「いやあ天使殿は居るかね?」
商会の事務所に入って来て言うのは年齢不詳の長い黒髪を背の後ろで纏め、白衣を着た美人。
「先生、良いんですかここに来て・・・診療所の方は?」
その姿を見て私は溜息を付いて聞く。
「休診時間さ、まあ私の所に来るなんて物好き、そう多くないだろう。」
どや顔で言う台詞では無いと思うが、何を言っても無駄だろう。
「あ~先生だ~いらっしゃ~」
私と共に事務所にいた本音が何時もの調子で出迎える。
「おお~本音ちゃん、来たよ~」
本音の真似(?)をするこの美人さんは名を須藤美波、一応医者なのだが。
更識商会の近くで診療所を開いている人だが、医者と言うより変わり者として知られている。
その変わり者の医者に私は何故か気に入られているのだ、これといって何かした訳ではないのだけど。
その彼女との出会いは数週間前に遡る。
それは更識商会にハンターギルドから緊急の依頼が入った事に始まる。
北方海にある島の一つで伝染病が発生し、早急にワクチンと医者が必要となったのだ。
そして更識商会にはそのワクチンと医者の緊急輸送の依頼を受けたのだ。
実はこういった依頼はうちの商会では珍しい話では無かったりする。
北方海に存在する島々には医者や病院が無い所も多い、また航行中の船で救急患者が発生する事も結構あり、医者や患者の輸送を頼まれる事が多い。
もちろん依頼されるのはうちの商会だけでは無い、だからこちらに来ると言うのは、時間が無い事と共に危険度が高いものだと言う事になる。
今回の伝染病は病状の悪化が急で、しかも目的地の島、F島へ向かう最短航路はシーサーペントが多数出没する海域を通る。
「ワクチンの方は既にまほろばに届いているんだけど、問題は医者の方ね。」
更識商会の会長である姉は困った表情を浮かべ私に言う。
「医師ギルドの方で揉めているわ。」
こういう事態に派遣される医師は当然ギルド所属の者が選ばれる、だが医者だって人間だ、出来ればこういう危険度の高いものは避けたいと思うだろう。
どうやらそれで中々決まらないみたいだ。
「緊急~なのに~ね~」
本音が、彼女には珍しく怒った様な表情を浮かべて言う。
私も同じ気持ちだが、無理強いは出来ない。
「まあギルドもお役所仕事だからね、一応決まったらここに来てくれる事になっているんだけど。」
姉が顔をしかめて言う、彼女はそのお役所仕事に毎回悩まされているだけに余計腹が立っているみたいだ。
「失礼、ここが更識商会かい?」
そんなところに誰かが事務所に入って来て私達に声を掛けてくる。
「はい、そうですが、貴女はもしかして?」
姉がその人物を見て聞いている。
「ああ、ギルドから言われてね・・・」
姉の問いにその人物、白衣を羽織った女性が答える。
何だかやる気の無さが滲み出ている姿に私と本音が、顔を見合わせる。
「それはご苦労様です、私は更識商会会長の更識 楯無です。」
「・・・須藤美波、よろしく・・・」
本当に彼女は医者なんだろうかと私は心配になる、傍らの本音も同じ気持ちなのか困惑している。
一方姉の方はまったく動じていない、交渉事で様々な相手と接しているからだろうか?
「それではお願いしますね、か、更識艦長、須藤医師をご案内して。」
「・・・分かりました。」
姉の言葉に私は頷き、須藤医師を連れて商会を出る、少々の不安を持って。
専用桟橋に着きまほろばに乗艦すると、私は須藤医師と共に艦橋に向かう。
既に相川副長と乗員の娘達は配置に着いて待機してくれている。
「お早うございます艦長、出航準備は全て完了してます。」
「ありがとう副長、直ぐに出航します、あとこちらが今回同行される須藤医師です。」
副長の報告を聞くと私は出航指示をすると共に須藤医師を紹介する。
「須藤医師ってまさかあの?」
須藤医師と聞いて相川副長が驚いた表情を浮べて言う。
「副長は彼女の事を知っているんですか?」
「はい、その・・・かなりの変わり者、いえ何でもありません。」
答えようとした相川副長は、須藤医師を見て慌てて言葉を濁す、もっとも肝心の彼女はそんな副長を気にせず、艦橋内を見ている。
「そうですか・・・兎に角出航しましょう。」
「了解です艦長。」
その辺の話を聞きたかったが後回しにする。
「錨を上げて下さい、前進微速。」
「錨を上げます。」
「前進微速。」
まほろばは桟橋を離れ出港する。
「めったに診療しない医師、あの先生って医師ギルドじゃ有名らしいですね。」
乗員の娘が須藤医師を居住区へ連れて行った後、相川副長がそんな事を教えてくれた。
医師ギルドにいる相川副長の友人からの情報らしい。
「加えてあんな感じでしょ?ギルドでも頭を抱えているって言ってましたよ。」
まああんなやる気の無い様では診てもらいたい人間など居ないだろう。
「かと言って腕が悪い訳では無いみたいだし、前に他の医者が見逃した症状を見つけて治療した事があった様ですよ。」
ギルドにいる相川副長の友人曰く、中央海に有った大病院に勤めていたという話しだ。
それがこの北方海へ流れて来た、その理由は副長の友人も知らない。
「・・・須藤医師の事はもう良いでしょう、航海長、航路の設定は完了しましたか?」
副長との須藤医師についての会話を切り上げ、私は航海長に聞く。
「はい完了です艦長。」
艦長席を立ち海図テーブルを覗き込む。
「こちらにある岩礁の退避港が最初の寄港地点です、ここで夜を明かしF島へ向かいます。」
F島への距離は港からかなり有り、到着には一昼夜は掛かる、そうなると危険な夜間航行をしなければならなくなる、だからF島近くの岩礁にある退避港で夜の明けるの待つ予定なのだ・・・正直言えば出来るだけ早く着きたいが、安全も考えなくてはならない。
「あと天候ですが夜半に悪化するとの事です。」
それもまた退避港に停泊する理由の一つでもある。
「分かりましたそれで行きましょう。」
「はい、艦長。」
航海長が頷いて返答する。
深夜近くにまほろばは退避港に到着し、そこに投錨する。既に海上はかなり時化てきていた。
艦橋からその光景を見ていた私が時計を見ると、そろそろ交代の時間だと気付く。
「艦長、相川 清香指揮交代いたします。」
そう言って相川副長が同じ交代要員の娘と一緒に艦橋に入ってくる。
「それでは後をお願いしますね。」
引継ぎを行い、私は当直だった娘と共に艦橋を出る。
「ご苦労様でした。」
「はい艦長もご苦労様です、それでは失礼します。」
部屋に戻るというその娘と挨拶を交わし、私は寝る前にお茶でも思い食堂へ向かった。
艦内の食堂は食事の他に会議やちょっとした集会に使われる場所だ、と共に常時休憩場所としても使われる。
お茶なども何時で飲める様に主計班の娘達が用意してくれている。
そんな食堂に入ると既に先客がいる事に私は気付いた。
通常、この時間帯は休んでいる娘達が多いので、私の様に当直明けにお茶という者くらいしか居ないもだけど。
「須藤先生?」
その先客はあの須藤美波医師だったのだ、入れたお茶を前に私を見る事無く、中を見つけている。
「おや艦長殿かい?」
相変わらず中を見つめながら須藤医師が話し掛けてくる。
「はい、先生は眠らなくても良いんですか?」
「そんな気にならなくてね・・・」
それっきり会話が途絶える、何と言うか話が続かない。
私は自分で入れたお茶を飲みながら彼女を何となく見る、こう見ると結構な美人さんだ。
ただ全体から出ているやる気の無さが全てを台無しにしているけど。
兎に角お茶を飲み艦長室へ戻ろうとしていた私に彼女が唐突に話し掛けてくる。
「艦長さんは・・・今までに自分の仕事を途中で放り出した事あるかい?」
何故そんな事を聞いてきたのだろうか?唐突過ぎて私は困惑する。
「・・・まあ自分から放り出した事は無いですね。」
こういう仕事だから様々な理由で完遂出来なかった事は結構あったが、少なくとも自分から放棄した事は無かったと思う。
「へえ・・・責任感あるんだね艦長は。」
皮肉ぽっい感じはしなくも無いけど、それ以外の何かが有る気がする。
「そんな高尚なものじゃありませんね、唯の意地ですよ。」
肩を竦め私は答える、そう責任感や使命感なんてものじゃない、それは私の意地だ。
「意地かい?」
今までと違い、彼女は私の方を見て話しをしてくる、表情は変わらないが目だけは真剣だ。
「はい、何があっても最後までやるという私のね、結構諦めが悪いですから。」
自嘲気味に私は答える。
「ふっ、天使にしては俗物的だね、まあ全てのものを救いたいからなんて言われたら引いただろうけど。」
俗物的だろうか?あと天使にしてはいらないですよ先生。
「ふむ・・・気に入ったよ艦長、少しいいかね?」
彼女が私の何を気に入ったのかよく分からず困惑する。
そんな私に彼女は話し始める・・・ある女性の物語を。