ナザリック最後の侵入者   作:三次たま

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ほぼえたってましたが久しぶりの更新となります。申し訳あれません。



演武

  王城最上階での決闘と考えれば格好がつくだろうか。何にせよ今からやるのは結果の決まった出来レースだ。

 ツアーの鎧がヤルダバオトを抑えてる間にアインズ装う英雄モモンがヤルダバオトに支配されたマタタビを殺して洗脳を解くという筋書きで。

 

 もちろん本当に殺すわけではないし精神支配を解くのももってのほかなので、殺害と蘇生の瞬間を装ってマタタビに変身したパンドラズアクターが入れ替わるという寸法だ。

 ツアーはどうやら『傾城傾国』による精神支配状態の可否を見分けることが出来るらしいので、今後マタタビ本人をツアーに会わせることは無い。というかもう本人が色々と面倒なので今後は彼女をナザリックに軟禁する予定である。

 

 

 というわけでナーベに担がれたモモンと自前の飛行能力で浮遊できるツアーの鎧は、メイド悪魔アルデバランと魔皇ヤルダバオトが待ち受けている王城最上階に直接突撃を敢行した。

 

 まずはツアーとモモンの作戦通り、あるいはアインズ達の予定通りに、ツアーが《世界障壁》というスキルでヤルダバオトと自身を半透明の球状結界に隔離した。

 そしてツアーがヤルダバオトを、モモンがマタタビさんを相手にするというわけである。

 

 ツアー曰くこのスキルは発動者を叩くか、世界級アイテムの保持者もしくは同格の竜王でなければ突破不可能なモノらしい。まるでナザリック保有の世界級アイテム『山河社稷図』の簡易版とでも言うべきだろうか。

 

(にわかには信じがたいが、始原の魔法の権能は世界級と匹敵する程なのか! 竜王を敵に回すわけにはいかないな)

 

 ツアー本人は余り使い勝手が良くない能力だと言っているが、もし仮に『光輪の善神(アフラマズダー)』や『世界意志(ワールドセイヴァー)』と同系統の権能が存在するなら、下手をうてばナザリックですら陥落しかねない。

 

(それに彼女のこともある)

 

 あるいは『永劫の蛇の指輪(ウロボロス)』や『五行相克』のような力があればマタタビさんの家族を呼び戻す手段となり得るかもしれない。

 なら尚のこと、ツアー相手にはヤルダバオトがモモンやマタタビさんとグルであると知られるのはマズいだろう。

 

 デミウルゴスらがそろそろ過激に空中戦を始めたところでナーベラルを別のフロアに移動させ、アインズもマタタビと向きなおった。

 

「……なんか碌でもないこと考えてたりとかします?」

 

「ツアーの力を利用する算段を考えていただけですよ。アレのコレクションとしての価値は極めてレアだ」

 

「らしいようでらしからぬですね。かつての石橋クラッシャーモモンガなら、あんな危ないヤツは絶対に生かしては置かなかったと思いますが」

 

「碌でもないこと考えてるのマタタビさんじゃないですか、ホント俺のことなんだと思ってるんです? たっちさんの友人を殺すわけありませんよ」

 

「……べつに私は止めませんがね。もう喧嘩するマサヨシは居ないし、アイツも推定600歳超のお爺ちゃんで天寿も案外近いかもしれない。アインズ様がどうしようが勝手です」

 

「それこそ正にマタタビさんらしくない気がしますが」

 

「ふんだ」

 

 マタタビは何も言い返さず、アイテムボックスの孔から禍々しい瘴気の立ち昇る妖刀を取り出した。

 属性はアインズにとってダメージソースにならないネガティブ属性。鞘から抜くと、刀身の色はアインズの纏う全身鎧と同じ漆黒色であった。

 

 下手なドレスなど及ばぬほどに贅を凝らしたメイド服と、反してそこらの露店に並びそうな安っぽい白猫の面。

 ヤルダバオトが率いるメイド悪魔を仮装したマタタビは、やや気だるげに腰をかがめて刃を構えた。

 

 アインズも既に〈完全なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉の準備は済んでいる。そし彼女にて呼応して漆黒の大剣と盾を握り構えた。

 

「正直あまり気乗りのしない茶番ですが、散々迷惑かけた手前でゴネても居られません

 さぁどっからでもかかってきてくださいよ、漆黒の英雄様とやら」

 

「そう言わないでください。前衛技術に関してマタタビさんに自分の力量を試せる機会というのも悪くはありません。精々胸を貸してもらいますよ」

 

 先日彼女には散々二刀流を馬鹿にされ非常にムカついたものだった。だから以来アインズは多少は見返せるようにするためにコキュートス指導の下で訓練を受けていたのだ。コキュートスは喜んで引き受けてくれたし、不眠不休のアンデッドとしては時間つぶしにも悪くなかった。

 

「さいですか。馬鹿にしたの随分根に持ってるのね。盾なんかに持ち替えちゃって」

 

「オススメしたのマタタビさんでしょ?」

 

「そうだけど、私の言うこと真に受けるなんて意外だなーって」

 

 もっとも彼女相手にそんな仲間臭い片意地を張るなんて、くだらないことだったなと今では少し後悔していた。

 

 空気が凍り、数秒間合いは沈黙する。

 そしてそれから、気乗りのしない茶番とやらが始まった。

 

◆◇◆

 

 傍から見れば五分五分の斬り合いなのだろうか。

 けれど当事者にしてみればその差は歴然としていて、自分の弱さと虚しい努力に心底うんざりさせられた。

 それこそこの茶番は、つまらない、なんてものではない。

 

 マタタビの流麗な動きをどうにかギリギリ目で追って、剣筋を盾で塞いで攻めに回る。

 けれどアインズの大剣は見事な極小の動作によってすり抜けるように躱された。

 

「気を悪くしたなら詫びますが、これでも素直な気持ちです。本当によく頑張りましたね。

 あれからどれだけ時間をかけたやら、動きは丁寧。読み筋もいい。

 もうあと少し積み重ねれば、下手なユグドラシルの専業戦士じゃ相手にならなくなるでしょうよ」

 

「過大、な評価、痛み、いります」

 

 マタタビが純粋に称賛を向けてきたので、アインズはむず痒さと後ろめたさを胸におぼえた。

 そもそもアインズがコキュートスにまで付き合いを頼んで鍛錬の時間をとったのは、彼女を見返そうという子供じみた意地である。それを見透されながら褒められるのは、嬉しいが恥ずかしい。

 だがそれ以上に彼女の精神を手中に握ったアインズが今更そんなことで心躍らせるなんて、まったく滑稽で罪深いことである。

 打ち合う最中でありながらアインズは、仮面越しの彼女の視線から目を逸らしたくてたまらなかった。

 

 そんなアインズの非道を知る由もないマタタビは、斬り合いの最中でありながら余裕尺尺舌を弾ませる。

 彼女と違い相槌を打てるだけの余裕がないアインズは、聞き流すほかなかったが。

 

「これでも私さ、昔から真っ向勝負って奴が大の苦手なんですよ。

 私も小さいころマサヨシに剣道教えてもらってたんだけど、その影響でね」

 

 マサヨシといえばマタタビの父でアインズの知るたっち・みーその人だ。

 故人と知れたのがついさっきのことだから、その話は通夜の過去語りのようだった。

 

「アイツ教えるの滅茶苦茶厳しくてさ。

 稽古じゃ娘相手にも手加減せずにいつも真っ向から叩きのめすし、終わればどこの動きが悪かったのか徹底的にケチつけて誉め言葉の一つもくれないの」

 

 彼女の言う光景を頭に浮かべ、まるでいつかアインズの双剣を貶したマタタビの姿そのものだと思った。

 親子で意外と似てるところもある――

 

「けど、私がマサヨシを見返したくてとった行動が我ながら酷かった。

 盤外戦術なんですよ。事前に食事に下剤盛ったり、稽古中にPCのエロフォルダの場所言い当てて動揺狙ったりとかしたの」

 

「…………」

 

 ――わけでもなさそうだった。

 

 しかしアインズは納得した。その経験が、マタタビ程の達人がユグドラシルで今のような戦闘スタイルになった理由というわけだ

 ユグドラシルで置き換えて考えれば、ワールドチャンピオンである たっち・みー に真正面から何度も何度も叩きのめされたのだ。そりゃ折れるし馬鹿正直に向かって行くのも嫌になる。

 かつて たっち・みー がマタタビの盗賊職ビルドを酷く惜しんでたのを知っていたが、割と自業自得であったようだ。

 

(たしかあの人間の女、ツアレはセバスが面倒見るんだったか)

 

 きつい教育にならないように釘を刺しておくべきだろう。セバスはとても製作者に似ていたから。

 歪んだ性格の女など彼女一人でもこりごりである。

 

 そう思い、アインズの集中力が僅かにそがれた瞬間をマタタビは意地汚く咎めてきた。

 彼女の剣先がアインズの鎧の隙間から肩甲骨を掠めて貫通した。痛みは無いが、ゾッとした。

 

「隙ありですよ。自分で気を引いといて恐縮ですが」

 

 まったくだと思う。

 

 マタタビの意地汚さを文字通り身に刻み込みながら、アインズは彼女の話を聞き流し続けた。

 

 可能な限り。

 

「だからアインズ様がとても眩しくってさ。よく意気地張ってそこまで鍛錬できたもんです。

 マサヨシが私に期待してたのも、あなたみたく叩きのめされてもくじけず真っ直ぐ立ち向かうことだったんだろうさ。ほんと、苦手なんだよ。親とか誰かの期待に応えるの。

 だから昔からいつも思ってたんだ。私もあなたみたいに真面目で人に合わせて素直に生きていければ何も間違えずに済んだんだろうなって」 

 

「馬鹿はあんただマタタビさん」

 

 なぜこうも、マタタビはアインズの気に障る地雷を徹底的に踏み抜くのだろう。

 まだしもワザとならどれだけ可愛げがあることか。

 

 

 

◆ 

 

 

 

 かつてモモンガがマタタビを気にかけていたワケは、なにもクランの元仲間だったからだけ、というわけではない。

 彼女が炎上を起こしてからクランから身を引いた潔さと、辞めてからわかった未練がましさのギャップがとても印象に残っていた。

 

 具体的に言うなら、彼女は辞めてからもナザリックの防衛線に乱入してギルドを助けたりアイテム交換などの交流を欠かさなかった。そのくせ他所のギルドに入ったり元鞘に収まることも良しとしない。たっち・みー以外のメンバーからだって戻る誘いは無くも無かった。

 そんな彼女がユグドラシルで最後まで交流が残り続けた唯一のプレイヤーだとは、よく考えれば改めて驚きだ。

 

 たぶん彼女はクランを――ギルドを、かなり気に入ってたはずだ。

 

 だけど唯一の居場所としてのギルドを、そしてナザリック地下大墳墓を拠り所にしていたモモンガとは、根本的に想いの向け方が違うのだ。

 モモンガにしてみれば、自分の居られないアインズ・ウール・ゴウンなんて何の意味もないのだから。

 

 そんな彼女の、アインズにしてみれば奇妙な情の向け方がなぜかとても気に食わなかった。

 だけどうっすら何故か憧れもしていて、癪だったが嫌いじゃなかった。

 

 

 だが今日という日、彼女の生い立ちを知って、そしてその身勝手さの根深さを味わって改めて、アインズは彼女と分かり合うことを諦めた。

 

 アインズにとってマタタビの生い立ちは頭からつま先まで不快でしかなかったし、もっと言えば鈴木悟は夏梅桜の在り方を許せなかった。

 彼女の的外れで手前勝手な思い遣りはしかし、アインズ――鈴木悟への痛烈な皮肉なのである。

 

 彼女は齢9歳にして、自分の見地から家庭の状況を把握して、自身の存在が家庭を揺るがすと判断し貴重な小学教育を放棄して家出をした。

 それもただの家出ではない。彼女の父親であるたっち・みーが特権階級に属していることは多くのギルドメンバーが知るところである。一方で鈴木悟がそうであったようにユグドラシル時代の彼女の暮らしぶりが平坦でなかったこともわかっているのだ。

 つまり特権階級にのみが住まうことを許された完全環境都市アーコロジーから、絶望と排煙にまみれた外周区域への生活に順応したことを意味する。そこにどれだけの苦難があったかは知らないが、何にせよ色んな意味で愚かしい決断ではあっただろう。

 だがそんな彼女の半生は言外に、鈴木悟の人生を痛烈に糾弾しているようなものだった。

 

 小学校に通うには膨大な学費が必要だ。貧困層の者が子供にそれを工面するには、文字通り命を削って働かねばならない。

 当時の鈴木悟の家も例外には漏れることなく、このままでは両親の命が持たないことはわかっていた。それでも彼らの望みと期待の前にただただ気圧されることしかできず、言われるがままにその死力を享受して小学教育を通い切った。結果両親は過労死した。

 

 だけどもし彼女が鈴木悟の代わりに鈴木家に生まれていたなら、両親が過労死する前に通学を断固拒絶したに違いないだろう。

 この世界の誰よりも自分がそう強く確信できる。出来てしまう。

 味方や愛する者すら跳ね除けて一人で生きる芯の強さ。その無意味で痛々しい魂の輝きがアインズの空虚な瞳を照り刺して、強く熱く焦がすのだ。

 

 アインズには、そんな彼女がとてもとても、どんな怪物よりも恐ろしかった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

『昔からいつも思ってたんだ。私もあなたみたいに真面目で素直に生きていければ何も間違えずに済んだんだろうなって』

 

『馬鹿はあんただマタタビさん』

 

 

 柔軟に四肢をくねらせ流線的に繰り出されるマタタビの連撃を、アインズは両の手の盾と大剣で堅実に防いでいく。

 そして滝のように途切れぬ彼女の攻撃のなか、時折僅かに生じる隙を見つけては一撃を入れるがそれはすり抜けるように躱されている。

 

 傍から見れば、刹那刹那の合間の中で互いの隙を咎めては防ぎ合い、しかし決定打には至らない五分五分のせめぎ合い

 だが〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉に投影された映像を覗くコキュートスとアルベドには、それが見せかけであると看破できていた。

 

「さながら舞踏ね。クラシックでもかければ演目のワンカットのようだわ」

 

 アルベドの言う通りだ。これがダンスならリードを握っているのは間違いなくマタタビで、我らが主人は優しく腕を引かれている。

 攻防は全て彼女が先読みし、時折ワザと隙を見せては自然と技の動きを引き出すように主人の動作を誘導しているのだ。

 

 もちろん本格的に剣の道に触れてまだ幾何も経たない主人はこのことを恥じる必要はないだろう。非常に悔しいが先日の戦闘と今の武舞を見る限り、彼女の純粋な剣の技量は自らの創造主、はたまた たっち・みー様の域にすら片足を突っ込みかけている。いつか彼女と手合わせする機会があれば是非もない。

 だが今それ以上にコキュートスは主人の成長に驚嘆と尊敬の念を抱かざるえなかった。

 

 魔法詠唱者としてならば、天地無双の膨大なる魔力と叩き上げあられた圧倒的な戦略眼を誇る我が主人は最強だ。

 けれど失礼ながらはっきり言えば、前衛戦闘の才能に関してだけは極めて平凡なようである。

 冒険者としてこの世界を渡り歩いた最初のころなど、強大な二刀を力任せにふりまわすだけの戦い方が主だった。

 

「僅カナ期間デ実戦ノ域ニマデ到達スルトハ!」

 

「そうね。こと剣技のみに於いて非才な御方にしては、あまりにも成長が順調すぎる」

 

 アルベドもコキュートスに同調しながら、しかし冷静に主人の変化を訝しんだ。

 主人が剣術に熱を入れ始めたのは、先日マタタビが精神支配された事件からもうしばらく経ったころである。

 

「たしかアインズ様から剣術指南を任されていたのはコキュートス、あなたよね。

 戦士職の専門性が劣る私では武術への造詣はあなたに一枚譲るけど、一体どのような訓練を受けさせたの?」

 

「特別ナコトハ何モナイ。タダ基本ノ動キヲ徹底的ニ学ンデモライ、ソレヲ敵ニ応用シテ実践デキルヨウニ学ンデイタダイタダケダ」

 

「そう……!」

 

 コキュートスの回答にアルベドはただ息をのんだ。

 

 武術の基礎には型と呼ばれる複数の特定動作が存在し、初心の者の修練はまずはそれらの動きを執拗に繰り返して体に馴染ませるところから始まる。とにかく何千何百、場合によっては何万もの反復を経て脊髄を通る反射神経に刻み付けることが重要だ。

 そこから始めて実戦に移り、覚えた型を流動的な状況の中で臨機応変に発展させ活用することを学んでいくのである。これは語学において単語や構文を理解してから文章読解や実践会話へ挑むことに例えることが出来る。もちろん武術や語学に限らず幾何学にしろ職工にしろあり大抵の分野にも言えることで、この考え方は突き詰めていけば『学習』という行為の源流にも近い。

 

 我らが偉大なる主人アインズ・ウール・ゴウンもその哲学の例外では無く、武術の道への第一歩は徹底的な型の反復練習から始まった。

 指導役を仰せつかったコキュートスの指摘を努めて尊守し、ご自身のスキルで召喚したデスナイトを稽古相手に受けと攻めの基本動作を繰り返して学んでいった。

 模擬戦でも最初は受け上手なデスナイトが出ずっぱりであったが、型の活用に慣れるようになると機動性に長けたり槍や鉄槌など別の武器を持った戦士系モンスターを用意するようになっていく。

 もっとも天性のセンスを誇るマタタビや、端から技術を生まれ持ったシモベとは違い、主人の成長速度は決して劇的とは言えない。

 だがとにかくコキュートスが感激を受けたのは、主人の強さと勝利に向かって行く眩いまでの貪欲さである。

 

 コキュートスとて、先日支配したリザードマンの統治などの別の仕事もあるので主人の訓練に付きっ切りではいられなかった。

 しかし今の動きを見れば、どれほど熱を入れて取り組んでいたかが手に取るようにわかるのだ。暇な時間は大概手にかけていたに違いない。

 

 いちおう近道として、基礎的な型の練習を省略して実戦形式で学んでいく方法もあるにはある。

 手っ取り早く一定までの技術を得るならそちらで感覚だけを理解しておけばいい。かつてナザリックに侵攻してきた大軍勢の100レベルの猛者たちのなかにもそういった感覚頼りの者は多かった。だがその道の限界を見据えあえて主人は険しい道を進んだのだ。そして現に今マタタビ相手に演武を成せるほど技を理解しモノにしている。

 

 生まれ持った力に奢らず、時に自分で道を開くこと。

 先日のリザードマン集落侵略の際、陣頭指揮を失敗したコキュートスに説いたことを主人は見事に自身の背中で体現して見せていたのだ。

 

 そのことを実感するや間もなく、コキュートスの膝は自然と床の上につき、神々しい主人の姿を水晶版越しに見上げた。

 

「アナタハ我々ガ遣エルベキ最高ノ主人。コキュートス、アインズ様ニ永久ノ忠誠ヲ誓イマス」

 

 例の如く崇拝と尊敬の念を高ぶらせていたコキュートス。それをよそにアルベドはゆったりソファーに背中をあずけながら、金色の双眸から熱い雫を垂らしていた。

 そして静かに一人呟く。

 

「やはり私は貴女が憎いわ、マタタビ。御方の御心を揺さぶれるのは貴女だけ。私には無理。なのに貴女は……」

 

「………」

 

 彼女の事情については鈍いコキュートスにも薄々察しはつく。『愛せよ』と命じられたアルベドが別の者に強く関心を寄せる主人の姿を目の当たりにするのは色々想うところがあるのだろうか。

 主人の意図も女の情念とやらも読み解けない自分では、踏み入るべきではないだろうとコキュートスは思った。しかし、

 

「なのに貴女はあなたはアナタはアナタはアナタはアナタはアナタ方ッはッ!!」

 

「アルベド? ドウシタ」

 

 急に語気が荒ぶり彼女の黒い両翼がバサバサと空気を震わせる。

 全身が小刻みに震えたかと思えば握りしめたソファーの肘掛けが万力に耐え切れず木片となってはじけ飛び、ヒールの足が大理石の床を鉄槌の如く踏み砕く。

 そしてとうとう激情が堰を切って赤黒い叫びが木魂した。それはまるで世界を揺るがす激震のようであり、それを放つアルベドが纏うのは絶対の主人であるアインズ様が伴う覇気だった。

 

「どうしてすれ違う!? どうしてわかり合うことを諦める!? 世界で唯一二人だけが理解し合える筈なのに!

 マタタビお前は何度同じ過ちを繰り返せば気が済むの! 肉親の愛から逃げてはナザリックへと迷い込み、ここでもアインズ様の愛すら履き捨てて独り善がりな愛を押し付けるのか。相手の想いに蓋をして目を背けることの罪深さを知れ!

 それにムキになるアインズ様もなんて愚かな! たっち様を蘇生したいなら、我々に構わず気の済むまで互いに話し合えば良いというのに! 精神支配をかけるにしても、完全に仲たがいしてからでも遅くはないのだから! 彼女の拒絶を怖れて有無を黙らせることのなんと哀れで臆病なことか! それを罪を奪うなどと強がって粋がる様など、まったくもって下らない!」

 

 自身と同格であるはずの、もっと言えば能力的にコキュートスが有利を取れるアルベドから、生まれて初めてといっていいほどの戦慄と恐怖を真横で感じ取った。

 

 そのため彼女がどさくさに告げた内容を受け止め衝撃を感じるのに、約十数秒もかかってしまった。

 

 





コキュートス「ゑ!?」


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