月の兎は何を見て跳ねる   作:よっしゅん

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第11話

 

 

 

「だーれだ?」

 

 夕食後の食器洗いをしていると、突然視界が何かに覆われて真っ暗になる。

 目元に伝わる微かな体温の温もりと、背後から聞こえた誰だと問い掛ける声。

 これはあれだ、よく恋人同士とかが戯れ合う時にやるやつだ。

 

(だからちゃんと玄関から入ってくださいよ、紫さん)

 

 しかし残念ながらやってきたのは恋人でも何でもない紫さんだ。

 ときめきなんてものは感じない。

 というか喋れない相手にそれをやっても意味が無いのではないだろうか。

 

「うーん、やっぱり反応が無いとやってて虚しいわねこれ……最近は藍もノリが悪くなって『仕事の邪魔です』とか一蹴されちゃうし……ゆかりん悲しいわ」

 

 それは普段の行いが悪いだけでは?

 以前藍さんから聞いた限りだと、よく仕事を押し付けられて当の本人は休憩という名の爆睡をかますらしい。

 そんなんでは、信頼というものはあっという間に崩れちゃいますよ?

 

「何かしら、何故か私の人徳に対して何か言われてる気がするわ……そ、それよりそろそろ準備はいいかしら? 出来れば早いうちに済ませておきたい案件なのよ」

 

 いや、そんな急に急かされても……そんなに急ぎたいのなら、行き先くらいは教えてくれても良いのではないだろうか。

 いや、この妖怪にそんな期待しても逆に時間の無駄だろう。

 

(じゃあ皿洗い、手伝ってください。そうすれば速く終わりますよ)

 

「え……」

 

 一旦手を止め、筆談でそう伝えると少し驚いた声をあげた紫さん。

 

「……そうよね、ではお手伝いいたしますわ」

 

(言っときますけど、藍さんを呼ぶのはなしですよ)

 

「…………」

 

 苦虫を噛み潰したかのような顔をするゆかりんさん。

 さぁ、吐いた言葉は簡単には戻せませんよ。

 大人しくこの布巾を手に、濡れた食器を拭き取ってくださいね。

 

「貴女、人畜無害かつ他人に甘そうな性格して意外とあれなのね……」

 

 そりゃ、自分だって聖人……ではなく、聖兎というわけではありませんから。

 言うべきことはハッキリと言いますよ。

 

 そして渋々といった様子で布巾を手に取り、自分の横に並び洗い終えた食器達を拭いていく紫さん。

 その手つきは若干のたどたどしさがあったが、食器を滑らせて落とすような事はなさそうだ。

 

「全く……一体どれくらいぶりなのかしら、皿洗いだなんて」

 

 と、独り言に近い言葉をこぼす紫さん。

 おや、一応した事はあるんですね。

 

「まぁね、もう数える事すら出来ない遥か昔の話だけど。一応、家事全般は一人で出来ていたのよ?」

 

 自慢気に鼻を鳴らすが、それならたまには藍さんのお手伝いでもしてあげたらどうなんだろうか。

 というか本当に出来てたんですか?

 

「嘘じゃないわよ、親元を離れてからは一人暮らししてたんだから。嫌でも家事の一つや二つくらいは覚えて……」

 

 親元? 一人暮らし?

 紫さんみたいな妖怪でも、親となる者がいたとは驚きだ。

 案外妖怪の世界でも、家族という概念はあるということだろうか。

 

「……いえ、何でもありませんわ。今のは忘れてくださいまし……」

 

 と、突然ハッとした様子でそう言ってきた。

 うーん、結構紫さんの過去というのは気になる話なのだが……

 

「はぁー、貴女と居るとどうしてこう素直になっちゃうのかしらね……」

 

 いや、そんな溜息つかれても……

 まぁこれ以上詮索するのは失敬だろう。

 誰にだって秘密にしておきたい事はある。

 

 そして気が付けば洗い物は無くなっていた。

 やはり人手が一つ分増えるだけでもだいぶ速くなるものだ。

 

「あー、やっと終わった……本当はこのまま布団に潜ってといきたいところなんだけど……準備は良いかしら、兎さん?」

 

 えーと、ちょっと待ってくださいね。

 皿洗いも終わって、調理器具の点検も終わっている。

 戸締りもしたし……あ、他の皆にあまり夜更かしをしないように注意しに行くのを忘れていた。

 ……まぁでも自分がとやかく言わずとも、最近は師匠も姫様も自主的に夜更かしを控えているので大丈夫だろう。

 

「ふふふ、良いみたいね。では、一名様ご案内ー!」

 

 そんな紫さんの明るい声と共に、足元に伝わる床の感触が無くなり、浮遊感がこの身を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この感覚は以前にも味わったことがある。

 幻想郷に来た初日、紫さんに迷いの竹林の前まで送ってもらった時と同じだ。

 

 落ちる、落ちる、ただ落ちていく。

 木の上から地面に向かって飛び降りた時のような浮遊感が延々と続く。

 そして周りを見渡してみれば、黒くて暗い薄気味悪い空間が広がっている。

 紫さん曰く、スキマと呼ばれる一種の隔離空間らしいのだが……毎回こんな空間を使っていたら気分が悪くなるのでは無いかと少し心配になる。

 

「慣れてしまえば案外心地の良い所でしてよ? はいこれ、忘れ物」

 

 と、真横にいつのまにかいた紫さん。

 そして忘れ物といって手渡してきたのは……自分の靴?

 確かにスキマに落とされる前は室内だったため履物は履いていなかったが、こうして渡してくるということは、向かっている先は屋外ということだろうか。

 

「それは着いてからのお楽しみ……別に変な所ではありませんわよ?」

 

 それなら普通に行き先を教えてくれても良いのでは……?

 

 そんな事を考えていると、突如脚に振動が伝わった。

 この感触は大地に脚がついた時のものだ。

 そして周りの景色が一変する。

 どうやらスキマを抜け出し、目的地に着いたようだ。

 

(……長い階段)

 

 そして顔を見上げた先には、上へ上へと伸びていく石畳の長い階段があった。

 ぐるりと辺りを見回してみると、木々に囲まれた山道……のような感じがする。

 幻想郷の何処かではあると思うが、間違いなく来たことが無い場所だった。

 

「目的地はこの階段の先よ」

 

 そう言って同じくスキマから出た紫さんは、フヨフヨと宙を飛びながら階段の上へと上がっていく。

 どうやら目的地も理由も知るためには、この階段を登るしか道はないようだ。

 履いたばかりの靴の度合いを確かめながら、階段を一段一段、時折二段三段と飛ばして上がっていく。

 

「あら、私みたいに飛べば楽でしてよ? まさか飛べないなんてことはないわよね?」

 

(いえ、やろうと思えばできますよ。ただ何となく、歩いたりした方が性に合っているので)

 

 飛ぶのはあまり好きじゃないのだ。

 どちらかというと思いっきり走る方が好みだ。

 というかそう言う紫さんこそ、飛ぶなんて楽はしないで脚で階段を駆け上がった方が良いのではないか。

 話によると、グータラな毎日を送っているだとかなんとか。

 

「わ、私は太りにくい体質ですから大丈夫よ。それにグータラしてません、ちょっと一日の休息時間が長いだけで……」

 

 人に限らず妖怪もそれをグータラというのだ。

 

 なんて雑談を交えながら階段をひたすら上がると数分、真っ赤な鳥居らしきものが見えてきた。

 そして階段を登りきる。

 これは……神社?

 

「良いところでしょう? ここが幻想郷の要となる博麗の巫女が住まう『博麗神社』でしてよ」

 

 博麗神社、それに博麗の巫女。

 話だけなら聞いたことがある。

 幻想郷には人と妖怪のバランスを保つ役割を持つ調停者がいて、その役割を担うものが博麗の巫女と呼ばれるらしい。

 成る程、ここがそうなのか……しかし不思議な場所だ。

 様々な波長が飛び交い、混沌としていながら調律が保たれている。

 これも博麗の巫女とやらの力なのか果たして……

 

「さぁさぁ、こっちよ。実は貴女をここに連れてきたのはねーー」

 

 あ、紫さん。

 それ以上進むと……

 

「ひゃん!?」

 

 危ないですよ……遅いか。

 実は紫さんの進行方向に何かしらの術式が仕掛けられていたので、警告しようとしたが……声が出せないとは本当に不便だ。

 

 見事に術式に引っかかり、霊力らしき力に衝撃を加えさせらた紫さん。

 地面にひれ伏し、ピクピクと痙攣する姿が痛々しくて、駆け寄ろうとする。

 しかし境内からこちらに向かってくる波長を捉え、思わず足をとめた。

 

「やったやった! 間抜けな妖怪が罠に引っかかったようね! さぁ、このまま私に退治されるか、身ぐるみ剥がされて退治されるか選びなさい!」

 

 そんな元気な少女の声が響く。

 片手にお祓い棒、もう片方の手にお札。

 紅と白の着物を着た少女の姿は、まさしく『巫女』のようだった。

 

「……ってなんだ、紫か。紛らわしいのよ全く。どうせまたお母様に用でしょう? 呼んでくるからそのまま地べたに這いつくばって待ってなさい」

 

 と、紫さんを見るなりそう言い残して来た道を元気よく走って戻っていく少女。

 何というか、嵐のような少女だった。

 しかし……まさかとは思うが、あの少女が博麗の巫女?

 それにしては若すぎると思うのだが……

 

「い、いえ……あの子はまだ博麗の巫女ではないわ。今代の巫女はあの子の母親よ……」

 

 成る程、お子さんだったか。

 ということは次期の巫女はあの少女なのかもしれない。

 油断していたとはいえ、紫さんを一撃でノックダウンさせるほどだ。

 きっと将来有望だろう。

 

「ーー今度はちゃんと表から入ってきたようね。礼儀知らずなあんたでも少しは学習するのね」

 

 少し涙目になっている紫さんを介抱してあげていると、今度は先ほどの可愛らしい少女の声ではなく、師匠に近い凛とした声が小さく響いた。

 声のした方に視線を向けると、長髪で黒髪の女性が立っていた。

 さっきの少女と似たような格好をし、成熟しきったその身体はまさに大人の女性……という感じがした。

 いや、実際に大人の人なのだが。

 

「もう、礼儀知らずだなんてそれこそ失礼なんじゃない?」

 

「紛れも無い事実じゃない……それで、見慣れない客を連れて来たようだけど……」

 

 女性の視線が自分を捉えた。

 あ、どうも初めまして。

 

「……ふーん、そうあんたが……本当に変な妖怪みたいね」

 

 と、いきなりそんな事を言われてしまった。

 まだ出会って数秒だというのに……というか、変なとは一体どういう意味なのか。

 

「一応自己紹介しておくわ。何代目かは忘れたけど、博麗の巫女……『博麗霊夢』よ。何か悪さしたら問答無用で引導を渡してあげるからそのつもりで」

 

 ……色々と突っ込みたい自己紹介だったが、何となくこれが彼女なりのあり方というのが理解できた。

 それならこちらもそれなりの自己紹介をしよう。

 

 どうも、元月の兎で、現在は居候兎の鈴仙・優曇華院・イナバです。

 趣味は家事炊事洗濯、苦手なものは『所構わず勝負を吹っかけてくる輩』です。

 どうぞよしなに。

 

「あ、流れ的にゆかりんも自己紹介した方が良いわよね? えっと、八雲紫17歳です。好きなものは……」

 

「聞いてないし、息をするように嘘を言うんじゃないわよ」

 

 辛辣な言葉が紫さんを襲う。

 というか、紫さんと巫女さん……いや、霊夢さん、知り合いなのか。

 一応巫女と妖怪という立ち位置の二人なのだが……まぁ紫さんは妖怪でも幻想郷の管理者のようなものだ。

 幻想郷の調停者である博麗の巫女と繋がりがあっても何らおかしくはない。

 

(……そういえば、何で私をここに連れて来たんですか?)

 

 ふと、一番の疑問が再び沸いてきた。

 こうしてわざわざ自己紹介をしに連れて来た訳ではないはずだ。

 

「ん? あぁそれね。実は……」

 

 実は……?

 

「料理、作って欲しいのよ」

 

 ……料理ですか。

 

「えぇ、料理。厳密には、これから此処で小さな宴会開くから、お酒のおつまみになるような物をね」

 

 ……なんだろう、このちょっと拍子抜けした感は。

 というかそれ、自分じゃなくても良いのでは?

 

「そうね、確かに藍に作らせれば万事オッケーよ……けどね、たまにはいつもとは違うのを食べたくなるものなのよ。かといって、自分で作るのは面倒だし、霊夢のはなんか普通すぎて味気ないし」

 

「普通で悪かったわね」

 

 ……まぁたまには一味違うものを食べたくなる衝動は理解できる。

 しかし何故よりにもよって自分なのか。

 もしかして頼めそうな知り合いが少ないとか……?

 実は紫さん友達少ないとか?

 

「失礼ね、ちゃんと友達はいますー。ただ殆どが料理の『り』文字も知らないような連中なだけなんですー」

 

 左様でございますか。

 

「それに、貴女の作る料理興味があるのよ。とっても美味しそうじゃない」

 

 む、そう言われると悪い気はしない……

 ふむ、まぁ別に料理くらい問題ないだろう。

 夕飯の延長戦だと思えば大した気苦労もないし。

 良いですよ、腕によりをかけて作ります。

 

「ふふ、ありがとうね。材料はもう用意してあるから、好きなだけ作って頂戴」

 

 言われるまでもないです、お腹が満腹になるまで作りますよ。

 

「悪いわね、こんな所まで連れてこられた上に変な事頼んじゃって」

 

 いえ、これくらいならなんて事ないです。

 さて、何から作ろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大方の準備が終わり、後は仕上げ……というより、余った材料で適当な品目を作ろうとしているだけだが。

 

(さて……残りの食材でできる料理というと……)

 

 ある程度の候補をいくつか頭の中であげていると、お借りしてる台所の入り口から物音と波長を捉えた。

 そして反射的に目だけを其方に向けると、紫さんをノックダウンさせた、霊夢さんのお子さんが物陰から少しだけ顔を覗かせて此方をじっと見つめていた。

 

 何かあったのだろうかと疑問に思ったが、その子供のお腹の虫が突然鳴きだしたため、すぐに理由が分かった。

 成る程、確かに時間は既に一般的な夕飯の時間を過ぎている。

 おそらくだが、宴会をすると決まっていたのなら、夕食は当然まだ食べていないはずだ。

 そんなまだ幼い子供が空腹に耐えきれるわけもなく、料理の出来具合を確かめるついでに、あわよくば摘み食いをしに来たというところだろう。

 

「…………」

 

 ぐーっとした音が再び響く。

 多分此方が出来上がった料理から離れるか、台所を離れるかのタイミングを見計らっているのだろう。

 しかし残念なことに、自分は余程の理由がない限り調理を中断することも、調理場を離れることもない。

 それにもうすぐで完成するのだから、あと少しの辛抱というやつだ。

 なので此処は我慢してもらうのが当然なのだが……うん、なんだけど。

 

 チョイチョイと、手をお子さんに向け、招き入れる動作を見せる。

 ほら、おいでおいでー。

 

 すると一瞬ビックリした様子を見せ、おそるおそる此方に近づいてきてくれた。

 ほら、これをお食べ。

 

「あ、卵焼き!」

 

 少し前に焼き上げた卵焼きをいくつか小皿に移し、それを渡した。

 すると嬉しそうに卵焼きを次々と口に運んでいく。

 子供特有の食いっぷりだ。

 

「甘くて美味しい!」

 

 と、これまた子供特有の笑顔を浮かべた。

 初登場時のインパクトがあれだったので、少し変わった子供かと思えば、ちゃんと年頃の子供のようなところがあるんだなと少し安心した。

 どうやら師匠の為に練習しといた、ほんのり甘い卵焼きが役に立ったようでなによりだ。

 

「ふーん、誰か大事な人がいるのねあなた」

 

 え……ま、まぁ大事というか何というか……

 何となく師匠には恩返しとか沢山してあげたいし……

 

(……あれ)

 

 ふと違和感。

 今自分は筆談もしていなければ、当然声にも出していない。

 だというのにこの霊夢さんのお子さんは自分と会話でもしたかのように、普通に言葉を発した。

 ……もしや読心術か何かでも身につけているのだろうか?

 

「別に、ただ何となく言いたいことがわかるだけよ。私の勘はお母様より凄いってよく言われるのよ?」

 

 勘。

 そうか勘と来たか……

 もはやそれは勘の域を超えているのではと疑問に思うが、この世には不思議な事が沢山ある。

 あまり深く考えるだけ無駄というものだ。

 

「それよりご飯まだ? もう私お腹と背中がくっつきそうなんだけど……」

 

 む、流石に卵焼き数個程度では子供のお腹は少しも膨れないようだ。

 とはいえもう殆ど準備は終わっているし、これ以上お預けする意味もないだろう。

 

(じゃあ、料理運ぶの手伝ってくれるかな?)

 

「お安い御用よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流石に食べ過ぎた。

 既に自分は夕飯を食べていたから、霊夢さんとそのお子さん、それに紫さんによるプチ宴会には参加しないでおこうと思っていたのだが、『あなたは良い妖怪みたいだから、混ざっていいわよ』だなんて、天真爛漫の子供の笑顔でそう言われてしまったら断ることなんてできるはずもなかった。

 結局最後の最後まで参加してしまい、紫さんにスキマで永遠亭前まで送ってもらったとはいえ、既に日付が変わるくらいの時間帯になっていた。

 

(あれ、灯りがついてる……)

 

 玄関の戸に手を掛けてから気付いたが、戸の先がうっすらと灯りが灯っていた。

 一応就寝時間は、日付が変わる前までと永遠亭では決まっている為、誰かがまだ起きていてもおかしくはないのだが……

 てっきりみんなもう寝ているかと思っていたが、間違いだったようだ。

 というか、戸の先に感じるこの波長は……

 

「あっ……」

 

 戸を開けると案の定、師匠が玄関の壁際に座っていた。

 えっと、何してるんですか?

 

「あ、えっと……か、帰りが遅いからその……まだかなって思って」

 

 ……どうやら心配をさせてしまったようだ。

 よくよく考えたら、遅くなるくらいの連絡をすれば良かったと思ったが、時は既に遅し。

 こんな寒い真夜中の玄関で師匠を待たせてしまったのが申し訳なく思えてくる。

 

(あ、そうだ。師匠一緒にお風呂入りますか?)

 

「えっ」

 

 見たところ師匠もまだお風呂に入ってないようだし、自分もさっさと入って今日は寝たい。

 なのでお詫びも兼ねて、ここは一つ背中でも流してあげなくては。

 なに、恥ずかしがり屋の師匠でも必要以上に密着だとかしない限り問題はないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー今日はありがとうね、紫……」

 

 ちょっとした小さい宴会が終わり、酔い覚ましに縁側で夜風を浴びていると、隣に座っている霊夢からそう言われた。

 

「……えらく今日は素直じゃない、まさか貴女から普通にお礼を言われるとは思わなかったわ」

 

「今日は、じゃないわよ。『最後くらいは』だからよ……」

 

「……そう」

 

 ーー風が二人の間を駆け抜けていく。

 

「本当にあんな事で良かったの? 『前にあんたが話してた、月の兎とやらに会ってみたい』なんてお願いで?」

 

「……正直ね、お願い事なんて何も思い浮かばなかったの。だって私はあんたと会ってから、今この瞬間の間で望みは全て叶っていたから。けどその好意を無下にはしたくなかったから、どうせならあんたがよく気に掛けてた月の兎とやらの事が気になってたから頼んだだけよ」

 

「そう、なのね……本当に望みはもうないの? 何でも言って良いわよ」

 

 今代の博麗の巫女は強かった。

 

「……じゃあ後いくつか良い?」

 

「えぇ、勿論よ」

 

 その身に宿した霊力の質と量は歴代最高とも言えた。

 彼女には才能があった。

 

「肩、貸してくれない?」

 

「えぇ、良いわよ」

 

 ぽすっと、私の肩に霊夢が寄りかかった。

 そう、彼女には『才能だけ』あったのだ。

 

「ーーあの子が次の『博麗霊夢』になる……だからあの子のこと、よろしくね。立派な大人になるまで支えてあげて」

 

「えぇ、良いわよ」

 

 才能に反して、彼女の身体……肉体は弱かった、病弱だったのだ。

 けれど彼女は頑張った、莫大な霊力で無理矢理身体の弱さを補った。

 

「ねぇ、お礼を言わせて紫。これまで私を支えてくれて、最後まで私の意思を尊重してくれて」

 

「……えぇ」

 

 その結果彼女の身体は既に限界を迎えていた。

 ただでさえ脆かった寿命がさらに脆くなったのだ。

 その先に待つのは、言うまでもない早すぎる死だった。

 

「……最後に一つだけ言わせて」

 

「……えぇ、聞かせて」

 

 そして彼女はそんな結末を受け入れた。

 最後まで人間でいることを選んだ。

 

「……あんたの夢、きっと……叶う……わ」

 

 ーー風が止んだ。

 

「……それもいつもの勘なのかしら、霊夢……」

 

 返事は帰ってこなかった。

 只々、静寂が響くのみだった。

 

 

 

 

 




これにて一部……というかプロローグ的なお話は終了です。
次回から本編に入っていきます。

追記
『ー』についての使い方をある方からご指摘してもらいました。
ありがとうございます。

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