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しかし、その利用者は非常に少ない。喧嘩っ早い破面は、用意されていようともそんな鍛練場など利用せずにその場でおっぱじめるのが常であった。何より、修行や鍛練といった事より実戦あるのみといった脳筋と言えそうな思考な者が多いからであろう。
そんな訳で鍛練場はまったくもって活用されていなかった。そこで、藍染は行く場所の無い『十刃落ち』にその場所を提供する事とした。『十刃落ち』は宮と部下を失いこそしたが、その待遇は並の破面よりやはり上であった。
その『十刃落ち』に明け渡された一画に、アーロニーロは訪れていた。少し前までは何もないただ広いだけの空間であったそこは、今や倉庫のように物で溢れ返っていた。
その全てが、1人の破面の私物である。自らの研究の為に集めた玉石混交なサンプルに実験機器。彼にとって必要不可欠にして最低限の物がそこに揃えられていた。
「何の用だいアーロニーロ、生憎と僕は忙しいんだ。そのまま帰ってくれると非常に助かる」
破面の科学者にして最初の『十刃落ち』のザエルアポロ・グランツは、振り返りもせずにアーロニーロに言った。
十刃であった頃と変わりない佇まい。だが、その身体より感じられる霊圧は激減し、かつて姿を知る者からすれば今の姿は弱々しくすら感じる。
「ああ、成る程。僕を喰らいに来たのか。だったら止めた方が賢明だよ」
帰る様子の無いアーロニーロが何しに来たのか答えに行き着き、そこで漸くザエルアポロはアーロニーロに向き直った。その顔には、不敵な笑みが張り付いている。
「今のお前に後れを取るとでも?」
「…やれやれ、この僕がこういった時の備えをしてないとでも思っているのかい? だとしたら、滑稽だよ」
備えがある。そう言ったのと変わらない答えに、アーロニーロは左手の手袋を外す手を止めた。
何かしら備えがあるとは予想していた。それでも、弱体化し自慢の道具の数々も引っ越しですぐには使えない。ザエルアポロが使える手など高が知れている状態となっている。
なのに、瞳に狂気を孕む科学者に気圧され、本能が警笛を鳴らす。喰らってはいけないと……
「僕の肉体は喰われると融解し、神経に侵入するように手を加えてある」
その能力を聞いた瞬間に、アーロニーロは理解した。喰えない能力、正確には喰えば己が破滅する能力。まるで対『喰虚』用の能力にすら思えるが、虚の習性を利用した不滅の為の能力。
個を持つギリアンにアジューカスにとっての死は、自身が喰われるのと同義。虚であるのなら、殺した同族は必ず喰らう。ザエルアポロは、もしも自分が負けて喰われようとも体を乗っ取る事で、自分という意識だけでも残そうと能力を付加したのだろう。
「君の身体が無傷で手に入るのもソソられるが、今はそんな事よりも優先する事があるんだ。
ロカ!なにをグズグズしている、5番から10番をすぐに開けて来い!」
もうアーロニーロを相手にする必要も無いだろうと、唯一手元に残った
「はい…ザエルアポロ様」
言われて動いたのは機械などではなく、女の破面であった。彼女は、右半分が髑髏状の仮面の名残りで覆われ、ショートカットされた黒髪と破面では珍しい落ち着いた雰囲気が印象的であった。
「コノ際、仕方ナイネ」
いくら弱体化していようが元十刃。相応に旨いだろうとアーロニーロは腹を減らして来ていた。しかし実際に来てみれば、ザエルアポロは喰えないときたものだ。
これではアーロニーロの腹の虫は収まらない。そこで、アーロニーロはザエルアポロは
「…え?」
自分の目で追いきれない速度で後ろに回られ、首を捩じ切らん勢いで廻されたロカは大事な神経と血管が切れて呆気無く死んだ。あまりの早業に、やられたロカは驚愕で目を僅かばかりに大きめに開くのが精々であった。
「何のつもりだ…!」
その凶行にザエルアポロは怒りを露わにする。しかし、その怒りはロカを殺された事への怒りではなく、人手がなくなったせいで研究が遅れる事への怒りであった。
「腹が減っていてな。何、人手が欲しければくれてやる」
葬討部隊10体をザエルアポロに跪かせ、ロカを丸呑みにする。
(やはり便利な能力のようだな、『反膜の糸』は)
手に入れた能力を吟味しながら、アーロニーロはザエルアポロの返事を待つ。
おそらく、ザエルアポロの中で葬討部隊を使う事でのメリットとデメリットの計算がされているのだろう。
(労働力としては文句はない。単純作業なら、下手に虚や破面を使うよりもよっぽど効率が良い。
だが、アーロニーロに逐一情報が漏れる可能性がある……)
科学者の考察は常に情報によってもたらされる。故にザエルアポロはあるとあらゆる情報を決して軽視しない。例え自分より頭脳が数段以上劣る相手だろうと、そう簡単に漏洩など避けるべき事態なのは変わりない。
葬討部隊隊員を渡す理由に、詫びの気持ちなど現世の霊子濃度より薄くしか入っていないのは明白なのだ。もし、破面で本気で詫びの気持ちを示す奴がいたのならば、ザエルアポロはソイツの脳を解剖してみたいくらいである。
「…ッハ、まったくもって君は酷い奴だ。今すぐにでも、バラバラに刻んで解剖したいくらいにね」
断る事は簡単だが、作業する人手を得るのは難しい。自らが完全になるのに必要なのは人手と時間だけなのだ。
ならば、アーロニーロが何をするにしても、先に完全へと至っていれば何ら問題は無い。
そう結論を下し、ザエルアポロは葬討部隊を受け入れた。
―――数か月後―――
大虚を連れて来い。簡潔に言えばそう命令されたアーロニーロは、今日も虚圏の砂漠を駆けていた。
なぜそんな命令を下されたのかの顛末を語るなら、始まりはアーロニーロがミッチェル・ミラルールを喰らった時にまで遡る。
第9刃が第3刃を討ち破ったのは下剋上の気風を虚夜宮に
言ってしまえば虚にとって陳腐な出来事なのだが、殺し合いをすればその数を減らすのは当然で、現在の『数字持ち』の序列は虫食いだらけという有様だ。特に最初期組と呼ばれていた面々は壊滅的で、アーロニーロを除いて4名しか存命していない。
これからも破面の数は増やされる予定であったので、空いた数字は順次新しい破面に宛がう事にされたのだ。11以下の数字は生まれた序列となるのが有名無実になるのが決まった瞬間である。
随分と対応が遅いが、破面化の方法は藍染によって行われるので、藍染の時間が取れなければ出来ないのだ。なので、時間が取れる目途が立ったから大虚を連れて来いとの命令が下されたのだ。
尚、誰が生きていて誰が死んでいるかは葬討部隊によって把握されたので、11以下の数字を再配布するという案もあったのだが、それはそれで手間となるので実行はされなかった。
そんな事情はアーロニーロは知った事かと吐き捨てたい所であったが、藍染の命令であるので唯々諾々と遂行するだけであった。
(しかし、
響転での高速移動をしながら、アーロニーロは手間が掛かるとため息をついた。
虚夜宮は破面の根城である為に、虚からすれば死地と同等となっている。それでも、極一部の破面を除き虚夜宮の外に出る者は少ないので、完成してから少しの間は物見遊山で訪れる虚もいた。
それなのになぜ虚が全くいない無人(虚)地帯になったかと言えば極一部、と言うよりため息をついたアーロニーロのせいである。
虚夜宮を中心にして自分達よりも強い破面が襲撃を繰り返しているなどと知れば、普通はなるべく距離を取ろうとするものである。わざわざ危険を冒してまで近くにいる理由などないのだから。
(まあ、繋げる範囲は広いに越したことはないだろう)
いつか必要になるかもしれない仕込みをしつつ、アーロニーロは駆け続けた。
――――――
「我等を喰って行け」
その場面に出会ったのは、完全な偶然であった。
己が限界を知り、王と認めた者へと供物として家臣が己が肉を差し出すその場面に。
(牡牛に岩っぽいの、蛇?に
なんとなくそういえば居たような気がする面子を前にして、アーロニーロは大漁大漁と嗤う。獲物の指定は大虚と大雑把であったが、言外の圧力でアジューカスを連れて来いと間違い無く思われていた。それを5体も連れ帰れば、とりあえずは任務達成である。
「運が良いな、お前らは」
相手に逃げられないようにと霊圧を消していたが、もうその必要は無いと声を掛けると同時にアーロニーロは止めた。
「なんだてめえは……」
まず口を開いたのは豹。王と崇められていたのはこの虚で、まずは一齧りをした事で口から鮮血が垂れている。そんな面で敵意を滾らせた言葉には威圧感が込められている。
「俺は
必要最低限の自己紹介をし、何の脈絡も無しに6体の虚に霊圧を叩きつける。
「黙ッテ従イナヨ。力ノ差ガヨク判ルダロウ?」
言ってしまえば藍染の真似であるが、身を持って知るのが一番理解が早い。恐怖を煽る様にとゆっくりと近付く。
ギリアンは膝を付くどころか倒れ伏し、アジューカスはギリアンよりマシだが息も絶え絶えに膝を付いている。流石にやり過ぎかとアーロニーロは思ったが、豹の虚が必死になって立っているのを見て考えを改める。
「いきなり出て来て、偉そうに見下すんじゃねえ!!」
これ以上受け続ければ動けなくなる。そう悟った豹は牙を突き立てんとアーロニーロに跳びかかる。
だが、無意味だ。豹は強かったが、所詮はアジューカス。かつてのアーロニーロと同じ階級の存在で、2度の破面化と千を超える虚の捕食でその実力の底上げがされたアーロニーロに勝てる筈がない。
額を掴まれ、憐れにも砂漠に小規模なクレーターが出来上がる力で叩きつけられた。
「クソッ…がァ!」
まだ意識がある様子の豹にアーロニーロは首を傾げた。
(手加減し過ぎたか?)
生け捕りが絶対条件だが、一方的に痛め付けて虚夜宮に行くまでの間だけでも従順にさせるつもりだった。なのに豹はまだ意識を保っていた。一撃で決めるつもりであったので、やや不満げにアーロニーロは豹の額を掴んだまま持ち上げる。
叩きつけられるその直前、豹は怒号を聞きつつもその意識を手放した。
――――――
グリムジョー・ジャガージャックは王だった。
なぜ過去形になるかを問えば、彼が数少ない家臣を見限ったからだ。王とは真の孤独では決して成り得ない者、他者が認めなければ誰が王と上に据え置こうか。上に立つには、下となる者が必要不可欠。
だが、グリムジョーは切り捨てた。上を目指すのを諦めた家臣を腰抜けと罵り、自分だけになろうとも上り詰めようとした。
しかし、グリムジョーは忘れていた。その腰抜けが、自身を王へと押し上げたということを。
グリムジョーがアジューカスになり、虚圏の地下に相当するメノスの森より這い出たのが出会いの切欠だ。そのメノスの森から出る手段は3つ。
1つ目は一度現世か尸魂界を
2つ目は、砂を突っ切っる。通り抜けれるならば確実に出れる方法だが、砂の圧力に負けない強靭な身体能力を必要とされるので行える者は限られる方法。
3つ目は、外へと繋がっている道を見つける。わざわざ砂の中を突っ切らずとも、自然に出来た道を利用して外に出る方法。しかし、出入り口が決まっているので、待ち伏せに気を付けなければならない。
グリムジョーが選んだ方法は2つ目の、自分の身体能力を頼みの綱にした方法であった。出た場所の運が良かったのか、グリムジョーは家臣であった者達と出会い、その力から王と崇められた。
崇められるその直前まで、王になろうとはグリムジョーは思い付きもしなかった。本能のあるがままに、同族を喰らい、その力を増していった。強くなろうとの意志はあっても、崇められる王になろうとの意識は無かった。
だから、グリムジョーにとって王の始まりは力を誇示する事であった。故郷を救いたい、王族であったが故といった英雄譚のようでなく、力でもって己を誇示するのがグリムジョーの王道。
故に、グリムジョーが欲する家臣は、自分の後を追える者。それ以外は求めず、それ以下は切り捨てる。それを実行しようとして……
――――――
豹もとい、グリムジョー・ジャガージャックはそこで目を覚ました。
「遅いお目覚めだな、グリムジョー」
グリムジョーが声のした方を見れば、自分が切り捨てようとしていた家臣達が心配そうにこちらを見ていた。
「3日間。それだけの間を、お前は眠り続けていた。アイツは心配無いと言っていたが、気が気ではなかった」
今度は指差した方に顔を向ければ、グリムジョーからすればもはや怨敵に成りつつある奴が少し離れた砂丘に立っていた。
「ッチ、おい、今はどういう状況だ」
今すぐには殺される心配は無いようなので、グリムジョーはどうなっているのかを聞いた。少なくとも、悪い方向には転がっていないような気がするが、それは勘でしかない。
「その辺の話は、俺から言わせて貰おう」
ついさっきまで砂丘に居た筈なのに、もう手が届く距離に立っているアーロニーロが『嗤っている』と、グリムジョーには感じられて仕方が無かった。
グリムジョーの王云々
独自です。グリムジョーの性格を考えると、シャウロン達に王と崇められなかったら豹なのにロンリーウルフやってそう。
メノスの森からの出方
1つ目はオリジナル。やろうと思えばできそうな方法
2つ目はグリムジョーの回想で砂の中から飛び出す描写がアニメであったので。
3つ目はアニメオリジナルのメノスの森編で一護達が脱出した方法。