浜風は提督に甘えたい   作:青ヤギ

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浜風は秘書艦を続けたい

 やってしまった。

 

 先日起こした、自分の不手際を冷静にふりかえって、冷や汗をかく。

 

 

 私とあろうものが、まさか秘書艦の仕事を放り出してしまうなんて!

 

 

 その原因が、夕立さんと仲良さげにしている提督に苛立ったという、まことに身勝手な不満。

 弁護のしようがない。

 

 どどど、どうしよう。

 提督、怒ってるかな? 朝食も作ってあげられなかったし。

 

 いえ、穏やかな彼が怒ることなんて、滅多にないのですが。

 それでも今回ばかりは、さすがにあの人も私に呆れてしまったかも……

 

 と、とにかく謝らなければ。

 この一件のせいで、もしかしたら秘書艦から外されるなんてこともありえます。

 

 そんなの……

 

 イヤです!

 

 秘書艦の座は誰にも譲りません!

 

 提督と合法的に一緒にいられる時間が減っちゃうじゃないですか!

 

 

 

 

 

「お。浜風、ちょうどよかった」

 

「提督!」

 

 司令室に向かう途中で提督と鉢合わせました。

 

 私はすぐさま頭を下げます。

 

「あ、あの提督! 先日は秘書艦の仕事を無断で放棄してしまい、申し訳ございませんでした!」

 

「ああ、そのことか。いや、気にするな」

 

 思いのほか、提督は穏やかな顔を浮かべています。

 

 こ、この様子だと怒ってはいないのかな?

 

 よ、よかったぁ。

 ひと安心です。

 

 さすがは提督。

 なんと、お心の広い。

 秘書艦としてあるまじきことをした私を、こうも簡単に許してくださるなんて。

 

 感動のあまり、抱き着きたくなってしまうじゃないですか。

 まぁ、できないんですけどね! 恥ずかしくて!

 

 ……コホン。

 

 とにかく。

 今日は立派に秘書艦を務めて、提督のお役に立たなくては!

 

「提督。本日は、先日の分を含めた執務をこなすつもりですので、どうか、お任せを……」

 

「ああ、実は、その秘書艦の件で浜風に話があってだな」

 

「はい! この浜風に、なんなりとお申し付けください!」

 

 尊敬する提督のためならば、浜風はどんな過酷な任務も引き受ける覚悟です。

 

 そして……

 

 今日こそは頑張ったご褒美に、頭をナデナデしてもらうのです!

 

 さあ提督!

 浜風に何でもおっしゃってください!

 

 

 

「しばらくの間、秘書艦やらなくていいぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……あれ、おかしいな。

 目の前が(かす)んで、よく見えない。

 

──────

 

 

 

「それで、浜風はあんなに泣いているわけか?」

 

「そういうわけ」

 

 磯風の問いに、谷風が飄々と答える。

 

 

 

 ここは第十七駆逐隊の寮部屋。

 浜風を含め、磯風、谷風、浦風の四名が生活を共にしている一室である。

 

 数分前、磯風がいつものように演習を終えて自室に戻ってみると、

 

「ぐしゅっ。うぅぅっ。浦風ぇ」

 

「おう、よしよし。浜風は泣き虫さんじゃね~」

 

 という具合に、浜風が幼児のように泣きながら、浦風に慰められているではないか。

 

 いったい、どうしたというのか。

 とうぜん不審に思った磯風は、いまさっき谷風から事情を聞いたところであった。

 

 その内容に、磯風は呆れの溜め息を吐く。

 

「何事かと思えば……秘書艦から外された? まったく、それぐらいで泣く奴があるか」

 

 この面子の中でも、ひと際軍人気質である磯風。

 そんな彼女にとって、いまの浜風は目に余る体たらくぶりだ。

 歴戦の第十七駆逐隊として、あるまじき狼狽ぶり。

 

 ここは戦友として、または姉として、厳しく言わねばなるまい。

 

「情けないぞ浜風。その程度のことで心を乱すとは。普段の精神鍛錬が足りていないのではないか?」

 

「私にとっては『その程度のこと』じゃないの!」

 

「ぬっ!?」

 

 浜風に物凄い気迫で言い返され、磯風は思わず、ビクっと腰を引いた。

 

「いいですか磯風! 秘書艦というのは艦娘の代表! 提督にとって必要不可欠なパートナー! すなわち、提督にとって特別な存在です!

 その立場から外されるということは……『提督の特別』じゃなくなるってことなんですよ!? これが泣かずにいられますか!」

 

「お、おう……」

 

 目に涙をいっぱい溜めて、こう必死に捲し立てられると、さすがの磯風も言葉を失ってしまう。

 冗談でなく、今回のことは浜風にとってショックだったらしい。

 

 

 だが言われてみれば、浜風は、これまでの間ずっと秘書艦を務めてきたのだ。

 それだけ提督に頼りにされ、信頼されていた証拠である。

 

 ゆえに秘書艦の立場を喪失するというのは、浜風からすれば、親に見捨てられるにも等しい悲劇なのだった。

 

「うぅっ。ずっと、ずっとお傍で尽くしてきたのに……この仕打ちはあんまりです!」

 

 というより夫に見放された若妻と例えるべきか。

 

 浜風は「およよ」と泣きながら、

 

「あんなに(肩を揉んで)気持ちよくしてあげたのに!」

「溜まっていたもの(雑務とか)をスッキリさせてあげたのに!」

「提督に満足していただけるよう(秘書艦のお仕事)いっぱいお勉強したのに!」

 

 ──と、憲兵所属の妖精が聞けば、確実に誤解される危うげな愚痴を繰り返す。

 狙っているわけではなく、天然なぶんタチが悪い。

 

 

 浜風に普段の落ち着きや、冷静な振る舞いは、いまや微塵もない。

 仲間内だけに見せる、本来の浜風の姿が、そこにはあった。

 

「どうどう、落ち着き浜風~。もう、浜風はあいかわらず提督さんのことが好きなんじゃね~」

 

「ち、違います! べつに好きとかそういうんじゃなくて……ただ、その、悲しいんですよ!」

 

「ああ、すまんすまん。ほら、うちのお膝でよければ、いくらでも使ってエエからね~」

 

「うぅ……浦風ぇ~」

 

 浦風は慣れた調子で、浜風をあやす。

 

 

 

 駆逐艦の間でカリスマ的人気を誇る浜風の影に隠れがちだが、浦風もまた大人びた駆逐艦の一人である。

 

 というより、この中で最も大人びているのは、間違いなく浦風である。

 

 印象は大人っぽいが、その中身は甘えん坊の幼児である浜風。

 いっぽう浦風は、見た目だけに留まらず、内面からも混じりけのない母性が滲み出ている。

 

 実際、膝の上でエンエンと泣く浜風の頭を撫でるその姿の、なんと慈しみ深いことか。

 

 艦隊での活躍や目立ち方によっては、駆逐艦たちの憧れを一身に受けたのは、浦風だったことだろう。

 

 

 

「はぁ~。でもホント浜風って提督のことになると、おかしくなるよね~」

 

 ミニスカートだろうと関係なく胡坐をかいている江戸っ子気質の谷風が、苦笑まじりにそう言う。

 

 出撃や任務の場面では、いつだって頼りがいのある浜風。

 だが、提督が絡むと途端に面倒くさいことになる。

 優等生タイプほど感情的になると、手が付けられないほど厄介になるものだが、浜風は特にそれが顕著である。

 先日もそれで谷風の服が、涙や鼻水やらでグショグショにされたのだ。

 こんちくしょうめである。

 

 浜風がこうして()()()のも、もはや馴染み深い光景となった。

 そんな浜風を毎回慰めるのは、彼女の本性を唯一知っているこの第十七駆逐隊の面々なのだが……

 今回はなかなか、骨が折れそうである。

 

「いい加減に泣き止みなって浜風。べつに提督も意地悪で秘書艦から外したわけじゃないんだろ?」

 

「うっ……。そ、それは、そうなんだけど」

 

 そう。

 提督は何も浜風を見限って秘書艦の任から降ろしたわけではないのだ。

 

 話はこうだ。

 

『やっぱり一人の艦娘ばかりに秘書艦を任すのは良くないと思ってな。もし先日みたいに浜風がいない日に代理でこなせる艦娘がいないんじゃ、俺も困るし』

 

 ご尤もな話である。

 専門的な仕事をこなせる人材が、一人だけに偏っていたら組織は回らない。

 

『そういうわけで、これからは他の艦娘にも積極的に秘書艦の仕事を覚えてもらうことにしたよ』

 

 提督によれば、すでに何名かの艦娘が秘書艦をやりたいと希望しているそうだ。

 

『考えてみると、これまで浜風には秘書艦の仕事を任せっきりだったんだよな。いや、悪かった。この機会にゆっくりと休んでくれ』

 

 なんとも思いやり深い笑顔で、提督はそう言ったのだった。

 

 

 

「ほれ~。提督ぜんぜん酷くないじゃん。むしろ浜風のこと思いやって言ってくれたんだろ? 泣かすね~」

 

「確かに休息も任務のうちのひとつだ。ここは司令の厚意に甘えておけ、浜風」

 

「そうじゃね~。頑張り屋さんなのはエエけど、無理のし過ぎもいけんしなぁ」

 

「そゆこと~。たまにはパァッと羽休めすりゃいいのさ」

 

 浜風の日頃の働きぶりを知っている三人は、そう言って彼女を労おうとする。

 ……が、肝心の浜風は、

 

「やだ」

 

「「「はい?」」」

 

 駄々っ子のように首を振った。

 

「やだ。秘書艦やる」

 

「い、いや、だから秘書艦の仕事休めって言われたんだろ?」

 

「休まないもん」

 

 谷風の指摘に、浜風は耳を貸さない。

 

「お前な……司令の指示に従わないつもりか?」

 

「意地悪なこと言う提督の命令なんか知りません」

 

 磯風が説教しても、浜風は動じない。

 

「いや、意地悪やのうて、浜風に楽させるために親切でそう言うてくれたんじゃろ?」

 

「ぜんぜん親切じゃありません。むしろ余計なお世話です」

 

 浦風が諭しても、浜風は考えを曲げない。

 

「いいですか? 私にとって秘書艦とは休息よりもずっと有意義なものなのです」

 

 唐突に語りだす浜風を見て、三人は「どうする、この聞かん坊?」という具合に顔を見合わせた。

 構わず浜風は話を続ける。

 

「確かに秘書艦は楽な仕事ではありません。でも辛いと思ったことは一度もありません。

『いま自分はこうして提督のお役に立っている』──そう思えば、やる気がいくらでも満ち溢れてくるからです」

 

 うっとりと頬を桃色に染めながら、浜風はこれまでの日々を尊ぶように語る。

 

「本当はもっと提督とお喋りとかもしたいんですけど……でも、あの人と一緒の時間を過ごせるだけで、浜風は幸せなのです」

 

 豊かな胸の前できゅっと手を握りしめて、恍惚とする浜風。

 完全に自分の世界に入り込んでしまった。

 

 そのまま浜風は、秘書艦の仕事が自分にとって如何に幸福かを延々と話していく。

 あまりに話が長いので、他の三人は三時のおやつを食べ始めた。

 

「ああ、でも、やっぱりワガママを言えば、私も他の駆逐艦のように提督に甘えてみたい。

 『浜風はイイコだな』って、いっぱい褒めていただきたい……」

 

 終盤にさしかかる頃には演出に凝り始めたのか、窓から見える空に向かって語りかけていた。

 心なしか、浜風のビジュアルが古い少女漫画風になっているように、三人には見えた。

 瞳など、もうキラキラである。

 

「そうです。私が秘書艦を続けたい本当の理由……それは提督に、もっと私のことを知ってほしいから。

 ──そして心置きなく、提督に甘えてみたいと願ってやまないからなのです!」

 

「とか言って、結局一度も甘えられたことないじゃん」

 

 せんべいをバリバリ食べながら谷風が言った。

 少女漫画風の雰囲気は、せんべいの音で一気に弾け飛ばされた。

 

「だまらっしゃい! 次こそは素直に甘えてみせるんですよ!」

 

 夢見心地から正気に戻った浜風は、そう激昂する。

 

「しかし、毎度そうして『次こそは』と先延ばししている間にこうなったのではないか?」

 

 お茶を啜りつつ、磯風がズバリ言う。

 

「浦風! 谷風と磯風が意地悪なこと言う!」

 

 痛いところを突かれて浜風はまた泣き出した。

 縋りついてくる浜風を、浦風は苦笑を浮かべながらも、よしよしと受け止める。

 

「もう、ホンマに甘えん坊じゃね~浜風は~。ほら、お饅頭でも食べて元気出しぃ?」

 

「ショートケーキがいい……」

 

「「ワガママか!!」」

 

 マイペース過ぎる浜風に、さすがの谷風と磯風もブチギレた。

 

「ええ! そうですとも! どうせワガママですよ!」

 

 そして浜風は逆ギレした。

 

「だって私、駆逐艦ですもん! 艦娘の分類としては子どもですもん! 毎日まいにち提督に甘えたいと考えてるお子様なんですよ! いけませんか!?

 私が提督にいっぱい可愛がってもらいたいって思っちゃいけませんか!?」

 

 

 浜風が提督に甘えたがっている。

 その秘密を知っているのは、ここにいる第十七駆逐隊のメンバーだけである。

 気心知れた仲間だからこそ、浜風も恥を偲ぶことなく、こうして本音を明かせるのだ。

 

 ……しかし、その本音を聞いているのが、信頼している仲間たちだけとは限らない。

 

 

 

 

「青葉、聞いちゃいました!」

 

「え?」

 

 とつじょ開かれる扉。

 そこには、浜風にとって絶望の象徴たる人物が立っていた。

 

「どうも、きょーしゅくです♪ いやぁ盗み聞きをするつもりはなかったのですが、興味深いお話をされていたので、ついつい立ち聞きをしてしまいました!」

 

 悪びれもせず、そんなことを言う艦娘。

 

 もはや説明するまでもなく自ら名乗りを上げた、鎮守府の最大の情報通にして問題児──青葉はなんとも爽やかな笑顔でメモ帖にペンを走らせていた。

 

「いまだに何かと謎の多い浜風さんが秘書艦から外されたとのことでしたので、この機会を狙って取材に伺ったのですが……これは思わぬビッグニュース! まさか、あの浜風さんが司令官に甘えたがっていたとは!」

 

 思わぬ特ダネを見つけて青葉は大はしゃぎでステップをしだす。

 

「クールという名のベールの裏に隠されていたのは、なんとも愛らしい姿! これは大反響間違いなしです!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねるたびに、ポニーテールが尻尾のように機嫌よく揺れる。

 

「というわけで浜風さん! 是非とも詳しく取材をさせてくださ……ぐええええっ!?」

 

 乙女が発するべきではないヒキガエルのような声を上げる青葉。

 

 神速の勢いで動いた浜風に首を絞められ、その顔が見る見る蒼白と化していく。

 

「ちょっ!? おいおい何やってんだい浜風!? 青葉さん殺す気かい!?」

 

「止メナイデ 青葉サンニ 知ラレタ以上 コノ場デ 消スシカ ナイ」

 

「こえーよ!? おい磯風、浦風! 浜風止めるぞ! こいつマジでやりかねないよ~!!」

 

 

 

 

 

 無事に生還をはたした青葉は、後にこう語る。

 

「いやぁ、あのとき浜風さんは半分『深海棲艦』化してましたね~。

 目なんてギラギラに光って、口からは煙みたいな息を吐き出したりして。

 しかも三人総出で止めたのに、全然ビクともしませんでしたから~。あはは~!

 ……いや、ほんとに、生きててよかった」

 

 

 

 かくして。

 一番秘密を知られてはならない者に、秘密を知られてしまったこの日を契機に。

 浜風にとって波乱の生活が、ゆっくりと幕を開けたのである。

 


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