浜風は提督に甘えたい   作:青ヤギ

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浜風は感じたい

 浜風は提督に勧められたとおり、まっすぐに大浴場の脱衣場に向かった。

 滝のような雨に打たれたその身は、海中に落ちたときと同じくらいに水浸しとなっている。

 いまさらになって、ズブ濡れになった姿を尊敬する相手に見られたことに、羞恥心が湧き起こってくる。

 

 普通ならば、透けた服越しに肌を見られたことを恥ずかしがっていると、誰もが思うだろう。

 しかし、以前に大破状態のまま──即ち半裸で提督に頭を下げに行くような浜風に、そういった恥じらいの気持ちは薄かった。

 いつものように凛々しい姿とは真逆の、情けない恰好を見せてしまったことのほうが、浜風にとっては恥であった。

 透けた白い衣服越しに、裸の乳房を見られることよりも。

 

 色事に疎いその天然ぶりは、浜風の精神面が駆逐艦相応に幼いことを如実に表していると言えた。

 

 もっとも。

 いまの浜風の姿を拝めば、やはり彼女が駆逐艦という事実を忘れてしまうだろう。

 

 

 雨で濡れた衣服は、浜風の凹凸の激しいカラダにピッチリと張りついている。

 低い背丈に反して暴力的に発育した肢体の輪郭が、おかげでくっきりと浮き出てしまっている。

 同性が嫉妬で狂いかねない、しかしその同性すら唾を飲みかねないほど、扇情的な黄金比をたもったスタイル。

 

 水気を多量に含んで少し重めになった衣服に難儀しながら、浜風が一枚いちまい脱いでいく。

 奇跡のように整った、艶めかしく生白い裸体が明るみにさらされる。

 

 いったい、誰が想像できようか。

 彼女が憧れの存在に日々甘えたがっている、幼子(おさなご)だということを。

 

 わずかに身動きするだけで波打つ巨大な膨らみ。

 強烈なまでに『女』を意識させる、細いくびれと、腰回りの肉付き。

 もはやオスを充分に受け入れられる、成熟した肉体がそこにはあった。

 

 肉欲を煽ってやまないそのカラダは、しかし不思議と品がないとは思わせない。

 浜風が纏う清流のごとき雰囲気が、媚薬染みた印象を瞬く間に、神聖的なものへと変質させてしまうのだ。

 

 あたかも王宮に飾られる裸婦画のごとく、その姿は触れ難く、そして尊い。

 生白い素肌に光の粒子が集まっていると錯覚するほど、浜風の裸体は、途方もなく魅惑的であり、美しかった。

 

「んっ……はぁ……」

 

 湯船に浸かり、ゆっくりと息を吐く。

 温かな湯の心地よさで、頬に赤味が差し、海原のように青い瞳にほんのりと熱が籠もる。

 そんな自然な反応にすら、幼子のものではない色香が滲んでいる。

 

 浜風と偶然に入浴を共にした駆逐艦たちが、彼女を『大人びた淑女』として憧れの眼差しを向けるのも、無理からぬと言えた。

 

 やはり浜風は、駆逐艦としてはあまりにも──(メス)としての(いろ)が、濃すぎるのである。

 

 

 ただ、それは、あくまでも外見の話。

 

 いま湯船に浸かりながら目を閉じている浜風の内情はというと……

 

 

 

 

 

 

 

 

(……えへ。えへへへ。提督と手、繋いじゃった。繋いじゃいました)

 

 

 もしも心の姿を、目に見える形で出現させることができるのであれば。

 そこには目をバッテンにしながら「きゃあきゃあ」とハートマークを振りまきながら身悶えるミニマムサイズの浜風が拝めることだろう。

 さすれば「あ、浜風もやっぱり駆逐艦なんだ」と周知できるに違いない。

 

 いかに大人びていようと、ここにいるのは、憧れの存在と手を繋いだだけで舞い上がる、純情な乙女そのものであった。

 

「はふぅ」

 

 恍惚とした瞳で、浜風は自分の手を見つめる。

 

(提督の手、温かかったな)

 

 ほんの僅かの間しか握らなかったが、その温もりと感触は鮮明に掌に焼き付いている。

 以前に頭を撫でてもらったときとは、まるで違う。

 肌と肌が直に触れ合った。

 それだけのことで、こんなにも満たされた気持ちになる。

 

 提督と握った手を、豊かな乳房にあてがう。

 トクン、トクンと、心臓は激しく早鐘を打っていた。

 大きく膨らみすぎている乳肉越しでも、その鼓動はハッキリと聞こえる。

 

 我ながら現金だと思う。

 秘書艦の任から外されて、散々てんやわんやしておきながら、いざ提督と会うと、それまで悩んでいたことが、どうでもよくなってしまう。

 

 彼の顔を見ただけで。

 言葉をかけてもらっただけで。

 温もりを感じただけで。

 総身に、打ち震えるほどの歓喜が走り抜けた。

 

 あのときの溢れんばかりの感情を、そのまま提督にぶつけていたら、どうなっていただろうか。

 久方振りに提督に会って有頂天になっていたため、伝える暇もなかったが。

 これまで秘め隠していた本性を、あの場で曝け出していたら、何かが変わっただろうか。

 

 

 優しい彼は、子どもっぽい自分を見ても、受け入れてくれただろうか。

 

 

 ドクン、ドクン、と動悸が激しくなる。

 

(熱い)

 

 お湯のせいではない。

 提督のことを考えるだけで、カラダの芯から、何か燃え上がるような熱さを感じる。

 

 浜風は、想像する。

 憧れの存在に、思いきり可愛がってもらう瞬間を。

 あの温かな手で、また頭を撫でてもらったら。

 膝に乗せてもらったら。

 優しく、優しく、抱きしめてもらったら。

 

 手を繋いだだけで、こんなにも多幸感に翻弄されてしまうのだ。

 いざ本当に、想像の中で繰り返してきた甘いひとときが現実となったら、自分は正気をたもてるだろうか。

 

 押し隠せば押し隠すほど増大していく提督に甘えたい気持ち。

 それはもう、浜風でも制御できないほどに膨れあがっていた。

 

 感じたい。

 もっと提督を感じたい、と。

 手で温もりを、耳で声を聞くのだけでは、物足りない。

 もっと、肌で、カラダ全部で。

 

 遠くから見ているのはイヤだ。

 他の艦娘たちと仲良くしているところを盗み聞きすることだって、もう御免だ。

 もっと、もっと深く、提督と繋がっていたい。

 他の駆逐艦が、無邪気に提督に甘えるように、自分も。

 

 だって、ズルイではないか。

 子どもっぽくない、他の駆逐艦より大人びている。

 そんなことで、自分だけが提督に甘えられないなんて。

 

 もちろん、素直になれない自分にも難点があることは認めている。

 それでも、付きまとう印象が鎖のように浜風を縛り付けているのも事実だった。

 周りの期待や信頼を裏切りたくないという、浜風の真面目な一面が、またその縛りを助長していた。

 

 極論言えば、

 敬愛する提督に、幻滅されたくなかったのだ。

 

 けれど、いまは……違った。

 

(提督に、甘えたい)

 

 たとえ幻滅されることになるとしても、自分の本心を伝えたい。

 これまで自分を偽って、我慢に我慢を重ねてきた。

 優秀な艦娘としての皮を被り続けてきた。

 

 けれどそれが、今日のように辛い思いを味わうだけの道でしかないなら。

 もう、自分は良い子でなくても構わない。

 子どもらしく、ワガママに、提督に甘えてみせようではないか。

 

 拳を握りしめて、よし、と意気込む。

 

 伝えよう。

 入浴を済ませたら、真っ先に提督のもとへ向かおう。

 そして本当の自分を知ってもらうのだ。

 

 しかし……

 

(……どうやって、伝えましょう)

 

 意気込んだものの、早くも壁にぶつかった。

 無理もない話である。

 ずっと甘え下手だった少女が、いきなり解決策を見つけだせるのなら、こんなに苦労はしない。

 その上、浜風は何事も理論を前提に事を進めてきた。

 そんな彼女にとって、感情に身を任せるというのは、至難のワザであった。

 

 これが他の駆逐艦であれば、悩むよりも先にカラダが動いてしまうに違いない。

 そう、たとえば、

 

(夕立さん、とか)

 

 頭に浮かぶのは、気持ちをストレートに表現できる子犬のような無邪気な笑顔。

 ひねくれた自分と違って、何事にも真っ直ぐで、迷いがない。

 駆逐艦不相応の戦闘力を持っていながら、一方で駆逐艦相応の愛らしさも持っている。

 夕立とは、そんな艦娘だ。

 

 本来、駆逐艦たちの間で、憧れの的になるべきは、彼女なのではないだろうか。

 ある意味、浜風が求めているものをすべて持っている存在。

 口にはしてこなかったが……浜風は夕立に羨望の感情をいだいている。

 

(私も夕立さんみたいな愛らしさがあれば……)

 

 愛らしさだけじゃない。

 戦艦にも引けを取らない戦歴も、場を明るくするムードメーカーとしての側面も。

 夕立は、自分にないものを、すべて持っている。

 提督の厚い信頼や、寵愛すらも。

 

「……」

 

 浜風の脳裏に、提督に遠慮なしに甘える夕立の姿が浮かんでくる。

 つい先日の朝にも、見た光景だ。

 とても絵になっていた。

 慕っている大人の男性に、幼い少女が甘えているあの姿は、なに不自然なく、微笑ましいものだった。

 

 だからこそ、嫉妬してしまった。

 自分が勇気を振り絞らなければ出来ないことを、夕立はあっさりと、やってのけてしまう。

 周りの目も気にせず、ただ心の赴くままに、提督に甘えることができる。

 

(羨ましい……)

 

 同じ駆逐艦なのに、どうしてこうも違うのだろう。

 艦娘としての性能差は、悔しいがどうしても埋められない。

 けれど艦種としての立ち位置は平等だ。

 その筈だというのに……

 

 自分はいまだに提督に甘えることもできず、大人っぽいなどと、見当違いな印象を持たれ続けている。

 どうしてなのだろう。

 

 駆逐艦なのに落ち着いていると言われる──ただ根暗なだけだ。

 佇まいが淑女のように品があると言える──だらしないところを提督に見られたくないだけだ。

 どの評判も、お門違いだ。

 それでも姉妹を除いた駆逐艦の間で、浜風の過剰な風評が、落ち着くことはない。

 

 その最大の原因があるとすれば、それは……

 

 

 

 

「……やはり、この胸のせい?」

 

 至って真剣な顔で呟く浜風。

 この場に谷風がいれば、「気にするのソコかい」と即ツッコミをされそうな素っ頓狂な発言である。

 

 しかし、一重に間違いとも言えない。

 

 いまも、お湯にプカプカと浮いている生白い双峰。

 浜風の小柄な体型に不釣り合いな膨らみは、大の男でも掴みきれないほどに激しい自己主張をしている。

 背丈が周りの駆逐艦とそう変わらない浜風だが、これほどの凶悪なものをふたつも着けていれば……なるほど、少なくとも幼い子どもとして見るには無理がある。

 

 しかし、である。

 

(ん~。でも、夕立さんも大きいですよね?)

 

 もし大人っぽさの有無がスタイルの良さで決まると言うのならば、夕立も例外ではなくなってくる筈だ。

 浜風ほどではないが、夕立も駆逐艦のわりに立派に発育したスタイルを誇っている。

 肉感的で艶めかしい浜風とはまた別の、健康的で引き締まった方向での発育良好。

 常日頃から胸の重さに悩まされる浜風にとっては、これまた羨望の的といえる丁度良い膨らみ。

 

 そんな夕立だが、しかし浜風のように大人っぽいと持て囃されたことはない。

 いや、改二になった時点では、そう騒がれていたが、以前とあまり変わらない無邪気な態度から「やっぱり夕立は夕立」と落ち着いたのである。

 

 となると、肝心なのは『見てくれ』ではなく、性格から滲み出るその態度といえる。

 大人びた印象を瞬く間に打ち砕くような、幼稚で自由爛漫な無邪気な振る舞い。

 間違いなく、自分に足りていないのはソレだ。

 

(それを克服できれば、もしかしたら私も……)

 

 だが問題は、どうやってそれを実現するかだ。

 普段通りでは、やはりいつものように失敗してしまうだろう。

 何かひとつ、プラスアルファ、変化が必要だ。

 夕立のように子どもっぽさをアピールできる手段。

 何かないだろうか。

 

 そう考えた矢先、浜風の頭に浮かんできたのは……

 

 

『提督さん大好きっぽい! ぽいぽいぽぽいぽっぽ~い!』

 

 

 夕立の口癖というか鳴き声というか、彼女を語る上で外せない「ぽい」というワード。

 事あるごとに呟かれるその口上は、改装によって大人びた夕立をいまだに幼稚な娘に思わせる魔法のような効力が秘められている。

 

 とすれば、自分もそのような口癖を作れば、あるいは……

 そして、もし作るのであれば

 

「──『はまはま』、とか?」

 

 湯船に滴がひとつ落ちる。

 沈黙に包まれた大浴場に、ぴちゃんという音が、いやに存在感を秘めて響き渡った。

 

「……ないですね」

 

 浜風の顔が、湯あたりとは別の要因で真っ赤に染まる。

 

 自分で口にしておいて後悔する。

 この類いの愛らしさは、許される者のみが使える奥義なのだと浜風は痛感した。

 

 やはり、そう簡単に人相(キャラクター)は変化させられない。

 でも、この調子では、また途中で恥ずかしがって提督に本心とは真逆のことを言ってしまうかもしれない。

 何かひとつ。

 何かひとつ決定的な何かが欲しい。

 

 不器用な自分でも、提督に素直になれる、そんな魔法のような方法が。

 さすれば、自分も夕立のように、提督に甘えることが……

 

「はあ……本当に、夕立さんが羨ましいです」

 

「ぽい~? 何が~?」

 

「はまぁぁぁぁ!?」

 

 いつのまにか羨望の相手である夕立が隣で入浴していたので、浜風は思わず奇妙な声を上げながら飛び上がった。

 

 

 

 奇しくも、コンプレックスの対象であり、同時にいろいろな意味でライバルでもある夕立と混浴することになった、この夜。

 浜風はようやく、目的に向かって一歩前進することとなる。

 

 誰かが言った。

 

 競い合う相手がいるからこそ、強くなれると。

 


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