最近の私は、とても熱意に溢れている為、毎日のように村長の家に入り浸っている。村長の家には、大陸の郷土資料や色々な図鑑があって、子供の頃はしょっちゅう通っていた。大きくなってからは、他にたくさん置いてあった勉強の本の威圧感に心を砕かれ、村長の家には、あまり寄らなくなってしまった。あの時期は、子供と遊ぶのが好きだった村長に、悪い事をしたかもなぁ。
「アリー、最近はギルドの方は良いのか? 私の家ばっかりじゃないか?」
「猫に餌あげて、オークの昼食用意しとけば平気平気。だって、依頼とかしないでしょ?」
「まあ、確かに」と言いながら、村長は自分の作業に戻ってしまった。何をしているのか私には分からなかったけど、手元の地図に色々と書き込みをしているようだった。あれはこの村の周辺の地図ではなく、もっと大きな王国周辺の地図だろう。村長が王国周辺の地理に強いなら、美味しいご飯屋さんでも聞いてみようかな。…………行く予定、無いけど。
「何だったら、その図鑑、貸してやるけど?」
「えっ、良いの? 村長、困らない?」
「まあ、初心者用だからなぁ……」
村長が呆れたような声を出す。私が、ぷくーっとほっぺを膨らませながら「私は実戦向きだったから、良いんだよ!」と返すも「はいはい」と流されてしまった。畜生、ギルドの看板娘なのにこんなに軽くあしらわれるなんて、悔しすぎる!!!
◆
村長の善意に感謝しながら、図鑑を両手で抱え、我がギルドに戻って来た。店内の様子を見ると、そこには誰もいなかったが、テーブルに用意していた料理は、綺麗になくなっていた。感謝のつもりだろうか、綺麗な花が、一輪そこに置いてある。なんだあのオーク。女性の扱いに、慣れ過ぎてるんじゃないのかな?
オークが置いて行った花を花瓶に差し、食べ終わった皿を片付ける為に台所へと食器を運んでいく。さてさて、洗い物が済み次第、私は一介の勉強家になってしまうのだ。勤勉を尊び、知識の泉へ身を投げる、可憐な看板娘なのだ。私は鼻息荒く、食器を必死に洗っていく。食器が洗い終わると、台所の床で寝ていた猫ちゃんを捕まえ、洗う。驚いたようにジタバタとその身体を暴れさせるが、私には知ったこっちゃありません! そう、私は今、必死に猫ちゃんを洗っているから、勉強は後回しです! 猫、猫ちゃんを洗い終わったら、勉強するよ! する! きっとする! きっとするんだろうなぁ!!!!?!!
◆
「冒険が今、幕開けるぶひぃ!」
午後の落ち着いた時間になり、私がお茶を飲みながら図鑑を眺めていると、どたどたとオークがギルドに入ってきました。私はそちらに視線を一度向けるが、すぐさま読んでいる図鑑に目を戻す。オークと遊んでいる暇はないのだ。大事なのは、毎日の勉強。
そんな私の様子を見て、「おお、真面目にやってるぶひぃ」とオークが私の座っているテーブルに座った。私は、そんなオークに背を向ける様に、図鑑を持ったまま、椅子ごと後ろを向いた。
「いじわるしないで欲しいぶひぃ。邪魔はしないぶひぃ」
オークがテーブルから立って、私の前に立つ。私はクルっと、テーブルの方に向き直す。
「そうぶひぃか。集中してるとこ邪魔して悪かったぶひぃ。また日を改めて………………なんて言うと思ったぶひぃか?! 何を読んでるぶひぃ?! その本、オデに渡すぶひぃ!」
あっ、という間に私の持っていた図鑑がオークに奪われてしまった。
「おかしいぶひぃ! モンスターの勉強してると思ったのに、これは果物の図鑑ぶひぃ! ちょっと前のやる気はどこに行ったぶひぃ! 冒険者ギルド、立て直すぶひぃ!」
「私の知らない果物が、世の中にはこんなに溢れていたんだね……」
「ちょっと待つぶひぃ! マジで頭の中が果物でいっぱいぶひぃか?! オデのやる気、どうすれば良いぶひぃか?!」
現実から目を背けていた私の肩を、ガクンガクンとオークが揺らす。
「あ、ごめん、ちょっと待って。気持ち悪くなってきたんだけど」
私の目の前は、どんどんとぐるぐる回ってしまい、ついには、完全にブラックアウトしてしまった。
「嘘ぶひぃ! このゴリラ打たれ弱すぎるぶひぃ! ごめんなさいぶひぃ!」
オークの慌てる声を最後に、私の意識は、なくなってしまった。
◆
「ごめんぶひぃ、悪気はなかったぶひぃ」
「ああ、うん。平気平気。ちょっと気持ち悪くなっただけだから……」
口の中に苦い味が広がっている。これはアマタ婆の作った、回復薬らしい。記憶を思い起こせば、アマタ婆はしょっちゅう薬草をお椀でゴリゴリしていたけど、きっとこれを作っていたんだな。私は静かに納得して、オークの方に顔を向けた。
「それで、何の用で来たんだっけ?」
「そうだったぶひぃ! 冒険が今、幕開けるぶひぃ!」
オークに腕を引っ張られ、ギルドの外に連れていかれた。
そしてそのまま、村を出て、道を走り、森の入り口に辿り着いてしまった。
「アリーさんの為に、オデがモンスターの事、教えてあげるぶひぃ!」
「え?」
「実物見た方が早いぶひぃ!」
「え?」
「じゃあ、行くぶひぃ!」
私は何の準備もないまま、森の中へと連れて行かれてしまった。
せめて、笛ぐらいは準備したかったんだけどなぁ……。
◆
木陰に隠れて、一匹のモンスターを見つめる人影が二人。私とオークだ。ここはまだまだ入り口に近い場所で、モンスターも弱い。オークもいる事だし、危険は少ないはずだ。
「アリーさん、あれは何か知ってるぶひぃ?」
「ばかにしないでくれる!? 知ってるわよそのくらい!!」
私は自信を持って答える。こんな初心者用の問題を間違えるはずはないのだ!
「あれは、緑スライムよ!!」
「……ぶひぃ?」
「……? あれは、緑スライムでしょ?」
オークの頼りない返事に、私は途端に心配になってしまった。なんだかんだ、オークは森に棲んでいた。だからこそ、私よりも何倍も詳しい知識を目の当たりに出来るのだと期待していたのだが、緑スライム程度で、この反応だ。なんというか、オークの知識に、拍子抜けしてしまった。
そんな私とオークに気付く事も無いのか、観察対象のスライムが、草むらからヌルヌルと、木の幹の方に移動していった。
「あっ、見てなさい! 茶スライムに進化するから!」
「……ぶひぃ?」
私の指差した方向に、オークは目を向ける。
その瞬間、スライムの色が緑から茶色に変わり、完全に木のようになったのである。
「見た? あれが進化よ! 進化って知ってる? ちょっと強くなるのよ!」
私の素晴らしいご高説に、オークが頭を抱え始めてしまった。
どうしたどうした。私の知識に脳がオーバーヒートしてしまったのかな? ふふっ、やっぱりモンスターはモンスターなのだ。冒険者ギルドの受付嬢に勝とうなんて、100年早いのだ。
「……、……分かったぶひぃ。言っておくけど、あれは進化じゃないぶひぃ」
「はっ? 何を見てたの? 色が変わっちゃったんだから、あれは、進化でしょう?」
「……違うぶひぃ。あれは、ただの擬態ぶひぃ」
難しい言葉に、私の脳はどんどん熱くなっていく。
何という事でしょう。私の頭は、オーバーヒートしてしまったのだった。
◆
「じゃあ、アリーさんは、青スライム、緑スライム、赤スライム、茶スライム、骨スライムがいると、思ってたぶひぃ?」
「……はい」
「……青は、まあ、普通状態のスライムぶひぃ。青っていうか、薄透明に青みがかっている感じだけど、まあ、そこは良いぶひぃ。許すぶひぃ」
「……はい」
「でも、茶スライムはおかしいぶひぃ! せめて擬態の存在くらい知って欲しかったぶひぃ……。赤スライムは、たぶん餌を捕食したスライムが血を飲んでただけぶひぃ! 骨スライムなんて、獲物の骨を溶かしてる途中のスライムなだけぶひぃ! なんかもう、説明するのが疲れてきたぶひぃ!」
「……骨スライムは、珍種だと思ってたのに。いつか王国に、持って行こうと思ってたのに……」
「そんなんで冒険者ギルドの受付なんて、怖すぎぶひぃ! こっちの想像を超えてたぶひぃ!」
私はすんすんと泣いた。スライムとラビットの事なら誰よりも詳しいと思っていたのに、自分の長年信じていた常識が、全部間違いだったのである。そんな私をフォローするかのように「まあ、こんな田舎じゃ仕方がないぶひぃ。明日から一緒に、頑張るぶひぃ」と、馬鹿にしないで励ましてくれるオーク。良い奴だよなぁ、と思う。いやまあ、想像超えてたとかぼろくそ言ってたのは、絶対に許さないけどね。
◆
その後は、オークと色々なモンスターを見て回った。いつもの場所より、ちょっとだけ奥の、まだまだ木々が生い茂っている場所だ。自然の匂いが強く鼻に入る。
「あれは?」
「キラービぶひぃ。大きい蜂ぶひぃ。集団で行動するから、結構危ないぶひぃ」
「じゃああれは?」
「あれはボアの子供ぶひぃ。子供は小さくて可愛いけど、成長すると凄く凶暴になるぶひぃ。子供の近くには親がいるはずだから、あんまり近付いちゃダメぶひぃ」
「じゃあこの卵は?」
「これは……ラフレシアの卵ぶひぃ。ラフレシアは臭いから、近付いたらダメぶひぃ」
ふーん、物知りだなぁ、と思いながら、私は卵をその場に戻そうとして……。
「おい! ちょっと待て! ラフレシアは植物だろ! 卵産まないんじゃないのか?!」
「あれ? そうだったぶひぃ?」
そう言いながら、オークは腰のあたりから、モンスター図鑑を出してきた。そして、ページをパラパラとめくる。
「間違ったぶひぃ。ラフレシアは卵じゃないぶひぃ。受粉で増えるぶひぃ」
「ちょいちょいちょいちょい! おかしい、図鑑見るのは、おかしいよね!」
私の指摘に、「しまった」というような顔をした後に、オークは頭をポリポリと掻いた。
「ここら辺は住処と逆だから、あんまり詳しくないぶひぃ」
「んもおおおおおおお! せっかく私の中の評価上がってたのになぁああああああ!」
オークと言い合いをしていたら、近くの草の群生地帯から、ガサガサッ、という大きな音が聞こえてきた。驚いた私達は、咄嗟にそちらの方向を向いたのだが、物音の正体が分からない。
「これ、平気? 逃げた方が、良い?」
「ここら辺は怖いから、もう帰るぶひぃ!」
私たちは同じタイミングで、来た道を戻って行った。やっぱり走るのが苦手なのか、オークが私に遅れる様に、どたどたと着いてくる。でも、そんなオークを気にしている余裕は私には無い。もしもモンスターと対面してしまったら、私には為す術がないのだ。しかし、そんな私たちの焦りも、杞憂に終わってくれた。いつもの森の、安全な場所に辿り着いた頃には、私もオークも息がすっかり荒くなっていた。オークは森の奥の方を見据えていたけど、私は自分の呼吸を整えるので、精一杯になっていた。でも、少しずつ呼吸が整い、周囲に落ち着きが戻ると、そこはもう、平常通りのいつもの森になっていた。
「……今日は為になったぶひぃ?」
「……まあ、ありがとう。私があんまり詳しくないの。分かったし」
「それは良かったぶひぃ。また、来るぶひぃ!」
オークが納得したかのように何度か頷くと、その身体を村の方へ向け、森の出口へとどんどん進んで行ってしまった。私も慌てて着いて行くのだが、ふと、逃げる時に持ってきてしまったら何かの卵の事を、思い出してしまった。
「……この卵、どうしよう」
恐る恐るオークに声を掛けると、オークが驚いたようにこちらに振り返り、私の手の中にある卵に目を向けたようだった。
「……持ってきちゃった物は仕方がないぶひぃ! 卵の持ち主に見付かる前に、早く帰るぶひぃ!」
オークがぐいぐいと私の背を押しながら、どんどんと森の出口へと私を押しやって行く。あまりの強引さに文句の一つでも言ってやろうと思ったんだけど、慌てた様子のオークにその感情も引っ込んでしまい、私もオークも早足でその森から出て行ったのだった。
◆
ギルドに帰った私は、せっかくだからとオークに夕飯を振る舞う事にした。今日の事に対しての、せめてもの感謝の気持ちだ。
「ありがとうぶひぃ、アリーさんのご飯、美味しいぶひぃ」
「そう言ってくれると、作り甲斐があるよ」
私はひらひらと手を振って、水差しを取りに行った。
「そう言えば、あの卵、どうしたぶひぃ? 育ててみるぶひぃ?」
「あー、それなんだけどね……」
私は、料理を指さした。
「その卵料理は、それです」
「おかしいぶひぃ! 絶対におかしいぶひぃ!!!」
オークは天井に向かって、咆哮を上げた。
「え、私、なんかおかしい事、した? 卵は、貴重な食料です!」
「絶対に育てるフラグが立ってたぶひぃ! 食欲に負けるとか、とんだゴリラぶひぃ!」
「なんですってぇ!!!」
その夜は、賑やかな食卓だった。とても賑やかだった。
賑やかすぎて、打撃的な音が聞こえてくるくらいだった。
夜が明け、翌日の朝、私が村長とすれ違った時に「なんかほっぺ、赤いよ? どこかにぶつけた?」と尋ねられてしまった。でも、大した事は起きていないので、大丈夫、とだけ返し、村長から離れて行った。
さてさて、今日も一日、良い天気だ。勉強が捗りそうだなぁ。
登場人物
アリー:冒険者ギルドの受付……?
オーク:モンスター……?