マタタビに真正面から打ち負かされて、シャルティアの世界は一変した。守護者最強という肩書は絶対ではないのだと。強く成らなければいけないのだと知った。
はじめは殺されかけたことを恨んだが、主人と双方で嫌々ながら傷つけ合う姿を見て、それが酷い逆恨みなのだと知った。
失敗の罪悪感を肴に9階層のバーで自棄酒と洒落込もうとした矢先、既に絶望顔でうなだれてる彼女を見た時、シャルティアは彼女に深い畏敬の念と親しみを感じた。
『私はお前を助けたことは心底後悔してる』
だけど何故あの時助けてくれたのか、その理由を結局今でもシャルティアは知らない。
◆
漆黒聖典の殲滅戦、シャルティアやアウラの追撃戦、アインズ様による奪還戦やついこのあいだの模擬戦。
これまで幾度かのマタタビの戦いを味わい見てきたシャルティアは、なんとなく彼女の本質を掴みかけていた。
彼女の強さの本質は、高速戦闘を可能にする運動神経や膨大なアイテムストックからくる手数の多さ、ましてや鍛え上げの戦闘経験などでもない。
相手の心理に深く食い込み、同化するレベルにまで極まった高い共感力にある。
敵からすれば心の内が丸裸にされることほど恐ろしいことは無い。彼女は常に相手がされて嫌なことを考え続け、そして徹底的に実践し続けるからこそ強い。
彼女を本当の意味で打ち負かすには、それこそアインズ様レベルの計り知れない思考力を得るしかない。アルベドやデミウルゴスですらそれが叶わないのだから、直情型のシャルティアがマタタビに勝てる日なんて来るとは全く思えない。
そしてその共感力と観察力は敵の弱点を攻めるだけに飽き足らず、彼女自身の能力向上に昇華されていくから恐ろしい。
思えば、異世界転移直後に初対面したマタタビの振る舞いは、お世辞にも支配者の前に並ぶには落第点だった。浮ついた視線や不安げな足取りは、不快すぎてすぐに記憶の隅に追いやられたぐらいだ。
それがアルベドの計らいでメイドになってからは驚く程に様変わりし、たった数日で一般メイド達と遜色ない堂の入った作法を身につけた。凄まじいものだ。
それと同じように、至高の41人からも多くの技を盗み取ったのだろう。だから彼女は、剣術だけに限らず手裏剣術、射的、
その中に『血の狂乱』の先達になるものがあればと期待して、シャルティアはマタタビに白羽の矢を立てたわけである。
そしてその期待にマタタビは、見事に応えてくれそうだった。
シャルティア・ブラッドフォールンは、今一度再びマタタビの闘争を傍観するに至る。
彼女が相対するのはシャルティア自身が身を分けて作り出した分身体、『
対してマタタビは、薬液を飲み込むと徐々にその姿を変化させていった。
まずは普段から掛けていた変化能力を解いたのだろう。擬態していた黒髪の少女の姿から、異業種ケット・シー本来の姿へと戻っていく。一回り背が縮み頭部は本物の黒猫ようになって、肢体も滑らかな漆黒の毛並へと覆われた。
そこからさらに『獣化』による変身。気品ある黒猫の表情は凶悪な肉食獣のそれへと移り変わり、両手足は鋭い4本爪の生えそろった猫手となった。
『……GRRRR』
最終的にそこに出来上がったのは、極めて狂暴な黒豹の姿であった。
皮肉にもマタタビの面影を残すのは、狡猾ながら獰猛な鋭い野生の眼孔だけである。
黒豹は嘶きながら爪を地面に擦り付け、エインヘリアルは無造作に槍と盾を構える。一触即発の空気感がほのかに漂う。
やがて数秒後。合図は無く、ただ彼女の咆哮がこの模擬戦の火ぶたを切り落とす。
『GAU!!』
否、
彼女の咆哮がシャルティアの鼓膜を揺らすより早く、既にその牙はエインヘリアルの右片翼を嚙み千切っていたのだ。
マタタビの素早さをシャルティアは理解しているつもりだった。単純な速度で言えば、シャルティアを80として素のマタタビは140といったところ。
だが今の瞬間加速は160、シャルティアの最高速の2倍である。
彼女の使う『獣化』はスキル魔法や武器などが使用不可になる代わりに身体スペックを向上させる代物だ。
その変化も含め頭で理解していたはずなのだが、初見では全く対応が出来なかった。
以前と同じくまたしても翼を封じられ地上戦を強いられることになり、エインヘリアルは歯噛みしているようだった。
しかし悔やむ暇など油断でしかない。野生染みた動きで嵐のような追撃がエインヘリアルへと襲い掛かる。
踵を返し、今度は背後からスポイトランス側の肩にかぶりつこうとする黒豹。
どうにか刹那に円盾を間に挟み込んでエインヘリアルは防御する。黒豹の攻撃には、速度はあるが重さが無い。
やり返しにカウンターの一撃を当てようとするが、恐ろしいほど柔軟な旋回によりかわされた。
後退する黒豹を追撃するが、今度は闘技場内の壁面を走りエインヘリアルの側面へと迂回。雷撃の如きジクザク疾走から、エインヘリアルへ鋭い爪の腕を振りかぶる。
これをまた円盾で防御、からの再びのカウンターは黒豹の毛並みを僅かに抉り、かすり傷をつくることに成功する。
しかしそれはエインヘリアルの懐へ入り込むための最短動作でしかなかった。
『GAAAAAAA!!』
黒豹は盾とランスの隙間にすり抜けるように潜り込んで、エインヘリアルの剥き出しの顔面へ大口を開け鋭い牙で喰らいかかった。
「!?」
見てるだけのシャルティアですら肝を冷やす瞬間、どうにかエインヘリアルは頭突きで黒豹の顎を打ち最悪のディープキスは回避される。
が、 懐へと詰められた代償は只ではない。次いで鋭い爪が顔面をひっかきエインヘリアルの片目は喪失された。
そのまま黒豹は体重を掛けてエインヘリアルを押し倒そうとするが、反撃に腹ど真ん中へ蹴りを入れられて大きく後ろに吹き飛ばされる。
されど猫は背中を打たない。壁面に垂直着地し、体全体をバネにして反作用で再加速を切った。
片眼をつぶされたエインヘリアルは、再び黒豹を迎え撃たんとして怒濤の競り合いは継続される。
観戦していたシャルティアは熱い冷や汗を流しながら思わず驚嘆を口に出す。
「獣そのものね!」
これこそ獣王メコン川様の駆使する「四足闘方」、その御業のマタタビによる再現か。
なるほど強い。
マタタビに円盾を持たされた理由も良く分かった。
今マタタビを迎え撃ってるエインヘリアルは、シャルティア本人のようにスキルや魔法は使えない点で大きく劣る。だが今のマタタビを迎え撃ってるのがシャルティア自身であったとしても、苦しく傾いたこの戦況は
マタタビの超高速の猛攻は、スキルや魔法の詠唱時間を奪いつくし、思考リソースも削ぎ落して判断力の質まで落としている。
仮にこれで迂闊に『不浄衝撃盾』とか魔法とか『清浄投擲槍』など使おうものなら、口に腕を突っ込まれてシャルティアの大脳がミンチにされてしまうだろう。
このマタタビの獣臭い4足の舞は、正確無比な剣術を操る平時に比べればあまりにも粗削り。
されど闘争本能の濁流を乗りこなしたような怒濤の迫撃は、シャルティア自身が目指すべき『血の狂乱』の完成形に極めて近い。攻撃こそ最大の防御の体現である。
やはりマタタビに導きを求めて正解だったようだ。彼女のことを今はまだ、ただただ尊敬することしかできない。
だからシャルティアは両眼を見張り、瞬きすら惜しんで眼前の戦闘に目を見張る。
そのコンマ一秒にも満たない瞬間瞬間を網膜に焼き付け、彼女のシルエットを自身のヤツメウナギの姿に重ねて強く強くイメージさせた。
そうして5分後ほど粘ったエインヘリアルは、あと一歩のところでマタタビの寸胴を貫けるとこまで行ったのだが、
反撃にもう片方の視界を潰され戦闘不能となって、白旗を挙げる羽目になった。
すごく悔しい。悔しい悔しい。
「分身体に辛勝させられるほうの気分にもなってよ……」
マタタビは不満げだが知ったことではない。
そもそも彼女に円盾を貸してもらわなければ、エインヘリアルはあの猛攻を受ける術が無かったのだし、ハンデもいいところじゃないか。
それに百歩譲っても、残されたHPに胡坐をかいて油断したエインヘリアルの完敗に変わりないのだから。
回復能力の無いエインヘリアルが両目潰されたら戦闘不能になるのはまさかの盲点だった。次がある時は同じ轍を踏まないように気をつけねばならないだろう。
どんな形であれ、負けは負け。折角リベンジできると思ったのに残念である。
「さ! さ! 今度はわたしが『血の狂乱』を使う番でありんすよ!
どっからでもかかってきやがれでありんす! あ・り・ん・す!」
「休憩させろ! この戦闘狂の馬鹿吸血鬼が!」
◆
マタタビに手本を見せてもらった後、今度はシャルティアが『血の狂乱』でマタタビを攻め立てる方向で模擬戦を行った。
マタタビの『獣化』の動きや思考トレースを参考にした結果、シャルティアの『血の狂乱』下での戦闘動作はかなり改善されたと言っていいだろう。
昨日の自分と戦えと言われたら100戦100勝できる自信がある。ある、
のだが、あれからのマタタビは容赦が無かった。もうびっくりするほど容赦が無かった。
「おーいシャルティアさん、今日はここまでにしませんかー?」
「も゛う゛い゛っがい゛!! も゛う゛い゛っがい゛だげや゛る゛であ゛り゛ん゛ず!!」
あれから5時間。100や200などではきかない、数えるのも馬鹿らしくなるほどの回数マタタビと手合わせしたのだが、一回も勝利することが出来なかった。
ある時は例の如く全身刀でバラバラにされ、ある時は頭から一刀両断で真っ二つ。聖水シャワーや銀の弾丸、視界破壊、幻術、隠形からの遠隔狙撃。ほかにもバリエーション様々な死にざまを体感させられ続けたのであった
ちなみに一番酷いやられ方は、酔い覚ましのような薬で『血の狂乱』を解除されたところを、不意打ちでスッと行ってドスである。
「『血の狂乱』下なんかであんたに勝たれたらこっちの立つ瀬がありませんよ」
「5時間! 5時間でありんすよ!? 一回ぐらい勝てないとオカシイでありんす!」
「バーか、たったの5時間でしょ? ぬるいぬるい、この私が一体何度実の父親に叩きのめされたか知ったら度肝抜くよ?」
「……どのくらい?」
マタタビの父親というのは知らないが、多分相当な実力者なのだろう。
「‽‽‽回」
「ぎゃー!? でありんす!?」
(‽‽‽回て、‽‽‽回て、父親が娘にやっていいことなの? そこまでくると虐待じゃないの?)
(ああでもペロロンチーノ様にならされたいかも、虐待♡ 今は絶賛放置プレイ中だけれど、そろそろ別のキツイ寵愛が欲しいわ)
(リザードマン集落への侵攻時にアインズ様に椅子にされたけど、あれよりもっとハードなのがいいかしら♡)
そういうふうに考えたらマタタビも滅茶苦茶愛されてると言えるだろう。すこーしだけ、うらやましい。
(いいなぁ、わたしも‽‽‽回ペロロンチーノ様にボコボコにされてみたい)
「なんか馬鹿なこと考えてる?」
「マタタビも父上に愛されてるのね!」
「……そーね」
マタタビの冷ややかな視線を存分に享受しつつ、シャルティアは改めて落ち着いてマタタビの強さを考えた。
これ加えてマタタビはユグドラシルにて修羅獄の如し闘争に身を置いていたのだから、その強さも頷けるというものだ。
それに比べれば5時間など確かにぬるすぎる。
シャルティアが悔しがるのも、失礼というヤツなのか。
しかしマタタビは意外な誉め言葉をくれた。
「これでシャルティアさんは、素の状態なら私に負けなくなったんじゃないですかね
もうほとんど私の手の内見せつくしちゃったから、あなたには」
「え? うそでしょ? あれで全部なんて……いやすごく多かったけど」
「だから今度私が何かやらかしたら、どうか盛大に止めてくれると嬉しいです、お願いしますよ」
「う? うん、でありんす……。いやあなただって、二度もへまることは無いでしょうけど……」
あまり現実感の湧かない言葉だった。
たしかにマタタビの手の内が今までで見せた分だけで収まってしまうのなら、今後のシャルティアは対応することが可能だ。
「シャルティアさんのお役に立てて良かったですよ」
「それは本当にそうなんだけど……」
だがその言葉をう鵜呑みして油断するのも馬鹿々々しい話だろう。精々、話半分で聞くのが正しいはずだ。
そういうブラフこそ、彼女の十八番なのだから。
「どうかな。じゃ、もうおしまいにしましょう」
「……そこまでいうのなら、わかったわ」
色々言われたせいでシャルティアのやる気もすっかり萎えてしまった。
たしかに、訓練なんて続け過ぎても集中力が無くなってしまえば効率は落ちる。肉体疲労の無いアンデッドですらそれは変わらない。
その点を考えると、1回でも当たれば即死の紙装甲マタタビがシャルティアから無傷で5時間生き残ったのは、やっぱりかなりおかしいのだけれど。
シャルティアは、マーレから借りた操作基盤のボタンを弄り、闘技場の訓練モードを解除した。
「あーところでシャルティアさん」
「何?」
結界が解除され、身なりも消費アイテムも元通りになったマタタビは、急に怪しげな目つきでシャルティアに言った。
「この間少し聞いた
もう一度詳しく話してもらえませんか?」
用件は、かなりどうでもいい筈のことだった。
マタタビから受けたもう一つの借り。その顛末である。
「別に……良いでありんすが」
シャルティアはこの時のマタタビの様子が、これまでの死闘や今の模擬戦の時よりも遥かに恐ろしいように、一瞬だけ思った。
すぐに気のせいだろ頭を振って、くだらない筈の事情をつらつら思い出しながらシャルティアは語り始める。
こんなこと訓練のお礼にもならないのだから、話さない理由なんて欠片も無かった。
どうしてこの時マタタビがそのことを聞いたのか、その理由をシャルティアが知るのは、気の遠くなるほどずーっと先のことである。
多分、シャルティアが正直に話さなければ、今後のナザリックの運命は大きく変わっていただろう。
それだけは確かなことだった。
マタタビ
◇能力値(獣化)
・HP:80
・MP:70
・物理攻撃:90
・物理防御:70
・素早さ:160
・魔法攻撃:0
・魔法防御:70
・総合耐性:80
・特殊:50