「よっしゃあ! 一番乗りぃ!」
「遅い」
誰も居ないと思って、高らかに勝利の宣言をしようと入った、特別棟四階の一角にある教室。
だが、ドアを開けると、そこにはいるはずがないと思っていた先客から冷たい声を掛けられた。
「……なあ、雪ノ下さん。なんで俺より先にいるんだ?移動教室のはずだろうが」
夕方の斜陽の中、ほとんどの物が後ろに積み上げられている、ガランとしたこの教室の窓際で、
今まで読んでいたであろう文庫本を拡げながら、本当にうっとしそうな物を見る目でこちらを見ている美少女、この教室の主である、雪ノ下雪乃がそこにいた。
「移動教室?鶴見君、あなたは何を言っているのかしら。今日の時間割には無かったのだけれど。…それから、入ってくるときには必ずノックをしなさい。何度言わせる気なの?」
「だって、俺のほうが先に来たと思ってたんだから仕方ないだろ」
俺がとってつけたような言い訳をすると、雪ノ下は呆れた顔で、溜め息をつく。
というか、先生やっぱ嘘ついてたんですね……。
「まだあの『どっちが部室に早く到着できるか』とかいうくだらない勝負にこだわっているのね……。まあ、結果は私の8連勝でいいのよね?」
「くだらないとか言いながらしっかり数えてんじゃないか……。」
雪ノ下は目の前で勝ち誇った笑みを浮かべている。この人、本当に性格が丸くならないな…。
学校一の美少女、学年トップの成績、運動神経抜群ともなれば、人を見下した態度でも、しっかり面と向かって文句を言うやつは多分いないからだろう。
しかし中身を知った俺では、性格の悪さでプラスマイナスゼロである。いや、プラス3くらいだろうか。
「あと、いちいち入ってくるとき大声を出さないでくれるかしら。あなたの声は、本を読んでいるときは本当に不快だからやめて」
「何気にひどいこと言うよな。もう慣れたけど」
「これに慣れてしまうなんて…! あなた、本当にマゾヒストになったんじゃない?マゾ君?」
「小学校の時のトラウマ思い出すから、そのあだ名はやめていただきたい」
「……いいわ。 そのかわり、今から静かにしてくれるかしら?ちょうど物語の佳境なのよ」
そう言って、文庫本に視線を戻す雪ノ下。まだ日も短い、春の日差しの中で本を読みながら座っているこの瞬間を絵にしてみれば、一種の芸術になるのではないかと思うほど、儚くて綺麗だった。
何度見ても、この瞬間の胸の高鳴りに慣れることはない。持ってきた椅子に腰を下ろしながら、この世界に俺を連れてきた神様に感謝した。
その後は、俺も雪ノ下も喋らない。この教室には時計の秒針の音と、本のページをめくる音だけしかしない。窓の外からは、運動部の掛け声が風に乗って入ってくる。
べ、別に俺は、静かにしていてと言われて、命令通りにしているわけじゃないぞ。ただ、命令違反すると、後が怖くて動けないだけだから。
だが、動けない理由はもう一つある。
時計をチラリと見る。俺が部室に来てから、約十分が経とうとしていた。
もうそろそろ、平塚先生が“相談者”を連れてここに来る頃だ。廊下で人が歩く気配がする。
なんの変哲も無い総武高校が、なんの変わりの無い俺の学園生活が、ただ読書をするだけのこの部活が、新たな歴史の一ページを開く瞬間が遂に訪れる。
さあ、物語の始まりだ。
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俺がドアに視線を戻すと同時に、部室のドアが音を立てて開けられた。入ってきたのは、白衣を着た平塚先生と、一人の男子生徒。俺は予知していたから、特に不快にはならなかったが、雪ノ下は静かな時間を邪魔されたからか、思いっきり不機嫌になっていた。
だが、この瞬間は確実に、物語のスタート位置なのだ。俺は、興奮と感動から、体が熱くなっていくのを感じていた。
「平塚先生。入るときはノックを、とお願いしていたはずですが…」
「ノックをしても君は返事をした試しがないじゃないか」
「返事をする間もなく、先生が入ってくるんですよ。そこの男も含めて、ですけれど」
そう言って、俺の方に視線をチラッと向ける雪ノ下。うむぅ…確かに俺もノックをし忘れることは、結構多かったな。反省するとしよう。そんな俺は置いといて、雪ノ下は話を続けた。
「それで、そこのぬぼーっとした人は?」
「彼は比企谷、入部希望者だ。 雪ノ下、鶴見に聞いていなかったのか?」
「聞いていません。………鶴見君。あなた、部長の私にそんな大事なことを伝え忘れていたの?責任能力と記憶力が皆無なのかしら?」
ギロッとこちらを睨んでくる雪ノ下と平塚先生。ヤバイ!この二人は、怒らせるとすごく怖いのに、もう怒らせそうになっているので、俺は素早く弁明することに決めた。
「伝えようと思ってたんですけど、静かにしてろって言われたんで、伝え損ねただけなんです!」
「ただの言い訳じゃない…。今回は特別に、不問ということにしてあげるわ」
雪ノ下に何があったか知らないが、今回は許してもらえるようだ。助かった。
でも、このセリフが出たときは、次に問題を起こしたときに、三倍になって返ってくると俺の記憶が知っている。……欝だ。
そんな、勝手にネガティブになる俺を見ていた平塚先生は、何か思い出したように、比企谷に向き直って、顎でこちらを指してきた。自己紹介をしろ、のサインらしい。そして、比企谷はドロッと腐った目をキョロキョロ泳がせながら、軽く会釈する。
「二年F組、比企谷 八幡です。えーと、新入部員ってなんだよ」
訳が分からないまま、ここに連れてこられ、勝手に名前も知らない部活の新入部員にされたのでは比企谷としては堪ったもんではないだろう。だが、平塚先生はその抗議を受け付けない。
「君には、ペナルティとしてこの部活の一員となって、部活動をしてもらう。異論反論抗議口答えは一切認めない。しばらく頭を冷やせ。反省しろ。」
ちょっと言葉が変わっているような気がするが、気にするほどのことでもない。
しかし、この後の平塚先生の言葉は、予想外だった。
「ただ、質問ならしていいぞ。私ではなく、そこに座っている鶴見にだけ、だがな」
「え?な、何でここで俺なんですか?」
いきなりの奇襲に、対応がしどろもどろになる俺。そんな俺をみて、ニヤリと笑う先生。
この人は何を企んでいるんだ!
「君の方が、部活暦は長いだろう?しかも、比企谷よりはマシだが、孤独体質を持ち合わせている。…つまりは、先輩なのだよ。」
「先輩っていっても、一ヶ月しか違わないじゃないですか。あと、孤独体質って事はまさか…」
「そうだ。君もしっかり更生対象に入っている。嬉しいだろう?」
「ちくしょぉぉ!! やっぱりそうかよ!」
俺が入部してから、一ヶ月の月日を越えて暴かれた真実に直面し、俺は膝から崩れ落ちた。
そんな俺に憐れみの視線を送っていた比企谷は、先生の言葉の真意に気づいたようだ。
「…君『も』ってことは、俺も更生されるんですか?」
「その通りだ、比企谷。察しが良くて助かる」
「いえ、察したくないことだったんで、もう帰りたいんですけど」
「おっと。即断すること自体は悪くないが、ここから逃げることは出来ないと思え」
そのやり取りを見て、速攻で帰ろうとする比企谷の襟首をヒョイっと掴み、退路を絶つ平塚先生。
さすがは、元花見川区最強の名を持つ者である。その元最強さんは、顔を雪ノ下に向ける。
「こんな感じで、根性が腐っている。すまないが、こいつをここに置いてくれないか?その間に孤独体質の改善にも取り組んでくれ」
だが、雪ノ下は、一発で受け入れることは出来なかったようだ。むしろ嫌そうな顔さえしている。
「嫌です。そこの男の下卑た目を見ていると、身の危険を感じます」
前言撤回。嫌ですって言葉に出しちゃってるよ! だが、平塚先生はむしろ余裕そうである。
「…そうか。だが、雪ノ下。君の目の前にいるその男はどうなんだ?現在進行形で比企谷より
下卑た目をしているように見えるのだが」
平塚先生は俺を見てきて、そんな言葉を言い放った。おい!この人、俺をダシに使うつもりだよっ!!それが、生徒指導担当の先生のとる行動か!
だが、俺の気持ちなんて露知らず、先生の言葉を真に受けて、俺に視線を移す雪ノ下。そして額に手を当てて悩み始めた。
「…先生の言うことにも、一理ありますね」
「そうだろう。しかもこの比企谷は、リスクリターンの計算と自己保身に関してはなかなか優秀だ。
こいつの小悪党ぶりは信用していい」
迷い始めた雪ノ下に、さらに追加攻撃を繰り出す平塚先生。だが、言われているこっちの身にもなってみて欲しい。日本男子としてここで何か言わなくてはいけない。
「雪ノ下さん!そんな魔女の言葉に惑わされるな!この目を見て。生き生きしてるよ!」
「何一つ褒められてねぇ…。俺の場合、常識的な判断が出来ると言って欲しいんですが」
俺と比企谷は、現時点の俺らの評価の訂正を求めた。しかし、その声は雪ノ下には届いていなかったようだ。
「小悪党…。そして鶴見君は、下卑た人間なのね…。なるほど」
むしろ、俺の評価は下落していた。明らかに悪い方向に洗脳されてるよ!
「聞いてない上に納得しちゃったしよ…」
「それは誤解だ!考え直して、お願いだから!」
比企谷は諦めたようだが、俺は抵抗する。諦めたらそこで試合終了だって、あの有名バスケ漫画の先生も言っていたからな!
「分かりました。先生の依頼なら無碍には出来ません。比企谷君の件、承りました」
嫌そうな顔ではあるが、比企谷の更生の依頼は受け入れたようだ。
でも、俺の件は完全にスルーされたようなので、もう一度、誤解だと伝えるため、席を立って、雪ノ下に詰め寄ろうとした。
しかし、その途中で、こめかみに大きな怒りマークをつけている平塚先生に行く手を塞がれた。
あれぇ?急に背中に寒気がしたよ?風邪かなぁ?
「そうか。雪ノ下、君には感謝するぞ」
雪ノ下にお礼を言っているが、目は確実に俺を向いている。しかも、一瞬赤く光って見えたのは、偶然だと思いたい。満面の笑みを浮かべているが、背後には殺気も見える気がする。
今、言い訳しないと俺のボディがヤバイ!
「…そして、鶴見。さっき、君は私のことを、魔女と言ったな?」
「い、いや違うんです。先生は魔女のように色気があって、とても十代とか、魔法少女とかの若さは感じられないと伝えたかっただけ…」
ピシッ!
俺の言い訳が引き金になったのか、先生から何かが割れる音がして、ゆらりと先生の体が揺れた。目の錯覚かと思ったが、そうではない。というかどっちにしろ関係がない。次の瞬間には、今まさに必殺技を繰り出そうとしている平塚先生が目の前にいたのだから。
そして、ゆっくりと右拳を握り締め、溜めている力を俺の体に向かって解放した。
「ティロ・フィナーレ!!」
「ごふっ!」
俺のお腹…肝臓近くに、まるで大砲で打ち抜かれた衝撃…ではなく、二メートルほど後ろにぶっ飛ばされる、リアルな衝撃を食らった。というか魔法少女とか関係なく、ただのレバーブロウだった。
だが、地味にダメージが大きいので、俺はお腹を押さえたまま立ち上がることができない。
「全く……。君は失敗から何も学ばないな。まあいい。雪ノ下、後のことは頼む」
床でうずくまっている俺に呆れていた平塚先生は、雪ノ下に一言伝えると、教室を出て行ってしまった。くそう……。なんで俺がこんな目に……。
中途半端なところですが、区切りました。