「――――よし。ならいい、とりあえずこれは返しておく」
そう言ったリィンさんに渡されたのは、わたしが持っていたARCUSで。初期化されたのか再び同期が起こる。……連絡を取れないようにするためでしょうか。
どちらにせよ余裕を根こそぎ奪われていた私は特に何も言わずに、続けて渡された服を見て眼を瞬かせた。特に何の変哲もない、ただそれなりにいい生地と仕立ての服のようで。
「エリゼが昔着ていた服を借りた。その服だと目立ちすぎるからな、着替えておいてくれ」
「……はい」
そう言ってさっさと部屋を出て行く後ろ姿はやはりリィンさんそのもので。
それだけで先程まで絶望していた心が僅かに温かくなっていることに驚く。
(…………どう考えても、リィンさんらしくなんてないのに)
それなのに胸中に渦巻いているのは……期待、なのだろうか。
わたしが何も問題を起こさなければ、リィンさんなら必ず言ったことは守ってくれるという? 本当に酷いことはされないのだという、甘い夢?
「………着替えましょう」
クラウ=ソラスがいない今、この服を着ているメリットもない。
大人しく着替えようとし、下着が無いことに気づいた。
「……………………これは、そういった意味なのでしょうか」
どちらかというと単純に気づいていないだけのような気も。
ということで咄嗟にARCUSを開き、リィンさんの番号を入れる。
入れてから――――わたしがそれを知らないはずだということに気づいたのだが。時既に遅し。
『……何だ?』
「…………その。下着が無いのですが、そうした不埒な行為をご所望ですか」
自分でも何を言っているのだろうと思ったけれど、半ば自暴自棄に言ってみると、思った以上に驚いた声がARCUSごしに聞こえた。
『――――なっ、違う! すぐに何とかする――――最初の服で待っていてくれ!』
「了解です」
…………
………
…
「―――――いや、着てると思うだろう」
がっくりと、いつものようにどこか疲れたようなリィンさん。
そんなリィンさんに心が軽くなったような気がして、わたしもいつものように返す。
「それは、水着の下に下着を着るようなものなのでは? あと、靴もありません」
「……それは気づいたから、用意してある。で、エリゼや皇女殿下には適当に……」
どう言うべきか、と思案しているのか黙り込むリィンさん。
クラウ=ソラスを人質……もとい、戦術殻質に取ったというのは確かにあの皇女殿下やエリゼ・シュバルツァー嬢相手ではよろしくないかもしれない。
「……では、わたしが任務に失敗して帰れなくなったので引き取られたということで良いのでは?」
わたしから言えば、信憑性もあるだろう。
と思ったのだが。どういうわけか胡乱な眼で見られて僅かに動揺する。
「……なにか問題が?」
「普通、あれだけ脅されたらもう少し怖がるものだと思うんだが」
「それは――――」
………リィンさんの姿をしていてそれは無理があるのでは。
と、まさか正直に言ってしまうこともできない。
「―――…怖がる、というのはよく分かりません。合理的に考え、協力的にしているつもりなのですが。改善要求があるのなら努力します」
「まぁ、いい。それより明日からケルディック方面に向かう―――――食事も用意してもらっているから、精々休んでおけ」
「了解です」
――――――――――――――――――――
と、いうわけで食事時になったのだが。
遊撃士に任せて山道に残してきたらしいエリゼ・シュバルツァー嬢が帰ってきて、皇女殿下に事情を聞くと烈火の如く怒った。
「兄様! どういうことですか、小さい子を縛り上げて部屋に連れ込んだと―――」
「い、いや。あのなエリゼ」
リィンさんがなにか言いたげにこちらを見るものの、気づかないフリをして食事を食べ続ける。……リィンさんの料理に、なんだか味付けが似ていて懐かしくなる。
と、心配そうに皇女殿下がこちらを覗き込んでいた。ちなみにシュバルツァー夫妻は難しい顔で無言である。
「……なにか?」
「本当に、ひどいことはされなかったですよね?」
「危害は加えられていません。……というより、わたしの任務は貴族連合による皇女殿下の“保護”だったので、むしろそちらを問題視するべきでは?」
「リィンさんの方がよっぽど問題ですっ!」
これは、どうするべきなのでしょうか。
皇女殿下に負い目を感じる身としてはいたたまれず、つい癖でリィンさんの方に視線を向けてしまう。……やっぱり、いつもどおりのリィンさんにしか見えないのですが。
「エリゼ、俺は話し合っただけで本当に何も――――」
「縛り上げてする話し合いがどこにあるんですかっ! 兄様はそんなことをする人じゃないと信じていたのに……」
「うっ」
エリゼ・シュバルツァー嬢の目に涙が浮かび、リィンさんが傍目にも分かるほどに動揺する。………このままクラウ=ソラスを返してもらえないだろうか、と僅かに思うも、むしろこのまま放置すると後が怖そうというか。少々いたたまれないというか。
「………情報局の者としては自らの口を封じる場合もありますし、やむを得ない措置だと思いますが」
まあ、そういうこともあると匂わせるとエリゼ嬢は蒼白な顔で席につき。なぜだか暗い雰囲気が食卓に立ち込める。リィンさんも何故か微妙な顔をしていて、なにか悪かったのか訊ねようとしたとき――――シュバルツァー男爵が言った。
「――――この子がそれで良いというのなら、私達は何も言えん。だがリィン、“責任”だけはしっかりと取るように」
「……はい、分かりました」
これでなんとか穏便に終わりそうですね、と安堵すると。
今度はどういうわけか驚くほどに動揺したエリゼ嬢が椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった。
「せ、責任っ!? ま、待って下さい兄様に父様! そ、それって――――」
「うん? 引き取るのだから責任を取るのは当然だろう?」
「え、ええ。そうですよね」
責任……責任? つまり面倒を見るように、という意味だと思われますが。
とりあえず皇女殿下を見るとエリゼ嬢と同じように動揺しているのか――――空になったティーカップで紅茶を飲もうとしていた。
そしてどうやらシュバルツァー夫人は意味を分かっているのか深いため息を吐いて。
一転して賑やかな食卓は過ぎていった。
ちなみに、後でシュバルツァー夫人に聞いた話ですが不埒な行為を働いて結婚することを「責任を取る」と俗称することがあるのだそうで。リィンさんも男爵も意識していないで使っているそうです。………やはり不埒ですね。
―――――――――――――――――――――――
<精霊の道>は内戦時にリィンさんが使っていたという移動手段である、というのは聞いていた。<灰の騎神>ヴァリマールが開いた精霊の道により、ほとんど一瞬と言っていい時間でたどり着いたのはケルディックの西に位置する自然公園。
そして――――。
「――――よし、到着だ」
「………確認しました。ルナリア自然公園と推定」
「あら、綺麗なところ………ケルディックのお話は何度か聞いたことがありましたけど、こんな素敵な場所まであるのですね!」
「もう、姫様ったら……はしゃぎすぎて疲れても知りませんから」
「っと、本当に到着するとはな……こりゃあいつでも使えるなら便利そうだが」
リィンさん、わたし、皇女殿下、エリゼ嬢、遊撃士トヴァル・ランドナー。
てっきりリィンさんと二人になるのかと思えば、予想を遥かに超える大所帯で。皇女殿下もユミルでなるべく目立たない服を見繕ったとはいえとにかく目立つ。
「……リィンさん、これでは隠密行動は困難では?」
「最悪、領邦軍くらいならヴァリマールでなんとかする……街に入る時は、そうだな。トヴァルさんに遊撃士としてエリゼとアルフィン殿下を護衛していることにしてもらうとして」
「ふふっ、リィンさん。今のわたくしはアルフィンではなくただのフィーナです。是非とも呼び捨てにして下さいね?」
「ひ、姫様!?」
にっこりと皇女殿下に微笑まれて満更でもなさそうなリィンさんにジト目を向け、ぽつりと思ったことを呟く。
「……やはり不埒ですね」
「………リィンさん、不埒だったのですか!?」
「兄様!?」
「おいおい、頼むから遊撃士として見過ごせない行為はしないでくれよ?」
「今のどこに不埒な要素があったんだ!?」
言いながら、リィンさんが抜刀。
<緋空斬>らしき攻撃が近くの茂みを直撃し、近づいていた魔獣が悲鳴と共に逃げ出す。
「うお、お見事」
トヴァルさんが手をたたくとようやく事態を飲み込めたのか、リィンさんに尊敬の眼差しを向ける皇女殿下とエリゼ嬢。
「……とにかく、ケルディックに向かおう。そこなら何か情報が掴めるはずだ」