各々の準備が整い、3人はアパッチの部屋で額を突き合わせていた。
「準備はできたか?」
「当然でしょう。でなければ此処にはいませんわよ」
「で、誰から始めるんだい」
そう言ったミラ・ローズは、意味有り気な視線をアパッチに向ける。その意味を察したスンスンも、アパッチを見る。
言い出しっぺの法則。なにか決める際に言い出した奴が結局ソレをやる事になるという、偶然とも言える法則である。それでも、今この場においては、絶対の法則であった。
「ッチ、仕方ねえな。いいか、聞いて驚くなよ。男を釣るなら、手料理と相場が決まってんだよ!」
そう言って取り出したのは、『特集!!男を落せる手料理集!!』と書かれた少し胡散臭い雑誌であった。こういった雑誌類は本来なら虚圏には存在しないが、アーロニーロが現世から調達した物である。藍染に許可を取って現世に行き、本をランダムに選んで『反膜の糸』で全ての情報をコピーし、その情報を元に霊子で再構築するという手間を持って作られている。アーロニーロが虚でなかったら普通に犯罪である。
「…それで?」
手料理1つで男を、ひいてはアーロニーロを落とせるのかと軽く失望した目でスンスンはアパッチを見た。色々と単純だと思っていたが、ここまで酷かったのかと……。そう思っていると言われれば信じてしまいそうなくらいに、その目には憐みも込められていた。
「まさか、あたしが手料理を喰わせるだけとか思ってないか。違うんだよな~これが」
自信満々にッチッチッチと指を振るが、その自信の程で逆に失敗しそうに見えるから不思議である。
「あのアーロニーロが唯一と言ってくらいに、解り易く楽しみにしてるのは食事だけだ。あたしが見た中で一番無防備なのも、食事の時だ。
だから、手料理の味見をして欲しいとか言って近くで喰わせて、隙だらけの間にあの仮面を剥がす!!」
結局は力押しだったので、他2人はため息混じりで笑う。
(そういえば、肝心の手料理の食材はどこから……?)
破面の食えるモノは虚と霊蟲になる。人間の魂魄や死神でも問題無く食えるが、人間では食料として腹持ちも味も悪い劣悪なもので、死神だと尸魂界に侵攻するか現世で探しださなければならない手間が掛かる。
破面が食糧として入手できるのは、現実的な観点から虚か霊蟲しかないのだ。なのだが、どんな虚や霊蟲も食用に適している訳ではない。配給されている物はそうでもないが、従属官の分は十刃が纏めて管理しているので手元に来るときは既に食べる直前である。
「アパッチ……」
「ど、どうした……?」
いきなり真剣な顔に愁いを纏わせたミラ・ローズにアパッチは慌てる。どうしたものかとスンスンを見れば、そちらも似たような表情ではないか。
「手料理の材料、食糧庫から持ってきたのでなくて?」
食糧庫。それだけ聞けば虚夜宮にある一室かと思うが、この場合指すのは『第9十刃宮』にある一室である。その部屋にはアーロニーロが外出した際に確保した、霊圧が低めで特殊な能力を持ち合わせていない虚の肉や骨といった食材になる物が収められている。その食材は、度々雑用の仕事のほとんどを奪った葬討部隊隊員によって―――実質はアーロニーロの手によって―――調理されてアパッチ等にも振る舞われている。
だがしかし、その食糧庫の扉には『俺以外の出入りは禁ずる』との警告が刻まれている。勝手に入り、あまつさえ食材を持ち出したとなれば処罰は必須である。
「違うに決まってんだろ!誰があんな危険な橋を渡るかっつーの!」
心外だとアパッチは否定する。確かに命と引き換えなら簡単にそれなりの食材は手に入る。アーロニーロから物を奪ってやったと言う黒い満足感も得られるであろう。だが、それ以上に全員から白い目で見られる屈辱と、理由が理由なので浅ましい盗みをやったという不名誉な事実が一生自分に付き纏う。そうでなかったら、アーロニーロに処分されるであろう。
「とりあえず、今晩の食事が鹿肉になる心配は無いみたいだね」
アーロニーロなら食糧を奪ったから食糧に成れ、と冗談のような事を本気で言いかねない。そんな想像をしたから、2人は先程のような反応をしてしまったのだ。
「ハンッ、よーく見とけよ、あたしの手腕をな……」
自信満々に言うアパッチに変な事にはならないだろうと2人は思ったが、ここに来てある当然の疑問が湧きあがった。「そもそも、アパッチは料理なんて出来たのか?」と……
――――――
アパッチの手料理は失敗
虚の丸焼きを……
手料理と言ったら怒られそうな内容であるが、料理なんてやった事の無いアパッチが失敗をしないで確実に作れるのが丸焼きだったというだけの話である。だったら、丸焼きという芯までしっかり火が通っているか心配になるような物ではなく、一口ステーキのようにしろとなる。なのだが、虚夜宮にある刃物は斬魄刀だけで、それ以外となるとザエルアポロが検体を細かく切り刻むのに使う自作のメスくらいしかない。まさか料理の為に斬魄刀を貸せという訳にもいかず、火さえ使えれば良い丸焼きになったのだ。
「ほぉ……」
その虚の丸焼きを見て、感心したアーロニーロは声を漏らす。感心したのは料理の出来ではなく、挑戦したという事実なのだが。
そんなアーロニーロの心情を知らないアパッチは、思わぬ好感触に笑う。
「普段のお礼だ。遠慮せずに喰え」
なんとも白々しい台詞であるが、他の破面では食えないクッキーといった菓子類の供給への感謝は少なからずある。その製造方法が食感の似た物に、『反膜の糸』で手に入れた味の情報を書き換えた遺伝子操作染みた方法と知らないからなのだが。更に安全性の確認の為に、まず死ななそうで簡単に口に入れるピカロに毒見をさせてるといった真っ黒な品だったりもする。
そんな話は置いといて、喰っていいならとアーロニーロは左手の口で喰い始める。一見何の警戒も無しであったが、虚の丸焼きが視界に入った時点で『反膜の糸』を繋げて調べており、毒の類いはないとの判別済みである。恨まれている自覚はあるので、そこら辺の手抜かりはアーロニーロに無かった。
食事を始めたアーロニーロを見て、アパッチはほくそ笑んでアーロニーロの左手側に回り込む。虚を取り込む際は一息で丸飲みにするが、楽しむ食事の時は普通に食べる。なので、口を使っている左手は封じられているも同然。
アーロニーロが食事のマナーに厳しければ、丸焼きをナイフとフォークで切り分けて食べていたであろう。しかし、口は左手にあるのでわざわざ左手に持つ食器を離さなければ食べられないので基本は齧り付く。
絶好のチャンスがそこだった。いくらアーロニーロでも、片腕が塞がった状態では対応に限界がある。致命傷を与えるのは流石に不可能であろうとも、仮面を取るぐらいならできそうである。
(貰ったぁ!!)
いける。その確信と共にアーロニーロの斜め後ろからアパッチは仮面へと手を伸ばす。速度ではまず勝て無かろうとも、不意打ちに動きが制限されている現状ならば取れる。確信は絶対で、アーロニーロの仮面は自分の手の中か、床に落ちる。
「
掴むべき手が、小さい六つの光の帯に手首を空中に縫い付けられた事で止まった。番台を飛ばし、詠唱破棄をした縛道によってアパッチの手は妨げられてしまった。
「ソンナ事ダロウト思ッテイタヨ」
ヤレヤレと言わんばかりの呆れた態度で、アーロニーロは六杖光牢を追加で4つ出す。両手首に両足首、駄目押しに本来縫いとめる場所である胴にも付けられて、アパッチは行動不能にされた。
「こんちくしょーーー!!!」
『第9十刃宮』に、アパッチの悔しさの叫びが響くのであった
――――――
失敗してアーロニーロに虚の丸焼きを食わせただけの結果となった。尤も、スンスンとミラ・ローズは最後が力押しだったので何となく失敗しそうとは感じていたので、やっぱりかとの気持ちが強かった。
「それでは、次は私が行かせて貰いますわ」
そう言って、今度はスンスンがアーロニーロの仮面を剥がしに掛かる。
スンスンの作戦は、アーロニーロ自身に仮面を外させるというものであった。その方法が自分にキスを許して、頭にある口でして貰おうと穴だらけの作戦であった。
アーロニーロに外させるのは良さそうであるが、その方法があまりにもアレであった。流石にアパッチとミラ・ローズは止めようとしたが、無理矢理されたとハリベルに言う事でアーロニーロの評価を落すと言う美人局の如き二段構えであったのでそのまま送り出したのだった。
(大丈夫と思うか?)
(流石に万が一の事態にはならないよ)
(でも、アーロニーロは童貞っぽくね? 最悪暴走して強制ベッドインになるだろ)
(仮になったとしても、それこそスンスンの思う壺だよ。最悪も覚悟の上、見守ってやる事しかできないよ)
物陰に隠れてスンスンとアーロニーロがとある一室で待ち構えている2人は、小声でどうなるか話し合っていた。実は先程の食事の際にも、物陰から窺っていたが今はどうでもいいだろう。
(お、来た来た)
スンスンに腕を引かれてアーロニーロが入って来たので、2人はばれない様に息を殺して様子を窺う。
「ここなら余計な邪魔は入りませんわ。何時でもよろしくてよ」
(おーおー、大胆)
(若干良い雰囲気なのが何とも言えないね…)
スンスンはもうキスを受け入れる体勢になっており、後はアーロニーロが仮面を外すだけとなっている。位置関係上スンスンは背中しか見えないが、怖気が奔るほどに嫌と言う雰囲気ではない。
(中々外さないな…)
(やっぱり躊躇してるんだろ)
迷っているのならまだ脈ありかと、そのまま見続けるがアーロニーロは動かない。
「するならする、しないならしないと速く決めませんと、優柔不断な方は嫌われますわよ?」
急かされたからか、アーロニーロの右手が動く。ただし、その行き先は仮面ではなく、スンスンの頭であり、そのまま褒めるように撫でる。
「……どういうおつもりで?」
(とか言いって、スンスンの奴満更でもない雰囲気じゃねーか)
(アレは完全に女として見られてない。よくて娘辺りの扱いだろうね)
そのまま5分程撫でて、アーロニーロが満足したのか結局仮面を外さぬまま出て行った。
「失敗、だな」
「まあ、唇を奪われるよりかは良かっただろ……あー、スンスン、顔赤いぞ」
動かないスンスンの顔を覗き見れば、頬を紅潮させて立ち尽くしていた。
「ック」
言われて初めて顔が赤いのに気付いたようで、スンスンは顔を隠して走り去った。
「…どーすんだよ」
「言うんじゃないよ……」
――――――
スンスンが落ち着きを取り戻したので、再びアパッチの部屋に3人は集合していた。その空気は重いモノであった。アパッチの食事を狙った方法も、スンスンの精一杯の色仕掛け(?)も不発に終わった。3大欲求である食欲と性欲よる訴えかけは失敗した事になる。
割と自信のあった2人は既に諦めの雰囲気をしかと纏っている。というか、これでミラ・ローズが成功したら立つ瀬が無いので、非常に癪だが内心アーロニーロを応援していた。
「……変態」
「下品ですわね」
ミラ・ローズの作戦を聞いた2人の第一声がそれだった。
「スンスン、テメェは同じ穴のムジナだろうが……!」
青筋を立てていわゆるガチギレをしているミラ・ローズの作戦は、風呂でアーロニーロの背中を流すというモノであった。
「確かにそうかもしれませんが、私は場所を選べば挨拶程度。ですが、貴女の作戦はタダでさえ露出が高いのに、完全に露出してアーロニーロと個室で2人っきりになるモノ。アーロニーロとよろしくない事でもするおつもりですか?」
「ミラ・ローズ、純潔を捨てでまでやり通すなんて、そこまで追い詰めてたのか……」
スンスンは何時ものように毒を吐き、アパッチは「気付いてやれなくてごめん」と申し訳なさそうである。2人とも、座っていた位置から微妙に体をズラして離れている。おそらく、それが今の心の距離なのであろう。
「だいたい、いきなり行っても、今は亡きミッチェルのように脱衣所で悪戦苦闘するハメになりますわよ?」
「あーそいやそんな事もあったな。死神の技術で結界を張ってたんだよな?」
積極的にアーロニーロにアプローチして、最後はそのアーロニーロに喰われるという悲劇の初代第3刃のミッチェル・ミラルールを思い出してそんな事もあったと懐かしむ。
ミッチェルは
「許可は…取ってある」
非常に言いにくそうに絞り出した言葉を2人は聞き逃さなかった。
(なあ、止めた方が良くないか?)
(ミッチェルになびかなかったアーロニーロが、浴室に入るのを許可した。コレはよっぽどの事ですわよね?)
(ミラ・ローズ、マジでヤラレルんじゃね?)
(無い、とは言い切れませんわね。成人向け雑誌に、そういうプレイも有りましたし……)
故意か手違いかは知らぬところだが、アーロニーロが現世からコピーしてきた書籍の中には成人向けの雑誌も混じっていた。なので、好奇心に負けて読み、そういった知識もついてしまった。
どんな経緯があったかは知らないが、アーロニーロがそういった物を虚圏に持ち込んだのは事実で、その上での今回の事態である。結びつけるなと言う方が無理がある。
流石に本当に貞操を賭けられると、後に雰囲気が悪くなるなるのは明白であった。
あーでもないこーでもないと、本気でミラ・ローズを心配している2人は小声で考えを出し合うが、ミラ・ローズを止めるしか現実的な手段は無かった。その結論に行き着くまでに熱中し過ぎたために、そっと出ていったミラ・ローズに気付いたのは些かと言えない時間が過ぎた後であった。
――――――
「……入るか?」
「正直、中で何が起きてるのかを想像したら絶対に嫌ですわ」
脱衣所にて、2人は入るか入らないかを考えあぐねていた。もし、中でミラ・ローズがヤラシイことをやられているなら、助けに入るべきである。だがしかし、2人の実力では助けに入ろうが返り討ちにされるのも目に見えていた。
看過できないと感情論で動くか、被害を最小に抑える為に理論でいくか。2人はそのどちらかの選択を強いられていた。
「ミラ・ローズの痴態を見せられて、その後でこっちも同じ目に会わせられるとか、冗談じゃねえぞ……」
「きっと、左手の触手で小規模な触手プレイとかしだすますわよ、あの変態は」
扉の向こうで起こりうる出来事の傾向と対策の為と言い訳をし、2人は足を踏み出さずに議論し、アーロニーロの性癖はこうだろうとまでいった。
「楽しそうだな、お前等」
時が止まった。正確に言うのなら、2人の議論が強制中断せざるを得なかった。黒髪ロングの和服美人が好みだろうと予測を付けていたら、何の突拍子も無しに背後から「楽しそうだな、お前等」である。
「……?」
何か弁明すべきか、それとも知らぬ存ぜぬを通すべきかとスンスンは考えていたが、重要なある事に気が付いた。立ち位置がおかしいのだ。自分達は浴室の扉を正面にしていた。それなのに背後から声がしたとなれば、その声の人物は反対側の廊下への扉側にいる事になる。
それではおかしいではないか。声の主は今は浴室に居る筈で、いくら動きが速かろうと扉の真ん前に立っている自分達のどちらにも気付かれずに、扉の開け閉めをして背後に回り込むなど不可能である。
「貴男、浴室にいたんじゃありませんよね?」
「何ヲ言ッテイルンダイ、今ハハリベルトミラ・ローズガ入ッテイル筈ダロウ?」
「なん……だと……」
「なん……ですって……」
おかしそうにアーロニーロは嗤い、アパッチとスンスンは予想外の事態に目を見開く。
アーロニーロと入浴を共にするという罰ゲームに近い行いをミラ・ローズはしている筈だった。なのに、実際にはハリベルと入浴するというご褒美と入れ替わっているのだ。プラマイが完全に逆となっている。
「ところで、俺の仮面を取ろうとして楽しかったか?」
十刃最速の響転。それによって呆気無く後ろを取られて肩に手を置かれた2人は、渇いた笑いを口から漏らすしかなかった。
「ボクノ好キナノガ触手プレイダソウダネ……?」
どうやら最初から聞かれていたと判ると、笑いは渇きを通り越して風化した。この後の運命が、おぼろげながらも見えた気がしたからだ……
――――――
肌を上気させ、息も絶え絶えなったスンスンとアパッチは、もう用は済んだとアーロニーロにアパッチの部屋に転がされる。2人の様子的に、事後っぽさがあるがそんな事は無い。
「笑い死にさせるつもりかよ……」
左手の口に付属する触手によるくすぐりの刑。くすぐりの刑自体は古典的なもので、足の裏といった定番の場所をくすぐるだけであった。しかし、触手によって行われるソレは自分がやるよりも何倍も効率的に笑わせに来たのだ。
10本の触手で
「……なにがあったんだい?」
満足そうな顔をして戻って来たミラ・ローズからすれば、なぜか2人が事後っぽい感じで床に倒れているのだ。2人にそういった趣味が無いと知っているミラ・ローズからすれば謎でしかない。
頭に疑問符を浮かべているミラ・ローズに一矢報いるように、2人は「ざまあみろ」と言わんばかりにミラ・ローズの背後を指差す。
「端的に言うなら、罰だな」
勢いよく両肩に手を置かれたミラ・ローズは、軋む音を立てそうな速度で振り返ってその手の主を見る。声と言葉の内容から誰かは判るが、奇跡が起きれば違う人物かもしれない。
そんな色さえない希望は、現実によって塗り潰される。解っていたことだが、絶望するしかなかった。そもそも、奇跡という単語を持ち出した時点で、起きる可能性は1%未満と考えていた。
仮面を付けているのに、嗤っているのがよく解るアーロニーロが左手を露出させて立っていた。
「安心シナヨ、死ニハシナイカラ」
その日、3人目の大きな笑い声が『第9十刃宮』に響くのであった。
雑誌類というよりほとんどの物(データなども)の無断コピーは犯罪です。
いかなる理由であろうとも犯罪は犯罪であり、罪には罰が与えられます。