「はぁ……はぁ……げほっ、いやー走った走った。何だったんだろうねあの赤いやつ……大丈夫かいメリー?」
「—————」
蓮子の心配そうな声がしたが、あいにくそれに答えるほどの体力は無かった。
今にも心臓は破裂しそうなくらい鼓動を続けているし、肺は酸素を欲しがっている。
別に病弱というわけではないのだが、私は運動があまり得意ではない。
それに全力疾走をしたのだって何年振りというブランクがある。
息を整えるのにはもう少しかかりそうだ。
「うーん、それにしても本当にリアルな夢だね。疲れすら現実味を感じるとは……」
「……そう、ね。というか私はもうこれ夢なんかじゃないと思い始めてるわ」
何とか声を出せるくらいには回復した。
「まぁ夢なのかそうではないのかは取り敢えず置いといてさ、これからどうする?」
「どうするって言われても……」
可能ならもうこの夢から醒めたいが、やり方がわからない。
この前はオオカミみたいのに追っかけられてる途中で目覚めたが、そのトリガーが何なのか全く予想できない。
つまり、結局は先程と同じ結論、歩き回るしかないと蓮子に伝えようとしたその瞬間、私の横を『何か』がかすめた。
——いや、かすめたのではない、確実に何かが私の左腕を『貫いた』。
「————ッ!?」
「メリー!?」
そして激痛、まるで刃物が肉を抉るような痛みだった。
嫌な予感がしつつも、痛みの発症源である左腕を見ると、真っ赤な私の血液が腕と地面を染めつつあった。
「い……たい……!」
正直泣きそう……いや、既に涙は出てしまっている。
体験した事がない激痛に、涙腺が我慢できるはずもなかった。
「メリー! あぁ血が! 一体何だってんだよ!」
「蓮子……いいから逃げましょう」
不思議と頭は冷静で、状況の分析はスムーズに行えた。
今私の腕を貫いたのは、明らかに殺傷能力のあるものだった。
それが何処からともなく飛んできたという事は、明らかに私達に対して敵意を向けた人為的なものだ。
つまり私達は今、何者かに命を狙われているという事だ。
痛む左腕を右手で押さえながら、その場から走り去る。
そんな私を慌てて追おうとする蓮子。
痛みと不安から頭がどうにかなりそうだった。
喋る余裕なんてなかった。
ただひたすらに、ガムシャラに走る。
謎の攻撃は未だに続いていた。
今でも逃げ惑う私の背後を撃ち抜かんとばかりに。
幸いにも、走っている標的に当てるのは難しいのか、たまに服の上から掠める程度だった。
それと前を先行している蓮子の背中が見えるだけでも、心に少し余裕があった……
「メリー! 大丈夫かい!? 私がおぶってあげようか!? それともお姫様抱っこが良い!?」
と、走りながらも大きな声をまだ出せる余裕があるとは正直驚きだ。
もしかして私の知らないところで体力作りとかしていたのだろうか?
というかこんな状況でもいつもの調子を崩さないという事は、精神面でも彼女はタフなのかもしれない。
(……何を呑気に蓮子の分析なんかしてるのよ私)
現在進行形で命を狙われているというのに、蓮子だけじゃなく私の思考もいつもと変わらない気がしてきた。
あれだろうか、心の何処かでまだこれは『夢』だと思っている自身がいるのだろうか。
だとしたらとんだ間抜けだ、いい加減自覚しろ、これは……
——紛れも無い現実なんだと。
「あぐっ……!」
「メリー!?」
次の瞬間、今度は右脚に激痛。
どうやら幸運はここまで、見事使い切ってしまったようだ。
あまりの痛さと衝撃に私はそのまま地面に倒れ伏した。
(このままじゃあ……!)
動きを封じられた獲物ほど狩り易いものはない。
あと数秒後には私の身体はズタズタに撃ち抜かれるだろう。
そして私の次はおそらく蓮子……
そう考えると、何故だか自身の死よりも彼女の死の方が恐ろしく感じた。
——まるで時間の流れが遅くなったような感覚だ。
目の前には慌てて駆け寄ろうとする蓮子。
そして背後には見えないが、おそらく私目掛けて飛来する何か。
何もかもが、スローモーションのように感じた。
間も無く来るであろう痛みに耐えようと、グッと瞼を強く閉じる。
……しかしどうしたことだろうか、既に十秒ほど経っても私の身体は繋がったままだ。
恐る恐る瞼を開き、うつ伏せの状態から仰向けにする要領で身体をひっくり返してみると……
「…………」
誰かがそこに立っていた。
まるで倒れた私を守ろうとしているように。
まず目に入ったのは紫色の髪だった。
次に頭頂部の大きな耳、そしてそれに対してあまりにもミスマッチな格好。
そして風によって小さくなびく長髪の髪の毛が、とても美しいと感じた。
その人影はゆっくりとこちらに振り返った。
「……素敵な目」
ふと、意図していないにも関わらず思った事を口に出してしまった。
その真っ赤な瞳があまりにも不気味で、純粋で、あまりにも綺麗だったから。
「おわっ! な、何これ? 『今のうちに逃げろ』って……」
すると突然、丸めた紙切れのようなものを蓮子に投げ渡した。
その内容はおそらく今蓮子が言った通りだろう。
そしてその人影は、まるで重力なんて関係ないと言わんばかりに、物凄い跳躍をして竹藪の中へと消えていった。
「な、何だかよくわからないけど、チャンスなのかな!? 逃げようメリー!」
蓮子はそう言うと、私の身体をおぶってそのまま走り出した。
「蓮子……それじゃあ血が服に付いちゃうわ」
「服が何だってんだ、シャツ一枚が汚れるくらいで友人の命が助かるのなら安いもんさ。というか軽いなぁメリー、ちゃんと食べてるの!?」
……そんな蓮子の声が聞こえたが、私の意識は段々と薄れていった。
口を動かす気力すら無く、そのまま蓮子の背中に顔を埋め、意識を完全に閉ざした。
「……どうして邪魔をするの?」
『そりゃあしますよ、目と鼻の先で人が襲われてるのを黙って見てるなんてできませんし。というか、どうしたんです? 『あなた』はこんな事をするタイプではないと思ってたんですが』
「ならそれは勘違いね、私だって時と場合によっては非道とも思われる行為だってするわ。何より……この件は兎さんには全く関係ない、だから邪魔をしないで頂戴」
『つまりあなたと、あの人間……何か深い関係があるという事ですね。ふむ……となるとやはり、あの妙な波長は私の勘違いではなかった?』
「……それ以上詮索するのはやめなさい、でなければ容赦はしないわよ」
どうやらあちらは本気のようだ。
ならばこれ以上刺激するのはやめといた方が良いだろう。
『……せめて理由くらいは』
「聞こえなかったかしら、あなたには関係ないって言ったの」
うーん、だめか。
仕方ない、ここは潔く諦めておこう。
あの人間の怪我の方も心配だ、はやく治療してやった方が良いだろう。
『それじゃあ気が変わったらいつでも相談に……もう居ないし』
もしやまたあの人間を追い掛けに行ったのではないかと焦ったが、どうやらあちらも一度身を引いたようだ。
(さて、あの二人は……と)
既に二人の波長は覚えてある。
はやいところ見つけ出して保護しなくては、色々と危険だ。
(……いた、今度は逃げられないと良いんだけど)
初めに彼女達を見つけた時は、驚かせてしまったのか凄い勢いで逃げられてしまった。
やはり背後から近づくのはマズかったのかもしれない。
なので次は堂々と真正面から近づこう。
タイミングを見計らってから、勢いをつけて跳躍をする。
そして……
「どわぁ!? び、ビックリしたぁ!」
黒髪の、少しボーイッシュな感じの少女の前に着地した。
……結局驚かせてしまってはないだろうかこれ。
「あ、あなたは……えっと、さっき私たちを助けてくれた人……? ですよね?」
『とりあえず細かい挨拶はあとにしよう、そっちの金髪の子の怪我の治療を優先させたい』
どうやら命を落としたわけではないが、意識が無い状態のようだ。
早い所処置をしなければ手遅れになる可能性だってないとは言い切れない。
『まだ走れる? 私の背中を見失わないようについて来て、じゃないとこの竹林にあなた達の墓石ができることになるから』
「え、何それ怖い」
「うわ、でっかい屋敷……」
玄関を開けると、師匠が出迎えてくれた。
『師匠、急患です』
「私は医者じゃないんだけど……まぁ良いわ、とりあえず空いてる部屋に寝かせといて、見た感じ簡単な治療で済みそうだし……何かこの子の顔、どこかの誰かさんに似てない? 気の所為かしら……」
『気の所為ですよ』
師匠の疑問を軽く流して、空き部屋へと少女を案内する。
そして小さな机を並べて、その上にシートを被せた簡易的な診察台をつくり、その上に怪我人をそっと乗せる。
「あ、あの……メリーは、大丈夫……なんですよね?」
『命に別状はないよ、怪我も見た目ほど酷いものではなかったし……あとは私の師匠に任せるだけだから、貴女も少し休んで。美味しいお茶でも淹れてあげるから』
「で、でも……」
先程から心配そうに台に乗せられた金髪の少女をチラ見する黒髪の少女。
どうやらこの二人の絆は深いらしい。
『いい? 貴女は今自分で思っている以上に精神的に凄く混乱している状態だし、疲弊してるの。それを我慢し続けても、すぐに倒れちゃうわよ? あの子……えっと、メリーちゃんが目が覚めた時に、そんな状態の貴女を見たいと思う?』
「それは……そうですね」
よし、どうやら納得してくれたようだ。
「あの……ところでなんですけど」
『うん? どうかした?』
居間へと向かう途中、突然話しかけられた。
「その……コスプレとかがご趣味なのですか?」
……はい?
「あ、いえ! 決して悪い意味ではなくてですね、ただ今時ウサギのコスプレとか珍しいなぁなんて……」
『……えっとね、これは仮装とかじゃなくてね……』
何か勘違いをしているようなので誤解を解こうとしたが、そういった話は後でまとめてすれば良いだろう。
『まぁ兎も角、私の姿なんかで驚いてたらこの先大変だよ? 何せ私より凄い見た目のがこの屋敷にまだいるから』
「? それはどういう……」
「いやー驚いたなぁ! まさかあのかぐや姫だけでなく、『鬼』とか『天狗』が実在してだなんて! 人生何があるかわからないもんだねいやほんとに」
「ふむぅ、外の世界にもまだ儂等の伝記は残ってるとは正直驚いた。人間なんてどうせすぐ忘れる生き物かと思っていたんだが……」
「なんだか照れちゃいますねぇ」
「ていうか待って、私の話が絵本とかになってるって本当なの? それプライバシーの侵害じゃない? 誰よそれ書いたやつ、もし見つけたら難題ふっかけてやるわ」
現在我が家の居間は実に賑やかだ。
黒髪の少女……名を宇佐見蓮子というらしい。
少女蓮子には幻想郷のこと、今の状況の説明、それから自己紹介を軽くした。
不思議なのは、彼女からしたら全く信じられない話だというのに、彼女は幻想郷の全てを受け入れた。
自分達の話を全て真実として聞き入れたのだ。
「いやーなんて言いますか……昔からそういうファンタジーというか、不思議な話とかは大好きなんですよ。小さい頃はよく図書館とかで神話だとか妖怪図鑑だとか読み漁ってました。だから正直な話、メチャクチャ感激してます。ずっと空想の中でしか考えられなかった存在と、こうして対面しながら話をするなんて」
そう語る彼女の顔は、何故か少し曇ってた。
「……けど、そのせいで私の親友が大怪我をしたのも事実なんだよね。なんていうか、嬉しさと悲しさが混ざって変な気分です」
そして彼女は苦笑する。
「なに、お前さん達は運が良い方だと思うぞ。儂が聞いた話では、外来人の殆どはそこら辺の野良妖怪の餌になるか、気が触れて自ら命を絶つものが殆どらしいからな」
「へ、へぇ……そうなんですか」
天魔さんや、それフォローになってないですよ。
短いですがキリの良いところで区切ります。
次の話でこの章は終わりにするつもりです。