ルキアは虚夜宮の通路を駆けていた。一旦は尸魂界に強制送還されるなどと色々とあったが、彼女は虚圏で一護と合流し、壁に穴を開けて突入した虚夜宮で散開して織姫の救出を試みている最中である。
敵地での戦力の分散は悪手ではあるが、一塊になっていれば複数の十刃と遭遇でもすれば生存は絶望的である。尤も、分散していれば各個撃破される可能性も高いので、生存率はさして変わらないであろう。
それでも分散させたのは、織姫が何処に監禁されているか判らなかったからであろう。突入前に虚夜宮の全貌は目にして、並外れて広いとしか判っていない。特に手掛かりもなく、徒歩で捜し回るしか無い為に、生存率が変わらないのであれば分散させた方が総合的にはマシであった。
(ッ!?茶渡の霊圧が消えかけている…!
ここからならそう遠くない!
急いで―――…)
戦い抜いて全員で帰る。そう約束して此処にいるのだ。瀕死の重体とあれば、当然助けに行くつもりであった。
敵さえ、現れなければ。
(あやつは、現世に侵攻してきた十刃の一体!)
通路を抜けた先に空があったと驚くよりも先に、まっすぐと進む先にアーロニーロが立っているのに気付いた。
ルキアにとって最悪の展開であった。数字こそ9と低いが、副隊長の乱菊を一方的に嬲り、元隊長の夜一と良い勝負をしたアーロニーロにはまず勝てないと判っている。
そんな相手と、真正面から出会ってしまうなど狩られるだけだ。そもそも、ルキアの認識からして、十刃と真っ向勝負で戦いになりそうなのは一護と恋次くらいである。自身も含めた3人は、立ち回りを考えなければならない立場とも判っている。
逃げるのは不可能だろうと、斬魄刀に手を掛ける。
(投げ、られた…だと…!)
斬魄刀を抜こうとしたその一瞬、胸元で交差する衿の部分を掴まれて投げられた。突然の浮遊感に斬魄刀を抜くのを一時中断し、両足で着地できるように身を翻す。
(宮の中に放り込まれたのか!)
予め開けられていた宮へと続く扉に投げ入れられ、油断無く目を走らせる。逃がす気など更々ないのだろう、扉は既に閉じられている。
「手荒だったが、ようこそ俺の宮に。俺は第9十刃、アーロニーロ・アルルエリ」
「なッ……」
扉とは反対方向からした声に振り向き、ルキアは絶句した。ルキアにとって、あってはならない顔がそこにあったからだ。縦長の8つの穴が開いた仮面、ソレが手に握られて服装も先程から変わりが無い。
だから、その顔があってはならないのだ。かつて、虚に体を乗っ取られてしまい、自らの手で刺し殺してしまった志波海燕の顔が、十刃のものなどとは。
「…海燕殿…!」
在りえぬと思いつつも、そうであって欲しいと願わずにはいられなかった。手を掛けたその日から、罪悪感がその心に沈み込み、今もなおその重みが苦しいのだ。
別れの際に海燕に礼を述べられていようとも、その遺族に許されようとも、ルキアは自分自身を許せなかった。
だから、もしも、何かの間違いであったとしても贖罪の機会があれば、縋らずにはいられなかった。
「…ソレが、最初に言いたい事か…?」
自身が海燕であると否定も肯定せずに出た言葉は、どこかルキアを責めるような口調であった。
言葉が出なかった。言いたかった筈の言葉も、目の前の者が偽者だと断ずる言葉も。人ごみの中に放置された幼子の様に、ルキアは如何するべき判らなかった。
「あるんじゃないのか?言いたいことが…」
斬魄刀に手を掛けておきながら、鞘から抜けないのは信じたいからだ。目の前の男が、敬愛した十三番隊副隊長たる志波海燕だと。
そう感情は傾いても、敵として立っている事に心当たりがあった。だから、斬魄刀から手を離す事もできない。
「なるほど、仮に本物だとしても、恨まれてると思っているのか…」
「ッ…」
その心中を当てられて、斬魄刀に触れる手が力む。
「だったら、てめえは言わなきゃならない事があるな」
油断は無かった。もし斬りかかれるようなら、なんとか対処できる筈であった。だが、気がつけば、頭に手が乗せられていた。
「みんな大好き海燕副隊長が、今日まで恨みを募らせる器のちっちぇえ男と思っていてごめんなさいだ」
「…は?」
呆けた声での返事が気に入らなかったのか、手はルキアの頭を掴んで締め付ける。
「復唱!」
「み、みんな大好き海燕副隊長を、今日まで恨みを募らせる器の小さな男と思っていて、すみませんでしたー!」
「おう、許す!」
快活な笑顔。それはかつて何度も見たものであった。頭を締め付けていた手は、いまは髪型を乱すような手付きであったが、労わる様に撫でている。その手から伝わる温もりは紛れも無い本物であった。
「海燕殿…」
そこに、確かに志波海燕がいた。人望が厚く、陽だまりのような暖かさを持つ志波海燕が……
「じゃあ、死ね」
熱を失った声が躊躇無くルキアを射抜く。いつの間にか左手に握られた斬魄刀もまた、ルキアの頭を貫かんと突き出される。
頭を撫でていた右手は髪の毛を掴んで動けなくされ、回避は不可能。鬼道は詠唱破棄をしようと間に合わず、鞘に納まったままの斬魄刀も攻撃には間に合わない。
ルキアにできたのは、なんとか斬魄刀を抜き、攻撃を横に逸らす事だけであった。
(腕が…!)
逸らした衝撃で腕が痺れ、次は逸らすのは不可能であった。髪は相変わらず掴まれたままで、横に振れば首を刎ねれる位置に斬魄刀がある。避けられない死がすぐ其処まで迫っていた。
「やれやれ、手が掛かるな」
どこか偉そうで、面倒臭げな声が響いた。続いて、金属音が短く鳴り、カランカランと硬めな何かが落ちる音まで響いた。
「おまえは…リネ・ホーネンス!」
虚夜宮に突入して、すぐに別れた筈の相手の後姿に息を呑む。
「無事なようだな」
僅かに後ろを確認した顔に、今日何度目かの驚愕に思わず言葉がでる。
「やはり、破面だったのか…!」
一護は虚と言っていたが、ネル達はバワバワ以外は人に近すぎると感じていた。ネルは破面と自己申告していたので、その通りで問題無いと思っていた。では、残りの3人はどうかといえば、その辺は言葉を濁すばかりであった。
当然だ。仮に虚とすれば、隊長に匹敵するヴァストローデでなければ、その姿と理性的な事に説明がつかない。そうでないとすれば、残る可能性は破面しかない。付けていた仮面が床に落ち、その素顔を見た事でルキアは確信したのだ。
「そう睨むな。少なくとも、今は味方だ」
「……そうであろうな」
もし、リネが助けに入らねば、ルキアの首は繋がったままではなかったであろう。リネがルキアの敵であるなら、助ける意味などない。
「まったく、台無しじゃねえか。懐かしい霊圧が迫ってるから、侵入者を手早く始末しようとしてたのによぉ」
「ほぉ、それなりのお持て成しをしてくれる筈だったのか?」
「俺が何をするか、判らない訳じゃないだろ」
「そうだな、お前はそういう奴だったな」
旧友との語らいのような2人に、ルキアは困惑するばかりである。
「ホーネンス、アレとは知り合いなのか?」
「元同僚だ。尤も、仮面の下など初めて見るがな」
そうかと短く返事をし、ルキアは斬魄刀を構えなおす。何はともあれ、状況はマシになったのだ。1人では手傷を負わせるのが精々であっただろうが、2人なら勝利への光明も見えてくるというものだ。
「笑わせるなよ。高々席官クラスに、特殊能力だけで十刃の座にいた奴に何ができる」
斬魄刀を右手に持ち替えながらアーロニーロは嗤う。ルキアもリネも敵ではない。
アーロニーロの見立てでは、リネは護廷十三隊換算で副隊長程度。ルキアはそれよりやや下といったところである。それに対する自分は隊長と同等以上と自負している。
ならば、実力としては負ける要素は無い。破面としての基本能力だけで勝つのには十分過ぎる程だ。
「なら、3人でどうだ?」
ヴァスティダ・ボママス。『十刃落ち』となっても、アーロニーロに成長の余地があるかもしれないとの理由で見逃されていた負け犬。
それが、濁った目でアーロニーロの宮の扉を開けて入ってきた。その目をアーロニーロは知っている。リネの魅惑によって堕ちた哀れな犠牲者の目だ。
「舐めるなよ…」
おそらく、リネがなんとか調達した戦力なのであろう。それでも、アーロニーロは馬鹿にされていると感じた。
質を上げられないのなら、数を揃えるしか他にはないのだろう。そうであろうが、それで持ってきたのが『十刃落ち』1人とは御粗末である。
「水天逆巻け、捩花」
解号を口にして、捩花を始解させる。
三叉に別れた穂先、そのすぐ下には灰色の飾りが付き、石突きは巻貝を鋭くしたような形状。飾りの色以外は、海燕が使っていた捩花と変わらないその形状に、ルキアはまた息を呑む。
「…気をつけろ!あの槍は波濤を追従させて圧砕、両断してくる!受けてはならんぞ!
舞え!!袖白雪!!!」
リネの言から味方であろうヴァスティダにも聞こえるように言ってから、駆け出す。もし、捩花の運用すらも海燕と同じであれば、真っ先に隙を突けるのは自分に間違いはないのだから。
独特の高い構え。片手首を軸とした回転を主体とする、舞を思わせる槍術。その動きに追従する波濤もまた、ルキアがよく知る海燕の技。だと言うのに……
(強い…!私の知っている海燕殿よりも確実に…!)
3人よる包囲からの攻めを、アーロニーロは余裕で捌いていた。どの方向から攻撃しようとも、捩花と波濤が攻撃を遮る。
「っく、次の舞・白漣!!」
捩花を止めねばどうにもならないと、雪崩のような凍気を放出する。ほんの短い時間とはいえ、第6十刃であるグリムジョーを止めたこの技なら足止めにはなる筈であった。
「破道の五十八、
回転する斬魄刀を触媒に2つの鬼道が発動する。
闐嵐は向かってきた凍気のど真ん中を通って穴を開ける。その空白を埋めんと、凍気は雪崩れ込んで前へと直進する勢いを自ら減衰させてしまう。そうなってしまえば、捩花と同じ大きさで展開された円閘扇が盾として十全に機能して防ぎきる。
「今だ!」
だが、それでよかった。最初から自分の攻撃でどうにかできるとは思っていない。だから、他の2人に繋げればいいのだ。
「虚閃」
朱色と深緑の閃光がアーロニーロを押し潰さんと迫る。唯一の逃げ場たる空中から迫るソレを回避するのは不可能。アーロニーロには当たるとの結果しかない。
「跳ねろ―――
なのに、アーロニーロは落ち着き払って帰刃の解号を口にする。この程度、問題ないと。
―――『乱夢兎』」
「なん…だと…!」
帰刃による霊圧の解放でもって、迫る虚閃を飛散させる。その芸当は、如実に実力差を現していた。
「終わりだ」
龍波濤。爆跳によって速度の底上げをされ、捩花の回転よりも速くなった。その結果、波濤は長々と尾を引くようになり、龍を彷彿とさせる形状になった。
ソレをまず受けることになったのは、ヴァスティダであった。その大きな腹に槍撃を受け、後続の龍波濤が喰らい付く。当たれば飛沫となるが、その威力は馬鹿にできない。巨体と言っていいヴァスティダの体を押し、勢いよく壁へと叩き付けた。
リネとルキアでは、無事ではすまない威力であるのは明白であった。そして、アーロニーロが獲物を逃す道理などない。
「破道の三十三!
響転を目で追いかけるより先に、破道が放たれた。その時点で、リネに龍波濤が喰らい付いていた。
気が付けば、ルキア自身も槍撃で弾き飛ばされていた。予め構えていた袖白雪で致命傷は逃れたが、まだ後続の龍波濤が残っている。蒼火墜でいくらか威力は和らいでいるであろうが、大きなダメージは逃れようが無い。
「安心しろよ、殺しはしない。お前には、生餌として役立ってもらうからな」
倒れたルキアにそう嗤い、アーロニーロはまだ息のある他の2人に向き直る。
「まったく、一番弱そうなのをフォローしに来たのは失敗だったかもしれんな」
そう自嘲気味に笑いながらも、リネは立ち上がってアーロニーロを見据える。そうそう勝てる相手ではないと、覚悟こそしていた。それでここまで実力差を見せ付けられれば嫌にもなろう。
(あまりやりたくはなかったが、仕方あるまい)
ヴァスティダに来いと命令し、その背中に飛び乗る。
「固めろ、『口砕亀』」
「乱れよ、『淫羊華』」
そして帰刃すれば、ヴァスティダの体に根を這わせたリネが姿を現すのであった。
「……なるほど、自力で移動できないのなら、移動できるものに乗ればいいという訳か」
少々マヌケな絵面であったので、反応が遅れたが合理的ではあるのでアーロニーロも納得した。
もう少しだけ、戦いは続きそうであった。
リネ「フシ○バナ(二足歩行)だ!」