第24話
むかしむかし、ある所に一人の『ニンゲン』がいました。
ニンゲンは美しい木々に囲まれ、綺麗な湖、暖かな光に満ちた楽園に住んでいました。
しかし、そんな素晴らしい楽園にはニンゲンしかいません。
鳥も、魚も、動物もいません。
ニンゲンはたった一人だったのです。
しかしニンゲンは悲しくありませんでした。
何故なら、ニンゲンには悲しいと感じる事は出来なかったからです。
ニンゲンには『感情』がありません。
悲しみも、喜びも感じません。
感情というものが何なのかもわかりません。
しかしニンゲンは大して気にもしませんでした。
だってニンゲンは、元からそんな機能は必要なかったからです。
ニンゲンは『星の意思』によって創られました。
星は自分の
最初は小さな微生物から始まり、魚や鳥、様々な動植物を創っては失敗作だったと星は嘆きます。
しかし星は諦めませんでした。
失敗を繰り返し繰り返し、少しずつ改善していきます。
そして永い年月をかけて、成功作として創られたのがニンゲンだったのです。
星は早速ニンゲンに命じます。
『種を増やせ、繁栄させよ』
大地の殆どが人間という『種』で埋め尽くされるくらい繁栄させろ。
星はそう命じました。
ニンゲンはそれに従います。
何故ならその為に自分は創られたのだから……と。
とはいってもニンゲンのやる事はとても簡単でした。
ただ楽園で日々を過ごしていれば良いのです。
ニンゲンという存在がいるだけで、次第に人間という種は大地に生まれ始めるからです。
ニンゲンは言うなれば『見本』でした。
ニンゲンという見本があるからこそ、人間は増えていき、やがて大地の支配者となるのです。
だからニンゲンは楽園で日々を過ごします。
やる事と言えば、大地から切り離された場所にあるこの楽園から大地の様子を覗き見る事。
後は楽園内を散歩したり、木になっている果実を食べたりする事くらいです。
別に辛くはありませんでした。
だってニンゲンには感情がないのだから。
ある日の事です。
大地にも人間という種が生まれ始め、それなりの年月が経ったころです。
ニンゲンは不思議な光景を目にしました。
それはいつもの様に大地の方を覗き見していたところ、大地に住む人間達の様子が変だった事に気が付いたのです。
どの人間達も、目や口の形を変えて変な顔の形にしたり、口を大きく開けて声を出したり、グッと口を閉じて目から水を流してたりしているのです。
それだけじゃなく、特定の人間同士が常に一緒に居続けたり、互いに尖らせた石や木を使って殺し合いをしていたりもしていました。
ニンゲンには理解できませんでした。
人間という種は、いわば星の大地の掃除屋。
出来るだけ長く星の形を保たせるためだけに存在している生物です。
それなのにどうして人間達は、互いに干渉し続けるのでしょうか。
どうして口を歪ませるのでしょうか、どうして互いの命を削り合うのでしょうか。
星の維持の為に、それらの行為は無駄な行為の筈です。
不要なものの筈です。
だからニンゲンには全くもってその理由がわかりませんでした。
ニンゲンは自分のこれからの行動に疑問を持ちました。
実はニンゲンの与えられた役割は他にもあったのです。
それは、人間という種が星にとって悪影響を及ぼすだけの存在だったら、ニンゲンは人間を全てこの星から排除するという役割です。
ニンゲンは判断が上手く決められませんでした。
確かに人間達は不可解な行動をしていますが、それが星の悪影響となるかはまだ分からないからです。
なのでニンゲンは、まず人間達の不可解な行動の原理について知る事にしました。
そうすれば正しい判断がくだせるからです。
ニンゲンはその手段として、直接人間との接触をする事にしました。
初めてニンゲンは人間達の大地へと足を下ろしたのです。
ニンゲンが普段いる楽園に比べたら、大地は豊かとはいえません。
しかし何故だか、大地を初めてこの目で目にしたニンゲンは言葉にできない不思議な思考を持ちました。
やがてニンゲンは、花が密集している場所で一心不乱に花を抜き取るという意味不明な行為をしている人間に会いました。
丁度良い、あの人間を観察して理由を探ろう。
ニンゲンはそう思い、人間に近づきました。
するとニンゲンに気が付いた人間が振り返り、しばらくの間目を見開いてニンゲンの事をじっと見つめました。
そしてこれまた不思議な事に、抜き取った花の一部を手に持ってその場を立ち上がり、ニンゲンの方へ駆け寄ってきました。
『■■■■■■■!』
と、謎の声を上げ手に持った花を押し付けてきました。
そしてその人間は、手を大きく振り上げながらその場を去っていきました。
今の行動は何だったのだろうか、そんな疑問がニンゲンの中に残りつつも、ニンゲンは一度楽園に帰ることにしました。
そして人間に持たされた花を視界に入れた瞬間、何故だか胸の奥が温かくなった気がしました。
ニンゲンの人間観察は続きました。
そしていくつか気が付いたことがありました。
「……あ……ぅ……」
人間はどうやら、声を使ってコミュニケーションを取っているようだ。
そして意味のある声を編み出し、それを共有して『会話』というものを行なっていることに気が付きました。
ニンゲンも人間を理解する為に、声の練習をしてみました。
「……お、はな……あげる……ね」
そしてそこそこ声を使えるようになった頃、花を自分に押し付けた人間があの時出していた声の通りにニンゲンも声を出してみました。
どうやら、花を渡すという意味があるらしい。
……何故あの人間は自分に花を渡したのでしょうか、さらなる疑問が出てしまいました。
そして更にニンゲンの人間観察は続きます。
何度も、何度も、何度も、人間を知ろうと努力し続けました。
そして永い時を経て、漸く結論が出ました。
どうやら人間は、『感情』という機能を新しく手にしたらしい。
感情とは、快、不快をさらに細かく分けた思考のあり方で、『喜び』、『悲しみ』、『怒り』など様々な種類があるようです。
……全くもって余計な機能だ。
そんなものがなくても人間は生きていけるし、寧ろ感情というものが人間の行動自体に悪影響を及ぼしている場合がある。
これでは、星にもいずれ影響が出てしまう可能性がある……なので、ニンゲンは人間を排除すべきなんだろう。
しかし、どういうわけかニンゲンは人間を排除したくありませんでした。
ニンゲンには、自分がどうしてこの考えに至ったのか全くわかりませんでした。
ニンゲンは気付いていなかったのです。
既にこの時、ニンゲンにも『感情』が芽生え始めていることに。