一ヶ月前
イリオモテ島・退避港
名無し猫・会議室
「戦術データ交換と合同演習ですか?それも中央海との・・・」
呼び出しを受け会議室に来た簪は姉と共に来訪して来た千冬にそんな依頼をされる。
「ああ中央海のとある商会がギルドを通してな・・・それもお前さんを指名してだ。」
会議室には簪と清香の艦長組みと副長真耶の艦隊最高幹部にギルド長であり艦隊司令官の千冬、幹部であり商会長の楯無が居る。
2人は当初艦隊の視察として名無し猫を尋ねて来たのだが、真の目的はこちらだったのだ。
「私の名ですか?守護天使の・・・」
同じ業界の人間だけでなく、一般人の間でも有名になってしまった天使の二つ名の所為かと簪は少々鬱になる。
「いや更識 簪の方でだ、ちなみに指名して来たのはブルーマーメイド商会作戦部長の宗谷 真雪だそうだ。」
そう言って千冬はにやりと笑う。
「中央海の巴御前か・・・かなりの大物じゃないか更識艦長、知り合いだったとは知らなかったぞ。」
世界最強と言われたブリュンヒルデにとっても大先輩に当たる人物だ。
「中央海の巴御前ってまさかあの・・・?」
清香が驚いた表情で聞いて来る。
「かって数十匹のシーサーペントを単船で撃破した伝説の艦長さんですよね。」
真耶もまた驚きを隠せない様だった。
はいふりの世界で多数の武装船を相手にした伝説が、この世界ではそんな話になっていたのだ。
そんな有名人物から名指しされるという事にその場の者達が驚きを隠せないのは当然だった。
「私が中央海の海洋学校に居た時の恩師ですよ。」
肩を竦めて簪は答える、まあ彼女も真雪が中央海の巴御前と呼ばれていた事はもちろん知っていたが。
「なるほどその頃から更識艦長を高評価していたから、天使ではなく更識 簪で指名してきた訳か。」
それは買い被りではないのかと簪は思うのだが。
「それで簪ちゃんはどうするのかしら?」
姉である楯無が聞いてくる、簪は暫し考えてから答える。
「私は受ける積もりです、宗谷校長先生には在学中に世話になりましたし。」
宗谷校長の自分への評価とは別に、在学中受けた恩もあり簪はその申し出を受ける事にした。
「そ、そうなんだ・・・」
楯無が簪の答えに何となく面白くなさそうに答えるのは、自分が知らない相手と妹が親しそうだからだ。
(簪ちゃんがあんなに嬉しそうに・・・相手は一体誰なの?)
考えている事が表情に出ており千冬は苦笑する。
もちろん簪の海洋学校時代の事は楯無も聞いており、明乃達の事も知っているのだが、教師陣については初めて知る話だったのだ。
「分かったそれでは更識艦長、君とそうりゅうは一週間後中央海へ向かってもらう・・・更識会長構わないな?」
千冬は簪にそう指示すると、隣でまだぶつぶつ言っている楯無に問い掛ける。
「・・・えっ、それは、そうだ巨大シーサーペントの問題もあります、そうりゅうを中央海に行かせるのはどうかと。」
聞かれた楯無はそう言って抵抗してしまう、かっての友人達や宗谷校長に簪を取られてしまうのではないかと思ってしまったからだ。
「巨大シーサーペントについては、先の戦いで相当なダメージを与えた上に今の時期流氷に阻まれ出て来れない、そう判断された筈だが。」
前回、中央海から来た学者一行を乗せて巨大シーサーペントの生息地に行った際の戦闘で、当面の間封じ込めに成功したと、艦隊司令部は判断したのだ。
「それはそうですが・・・」
楯無もその判断に同意したのだから説得力は無かった。
「今後は南方海だけではなく中央海とも連携する必要がある事は更識会長も認識している筈だ。」
「・・・・」
千冬の指摘に楯無は黙る、彼女とてその辺の重要性は認識している、商会長として艦隊の幹部として。
「まあ気持ちは理解出来るが、もう少し妹を信じてやれ、彼女は今まで君をないがしろにした事あったか?」
「会長、いえ姉さん、私はちゃんと戻って来ますから・・・ここは私にとって大事な人達の居る所なんですから。」
簪は千冬の言葉に合わせて楯無に微笑みながら話し掛ける。
「そうね・・・うん簪御免なさいね、信じているから、気をつけて行って来てね。」
そう言って楯無は簪に微笑み返しながら答えるのだった。
「あそうだ更識艦長、宗谷作戦部長から伝言があった、『貴女にとって係わりの深い者を迎えに寄こします、お互い新鮮な驚きがあるでしょう、楽しみにして置いて下さい。』だそうだ。」
係わりの深い者と言うのは明乃達の事だろうなと簪は気付くが、新鮮な驚きと言う意味が分からなかった。
それが事前に情報を与えず明乃達を迎えに寄こす事だったとは、その時点では簪は思い至らなかった。
簪は忘れていたのだ、真雪は普段は真面目だが、時に茶目っ気を発揮する事を。
こうして簪とそうりゅうの中央海派遣が決まったのだが、実は出発まで色々あった。
まずシャルとクロエが同行を強く希望して来たのだ。
本来戦術データ交換と演習なので2人は必ずしも参加する必用は無いのだが、簪が行くのなら自分達もと言い出したのだ。
ただ簪はシャルは兎も角、クロエについては中央海行きには心配だった。
かって束と共に中央海に居た時に辛い思いを散々していたと聞いていたからだ。
そんなクロエを連れて行く事に簪は躊躇してしまったのだが。
「確かに当時は辛かったですが、今度は簪様がいっらしゃいますから大丈夫です。」
そう言って微笑むクロエは無理をしている様には見えなかった、まあ自分が居るからと言う言葉に簪としては反応に困ってしまったのだが。
あと、シャルがクロエに対抗(?)して、「僕だって前は辛い思いをしていたけど簪のお陰で今は大丈夫になったんだよ。」と言い出し、2人が「僕(私)の方が・・・」と言い争いを初めてしまったのは余談である。
そんな事もあり、簪は2人を説得する事が出来ず同行する事を承諾せざるしか無かったのだった。
そして簪にとって妹的存在の愛里寿、彼女は姉の様に中央海に行く事を反対したり、先の2人の様に同行を希望したりはしなかった。
表面的には有意義な話だと賛成していたのだが、愛里寿の副官兼参謀のルミから彼女が、簪の派遣がきまってから元気が無いと聞かされたのだ。
どうやら愛里寿は簪に気を使い何でも無い様に振舞っていたらしい。
そんな愛里寿にどうすれば良いか悩んだ簪は、ある物を持って彼女に会いに行く事にした。
「こんにちは愛里寿ちゃん。」
「簪・・・」
突然アークロイヤルの隊長室を尋ねて来た簪に愛里寿は喜ぶより驚いてしまった。
「・・・愛里寿ちゃんにお願いがあってね、これ私が帰るまで預かっていて欲しくて。」
そう言って簪が差し出した物は・・・
「これって私が選んだボコ人形?」
前に一度ボコミュージアムに2人で行った事があり、その時に簪が一体購入しようとして迷った時に愛里寿が薦めてくれたのがこのボコ人形だった。
後に愛里寿が簪と同じボコ人形を持ちたくて自分の一番気に入っている物を薦めた事を知る事になる。
「そうだよ、そして私が一番気に入っているボコ人形、だから愛里寿ちゃんにね・・・帰って来たら必ず受け取りに行くから。」
それは必ず愛里寿の元に帰って来ると言う思いを分かってもらう為簪の考えた事だった。
「簪・・・うん分かった預かるね、そうだ。」
簪の思いを知り心の中に暖かい気持ちが溢れる、と同時にある事を愛里寿のは思いつく。
愛里寿は隊長室に置いてあるボコ人形の中から簪の持って来たものと同じ人形を取ると、それを差し出す。
「これ変わりに持って行って簪。」
「良いんですか?」
それが愛里寿にとって一番大切なボコ人形である事を簪は知っていたからだ。
「うん。」
愛里寿は差し出しながら頷いて答える。
「その人形・・・私だと思って・・・その・・・」
言いながら真っ赤になり俯いてしまう愛里寿に簪は微笑みながら受け取る。
「分かりました、これで2人は何時も一緒ですね。」
「うん。」
嬉しそうな表情を浮かべ愛里寿は何度も頷くのだった。
こうして愛里寿を元気付けられた簪だったが、それを聞いたシャルとクロエが嫉妬したのは言うまでも無い。
こうして様々な困難(?)を乗り越え、簪とそうりゅうは中央海へ向かったのだった。
その一連の事を簪は、明乃主催のそうりゅう乗員歓迎会中に思い出していた。
ちなみに場所は晴風の甲板上に設けられた特設会場、大きな横断幕に『歓迎!そうりゅう乗員の皆』と書かれたものが掲げられ、伊良子 美甘(ミカンちゃん)と杵崎 ほまれ(ほっちゃん)、あかね(あっちゃん)の料理係3人組の気合の入った料理が並べられていた。
そしてそうりゅうと晴風の乗員達はもちろん初対面だったが、同じ海に生きる者同士と言う事もあり、あっと言うまに親しくなっていった。
今ではあちこちで双方の乗員達が談笑している姿が見られ、明乃と簪は顔を見合わせて微笑みあう。
この辺は明乃が海洋学校時代から言っていた『海の仲間は皆家族なんだよ。』を現しているのだろうと簪は思った。
そして簪と言えば、明乃と艦橋要員の娘達と一緒に居た、シャルとクロエも当然の如く。
「それにしてもクロニクルさんの自己紹介には驚かされたな。」
ましろが簪と後ろに控えているクロエを見て苦笑しながら言う。
実は最初互いに自己紹介を行なったのだが、クロエが「艦隊の技術班と簪様のメイドをしておりますクロエ・クロニクルと申します。」と言ったのだ。
そうりゅう側の乗員達は知っている話なので誰も反応しなかったのだが、晴風の乗員達にとっては衝撃的(笑)だったのでちょっとした騒ぎになった。
「天使様となるとメイドさんが付くんだ。」
鈴に心底感心した表情で言われ簪は苦笑しつつ説明しようとしたのだが。
まずそれは別に正式なものでは無く、あくまでクロエが好意でやってくれているのだと説明したのだが。
「好意?するとクロエさんは簪さんを・・・『愛する簪様に尽くすのが私の願いなのです。』『私達は主従の関係、貴女の愛を受ける訳には・・・』、ああ運命が2人を・・・」
と幸子が1人芝居(妄想?)を始めてしまう結果になり、暫らくは混沌状態になってしまった。
まあ何とか皆納得してくれたのだが、その間クロエは簪の傍に控え続け、シャルは面白く無さそうにそれを見ていている状態だったが。
まあ多少の混乱は有ったが、そのお陰かシャルとクロエも明乃達と親しくなれたのは幸いだと簪は思った。
ただシャルとクロエが、自分の海洋学校時代の事ばかり聞いていたのには簪は困惑させられてしまったが。
こうしてそうりゅうと晴風の乗員達の交流は無事に終り、いよいよ演習が行なわれ事となったのだが。
簪にとっての受難はこれからが本番だった。