一薙ぎしてしまう。
鈍い音と共に、少女の体が強く打ち飛ばされる。
「いい加減目障りなんだよ、メスガキ風情が」
その様に目を見開いた赤き竜人が手を伸ばそうとしたが、体は思い通りには動いてくれず、結果として兎耳の少女の体は赤き竜人のすぐ傍にまで転がり込む事になってしまった。
ここに来て、その位置関係が偶然のものであるなどとは考えない。
恐らく、熊の人形を操る闇色の怪物は、赤き竜人に対して放つ攻撃に兎耳の少女を巻き込むために、わざと赤き竜人のすぐ傍に吹き飛ばしたのだ。
「くっ……」
痛烈な一撃を受けた直後で、痛みに悶える兎耳の少女はすぐには動き出せない。
可能であれば赤き竜人がすぐさま少女を担いで動けば良いだけの話なのだが、重度の電気刺激によって決定的にダメージを蓄積させている足ではそもそも自分一人で移動する事さえ難しい。
迎撃以外の選択肢など、無いに等しかった。
歯を食い縛り、痛みに震える腕を動かし、稲妻の剣を構える赤き竜人の目の前で。
その体躯の三分の二ほどの大きさはあろう、黒いハートの形を成した砲弾を作成した怪物が、冷徹な声色で告げる。
「さぁて、これで最後だ……心身共に折れやがれ――
暗黒の心臓が、殆ど真正面に近い角度から飛来する。
それに対して赤き竜人は稲妻の剣の剣先を向け、真っ向から必殺の言霊と共に対抗した。
「
稲妻の剣から放たれた青白い雷撃が、心臓でも模したような暗黒の砲弾の中心――より僅かに下方を捉える。
が、稲妻は暗黒の砲弾を散らす事も貫く事もなく、少しずつではあるが暗黒の砲弾の方が雷撃を掻き消しながら赤き竜人の立つ方へと近づいて来ている。
「ぐおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
己を奮い立たせるように、赤き竜人が獣のように咆哮する。
その全身各部に備え付けられた甲殻の鎧から、雷撃と同じ青白い電流が漏れる。
同時、彼の闘志に応えるかのように、稲妻の剣より放出される電流がより太いものになる。
だが、それでも足りない。
巨大な暗黒の砲弾に対抗するには、足りていない。
暗黒の砲弾は、確実に標的への着弾までの距離を縮めつつあった。
全身を、引き裂くような激痛が苛む。
これ以上は止めろと、他ならぬ彼の体の方が訴えてくる。
それでも、赤き竜人はその場から一歩も退かず、全身に迸る力を一本の槍とした雷を放ち続ける。
(それでも……それでも、今ここで諦めるわけにはいかないんだ!!)
何故なら、彼のすぐ傍には倒れ伏した少女の姿がある。
少し前にも、彼は同じような状態に追い込まれた少女の姿を見ていた。
だから、
(誰も……誰一人も……!!)
絶対に許容するわけにはいかない。
ここで、屈してしまうわけにはいかない。
例え、どんなに重い代償を払う事になるとしても。
「傷付けさせて……たまるかァァァあああああああああああああ!!!!!」
しかし、現実は非常だった。
どんなに強い思いを胸に抱いていても、結果として暗黒の砲弾はジリジリと詰め寄ってくる。
折れてしまうわけにはいかないと思っていても、勝手に右の膝が折れて地に着いてしまう。
せめて逃げてくれと、赤き竜人は声も無く至近の少女に祈っていた。
彼女さえ無事に済めば、あの闇の怪物を打倒出来る可能性はあると考えられて。
一方で、自分
そうして、暗黒の砲弾は迫り続け。
最早、間合いにして5メートルも無くなって。
無理か、と自らの無力さに歯を食い縛って。
そして、直後に。
「ぐっ、おおおおおおおおおおおおおお!!」
至近で、叫び声が聞こえた。
次いで、自らの右腕に何かが触れる感触があった。
赤き竜人は、決して逸らさぬべきだと決めて暗黒の砲弾へと向けていた視線を逸らし、右腕の感触の正体を確かめた。
そして、赤き竜人は息を詰まらせた。
膨大な電気を帯びた赤き竜人の右腕に触れたものの正体――それは、痛みに悶えて倒れ伏していたはずの兎耳の少女の、その両手だった。
見れば、彼女は赤き竜人と同じく片膝を地に着けた状態で、闘志を宿した目をこちらに向けている。
赤き竜人には、まず彼女の行動が信じられなかった。
砲弾の攻撃範囲の外に逃げているのなら理解が出来た。
だが、砲弾の攻撃範囲から逃げもせず、ましてや人間発電機状態の赤き竜人の体に触れようなどとは、流石に理解を得ることが出来なかった。
追い詰められた状況も忘れて、赤き竜人は兎耳に拳法着の少女に言葉を放つ。
「ちょっ……駄目だ!! 見て解らなかったのか!? 今の僕の体には電気が通ってて……!! それに、君がこんな近くにいたらアレに巻き込まれるんだぞ!?」
「わかってる、わよ……そんなこと!!」
応じる声には、苦悶の色が混じっていた。
明らかに、腕伝いに流れてくる電流に苦痛を感じている様子だ。
しかし、彼女は自らの痛みにも構わず言葉を紡いだ。
「アンタは言った!! 自分達が帰るべきだと、きっと誰かが待っている場所に行こうって!! だったら自己犠牲なんて絶対に考えるんじゃないわよ!! 吐いた唾を呑んでんじゃないわよ!! そうやって取り残された人は、寂しく泣いて生きていくしか無いんだから!!」
「っ」
その言葉には、明らかな実感が篭っていた。
取り残される寂しさを、失う悲しさを、知っている声だと思った。
自分なんかよりもずっと辛く苦しい目に遭った事があるに違い無いとも、思った。
そして、
「そしてあたしも言った。絶対、独りになんてさせないって!!」
その言葉の直後に、変化があった。
赤き竜人の右腕を掴む少女の両手に輝きが灯り、それは瞬く間に赤き竜人の右腕を伝い全身までも包み込み始める。
恐らくは、リヴァイアモンが『聖なる力』と呼んだものと同じもの――それが、赤き竜人の体に伝播していく。
心地良さ、と言えるものを感じる。
少しずつ、全身の痛みが緩和されていくのが解る。
『これは……確かに「聖なる力」なはずだが、治癒の効果も混じってる……のか?』
「……君は……」
「だから、この手は離さない。絶対に!! 手を繋ぐって、ただそれだけの事で救えるものがある事を、私は知ってるんだから!!」
実のところ。
少女は自分が行使している力の事を、詳しくは理解していなかっただろう。
自身の手足から生じる光が、司弩蒼矢に対してリヴァイアモンが語った『聖なる力』であるという事さえも。
あくまでも、目の前の敵が用いる『闇』に対して有効だという事ぐらいしか、理解は及んでいない。
だが、それでも――少女は祈っていた。
この光輝く力が、悪党を倒すためだけのものじゃなくて、傷付いた誰かを助けられるような優しい力でありますようにと。
結果として、少女の祈りに力は応えた。
暖かな光は、自らの力でもって傷付いていた赤き竜人の体を癒し、治していく
青と白の色彩が、闇を祓うが如き朝焼けの色彩に転じる。
二人の力が一つに合わさり成果を成す。
「……ごめん、つい弱気になってた」
「解ったら、力を合わせるのよ。具体的な理屈なんて知らない。だけどきっと、信じればどうにかなるから!!」
「ああ!!」
暗黒の砲弾に距離を詰め寄られつつある状況の中、司弩蒼矢は思わず笑みを浮かべていた。
つい少し前に自分が言い放った決意を、いくら追い詰められたからって簡単に曲げそうになってしまっていたなんて、根性無しにも程がある。
心変わりの力を持つ怪物が作り出した闇色の触手を、一時的にでも体に突き立てられていた影響だろうか――強く奮い立たせていたはずの心が、無意識の内に少し脆くなってしまっていたのかもしれない。
暗く落ち込みかけた心は、少女の光が照らされ明るさを取り戻す。
聖なる力を有する兎耳の少女を巻き込んだ雷の力の奔流は、暗黒の砲弾と僅かに拮抗し――やがて、押し返し始めた。
「な――ッ!?」
ここに来て。
自らの力が押し負け始めたという事実に、闇の怪物は絶句していた。
彼が用いる『闇』の――厄や呪いとも呼べる――力は、言ってしまえば怒りや悲しみといった負の感情、もしくは悪意を燃料とした力であり、自らの思い通りにいかない現実に対する苛立ちを起点としたその力は戦いの中で自然と増大していくものだった。
負けるわけが無い。
つい少し前に力を得たばかりの、
なのに。
なのに!!
なのに!!!!!
「馬鹿な……あんな、ガキ共に……俺が負けるってのか……っ!?」
暗黒の砲弾が、少しずつ歪められていく。
黒と紫の闇に染め上がった球体に朝焼けの色が混じり、輝きが暗黒を侵略する。
そして、
「「いけえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」」
少年と少女の叫びが響いたと同時。
暗黒は拓かれ、閃光が闇の怪物の『目』を貫いた。
絶叫さえも雷鳴に掻き消され、闇の怪物の意識は光に溶けていく。