浜風は提督に甘えたい   作:青ヤギ

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浜風は提督に甘えたい

 見た目のせいで損をしている。

 

 そう感じた経験が皆さんにもあるでしょうか?

 

 お話し好きで友達がたくさん欲しい。

 でも顔が怖いせいで人から避けられてしまっているとか。

 

 熱中できる趣味がある。

 でも「似合わない」「イメージと違う」と笑われるのがいやで、他人には秘密にせざるをえないとか。

 

 ほんとうは周りの人とそんなに出来は変わらない。

 でも雰囲気がしっかり者に見えるせいで必要以上に期待を寄せられて、頼られてしまうとか。

 

 世渡りのうまい人は、それらを魅力的なギャップにしていくのでしょう。

 でもそんな器用なマネができるのなら、そもそも自分の外見に悩んだりしません。

 本当の自分を見せることが恥ずかしい。ありのままの自分を知られたら、幻滅されてしまうかもしれない。

 だいたいの人は、そんな後ろ向きの想像がつき纏って行動を起こせないものです。

 

 けれど一方で、そんな自分を閉じ込める殻を破りたいと思う。

 周りの評判など気にせず、自分の本心を打ち明けられたら、どんなに楽になるか。

 

 

 

 ……そう考えていながら、結局『私』は今日も本音を秘め隠している。

 隠し続けていたら、もっと悪循環を生むだけだと、わかっているにも関わらず。

 

 

 でも、やっぱり言えません。

 

 

 私こと『浜風』にとって、秘密を明かすことは、あまりにも……

 

──────

 

 艦娘とは、軍艦の魂を宿した特殊な存在である。

 見た目は総じて美しい女性たちだが、その秘めたる力は超常のもの。

 人類と海の平和をおびやかす『深海棲艦』に唯一対抗できる戦力である。

 

 しかし、戦いの場から離れれば艦娘たちも普通の人間とそう違いはない。

 

 特に軍艦としては小規模な『駆逐艦』の艦娘。

 彼女たちは、見た目どおり幼い少女だ。甘味の味に喜び、仲の良い姉妹たちとはしゃぐ姿は、見ていて微笑ましいものである。

 一般児童が通う小学校に紛れ込んでも、恐らく違和感はないだろう。

 

 しかし、何事も例外はある。

 小学生らしからぬ小学生が現実にいるのと同じように、駆逐艦でありながら駆逐艦らしからぬ艦娘もいる。

 

 その艦娘は現在、ひとつの注目を集めていた。

 

 

 ──『駆逐艦の皆さんにアンケート! ずばり、いちばん大人っぽい駆逐艦はだれ!?』

 

 

「ん~。戦艦の人たちにも負けないくらい、しっかりした子はたくさんいますけど。

 でも全体的に大人っていう意味なら、浜風さんですね。真面目でいつも落ち着いていらっしゃいますし。それに……あ、あのプロポーションにはやっぱり憧れちゃいます。いまだに同じ駆逐艦とは思えないです。はい」《ブリザード1番艦さん》

 

「浜風マジぱない! なんぞあの胸部装甲!? うちの潮だって負けてないけどあれはガチな規格外ですぞ!」《メシウマラビットさん》

 

「体型の良さだけなら白露型とか秋月型とか、あと姉妹の浦風みたいに他にもいるけど、精神的に大人びてるっていうなら、やっぱり浜風なんじゃない?」《月に叢雲花に風さん》

 

「浜風ね。戦艦や一航戦相手でも堂々と意見できる気骨があるし。どんなことにも手を抜かないところとか、いつも感心してるわ。……まったく、クズ司令官も見習ってほしいものね」《礼号組のお母さん》

 

「もちろん浜風さんです! あんなに綺麗でしかもお仕事もできて、料理もお上手で、ほんとうに憧れちゃいます! アゲアゲです!」《小さな体に大きな魚雷さん》

 

「レディよ! 浜風さんこそ一人前のレディだわ! 暁もいつか絶対にあんな風になるんだから!」《一人前のレディ()さん》

 

「みんな浜風って言うけど真のイッチバーンは私! スタイルだって負けてない! ……なんで呆れた目で見るの!?」《真の1番艦()さん》

 

「夕雲姉さんだって負けていませんよ! あ、でも手作りクッキーおいしかったです! ありがとうございます!」《グルグルクラウドさん》

 

「浜風な~。あいつが駆逐艦って知ったときは『世の中不平等や』って渇いた笑いしか出えへんかったなぁ。アハハハ~……って、なんで駆逐艦相手のアンケートでウチが答えとんねん! オイこら待たんかい青葉ァ!」《平たい胸族さん》

 

──────

 

 鎮守府が夕暮れ色に染まりだした時刻。

 執務の息抜きがてらに用意した一枚の新聞を、提督は興味深げに読んでいた。

 

(へえ。浜風は人気者なんだな)

 

 見出しには、

『直撃! いま人気の艦娘たち! (編集:青葉)』

 と書かれている。

 

 各艦種で人気を集めている艦娘が列挙された内容らしい。

 

 戦艦では大和。

 空母では加賀。

 重巡では鈴谷。

 軽巡では由良。

 

 等々、親しみやすかったり、憧れの対象になりやすい艦娘がランクインしている。

 その中で、浜風の票数は総合的に見てもダントツであった。

 駆逐艦の数が多いこともあるが、それでも圧倒的な人気ぶりと言えよう。

 

 青葉の作る新聞は興味深い。

 新聞といっても学校新聞レベルの出来ではあるが。

 しかし鎮守府の実情を把握できるツールとして重宝している。

 

(提督だからって、鎮守府のすべてを把握できるわけじゃないからな)

 

 最初の頃は何でも記事にしてしまう青葉のパパラッチぶりには注意を呼びかけていた。

 

 だが、部下の『生の声』というのは貴重だ。知らずのうちに蔓延(はびこ)る、組織の問題点を改善するきっかけになったりする。

 特に上官相手には口にできない不満などは、即解消すべき案件だ。

 

 やれ設備が悪いだの、日用品をもっと充実させてほしいだの、一日のスケジュールを見直してほしいだの、『赤城盛り定食』を早急に用意しろだの……

 

 細かいことではあるが、そうした環境整備をしていくことで部下のモチベーションは向上する。

 信頼関係を築く上でも、重要なことだ。

 心無い上司ならば「我慢しろ」と無慈悲なことを言うのだろうが、この提督はできるだけ希望を叶えるタイプであった。

 おかげで、数ある鎮守府の中でもこの鎮守府は住み心地がいいと評判である。

 

 そのようにして、青葉の取材には何度か助けられたことが多い。以降、青葉には好きにやらせている。

 勝手にネタにされて憤慨していた艦娘たちも、いつのまにか毎回記事を楽しみにするようになっていた。

 

 今回もまた有難い情報を得た。

 どの艦娘がカリスマ的人気を誇っているのか。誰が信頼され、慕われているのか、ひと目でわかる。

 今後、重要な戦いが訪れたとき、ここに列挙されている艦娘を旗艦にすれば、艦隊の士気が向上するかもしれない。

 

 こういった面で、青葉の書く記事は役に立つのだった。

 ……現在の状況も含めて。

 

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「えーっと……よかったな浜風。駆逐艦の皆にこれだけ慕われていて、お前も鼻が高いだろ?」

 

 司令室では常に、秘書艦の艦娘と二人でいる。

 そして本日の秘書艦は、(くだん)の浜風であった。

 

 黙々と書類仕事に打ち込んでいるその姿は、なるほど、評判のとおり大人びている。

 前髪の隙間から覗く左目は理知的な色合いが宿っており、幼さを感じさせない。

 表情にも駆逐艦特有のあどけなさはなく、すでに淑女特有の気品に溢れている。

 ちょっとした所作だけでも、色香めいたものすら感じさせる。

 そしてなによりも強烈な印象を残す見事な──見事すぎるプロポーションは、決してアンバランスなものとは思わせない。

 そのスタイルにふさわしい、成熟した女性の雰囲気が、彼女にはある。

 

 駆逐艦たちの憧れを一身に受けるのも頷ける。

 

 とはいえ、浜風とて駆逐艦。

 精神的にまだまだ未熟と分類される、駆逐艦なのだ。

 今回のようなランキングで注目を浴びようものなら、多少なりとも浮かれたり、恥ずかしがったり等、感情的になったりするものではないだろうか。

 

 これが仮に一番だったのが夕立であれば「ぽい~! やったぽ~い!」と素直に喜ぶであろうし、

 霞ならば「バ、バッカじゃないの!?」と照れ隠しで怒ったり、

 如月であれば「あら、光栄なこと♪」と得意顔になるだろう。

 

 そんな、いかにも幼い少女らしい反応が容易に想像できる。

 

 浜風も、そういった駆逐艦相応の反応を見せるのではないかと、内心期待したのだが……

 

「別に。興味ありません」

 

 返事は素っ気ないものだった。表情の変化は、微塵もない。

 

「……そ、そうか」

 

「ええ」

 

「……」

 

「……」

 

 会話は途切れた。

 

「提督。息抜きが済んだようなら、そろそろ執務を再開していただけると助かるのですが」

 

「う、うむ。すまない」

 

 処理すべき書類はまだまだ残っている。

 浜風ばかりに任せるわけにもいかないので、小休憩から仕事に戻る。

 

 ペンが走る音。

 印を押すささやかな音。

 司令室は瞬く間に質素な物音だけに支配される。

 

(……気まずい)

 

 他の艦娘が秘書艦ならば、こういうとき軽い雑談をまじえるところだが。

 しかし、浜風との間には、その雑談すら起こることがない。

 

 真面目な性格ゆえ、無駄口を叩く暇があるならやるべきことに集中する。浜風がそういうタイプであることはわかっている。

 しかし先ほどのやり取りでもわかるとおり、彼女には常に見えない壁がある。

 あの青葉ですら、唯一本心を聞き出せない相手。

 現に先ほどのように話をふっても、会話に花が咲いたためしがない。

 

 浜風がこの鎮守府に着任してから随分と経つ。

 それなりに長い付き合いであるはずなのだが……いまだにこの艦娘との距離感を掴めないでいる。

 深刻な軋轢とまでは言わない。上官と部下としての関係だけ見れば『良好』に違いない。

 

 ただ、気心知れた仲かと聞かれたら、自信を持って解答できない。

 

 提督に心を開かない艦娘は、これまでにも何人かはいた。

 その艦娘とすら、いまでは差異はあれど打ち解けているというのに──この浜風に至っては、まだまだ、わからないことのほうが多い。

 

 あまり褒められたことではない。

 人類の希望たる艦娘を束ねる者として、各艦の心根を理解していないというのは。

 戦場に立つ彼女たちの命を預かる以上、一人ひとりの志を知り、尊ぶのは当然のこと。

 絆とはそうして芽生える。

 心理的に繋がりのない者同士が、いったいどうして手と手を取り合って、この戦いを勝ち抜くことができるだろうか。

 

 ……最も浜風の場合、それで作戦や執務で支障をきたしたことがないというのが、どうも歯痒いところである。

 むしろ、彼女はよくやってくれている。充分過ぎるほどに。

 戦闘はもちろん、こうして秘書艦の仕事に関しても彼女は優秀だった。

 恐らく、この鎮守府で一番効率的にこなせている艦娘と言える。

 気詰まりな空気になるとわかっていながら、よく浜風に秘書艦を任すのは、そういった面が理由だった。

 

 ……浜風自身が、秘書艦を希望する頻度が多いこともあるが。

 

 浜風の秘書艦歴は長い。

 よほど実直なのか。あるいは艦娘としての使命感に駆られているのか。浜風は常に提督の身近で鎮守府の現状を知り、そして最前線に立とうとする。

 戦闘能力が秀でた艦娘は他にいくらでもいるが、浜風の貢献度は、その主力艦の面々にも負けていない。

 数多くの駆逐艦たちが、浜風に尊敬の念を向ける最大の所以(ゆえん)はそこであろう。

 特殊な固有能力がなくとも、やり方と意気込み次第で如何様にも活躍はできる。

 浜風はそれを証明している。

 

 以上のことから、浜風と過ごす時間は、実は他の艦娘と比べて長い。

 にも関わらず、心の距離が縮まらないのは、いったいどういうことだろうか。

 

(うまく話せない俺が原因なのだろうが)

 

 もともと提督は、人づきあいが上手いわけではない。

 訓練生時代の友人もごく限られた人数しかいなかったし、そのほとんどは戦死してしまっている。

 軍事とかけ離れたやり取りを久方ぶりにしたのは、鎮守府に着任してからだ。はじめの頃は個性的な艦娘たちとの触れ合いに戸惑ったものである。

 

 提督である以上は艦娘たちと他人行儀になるわけにもいかない。なにより艦隊の規範は提督の行動で決まる。

 ゆえに苦手なりにコミュニケーションを図っているし、幸い親睦の深い艦娘をそこそこ作ることはできた。

 

 しかし浜風のように内面が読めない相手は、完全にお手上げである。

 これが金剛、満潮、扶桑、ポーラのように『喜怒哀楽』がわかりやすい艦娘であれば、まだまだやりようはあるのだが。

 

「ふう……」

 

 考え事をしていると肩が凝る。

 首をコキコキと鳴らし、片腕を回す。

 

(まあ、()()()()()()相手に無理を強いるわけにもいくまい)

 

 現時点でもうまく行っているというのなら、別段これ以上浜風と親密になる必要はないのかもしれない。

 そう思いながら身体のしこりをほぐしていると、

 

「提督。肩をお揉みいたしましょうか?」

 

「え?」

 

 珍しいことに、浜風から声をかけてきた。

 その内容にも驚く。

 

「私でよろしければ、凝りをほぐしてさしあげますが」

 

「あ、ああ。じゃあ、お願いしようかな」

 

 咄嗟のことで戸惑ったものの、せっかくの厚意なので頷くことにした。

 まさか浜風が進んでこんなことをしてくれるとは。

 

「失礼します」

 

 浜風が背後に回り、そっと肩に手を添える。

 

 ふわっとした少女特有の香り。思いのほか華奢な柔手。

 それらを身近に感じて不覚にも困惑するが、曲がりなりにも軍人としての理性で平常心を取り戻す。

 

「痛いようであれば言ってください」

 

 別の意味でも強張った肩の凝り。

 浜風はそれを、適度な加減でほぐしていく。

 

(おう、これはなかなか)

 

 想像以上に心地いい。

 こういう場面でも浜風は優秀ぶりを発揮するようだった。

 

 あまりにも気持ちがいいので、自然とリラックスした気分になっていく。

 

「提督、いかがでしょうか?」

 

「ああ、いい感じだ。もうちょっと強くしてもいいぞ?」

 

「はい。では」

 

 浜風が「んしょ」と力を込める。

 体重をかけて力んだため、前のめりの形になる。

 すると……

 

 

 

 

 

 むにゅうううん。

 としか形容のしようがない柔い物体が、後頭部にあてがわれた。

 

「……」

 

 この世のものとは思えないほど、弾力に富んだもの。

 いったい何を詰め込めばこんなにパンパンに膨らむのか。そう圧巻するほどの巨大な双球が、むにゅむにゅと提督の頭に密着している。

 ふたつの膨らみが何であるか、つとめて意識しまいとしても、悲しき男のサガが、その正体を告げている。

 

 恐らく、数多くの駆逐艦たちが憧れている象徴。

 ちょっと前のめりになっただけで、頭に乗かかるほどのボリューム。

 世の男性がこの場にいれば、涙を流して羨むに違いない

 

 浜風の特大バストを、いま、ゼロ距離で体感できているこの提督を。

 

「んしょ。んっ、んっ」

 

 浜風は肩もみに集中している。

 自分の胸が提督の頭に当たっていることを、特に意識していない様子だ。

 浜風にとって胸が何かに当たることは、日常茶飯事なのかもしれない。

 確かに、生活に支障をきたすのではないかと思われるほどのサイズなのだ。いちいち気にしてもいられないという可能性はある。

 そもそも特殊な生まれである艦娘のほとんどが、性的なことに対して無知ということもあるが。

 しかし、それにしたって……

 

「んっ、んぅ、んっ」

 

 あまりにも無頓着。

 あまりにも無防備。

 どんな男もケダモノに変えてしまうほどの凶器を押し付けておきながら、浜風はあくまで肩もみに専念している。

 

「んっ、あっ、んぅ……」

 

 力を込めるのに合わせて漏れる吐息すら、なにやら危うい雰囲気を醸し出す。

 

「提督、いかが、ですか? 気持ちいい、ですか?」

 

 マッサージを続けながら浜風が問いかけてくる。

 思わず「最高である。二重の意味で」と口が滑りそうになった、そのとき、

 

 

「っ!?」

 

 

 横から、刺すように鋭い気配を感じた。

 頭の中で鳴り出す警報。

 瞬く間に、提督は正気を取り戻した。

 

「……浜風、もういいぞ。充分だ」

 

「ん……そうですか」

 

 肩もみをやめるよう告げると、浜風はまた書類仕事に戻った。

 先ほどと同じように黙々とペンを走らせる。

 

 胸が接触したことで、気にした様子はやはりない。

 ならば、こちらから追及をするのは野暮というものだろう。

 過剰に意識している自分のほうが、ふしだらな感情を持っていると告げるようなものだ。

 それは、非常にまずい。

 

 いま、()()に監視されている状況では、特に。

 

 提督は視線を横に向ける。

 家具の隙間から、こちらを睨みつける小さな存在がいる。

 

 やはり、いた。

 見た目はセーラー服を纏った少女。しかし人間の娘よりも極端に小さな存在。

 

 人は彼女たちを、『妖精』と呼ぶ。

 

 建造、装備の運用、索敵に至るまで、鎮守府を支える縁の下の力持ち。

 そして、提督の素質を持つ人間を見抜く存在でもある。

 提督になるための最低条件は、妖精の姿を見られるか否か。

 艦隊を運用する上で、そして艦娘の上官となる上でも、欠かせない大切な味方である。

 

 ……しかし、いま提督に眼光を向けている妖精は、決して味方などではない。

 いや、()()()()からすれば、心強い味方なのだろうが。

 

 見た目は若葉マークのついた帽子を被ったおさげの少女。

 そして最も特徴的なのが、一匹の猫を手で吊るしていること。

 本来ならば愛らしいはずのふたつの目は、おぞましい気迫を湛えて提督を射抜いている。

 その瞳は、こう語っている。

 

 ──艦娘にふしだらなことしたら、承知せんぞ?

 

 と。

 

 そう。

 かの妖精は、鎮守府における不当な行いを取り締まる憲兵隊。それに所属する監視役だ。

 文字通り、提督に不審な行動がないか、常時監視しているのである。

 

 これは大本営の決まり。

 とある一件から、彼女はあちこちの鎮守府で偏在し、その役目をはたしている。

 

 

 ……話は少し前に遡る。

 

──────

 

 艦娘が人類の前に現れてから早数年。

 人間とは異なるも、しかし確固とした意思を持つ彼女たちと、どう向き合っていくべきなのか。

 それは、たびたび論争が繰り広げられる、人類にとっての議題のひとつであった。

 

 その最中で、『艦娘にも我々と同じように、人権を与えるべきだ』という主張が上がった。

 艦娘を不当に扱う、いわゆる『ブラック鎮守府』の増加が、その発言に力を加えた。

 

 当初は妖精が見えない人間でも提督を務めていた。

 大本営は深海棲艦の殲滅を優先することに躍起になっており、提督として素質ある人間ばかりを探す手間も余裕もなかった。

 人間性は考慮せず、ただ軍人として優秀な者だけを選抜した。

 それが悲劇の幕開けだった。

 いくら軍人として優秀でも、提督の素質のない者が着任した鎮守府は、必ずといって良いほど腐敗した。

 

 艦娘を本気で道具としか思わない鬼畜。

 艦娘を奴隷だと思い違いをして、虐待を加える腐れ外道。

 艦娘の目見麗しさに理性を失い、恥辱を味わわせた色欲魔。

 

 そんな非道な提督が次々と発生した。嘆かわしいどころの話ではない。

 人類の希望たる艦娘の、信頼を失いかねない暴虐である。

 愚か者どもの行いに大本営は然るべき制裁を加えた後、早急に対策を練った。

 妖精の力で提督の素質を持つ人材を探し出し、軍人として教育を行う。

 そうすることで、ようやく大本営は信頼足りえる提督たちを揃えることができたのだ。

 

 すべての提督の上位に立つ、司令長官は語る。

 

「我々人類にとって、艦娘は不可欠な存在である。

 彼女たち無くして、我々に生存の道はない。

 そのためにも、艦娘たちの信頼を失うわけにはいかないのだ」

 

 悪逆提督からの不当な扱いによって人間不信になった艦娘たちは、いまも傷ついた精神を癒すため、療養所に通い詰めている。

 

「ここに揃った君たちは、妖精によって認められた選ばれし存在だ。戦いのために必要な訓練も、君たちはみごと乗り越えた」

 

 その場に集った男たちの戦う理由は、それぞれ異なる。

 家族を失った者。故郷を滅ぼされた者。

 だが『深海棲艦を倒す』という最終的な目的は共通している。

 若者たちの瞳には、等しく、怒りと正義の火が灯っていた。

 そしてその日、彼らはようやく深海棲艦と戦う、提督としての資格を得たのである。

 

「おめでとう。もはや私から教えることはない。

 各々が艦娘たちと強き絆を結び、人類を勝利に導く英雄になると信じておる。だが……」

 

 それでも、消しきれない懸念は発生する。

 

「艦娘と信頼関係を結ぶことは、この戦いに勝利するためにも必要なことだ。

 しかし、ときにはその強すぎる信頼関係が(あだ)となることもある」

 

 たとえ提督の素質を持つ者でも、軍の期待どおりに活躍できるとは限らない。

 そのひとつとして……艦娘と恋愛関係を持った提督が、戦場を離れ、愛する艦娘と駆け落ちしてしまったケースだ。

 

「断っておくが、私は艦娘との恋愛に関しては否定する気はない。

 彼女たちの能力が感情の昂揚によって上昇することはすでに証明されている。

 その中でも、愛という感情は強力なチカラを発揮する。私自身、それは身をもって知っている」

 

 司令長官はそう言って、左手の薬指に嵌まった指輪を感慨深げに見つめる。

 彼自身、最愛の艦娘と結ばれ、凶悪な深海棲艦のボスたちを滅してきた傑物の一人だ。

 

「しかし、恋愛にかまけて本来の使命を忘れてもらっては困る。

 たしかに『ケッコンカッコカリ』という艦娘と仮初の婚儀を結ぶ、特別な改装は用意した。

 だからといって、鎮守府をあたかも嫁探しの場として認識されてはたまらん」

 

 提督の何名かはビクリと背筋を張る。

 そういう出会いを期待していた者が、少なからずいるということだ。

 

「何度も言うが艦娘との恋愛を否定する気はない。結ばれたあかつきには祝福もしよう。

 ……しかし恋愛とは清いものであるべきだと私は思う。淫らな感情から始まった関係など決して長続きなどしないし、報われることもないだろう。

 どうか君たちには、堅実で清い関係を艦娘たちと結んでくれることを期待する。

 ましてや……」

 

 それまで比較的穏やかだった司令長官の目に、厳かな鬼念が宿る。

 歴戦の猛者が放つ覇気に、一同は息を呑んだ。

 

「まさかとは思うが、幼い駆逐艦相手に、よこしまな感情をいだく倒錯者はここにはおるまいな?」

 

 場の空気を和ます冗談とも取れる発言。

 しかし、決してそれは冗談などではないのだった。

 

「知っての通り、近年、艦娘たちにも我々と同じく『人権』が与えられることとなった。

 老いることのない艦娘たちを人間扱いすべきかは、長らく議論されてきたが……」

 

 艦娘は歳を取らない。肉体の変化や、改装による多少の成長はあれど、老いることは決してない。

 実際、老翁である司令長官の妻は、いまだにその若さをたもっている。

 

「しかし、法による守護がなければ、彼女たちの尊厳を守ることはできない。

 以降、基本的人権はもちろん、成人年齢に属していないと判断された艦娘には、(一部の例外を除き)未成年と同様の法律が適用されることとなった。

 よくよく考えれば妥当な決まりであろう。だってそうではないか?

 無垢な駆逐艦たちがおぞましい仕打ちを受けながら、擁護できる法がないというのは。人間としてなんとも胸が痛むことだ。

 ゆえに……」

 

 司令長官が掌をかざす。

 その手の上には、猫をぶん回す妖精が睨みを利かせていた。

 

「君たちが提督として相応しくない行動を起こしかけた場合、この憲兵隊に所属する妖精が逐一その様子を監視する。

 そして……彼女が『事案』と判断した場合、憲兵隊が即出動する仕組みになっている。

 そのことを常々忘れぬことだ」

 

 誰もが蒼白となった。

 ある意味それは、男にとっての死刑宣告であった。

 

 この国では、合意の上であっても成人が未成年相手と深い関係になることは許されない。

 それが艦娘にも適用されるということは、ほとんどの艦娘との不埒な行為がアウトということになる。

 両者にそんな意図がなくとも、妖精自身が「()()()()()()()()()」と判断してしまえば、一発で終わりだ。

 そんなリスクを孕んだ生活を、年がら年中監視されるのだ。

 

 冷や汗をかく提督たちに、司令長官はにこりとイヤに優しい笑顔を浮かべる。

 

「そう怯えることはない。君たちが誠実に提督業に努めればいいだけの話だ。

 それに『ケッコンカッコカリ』さえすれば特例として艦娘と愛を育むことは許そう。

 ……もっとも、良識と常識で許される範囲でだがね」

 

 あくまでも清い恋愛を重視する司令長官。

 若者たちの年盛りの生理事情など念頭にもないこの傑物は、彼らが素晴らしい活躍をし、そして美しい出会いをすることをただ純粋に願って、笑顔で送り出す。

 

「では、諸君らの活躍に期待する」

 

──────

 

 正直「ふざけんな、このクソジジイ」と思った。

 確かに軍とは、もともとプライバシーなど考慮されない過酷な環境であるが。

 それにしたって、やりすぎである。

 

(まあ、長官の言うとおり変なマネをしなければ無害だけれども……)

 

 提督は幼い駆逐艦たちに甘えられることが多い。中には過剰に身体をくっつけてくる娘もいる。

 だからといって、さすがに幼い少女相手に欲情することはない。

 父親の心境で頭を撫でたり、膝の上に載せたりすることもあるが、そこに邪念がない限り、憲兵の妖精が現れることはない。

 

 ……しかし、浜風のような駆逐艦離れした駆逐艦となると、話は別である。

 先ほどのように、駆逐艦相手によろしくない感情が否応にも芽生えたとき、まるでレーダーで察知するように奴はやってくる。

 軍人として鍛えた理性すら崩壊し、一匹のケダモノと化した提督に断罪の狼煙を上げるために。

 両手に吊るされた猫は、まるで規則を破った提督を暗示しているようで、余計に恐怖を煽ってくる。

 いつしか提督たちの間で広まった彼女の名称は──『提督を滅ぼす終末の猫』。

 

「はあ……」

 

 艦娘にこのことは知らされていない。

 提督の誠実さや真摯さが、監視という抑止力によって偽装されたものだと思い込められてしまう可能性があるためだ。

 それでは、信頼関係は生まれない。

 

 もちろん、この提督は表面上の顔だけで艦娘と接したことは一度もない。

 淫らな感情から始まる関係が長続きしないように、外面だけの関係もまた長続きなどしない。

 艦娘に己の人物像を受け入れてもらうため、あるがままの姿を見せてきたつもりだ。

 ただ、男としての感情は切り捨てて。

 

 拷問に等しい人間離れした生活だが、結果としてそれで艦娘たちと良好な関係を築けたのだから、まあ万々歳というべきなのかもしれない。

 ……稀に意味ありげなアプローチを仕掛けてくる艦娘に対しては、危機感をいだいてしまうが。

 

(危機感か)

 

 そう意味では、浜風もまた要注意の対象といえる。

 

 誰が見ても駆逐艦とは思えない大人びた駆逐艦。

 それでも大本営にとっては、駆逐艦である以上、どんなに成熟していてもそれは法で守るべき対象。

 不埒な行いは決して許されない。

 

 だからこそ、さっきの肩もみは危なかった。

 通常ならば些細なハプニングとして済む話だが、この鎮守府ではその些細なことすら死への起爆剤になりかねない。

 

 浜風は駆逐艦。よこしまな感情を向けてはならない。

 理性では、それをわかっている。

 

 しかし、四六時中封じ込めているオスの一面がふとした拍子で目覚めない保証はどこにもない。

 浜風に苦手意識を持ってしまうのは、そんなリスクを警戒してのことからかもしれない。

 

「……」

 

 だが、それはこちらの事情。

 浜風には何の非もない。

 結論、提督自身が一介の大人として、堪えればいいだけの話なのだから。

 一方的に浜風を忌避するのは、あまりにも身勝手と言うものだ。

 

 たとえ素っ気なくとも、たとえ内面がわからなくとも、浜風はこうして自分を助けてくれている。

 その事実に変わりはない。

 ならば、提督として感謝の気持ちを欠かしてはならない。

 

「浜風」

 

「……なんでしょう?」

 

「肩揉んでくれてありがとうな。だいぶ楽になったよ」

 

「……そうですか」

 

 いつもどおり、淡泊なやり取り。

 だがお互いのことを考えれば、この距離感が一番いいのかもしれない。

 

 そうである。

 もしも浜風が他の無邪気な駆逐艦たちのように、身体を密着させて甘えてくるような艦娘だったら……

 理性をたもてるか、わかったものではない。

 そう考えると、浜風が真面目でクールな娘でよかったと心から思う。

 

 なんたって、あの胸部装甲である。

 戦艦だって顔負けしそうな膨らみ。

 それで雪風や時津風みたく、じゃれついてこようものなら、それはもう大変なことに……

 

 再び鋭い視線を感じる。

 家具の隙間から、『終末の猫』が凄まじい眼力を発している。

 アカンで? 駆逐艦に手出したらアカンで? と。

 

 胃が軋む。

 この生活を始めてから、彼の胃腸が安らいだことはない。

 悲鳴を上げる腹を抑えながら、提督は視線で訴える。

 

 わかってますよ妖精さん。駆逐艦に手を出すわけがない。

 だから、そんなに睨まないでくれ、と。

 

 実際、理性を強く持ってさえいれば、浜風相手にそこまで警戒心をいだく必要はないのだ。

 

 ……彼女が、駆逐艦相応に、甘えてこない限りは。

 

 もっとも──

 

 

 

 

 

 

 

(そんなことは、絶対に起こりえないだろうけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

──────

 

 私、浜風は提督に甘えたい。

 

 こんなことを打ち明けたら、やはり皆さんは意外に思うのでしょうか。

 『いちばん大人っぽい駆逐艦』だなんて、()()()()も甚だしい称号を戴いている私が、日々そんなことを考えているだなんて。

 

 でも。

 私だって、駆逐艦です。

 他の駆逐艦と同じように、提督に甘えてみたいと思うのです。

 

 それは、そんなにも、おかしいことでしょうか。

 

 

 私は、提督を尊敬しています。

 指揮官としてだけでなく、その人柄も含めて。

 いくつもの武勲を立てながら、決して偉ぶることなく、常に謙虚に次の作戦に心血を注ぐ姿勢は、いつも立派だと思っています。

 

 そしてなによりも、私たち艦娘のことを第一に考えてくださる。

 彼のその思いやりによって、私は一度救われたのです。

 

 

 

 鎮守府に着任した当初は、前世のように戦うことだけが自分の存在意義だと思っていました。

 だって、私たちはもともと兵器なのです。戦ってこそ、その真価を発揮するのです。

 敵を沈め、功績を残すことが艦娘にとっての(ほま)れであると、信じて疑いませんでした。

 

 ですが、そんな私に提督は言いました。

 

『もしも戦うことだけが艦娘の存在意義だと言うなら、お前たちはどうして人の姿を得たんだ? それこそ言葉を話す口も、感情も必要なかったはずだ。だがお前たちは、それを持った。その意味を、よく考えてみろ』

 

 はじめは提督の言っていることが理解できませんでした。

 ですが、私にとって掛け替えのない仲間である、第十七駆逐隊の面々。彼女たちと笑顔で再会できたとき、気づきました。

 

 いまの私たちは、笑うことができる。涙を流すことができる。

 溢れんばかりの思いを、言葉にして伝えることができるのだと。

 

 それが、どれだけ喜ばしいことなのか。

 

 以来、偏屈な考えは捨てました。

 現在では普通の人々と同じように、一年の行事や祭りにも、胸を弾ませて満喫することができています。

 谷風、浦風、磯風──大切な仲間たちと一緒に。

 

 ただ戦うことしか知らなかった私に、こうして幸せな時間を噛み締められる日が訪れるだなんて、軍艦時代では想像もできなかった奇跡です。

 

 そして、そんな日常をくれたのは、ほかならない提督なのです。

 だから、私は彼の恩に報いたい。彼にとっては些細なことだったとしても。

 積極的に秘書艦としてお傍に仕え、彼のお役に立てるよう努めてきました。

 提督に感謝されると、それだけで舞い上がるような心地になります。

 でも……

 

 

 

 

「えーっと……よかったな浜風。駆逐艦の皆にこれだけ慕われていて、お前も鼻が高いだろ?」

 

「別に。興味ありません」

 

 またやってしまった。

 せっかく提督が話しかけてくださったのに。恥ずかしさのあまり、にべもない態度で返答。

 ああ、提督が困った顔をされている。ごめんなさい、そんなつもりでは……。

 

 はあ。どうして私はいつもこうなのでしょう。

 

 周りの方々は、私を「駆逐艦なのに大人だ」とよく言います。

 けど誤解です。

 私はただ、口数が少ない、真面目しか取り柄のない……そして、素直になれない、可愛げのない、地味な女というだけなのです。

 ちゃんと自分の気持ちも伝えられない私は、逆に、とても子どもだと思います。

 そんな私からすれば、感情を素直に表現できる他の駆逐艦たちのほうが、ずっと眩しく映るし、立派に見えます。

 

 提督にじゃれついたり。

 提督にわがままを言ったり。

 提督に無邪気に甘えたり。

 そんなことができる皆を、いつもいつも羨ましいと思っています。

 

 でも私には恐れ多くて、そんなマネできません。

 それどころか。

 

「提督。息抜きが済んだようなら、そろそろ執務を再開していただけると助かるのですが」

 

「う、うむ。すまない」

 

 緊張のあまり、自分から話しかけようと思っても、こんな冷めた言葉しか出てこない。

 我ながら呆れてしまう。

 自分にもっと愛想があればどんなにいいだろう。

 提督はきっと、私のことをいまだに感情の起伏がない、暗い娘だと思っていることでしょう。

 

 ……でも提督。私、笑えるようになったんです。

 あなたの言葉のおかげで、いまの自分を受け入れることができているんです。

 うまく態度には出せないけれど、いまの生活はとても楽しいです。

 

 入浴を心地いいと思ったり、食べ物のおいしさに感激できるようになったり。

 艦娘になれたからこそ、たくさんの楽しみを知れました。

 

 特に秋祭り。あれは素晴らしいものです。

 チョコバナナ。りんごアメ。わたアメ。焼きトウモロコシ。イカ焼き。ぜひともまた味わいたいものです。

 じゅるり。

 

 ……あ、いけないいけない。

 仕事に集中しないと。提督に迷惑かけちゃう。

 

 ……おや? どうやら提督、肩が凝っている様子。

 ここは、浜風の出番ですね。

 

「提督。肩をお揉みいたしましょうか?」

 

 肩もみには自信があります。

 私自身よく肩が凝るほうなので、コツはしっかり掴んでいます。

 

 提督が快く受け入れてくれたので、私はやる気に満ちて彼の背中に回ります。

 

 ……とても広い背中です。

 思わず、その背中にしがみついてみたいな、と考えてしまいます。

 でも、やっぱり恥ずかしくてできません。

 なにより、そんなことをしたら提督に幻滅されてしまうかもしれない。

 彼の中ではきっと、私は堅実な秘書艦というイメージが強いはずですから。

 子どもっぽいところを見せたら、その信頼を失ってしまうかも。

 

 ……だけど、ちょっとだけ、くっつくぐらいなら許されるでしょうか。

 

 とか考えているうちに、私の胸部が提督の後頭部に密着してしまいました。

 無駄に大きいせいで、こんなことはしょっちゅうあります。

 まったく、本当にこの胸部には困ったものです。

 重いし、肩は凝るし、訓練や戦闘のときだって「邪魔だなぁ」と思ったことが何度あることか。

 

 でも、いまは少しだけ現金にも、「大きくてよかったかな」なんて思ってしまっています。

 頭に胸をくっつけているだけですが──これはこれで、なんだか提督に甘えられているような気がしますから。

 

 ……もうちょっと、密着しても平気かな?

 肩を揉みつつ、身体を提督のほうへ傾けます。

 

「ん……」

 

 提督の体温が身近に。

 少し、ドキドキします。

 

 雪風なら、こんなとき思いきり抱き着いたりして、提督によしよしと頭を撫でてもらえるのでしょう。

 

 もし私も、同じことをしてもらえたら……。

 

「……浜風、もういいぞ。充分だ」

 

 気づくと、提督は満足されたご様子。

 少し、残念です。もうちょっとだけ、くっついていたかったのですが。

 

「……」

 

 提督に甘えてみたい。

 その気持ちは日に日に強くなっていきます。

 

 最近までは、提督のお役に立てるのなら、それだけで満足でした。

 ですが、自分と同じ駆逐艦の子たちが、提督に甘えている姿を見てしまうと、胸の中がモヤモヤするようになりました。

 私だって駆逐艦なのに。

 どうして、あんな風に甘えることができないんだろう。と。

 

 私よりも上のはずの姉妹が頭を撫でられたり、お膝に乗っているところを見ると、余計にそう思ってしまいます。

 

 だけど……

 提督は、なんて思うでしょうか。

 私みたいな、駆逐艦らしくない駆逐艦が、提督に甘えてみたいなんて言ったら。

 

 やっぱり、驚かれるでしょうか。

 それとも、困らせてしまうでしょうか。

 ……きっとそうでしょうね。

 だって私、雪風みたいに愛嬌がないし、時津風みたいに素直じゃないし。

 なにより、こんな見た目だし。

 

 提督だって、もっと子どもらしくて、かわいらしい駆逐艦に甘えられたいでしょう。

 こんなカラダだけ大人な駆逐艦が甘えたところで、気持ち悪いだけです。

 

 いえ、それ以前に。

 提督に冷たい態度ばかり取っている私なんて、きっと嫌われて……

 

「浜風」

 

 え?

 

「……なんでしょう」

 

 いきなり名前を呼ばれて内心ドキリ。

 動揺を悟られないように鉄面皮を装っていると、

 

「肩揉んでくれてありがとうな。だいぶ楽になったよ」

 

 提督が、そうお礼を言ってくれました。

 とても、優しい笑顔で。

 

「……そうですか」

 

 返事はいつものようにドライな私でしたが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……えへ。

 えへへへ。

 提督に、褒められました。

 ニヤケそうになる顔を必死に引き締めます。

 

 ズルイです。

 いつもそう不意打ちでこっちが喜ぶようなことを自然に言うんですから、この人は。

 

 つい、抱きつきたくなってしまうじゃないですか。

 恥ずかしいから、できませんけど。

 

 ……でも。

 

 でもいつかは、こんな気持ちを素直に表現できるようになれたら、いいなと思います。

 感情を知らなかった私に、声をかけていただいた、あのときの感謝も含めて。

 

 そして、我がままを言っても許されるのなら、一度でいいから、

 

 いっぱい、甘えてみたいです。

 

 

 そんな日が来るかは、正直わからないけれど……

 

 

 提督。そのときは、お膝に乗せてもらったり、頭を撫でてもらっても、いいですか?

 

 

 

 

──────

 

 ケッコンカッコカリをしていない艦娘に、ましてや幼い艦娘にふしだらなことをしたら最後。

 法の裁きを受ける鎮守府。

 そんな一種の監獄の中で、見た目は重巡、中身は駆逐艦。身も心もアンバンランスな艦娘が、提督に無邪気に甘えたいと考えている。

 

 そんな危機が迫っていることも露知らず。

 今日も提督は憲兵の恐怖に震えながら深海棲艦と戦うという、二重の意味で過酷な生活を送っている。

 

 彼の心と胃が臨終を迎えるのも、そう遠くはないかもしれない。

 




 この提督は胃が弱っているので、萩風ちゃんが作るお腹に優しい健康料理をしょっちゅう食べさせてもらっています。
 ただし、これまた発育の良い駆逐艦に「あ~ん♪」してもらったり、看病してもらったりと危険なイベントが起きるので、結局胃にダメージを受ける模様。

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