――――――ノルド高原の制圧は滞りなく進んでいた。
貴族連合の戦力の中核であった機甲兵部隊は<灰の騎神>によって統率が崩壊したところをゼクス中将指揮による精鋭部隊の半包囲攻撃で叩かれてほぼ全滅し。第三機甲師団が無理な追撃を控えたために監視塔に残った貴族連合軍は飛空艇で撤退したのである。屋上の通信妨害装置もいつの間にか無くなり、接収することはできなかったものの劇的な勝利といって良かった。
監視塔の陥落によりようやく正規軍の突然の猛反撃を知った<北の猟兵>は高原の制圧を諦めて撤収。安堵したノルドの民たちは、軍用魔獣を蹴散らしつつ高原を進む<灰の騎神>の姿を目撃することとなった。
「―――――リィン!」
金髪をたなびかせ、一人の少女がラクリマ湖畔にたどり着いた灰の騎神に向かって走る。それに続くのはそれより小柄な蒼銀の髪の少女であり、それらを微笑ましげに眺めつつ後を歩くのは浅黒い肌が特徴的なノルドの民の青年であった。
金髪の少女、アリサは灰の騎神に続く機甲兵、ドラッケンを見て僅かに歩調を緩め。それが灰の騎神の横に膝をついてコクピットを開くと、中から出てきた見慣れぬ少女に今度こそ足を止めた。
「ええっと…?」
「…………ほっ」
躊躇なくコクピットから飛び降りた銀髪の少女は、スカートを抑えつつも身軽に地面に着地し。同じくヴァリマールを降りたリィンの斜め後ろに何気なく控えつつ頭を下げた。
「……どうも」
「ど、どうも…?」
リィンに駆け寄ろうとしたら見知らぬ少女の登場に若干出鼻をくじかれた様子のアリサではあったものの、それに苦笑しながらリィンが声を掛け。
「――――久しぶりだ、アリサ。元気だったか?」
「リィン―――――」
生死もわからず、およそ一ヶ月ぶりの再会。感極まって抱きつくアリサに、なんだかんだと満更でも無さそうなリィン。それに横で割と冷たい視線を浴びせている、どこか不満げなアルティナに声を掛けたのはミリアムだった。
「――――初めまして、だよね。ボクはミリアム。ミリアム・オライオン。よろしくね!」
「………どうも。アルティナ・オライオンです」
同じ苗字、どこか似通った雰囲気。ミリアムも何か感じるところがあったのか、わずかに驚いたような様子は見せつつも、特に疑うこともなく言った。
「オライオン………じゃあ、ひょっとして“君も”?」
言いながら、呼び出されるのは白い戦術殻<アガートラム>。独自の言語のようなものを発しつつ現れたミリアムに、アルティナは瞑目すると努めて軽い口調で言った。
「――――いえ。わたしは皇女殿下誘拐未遂の現行犯のためにリィンさんの捕虜になっていますので、クラウ=ソラス……戦術殻は没収されています」
「……ええっ!? ぼ、没収!? な、なんでそんなことしちゃうのさリィン!」
同じく不満げなアガートラムと共にリィンに詰め寄るミリアムだが、当然のようにツッコミどころしかない話に、リィンが何か言う前に抱きつくのを中断したアリサが叫んだ。
「その前に! ――――皇女殿下の誘拐未遂って何よ!?」
「貴族連合に貸与されていましたので、皇女殿下を“保護”するようにとユミルに派遣されたところをリィンさんに阻止されました」
本気も本気で誘拐未遂。それも貴族連合サイドの人間であると出会い頭でカミングアウトされたアリサは思わず何を言っていいのかわからず口を閉じ。それに対して口を閉じなかったのは同胞の危機だと思ったミリアムだった。
「――――リィン! 例えばボクがアガートラムを没収されたとしたら、それはリィンがエリゼを没収されたようなものなんだからね!」
大変インパクトがあって分かりやすい例えだった。
思わず「うわぁ。それは大変だ」とリィンを知る面々が納得したものの、肝心のリィンは苦笑いだけして言った。
「それは――――いや、気持ちは分かるが。エリゼは何も悪いことはしないだろ?」
クラウ=ソラスがあるから誘拐する、できてしまうという反論しにくい部分に思わず二の句が継げないミリアムは、あっさりと論理的な説得を放棄して言った。
「むむむむぅ……それはそうだけど! アーちゃんが可哀想だよ!」
「―――…勝手に略さないで下さい」
迷惑そう、というよりは微妙に困った様子のアルティナは消極的に抗議するも、ミリアムはそれをスルーしてリィンに飛びつきつつ言った。
「――――リーィーン! じゃあアーちゃんの面倒はボクが見るから!」
「いや、だからそういう問題じゃなくてだな……」
実際、人質代わりにしているのだから返したらどうなるのやら想像できない。
困ったようにリィンがアルティナを見ると、アルティナは冷たい、しかしどこか自慢げな口調で言った。
「……いえ。面倒はリィンさんに見て頂いていますので結構です」
「ええっ!? ズルい! アーちゃん、リィンに面倒見てもらってるの!?」
「……まあ、衣・食・住とお風呂くらいですが」
「お風呂!? ――――ボクなんて一人かクレアなのにっ! リィン、ボクの面倒も見て!」
クレアったらすぐ風邪をひくとか部屋を片付けろとかうるさいんだよ! と騒ぐミリアムと対照的なのが、打って変わって絶対零度の笑みを浮かべたアリサで。
「リィン? なんだがリィンが犯罪行為をしてるみたいに聞こえたんだけど……気の所為よね?」
「いや、ユミルでは混浴もあるからな。割と普通のことだぞ。アリサも入るか?」
さらりと言ってのけるリィンだが、もちろん了承されるとは思っていないしされたら困る。混浴というシステムがあるから仕方ない、と説明されても納得されないだろうということでの苦肉の策であった。
「なっ――――い、一緒にって!? そ、そんなのできるわけ――――」
「やったあ、リィンとお風呂だ! 約束だからね!」
「次のミッションですね。了解です」
しかしすかさず食いついて大きく手を上げたのはミリアムで、それに更に被せるようにアルティナまで挙手する。思っていた以上にゆるい空気に毒気を抜かれたアリサが剣呑な空気を収めると、安堵したようにリィンは言った。
「……まあ、こんな感じなんだ」
「………………な、なら私も……」
「……ところで、そちらの方は?」
無邪気な子ども勢に押されたアリサはボソボソと小さくつぶやいたものの、もう一人の青年に目を向けたアルティナの言葉にかき消される。青年は苦笑すると、特に気負った様子もなく普通に挨拶した。
「リィンの同級生の、ガイウス・ウォーゼルだ。よろしく頼む」
「リィンさんの捕虜のアルティナ・オライオンです。よろしくお願いします」
「……いや、その名乗りはどうなんだ…?」
思わず横から口を出したリィンだが、割と満更でもなさそうなアルティナに、ガイウスは微笑ましげにしつつも言った。
「これも風の導きか。リィンなら大丈夫だろう。捕虜だとしても、遠慮せずに頼るといい」
「――――はい」
いや、捕虜なのに頼るってどういうことだとか、なんでアルティナも満足げなんだとか、風は一体何を導こうとしているんだとか、色々と言いたいことはあったものの、そのあたりを区切りと見たか、少し離れて様子を窺っていたグエン老が言った。
「身内の前で混浴の話とは思ったより進んでおるのぅ」
「――――何も進んでないわよっ!?」
何はともあれ、ノルド高原の問題は解決された。特に揉めることもなくアリサたちもⅦ組全員で集合するために協力することになり。
むしろ問題はユミルに帰った後で―――――しばらくヴァリマールを休ませた後、再び精霊の道でユミルに戻ったリィン達を待ち構えていたのは、ものすごく不機嫌なエリゼ達居残り(させられた)組だった。
「――――兄様、説明して下さいますよね?」
「今度ばかりは、ちょっと怒った」
「ちょっと薄情じゃないかな、リィン」
「………まあ、僕も弁護する気はないぞ」
さすがにアルフィン殿下は自重したのか、怖い笑みを浮かべたクレアと様子を窺うだけだったものの。険悪な空気にノルドにいた組も異常があることを察した。何食わぬ顔のリィンを見て、アリサが素直に疑問を口に出した。
「……そういえば、どうしてリィン達だけで来てフィーたちはユミルに…?」
「ん。朝起きたらリィンが勝手に出発してた。……凄く心配した」
「リィン……?」
「……あー」
それに怪訝そうな目を向けるのはアリサ。どことなく理解したように目を逸らすのはミリアムで。ほぼ全員の視線が集中したリィンは、それらを断ち切るように言った。
「――――悪いが、この内戦は相手が悪い。何人がかりでもいいが俺から一本取れるくらいでなければ連れて行くつもりはない」
「む。」
「へぇ」
「そうですか」
「はぁー」
「おいおい…」
「それは無茶だろう」と引いたマキアスとトヴァルを除いたケルディック組が途端に剣呑な空気になり。代表してクレア大尉が言った。
「それでリィンさん、次の出発はいつにするおつもりで?」
「ヴァリマールの霊力の関係もありますし、明後日にしようかと」
「では、参加する方」
「やる」
「僕もやろうかな」
「ええい、僕もやるぞ! リィンだけに危ない橋を渡らせられるものか!」
「……ひょっとして、私たちもやらないと駄目ってことかしら」
「うーん、そうみたい?」
「では、参加しよう」
置いて行かれたことにキレ気味で、かつガレリア要塞でのリィンの暴れぶりを見ているケルディック組は数の優位でもなんでもとにかくリィンに同行を認めさせようと熱意を燃やし。イマイチ分かってはいないものの、置いていかれるのは困るノルド組も参加することになった。
が、それはそれとしてもう夕方である。
仲間たちの不満げな視線に晒されつつも、ひとまず解散することになり。宿泊客が増えることを伝えるために、一路<鳳翼館>に向かうのだった。
――――――――――――――――――――――――
その晩。
今度こそ騒ぎは御免だと、<無影功>まで使って気配を消して露天風呂に入ったリィンは、気配に気づいていない筈なのに露天風呂に突撃してくるアルティナと、それを追いかけるミリアムから逃げてゆっくりと温泉を楽しめないというアクシデントこそあったものの、一足先に自分の部屋に戻り、なんとか落ち着いた時間を取ることに成功した。
(………なんだか酷く疲れたような)
“前”はレジスタンスと協力して帝国政府と正面から戦うことになったり、“結社”と<時の至宝>を巡って暗闘を繰り広げたり、<鋼の聖女>と全力で戦う羽目になって、なんとか引き分けたと思ったら何故か一時的に修行をつけてもらったりと今よりずっと濃密な戦いを経験していたにも関わらず、ひどく疲れを感じていた。
(時間が戻り、肉体の鍛錬も巻き戻された――――というのもあるんだろうが)
それでは説明できないほどに感じる疲労は、精神のものだろうか。
戦いに置いていかれることに不満げな仲間たちを久々に見た、からかもしれない。
危険な戦場、危険すぎる相手、後には引けない戦い――――かつてリィンは、仲間の一人を失って失意に暮れる生徒たちを置き去りにした。せざるを得なかった。
これまでの比ではない<鬼の力>の暴走により、戦闘で味方を巻き込む恐れも飛躍的に高まった。レジスタンスとの共闘などの、指名手配される行為を仲間にしてほしくはなかった。<巨イナル一>の戦いは、巻き込む以前の問題だった。
いつしかリィンは独りで戦うようになり、力に苦しめられながらもその扱いを極めようとした。“未熟者”――――それはリィン本人も承知のところであり、アルティナがリィンを守るために遺した“剣”を取り戻してからはそれに相応しい使い手になろうとした。
『剣心一体―――剣と身体の合一など土台に過ぎぬ。リィンよ……その“娘”の声を聞いてやるがいい。その心こそが“黄昏”を切り拓く唯一の“希望”となるじゃろう』
改めてユン老師の教えを受け、修羅もかくやの厳しい戦いを続けた。
そんなことをしていると、共に戦えるレベルの仲間はいないわけで。
『剣心一体』が完全ではないために、“剣”であるアルティナと戦術リンクを繋ぐようにしていたため、なおさら仲間の必要性も低かった。
そんなリィンについてよく分かってくれていた仲間たちは、嫌な顔一つせずに各地で支援を行ってくれて。今にして思えばリィンはずっと甘えてしまっていたのだろう。
『ラインフォルトにとっても、私にとっても大切な戦いだもの。これくらいさせて頂戴』
『ん。私もそろそろ団長に一泡吹かせたくなってきた』
アリサは“黒”と、フィーはルドガー・クラウゼルと、ラウラはマクバーンと一騎打ちをするし、ガイウスは諸事情から教会から派遣された“千の護手”と戦うし、ユーシス、マキアスは公的な戦いをするし、エリオットも市民感情に訴えかけたりした。エマは魔女の眷属としての領分を越えてまで協力してくれた。
……甘えるだけじゃなく相応に振り回された気もするものの、よくよく考えたらあの『激動の時代』で否応なく修羅に鍛えられた面子と違って今の仲間たちはとても協調性があった。
仲間なのだから、背負わせて欲しい。
今はまだそう言えた頃だった。
いつか失くした、仲間たちとの直接的な支え合い。
もう手の届くところで失わせないよう、修羅になったリィンが失ったもの。
(――――そうか、随分遠くまで来たんだな)
それはどこか寂しく、僅かに嬉しくもあった。
もう、あの“剣”は手元にない。二度と手にするつもりもない。
記憶の通りに進むのなら、次に向かうのはレグラムからバリアハート。“火焔魔人”が現れ、すんでのところでサラ教官たちに救われ、邪魔が入ったおかげで流れた戦いだ。
真の全力は出せず、結社の執行者でも最強の一角たるマクバーンを退ける必要がある。
(厳しくはあるが、まだ実力は知られていない――――“本気”にさせなければどうとでもなるはずだ)
それこそ<鋼の聖女>が相手だと一瞬で看破される恐れもあるが。
どんな危険を潜ってでも、ただひたすらに前へ――――ただ仲間を守るために磨き抜いた剣であれば、マクバーンにも通じる。
と、おもむろに部屋の扉がノックされ。
ちょうど風呂から戻ったらしいアルティナは、部屋に入るなりリィンに言った。
「リィンさん―――――」
深刻そうな気配だった。
真剣に、何かを憂いている様子のアルティナにリィンも思わず背筋を正しつつ問いかけた。
「……どうした?」
僅かに、躊躇う素振り。
しかし意を決したように握りこぶしを胸元に寄せたアルティナは言った。
「――――ミリアムさんに追われていますので、匿って下さい」
………………………
……………
……
『えーっ、もうリィン寝るところなの!? じゃあボクも!』
『ダメに決まってるでしょ、帰るわよ!』
部屋に突撃してきたミリアムをやり過ごし、どこからか現れたアリサによってある意味で更なる危機に陥りつつも救われたリィンは、どういうわけか布団でアルティナに抱きつかれて横になっていた。
『一人で隠れても見つかってしまいますし、リィンさんの布団の中が“適切”かと』
いやそれ二人で寝たいだけじゃないか、と微妙に疑ったリィンだったが、よくよく考えたら情報局を裏切るような真似をさせられて、<黒の工房>とはリィンが関わらせるつもりがないことを考えればアルティナは一切の後ろ盾を持っていない身一つの状態で。
なぜだかミリアムを避けているアルティナを無理に放り出すのも憚られたこともあり、しばらく隠していたらミリアムが来る頃にはアルティナは熟睡していた。
「…………んぅ…………」
普段は寝相がいいのに抱きついてくるのはどういうことなのだろうか。
青少年期にエリゼとのアクシデントによって鍛え上げられた鋼の理性を持つリィンからすれば、特に問題はないのだが。こうしていると戦いに出してしまったことを今更ながら考え直させられるようだった。
(いつ連れ戻そうとしてくるか分からないから連れ回すしかないとはいえ、本当にこれでいいのか……?)
いっそヴァリマールの中にでも入れておけば、と思わないでもない。
けれどそんなことでは“この”アルティナは何も得ることができないだろう。戦いには極力参加せず、それでも“感情”を育てて欲しい――――そんな、贅沢なようであっても当然の願い。
(………今だけ。もう少しだけは……)
心配だから、手の届くところで守りたい。
そのために、かつては足りなかった力を手に入れたはずなのだから。
いつしかリィンも眠りにつき、そのまま二人は寄り添いあったまま朝を迎え。
どこかにあった憂いは、いつの間にかなくなっていた。