敵との距離は僅か2m。響転が使えれば特に意味をなさないその距離。
グリムジョーはその距離を自分から詰めようとせず、待ちの姿勢で構える。敵の方が速いと判っているから、下手に突っ込めば簡単に虚を突かれてしまう。嫌と言いたくなるくらいに、グリムジョーは敵に思い知らされてきた。
待ち構えようともフェイントでタイミングをズラされる可能性があったが、どの道タイミングのズラされるのなら咄嗟に動けるように待ち構えていた方がマシだった。
響転による接敵からの後ろに周り込む縦三角跳び。跳べば自由落下しか選択肢はないが、生憎と敵には虚圏でも霊子の足場を作る事ができる。虚空が足場となり、飛べる訳ではないのに三次元戦闘を時と場所を選ばずに展開できる。素の実力差に選択肢の差までもが加えられると、そう簡単に覆せるものではない。
それでも、グリムジョーは諦めるつもりは無い。諦めで何が残るというのだ。一度も諦めてしまえば、その事実が永遠と付き纏うようになってしまう。再び困難に立ち向かったとき、
行動は重ねれば重ねる程に軽くなってしまうのだ。どんな行為でも、1度やってしまえば2度目以降は1度目よりも簡単になってしまう。その良し悪しに関わらずに……
王が、上に立つ者がそんなザマで勤まる筈が無い。同時に、目の前の敵1人倒せなくても勤まる筈が無い。
後ろに回り込まれるより先に、振り向くフェイントをする。
後ろは前を見るように出来ている生物では死角になるのは必須。同時に、もし回り込まれそうになったら反射的に振り向いてしまう。逃げるだけならそのまま走り去ればいいのだが、今は戦っているのだ。霊圧を消耗する技なら、使えなくなるまで逃げ続けるのも選択肢にはるだろうが、生憎と技なんてものではない動きなのでやるだけこちらが消耗するだけである。
なにより、グリムジョーの性分には合わない。息を潜め、奇襲を仕掛けるのは良しとしても、敵に背を向けての逃走はグリムジョーのプライドが許さない。例え立ち向かった結果が敗北であろうとも、敵に背を向けて逃げるだけの獲物に成り下がるのは許容できないのだ。
後ろに回り込んでいたのに、敵は向こうとした方向の後ろ、つまりは正面から斬りかかってくる。
後ろに回られたらと思って慌てて振り返れば、後ろから斬られると言う間抜けを晒す事となる。臨機応変に背中を狙ってくる敵は、人の事をよく心得ている。
どんな攻撃が嫌なのか、どういった対処をするのか、どんな切り札を持っているのか。力の差がなければ病的なまでに慎重になり、さながら詰将棋をやるように追い詰める。徹底的に運の要素を排除し、確実に命を取ろうとする姿勢は狩人の物。
それがグリムジョーが敵の一番気に喰わない所だ。どいつもこいつも獲物であり、傍に置いているのは気まぐれしかない。そうしている癖に、自分より強いと判れば平気で尻尾を振る。その2点から強者の猟犬と言うのが一番その様を言い当てている。
振られる剣を斬魄刀を鞘から抜いて受け止め、左手は虚閃を溜めながら掴みかかる。掴めばどれだけ速かろうが回避不能の『
続けざまに虚弾も撃つが、今度は同じ虚弾にて相殺される。距離を詰めなければ話にならないと踏み出せば、足を狙っての斬撃が走る。
素手で剣を受け止める訳にはいかずに足と剣の間に斬魄刀を差し込んで防ぎ、返す力で逆に斬ろうとした。だが、それよりも速く敵の腕が伸びて強かに自身の肩を打つ。腕が痺れて物を掴むこともできなくなっていたが、グリムジョーはそんな事に構わずに拳を握り締めて前へと突き出す。
結果的には肉を切らせて骨を断つになりそうな攻撃だったが、それさえも避けられた。
そこまでいって、グリムジョーは目を開けた。
「クソがッ……」
悪態をついてベッドから起き上がる。さっきまで実際に戦っていたのではなく、全てグリムジョーの想像であった。それなのに、グリムジョーは自分がアーロニーロに勝てる場面を想像できなかった。
十刃は並の破面と次元が違う強さを持つ。他ならぬアーロニーロ自身から聞いた事実で、破面化した後で手合わせして肌でも感じている。
自分の弱さにイラつきながら、グリムジョーは自室から出て『迎撃の間』へと足を運ぶ。そこには、既に自分以外の『第9刃従属官』が揃っていた。
「来いよ、てめぇら」
一対九というどう贔屓目に見ても勝ち目の無い戦いにグリムジョーは身を置く。
アイスリンガー、デモウラ、シャークス、ホーロスの4人の連携に、とりあえず攻撃といった様子のシャウロン、エドラド、ナキーム、イールフォルト、ディ・ロイの5人。
相手は9人。それでも、グリムジョーは負ける気がしなかった。誰も、グリムジョーの霊圧を超えるどころか並ぶ者がいないからだ。
力比べをすれば押し勝ち、響転をすれば出遅れてもすぐに追い越す。帰刃すれば、身体能力が爆発的に増大する。
格下と一対九になろうとも、絶対に負けないだけの純粋な力がグリムジョーにはあった。
(足りねぇ、こんなもんじゃ全然足りやがらねえ……)
1人1人手間を掛けて気絶させながらグリムジョーは飢える。
この特訓方法で確かに強くなった。しかし、この特訓の底がもう見えてもいた。足りない質を数で補わせたが、同格の相手と一騎打ちしているのと比べるとやはり劣ってしまう。
なにより、既に慣れてしまった。最早この訓練は作業に近くなっていて、とても強くなっているとは感じられない。
グリムジョーは、壁にぶち当たってた。
――――――
「…で、俺のとこに相談に来たと?」
シャウロンに「グリムジョーが伸び悩んでるのをどうにかできないか」と相談されたアーロニーロだが、物凄くどうでもいい事であった。だいたい、アーロニーロは君臨こそすれど支配せずという、従属官は放任主義であった。
将来的には強くなっていた方が都合が良いだろうが、鍛えるとなるとその方法が無い。護挺十三隊式で良いのならできなくもないが、そもそもグリムジョーがアーロニーロの指導を受けるのを良しとしないであろう。
「あー、よく喰って永遠と腕立て伏せでもやってろ」
明らかにやる気のない返答であるが、アーロニーロからすればただガムシャラに鍛えるよりかはマシな答えであった。霊圧を膂力の関係性は必ずしも比例する物ではないが、鍛えればだいたいは上がる。
何より、グリムジョーは珍しい事に特殊な能力を一切持っておらず完全物理型と言っても過言でない破面であった。なので、グリムジョーはただ純粋な身体能力を鍛える他に道は無い。
「ソレカ、ライバルデモ居レバ良イカモネ」
自分で適当に言ったが、これは妙案ではないかとアーロニーロは頭を捻る。
グリムジョーは並の破面より頭一つは確実に飛び出ている。似たような実力で、最近は絡んで来ないがこの前まで鬱陶しい奴がいたではないか。
砂中の『反膜の糸』と繋がって、虚夜宮に散りばめている葬討部隊隊員にノイトラを探せと命令を出す。これで1時間もしない内にノイトラを補足できるであろう。
――――――
無言での睨み合い。目を逸らしたら負けという野生の掟か不良ルールのその戦いは、傍目からは雰囲気が悪くなる迷惑な戦いである。なお、不良ルールだと目を逸らしたら負けで、見つめ続けたら「何ガン飛ばしてんだ」といったようなイチャモンからのバトルに発展する。どっちにしろ碌な事にはならないので、近付いたら負け同然である。
相手を敵認定するのは睨み合うだけで十分だったようで、斬魄刀を抜いて戦いを始めた。こうなる事になるのは承知の上で会わせたので、少し距離を開けて観戦を始めた。
(グリムジョーではノイトラには勝てんな)
そして、その勝敗の行方も見据えていた。なんてことはない、相性の問題だ。
グリムジョーとノイトラの霊圧はほぼ互角で、そうなると勝敗を別つのは膂力、特殊能力、戦闘スタイルの三要素辺りになる。膂力も霊圧と同様に開きはなく、特殊能力もノイトラにはあるが帰刃しなければ使えず、その特殊能力も腕限定の超速再生なので少々微妙といったところである。
ならば最後の戦闘スタイルだが、グリムジョーは斬魄刀を片手で振るアーロニーロと似通ったスタイル。
ノイトラもよく片手で斬魄刀を振り回すが、長物として数えられるその斬魄刀ではリーチが長い。更に、とりわけ硬い鋼皮を持っているので防御も高い水準である。
グリムジョーは響転の速さならノイトラに勝っているが、その他は負けているという有様であった。勝ち目がまったくない訳ではないが、グリムジョーは敵を殺すよりも倒すのを主眼に置いている節があるので難しいであろう。それに対して、ノイトラは逆に殺すのを主眼に置いている。必要の有無を問わずに、敵なら殺すのが当然だ。
(そろそろ、か……)
互いに致命傷は無いが、互いの実力が解る頃合いを見計らってアーロニーロは割って入る。
「どけぇ!」
「邪魔くせえ!」
無論それだけで止まるような2人ではない。敵と見なしているアーロニーロが割って入って来たのなら、これ幸いとそのまま斬りかかるのに疑問を挟み込む余地は無い。
「やめろ」
斬魄刀を掴み、簡潔にアーロニーロは要求を告げる。絡むなら似たような強さの奴に絡めという事で2人を引き合わせたが、このままでは殺し合いになりそうだったので止めたのだ。
押しても引いても斬魄刀はビクともせず、力の差を知っているので大人しく2人とも斬魄刀を収めた。だが、その目は「いつか殺す」と隠さず物語っている。どちらも、自分より上が基本的に気に入らないのだ。
(ああ、良い目だ……)
嗤う。アーロニーロはそんな2人を嘲嗤う。その不屈の心が、無くしたナニカをを強さで補おうとするその行為が力の原動力。無くした筈の
されども生きようとする過程で宝石などように研磨され、その価値を高める。そしてアーロニーロは、その宝石を丸ごと奪う業突く張りの捕食者。
(強くなって生き残れよ。余さず喰いたくなるくらいにな……)
――――――
アーロニーロが餌候補の態度に満足そうにしてる同時刻に、アーロニーロにとって迷惑千万な計画が考えられていた。
「アーロニーロの面を拝んでやろう」
「……」
「はぁ……」
突拍子もないアパッチの提案にミラ・ローズとスンスンは気の無い返事を返した。それに腹を立てたのか、アパッチは声を荒げて主張を始める。
「考えた事ないのか、あの仮面の下にどんな愉快な顔があるかを!!」
アパッチの言わんとしている事は解るが、それでも2人はやはり生返事であった。
「本人にとってコンプレックスなのは明白ですけれど、陰湿ではなくて?」
秘密なのは解る。アーロニーロの仮面が外れている所など3人の誰も見た事は無い。3人はハリベルにそれとなく聞いた事もあるが、やはり一番長く一緒に居ても仮面を取ったところを見た事が無いそうだ。
仮面を付け続ける最大の障害となる食事も、『口』が左手にあるのだから食事中も外す必要が無い。流石に自室では外していそうだが、3人にはアーロニーロの私室に突撃をかまして見ようとする気概はない。
「だからこそ、だろ。アイツを褒めたくはねぇけど、仕事には真面目で手回しも良い。ハリベル様が信頼を寄せるのも解る。…ハリベル様が自分から距離を取ろうとする材料はあと仮面に隠された素顔くらいだろ」
アパッチの言葉に思うところが無い訳ではないので、2人はやらないとの二の句が咄嗟に出なかった。
敬愛するハリベルが何かとアーロニーロの傍に居ようとするのも気に入らないのは、アパッチだけでなく2人も同じである。
例え単独行動をアーロニーロが好んで実際に一緒に居る時間が短かろうとも、その思いは覆りはしない。寧ろ、ハリベル様を蔑ろにするなとさえ時折考えてしまう。しかし、思いと考えは矛盾するもので、やっぱりハリベル様に近付くなとも思うのだが。
そんな事を考えている内にやる気が出てきて、2人もその気となった。推定不細工ヅラ、そうでなくとも声が2種類あるから口は2つあって人間の顔じゃないないツラを見てやろうと、3人は決意の揺るがない内にそれぞれの腹案の準備をし始めるのだった。