猫の鳴き声がした。
人里へ商売をしに行く道、もうすぐで竹林を抜けるというところで、それは聞こえてきたのだ。
「にゃー……こいし様、一体何処へ……もうあたい、歩けない」
それと同時に覚えのある波長がしたため、まさかと思い竹藪の隙間を滑りながら鳴き声のする方へ向かうと……
案の定、以前庭で見かけた黒猫の妖怪がいた。
しかし以前と違うのは、頭のてっぺんから尻尾の先までの黒と少しの赤色が混じった綺麗な体毛はボサボサになっており、明らかに弱っている様子だった。
(……どうするかな)
「……そうか、それで放っておくわけにもいかず、拾ってここまで連れてきたのか」
『えぇ、そういうわけなんで、今日だけでもこの猫を人里に入れてあげて欲しいんですよ』
人里のある飲食店にて、慧音さんとそんな会話を交わす。
「……見た事ない
慧音さんは机の下で一心不乱にに餌を食べている猫妖怪をチラリと見る。
「首輪をしている……という事は飼い主か何かがいるのだろう。ならば早い所飼い主を見つけてやらんとだな」
「いやー、本当に助かったよお姉さん。あたい一応妖怪とはいえ、胸を張れるほどの実力はないし、腹が減り過ぎてもう一歩も動けなかったんだよ」
そうか、野良妖怪の餌になる前に見つけられて良かった。
「いやはや、地上の妖怪にも親切なのがいて本当に良かったよ。不幸中の幸いってやつかね?」
『さぁ、どうだろうね。それより、猫ちゃんの事教えてくれない?』
何事も情報収集からだ。
喋る猫と歩きながら筆談するというのは、中々シュールな感じだが、別に気にする事はない。
「あたいのことかい? 名前は……まぁ『お燐』とでも呼んでねお姉さん。見ての通り、『火車』の妖怪だよ」
火車?
確か、死体を持ち去るだとかそんな感じの妖怪だったろうか。
「そうそうそれ、だから今回のお礼と言っちゃなんだけど、お姉さんが死体になったら綺麗さっぱり持ち去ってあげるよ」
『それはどうも』
もちろん、死ぬ気は全くないが。
『それでお燐ちゃん、見た感じ誰かに飼われているようだけど……どうして竹林に?』
少なくとも、元から竹林に住んでいたという可能性はないだろう。
ならば必然的に、竹林の外からやってきたはずだ。
「あー……まぁ話すとちょっと長いんだけど。あたいは普段は『地底』に住んでいるんだ」
地底……地底というと、幻想郷に存在する地下空間の事を指すのだろう。
確か鬼神さんも住んでいる場所だ。
「それで、地底ではちょっとした有名な妖怪……うん、すごくひ弱で軟弱な方だけど、その妖怪のペットなんだ、あたい」
ほう、飼い主も妖怪なのか。
いや、妖怪を飼うなんて普通の人間には出来ないだろうから当たり前と言えばそうなのかもしれないが。
そもそも地底に人間はいないみたいだし。
それで問題はここからだ、何故お燐ちゃんが地底から地上にやって来たのか。
確か初めて会った時、誰かを探しているようだった。
つまり、飼い主と一緒に地上に観光にでも来ていて、途中で逸れてしまったとか、そういう感じだろうか。
「えーと……半分合っていて半分違うかな」
お燐ちゃんは事の顛末を話し始めた。
なんでも、探しているのは飼い主ではなく、飼い主の妹さんにあたる妖怪らしい。
そしてその妹妖怪に、ある日無理矢理地上に連れて行かれた挙句、少し目を離した途端、見事に見失って離れ離れに……その逸れた場所が、迷いの竹林だったらしい。
「あの方……こいし様はなんというか、放浪癖があって……よく家をいつのまにか飛び出して、いつのまにか帰ってくる……そんな方でね。そして何を思ったのか今回は、気持ちよく昼寝していたあたいを抱えて、『お燐! この前地上で面白そうな迷路見つけたから一緒に行こう!』とか訳の分からない事言ってこの始末なのさ……はぁ、さとり様の膝が恋しいよ」
成る程、つまり妹妖怪が地上で迷路……おそらく迷いの竹林を見つけ、それにお燐ちゃんを無理矢理連れて行き、行方をくらましたというわけか。
しかし、よりにもよって迷いの竹林とは……
『とりあえず、仕事を終わらせてからで良いなら探すの手伝ってあげるよ』
「本当かい? いやー助かるよお姉さん、流石にあの摩訶不思議な場所をあたいだけで探索するのはもう勘弁だよ」
まぁ気持ちはわかる。
自分も慣れるまで、あの環境はちょっと辛く感じた。
「……それにしても」
お燐ちゃんがすれ違いに挨拶をしていく人里の住人達を目で追いながら呟いた。
「ここって地上の人間の集落なんだろう? お姉さん、
『それは培った信頼という奴かな』
確かに、何も知らない者が見たら疑問を抱くだろう。
しかし十数年ほど交流を深めていれば、妖怪だって人からの信頼を得る事は可能だということだ。
実際、既に正体を隠さずとも、人里の人達は自分を普通に受け入れてくれている。
……まぁ、慧音さんが人里の人達に、『薬屋は実は妖怪だが、良い奴だ。だから、ありのままのあいつをみんなで受け止めてやろう』とか言わなければ、正体を明かす気は無かったのだが。
いや、自分が『人里に来るのに、一々着替えたりするのは結構面倒くさいんですよね』みたいな事を数年前うっかり慧音さんに言ってしまったのがそもそもの原因でもあるのだが。
「へー、よっぽど信頼されてるんだね。その慧音さんとやらも、お姉さんの正体を明かしても問題はないだろう……そう判断できるくらいお姉さんを信頼してるし、人間達もそれを受け入れられるほどの信頼を抱いている……お姉さんって本当に妖怪なのかい?」
『まぁ一応はね……それに最近だと、私だけじゃないよ』
通りすがりに、顔見知りを発見したので、お燐ちゃんに分かるように、そこに指を指した。
「いらっしゃいませー! 美味しい八目鰻は如何ですかー! ……ほら、リグルも声出す!」
「い、いらっしゃいませー……」
そこには、
「……あれは?」
『知り合いの妖怪だけど、商売先を拡げたいっていうから、人里で商売してみたら? って私が紹介してあげた。もう一人は手伝い要員として誘ってみた』
最初こそ人里の人々は警戒をしたが、自分という前例と、自分の知り合いの妖怪だという事で、割とあっさり馴染む事ができた八目鰻屋『みすちー』。
今では、売り上げをメキメキと伸ばしているらしい。
『あと、たまにだけどお花を売りに来る妖怪もいるよ』
「……あたいの常識が変なのか、地上の妖怪が変なのかわからなくなってきたよ」
なに、別に分からなくても問題はないので心配は無用だ。
簡単にいくとは思っていなかったが、まさか日が暮れるまで探しても見つからないとは。
『今のところで最後……おめでとうお燐ちゃん、初めて竹林の全てを攻略できた地底の妖怪になれたよ』
「嬉しくないなぁその称号……」
竹林の隅から隅まで探したが、探し妖怪『こいし様』は影も形もなかった。
『うーん、案外先に家に帰ってたりするのでは?』
「あー……あり得なくはないなぁそれ。けど単純にこいし様は隠れるのが得意だから、見逃してるというのもあり得るし……」
ふむ、しかしいくら隠れるのが得意とはいえ、自分の波長レーダーに引っかからないのはおかしい。
たとえ相手が透明だろうと、その生物自身の波長を消せるわけではないのだ。
「何だか便利そうな能力を持ってるんだねお姉さん、けどこいし様の隠れ上手も、実は能力によるものなんだよ」
ほう……?
「お姉さん、『覚妖怪』は知ってるかい?」
悟り妖怪……確か心を読む妖怪だったかな。
「その通り、あたいの飼い主もこいし様も悟り妖怪なんだけど……実はこいし様は『心が読めない覚』なんだ」
心が読めない覚……それは矛盾しているのでは?
「うん、正確には『心を読めなくした覚』だね。こいし様は自ら悟りの能力を閉ざして、その結果全く新しい能力を開花させた……」
少し悲しそうな声をするお燐ちゃん。
「『無意識』、それが覚という自我を閉ざしたこいし様の能力になった。お陰様で、行動が殆ど無意識で行われ、探そうとこちらが『意識』をしてしまうと、『無意識』のこいし様は絶対に見つけられないという何とも面倒くさいものなんだ」
ふむふむ、つまり『無意識の状態』である者を探すには、こちらも無意識になり、同じ土俵にならなければならないということか……
『じゃあいくら探そうとしても意味が無いってことでは? それなら今までの苦労は一体……?』
「い、いや……言おうとしたんだけど、折角手伝ってくれてる相手に『いくら探そうとしても無駄』っていうのはちょっとね……それに、運が良ければこいし様自身が密着する程近づいてくれる事もあるから、今回はそれに賭けたというか」
むぅ、しかし賭けは失敗なのだろう。
もうじき日が完全に沈む、こちらも夕食の支度をしなくてはならないので、今日の所は引き上げるしかなさそうだ。
『とりあえず今日はうちに泊まっていきな、お燐ちゃん。また明日探して、見つからなかったら一度地底に戻ってみては?』
「そうだね……じゃあお言葉に甘えさせてもらうとしようかな」
決まりだ、とりあえずお燐ちゃん用の夕食も用意しなくてはならないのだが、猫に与えちゃいけないものって何だったかな。
帰ってきたら、庭に大きな大穴が開いていた。
何を言ってるのか分からないと思うが、自分も分からない。
「あら、遅かったわね鈴仙……その猫は?」
『ただいまです姫様、ちょっと色々ありまして……それでこの状況は?』
自分の目が狂っていないのであれば、大穴の前でしょんぼりしながら正座をしている鬼神さんと、その側に怒りを剥き出しにして仁王立ちしている師匠が居るのだが。
「……あ、長耳ちゃん! お帰りなさい! 会いに来ましたよ!」
こちらに気づくなり、すぐさま用件を言ってくれた。
しかし、その用件とこの状況は何か関係があるのだろうか。
「聞いてください長耳ちゃん、私普段は地底にいるじゃないですか。なのでよくよく考えたら、地底から長耳ちゃんのお家まで行くのって結構時間かかるし面倒なんですよ。なので作っちゃえば良いって私考えたんですよ」
作る……とは?
「もちろん、『近道』ですよー……いたい! 何で叩くんですか永琳ちゃん?」
まさかこちらが聞く前に全て答えてくれるとは思わなかった。
「あのね、別に来るのは構わないわ。けど、その近道とやらを作るために、わざわざ地底から穴を掘ってここまで繋げて良いとは言ってないわよ! 人の家の庭にこんな大きな穴開けてくれて、お陰様で庭で栽培してた薬草類が全部ダメになってるじゃない!」
おぉ、師匠が珍しく怒ってらっしゃる……まぁ無理もない、師匠が丹精込めて作った菜園が全て水の泡となったのだから。
「ご、ごめんなさい……私、そんなつもりじゃ……うぇぇぇ」
あ、泣き始めた。
どうやら鬼の頂点である鬼神母神は、強く言葉で責められると泣いてしまうらしい。
うーん、どこか彼女は幼子のような気質をしていると、何となく感じていたがここまでとは思わなかった。
逆に天魔さんは年寄りのような気質だというのに、どうして長い間共に過ごした親友同士、こうも性格が違ってくるのだろうか。
いや、最初から違う気質同士だったから、仲が良いのかもしれない。
「は、えちょっと、そんなに強く言ったつもりは……」
師匠も困惑を隠せないでいた。
「あー、泣かしたー、永琳が泣かしたー」
『泣かしちゃいましたね師匠』
「いやー、見事に泣かしちゃったね」
「泣かしたー!」
「え、いや、これ私が悪いの!? ていうか見知らぬ猫まで私を責めないでよ! なに普通に人語で喋ってるのよ!」
しかし事情はどうあれ、泣かせたのは師匠だ。
ほら、あやしてあげてください。
「うぇぇぇ!」
(背骨が……っ!?)
しかしながら、絶賛泣きまくりの鬼神さんは自分にタックルする勢いで近づき、そのまま力一杯自分の腰付近をホールドして抱きついてきた。
さながら、親に甘える子供のような感じだが、普通の子供は背骨を折る勢いで抱きついたりしない。
「ちょっと、何やってるの! 離れなさい……!」
とここで師匠が参戦、鬼神さんを引き離そうと自分の右側を支えにホールドをする。
「私も何となく流れに乗ろうかしら……えいっ」
次にこの状況を面白がった姫様が自分の左腕に抱きつくようにホールド。
「いやー、どうでも良いこと言うけど、お姉さんの頭の上居心地が良いね」
と、自分の頭頂部に腹を乗せてゆったりしてるお燐ちゃんからどうでも良い情報が。
「わーい、私もー」
そしてトドメと言わんばかりに、背中に何かが抱きついてきた。
(これが両手に……いや、全身に華というやつなのだろうか)
下を除いた全ての方向から圧迫感を感じる。
多分滅多に経験できないだろうし、記念にこの感触を覚えておくとしよう。
(しかし何かこそばゆいというか何というか……背中の方に関してはまるで子供をおんぶしているような……ん? 背中?)
ちょっと待て、この場にいるのは自分を含めて五名のはずだ。
前から鬼神さん、右から師匠、左から姫様、上からお燐ちゃん……では後ろから抱きついているのは一体誰だ。
というかさっきから妙な違和感を感じる。
前から抱きついている鬼神さんは馬鹿力すぎて引き離せなかったが、一度師匠と姫様を引き離し、自分の背中に手を回してみる。
すると明らかに自分の背中ではない感触があった。
(……誰この子)
「あちゃー、見つかっちゃったー」
そのまま掴んだ感触を背中から引き離し、手前に持ってくると、見慣れぬ幼子が自分の手の中にいた。
「あー! こいし様! やっと見つけましたよ!」
……成る程、どうやら賭けは成功だったらしい。
「つまり、最近永遠亭で起きていた不可思議現象は全部この妖怪の仕業だったってこと?」
『そういう事になりますね、本人の話によるとですけど』
姫様が言った通り、最近永遠亭では妙な事が立て続けに起こっていた。
夜中に誰も居ないはずの廊下から足音が聞こえたり、廊下を歩いていると耳元に息を吹きかけられたり、戸棚のお菓子や食事のおかずが何品か無くなるなど……原因がわからなかったため放置していたが、まさか犯人がお燐ちゃんの探し妖怪だったとは。
灯台下暗しとはこのことか。
「もーこいし様! 散々探したんですからね!? さとり様もきっと心配してますよ!」
「ごめんねお燐、この場所なんだか居心地が良くて暫く居ついてたの。それより凄いのよお燐、そこの人のご飯とっても美味しいのよ。お姉ちゃんにも食べて欲しいなー」
「相変わらず話が通じ難い……兎に角、一度帰りますよ」
覚の能力を封じた悟り妖怪、『古明地こいし』は確かに異質な様子だった。
会話が成り立っているようで成り立っていない。
加えて笑顔を浮かべるその表情に意味は込められていない。
「自身の象徴、存在意義そのものを自ら封じる……すると突然変異に似た現象が起きて、こうも変質してしまうのね。ちょっと興味深いわね……」
師匠が又もや珍しく、探究心に燃えてらっしゃる。
口では軽く言いながらも、その目はじっと無意識の妖怪を見つめて観察している。
お願いですから、解剖とかしないでくださいよ?
『というか、そろそろ離れてもらえません?』
「嫌です、そうやってまた何処かへ行っちゃうんでしょ? 長耳ちゃんは……」
先程から自分の腰に抱き付いて離さない鬼神さん。
師匠に責められたと感じた故か、どうやら精神的に不安定になっているようだ。
「……私、長耳ちゃんの事が好きです」
そんな呟きが聞こえた。
幸いというべきか、他の皆の注意は妹妖怪こいしに向いているためか、聞こえたのは自分だけのようだった。
うーん、まさか初めての告白が同性の妖怪とは……いや、好意をよせる相手に性別や人種は関係ないかもしれないが、何だか複雑な気分だ。
「いつもそうなんです、長耳ちゃんの事考えると胸が締め付けられるように痛くて、全身が燃えるように熱くなって……身体をぐちゃぐちゃにしたい、もしくはされたいって。これって人間の言葉で言う『愛』ですよね? だから好きです、長耳ちゃん」
うん、それ多分人間の一般的な愛の定義とはちょっと違う気もするが……
「そして何より、私にこの気持ち、『感情』を感じる事ができるようにしてくれた、知恵をくれた、言葉を教えてくれた……そんな長耳ちゃんが本当に好き……きっと天魔ちゃんも同じ事思ってますよ」
…………。
「だから、もし私のこの気持ちに応えてくれるのなら……長耳ちゃんの命を私にください」
もしくは、私の命を……
風の囁き声によってそれ以上は聞き取れなかった。
「悪いな、お前の愛に応えることは私にはできない」
風がさらに強まる。
「……そうですか、フラれたって言うんですよねこれ? 嗚呼、私悲しいです」
そうか、悲しいのか。
しかし、あくまで私はお前の愛に応えることはできないと言っただけだ。
「……えっ?」
その小柄な身体を抱きしめる。
同時に確かな体温の温もりが伝わってくる。
そう、愛の形は様々だ。
それを表現する方法は沢山あるのだ。
手を繋ぐ、見つめ合う、口を重ねる、身体を重ねる……このように抱きしめることだって、愛の表現方法の一つに過ぎない。
だから、お前の考える愛の在り方を受け止められない私は、自分のやり方でお前の想いを受け止める。
ほら、抱き返してみな。
「……あったかいです」
そうか、それは良かった。
「あー! 鈴仙が浮気してる! 大変よ、早くしないと手遅れになるわよ永琳! 具体的に言うとあんたもとっとと抱きつきに行くのよほら早く!」
「は、ちょっと輝夜……!? 押さないでって……な、なななななにしてるのよあなた達!?」
いつのまにか強く吹いていた風も止み、気が付けば師匠達が此方を見ていた。
「えへへー、両想いですね私達」
…………はて、何故自分は鬼神さんと熱いハグをしているのだろうか。
そして顔を真っ赤にして、ズンズンと近付いてくる師匠が。
(……今日の夕飯は何にしようか)
この後の展開を予想して、すぐに現実逃避に走る事にした。
地底組ルートかと思いきや、鬼神様のルート解禁話でした。
というかこの小説、当初は三十話程度で完結させようかと思ってたのですが、普通にこのペースだと三十話以上いきそうでちょっと焦ってますはい。