事の始まりはアーロニーロが藍染に呼び出され、新たな任務を出された。
「ピカロの十刃落ちですか?」
「ああ、そうだ。その不死性と殺戮範囲から第2十刃に任命してあるピカロは解任。後任の用意も既にしてある。
後は、ピカロの処分をするだけになっている。それを、君に任せたい」
ピカロをどうしようとアーロニーロの自由とされ、コレは喜ぶべき事であったはずだ。リネはネリエルの従属官に、ガンテンバインもドルドーニの従属官になったので、喰うに喰えなくなってしまっていた。
(殺す必要が有るのか?)
だというのに、脳裏を過ったのはピカロの存命を望む言葉。これにはアーロニーロが訳が解らなかった。なぜなら、立て続けに十刃落ちを喰い逃しており、そろそろ旨い魂魄を口にしたかった筈だ。
なのに、アーロニーロは直ぐにピカロを殺すと了承できなかった。
「引き受けてくれるかい?」
「……ハイ。藍染様ノ御命令通リ二……」
藍染の命令に反対するなどアーロニーロにできる筈も無く、粛々と任務をこなすだけであった。
――――――
ピカロの不死性は、個でありながら群体という特異性からくるものである。ならば、全ての個体を同時に殺せれば、そのままピカロという群体も死に至らしめる事が可能と予想できる。
尤も、ピカロの総数は100を超える。そんな数を一度に殺すのは難しく、初撃で決めなければピカロの逆襲が待っている。ピカロを安全に確実に殺すには、ピカロと同数を揃えて一人一殺が望ましい。
なのだが、100というその数は破面の総数より上である。その数を揃えるのは現在の破面では不可能である。
その不可能を可能にする能力、従順な兵士を生み出す『髑髏兵団』がアーロ二ーロの手中に収まっていた。自身の劣化コピーを生み出すので、その強さはアーロニーロの強さに比例する。そして、ピカロを殺すのには十分な強さを既に持っていた。
――――――
ズラリと並ぶ葬討部隊はピカロと同数とあって、中々に壮観な眺めであった。そんな光景を普通の破面が見れば、萎縮したり隠れたりするであろう。しかし、ピカロにとって葬討部隊はお菓子を持って来てくれる存在でしかない。恐れる理由など無かった。
「……」
「どーしたの?」
「少しな……」
ピカロの姿が見納めとなる為、柄にもなくアーロニーロはしんみりとしていた。いつもと違う様子を敏感に感じ取った受け持ちにしたピカロが聞いてきたが、アーロニーロは言葉を濁してその頭を撫でてやる。
「えへへ~」
嬉し恥ずかしと無邪気に笑うその姿が、アーロニーロの中で別の人間と重なった。同時に、ギチギチとナニカが壊れそうなくらいに軋む幻聴まで聞こえた。
「オイデ」
そう言ってやれば、ピカロは駆け寄って何の疑いもせずに抱き上げられる。
(こいつ、この前の戦いを観戦させた奴だったな)
お気に入りを自身の手で直接殺すという事に気付き、幻聴が金属同士を擦り合わせるような不快音に変化する。
ゆっくりと、生前の自分と同じ黒髪を撫でる。そうするのは、殺すのを先伸ばしにする言い訳か。
「可笑しなものだな。虚である俺が愛しむなど……」
「ダケド、終ワリ二シナキャネ。アノ時ミタイニ、アッサリト……」
アーロニーロは『剣装霊圧』を握り、葬討部隊もそれに倣って剣を抜く。そして、全てのピカロの心臓を貫いた。
その程度の傷で死ぬなどありえないと経験から知っているピカロは、心臓に剣を突き立てられたのに笑ったままであった。だが、身体の穴を塞いでも突き立てられた剣はまだそこにあり、すぐにまた穴あきにされる。全部が同時にそうなったせいで、ピカロは急速にその霊力を失っていく。
これが、ピカロの殺し方であった。ただの一人の逃亡を許さず、霊力の回復さえ許さなければピカロは簡単に殺せてしまう。だがしかし、この結果はアーロニーロの餌付けと『髑髏兵団』があってこそであった。
ピカロは迫る死を空腹という形で実感するが、誰一人とて食事にありつくのをアーロニーロは許さない。
子供が空腹を訴えるその姿は、常人であるなら胸を締め付けられるものであろう。だが、アーロニーロは常人ではない。ハリベルやドルドーニにネリエルといった良識のある破面とはアーロニーロは違うのだ。
穴が空いた心に響くはずも無く、入った端から穴から外へと漏れ出ていく。
数分としない内に、ピカロは息絶えた。心臓を貫かれてもそれだけ掛かったのだから、ピカロの不死性がどれだけだったか判るというものだ。死因も、外傷が主原因ではなく、治す為に霊力が枯渇したというのだから恐ろしい。
ようやく死んだピカロを、アーロニーロは一度だけ強く抱きしめる。
幻聴は、いつの間にか鳴り止んでいた……
――――――
どれだけ破面として力を振るっていようが、屍となってアーロニーロの前に現れたらのなら結末はただ1つ。左手の『口』によって丸呑みにされ、アーロニーロを構成する霊子として丸ごと組み込まれるだけである。
ピカロの能力は命の共有。正確には特殊な音波を出すことだ。通常ではその音波に霊圧を乗せて送受信することで、命の共有をするのが限度となる。だが、帰刃すれば攻撃に転用でき、その威力は卍解にも匹敵する。
尤も、これらの使い方はピカロが個にして群であったからだ。アーロニーロ一人では出来ない。
「いや~、お勤めご苦労さん」
反射的に、アーロニーロはその声の主が誰か判っていたのに後ろを取ろうと響転をする。
「何か御用で?」
驚愕を顔のように隠しながら、
「そうかしこまらんでええよ? 君がピカロを処分できたか、確認しに来ただけやから」
アーロニーロが後ろを取ろうとしたのに即応して向き合ったギンは、あくまでもただの確認だと言う。
(なんの確認をしに来たのやら)
確認しに来たのは本当だろうとアーロニーロは当たりを付けるが、その内容に疑念しかなかった。最初のピカロとのやり取りから、喰らうその瞬間まで見ていたのであろう。
自身の能力や人間性を見ていたとするのが妥当な線であるが、途方の無い化け物と言っていい藍染の考えることなどアーロニーロには解らないものであった。
「ナラ、行ッテモイイデスカ?」
「構わへんよ。君の役割はピカロの処分で、ボクの役割は報告することやし」
後ろに回り込もうとしたのは不問にするらしく、いつもとなんら変わらないギンの態度にアーロニーロはやや脱力した。尤も、何を考えているかが判らないという事では、藍染に一歩も退かないのがギンなのだが……
「あぁ、そうそう。判っとると思うけど、近いうちに新しい十刃との顔合わせがある筈やから」
(新しい第2十刃が配属されるか、それとも……)
あの大帝が荒れなければいいがと考えながら、アーロニーロは自らの宮に帰るのであった。
――――――
女性と少女が笑っていた。黒くて長い髪は、女性にとって自慢になる艶やかな美しい髪だった。その娘たる少女もまた、女性譲りの髪を自慢にしていた。
自分に似なくて良かったと心底思えた。娘は父親似になりやすいだとか言われるが、男に似るのは女としてはごめん被るであろう。
そんな二人を愛して止まない男が一人いる。伴侶と娘を愛するその姿は、誰から見ても理想の夫であった。何処にでもいる親子で、幸せな家庭がそこにはあった。
だがしかし、その幸せは夫の死によって儚くも崩れ去った。ありふれた悲劇ではあるが、当人達にとっては一生ものの悲劇。
されども悲劇は続く。死した男は地縛霊となって自宅に縋り付き、残してしまった2人を見守っていた。それで守護霊のでも昇華されれば救いはあった。
だが、この世の理にそうなる循環など存在しなかった。霊となってこの現世に留まれば、一切の例外無く最後には
「……」
男にとって最悪になる前にアーロニーロは目を覚ました。
「くだらん、実にくだらない」
夢を見た原因がピカロの殺害にあるとすぐに思い至ったアーロニーロは、その感情に唾をはきかける。既に答えには至っている。躊躇し、行動を遅らせる感情など不要であり、捨て去ったモノだ。今になって取り戻そうなど、もう遅すぎるのだ。
人間性など力の一部に変換され、残っているのは本能的な欲求に感情が混ざらない理性だけ。その精神と姿は、とっくにバケモノへと変貌を遂げてしまっている。
「大丈夫か、アーロニーロ?」
そんな言葉と共に、羽毛が自然に落ちるかの様な優しさで手が重ねられる。
「ドウシテ…?」
なぜ自分の部屋にハリベルが?そう思って辺りを見回せば、アーロニーロが寝ていた場所は自室のベッドではない。侵入者などまったく来ないばかりに、すっかり全員が屯できる場所としてソファーなどが置かれてしまっている『迎撃の間』であった。
「どうしてと言いたいの私の方だ。ここで寝てしまったと思ったら、うなされる。
…なにか、あったのか?」
自分を心配するその姿が、アーロニーロの中で別の女性と重なる。
(少しも似てないだろうがッ! 髪も顔も名前も! 何一つ重ねる理由などないだろうがッ!)
違うと己自身を叱責してその幻覚を振り払い、今度こそハリベルを見る。アーロニーロがなんの返事もしないので、更に心配している顔がしっかりと見えた。
「疲れただけだ」
ようやくアーロニーロが返事をしたので、僅かにハリベルの表情は和らぐ。しかし、すぐに疑いの目に切り替わる。
「
いつもと違うアーロニーロの行動を指摘して、辛いなら言ってくれと懇願する。
―――貴方は、頑張り過ぎますから
今度はその姿に幻聴までも加味されて重なる。
くだらない。そう心の中でまた吐き捨てると、自分の太ももに『剣装霊圧』を突き立てる。
その一瞬だけ、痛みだけがアーロニーロの中を支配する。見たくも聞きたくもない幻覚に幻聴を隅に押しやり、意識がそこに集中する。
「何をして―――」
「静カニシテナヨ」
突然の自傷行為に止めが入りそうになるが、アーロニーロはそれを先に止める。この程度の傷など、超速再生を持っているのだから傷に数えるまでもない。
刺して、抜いて、再生する。その繰り返しを何度もしたら、突如して『剣装霊圧』とアーロニーロの間に何かが割り込む。それは、手だった。よく知っているハリベルの手が、アーロニーロを『剣装霊圧』の凶刃の盾になろうと伸ばされていた。だが、ハリベルの手では『剣装霊圧』を防ぐ事は出来ずに貫かれている。
「お前は―――」
手が縫い付けられて動きにくそうだが、体を反らして攻撃の溜めの段階に移っている。
「―――何をやっている!!!」
お怒りの言葉と一緒に弓なりになっていた体は、額をアーロニーロの仮面へと叩きつける。
鈍い音を立てるが、ダメージを受けたハリベルだけである。額が微妙に赤くなっているが、アーロニーロがとっさに霊圧を抑えなければそれだけでは済まなかった。仮にアーロニーロが抑えなかったら、無数の刃物で全身が切り裂かれたようになっていたであろう。
そんな危険を冒しても、ハリベルはアーロニーロの凶行を止めたかったのだ。何があったかはハリベルは全く知らないが、異常な行動からよくないことがあったのが明らかだ。
「…無茶をする」
「そうでもしなければ、私では止められないからな」
ひとまずアーロニーロが落ち着いたようで安堵の息を漏らすと、ハリベルは穴あきになってしまった手の痛みを知覚した。手に穴があくなど日常生活の中で言えば重傷で、超速再生を持たないハリベルでは完治まで時間が掛るものだ。
「治療スルカラ、動カナイデヨ」
『反膜の糸』による縫合と回道による治癒促進によって、ハリベルの手は表面上は何も無かったようにすぐに治療された。
「あまり動かすなよ。傷が開くかもしれないからな」
「凄いな。こんな治療ができるとは思ってもみなかった」
「切リ傷ダッタカラネ」
接着の精度こそ高いアーロニーロの治療だが、欠落した部位の再生といった高度な回道は使っていない。と言うか使えない。ハリベルの傷が穴が開いたとは言え切り傷であったから、治療ができたのだ。もしその部位が消滅でもしていたら、アーロニーロの手に余る事態となっていた。
「迷惑を掛けたな」
「そう思うのなら、1つだけ約束してくれないか?」
「約束?」
「ああ、自分を傷つけないとな」
そんな約束ならいいだろうと、深く考えずにその約束を交わした。その約束がいつの日か、呪縛になりかねないと考えもせずに……