幼い駆逐艦でありながら見た目も中身も大人と評判の浜風。
しかし実際は彼女も他の駆逐艦と同じく、提督に甘えてみたいと思っている、カラダが大人なだけの子どもだった。
一方、人類の希望たる艦娘の身を守るため、大本営は妖精さんによる監視を徹底させていた。
幼い艦娘にふしだらなことをしたら最後、即行で憲兵に連行される鎮守府。
そんな環境で提督は、事あるごとに起きるハプニングに胃を痛めながら、今日も海の平和を守るため戦うのであった。
駆逐艦のくせにやたらと発育のいい浜風が、隙あらば甘えてみようと、考えていることも知らずに。
提督は覚えていらっしゃらないと思うけど、私こと浜風は一度彼に頭を撫でてもらったことがある。
艦娘の存在意義が戦うことだけじゃない。それを提督に気づかせてもらってからすぐのこと。
人の身で生きる上で、大切なことを教えてくれた提督の恩に報いるため、今後もますます精進していこうと、私は躍起になっていました。
そういうときほど失敗をおかしてしまうものです。それも致命的な。
『申し訳ございません! 私が不甲斐ないあまりにっ!』
いつものように海域攻略の作戦に加わっていた私は、あと一歩で敵の本拠地に辿り着けるところで、相手戦艦の砲撃を喰らい大破してしまいました。
私ひとりが致命傷を負ったために途中で艦隊を撤退させてしまったのです。これほど情けない失態もありません。
入渠することすら惜しんで、私はボロボロの姿のまま、真っ直ぐに提督に頭を下げにいきました。
惨めな恰好を尊敬する相手にさらすなど、この上ない屈辱。だからこそ自分に与える罰としました。
そして提督自らの手で、それ以上の罰を与えてほしかったのです。
『どのような仕打ちも甘受いたします。ですから、もう一度私にチャンスを……』
しかし提督は責めるでもなく、私の頭にポンと軽く手を置きました。
そして、こうおっしゃいました。
『よく我慢した。そして、よく無事に帰ってきた』
それだけ口にして、彼は私の頭をわしゃわしゃと不器用に撫でました。
あとは何を言うでもなく、私に背を向けて、窓の外を眺めていました。
たったの二言。
でも、その短い言葉だけでも、提督の言いたいことは伝わりました。
悔しい思いを押し殺して、よく撤退する勇気を出せたな、と。
早まった真似をすることなく、よく無事に帰還できたな、と。
多くは語らず、そう言葉少なめに私を励ましてくれたのでした。
提督は、轟沈する危険を冒してまで海域攻略することを良しとしません。
温厚な彼が怒るとしたら、自分の身を大事にせず、進んで使い捨ての道具になろうとする、そんな浅はかな考えに対してだけでしょう。
だから、本来なら責められるべき私を、彼は褒めるのです。
無事に鎮守府に帰ってくるという、当たり前の約束事を守ったから。
『早く入渠して傷を治してこい。ちゃんと治れば……また行けるんだからな』
生還さえすれば、いくらでもチャンスはある。
焦るな、自分を責めるな、と言葉裏に、彼の思いやりが込められていました。
次はがんばろう。
自己嫌悪の気持ちはいつのまにか消えていました。
そんな暇があるのなら、一秒でも早くこの人の優しさに応えなければと思ったのです。
自然とそう思わせてくれるチカラを、提督は与えてくれる。
提督の大きな背中を、ますます大きく感じた。そんな日でした。
そして。
頭の上に乗せてもらった、大きく、暖かな手。
あの感触が、いまでも忘れられない。
もっと欲しい。と、そんな欲張りなことを考えてしまうのです。
──────
私が所属する鎮守府は、数ある鎮守府の中でもストレスとは無縁の環境と言われています。
というのも、提督が日々、私たち艦娘の悩みに真剣に向き合ってくれるからです。
『どうしても我慢できないことや、仲間内にも明かしにくいことは、遠慮なく相談するように。何事も一人で抱え込み過ぎるのは良くない。戦闘だけでなく、生活にも支障が出るんだからな』
もっともな意見です。
提督のこの方針のおかげで、日常生活で起こりがちな数々の不満は、深刻化する前に解消されていると言っていいでしょう。
一方で、軍艦時代からのトラウマをかかえる艦娘の何人かが救われています。
夜戦に恐怖を覚えていた、妹の萩風がその代表例です。
詳しいことは知りませんが、夜を克服するために、提督が付きっ切りでいろいろやってくれたらしいです。
おかげで夜間でも明るい一面を見せるようになった萩風。
いまでは何かと提督に健康料理を振る舞って、恩返しとばかりに彼に尽くしています。
海域攻略はもちろん、けどそれ以上に私たち艦娘のことを考えてくださる優しい提督。
そんな提督に対して、いまだに素直になれないでいる艦娘は、余程のひねくれ者に違いありません。
つまり、
「はあ……」
時刻はマルロクマルマル、早朝。
今日も秘書艦として司令室に向かいながら、私は溜め息を吐く。
昨日もまた、提督に無愛想な態度を取ってしまいました。
ほんとうは、もっと愛想よくしたいのですが、どうしても緊張から本心とは真逆の言葉が出てしまうのです。
たとえば……
──提督、それぐらいの仕事なら浜風が代わりにやっておきますから。あまり根を詰めすぎないでくださいね?
という感じのことを言いたかったのですが、実際に口から出てきたのは……
──提督、効率よくやればスグに済む仕事に、そんなに時間をかけないでください。
ポンコツですか。
エキサイト翻訳並みのポンコツぶりですか。私のおバカ。
いやはや。
提督の役に立ちたいと意気込んでおきながら、なんでこんな可愛げのない秘書艦ができあがってしまったのでしょう。
駆逐艦なのに、見た目も中身も大人びていて、しっかり者と言われている私。
でも実際は、他の駆逐艦と同じように子どもっぽい娘なのです。
いろんなことを頑張っているのは、ひとえに尊敬する提督の期待に応えたいから。ただその一心でやっているだけで、他の駆逐艦の皆さんと、そんなに変わらないんです。
だから駆逐艦の皆さんが提督に甘えているように、私だって思いきり甘えてみたいんです。
そう思っているのに、肝心なところでダメな私。
でも今日こそは……
「よし」
今日こそは、もう少し素直になってみよう。
そして、勇気を出して、自分の本心を打ち明けてみよう。
いつまでもこんな調子じゃ、優しい提督でもさすがに私に愛想を尽かして、秘書艦から外してしまうかもしれません。
そんなのは、イヤです。
私は、もっと提督のお役に立ちたいんです。
浜風はすごい、浜風は偉いって、たくさん、たくさん褒めてほしいんです。
そしてあわよくば、あの日みたいに頭を撫でてもらったり……
かあっと熱くなる顔をブンブンと振って、平常心を取り戻します。
落ち着きなさい、浜風。
露骨に下心をむき出しにするのは、よくありません。
今日のところはまず、もうちょっと柔らかい態度で接して、とにかく気まずい空気をなくしていくところから、始めていきましょう。
いつのまにか私と提督の間にできてしまった見えない壁のようなもの──まあ主に私が原因なんですが──まずはそれを取り払うべきです。
司令室の扉の前に到着。
朝の秘書艦のお仕事は、まず総員起こし。これはすでに済ませています。
次に提督の朝食のご用意です。
先に直接「和食がいいか、洋食がいいか」と提督に尋ねてから、私が直々に調理をします。
いつもなら事務的なやり取りで終わってしまいますが……今回はもっと詳しくメニューのリクエストなどを聞いてみましょう。
女性としては、やっぱり、その……手作り料理で喜んでほしいですし。
「すぅ……」
まずは深呼吸。
そして笑顔を浮かべます。
この間読んだ本によれば、笑顔さえ浮かべていれば、たいていのことは上手くいくそうです。
起床後、鏡の前で何度も練習したので、不自然な笑みではないはず。
いざ。
「提督、おはようございます。今朝の朝食はいかがいたし……」
ましょうか、と尋ねる口が止まります。
せっかく作った笑顔が凍りつくような光景が、目の前に広がっていました。
「ぽいぽい♪ 提督さんっ、夕立と一緒に朝のお散歩行こ♪」
「ゆ、夕立、わかったから、もうちょっと離れてくれ」
「やっ! 提督さん最近ぜんぜん夕立に構ってくれなかったから、いまだけ独り占めにしちゃうっぽい! むっぎゅう~♪」
「しょうがないな夕立は……よしよし。ほら、これでいいか?」
「ダメ~! もっと思いやり込めて撫でてほしいっぽい!」
「はいはい。こうか?」
「んふ~♪ 提督さんのナデナデ好き~♪」
扉を開けた先には、提督と夕立さんが椅子の上でイチャイチャしていました。
はい、椅子の上で、です。
夕立さん、提督のお膝の上に乗って頬をスリスリさせたり、ぎゅうぎゅうと抱きついています。
白露型四番艦の夕立さんと言えば、不知火姉さんに次ぐ“最強の駆逐艦”と呼ばれるほどの実力者。
そんな彼女も提督の前では、まるでワンコのようになって、全力で甘えていらっしゃいます。
提督も苦笑いを浮かべつつも、満更でもなさそうな顔で夕立さんの頭を撫でていらっしゃいます。
あらあら、朝から仲のよろしいことですね。
思わず見ているこっちまで、ほほ笑ましくなってしまいますね。
でも、おかしいですね。
夕立さんも私と同じで駆逐艦のわりに大人びた見た目をしているというのに、この扱いの差はなんなのでしょうか。
やはりアレですか。小動物のような可愛らしさが駆逐艦には求められるのですか?
私もワンコみたいになれと?
そうすれば私も提督に撫でてもらえるのですか?
教えてくださいよ、ねえ。
というかお二人とも。
私が入室したのも気づかずに、何をいつまでもイチャイチャ、イチャイチャと……
「うぉっほん!」
咳払いひとつ。
ようやく私の存在に気づくお二人
「あっ、浜風ちゃんだ♪ おはようっぽい♪」
はい、おはようございます。
提督の時間に水を差したにも関わらず、夕立さんはホワンとした笑顔で挨拶してくれました。
あいかわらず邪気のないかたですね。
思わず無視を決め込まれた怒りも引っ込んでしまいます。
「は、浜風。いたのか?」
ただし提督。あなたのその言い方にはプッツンです。
笑顔?
とっくに怒り顔に変わっていますよ。
「一応ノックはしましたよ。夕立さんとお楽しみだったようなので、聞こえてなかったようですが」
皮肉交じりのことを言って提督を責める私。あいかわらず可愛げがない。
でも提督も提督です。
こっちの気も知らないで朝から夕立さんと仲良さげにして。
デレデレなんかしちゃって。
私と一緒にいるときは、あんな顔しないくせに。
……まあ、素直じゃない私と違って、夕立さんは感情をストレートに表現するかたですから、対応に差が出るのはしょうがないとは思っていますけど。
でも、だからって……提督のバカ。
というか何ですか提督。
人が怒っている横で、物陰に向かってオロオロなんかして。
誤解ですよと言わんばかりに手を左右に振って。言い訳する相手間違えていませんか?
もう、本当にこの人は……
「提督。本日も予定がたくさんあるのですから、朝からちゃんと気を引き締めてください」
今朝は穏やかに接しようと思った気持ちもどこへやら。
言いようのない不満を正論という理論武装で固めて、提督に八つ当たりしてやります。
「あと夕立さんもです。
これついでに、夕立さんに対しては注意を喚起。
別に妬みでこんな姑みたいなこと、言ってるわけじゃありませんよ?
何で私も夕立さんみたいに直球で甘えられないのかな、なんて考えていませんから。
違いますから。
羨ましくないもん。
「ぽい~。ねえ浜風ちゃん?」
「なんですか夕立さん。話はまだ途中……って近っ!」
いつのまにか顔を間近に近づけて、ジッと私のことを見つめている夕立さん。
西洋人形のように整った綺麗な顔立ち。ルビーのように赤い瞳に迫られて、思わずドキっとしてしまいます。
「な、なんでしょうか夕立さん」
私が尋ねると、夕立さんはキョトンとかわいらしく小首を傾げながら、
「もしかして……浜風ちゃんも提督さんに甘えたいっぽい?」
「……はい?」
……はいいいっ!?
ちょ、ちょ、ちょっと夕立さん!
なんて爆弾発言を投下してくれてるんですか!?
よ、よりによって提督の前で!
「ななな、なに訳の分からないことをおっしゃってるんですか夕立さん!?」
「う~ん。もしかしたらヤキモチ妬いてるのかなって思ったんだけど。違ったっぽい?」
なんということ。勘づかれています!
歴戦の猛者としての直感か。
あるいはワンコっぽい夕立さんのワンコ的本能によるものか。
私がこれまで秘め隠していた感情を、いともたやすく看破するなんて。
夕立さん──恐ろしい艦娘っ!
「え? そうなの浜風?」
……なんですか提督、その『もし本当だったら困るんだけど』みたいな微妙な反応は。
私に甘えられるのが、そんなに迷惑だって言うんですか?
気味悪いって言うんですか?
……ああ、そう。そうですか。
ブチっと、私の中で何かが切れました。
「……なに言ってるんですか。私がそんなこと考えるわけ、ないじゃないですか。変な思い上がりしないでください提督」
「そ、そうだよな。すまん」
私の発言を微塵も疑わず信じ込む提督。そんな彼の反応に、より一層黒い感情が沸々と燃え上がります。
……ふんだ。もう提督なんて知りません。
せいぜい夕立さんと仲良くイチャイチャしてればいいんです。
「朝食のメニューを聞きに来たのですが……どうやら今朝は予定が悪いようですね。どうぞ、存分に夕立さんと散歩してきてください」
可愛げのある駆逐艦しか贔屓にしない提督になんか、ご飯作ってあげません。
作ってあげないもん。
ヅカヅカと足音を立てて司令室から退室します。
「え? お、おい浜風。さすがに朝食抜きは俺も辛いぞ」
「わざわざ秘書艦が用意したものを食べる必要もないじゃないですか。その辺で勝手に召し上がってきてください」
まあ、どうしても私が作った朝食じゃないとダメだと言うのなら考え直さないでもないですが。
「わぁい! じゃあ提督さん! 久しぶりに一緒に間宮さん行くっぽい!」
「はあ~今日はしょうがないか。すごく混むし、金剛たちとかが飛びついてくるから正直行きづらいんだが……」
……切り替え早いですね。
もうちょっと、惜しんだっていいんじゃないですか?
私の朝食、食べたくないんですか?
後ろ髪を引かれる思いでチラっと振り向いてみます。
「提督さん。夕立がアーンって食べさせてあげるね♪」
「恥ずかしいからやめてくだされ」
人前でイチャつくのやめてくだされ。
「……」
退室しておきながら立ち止まっているのも不自然なので、そのまま無言で司令室から離れる私。
とぼとぼと歩きながら、先ほどの自分をふり返ります。
一人きりになると、途端に冷静になって、自分のしたことがハッキリと頭に甦ってくるものです。
あれ、おかしいな。
今日こそは私、提督相手に素直になろうと思ってたのに、なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。
思い返せば思い返すほど、やってること、ぜんぶが逆効果のような……。
「……っ! ~~ぅっ!」
声にならないような唸り声をあげて廊下を疾走する私。
規則違反ですが、知ったこっちゃねーです。
このまま朝日に向かって走り続けたい気分です。
「おう浜風じゃん! おはようさん!」
谷風!
前方に数少ない気心知れた存在が私に手を振っている。
「今日も秘書艦かい? あいかわらず提督思いな奴だねぇ……って、おいおい何で泣いてんだい?」
私にとって頼もしい仲間にして親友の一人。
彼女の屈託のない笑顔を見た途端、いろいろ制御できない感情が溢れてきました。
甘える相手、もう谷風でいいや。
「谷風ェェエエ!」
“谷”風という名に恥じない、その真っ平らな胸に思いきり飛びつく私。
「うおおおっ!? な、なんだい! どうしたってんだい浜風!?」
「谷風! 何も言わず胸を貸して!」
「いや、貸せるほどの胸なんて谷風さんにはねーっちゅうか、浜風にはもう充分あるじゃねーか……って、鼻水!? 鼻水つけんなオイ!」
谷風を始め第十七駆逐隊の面々には見せられるのに、提督の前ではやっぱり見せられない素の私。
今日こそは、そんな私を知ってもらおうと思ったのに……
なんで、なんで余計に、悪い雰囲気になっちゃうの!?
「私の……おバカアアア!」
「谷風さんの服汚すんじゃないよっおバカアアアア!」
ああ。
いったい、いつになったら私は提督に素直に甘えられるのでしょうか。
──────
「ふう。今日も疲れた」
ひと仕事を終えて、提督は伸びをする。
結局あの後、浜風が司令室に顔を出すことはなかった。
仕方ないので今日ばかりは秘書艦経験のある艦娘に執務を手伝ってもらい、何とかギリギリ、ノルマを達成したところであった。
それらの疲労はもちろんのこと、しかし一番こたえたのは今朝の一件である。
(朝から夕立を相手にするのは厳しかったな……)
幼い艦娘にふしだらなことをしてはならないこの鎮守府で、発育の良い駆逐艦が無邪気に甘えてくるのは、提督にとって脅威だ。
懐いてくれるのは大変嬉しいが、その分、理性を働かせるのにひと苦労である。
ただでさえ夕立は美人揃いの艦娘たちの中でもひと際麗しく、カラダの発育も立派なのだ。それでいて中身は、改装前と同じく純真無垢なままだというのだから、タチが悪い。
抱き着いてくるたび、むにゅむにゅと当たるアレやコレやで、本当に大変であった。
(それに加えて、浜風の件もあったしな)
浜風が無愛想で不機嫌そうなのはいつものことだが、今回のように露骨に怒り出し、尚且つ秘書艦の仕事を放りだすのは珍しい。
謝らなければ、とは思っているのだが、正直のところ原因がわからない。
なにぶん物陰から自分を監視していた妖精さん相手にずっと神経を使っていたので、落ち度があったとしても思い出せそうにない。
しかし、何もあそこまで怒ることもないと思うのだが……。
(あいかわらず浜風の考えていることはわからないな)
最初に会った頃の浜風とは、少なくともここまで気まずくなるような関係ではなかった。
真面目なのは変わらずだが、今と比べると、かなり従順なタイプだったように思う。
……というより、天然だった、というべきか。
なにせ大破しても入渠しないまま、あられもない姿で司令室にやってくるような娘だったのだ。
あのときほど、焦った瞬間もないだろう。
表面上は平静としていた提督だが、内心では浜風の凶悪な半裸を前にして今にも理性が吹っ飛びそうだった。
鼻から噴出しかけていた血液を気合いで押し留めた自分を褒めてやりたい。
そのときの浜風は心身ともに、そうとう傷ついていたので、励ましの言葉を送ったとは思うのだが、正直あまり記憶にない。
横から向けられる妖精さんの眼力が恐ろしくて、いろいろとヤケクソだったのだ。
目のやり場に困るので、窓の外をずっと見つめていたことだけは覚えている。
思えば、あの一件から浜風の態度がよそよそしくなっていったような気がする。
自覚がないだけで、浜風の気分を害するようなことを、無神経にしてしまっているのかもしれない。
(やっぱり、一度、真剣に話し合うしかないか)
萩風の夜への恐怖症を付きっ切りで治したように、根本的な問題は自ら踏み込んでいって解決するほかないのだ。
そうすることで、いままで知りえなかった艦娘の一面を知るキッカケになったりもする。
そこでふと、今日夕立が口にしたことを思い返す。
『もしかして……浜風ちゃんも提督さんに甘えたいっぽい?』
もしもの可能性。
まさかあの浜風が、夕立の言うとおりヤキモチを妬いて怒ったという場合は……
(いや、さすがにそれはないだろ)
あのクールビューティーの浜風が、実は提督である自分に甘えたいと思っているだなんて……それこそ、まさかだろう。
浜風本人だって否定していたし、提督自身も、そんな浜風など微塵も想像できない。
というか、想像してしまったら危険である。
一度は拝んでしまった、浜風のあられもない姿。それは、いまでも生々しく脳裏に蘇ってくるほど、強烈な印象として焼きついている。
あれほどのプロポーションを誇った駆逐艦が、それこそ夕立のように遠慮なしに甘えてきたとしたら。
そんなもの、想像しただけで健全な男としてはもういろいろと耐えられな……
なに破廉恥なこと考えとんじゃワレ、と言わんばかりな妖精さんの眼力が、物陰の隙間から向けられる。
夜遅くだろうと、憲兵所属の妖精さんは絶好調である。
よこしまな想像さえ許さない正義の視線を前に「すみません、もう考えません」と提督は即行で頭を下げた。
今日もキリキリと痛む胃を労りながら、提督は思う。
ああ。
いったい、いつになったら自分はこの過酷な生活から解放されるのだろうか。
もちろん深海棲艦すべてを倒すまでやで、と妖精さんが律儀に応える。
一日でもいいから癒しのひとときが欲しいと、むせび泣く提督であった。