世にも奇妙なマスク・ド・オウガ   作:erif tellab

8 / 10

ブーストハンマー使いにくい。これを使うエミールとナナは流石だと言わざるを得ない。対して自分は、恥ずかしながらガイアプレッシャー連打です。


泣かれるマスク・ド・オウガ

 

  俺は俺。エリックではない。いいね? 異論は認めない。

  そうして自分自身を改めて確認してから、割り当てられた自室の中で身の回りの事を済ましていく。

  医務室で目を覚めてから早数日。身体に何の問題はなかったので、サカキ博士からの助力もあり、俺はほとんどの人に目撃される事なく復活した。それからはサカキ博士と支部長室で二者面談し、表向きは俺を極東支部の神機使いとして正式に入れてもらう手続きを踏んだ。

  一方、裏では俺の謎を解明していくのだが、もしも俺が平行世界から華麗に舞い降りてきた存在だとすれば、平行世界の観測方法すら確立されていないので帰還その他諸々は絶望的だと言われた。その後、自室に帰った俺は枕に顔を埋めて危うく泣きそうになった。

  帰還不可能だと断言されていないのが唯一の救いだろうか。サカキ博士に俺の事を信じてもらえたのは何よりだったが、冷酷に「帰るのは諦めろ」と言われたら流石に心が折れる。それはもう、薬物に手を出して現実逃避してしまうレベルで。

  しかし、薬物中毒からの廃人ルートは嫌なので、絶対にそんな事はしないと俺は誓おう。そもそも、入手方法がわからないから手の出しようがないが。

  平行世界については、試しに独自でターミナルを操作して色々調べてみた。すると、量子力学の多世界解釈と宇宙論のベビーユニバース仮説がヒットしたので、適当に内容をかじった。

 

  結果、科学者でもない俺がそんな小難しい理論を理解できる訳がないとわかった。

 

  文章全体としては読めても、単語が聞き覚えのないものばかりで、中には推察すら難しい単語もあったので、いくら音読しようが内容が頭の中に入らなかった。餅は餅屋に任せるべきだと判断した瞬間だった。

  ちなみに、現在は西暦二〇七四年。アーク計画が失敗して三年後の世界だ。俺の記憶にある姿よりもエリナが成長していた事に納得がいった。三年も経ったなら仕方ない。

  それから自室を後にする。本当なら正式に配属が決まるまでは部屋に隠れていたかったが、そうは問屋がおろさなかった。サカキ博士から、訓練データが欲しいからやってくれと言われたのだ。今日の午前中に。

  訓練……。一体、どんな地獄が待ち構えているのだろうか。狭い訓練所の中でダミーアラガミ――コンゴウ四体でピルグリムは嫌だ。やりたくない。例え相手が新人でも容赦ないのが極東だ。オウガテイル狩りの初期ミッションで乱入してくるヴァジュラが良い例である。油断はできない。

 

「あ」

 

  すると、エリナと遭遇した。とにかく気まずかったので、俺はすぐさま華麗に回れ右をする。

  しかし、逆にエリナに回り込まれてしまった。

 

「待ってよ、エリック。何で逃げるの?」

 

  その時、エリナと目が合う。彼女の纏う雰囲気は強気だが、どこか不安になっているように見えた。俺はすぐ返事をするのを押し止めた。

  逃げるのは単純に気まずいからだ。肉体がエリックかつマスク・ド・オウガで中身が俺である以上、否応なしにその問題にぶつかってしまう。

  エリナとはなるべく離れる。これはサカキ博士との二者面談でとっくに決めた事だ。俺自身はエリックではないのだから、例えエリックの記憶を持っていたとしてもエリナを妹として扱えない。身体がエリックでも、俺のような異物が居る時点でダメだ。エリックの振りをしようにも、きっとボロが出てしまうだろう。

  それに、この世界に住む大多数の人々と違って、仮にも俺には帰る場所が残されている。元の世界に帰る時はエリックが死んだ時と同様、エリナを再び悲しませてしまう。無闇に期待を持たせるべきではない。

 

「俺は……君の知るエリックじゃない」

 

  なので、エリナを俺から突き放す。それでも第一声が大してキツくないのは、精神がエリック側に引っ張られているせいだろうか。

  だが、エリックは自分の事を僕と呼ぶ。それはエリナも知っている筈だ。たかが一人称の変化でも、死人が甦ってきたという前提条件があれば、当然訝しむに値するだろう。とにかく、俺がエリック本人ではないと彼女に伝えなければならない。

 

「……っ、適当な事言わないで。私、聞きたい事がたくさんあるんだから。なんで生きてるのとか、なんでヘンテコな仮面着けてるのとか」

 

  直後、目尻を上げていたエリナの表情が一瞬だけ揺らいだ。それから俺との距離を一段と詰めてくる。

  仮面がヘンテコだと言われたのはさておき、後一押しで行けそうな気がする。ただ、エリナの気持ちを推し量ろうとすると可哀想で仕方がない。

  当たり前だ。死んだ兄が生き返ったかと思いきや、その人から自分は別人だと言われたのだから。兄が帰ってきたと思いたい彼女にとって、それほどの苦痛はない。

 

「エリック・デア=フォーゲルヴァイデは死んだ。それは確かだ」

 

  しかし、敢えて辛い現実をエリナに突きつける。このまま俺が根負けしてエリック本人だと詐称しても、関係がだれていくのは目に見えている。それは俺の望むところではない。最初にエリック≠俺という図式を完成させて、何もかもゼロから始めるべきだ。俺ではエリックの代わりになれない。

  エリナの顔がだんだん悲しげな表情に変わっていく。唇をきゅっと閉じているが、今にも泣き出しそうだ。肩と手先が少し震えている。

 

「じゃあ、あの時!! ……あの時、私の名前を優しく呼んでくれたのは何だったの? あれは、間違いなくエリックの声だった。私が小さかった時、いつもあんな風に話し掛けてくれて、いつも大事に想われてるって伝わってきて……」

 

  最初はばっと顔を上げていたが、徐々にエリナの視線は下がっていった。言葉の勢いも弱まり、遂には聞こえなくなる。

  医務室の時の話か。あれは迂闊すぎたな。反省している。エリック本人を否定するつもりなら、あんな風にエリナの名前を呼ぶのは失敗だった。肉体に引っ張られるのを解決するのも今後の課題だ。

 

「ねぇ、エリックだよね? 私の知ってるお兄ちゃんなんだよね?」

 

  そしてエリナが再び顔を上げると、彼女の瞳は涙で潤っていた。俺の方が背は高いため、自然と上目遣いになる。相手がエリックの華麗な妹なだけあって、この流れは非常に逆らいずらい。

  女の涙+上目遣いを抜きにしても、イエスと言ってやりたい。首を縦に振りたい。すぐに彼女の涙を拭ってやりたい。

  だがダメだ。それは俺が取るべき行動ではない。元の世界への帰還を諦めない以上、俺が戻るべき場所が向こう側にある以上は否定しなければならない。俺がエリックである事を。

 

「俺はマスク・ド・オウガ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

  ここでいきなり俺の本名を言っても訳がわからないので、仮面を被っている時の名を名乗る。エリック本人である事の否定には本名を言った方が恐らく一番効果的なのだろうが、これでも通じるだろう。

  声を低くしてそう告げると、エリナは涙を浮かべながら目を見開いた。それから何か喋ろうとするが、言葉は一切出てこない。口をあうあうと動かすだけだった。

  そんなエリナの様子を見ていられなくなった俺は、慰める事もせずに彼女の元からそそくさと立ち去った。去り際に「ごめん」とだけ言い残して。

 

 ※

 

  午前の訓練では、何故かダミーアラガミのウロヴォロスと戦わせられた。逃げ場のない訓練室が舞台だったので、相手がダミーであっても生きた心地はしなかった。訓練の前に脳天直撃弾と内臓破壊弾をバレットエディットすれば良かったと心底後悔した。

  訓練終了後は屋上まで移動し、外の風を存分に浴びながらタオルで汗を拭う。仮面は蒸せるので脱いだ。水分補給も欠かさず、ゆっくり飲んでいく。

  ソロでのダミーウロヴォロス討伐は、軽く一時間くらい要した。使用した戦法は、相手が伸ばしてきた触手の先を剣でツンツンしては、OPを貯めて射撃を続けるチキンなものだ。ソロで倒せたと言っても、確実にリンドウよりは劣っている事は間違いない。だって、柔らかいウロヴォロスの触手に向かわないでずっと離れていたし。ずっと逃げていたし。

  それにしても、あぁ……風が涼しい……。発汗して熱くなった俺の身体を冷ましてくれる。やり過ぎると風邪を引くので注意しなければならないのが難点だが、これはこれでクーラーや扇風機と違ったものがあって良い。

  風を適度に浴び終えて、仮面を頭に被り直す。すると、後ろから声を掛けられた。

 

「ここにいたか、マスク・ド・オウガよ」

 

「エミール?」

 

  思わず振り返ってみれば、エミールの姿がそこにあった。普段の不敵な頬笑みはさっぱり消えて、神妙そうな顔をしている。

 

「エリナの事で話がある。彼女、酷く落ち込んでいたよ。慰めようとした僕に脇目を振らずに、一目散に逃げてしまった」

 

  そう言いながら、エミールは一歩ずつ俺の元へ近づいてきた。あと数歩でお互いに接触できる距離まで進み、その場で立ち止まる。

  俺がエリナから離れた事はもう耳に入れられたのか……。エリックがもし自分に何かあった後の事を任せるだけあって、その行動力の高さはついつい感心する。エリナに逃げられたのは、勢い余ってぐいぐい進みすぎるエミールのウザさが一つの要因になっているかもしれないが。

 

「あの時に流れていた涙を僕は見逃さなかった。あっさり拒絶されてしまったのはショックだったが、同時にしばらく一人でそっとしてあげた方が良いと悟ってしまった。あれは恐らく……君絡みだ」

 

  最後の部分を溜めつつ、エミールはきっぱりと俺にそう言い放った。まさかの正解である。エリナを泣かせてしまった事実は確かなので、耳が痛い。

 

「だが、わからない。君が本当に我が盟友、エリック・デア=フォーゲルヴァイデなら、妹であるエリナを泣かせるなんて真似は考えにくいんだ」

 

  エミールの指摘通り、エリックは妹思いの良い奴だ。それも、出会って間もなかった頃のソーマに話が脱線するクラスで妹自慢をするほどに。エリックの記憶を思い返してみるが、過去にエリナを泣かした事は皆無と言って差し支えない。俺が本当のエリックである事に、エミールは明らかに訝しんでいる様子だ。

  先日のサカキ博士からの話でわかった事だが、俺の肉体は遺伝子レベルでエリックと同じらしい。俺がエリックであるかどうか疑われるのは無理もない事だろう。

  しかし、それはそれである意味、俺にとっては好都合だ。

 

「そこまでわかってるなら話が早い。俺は、君の知っているエリックじゃない。俺はマスク・ド・オウガだ」

 

「その偽りの名もそうだ。一体、何が君をそんな風にしてしまったんだ? どうして、今になって僕たちの前に現れたんだ?」

 

  前半は実に的外れだが、後半は言葉に詰まるような質問。自身も軽く目を背けていた事実に、俺は敢えなく返答に悩んだ。

  どうして俺がマスク・ド・オウガになってしまったのか。それ自体が本当に不思議でしょうがないものなので、当の本人である俺に聞かれても困る。どんなに考えても平行世界などの存在を抜きにしては、日本人の俺がエリックになる因果関係が成り立たない。

  だが、そんな俺でも断言できる事が一つある。それは、当事者だったソーマと第一部隊の隊長が一番知っている出来事だ。

 

「……三年前、エリックが死んだのは真実だ。上からオウガテイルの不意打ちを食らって、そのままやられた」

 

  エリックがオウガテイルに喰われる直前のシーンを脳裏に映し出し、俺はエミールの視線から顔を少し下に逸らした。三年経った今でも友の凶報を聞く羽目になったエミールの顔を、真っ直ぐ見る気にはなれなかった。

  それから数秒ほど、足元の床を眺め続ける。次の言葉を口にするのは、ゆっくりとエミールと目線を合わせ直した時だった。

 

「気がづいたら、俺はエリックが死んだ場所に突っ立っていた。この仮面と肩掛けもその時にあった。どうしてこうなったのかは知らないけど、この仮面の意味は何となくわかる気がするんだ」

 

  俺がエリックではなく、マスク・ド・オウガとしてこの世界に来てしまった意味。エリックではなく、敢えてマスク・ド・オウガから始まってしまった謎の展開。それも全て、俺がエリック本人ではない事を指し示すためだから、かもしれない。少なくとも、そうでなければ俺が自身とエリック、マスク・ド・オウガに悩まされる事なんてなかっただろう。

  だから、俺はエミールに改めて知らしめなければならない。俺が俺で、エリックではない事に。

 

 ※

 

  その時、エミールと改めて向き合ったマスク・ド・オウガは、被っていた仮面をおもむろに自ら外した。仮面の裏から華麗に現れてきた好敵手であり盟友の顔に、エミールはある種の感動の念を禁じ得なかった。

  マスク・ド・オウガの素顔は、どこからどう見てもエリック・デア=フォーゲルヴァイデだった。すっかり見慣れたその顔をうっかり間違える筈もない。容姿だけでは、目の前にいる男がエリックだと信じてしまうだろう。

 

「エミール。君は、俺が何故仮面を被っているかわかるか?」

 

  仮面を手に持ったマスク・ド・オウガが、ゆったりとエミールに語り掛けてくる。その声の調子も、ずっと前に聞いたエリックの言葉と同じだ。彼との思い出が、まるで昨日の出来事のように甦る。

  エミールが最後に見たエリックの姿は、サングラスを掛けていた。現在の彼はサングラスの代わりに仮面を被り、医務室の時を除いてひた向きに素顔を隠し続けていた。

  それが今、マスク・ド・オウガ自身の手によって自分の前に明かされた。この結果にエミールは思わず、彼をエリックとして捉えてしまった。久しく出会った友と親密に話すつもりで、すらすらと言葉が出ていく。

 

「ああ! わかるぞ、我が盟友エリックよ! 死してなお――」

 

「違うっ!! ……マスク・ド・オウガだ!」

 

  瞬間、マスク・ド・オウガの否定の声がエミールの言葉を遮った。彼の突然の叫びに、エミールは意識をれっきとした現実に引き戻される。

  そう、エリックは死んだ。自分の前にいる彼はエリックである事を否定し、マスク・ド・オウガと名乗っている。エリックの死は十中八九、揺るぎなく本当の事なのだ。それはエミールも承知の事で、心のどこかでマスク・ド・オウガをエリックだと思っているにしても、現実逃避だけは決してしなかった。

  それは何よりも騎士道に生きる者として、先立たれた友の頼みを聞き入れた者としての決意だ。騎士がアラガミを前にして、はたまた現実を前にしての逃走など許されない。いつまで過去にすがっても、一向に前へ進めやしないのだから。

 

「すまない、君の素顔に盟友の影を重ねてしまった……許してくれ」

 

  彼をエリックと呼んでしまった事を、エミールは頭を下げて謝罪した。マスク・ド・オウガはそれを、何か哀れむような表情で見つめる。

  そして、エミールが頭を上げるのを見計らって、おもむろに遠くの景色を眺めながら喋り始めた。彼の視界の中にエミールは入っていなかった。

 

「俺にはエリックの記憶がある。ドイツの貴族層の高等学校で何かと君としのぎを削っていた事も、その後はお互いの健闘を称えて茶会に洒落込んでいた事も」

 

  その言葉を耳にしたエミールは、己の身を震撼させた。雷に打たれたような思いで、マスク・ド・オウガの先程の台詞を何度も心の中で反芻させる。

  マスク・ド・オウガが言うエリックの記憶。当てずっぽうにしてはエミールも心当たりがあり、自分とエリックとの関係を妙に的を得ていた。まだ不信と疑問はなくならないが、その宣言のせいで彼が本当にエリックである気さえしてきた。

 

「茶会……その時に飲むのは……」

 

「大体は君が淹れた紅茶だな。紅茶に関しては君に負け越している。特にハーブの栽培は敵いそうにない」

 

  エミールがとりとめもなく事の真偽を確かめると、マスク・ド・オウガはすかさず返事をした。自身が持つ記憶と思い出に裏打ちされた証言で、エミールは真だと確信に至る。

  そして、不意にも再び彼をエリックとして認識してしまった。自分にとってもエリナにとっても都合の良い事が、どうしても都合の悪い事よりも先に出てしまう。マスク・ド・オウガがエリックの記憶を持っただけの別人である可能性なんてものは、すっかり思いつかなかった。

  お願いだから、君はエリック・デア=フォーゲルヴァイデであってくれ。君はエリナの兄であり、自分の好敵手であり盟友であってくれ。そんな願望がついつい生まれてしまう。

  自分の願いが愚かなのはわかっている。死者が生き返るなんて事はなく、それが出来れば今頃の人類はアラガミによって存亡の危機には晒されていないだろう。生命が戻ってくる術はいつの時代も魅力的で、実用的で、夢想的だ。

  とりわけ、目の前にはその体現者が佇んでいる。死んだ筈の盟友がこうして自分と会話していては、冷静な思考が麻痺してしまうのも無理はなかった。

 

「やはり……君は……!」

 

  だが、エミールの望みはあっさり覆される事になる。

 

「それでも、俺はエリックじゃない。姿形は同じでも精神はエリックと違うのは確かなんだ。本当の俺は極東……日本に住んでいた。その世界に、アラガミとオラクル細胞はない」

 

「アラガミも……オラクル細胞もない? どういう事なんだ、それは?」

 

  アラガミもオラクルもない世界。エミールでピンと来るのは、自分が生まれる前のこの世界の事だけだ。アラガミが誕生してからは、人類は半世紀も経たずして窮地に追いやられた。そんな状況下で、そんな理想郷がどこにあるのだろうか。

  仮にも日本の住人であるなら、彼がエリックの姿をしている理由は何だ? そもそも、どうしてここにいるのか? 荒唐無稽な話がいきなり飛び出してきて、エミールの思考はすっかり混乱に陥る。初めてマスク・ド・オウガの素顔を見た時以上の動揺だ。

  それでも必死に冷静さを取り戻すが、エミールはしばらく声が詰まった。やはり彼が自分の知るエリックではない事を否応にも察してしまい、エリックだと信じたい心と現実をしっかり見つめる心の二つが胸中でせめぎあう。身体の落ち着きが妙になくなり、幾度となく目を泳がせる。

  その様子を何気なく視界の端で捉えたマスク・ド・オウガは、エミールの気を確かにさせるようにして、屋上全体に響き渡るくらいのはっきりした声を出す。

 

「その時、不思議な事が起こった。今のところは何もかもそうとしか説明できない」

 

  漠然とした説明だが、マスク・ド・オウガのどこか確信めいたフレーズにエミールはハッと我に帰る。そうして、徐々に頭の整理がついていった。

  未だに納得だけはしていないものの、すんなり理解できるほどにまで気持ちに余裕ができた。あり得ないと断じてしまいたくなる衝動を抑えて、エミールはマスク・ド・オウガに確認を取ってみる。

 

「つまり肉体はエリックだが、精神は全くの別人。そう言いたいのか、君は?」

 

  おずおずと自分が至った答えを口にしたエミールに、マスク・ド・オウガは静かに頷いた。本人の首が縦に振られる様子を目にして、エミールの頭の中が一時的に真っ白になる。

 

「この事はまだ君とサカキ博士以外には話していない。だから、エリナには秘密にしておいてくれ。これを聞いたら、彼女は更に傷つく」

 

  呆然とするエミールに構わず、マスク・ド・オウガは話を続けていく。

 

「俺は元の居場所に戻るつもりだ。ここではないどこか……ずっと遠い場所に。時間は掛かるかもしれないけど」

 

  そこまで話して、ようやくエミールは耳を傾け直した。前半は聞き流した状態だが、要点だけは辛うじて覚えていた。

  自身が出した答えは正しく、このマスク・ド・オウガは異質な存在だ。肉体はエリックでありながら、エリックの記憶を持っているとしても精神は別の人間。二重人格や疑似人格だと言い切った方が、もっと信用が得られ易い話である。

  エリックの死は紛れもない真実だと改めて確認したと同時に、自然と空しさを覚えてしまう。それが、自身とエリックとの間にある友情から来るものだとエミールは理解していた。

 

「それに、君たちには迷惑だろう? 俺がエリックの記憶を持ち、エリックと同じ姿をしているのが。そんなの、彼と君たちへの冒涜に等しい」

 

  まさしく正論だった。マスク・ド・オウガが自分たちの前に現れた事で、少なくともエリナが悲しみにうちひしがれてしまった。別人が死んだ筈の兄の姿に成り済ますなど、彼女の気持ちを弄ぶ事になる。普通に考えれば、軽く許される所業ではない。

  だが、それとは別に、彼がマスク・ド・オウガとして現れたのは自分の意思ではない節が感じられた。彼の言葉を信じる事が前提になるが、そうならば全ての問題責任を彼自身に押しつけるのはお門違いだ。本当に不思議な事が起きてそうなったなら、もっと別の方に原因があっても良い筈。

 

「いや、それは違う! そんな風に自らを卑下にする事はない!」

 

  次の瞬間、エミールは叫んでいた。彼の突然の行動に、マスク・ド・オウガは思わず目を見開かせる。

 

「確かに一時は動揺したさ。情けない僕を叱責しに来た亡霊か何かだと思っていた。だが話を聞いてみれば、君は……君自身は、不意にそうなっただけじゃないか。そこに君を責める余地なんてない。そんなのは、理不尽すぎる……」

 

  華麗な手振り羽振りを見せながら、エミールは怒涛な勢いのままで言い終える。

  すると、今まで死人のように硬かったマスク・ド・オウガの表情が僅かに緩んだ。

 

「エミール。エリナの事は頼んだ。エリックの記憶があっても俺は、マスク・ド・オウガとしてしか生きていけない」

 

「……ああ、わかった。エリナの事は、エリックからのかねてよりの頼みだ。任せてくれたまえ」

 

「ありがとう。それと……ごめん」

 

「謝る事はない。君が無事に帰れる事を祈る」

 

  気がつけば、マスク・ド・オウガが纏う雰囲気は柔和なものに変わっていた。口調も少しだけ砕けており、エミールも友人と楽しく雑談をするようにして応えた。

 





残光のテスタメントと穿ツ青ノ荊……カッコいいと思いません? 後者に至っては制約付きのロマン仕様である。

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