ご容赦ください
マジックアイテム〈完全なる狂騒〉は元々、アンデット系統の精神攻撃耐性を無効化するだけの、いわゆる微妙系に分類されたゲテモノだった。
しかしどうやら転移後の世界では、アンデットの精神構造に直接干渉するような効果に変わってしまっていたらしい。
静止していた心臓が鼓動を取り戻したかのような衝撃が、ドクッと肋骨の内側に響く。乾いた血管が潤うように、感情線に電撃が走りリミッターが故障した。
約1週間ぶりに突然再起された人間性は、アインズと鈴木悟の境界をハチャメチャにさせ、人格回路は過負荷にさらされた。
その混乱すら、いつものように鎮静してはくれない。だが眼前の相手を忘れるほど理性を捨てたわけではなかった。
「〈爆裂/エクスプロージョン〉!」
「んぬ!」
巻き込まれまいと慌てたマタタビは後方へと距離を取り、アインズもやがて発動した自身の魔法の衝撃によって意図的に後方へと吹き飛ばされる。
痛みと熱気が文字通り骨身に差し込んだ。
「流石はアインズ様。自爆ダメージで距離を取られるとは」
「ふんっ」
手でホコリを払い、表面上は強がりながらも内心アインズは焦っていた。
さっきは咄嗟の判断で爆裂魔法の自爆によって距離を取ったのだが、強化系のスキルを使っていないにも関わらず想定以上に痛みが激しい。
ダメージ量的にはマタタビから与えられた火炎系忍術とメリケンサックの拳撃の方が上なのに、今のほうがよほど大きなダメージに感じられた。
(アンデットの痛覚抑制効果も無効化されてるのか!?)
「ま、私も色々やりましたからね」
「どういう意味ですか?」
マタタビはサディスティック気味に口元を釣り上げ笑いかけてくる。
「保険です。そりゃあ私、あなたに嫌われてますからね。毎日、ナザリックに自動湧きするアンデット相手でいろいろ試してたんですよ?
殺されそうになったらこれ使って命乞いでもしとこうと思ってまして、カルネ村から帰還した後でアイテムボックスに仕込んでみました」
「やはり気づいてましたか」
「ええ。痛いのも、嫌われてるのも、どっちもね」
彼女が「この世界での戦闘」についてをここまで深く研究していたのなら、一体どれだけアインズを恐れていたというのか。
関係性の溝が最悪な形で露呈していた。
「おかげで肩身の狭いメイド暮らしでしたよ。アルベドさんがいなけりゃ、多分失踪してましたね」
彼女の暮らしぶりがあまり芳しくなかったのを知ったのは、宝物殿に向かった後日、復活したアルベドから聞かされた。
どうやらメイドとして働き出した彼女は他の一般メイド達に疎まれていたらしい。
言えばよかったんじゃないかと思ったが、唯一プレイヤーとしての素性を知るアインズ自身との関係も不良好だったのである。
実は職場に不満だったとしても、彼女の立場から文句なんて言えるはずなかったのだ。
「……我ながらいい気味だ。これでは仲間割れした八欲王を笑えないな」
かつてスレイン法国の特殊部隊を尋問した際に聞いた、とある神話の話を思い出してアインズは自嘲した。
そんな情けない風体を見てますます失望の念を深めたのか、マタタビは目の色を冷たく変えて侮蔑の表情で睨みつける。
「とんだ拍子抜けだわ。命乞いなんて言ったけど、今のアインズ様なら簡単に殺せそうだよ」
瞬時に体躯よりも大きいガトリング銃に持ち替えて、容赦なくトリガーを回す。
〈飛行/フライ〉を発動させて空中移動で回避していくが、弾の一つが左肩を掠めた瞬間焼き付くような感覚が骨髄を貫いた。
「ぐっぬぅぅぅぅ神聖属性か! 〈骸骨壁/ウォールオブスケルトン〉!」
天地の間に無数の骸骨兵の集合体が壁となって立ちはだかり、連射弾幕は骨に埋もれて消えていった。
やがてカルシウムの質量体は万有引力に従ってマタタビの頭上へと崩れ落ちていく。
「〈要塞創造/クリエイトフォートレス〉」
漆黒のタワーの破城槌が、骸骨の壁を突き破ってアインズもろともを吹き飛ばした。
痛みにあえぐ間もなく、スパイク付きの城壁を駆け上がってマタタビが迫ってくる。だが何度も簡単に近付かれるわけには行かなかった
「〈上位道具破壊/グレーターブレイクアイテム〉!」
道具破壊魔法により城壁は建物と共に粉砕されていき足場を失うマタタビだったが、宙に和文字の魔法陣を描き咄嗟に忍術を発動させた。
「〈生口の術〉スフィンクス」
翼の生えた獅子が召喚されて、落下するはずだったマタタビの両足は白く大きな翼に受け止められた。
そのままマタタビを乗せたスフィンクスは、鋭い爪を突きつけて一直線にアインズの元へと飛びかかろうとする。
「〈上位排除/グレーターリジェクション〉」
アインズは手をかざし照準を合わせ、召喚獣を帰還させる。
だが消滅寸前のスフィンクスは踏み台とされ、気付いたときには彼女はアインズのもとまで辿り着いてしまっていた。
野獣の眼光を宿したまま、アイテム空間より抜き出された日本刀が横一閃に撃ち放たれた。
知っている。この一撃は、斬撃耐性と急所耐性を併せ持つアインズには決定打になりえず、彼女の得意な短期決戦は通用しないのだと。
だが現在は〈完全なる狂騒〉によってアンデットの冷静さを失っており、人間としての精神で戦わねばならない。
どれだけ意識で理解しようと常人たる鈴木悟が凶刃に慄いては、状況判断が曇らされるのも必定だ
一瞬の不意を見逃さなかったマタタビは、斬撃と共に頭蓋骨へと踵落としを放つ。アインズは硬質な凍土へと叩きつけられた。
架空の脳髄がシェイクされながら、不動な筈の視界がぐるぐると回り混乱する。
本当に脳振盪されたわけではない。四肢を欠損した者が、元は存在した触感を錯覚するようなものだ。
胃どころか、内臓全体が肋骨に引っかかって振動する。異形の器に人間の魂が入り込んだ故の苦痛に、更に実態の痛みが伴った。
戦況の有利も不利も関係なしに、激痛によって先んじ心のほうが折れかかったが、ここに来る際の不退転の覚悟を再念させて踏みとどまる。
弱い心を打ち砕き、腹の底から煮えたぎる鉛を沸騰させるように、二足で力強く立ち上がった。しかし、
「いや遅いですよ?」
マタタビはそんな奮闘を冷たく嘲笑う。振り降ろされた刀の峰がまたもや頭蓋骨へと炸裂した。
手元よりレプリカのスタッフが離れて、絢爛な造形が氷につきささった。レプリカのスタッフには、浮遊効果なんてものついていない。
それに続くようにして、アインズは再び地に伏した。
◇◆◇
言い訳なつもりはないが、これでもマタタビは自分が根暗で生意気な糞ガキであることを、ちゃんと自覚している。
善意で歩み寄ってきた相手に嫌味を言って傷つけたり、皆が一致団結したり盛り上がってるところに水を差したりなんていうのは、昔からよくあったのだ。
クランを辞めるきっかけになった課金騒動の顛末は、今でも思い出すと気分が悪い。
もともと非課金至上主義を声高と唱えていたペロロンチーノがある日突然課金を始めたのがきっかけだ。
ムカついたマタタビは、課金していたプレイヤー全員に「口を利かない」という嫌がらせを始め、それが巡り巡ってクラン全体を大炎上させてしまった。
始まりそのものは大したことなく、そして今となってはなんの意味も持たないことだった。何にせよいつかはこうなっていただろう。
見かねたウルベルトはマタタビに、クランから距離を取るべきだと提案し、マタタビもそれを受け入れた。
そして諸々の人間関係を犠牲にしたものの、モモンガさんの調停もあり、どうにかマタタビはクランを辞めることになったのだ。
ナインズ・オウン・ゴールの連中には、本当に嫌な思いをさせてきた。
それで何が言いたかったかというと
身内での諍いを好まぬモモンガさんが周囲に火種をばらまきまくったマタタビのことを嫌っていたのは、極めて自然なことだということだ。
ところがそんな彼が、最終日以降のマタタビとは話せるようになった。昔はロクに口も利かない仲で、取引的なドライなやり取りしかしてこなかったというのにだ。
大方、最後に残された「マタタビ」を、都合よく執着の対象としているのだろうと思う。アルベドさんだったら羨む役回りだろうけど、マタタビにとっちゃ酷く気に食わない。裏切られた気分だった。
もしも自分のことを嫌ってるはずの奴が突然「冒険者になって羽根を伸ばしませんか」とか言ってきたらどうよ? 気味悪いと思わない?
本命相手に振られたから、じゃあお前でいいやって勝手に妥協されていたのと同じだ。
『各々が造物主という名の太陽を見失ったシモベ達は、その反射光を宿すモモンガ様に蛾のごとく群がっては絶対の忠誠を嘯いているに過ぎません』
玉座の間でモモンガさんの改名に異を唱えた時、私が言った台詞。
じつは彼宛の皮肉だったのだが、遠回しだったし気付かなくても無理はない。
ただやっぱりそのせいでマタタビを殺せないとなれば、感謝していいのか苛ついていいのかわからない。
◆
突っ伏したアインズ様を足蹴にしながら、手早くマタタビは〈瞬間換装〉でメイド服へと着替える。
そして彼のガラ空きな胴体に両手を上げて思いっきり押し倒した。
「ウグぁああ!! 〈魔法三重詠唱最強化/黒曜石の剣・オブシダントソード〉」」
苦し紛れに召喚系の攻撃魔法を発動させるが、今のマタタビには邪魔にもならない。
右手を肋骨の中心位置である彼の胸骨に添えて、墨字の忍術陣を起動させる
「無駄ですよ。〈契約封印〉」
直接接触が発動条件の除去忍術である。
条件が厳しいだけに、魔法職を極めたアインズ相手でもたやすく通用した。
続いては彼の両手を左右それぞれ握手して地面に押し付ける。
更に骸骨の顎下から私の頭頂部を潜り込ませ、無理やり上を向かせた。
手足と視線の向きを支配して、こっちに魔法を向けさせないようにしたのである。この魔法詠唱者専用の捕縛術はマタタビオリジナルのものだ。
しかし無力化してやったはいいが、この体勢ではダメージを与えることが出来ない。
とはいえ魔法職ならば、HPを削るよりも更に手っ取り早い解決方法が存在する。
「スキル〈魔力泥棒〉」
MP吸収系の希少スキルだ。
魔法詠唱者の生命線とも言えるMPがなくなれば、残るはただの案山子である。
万一〈完全なる戦士〉とかで戦士化されても、剣の素人に負ける私ではない。
これで詰み。
それでも負けじとアインズ様は足掻く。
「〈負の接触/ネガティブタッチ〉出力最大」
接触してMPを奪う〈魔力泥棒〉対して彼が使ってきたのも、接触により負属生デバフを与えるスキル〈負の接触/ネガティブタッチ〉である。
メイド服はダメージそのものにはめっぽう強いが、弱体化への耐性には若干穴があった。
MPとネガティブダメージを両方吸収する感覚は、言うなら腹を満たしながらも喉が渇いていくようなものだ
そんな気持ち悪い感覚をごまかそうと、マタタビは暇な口を動かした。
「あなたは他人というものを、とことん想い過ぎる。普通、実質初対面なNPC達の期待に応えるべく己を偽るなんて無茶は、誰もやろうとしないだろうに。
ギルド長やってた時だってそうだ。昔っからあなたは他人に譲るばかりで自己主張をほとんどしなかったですよね」
「………」
相手は答えず、ただ黙って負エナジーを押し流す。
だから独り言のつもりでこっちも好き放題に舌を回した
「あなたほど我儘という言葉が似合わない男は居ない。だからあんな個性集団のまとめ役が務まったんだろうさ
あなたのそういうところ、心から尊敬しますよ。でもね」
間もなく死ぬというのに、相変わらず彼は閉口していた。
その平然さが酷く気に食わなかった。意地でも反応させたくなって、おそらく彼の一番であろう地雷を踏み込んだ。
「そういえばメイドから聞きましたよ。最終日に来てたんだってね、ヘロヘロのやつ」
「っ!」
鉄面皮が剥がれて、孤独な呻き僅かに空気を震わせる。
眼孔の中の赤い灯火が一瞬揺らいだのを、マタタビは見逃さなかった。
「大方、過労気味なあいつを引き止められなくて帰したんだろうけど。でももし引き止めてたらどうなってたろうね?」
「……黙れ」
らしくなく荒げた声。けれど毛を逆立てた小動物じみた威嚇は、恐怖ではなく寧ろ憐憫を誘った。
マタタビは、一人ぼっちの玉座の間が少しだけ賑やかになるのを、そして少し嬉しそうな骸骨顔を空想した。
きっとアインズ様にとって、人生最大の後悔に違いなかっただろう。
「そして今回もあなたは間違えた。
ちゃんと私を殺しておけば、このクソみたいな洗脳は解除されていたんだ。あとは蘇生魔法でも使えば良かったはずだ。
やっぱりあなたは殺しに向いてないよね」
もしこの勝負がただのPVPだったなら、本来マタタビに勝ち目なんてあるはずがなかった。
ただでさえ、スケルトン系統のアンデットであるアインズには、マタタビが得意とする斬撃や刺突の武器は効果が薄い。
得意の短期決戦には持ち込めないというのに、加えて事前準備による能力差もある。
何より〈天地改変〉によってマタタビに不利でアインズに無害な氷雪フィールドで戦うことを余儀なくされたのが非常に致命的だ。
前提条件からして、このPVPによるマタタビの敗北は必定だった。
けれど勘違いしてはいけないのは、この戦いはユグドラシルにおけるPVPではなく、互いの生存をかけた真剣勝負だということだ。
もし彼が、本気の殺意ではなく偽物の友情を抱えながら立ち向かってくるのであれば、そこに唯一勝算があったということだ。
でも確信していた。
大相長々と語ったが、ようは彼の甘さに付け込んだだけである。
昔から、他人の揚げ足を取るのは悲しいくらい得意だった。
こうしてまた一人友人を失うのだから、損ばかりな特技なのは言うまでもない。
「……昔から食えない人だ。だから嫌いなんだよ。」
「心より同情いたします。私だって、嫌いと言いつつ甘くなりガチなあなたは大嫌いですよっと」
彼のMPは全て空になった。
拘束を解き、今度は魔法の鎖を取り出してガチガチに締め上げた。死体の芋虫の出来上がりである。
「ごちそうさまでした。せめて痛くないように殺しますからね。許さなくてもいいですけど」
アイテムボックスから筒状ダイナマイトを山のように出す。
これだけあれば、まぁ即死だろうか。即死って痛いのかな?
「……どういうつもりですか。俺を殺すだけなら、爆弾はその半分もいりませんよ」
「洗脳状態のまま生き続けたいとは流石に私も思わないよ。
別にあなたさえ殺せれば、私の安否は関係ないんだ」
「そう……ですか」
鎖でぐるぐる巻きになりながらも、彼は間もなく訪れる死に対してまるで無頓着な様子だった。
それなのに私にはどこか咎めるような視線を向けていた。たまらなく気に食わない。
私ははライターを取り出して、ボタンを擦り火を灯す。
「……折角ですし遺言くらいは聞きますよ。いやまぁ私も死んじゃうんだけどさ」
「じゃあ一つだけ。俺言いましたよね 『躊躇はしていませんよ』って。
この戦いで手を抜いたつもりは、まるでないんですよ」
「は?」
唐突に、頭頂部へポツンと雫が落ちてきた。
やがて雫は、落下してくる数を加速度的に増加させる。本降りの雨になるには数秒とかからなかった。
しかしこの雨がダイナマイトを濡らして駄目にしたのを、数秒かかってようやくマタタビは気付く。
第6位階魔法〈コントロール・ウェザー/天候操作〉。
敵意の気配が現れたのは、魔法が使われるのとほぼ同時。転移で援軍を呼んだのか。
振り返るとそこにいたのは、ありえない筈の姿だった
黒一色に統一されたスーツにシルクハットとマントを身につけた、山羊面のバフォメット。
マタタビはそれを知っている。最後に見たのが数年前でも、忘れるわけがなかった。
ギルド:アインズ・ウール・ゴウン41名が内、最強魔法職であるワールドディザスターを冠しながらも、数少ないマタタビの話し相手だった友人。
ウルベルト・アレイン・オードル
数瞬懐かしさに心奪われていたが、間もなく違和感を覚える。
マタタビの心の微細な動きを感じ取って〈地味子のメガネ〉はひとりでに起動した。レンズは無造作にソレの正体を暴露する。
「……ドッペルゲンガーですか」
我ながら、零した声音は思った以上に寂しそうだった。
そいつはグニャッと崩れるように溶けていき、粘土細工みたいに寄り集まっては真の姿を露わにする。
ゆで卵の埴輪ヅラが軍服を纏ってるというシュールなデザイン。かっこいいと思って作ったんなら、製作者は悪趣味に違いない。
埴輪は大仰な手振りで会釈し、やたらハリのある声を上げて自己紹介をした。
「お初にお目にかかります、マタタビ様。
ワタクシナザリック地下大墳墓が宝物殿の領域守護者、パンドラズ・アクターでございます。以後お見知りおき――」
「くたばれ!」
ご口上を逐一聞いてやるほどマタタビは人間ができていない。
不意を突きノータイムで放たれる、刀による本物の居合い斬り。
これこそ今のマタタビに出来る最善の攻撃手だ。
……けれど案の定、刀身は相手を傷つけるには至らなかった。
いや厳密に言えば、攻撃は相手の身体に届いていたが、ピンクの肉棒型スライムを相手には文字通り刃が立たなかった。
言うまでもなく、ぶくぶく茶釜の現身だろう。
如何にもこの人らしいNPCである。ウルベルトに化けた時点で予想はしてたが、最初からアインズは囮で本命はソイツならしい。
すべてを悟って無駄なことだとわかっていたが、それでもマタタビは足掻き出した。
刀を捨てて踵を返し、敵に背を向けなが敗走を踏み出す。
全身くまなく負ダメージを食らいながら、ましてや凍てつく氷上においての疾走の不快感は想像を絶した。
四肢は重たく、手指は腐って千切れてしまいそうだ。
駆けるマタタビに並走するようにして、今度は全身黒装束の忍者衣装、弐式炎雷の写し身が差し迫ってきた。
しかしいくら弐式炎雷がスピード特価の能力編成でも、ステータスを8割コピーした程度では、本来マタタビに追いつくことは不可能なはずだった。
今ならわかる。彼が散々負ダメージでマタタビの身体能力を削っていたのは、移動速度を抑えてマタタビを逃さないようにするためだったのだ。
締めは純銀の聖騎士、たっち・みーへと変身する。
大ぶりの聖剣の峰部分によって、マタタビは盛大に凍土へと叩きつけられた。
◆
少し気絶していたらしい。
目が覚めると、マタタビは冷たい地面に寝そべっていた。
多分体中の骨がバキバキになっており、僅かに身動ぎするだけでも痛くて痛くて死にそうだ。
それなのに何故か、さっきアインズ様に巻きついてた筈の自分の鎖で、元々動かない手足が更に縛られていた。
傍らでそんなマタタビを見下ろしていたのは、アインズ様ともう一人。多分、パンドラズ・アクターとかいうやつだ。
その姿を見たマタタビはひたすら呆れるほかにしようがなかった。
黒長の髪をたなびかせ地味なメガネを掛けた制服姿の美少女。つまりはマタタビの姿そのものである。
ギルドメンバー全員をコピーするだけでもアレなのに、加えてマタタビまで入れていただなんて。
「嫌がらせか。いくらなんでも悪趣味すぎますよ」
その一言が彼(彼女?)の琴線に触れたのだろうか。
顔は動かないが〈読心感知〉でものすごく不機嫌そうなのは伝わった。
それを察したアインズ様が手を前に出して宥めるように制した。
「もともとその外装データはナザリックの所有です。あなたが使っても良いという許可を与えただけですし、何も問題ないですよ」
「……釈然としない」
さっき続々とギルメンに姿を変えたパンドラが、最終的に自分の姿になったこと。
そして自分の姿が、アインズと肩を並べているという光景が、なんだか妙にむず痒い。指摘できるはずもないけれど。
「まぁ、それはいいや。ところでここまで大層お膳立てして、結局あなたは何がしたかったの?」
どうやら見るからに、マタタビは生け捕りにされたらしい。
でもそうしたところで殺さなければならないという事実は変わらないだろうに。わけがわからなかった。
「わかりませんか? この状況が何を意味しているのか」
「うーん? 自分の手では殺せないけど、それでもやっぱり自分で殺りたかった。だから生け捕りにした、とか?」
それくらいしか考えられなかった。
ところがその答えに対して何故かパンドラが憤る。
「その程度の考えしかできない愚者でいらっしゃったとは。
貴方様は御方の意思を侮辱するおつもりでしょうか? あなたを仲間として認め、この状況から救い出してみせようとする深いご覚悟を」
「……やめてくれパンドラズ・アクター」
「は?」
聞き間違いだろうか。今とてつもなく阿呆なフレーズを聞き取った気がする。
救う? 掬うでも巣食うでもなく、救うですって?
この人は今の私の状況を本当にわかっているのだろうかと、敵ながら急に不安になった。
ところがそんな私を「珍しく察しが悪いみたいだ」と悪戯気味にからかって、アインズ様は答えた。
「世界級アイテム〈傾城傾国〉の精神支配効果を解除するには、同じく世界級アイテムを使用しなければならない。
しかし今のマタタビさんは精神支配されながらも〈傾城傾国〉を所持しており、よって他世界級アイテムによるアプローチが無効化されてしまうだろう。
俺も最初はどうしようもないと思っていた。だが――」
僅かに横の彼(彼女?)に目配せをする。
「要するにこれは、マタタビさんから〈傾城傾国〉を取り除けばそれで済む話だったんだ」
「………」
あまりの衝撃に言葉を失った。
いやわかる。全く予想外だったというだけで、言っていることはわかった。理屈としてはこれ以上なく納得できる。
『躊躇はしてませんよ』
ようやく合点が行った。
わざわざ自らマタタビに戦いを挑んだというのに何度か殺し損ねる場面があったのは、覚悟が中途半端だったからじゃない。
むしろ逆だった。本気で助ける覚悟で挑んでいたから、そもそも殺害という選択肢をもっていなかったのだ。
そして今パンドラズ・アクターがマタタビの格好を取っているのは、コピーした盗賊のアイテム奪取スキルによって〈傾城傾国〉を奪うためだ。
本来この奪取スキルは、盗賊特化であるマタタビには特に効きづらいのだが、その成功率を上げるためにHPをレッドまで削り被ダメージによる弱体化を施したのだろう。
この状況を作り上げるためにアインズは動いてきたのだ。だとすれば、殺る気と思ってたマタタビはとんだ道化である。
まったくもって完敗。ボロクソだ
「じゃあパンドラズ・アクター、始めてくれ」
「御意。スキル発動〈最上位窃盗〉」
パンドラ(マタタビ)は、私の方へと手を伸ばす。しかし指先は触れ合うこともなく暗黒の空間、おそらく私のアイテムボックスへ吸い込まれた。
やがて拾い上げられたのは一着のチャイナドレス。
シルクのような純白の布地には、派手ではないが華のある美麗で精緻な描かれている。
ただ謎の老婆の血液がべっとり付着しているがたまらなく惜しい。かえってその芸術的価値を、審美眼の無いマタタビにすら理解させた。
どうやらこのままでは、ということで〈無限の水差し〉で洗い流されているらしい。汚れ自体は簡単に落ちた。
世界級アイテム〈傾城傾国〉は、マタタビの中で忌々しいモノとして深く刻み込まれた。
けれど今は、それ以上に許せないことがあった。
「……ふざけんな! なんでよりにもよって私なんかを、命賭けてまで助けたんだよ」
わかっていた。アインズがそういう奴なのは、とっくにわかっていた。
けれども感情として割り切れなかった。
理解するのを拒みたがる駄々っ子な自分が、頭のなかで暴れ狂っていた。
「もしも私じゃなくて別のメンバーが洗脳されたのなら、助けようとするのもまだわかります。
でも私は違うでしょう? あんたにとっては本来、私なんざただのウザイ糞ガキでしかないはずだ」
声を張り上げるたびに、微小な振動が砕けた肉骨に響いて凄く痛い。
それでもなお叫ぶことをやめられなかった。
「それを一時の寂寥感の為に、仲良しごっこで命をかけるなんて、まるで馬鹿みたいじゃないですか!!
ふざけんな! 万一あんたが死んだなら、ナザリックの連中はどうなるんですよ! もっと自分を重んじろ。このクソ骸骨が!!」
裏返して言えば、マタタビにはアインズほどの価値はないということだ。
当然である。マタタビは嫌味で生意気で、対しアインズは謙虚で慎み深く和を重んじる。集団の中でどちらを好くものが多いかは明らかだったろう。
言ってるうちにいつの間にか、目元の端より涙が流した自分が腹立たしい。
ところが決死の訴えを聞き届けたアインズは、何故かなお上機嫌に笑い出した。
それはそれは心の底から嬉しそうであり〈精神異常無効化〉が無効化されてることもあって尚更だった。
「勘違いしないでもらいたいが、これは俺の我儘です。
マタタビさんは、最終日に俺がへロヘロさんを引き止めなかったのは遠慮してたからだろうって言ってましたよね。本当は違うんですよ
最終日にヘロヘロさんに言われたんです。ナザリック地下大墳墓が残ってるなんて思わなかったって。
過去の思い出に拘泥して、来るかもわからない仲間を待ち続けるなんて確かにどうかしてる。わかってるんだ。
でも彼の一言ですべてを否定されてしまったような気がして、いや。自分で自分を否定するのが怖かったから、俺は心の中で……みんなを拒絶したんです
気づけば引き止める言葉を紡ぐこともできなかった
多分俺は、自分の居場所を守りたかっただけなんだと思います」
「……それがどうしました。何が言いたいの」
「だから俺は、仲間のために居場所を捨てたマタタビさんのことを、結構尊敬してたんです」
――嫌いなことには変わりありませんがね、というどうでもいい注釈をつけて彼は言った。
「……あんた、バッカじゃねぇの?」
クソ骸骨と肩を並べた、チャイナ服が似合わない自分の姿を最後に見て、マタタビの意識は闇へと沈んだ。
もう二度と戦闘シーンは書きたくないと思いました
そして書く習慣を一度サボると後もツケが回ってくるとは……
今度こそ本気でエたると思った
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