21話 その湖にて
「はぁ……やっぱり綺麗だなぁ……」
腕に通した腕輪から、私は目が離せなくなっていた。
重さを感じないので金属で出来ているわけではなさそうだ。もしかしたら、私の知らないとても軽い金属があるのかも知れないけど、そもそも原料なんてどうでも良い。陽に透かせば虹色に光り輝き、装飾として施された細かな宝石が、幾重の星空のように私の目の中で瞬いていた。陽の入る角度や見る者の角度によっては、二度とは出会えないだろうその色調から目を離す事はできず、私の心を夢中にさせた。
「はぁ……ルシファーに返さないとなぁ……」
あまりの美しさに感嘆の吐息をつきながら、私は呟いた。
そう。
そして、ギルドの看板娘としては、忘れ物は当然持ち主に返すべきだと思っている。
だが問題があり、私にはルシファーに出会う術がない。なので、いつになったらルシファーに返せるか全く予想も立てられず、困ってしまっているのだ。
でも、私が困る必要なんて無い事は知っていた。だって、ルシファーがこの村に戻ってくるまで大事に保管しておけばそれで終わる話なのだから。ルシファーの住民登録はトーン村だから、普通に考えれば最低でももう一度はここに帰ってくると思う。だから、再び出会うチャンスは絶対にあるはずなのだ。
ところがどっこい! こんなに素晴らしい腕輪を易々と保管できるほど……私の心は強くなんてなかったの……。
本当は、見付けた当日に布で丁寧に包んで箱にしまい、受付側の金庫に入れたんだからね?
でも、やっぱり防犯……的な安全性が気になるじゃない? ほら、ギルドの受付なんて誰だって覗けちゃうし。そもそも、ギルドは誰でも入店ウェルカム状態だし。そう思うと心が休まらなくって、ついつい隠し場所を私の部屋に移しちゃったのさ。
でも、それでもダメ。自分の部屋になんか保管してたら、きっと忘れちゃうって、そう思ったの。だから、私が良く行き来する場所で、あんまり人が立ち入らない所……そう、台所の引き出しにしまう事に決めたんだ。
これでルシファーが来るまで一安心の万事安全だと思ったんだけど、私の心は、忍耐力が無かった……。
料理をする度についつい引き出しを開け閉めして、ついでに箱も開け閉めして、その輝きを目に入れてしまっていたの……。ううっ、堪え性が無くてごめんなさい……。でも、綺麗だったから気になっちゃうんだもん……。
防犯も、物忘れも、まったく理由になってない事は、私は自覚的に分かっていた。
それでも理由をつけて、自分がいつでも取り出せる、手の届く範囲にそれを置いてしまった原因は、もう、一つしかない。
本音を言うと、片時も手放したくない。ルシファーに会えないのは残念だし悲しいけど、それ以上にこれを返すなんて、もっと悲劇的な別れになってしまうと思ってしまうんだ。それほど、私の心にその魅力が住み着いてしまっているのだ。ううう……頭ではダメだと分かっているんだけど……もう抗えない……。
「はぁ……本当に大変な物を忘れて行ったなぁ……。ルシファーは……」
◆
「アリーさん! オデと森に行くぶひぃ! 川が溢れた原因が、たぶん分かったぶひぃ!」
私がテーブルに肘をつける姿勢で腕輪に見入っていたら、毎度おなじみオークが入って来た。なんか最近は毎日と言って良いくらい私の家にお邪魔してくるから、住民登録の話とか移住の話をしてみようかなぁ。
「ねぇ、オーク。オークは私と暮らすの嫌?」
「……ぶ、ぶひぃ?! アリーさん、急にどうしたぶひぃ?! そんな事言われたら、顔が赤くなっちゃうぶひぃ!!」
「へっ……? えっ、あっ、違っ! この村で一緒に……、一緒じゃない! オークが森じゃなくて、こっちに引っ越してきたらどうか、って話だよ! 誤解しないで!」
腕輪に目も心も奪われていた私は、危うくと言うかだいぶ危険な言葉を口にしてしまったみたいだったけど、うん、気付いたからセーフ。ノーカンノーカン。オークが「プロポーズされた気分だったぶひぃ……」と言いながら顔を赤くしているが、そんな風に言われると、私の顔も赤くなってしまうじゃないか……!
「そ、それで今日は何の用なの? 川って雨で溢れたあの川? 岸辺が崩れただけじゃないの?」
「ち、違うぶひぃ。そもそもあの程度の大雨だったらオデがこの村に来る前にも何度も何度もあったと思うぶひぃ。でも、川が氾濫を起こしたのはあの日が初めてだったと思うぶひぃ。それで、オデ、ちょっと川の上流を見てきたぶひぃ。あの小さな川は、森の奥に続いているぶひぃ。その上流を目指して、オデはどんどん歩いていったぶひぃ。そして、目的地の湖に着いたぶひぃ」
「湖? 森に湖なんてあるの?!」
「森の奥にあるぶひぃ。アリー村の皆は本当に森の最初の地点、数字で表すと5%くらいの場所までしか入って来てないぶひぃ」
「それは……モンスターがいるから仕方がないなぁ……。それで?」
「湖の出口……川の始まりぶひぃね、そこは普通なら、横倒しになってる木々である程度塞がれていて、適度な量の水しか流れ出てないぶひぃ。でも、今はそれが崩壊していて、湖の水が勢いよく流れ出てるぶひぃ。だから今でも、川の水流はいつもより激しいぶひぃ?」
「う、うん……。雨で川の水が増えたにしては、いつもより戻りが遅いとは思ってたけど……」
「だから、今日はそれをアリーさんと直しに行くぶひぃ!」
◆
「ううっ……怖い……。ほ、本当に大丈夫なんでしょうねぇ……。ううっ……何か出そう……」
「安心して……は難しいぶひぃね。でも、今回の目的はモンスターじゃないぶひぃ。だから、なるべくモンスターのいなさそうな道を通ってるぶひぃ。いざとなったら川に入れば、森から出て下流まで流されて行けるぶひぃ」
「う……浮輪持って来れば良かったのか……失敗、失敗しちゃったよ……」
「オデは浮くぶひぃ。だから安心するぶひぃ」
オークの気休めにもならない言葉を聞きながら、その森の中を川沿いに、恐る恐るながらも奥へと奥へとその足を向かわせた。本当はその場から動くのも嫌だったけど、前を歩くオークがどんどん進んで行ってしまうのだから仕方がない。見失ったらもうおしまいだ。私は生きて、ここから出られなくなってしまう。
森の奥、と言うほどなので、出発前にどれくらい歩くのか聞いてみたけど「オデの住処よりちょっと向こう側ぶひぃ」と、とても曖昧な返事が返ってきただけだった。というか、オークの住処付近じゃグリズリーが出るんじゃないのかなぁ! 食べられちゃうんじゃないのかなぁ!
「お、オークぅ……。おんぶ、おんぶしてよ……」
「頑張るぶひぃ。アリーさんが湖まで行けたら、今後の森への冒険が気分的に楽になるはずぶひぃ。冒険者が一番持ってはいけないのは、無用な恐怖心だぶひぃ。もちろん恐怖の全てを否定する気はないぶひぃ。でも、木々から生える葉の重なる音に怖がってちゃ、物事の本質に気付けなくなるぶひぃ。その判断ミスこそが、冒険者には命取りぶひぃ」
「あ……後で……。そう言うのは帰ってから聞かせて……」
私はもういっぱいいっぱいだった。そっと首から掛けていた笛を口にして、軽く吹いてみた。
「ぴ~……ひょろろろ~……」
「うっ……、なんか耳障りな音が聞こえてきたぶひぃ! アリーさん、それやめるぶひぃ!」
「ひょろ! ひょろろろろろろ~!!!」
「あ、アリーさん! それダメぶひぃ! 吹いちゃダメぶひぃ!」
オークが急にしゃがみ込み、何かを探すかのように、近くの木々の根の部分を両手で探り始めた。
と思ったら、大き目の実を二つ見つけ出し、それを自分の耳に詰め込んでいた。
「ぶひぃ……頭が割れるかと思ったぶひぃ……。アリーさん! オデに何の恨みがあってそんな事をするぶひぃ?! オデ、返事次第じゃ怒るぶひぃ!!」
「ぴ~……ひょろろっ?」
「ああっ! 耳栓のおかげで何も聞こえないぶひぃ! でも、アリーさんの声も聞こえなくなっちゃったぶひぃ! もう良いぶひぃ! 何かあったら背中叩くぶひぃ!」
オークは私に向かって言葉を投げかけると、くるりとまた背を向け、目的地に向かって歩いて行った。
そんなオークに向かって、私は置いて行かれないように小走りに隣に駆け寄り、そっと右手を繋いだ。
オークは私の方に顔を向けたけど、何も言わずにまた前を向き、鼻歌を歌いながら歩みを続けた。
ふぅ……おんぶはダメみたいだけど、手を繋ぐのはセーフだったみたい。良かった良かった。
それにしてもこの笛、とんでも無く使えるじゃないか! スライムとかラビットみたいな弱いモンスターにだけ効くのかと思っていたけど、オークにも効くのなら大抵のモンスターには通用するんじゃないかな? ふふふ、なんか急に元気が出てきたぞ。この笛さえあれば、モンスターは寄って来ない! モンスターなんて恐れるに足らず! ウハハハハ! ウハハハハハ!!!
◆
「ふぅ……ようやく到着したぶひぃ……」
「うわぁ……凄い綺麗……。怖い森に……こんな綺麗な湖があるなんて……凄い……」
その光景を目にした時は、森から出ちゃったのかな、と思ってしまった。
でも、そこは確かに森の中に存在している広い空間だった。木々が何重にも重なっており、一見しては暗く感じるが、合間に抜ける爽やかな風がその葉を揺らすと、木々に囲まれていた湖に光の輝きが差し込んで来るのだ。そしてそれは水に反射し、森の中にいながらも、キラキラと、まるで光の世界にいるかのような心地に私をさせてくれた。耳に響く風の音と鳥の
「じゃあ、アリーさんは少し休んでいてほしいぶひぃ。オデが水中の倒木をどうにか増やして、直してみるぶひぃ」
「うーん、ここって誰かが意図的に水の出口を塞いでるんだよねぇ? 誰がやったのかなぁ? ずっと昔に、村に住んでた人がやってくれたのかなぁ?」
「ぶひぃ……そう考えたいけど、たぶんこれをやったのは野生の動物か水生獣……モンスターぶひぃ。木を切り倒すビーバーは知ってるぶひぃ? それに似てるやつがきっとやっただけぶひぃ。村もきっと、流れが緩い川があったから作られただけぶひぃ。村が作られたから穏やかな川になった、なんて考えるのは難しいぶひぃ。物事には順序があるぶひぃ」
「うーん……そうなのかぁ。でも、オークが言うならそうなんだろうなぁ」
私はその場をオークに任せて、湖の周りを少しばかり歩いてみた。それにしても、こんなに綺麗な場所だなんて知っていたら、お弁当でも準備してくれば良かったなぁ。それにシートとか。風が気持ち良くて、眠くなっちゃうなぁ。
ふと、オークの方を見てみると、距離が離れてしまったので詳細までは分からなかったが、湖に入って、どうやらバシャバシャと頑張っているみたいだった。
私は、ごろんと横になってみた。両手を上に伸ばして身体を伸ばす。うん、とても気持ち良い。
何の気なしに、視線を右に向け木々を見てみる。陽射しによって時に明るく、時に暗く、本当に不思議な場所だ。
視線を湖に動かすと、水から岩が生えているのが目に入った。
あの上に座って、足首だけ水に沈めたら気持ち良いんだろうなぁ……私もやってみようかなぁ、あの人みたいに……。…………人? んん……? 誰かいるぞぉ?!
◆
その場からそっと立ち、その岩までそろりそろりと近付いてみた。
私に気が付いているのか、いないのか、その人は足元をバシャバシャとかき混ぜている。
そして、近付いて分かったのだが……それは、どうやら人ではなく、モンスターの類だと気付いた。
一番のおかしな点は、その肌の色である。透けているというか青みがかっており……うん、私にはすぐに気付く事ができた。どうやらスライムが人の形に化けているようであり、水と戯れているのだ。
私はそいつのすぐ近くにまで寄った。あのスライムがこちらを向いたら、一巻の終わりかもしれない。
それでも、私は近付いてしまった。どうしても、恐怖を感じられなかったからである。オークの話を聞いていたから落ち着いていたのか、それとも笛もあるし、スライムになら負けないだろうという謎の自信もあったのかもしれない。もうどちらでも良い。私は、スライムから目が離せなくなっていた。
(…………アナタ ダアレ?)
「……えっ!? 何? 誰か近くにいるの?!」
私は周囲を見渡すが、付近に誰かがいる気配は全くしなかった。目の前の岩に座っているスライムが、こちらを見て微笑んでいるが、モンスターが喋るわけがないじゃないか! いや、オークは別だけど……。
(アナタ ダアレ?)
「……ね、ねぇ。話し掛けているのは、あなたなの? でも、スライムが言葉を話すなんて……」
(アナタ オモシロイモノ モッテルノニ タノシイネ)
スライムがクスクス笑いながら口元に手をやり、――――どう見ても人と同じ行動だ――――私に話し掛けてくる。
「お……面白い物なんて……持って……」
と言いながら気付いた。スライムに夢中で気付かなかったが、どうやら私が腕に付けていた腕輪が、スライムの言葉に合わせて仄暗く光っていたのだ。
もしかして……と思い、それを外してみる。スライムの方に話し掛けてみるが、何も返事は返ってこない。もう一度腕輪を腕に付け、スライムに話し掛けてみる。今度は「ナニ ヲ シテイルノ?」と声が聞こえた。そうか、これはそう言う物なんだね……。ルシファー、ごめんなさい、使わせてもらいます!
「わ、私は湖の倒木を直しに来ただけだよ! ほ、ほら! あそこにオークがいるだろ!」
(…………ホントウ ダネ アナタ オヤスミ?)
「……うん、私は休んでて良いって言われて……」
我ながら、不思議な経験をしている事は、凄く実感できている。でも、非現実的すぎて、頭の中が追いついてない部分もある。だって、モンスターと話せるなんて経験、滅多にないと思うから……。
「そ、それより! スライムは人を襲うのを、やめなさい! こら! ダメでしょ!」
(……ナゼ? イキルノ ジャクニク キョウショク ヒト イウ)
「そ……そうだけど……ううっ……良い反論が思い浮かばない……」
(ソンナコト ヨリ……)
スライムが岩から滑るように水の中に入り、一度潜る。そして、また浮かんだかと思うと、私の方に寄って来た。スライムは水辺に漂い、私はそのまま、岸に立ち尽くしていた。
(ソンナコト ヨリ ソレ チョウダイ)
「えっ……それって……こ、これはダメだよ! 私のじゃないもん!」
スライムは私の腕輪の方に指先を向け、軽い調子で
でも、これはダメだ。ルシファーの忘れ物だし、そもそもモンスターに渡して良いような物じゃない気がする。きっと、光って綺麗だから欲しがっているだけだろう。私はそう思ったので、交渉を始めてみた。
「こ、これじゃないのなら……ほら、美味しい木の実とか取って来てあげるよ?」
(ソレ チョウダイ)
「うーん……あっ、そうだ! もうスライムが人を襲わなくなるなら、考えてあげる!」
(ソレ チョウダイ)
「むむむ……綺麗な物が好きなら、村に連れて行ってあげるよ?」
(ソレ チョウダイ)
どうしてもスライムはこれが欲しいらしい。でも、どうしてもこれは渡せない。そもそも、交渉になっていないような気がするんだけど、どうなんだろう? モンスターにはこっちの言う事があんまり理解できないのかもしれない。でも、さっきまでは普通に会話? をしていたんだから、通じてると思うんだけどなぁ……。
やり取りに疲れてしまった私は、オークの方に目を向ける。オークは一仕事終えたのか、岸に上がって体の水気を手で払っている。そろそろ帰る準備もしないといけないかな。私はふう、と一息ついて、スライムに最後の挨拶をした。
「オークが終わったみたいだから、私もう帰るよ? ばいばい?」
(……………………ニガサ ナイ!!!)
スライムの叫びの聞こえたかと思うと、辺りの雰囲気は一気に変わった。
さっきまでの
(ニガサ ナイ!!!)
スライムの二度目の声の後に、湖の様子が一変した。今まであった何もかも受け入れるかのようなが静けさが消え去り、水面が慌ただしく震えだしたのだ。私が驚いて動けなくなっている間にも、湖の異変は続く。
スライムの後ろから何本もの水柱が立ち、その合間を縫って……まるで触手のように水がウネウネと動いているのだ。それが目に映るだけで……いや、自分の危機も相まって、数えきれないや……。
「…………なに、するの?」
辛うじて口から出たのはその声だけだった。オークの方に助けを求めたかったけど、目を離した瞬間に私は死んでしまってるかもしれない。いや、違うかもしれない。単に恐怖で目が離せないのかもしれない。嫌だ……。こんな所で死にたくなんか、ない! オークだって、モンスターが出ないようにするって言ってた! 嘘つき! でもスライムだからと油断してた私も悪いのかもしれないけど!
(アナタ イラナイ ソレ ホシイ サヨナ
「待って! 貸してあげる! 貸してあげるがら助けて!!!」
私は最後の勇気を振り絞って、声を張り上げた。もう、自分が何を言っていたか良く分からないし、ちゃんと声に出ていたのかも分からない。それでも、死ぬなんて嫌だっだ! 私は腕のそれをもう片方の手で引き抜き、スライムに向かって投げつけた。水に向かって、投げ入れた。そして、泣いた。
「う゛わぁああああああああん…………いやだよう! 死にたくないよう! う゛わぁああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「アリーさん! 大丈夫ぶひぃ?!!!」
オークの声が聞こえたかと思ったら、横から衝撃を受けて真横に吹っ飛ばされた。
でも、地面に激突する事は無く、そのままグルグルと、地面を転がっていたような気がした。
きっと、オークが私の身を庇って、抱きしめてくれているのだろう。私には、それを確認する暇も余裕も、無いんだけど。
「ぶひぃ……。……もう、大丈夫だと……思うぶひぃ……」
「…………」
私はオークの陰から、顔をちょこっとだけ出してみた。確かに湖は、静かになっていた。
だが、水辺には、まだ、あいつがいた。私は怖くなってまたオークの陰に隠れようとしたのだが……どうも私の感覚は麻痺してしまっているらしい。先ほどあんな目にあったにも関わらず、あのスライムの様子が気になって仕方がなかったのだ。
スライムはいつの間にか水中から拾い上げたのか、先ほどの腕輪を見つめていたかと思うと、それを
「……それ、首輪じゃないよ」
私が声を掛けると、スライムはこちらを向いた。もう、先ほどのような敵意は感じられない。
「それ、腕に付けるんだよ」
「ええ、ホンライはそのよう……デスね……」
急にスライムの口から声が聞こえたので、私は驚いてしまった。そして、さっきよりも、何というか外見がしっかりしているというか……スライム特有のぐにゃぐにゃ感が減っているような気もしたのだ。
スライムが喉元を抑えながら、「あー」とか「らー」とか声を出している。発声練習のようなものだろうか。それにしても、モンスターの考える事は良く分からないし、生体も良く分からない。スライムのくせになんか人型だし、変に色っぽく見えるし……スライムに雌雄なんてあったのかなぁ?
「あー……うン、これで良いワ。ごめんネ、アリー」
スライムが私に微笑みかける。そして、何という事か、人の名前まで呼んでいるのだ。
「…………絶対に許さないんだから。私が本気を出したら、スライムなんて消し炭なんだから……」
「フフッ、それは怖いわネ。でモ、どうしてもこれガ、必要だったかラ」
「…………やり方が、卑怯だよ。殺すつもりだったくせに……」
私の恨みの籠った目線に気付いたのか、スライムは軽く目を逸らし、「フフッ」と鼻で笑った。
「瘴気のせいで理性ガ、ネ。…………私たちも必死なのヨ?」
「笑気のせいで理性が……? 何も面白い事なんて無かったじゃん! ばかばかばか!!!!」
「……アリー、こレ、借りるわネ。あなたガ、必要になったラ、またここデ、会いましょウ」
スライムが最後にそう告げると、その身体を水の中に沈め……いや、溶け込ませたのかも知れない。そのまま水の中に消え去り、あたりは静けさだけが残っていた。
「……………………はぁ。もう、本当に死んだかと思った……」
私はよたよたと立ち上がる。でも、やっぱり怖かったのか、足が震えて上手く立てない。生まれたての小鹿みたいになってしまった私だったが、オークがそっと肩を抱いてくれた。
「はぁ……もうスライムだからって油断できないよ……。トラウマになったかも……」
「……オデ、あれはスライムじゃないと思うぶひぃ。まず、声…………セイレーンぶひぃ? でも、水を操る……水霊……聞いた事あるぶひぃ……。ウンディー…………」
オークは何かを考えているのか、私の声も聞こえていない様子で、彼方を見ながらブツブツと呟いていた。
「……おい! もう帰るんだから……って、オークの太もも濡れてるよ! ああっ……私の方も濡れて……あっ、下着まで濡れてるよぉ……もうやだぁ……」
そういえば、オークが今まで水の中にいた事を思い出した。そして、うん、私を助けてくれた事には本当に、本当に感謝しているんだけど、オークの乾いていない水気が私に移ってしまったのだろう。
本当は素直にお礼を言いたかったんだけど、流石に今日のは……恥ずかしい。だから、ちょっと怒ったふりをしながら、オークと一緒に村に帰ろう。それで、今日はもうおしまい!
「ほ、ほら、下着まで濡れて……オーク! 身体はちゃんと拭きなさい!」
「…………オデじゃないぶひぃ。……とても言い辛いぶひぃ、アリーさん、匂いが……」
オークがそっぽを向きながら、私に話し掛けてくる。あれ、この展開、もしかするとだよ?
私は、ちょっと確認してみた。
いや、流石に恐怖で…………なんて…………いや…………うん。
「……オデ、何も知らないぶひぃ」
はい、ごめん……なさい……。
私はのろのろと湖に近付くと、下半身を水に浸けこむ事にした。
だって濡れてるんだもん。これ以上濡れても、全然違わないよ……。
そんな私の行動にオークは優しい眼を向けるんだけど、勘弁してほしい気持ちでいっぱいだなぁ……。
登場人物
アリー:湿り気娘
オーク:きっと、オデが濡れてたせいだぶひぃ!
???:フフッ