私は私だ。
私が私として存在した時から、それは一生変わらない事実。
私は最後まで私であり、最後の後も私であり続ける。
例え誰の記憶にも残らなくても、私自身が私という存在を忘れたとしてもそれは私である。
そう、私は『 』だ。
そして私は罪を背負っている。
どんなに頑張っても、どんなに償おうとしても絶対に許されることのない大罪だ。
だから私は永遠にその罪を背負い続ける。
最初はよく分からなかった。
けれど暫くして、罪の意識が段々と強くなって、やがて自覚できるようになった。
嗚呼……私は取り返しのつかない事をしてしまった。
どうすれば良いのだろうか、どうすれば良かったのだろうか。
そして気付く。
既にこの時点で、私は何処か『おかしくなった』ことに。
手遅れだ、もう私は狂ってしまった。
その後はずっと罪の意識で苦しんだ。
手遅れだと分かっていながら、何とか罪を拭い去ろうと奮闘するが、全て無意味だった。
それ故に私は苦しんだ、辛かった……本来なら感じる事のない感情に振り回され、私は全てが嫌になった。
そこから私はさらに『おかしくなった』。
今度は逆に楽しくなってきたのだ。
罪の意識が背中を這い上がるその感覚が、苦しんでいる自身が愛おしく感じた。
それが初めての快感、快楽だった。
苦しいけど楽しい、辛いけど嬉しい。
その矛盾が私をさらに『おかしくする』。
誰か、誰でも良い。
私を、私を■■して……
……嗚呼でもダメだ、私はまだ終わりたくない、終わってはいけない。
だって私はまだ罪を背負っている。
永遠に終わることのないものを。
…………少し眠くなってきた。
また暫く眠るとしよう。
けれどそろそろ潮時かもしれない。
私が寝ていられる時間は、もう短いのだから。
(……あれ?)
ボヤける視界と頭で、自分は目覚めた。
(ここは……月の海? なんでこんな所に……)
記憶のピースがうまくハマっていない。
しかしピース自体は揃っているため、思い出すのにそう苦労はしなかった。
(……そう、確か真相を確かめる為に来たんだった)
何故そんな単純な目的を忘れていたのか。
(ふむ、なら話は簡単。依姫様か豊姫様を探そう)
どうやら二人とも既に近くにいるようだ。
それとかつての同僚と友人も。
……ついでに地上での知り合いも何人かいるようだ。
特に争っている様子ではないので、もう勝負はついたのだろう。
どっちが勝ったのかだなんて、考えるまでもない。
それならばそう急ぐ必要はない。
ゆっくりと歩を進め、いつのまにか手に持っていた煙管で煙を吸ったり吐いたりする。
……変わらない。
この月は何一つ変わっていない。
人も景色もその在り方も、何一つ進歩していない。
ここに住むモノは永遠にここで止まり、朽ち果てるのだろう。
……嗚呼、今なら何故自分が地上に行ったのか分かる気がする。
きっと、『憐れんだ』のだろう。
この月を、月の住人の生き様を。
尤も、自分が月を出て地上に行った理由はもっと別のものかもしれない。
その理由は何かと聞かれると、うまく答えられない。
答えられないが、きっとそこには自分でも分からない程の大事な理由があるのだろう。
(……さて、どう接触したら良いだろうか)
気が付けば目と鼻の先に目的の人物達が、何やら楽しそうに騒いでいる。
近づくのは簡単だが、どう転んでも面倒な事にしかならない気がするのは気の所為ではないのだろう。
「なぁ少しくらい良いだろ? 折角来たんだし」
「ダメです。あなた方にはすぐに地上に帰ってもらいます」
「なら何で霊夢だけは帰さない気なんだ? 不公平だぜ」
「彼女にはやってもらうべき事があるからで……ええい、離しなさい。斬り落としますよ」
霧雨魔理沙は諦めが悪かった。
遠路はるばる、狭いロケット生活を何日も過ごしここまでやって来たのだ。
それなのに弾幕ごっこをした程度ですぐに帰るのは、些か不満だ。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだって」
「何がちょっとなのですか! いい加減服を掴んで引っ張るのはやめなさい、これお気に入りなんですから!」
だからこうして抗議の声を上げているのだが……流石見た目通りの頑固女だ。
「なぁ、そっちのあんた。少しくらい良いと思わないか?」
「そうねぇ……あなた、桃は好きかしら?」
「おう、別に普通なくらい好きだぜ」
「……ねぇ依姫、少しくらい良いんじゃないんかしら」
「お姉様、今のやり取りの何処にそんな判断ができるところがありましたか!? 大体そこの金髪、『別に普通』だって言いましたよ!?」
桃を大量に抱えた女の方は話がわかる奴だが、いかんせんこの刀女は首を縦に振らない。
かといって力づくという訳にもいかないし、説得をするのも無理そうだ。
『魔理沙ちゃん、あまり我儘は良くないよ』
「あん? 何言ってんだ、我儘は若い頃の特権だぜ。使える時に使わなくてどうすんだよ」
背後から肩を叩かれ、振り向くと鈴仙がいた。
相変わらず自分の親のように諭そうとするコイツは、一生をお節介焼きで終えそうだ。
…………ちょっとまて。
何かが変だ。
「………………お前、何でここに居るんだ?」
そこには居るはずのない奴がいた。
『……ちょっとした里帰りかな?』
私だけじゃない。
その場に居合わせた全員が、突然の乱入者に目を見開いている。
「……え、あ……? れ、レイセン? あれ、なんで……」
『お久しぶりです依姫様、とりあえずただいまです』
その中で一番動揺していたのはきっと刀女だろう。
「レイセン……あなた」
『豊姫様……相変わらず桃ばかり食べているようですね』
次に反応できたのは桃女。
相手の驚愕を無視して鈴仙は何でもなさそうな態度で対応をする。
「……なっちゃん? なっちゃん!」
そしてその次に反応したのは、髪の短い兎だった。
「久しぶり! 元気にしてた?」
『うん、みっちゃんも元気そうでなにより』
兎はその場から跳躍して、鈴仙に抱きつく。
鈴仙もそれを難なく受け止め、抱き返した。
どうやら鈴仙とあの兎は、他の者よりも親しい間柄らしい。
そして暫くは、感動の再会を果たしたような空気になり、鈴仙は兎たちに囲まれ其々に再会の挨拶をしている。
「……なぁ霊夢、鈴仙の奴いつのまにこっちに来たんだ?」
「知らないわよ……ここはアイツの故郷みたいなものなんでしょ? なら私たちみたいにロケット使わなくても直ぐに行き来できる手段があったんじゃない?」
言われてみればそうか。
確かに鈴仙は月から来たと言っていた。
すっかり地上に馴染んでいるため、全く違和感を感じなかったが。
「……レイセン、随分と大きくなりましたね」
と、ここで刀女が再起動した。
顔をうつむかせ、その表情は読み取れないが声色には歓喜が混ざっているのが分かった。
『……えぇ、いつのまにか依姫様より背が高くなりましたね』
——瞬間、周りの空気が変わったのがわかった。
静電気がピリピリと肌を纏わりつくような、気色の悪い感覚。
それが刀女から出ているものだと気付くのは、すぐだった。
「正直言って嬉しいです、どんな理由があってここに戻ってきてくれたのかは知りませんが……こうして成長した貴女にまた会う事ができるとは」
『そういう依姫様は……全く変わってないようですね』
鈴仙の周りに群がっていた兎たちが即座にその場を離れる。
桃女もこれから起こることを知っているのか、何やら深妙な表情をして見守っている。
今の状況が飲み込めてないのは私と霊夢、それと鈴仙と同じ名前を持つレイセンだけだった。
……そして時間にして三十秒ほど。
変化は一瞬で起こった。
「————せっ……!」
短い掛け声と共に、刀女はその場から踏み込んだ。
両者の距離はそこそこ離れていたというのに、たった一度の踏み込みだけで刀女と鈴仙の距離は手を伸ばせば届く程のものに縮まった。
あまりにも人間離れしたその技に此方が驚いていると、次に刀女はその刀を振るった。
素人でもわかる。
あれは、あの一振りは『殺すための』ものだと。
的確に急所を狙い、確実に相手を仕留める為の攻撃。
このままでいくなら、鈴仙の首が派手に吹っ飛ぶ光景が脳裏に浮かんだ。
『————』
しかし鈴仙はそれを避けてみせた。
特に慌てる様子もなく、まるで予想していたかのように身体の重心を逸らして刀の一閃を避ける。
そのあまりにも鮮やかな動作に、一瞬だけ目を奪われた。
「……やはり避けましたか。そうでなくては面白くない」
必殺の一撃というわけでもなかったのだろう。
刀女も避けられる事を予想していたのか、すぐ様体勢を立て直し、次の攻撃を繰り出す。
刀は美しい曲線を描くように、空中を飛び回る。
その様子がとても美しく、まるで夏の夜に飛び回る蛍の光のようだった。
しかしその実態は、相手を殺傷する為の危険な光だ。
迂闊に触れようとするのなら、真っ先に真っ二つにされるだろう。
『————』
そんな危険なものを、鈴仙は器用に何度も避ける。
刀女の繰り出す刀の技も美しいが、鈴仙の避ける姿もまた美しかった。
「————あ」
ここでようやく頭が正常になった。
突然の事でつい呆けてしまったが、よくよく考えてみればいきなり殺し合いが目の前で起こった事になる。
ただ再会したというだけで、あの刀女は鈴仙に突然斬りかかった。
普通に考えれば、それは異常なことだ。
「な、なぁ……あれ放っといて平気なのか?」
あまりにも動揺していた為、そんな言葉を自然と口に出してしまった。
「平気よ、だって『いつものこと』だもの……とはいえ、依姫ったら随分とご無沙汰していたせいで、いつもより激しくなってるわね」
すると意外なことに、桃女が答えてくれた。
「いつもだって? おいおい、お前の妹さんは鈴仙に恨みでもあるのか? あれ、鈴仙の事確実に殺そうとしてるぜ」
「別に殺そうとはしてないわ、単に『殺すつもり』で戦おうとしてるだけよ……そうね、昔はあれがあの二人の日課だった。要するに戯れ合ってるだけなのよ」
「……あぁ、成る程。何となくわかったぜ」
幻想郷にもそういう輩は何人かいるし、知り合いにもそういう奴がいる。
考えてみれば、そうおかしくはない事だ。
それにしても、鈴仙の謎が一つ解けた気がした。
あんな事を日課でしていたのなら、『避ける』ことに関しては凄まじいスキルを得られるだろう。
鈴仙は弾幕ごっこをする時は、基本受けに回ってカウンターを狙ってくるタイプだ。
あれだけの逃げのスキルがあるのなら、そのような戦術を取るのはごく自然の事だ。
「あら、私が散歩してる間に面白い事になってるわね」
と、そこで今回の主犯ともいえる紅魔館の主が従者を連れ現れた。
「なんだレミリア、負けて拗ねてたんじゃないのか?」
「冗談、大体私は負けてないわ。今日は日焼け止めを塗るのを忘れただけよ」
まるで子どものような言い訳をアッサリと述べるこの吸血鬼は、ある意味では大物なのかもしれない。
「——あの兎、確か竹林の……何故アイツが此処にいる?」
「知らん、気が付いたら居たぜ」
少なくとも、ロケットに忍び込んでいたわけではないだろう。
あんな狭苦しいところに、隠れるスペースなどないのだから。
「咲夜、お前は気付いていたか? あの兎の存在を」
「れっちゃんの事ですか? いいえ、私もまさかれっちゃんが此処にいるとは思いませんでした」
「……あー咲夜? 今何といった?」
レミリアが素の声で従者に聞き返した。
当然だろう、私とレミリアの聞き間違いでなければ、咲夜は鈴仙の事を『れっちゃん』と可愛らしいあだ名で呼んだのだから。
「? えっと、れっちゃんの事ですか? いいえ、私も」
「違う、私が聞きたいのは何故あの兎の事をそんなファンシーな名で呼ぶのかという事だ」
そんな主の問いに、従者は『何故そんな事を聞くのだろう』といった様子で答えた。
「それは当然、れっちゃんと私は仲良しですから……ちなみに私は『さっちゃん』と呼ばれてますよ」
「「さっちゃん」」
意外だ。
というか驚愕だ。
あの十六夜咲夜が、鈴仙と仲良しという事だけでも大変だというのに、互いを愛称で呼び合う程進展しているとは。
「れっちゃんとは人里でよく会うんですよ。それで世間話を何度かしているうちに親密になりました……今ではお泊まり会をする程の関係になりましたよ」
「まさかあの時か? お前が珍しく『休みが欲しい』と言ったあの日、あの兎と仲良く同じベッドに入ったということか? おのれ、主人を放ったらかしてそんな事をしていたとは……!」
……改めて鈴仙の人脈の広さに度肝を抜かれた。
あいつ、その気になれば幻想郷を支配できるのではないだろうか。
それも全員と友達になるという方法で。
寝巻きで同じ布団に入って、お互い抱き合いながら眠っている鈴仙と咲夜さんを想像するところまではいきましたはい。