「ねえねえ。何で素直に提督さんに甘えないの浜風ちゃん? どうしてっぽい?」
毒気の一切無い、あくまでも純粋な疑問を、夕立はぶつけてくる。
最大の隠し事がバレてしまったことで、アワアワと羞恥に悶えている浜風に対して、悪びれもせずに。
「あ、あの夕立さん。甘えるとか、あまり、そういうことを口にしないでいただけると、その、ありがたいのですが……」
いま大浴場にいるのは幸い(?)二人だけだが、別の艦娘が入ってきて聞かれてしまう可能性がある。
できることなら、これ以上秘密を広めたくはない。
提督に甘えたいという気持ちを、いまさら見栄を張って誤魔化すつもりはなかった。
汗を舐められただけで、嘘が見抜かれたことには、納得はいかないところもあるが……
だからこそ、いろいろ常識の埒外にある夕立相手に否定を続けたところで、泥沼になる未来しか見えなかった。
この場は素直に心情を吐露したほうが、恐らく事は早く済むだろう。
浜風としては、颯爽と夕立の疑問に答え、しっかりと口止めをしてから、この場を去りたい心境だった。
「こほん。よ、よろしいですか夕立さん? 確かに私が提督に甘えてみたいと思っているのは事実です。ですが、思っているからと言って、何でもかんでも実行に移すことが正しいわけではないのですよ?」
浜風の説明に、夕立は「ぽい?」と首を傾げた。
浜風は立て続けに言う。
「時と場所を選ぶ、ということです。提督はただでさえ多忙の身なんです。私の身勝手な要望を押しつけて、貴重な時間を奪うだなんて、そんなの言語道断というものです」
それらしい理由を口にして、浜風は満足げに頷く。
こう言えば『なるほど』と納得してくれるに違いない。
しかし……
「う~ん。浜風ちゃんの言ってること難しいっぽい~」
何事も直球な夕立には、遠まわしな説明は理解し難いものだったらしい。
浜風はもう少し噛み砕いて言う。
「えっと、つまり……私のワガママで、提督に迷惑をかけたくないんです」
改めて口にしてから、浜風もまた、提督に素直になれない原因を自覚した。
詰まるところ、そういうことだった。
純粋に恥ずかしい、という気持ちもないでもなかったが。
一番の理由はやはり、提督を振り回すことに対する後ろめたさだったのだ。
他の艦娘ならば、提督相手に遠慮のないやり取りをしている。
しかし、ひと際真面目な浜風にとっては、それはなんとも畏れ多いことだった。
戦闘、執務の面で、提督から強い信頼を受けている分、余計に躊躇いが生じてしまう。
呆れられたらどうしよう。
幻滅されたらどうしよう。
拒まれたらどうしよう。
生真面目な委員長気質が特有にいだく不安が、今日日まで浜風の行動を縛り付けていた。
そんな神経質な悩みを抱える浜風に向かって、夕立は言う。
「迷惑って、それは提督さんが浜風ちゃんに言ったっぽい?」
無邪気さゆえの鋭い指摘に、浜風は一瞬、言葉を詰まらせた。
「いえ、そんなことはないですが……」
提督は艦娘との関係を誰よりも大事にする。
部下の怠けた態度を叱りはしても、純粋な厚意や気心を無下にしたことは一度もない。
どんな艦娘相手でも、提督は優しさを欠かさない。
そういう人物だ。
そんな提督ならば、秘め隠していた本性を曝け出しても、きっと受け入れてくれるだろう。
戸惑いはしても、ありのまま姿を認めてくれるだろう。
そう期待をいだきつつも……しかし、心の奥底に沈殿する不安を拭えないでいる。
自分の要望が、提督の負担になりはしないか。
失望させたりはしないか。
そんな恐れが、浜風の心に、一滴の黒い雫を落とす。
「う~ん、夕立にはわからないなぁ。甘えたいと思うなら甘えればいいと思うの。だって我慢しても辛いだけっぽいよ?」
「それは……」
それはもう、イヤというほど痛感している。
だからこそ、先ほど臆病な自分を捨てて、提督に気持ちを伝えようと決心したのだ。
……しかし、どうだろう。
いまこの場で、提督に甘えたいという感情を堂々と主張できない自分が、はたして本当に思いを伝えられるのだろうか。
実際、まだ浜風は躊躇ってしまっている。
秘密を明かすことを。
「浜風ちゃんは時と場所を選ぶって言っているけど、じゃあ、いつなら甘えるっぽい?」
「えっと、それは、その……」
気づけば、すっかり夕立にペースを握られている。
ちょっと説明さえすれば、納得すると思ったが、むしろ逆効果だった。
夕立はどんどん質問攻めをしてくる。
まるで、閉ざされた殻を破るように。
浜風の押し隠されてきた心情を、言葉によって抉り出していく。
「浜風ちゃんは提督さんのこと好きじゃないの?」
「好ッ!?」
直球も直球な問いかけに、浜風は動転する。
「夕立は提督さんのこと好きだよ?」
次いで、トンデモナイ爆弾発言もさも当然のように口にする夕立にも驚いた。
「そ、それは、どういう意味での『好き』なのですか?」
恐る恐る浜風は尋ねる。胸の内になぜか激しい不安を抱えながら。
対して夕立は「ぽい?」と相変わらず邪念のない顔で首を傾げる。
「『好き』は『好き』じゃないの?」
「え? あ、いや、それはなんと言いますか……」
「『好き』って、いろんな意味があるっぽい?」
「そ、その、一応あるじゃないですか。『LIKE』とか『LOVE』とか……」
浜風は自信なさげに言う。
異性を強く、恋しく思う気持ち。
それは『恋』と呼ばれるもの。
知識として『そういう感情』があることを、浜風は知っている。
しかし、知っているというだけで、実のところ、よくはわかっていない。
鈴谷が駆逐艦相手に頻繁に「恋はいいよ~」と自慢げに力説しているところを耳にしたことはある。
しかし、やはり言伝だけでは、それがどういう感情なのか、うまく理解できなかった。
それは夕立も同じだったらしい。
浜風の問いかけに、「うんうん」と首を捻って考え込んでいる。
「う~ん、よくわからないけど……でも夕立はとにかく提督さんのことが大好きだから、それでいいと思うっぽい♪」
惜し気もなく、輝くような笑顔で、夕立は断言した。
ズキッと、浜風の胸に痛みが走る。
ケガをしたわけでもないのに。
大好き。
そう堂々と口にできる夕立が、浜風は羨ましかった。
理解していなくとも、とにかく好きだと主張できる夕立の素直さ。
それは決定的に浜風に欠けているもの。
そして最も欲するものだった。
「……」
どうして。
どうして、ここまで違うのだろう。
自分にないものを、どうして夕立はこんなにも持っているのだろう。
自分は自分。他人は他人。
そう割り切ろうとしても、割り切れない劣等感が、浜風を苛む。
いけないとわかっていても、感情の濁流が押し寄せる。
自分が求めているものを、容易に手にする夕立に、どうしようもなく羨望をいだいてしまう。
そんな折……
「けど勿体ないな浜風ちゃん。提督さんに抱きしめてもらうと、すごく安心するんだよ?」
「っ!?」
夕立の何気ない言葉で、浜風の心の底で、ふつふつと煮えたぎるものを感じる。
それは、いままでに経験したことのない、深い場所から込み上がってくる熱い感情だった。
「ぎゅっとしがみつくとね、提督さん『よしよし』って頭を撫でてくれるの! それがすっごく気持ちいいっぽい! あれを一回味わったら、もう病みつきになるっぽい!」
あたかもソムリエのように得意気にうんうんと頷く夕立に、やはり悪意らしきものはない。
彼女はどこまでも天然に、感想を述べているだけに過ぎない。
だからこそ余計に……
浜風の中で、何かが弾けた。
「う~ん。でもときどき提督さん、何か焦ってるっぽい感じになるんだよね。特におっぱい押し付けてるときとか。最初は喜んでるっぽいんだけど、すぐに『やばい』って顔してあたふたしちゃって。あれがなければ、もっと最高っぽいんだけど……」
「ズルイです……」
「ぽい?」
ずっと苦手意識をいだいていた相手。
そんな相手に、いま浜風は、別の感情をいだきつつあった。
色で喩えるなら、赤。
形状で言うなら三角形。
その矛先を、浜風は真っ直ぐへと、夕立に向ける。
「ズルイです。夕立さんばっかり、皆さんばっかり……私だって。私だって……」
「は、浜風ちゃん? どうしたのっぽい?」
様子の変わった浜風に、夕立は心配げに声をかける。
しかし浜風は聞く耳を持たなかった。
プルプルとカラダを震わせて、キュッと唇を噛む。
「私、だってっ!」
止められなかった。
ずっと抑え込んでいた爆薬に、火が、灯されてしまった。
ときどき浜風は、自分の気持ちがどういう類のものなのか、考えることがある。
提督のことは、もちろん尊敬している。
だが、はたしてそれだけなのだろうか。
彼に甘えたいと熱望し、他の艦娘と触れ合っているところを見ると、無性に羨ましくなる。
それは、敬愛という言葉だけで済まされる感情なのだろうか。
浜風は、そもそも『LIKE』と『LOVE』の違いさえも理解できていない。
理解する必要もないと思っていた。
ただ尊敬心をいだいていれば、提督を思う気持ちとしては充分だと思っていた。
……しかし、いま浜風の心は、それではダメだと訴えている。
それだけでは、足りないと。
夕立と同じ土俵に立つには、それだけでは足りないと。
好き、という感情がどういうものか。
元が軍艦である自分に、そんなものがわかるはずもない。
もとより自分は、艦娘の中でも感情に乏しい存在だったのだ。
そんな人形もどきに、感情をくれたのが提督だ。
この思いは、彼がいたからこそ、いだけたもの。
提督無くして、いまの自分は存在しない。
だから……
「負けません」
この気持ちの正体が何なのかは、わからない。
だが、いまはそれでも構わない。
だから、これだけは、絶対に言いたかった。
「私だって……提督のことが、大好きなんですから!」
こればかりは決して誤魔化したくない。
浜風にとって、たったひとつの、真実だった。