黒兎と灰の鬼神   作:アマシロ

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その5:ユミルへ帰ろう

 

 

 

「――――すみません、クレイグ中将。実はこの子は情報局の所属でして……」

「どうも。情報局所属、き――――アルティナ・オライオンです」

 

 

 

 貴族連合に貸与されています、と言おうとした瞬間、リィンさんに笑顔を向けられた。………殺気と同時に。色々な意味で胸が苦しくなり、大人しく黙って頭を下げることにした。

 一応、わたしもリィンさんとエリオットさんがなんとか穏便に済ませようとしてくれていることは理解しているのだ。問題は、それがバレたらリィンさんの迷惑になるというだけで。

 

 

 

「ふむ……つまり、機甲兵が動かせても正規軍と敵対する意図はない、と」

 

 

 

 難しい顔でこちらを見ているクレイグ中将は、なんとなくこちらの隠し事に気づいているのでしょう。とはいえ情報局の所属というのも嘘ではないわけで。

 

 

 

「――――その割には、剣を向けていたようだが?」

「ナイトハルト教官……まあ、俺も動かせるとは思っていなかったので」

 

 

 

 <剛撃>のナイトハルト――――リィンさんの恩師の一人であり、帝国軍の若きエースとも呼ばれている。その人も明らかにこちらを怪しんでいるのだが、情報局ということで怪しまれているのかそれ以外なのかは判別がつかなかった。とにかく、リィンさんに迷惑はかけないようにしなければ。

 

 

 

「……命令の大本が<鉄血宰相>であること、当面はリィンさんに従うことは保証しますが」

「鉄血宰相――――彼か。……いや、まさか」

 

 

 

 秘匿事項ですので。というべきところではあるものの、“前”もクレイグ中将と面識があったと思われるリィンさんの心象を悪くすると今後に悪影響があるかもしれません。

 アルバレア卿の配下です、というと露骨に不審人物になるものの、宰相の指示を受けたアルバレア卿に従っているという意味でも、元々は宰相から彼に預けられたという二重の意味で嘘ではない。

 そうしてある程度の情報を開示すると、クレイグ中将は何かに気づいたのか驚いたような表情を浮かべ、感慨深そうに言った。

 

 

 

「――――そうか。では、リィン君を頼むぞ」

「……はあ。それが任務ですので」

 

 

 

 何に気づいたのかさっぱり分からなかったものの、やけに機嫌が良くなったクレイグ中将は、大きく頷くと言った。

 

 

 

「よし、分かった! ではナイトハルトに軽く機甲兵の動かし方を教えてやってくれまいか。代わりに――――そうだな、何か希望はあるかな?」

「いえ、俺は特にはありません」

 

「それではクレイグ中将? 少しだけよろしいでしょうか」

 

 

 

 と、声を掛けたのは騒ぎにならないようにクレア大尉を護衛に少々隠れていた皇女殿下で。殿下はにっこりとお手本のように微笑んで言った。

 

 

「――――こ、皇女殿下?! も、もちろんですとも!」

「では、わたくしまだユミルに留まっていたいのです」

 

 

「そ、それは……むぅ、確かにシュバルツァー男爵は信頼のおける者ですし、無骨な演習場などよりは余程……しかし警備の問題だけはなんとかさせていただきたいのですが」

「――――では、僭越ながら私が護衛を務めさせていただきます」

 

 

 

 と、名乗り出たのはクレア大尉で。鉄道憲兵隊の若きエースにはクレイグ中将も文句はないのか頷くものの、確認するように言った。

 

 

 

「なるほど、女性である大尉の方が殿下を守護するには都合がいいか……ですが、必要があればナイトハルトめを向かわせますが…?」

「大丈夫ですわ、いざとなればリィンさんがいますもの♪」

 

 

(……さすがリィンさん、不埒ですね)

 

 

 

 以前も皇女殿下を抱えて逃走するだけの下地はあったようです。

 リィンさんに白い目を向けていると、「勘弁してくれ」とでも言いたげに天を仰ぎ。まさかのナイトハルト少佐と比較されたことで周囲の注目が集まる。

 

 

 

「ほう、だそうだがシュバルツァー。問題はないか」

「……微力を尽くさせて頂きます、としか」

 

 

 

 微妙な空気に引き攣った笑みを浮かべるリィンさんですが、それが何やらリィンさんが認められていないと思ったのか、完全な善意で皇女殿下は言った。

 

 

 

「ふふっ、ですがなんとリィンさんはあの<西風の旅団>の連隊長2人と素晴らしい戦いをなさっていましたし問題はないと思います。私からすると、お兄様よりずっと頼りになるかと」

 

「ほう……」

「いつの間にか腕を上げたようだなシュバルツァー……?」

「…私も見ていましたが、間違いありません」

 

 

 

 驚きから、興味へ。

 「是が非でもその腕を見せてもらおうか」という空気になった帝国最精鋭部隊の指揮官とエース。そしてトドメを刺した、恐らくはリィンさんの実力が気になっているのだろうクレア大尉。やってしまったことに気づいたのか、皇女殿下は後で帝国男子に多い武術馬鹿の扱いの注意についてクレア大尉から聞いたとか。

 

 

 

 

――――まあ、わたしも”今の”リィンさんの実力は気になっていたのですが。

 

 

 

 

 

「教官、本当にやるんですか……?」

「ふむ、お前たちはバレスタイン教官と模擬戦闘も行ったと聞いている。――――だが<西風>の連隊長二人と戦えるのならば私だけでは不足かもしれないな」

 

 

「いえ、そんなことは全くないですから! クレア大尉も銃を用意しないでください!」

「――――では、戦況を見て参加させていただこうかと」

 

 

「なんで入る気満々なんですか…!?」

「むぅ、ではワシが入るのは流石にマズイか……」

 

 

 

 あまりにも敵が強すぎるような気がしますが、リィンさんもまだまだ底を見せていないわけで。<鬼の力>を使えばあの3人相手でもなんとかしてしまう姿が想像できた。

 

 

 

(……この頃は、まだ制御できていたはずですね)

 

 

 

 危険なのは<北方戦役>から。

 なんとなく参戦したいような気がするものの、クラウ=ソラスもないこともあって足手まといな感は否めない。リィンさんの実力を見極めることの方が重要ですね。

 

 

 

 

 そうして演習場のど真ん中で始まった模擬戦は、開幕からナイトハルト少佐の凄まじい一撃が飛び出した。

 

 

 

 

「――――砕けろッ!」

「くっ―――」

 

 

 ヴァリーストライク、剛撃の異名に相応しい焔を纏った上段からの強烈な振り下ろし。それは躱すリィンさんだが、流れるように連続して放たれる強烈な一撃は、その全てが必殺。無駄がなく合理的で隙がない百式軍刀術。これを破るには単純に実力で上回るしかないだろうという堅実さだが、その尽くがリィンさんに躱され、あるいは受け流される。

 

 

 

「隙のない軍刀術――――ならば八葉が一端、<螺旋>を以って受けて立ちます」

「―――――ほぅ。中伝に至ったとは聞いたが、何かの冗談だったか? それで中伝ならば<八葉一刀流>は噂以上ということになるが」

 

 

 

――――達人同士の剣術は“理”の読み合い。

 

 

 

 気を高め、互いに気配を読み合う二人だったが――――ふいに、リィンさんの気配が冗談のように掻き消えた。

 

 

 

「―――なっ!? くっ」

「秘技―――――裏疾風!」

 

 

 

 気配が消え、更に消えたように錯覚するほどの速度。

 それでも対応するナイトハルト少佐だが、<螺旋>の動きにより防御によりあらゆる攻撃を受け流され、徐々に追い込まれていき――――。

 

 

 

 

「では、私も参加させて頂きます」

 

 

 

 クレア大尉の宣言と共に、リィンさんの攻め手を塞ぐように精密無比な銃撃が連続して放たれる。が、独特の歩法でナイトハルト少佐とクレア大尉のペースを同時に乱すリィンさんにより、再びじわじわと天秤が傾き始め―――――。

 

 

 

 

「―――――ええぃ、下がっておれナイトハルト! このわしが受けて立つ!」

「……! 了解です」

 

「…………胸を借りさせて頂きます」

 

 

 

 

 そこからの戦いは、剣士ではないわたしにはさっぱり分からなかったのですが――――、さすが中将というべきか、ナイトハルト少佐以上の馬鹿力……もとい、怪力で地面を粉砕し、流石のリィンさんでも完全に躱すのは難しいかと思われ。

 

 

 

「くっ――――八葉一刀流、伍の型―――――」

 

 

 

 瞬間、リィンさんの身体がブレ――――そして、二人に増えた“ように見えた”。

 

 

 

「なにぃっ――――小癪な!」

 

 

 

 左右から斬りかかろうとするリィンさん二人を中将は凄まじいパワーで纏めてなぎ払い――――そして、どちらのリィンさんも幻のように姿が消えた。

 

 

 

 

「――――上です!」

「――――<虚空残月>!」

 

「ぬぉおおっ――――!?」

 

 

 

 クレア大尉の声で上空を切り払った中将の剣がリィンさんを捉え――――。

 

 

 

(リィンさん――――無事のようですね)

 

 

 

 その次の瞬間、膝をついたのは中将だった。中将の攻撃を“すり抜けた”リィンさんは何事もなかったかのように着地していた。思わず止めていた息を吐くと、リィンさんは納刀。クレア大尉もそれを見て銃をしまい、クレイグ中将は何事もなかったかのように立ち上がるとリィンさんを見て大きく頷いた。

 

 

 

 

「――――見事だ。まさかその歳でそれほどの境地に至るとは。大人気なく本気になってしまったが……成程、ナイトハルトが攻めきれぬのも無理はない」

「いえ、失礼ながら中将の“全力”はこんなものではないと思いますし」

 

 

 

 まだ上があるのですか……と、思わず演習場にできたクレーターを見つつ遠い目になってしまうものの、第四機甲師団の面々は特に驚かずに死んだような目をしているので恐らく本当なのでしょう。

 

 

 

 

「ほう……良いな。お主、卒業したら第四機甲師団(ウチ)に来ぬか?」

「ははは……その、お気持ちはありがたいのですが、色々と考えていることがありまして」

 

 

「まあ、そうだろうな。よし――――次は鹵獲した機甲兵に移るぞぉ! ナイトハルト!」

「了解です。ではオライオン、よろしく頼む」

 

 

 

 と、豪快に言う中将と平静なままの少佐―――…そういえば、わたしが機甲兵の操縦を教えるのでしたね。

 どうせすぐに終わるでしょう。そう思っていたわたしの理解が甘かったと気付かされるまで、あと1時間。

 

 

 

 

 

……………

………

……

 

 

 

 

『―――――ほぅ、思った以上にできる』

『機甲兵のパワーを効率的に運用していますね』

 

 

 ナイトハルト少佐とクレア大尉の賞賛がしかし、逆に嫌な予感に繋がる。

 ハンデとして<シュピーゲル>を与えられ、ナイトハルト少佐の<ドラッケン>と一騎打ちをさせられることになってしまい、わたしはいつになく必死で機甲兵を操っていた。というかどう見ても使いこなせているようですし、本来の目的は達したのでは。

 

 

 

「……正直、限界なのですが」

『――――鍛錬とは、真の限界の先にあるものだ。その甘えが“壁”を作ると知れ』

 

 

 

 ゆらり、とドラッケンの構えが変わる。それはリィンさんがヴァリマールで大技を繰り出すときのようで――――わたしは、どうかもっとシュピーゲルの操縦に適したクルトさんに変わって貰いたいと思いました。

 

 けれど、容赦なく振り下ろされる剣を素直に食らうことなどできるはずもなく。盾と剣で受け流し、時にはアブソーバーを局所的に発動させることでなんとか放たれる“剛撃”に耐え抜くこと半刻あまり。

 

 

 

 

 

『ふむ、こんなものか……』

「………はぁ、はぁ…っ」

 

 

 

 や、やっと終わりましたか…。

 ふらふらとシュピーゲルのコクピットから降りると、そこには何故か笑顔のリィンさんの姿が。どういうわけか、まるでアッシュさんとかがエリゼさんにちょっかいをかけようとした時のような有無を言わさぬ迫力があり――――。

 

 

 

「……リ、リィンさん?」

「そろそろユミルに帰るぞ、アルティナ」

 

 

 

「は、はい。…………何か、不満があるのでしたら改善しますが……?」

「そうだな――――後でじっくりと話がある」

 

 

 

 

 戸惑いつつもリィンさんの後に続いてヴァリマールの元に向かうと。

 何故かその隣に武装したドラッケンが用意されていた。既に仲間たちは集まっており、中には皇女殿下とクレア大尉、そして数名のクレア大尉の部下もいる。

 

 

 

「……あの、リィンさん?」

「―――――乗れる人材が少ないことと、殿下の護衛のため……そして俺たちが鹵獲したことで中将が一機こちらに回して下さった」

 

 

 

(………何やら“こちら”で初めて会った時のような黒いオーラを感じるのですが)

 

 

 

 とはいえドラッケンが使えるのはありがたい。未だに操縦が得意とは言えないものの、これでクラウ=ソラスが無くともある程度はリィンさんの力になれるはずで。中将の心遣いに感謝しつつ頷いた。

 

 

 

「成程。では、有難く使わせていただきましょう」

「………はぁ。よし、皆ユミルに戻るぞ。頼んだ、ヴァリマール!」

 

『応――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “精霊の道”が開き、一路ユミルへ――――。

 そうして何事もなくユミルに戻ったわたしたちは、夕食を取った後思い思いの時間を過ごすことになり――――。

 

 

 監視ということで、リィンさんの部屋をあてがわれているわたしは、黙って刀の手入れを始めたリィンさんの邪魔にならないようにベッドに横になって疲労の回復を図っていた。

 

 

 

 

(―――――とはいえ、やはり何やら落ち着きませんね)

 

 

 

 これまではあまり気にしたこともなかったものの、他人の部屋というと何やら匂いも違うもので。ベッドからリィンさんの匂いがすることに気づくと何やら落ち着かなくなってしまった。

 

 

 

(……まあ、自分以外の匂いで落ち着かないのは当然だと思いますが)

 

 

 

 けれど、それは不快ではなく。

 ベッドに仰向けで突っ伏し、枕を抱きしめたあたりでリィンさんに怪訝そうな目で見られていることに気づいた。

 

 

 

 

「……何をしてるんだ、アルティナ?」

「何を、と言われましても……落ち着かなかったので」

 

 

 

 なんとなくリィンさんの匂いの枕を抱きしめていると、ミリアムさんがリィンさんにタックルするのが羨ましくて試してみた時のことを思い出す。心が温かくなる気持ちは変わらずに、しかしリィンさんにするのと違って迷惑をかける心配もない。嫌がられる心配も必要ない。

 

 

 そのままごろごろとベッドの上を転がっていると、リィンさんにどこか呆れたような目で見られていた。

 

 

 

「……それで落ち着くのか?」

「――――少々気恥ずかしいような気もしてきました」

 

 

 

 ので、ベッドの端に腰掛けて枕を抱きしめる。

 これはなかなか……フロートよりこちらのほうがいいかもしれないですね。と、枕を堪能していると、リィンさんはがっくりと肩を落として言った。

 

 

 

「………まあいい。俺は風呂に行ってくるから、好きに寛いでいてくれ」

「了解です」

 

 

 

 着替えを持って部屋を出て行くリィンさん。

 それを見送って、またごろごろとベッドの上を転がり。

 

 

 

(――――そういえば、リィンさんの背中を流していませんでしたね)

 

 

 

 温泉にも興味がありますし、いつかは男女でお風呂が分かれていたためにできなかった背中を流すという文化を試すには絶好の機会のように思えます。

 

 そうして他の女子の背中を流せばいいという発想に至ることもなく、あらかじめ渡されていた着替えを持ってリィンさんの後を追った。

 

 

 

 鳳翼館はユミルにある高級温泉宿であり、男女別の浴場のほかに混浴の大浴場もある。専用の湯着もあるということで、わたしは何の躊躇もなく足を踏み入れた―――。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

(――――全く、どうしろって言うんだ)

 

 

 

 わざわざ早い時間に来ただけあって、露天風呂にはまだ誰も来ていなかった。

 “以前”は単なるパートナー、その後は教官と生徒という関係だったからか、思っていた以上に無防備なアルティナにリィンは頭を抱えていた。

 

 歩けばぴったり後ろにつく。部屋に戻ればベッドで満足げに枕に抱きついて緩んだ顔をしている。前から本当にこんなだっただろうか、と考えてみても、実は部屋でのアルティナが何をしているかなど気にしたこともなかったわけで。

 

 

 

『――――では、せめてもの礼としてお主たちにドラッケンとやらを一機回そう』

『あの娘はどこか危うい……気にかけてやれよ、シュバルツァー』

 

(アルティナが危ういのは分かってる。けどそれは――――)

 

 

 

 “前”も、仲間を、そして自分(リィン)を守るために命を落とした――――けどそれは、パートナーだったアルティナのはずで。こちらのアルティナに頼られる理由は……。

 

 

 

『お願いします―――それだけは…っ!』

 

 

 

 クラウ=ソラスを没収され、脅されてまだ感情が育っていないはずなのに泣きそうになっているアルティナを思い出す。そしてほかに思い当たる理由はなさそうだった。

 

 

 

 

(―――――完全に犯罪者じゃないか)

 

 

 

 脅して、どん底に落とした後世話をしたことで、リィン以外に頼れるものがないところである程度優しくしたらどうなるか考えておくべきだった。

 

 

 

(まずい。以前の非じゃないレベルで育ちが歪んでいる……)

 

 

 

 いっそもっと突き放して、エリゼ達に面倒を見てもらうか…?

 そんな考えすら頭を過るのに、どうしてかそれを実行に移そうと思えない自分がいて。

 

 

 

(俺は―――――)

「リィンさん…?」

 

 

 

 不意に、誰かが入ってくる気配。

 考え事に集中しすぎていたことを反省しつつも、振り返ると――――束ねていた髪を解き、銀髪と白い肌を際立たせたアルティナが、湯着を纏って立っていて。こちらを見て僅かに微笑んだ――――ような気がした。

 

 

 

「失礼します。………これは、先に身体を流すのでしょうか」

「あ、ああ。そうだが……」

 

 

 

 アルティナは石鹸を興味深そうに眺めると、ふとリィンの方を振り返って言った。

 

 

 

「………見られていると、身体を洗いづらいのですが。やはりリィンさんは不埒ですね」

「あ、ああ。悪い……って、それなら女性用の浴場で洗ってくればいいだろう!?」

 

 

「………一理ありますね。では、仕方ありません」

 

 

 

 アルティナはそのまま湯着をはだけて―――――てっきり出ていくと思っていたリィンは、白く、滑らかな背中を思い切り見てしまったリィンは予想外すぎる行動に慌てて逆方向を向きつつ叫ぶように言った。

 

 

 

「――――いや、なんで脱ぐんだ!?」

「……? このままだと洗えないのですが。何か間違っていたでしょうか…?」

 

 

 

 

 寒いからか、あるいは羞恥があったのか、慌てて湯着で身体を隠したアルティナに何故か気恥ずかしくなったリィンは、僅かに深呼吸してから言った。

 

 

 

「………い、いや。間違ってはないが…。普通に女性用の方で洗ってくれ」

「―――――いえ、リィンさんの背中を流しに来たのですが」

 

 

 

「……え? いや、すまない。もう一度言ってくれ」

「リィンさんの背中を流しに来たのですが。………遅かったでしょうか」

 

 

 

「………遠慮させてほしいんだが」

「―――――では、仕方ないのでわたしの背中をお願いします」

 

 

 

 どうぞ、と湯着を胸の前で抱えて何も隠していない背中を向けるアルティナに、リィンは天を仰いだ。確かに背中を流し合う文化はあるし、ここは混浴なので――――理屈は通るといえば通る。しかしそんなことをするのが現実にいるのかというと、やりそうなのはミリアムくらいのもので。

 

 

 

(やっぱり姉妹なのか――――!)

「――――…くしゅんっ」

 

 

「―――っ…!(なんでこうなるんだ…!)」

 

 

 

 内心で叫んでいる間に寒そうに震えだしたアルティナの背中に、手桶で掬ったお湯をかけに行く。湯気が立ち込め、熱そうに身体を跳ねさせたアルティナがしかしその場を動きそうにないのを見てリィンは肩を落とした。

 

 

 

「……ああもうっ、わかった! 洗うからな! 嫌になったすぐに言うように!」

「――――…とりあえず、想定以上の寒さですね」

 

 

 

 思わず教官のような口調になるが、寒さに震えるアルティナはとくに気にした様子もなく。石鹸とお湯をつけたタオルでアルティナの背中を泡立てていく。

 

 

 

「………成程。自分で流すのとは違う感覚があります」

「それはそうだろうな……」

 

 

 

 特に何を言うでもなく、素直に身体を預けていたアルティナの背中を泡だらけにし、お湯で背中を流すと、お湯のせいかほんのり朱色になった肌からリィンは目を逸らしつつ言った。

 

 

 

「……ほら、終わったから後は自分で――――」

「では、次はリィンさんですね。どうぞ」

 

 

 

 リィンが目を逸らしている間に湯着を纏ったアルティナはよくよく見ると妙に赤い顔で。しかし疑問に思う暇もなく腕を引かれたリィンは予想外の積極性に思わず椅子に座ってしまう。

 

 

 

「……確か――――こう、でしたか」

 

 

 

 ぬるり、とほんのり温かいものが背中に触れ。思わず飛び上がりそうになったリィンは慌てて振り返ると、慌てて着たからか少し崩れたアルティナの湯着に慌てて視線を前に戻しつつ言った。

 

 

 

「………何で手なんだ!?」

「いえ、洗うためにタオルを使うとは知らなかったので。これならわたしの手でも十分に目的は果たせるかと」

 

 

 

(……うっ、柔らかいというか小さいというか。思った以上に丁寧だな)

 

 

 

 

 言いながらリィンの背中を擦ってくる小さな手に自分の持ってきたタオルを使うように言うか迷うものの、それはそれでアルティナの身体を洗ったものなので大問題だった。

 

 

 

(明鏡止水――――心頭滅却)

 

 

 ならば<無>の境地について真面目に考える武術脳でなんとかやりすごしたリィンは、泡が洗い流されるのにかつてなく救われた気持ちになり―――。

 

 

 

「――――では、次は前ですね」

「……勘弁してください」

 

 

「……? 男性は女性に身体を流されるのを好むと聞いたのですが」

「いや、誰だそんなことを言ったのは。誤解だからな……」

 

 

「――――では、自分の身体に泡をつけて抱きついて洗うというのは…?」

「頼むから止めてくれ……」

 

 

 

 やろうとしたらなんとか逃げよう、と思っていたらアルティナもどこか安堵したような顔で頷いた。

 

 

 

「―――実は少々不埒なのでは、と思っていたので安心しました」

(い、いや少々どころじゃないというか)

 

 

 

 とっくに不埒だった、と言ったら何か物凄いことになりそうなので黙ることに決め。さっさと湯船に戻ったリィンは、どういうわけかぴったり背中にくっついてくるアルティナに何を言うでもなく、空を見上げた。

 

 

 

 しばらく無言で星を眺め、いつかのトワ先輩と皆でやった天体観測を思い出す。あの頃にはもう子どもの優先権を主張したりもしていた“アルティナ”が、いつだか背中を流したいと言っていたこともあった。

 

 

 

(………あの時はからかってるのかと思ったが。もしかして“アルティナ”も、こうやって風呂に入りたいと思っていたのか…?)

 

 

 

 なんとなく、一人でぼんやりと湯船に浸かるアルティナは簡単に想像できて。

 こうして騒いだり、話をしながら風呂に入りたかったのだろうか―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――リィン、さん……わたしは………役に立てていますか…?」

 

 

 

 ふと振り返ると、眠くなったのか瞼がとろんと落ちかけたアルティナがお湯に沈みかけていて。慌てて抱きとめると、アルティナは顔をふにゃりと緩ませてそのまま抱きついてきて。

 

 

 

 

「―――――…わたし、きっと………もっと……」

「……アルティナ」

 

 

 

 

 それがなんだか、アルティナが壊れかけているような気がして。

 

 

 

(無理を、させすぎたのか……)

 

 

 

 もう少し優しくしてやるべきなのかもしれない、そう思いアルティナを抱き上げ――――はらり、と緩んでいた湯着が落ちる。

 

 

 そして、まずいと思う暇もなく近づく人の気配。

 こちらを見て驚愕の後、ふふふ、と笑みを浮かべるエリゼは青筋を立てて言った。

 

 

 

 

 

「――――に・い・さ・ま…? い、一体何をなさっているのでしょうか…?」

「………いや、寝てしまったから運ぼうかと思ったんだが」

 

 

「なるほど、アルティナさんを裸にしてどこかに連れ込もうと…?」

「――――待ってくれ、頼む。アルティナに聞いてくれれば俺は何も―――」

 

 

 

「…………ぅ……りぃん、さん……」

 

 

 

 

 せいぜい背中を流し合いしたくらいで。

 その時点でアウトそうなことに気づいたリィンに、裸のアルティナが寝ぼけて抱きつく。

 

 ……ほんのりやわらかい。

 そんなことを考えつつも無言で湯の中に戻ったリィンは、エリゼの壊れたような笑みを見た。

 

 

 

 

「う、うふふふふ。すみません、クレア大尉ー、こちらに増援をお願いします…!」

 

「――――…リィンさん、お覚悟を」

 

 

 

 慌ててアルティナをなんとかしようとするものの、離そうとするとしがみついてくるのでもはや打つ手などなく。

 とても、とても残念なものを見るクレア大尉の目にリィンは天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





次回「ノルド電撃戦」(予定)




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