これで何回目だろうか。
あの事件の日以来、綿月依姫に気に入られ月の使者の一員として過ごし始めてから、毎日のように特訓とやらに付き合わされた。
別にそれ自体は嫌ではない。
ただ、その行為が依姫様にとって『何の意味もない』ことだ。
理由が無いのに、それを繰り返す意味が自分にはどうしても分からなかった。
ただ強くなりたいという理由なら納得はする。
その特訓にはそれ相応の価値が付くだろう。
しかし依姫様は気づいていない。
依姫様は強さを求めて毎日のように特訓をしている、本人もそう言うのだが、実際には違う。
正確には、『弱さを隠そうとしている』だけなのだ。
自分は弱くない、弱い存在ではダメだ。
だから強くなりたい、強さを見せ付けたい。
それが今の綿月依姫という人間だ。
本来綿月依姫という人間は、決して強い人間ではない。
弱さを自ら押し殺し、強さでそれを隠そうとしている。
今もそうだ、振るう刀に『殺意』は籠っているが、何より本人からはそれが感じられない。
普通は逆であるべきだ。
刀は所詮無機物、それに感情を乗せるのは間違いであり、無慈悲であるべきだ。
そして刀を持つ者は、相手に対してあらゆる感情を乗せなくてはならない。
綿月依姫はそれができていない。
それ即ち、綿月依姫は本来戦うような人間ではないという事だ。
ハッキリ言ってしまえば、その手の方に向いていないのだ。
しかしそれでも強さを持とうとするのには、相当の理由があるのだろう。
気付いていないとはいえ、強くあろうとするその姿勢を長い間続ける事が出来るのは凄いことだ。
だから何の意味もない特訓に、自分は黙って付き合う。
本人のその意思を、何よりも尊重したかった……そして何となくだが、その原因が『私にある』気がした。
ならば自分は精一杯自分の出来る事をしてあげるのだ。
それが綿月依姫と、レイセンの関係だ。
鈍い金属音が鳴り響く。
自分の爪先が、依姫様の刀を遠くへ蹴り上げた瞬間に生じた音だった。
「…………また、負けてしまいましたね」
正気に戻ったかのように、彼女はフッと笑い言った。
この特訓の終わりは、依姫様の手から刀を奪い去るという条件が殆どだ。
何年経ってもその暗黙の了解が続いていて、内心ホッとした。
具体的に言うと、鬼神さんのような性格になっていなくて良かったということだ。
「お帰りなさいレイセン、また会えて嬉しいです」
『私もです、依姫様』
そして今更の挨拶を交わす。
「それでレイセン、どうして戻って来たの? もしかして地上は嫌になって帰ってきてくれたのかしら? もしそうなら遠慮しなくていいのよ、依姫も喜ぶだろうし」
「わ、私は別にレイセンが何処に居ようが構いません」
あの後、霊夢ちゃん以外の来訪者達を地上に返し、こうして自分と綿月姉妹の三人で久しぶりに屋敷の廊下を歩いていると、豊姫様にそう言われた。
『いえ、少し確認したい事があって来ただけです』
「確認したい事……? あぁ、もしかして」
豊姫様は察してくれたのか、納得の表情をする。
「そうね、今すぐ話してもいいけど……折角来たのだから、少しゆっくりしていって。私や依姫、他の兎たちと楽しむ時間があっても良いでしょう? その条件を承諾できるのなら、貴女の知りたい事を教えてあげる」
『言われるまでもないですよ』
少なくとも一泊はするつもりだった。
正直師匠や姫様達が心配ではあるが……なに、一日くらいなら平気だろう。
「で、でしたらレイセン! あの、夕食まで時間はまだありますし……それまで私と兎たちで……」
自分が暫く此処にいる、そう決まった瞬間依姫様は嬉し恥ずかしそうにそう言った。
『えぇ、午後の訓練ですよね? 良いですよ、付き合います』
「!」
こうして歓喜の表情をする依姫様は、何処にでもいる普通の少女のようだった。
「ダメよ依姫、午後からは事務作業があるじゃない。それにあの巫女を使ってはやいところ疑いを晴らさなくちゃ。それらを終わらせてからにしなさい」
と、豊姫様の一言で一気に沈む彼女。
まさに空から引きずり降ろされ、地獄に堕ちたような感じだ。
『では先に皆の所に行ってます。ちゃんとお仕事終わらせてから来てくださいね』
「ぐっ……わかりました。さぁお姉様、迅速に終わらせましょう!」
そうして、姉の手を引っ張りながら廊下を早歩きで去って行った。
(……さて、こっちもやる事をやっておかないと)
さっきから気になってはいた。
どうやら霊夢ちゃんや魔理沙ちゃん以外にも、ここに忍び込んでいる『幻想の住人』がいるようだ。
何をしているかは知らない……が、放って置くわけにもいかないだろう。
『さて、何をしてるんですか? そこのお二方』
「うひゃあ!?」
廊下の曲がり角で隠れている人影に振り返って、一気に近づく。
すると白髪のショートヘアの女の子……半人半霊の『魂魄妖夢』が尻餅をついた。
その背後には、自らの従者の様子を楽しんでクスクスと笑っているピンク髪の亡霊、『西行寺幽々子』がいた。
「あ、あ、なんで?」
「あらあら、兎さんには気付かれちゃったわね」
どちらも以前の異変で見かけた者だ。
つまり、一応知り合いの間柄にいる。
『もう一度聞きます、ここで何を……いえ、どうせ紫さん絡みでここにいるのでしょう?』
「ゆ、幽々子様ぁ。何かバレちゃってますよ……」
「そうねー、一応友人の為に空き巣に入ったのだけど……バレちゃったのなら仕方ないわねー」
特に気にした様子もなく、亡霊の少女は何時もの調子を崩さない。
『……とりあえず大人しくしてください。あと数日したら霊夢ちゃんと一緒に地上に帰ってもらいますから』
「はぁい、大人しくしてるわー。ごめんね妖夢、私はここまでみたい……」
「そんな幽々子様! ……いえ、分かりました。この魂魄妖夢、幽々子様の無念を見事に果たして参ります!」
「ふふ、いつのまにか成長したのね妖夢……これで安心して逝けるわぁ」
「ゆ、幽々子様ぁぁぁ!」
『いや、妖夢ちゃんも大人しくするんだよ?』
「依姫様は地上の巫女を連れて何をするつもりなのかな?」
最近習慣になった訓練をしながら、訓練ペアのみっちゃんと呼ばれる玉兎にそう聞いてみた。
「なんでも、依姫様の潔白を証明する為に使うんだってさ」
「潔白?」
「ほら、謀反の噂が立ったことあったでしょう? あれって何者かが勝手に神様を呼び出して使役していることが発覚したからよ」
「ふむふむ」
訓練中のお喋りも最早習慣だ。
なに、バレなければ良いとここの先輩達から教わったのだから問題はないのだろう。
「それで依姫様が真っ先に疑われたの。そんなことできるのも依姫様くらいだったしね……でも本当はあの巫女にもできるって見せて廻るんだって」
成る程、そんな理由があってあの巫女をここに残したというわけか。
ほんの少しだけ安心した、てっきり何か酷い目に合わせようとしているのかと思っていたから。
あの巫女には一応助けられたことがあるし、嫌いな人間ではない。
「…………そういえばさ、さっき突然現れた玉兎って」
会話が途切れようとしたので、更なる疑問を口に出して縫い止める。
「なっちゃんのこと?」
「そうそう、そのなっちゃん……というかレイセンさん? レイセンさんの事なんだけど」
とりあえず私と同じ名前で呼ぶのは紛らわしいので、さん付けする事にした。
実際にその目で見て確信した。
あれは確かに『変だ』。
「なになに? なっちゃんの事なら私が一番長い付き合いだし、何でも聞いて。というかなっちゃん帰って来てくれたのかな? それなら嬉しいんだけど……」
——そう嬉しそうに語る彼女に、口にしかけた言葉を飲み込んだ。
ここで『アレは何者』だなんて質問をぶつけては、あまりに酷い仕打ちを彼女にする事になる。
「……えっと、二人は仲が良い……んだよね? どういう関係なの?」
「うーん、関係かぁ。普通に友達なだけで……あ、私となっちゃんの出会い話でも聞く?」
当たり障りのない質問を咄嗟にしたが、正解だったかもしれない。
レイセンさんの過去にも少し興味があったからだ。
「ふふ、結構衝撃的な出会いだったんだよ? 私が仕事終わりに月の海の海岸を散歩してたんだけどね、そこでなっちゃんと初めて会ったの」
「海で? 何かロマンチックな出会いじゃない?」
恋愛小説とかでそのようなシュチュエーションを何度か見かけた。
「ううん、全然そんな雰囲気じゃなかったよ。だってその時のなっちゃん、どんな格好してたと思う? 何も着てなくて、全裸だったんだよ」
「全裸」
海の近くで全裸でいた……?
もしかして海水浴でもしようとしていたところに出くわしたのだろうか。
確かにそれはロマンチックとは遠くかけ離れている。
「それでね、私が何回も声を掛けても何の反応もしてくれなくてね。まるで『言葉』を知らないみたいな様子だったなぁ」
懐かしそうに語る。
「その後は、とりあえずこのまま放置するのも何だから私の部屋に連れ帰って、暫くはお世話してたの。結構大変だったんだよ、あの時のなっちゃん、まるで産まれたばかりの赤ん坊みたいで」
産まれたての赤ん坊……つまりそれは、何も知らない、知識も何もない状態という事だ。
「流石に私も様子が変だなって思って……もしかしたら何かの事故で記憶喪失にでもなったのかなって……それで都のあちこちを駆けずり回って、なっちゃんの事を訊ねたりしてみたんだけど、不思議なことに誰もなっちゃんの事を知らないって言うんだよね」
……確かにそれは不思議だ。
月の都自体はそれ程大きな都市ではない。
仮にレイセンさんが記憶喪失だったとしても、記憶喪失になる前の彼女を知っているモノが必ずいる筈だ。
そして大きな都市ではない故に、手掛かりを見つける事はそう難しくない筈だ。
加えて玉兎の出生は全て記録されている筈だ……正体不明の玉兎なんている筈がない、居てはならないのだ。
「仕方ないから、私が引き取って一緒に仕事をする事にしたの。それから色々あって、二人とも月の使者になったわけなのよ……あ、因みになっちゃんていう名前は私が付けてね、髪が長いからなっちゃんっていうの」
「じゃあみっちゃんは、髪が短いからみっちゃんなのね」
————つまり、ある一つの仮説が出来上がる。
レイセンさんは記憶喪失でも何でもなく、みっちゃんなる玉兎と出くわす瞬間まで『存在していなかった』。
だから誰も知らない、記録にも残っていない。
得体の知れない正体不明の存在という事だ。
『何の話をしてるの?』
「うひゃあい!?」
心臓が飛び出しそうだった。
突然視界に誰かさんの顔が飛び出してきたのだから、仕方ないと言えば仕方ないことだ。
「あ、なっちゃん!」
『訓練中の私語は厳禁……って言っても意味ないか。たまには真面目にやらないと依姫様に怒られるよ』
「えへへー」
無表情ながらも穏やかな雰囲気を出すレイセンさん。
……やはり考え過ぎだろうか。
『……それで、この玉兎が例の?』
「うん、レイセン二号だよ! とは言ってもなっちゃんとは全く似てないけどね」
ここで初めて視線が合った。
レイセンさんのその瞳は、私達とは全く違うものに見える……まるで何もかも飲み込んでしまう様な、深い色をしたルビーのようだった。
『初めまして、レイセン……私は鈴仙です』
「え、あ……は、初めまして?」
鈴仙とレイセン。
この二人には共通点なんて無い。
強いて言うなら、同じ主人から同じ名を与えられたことくらいだろう。
『私はもうここにずっと居ることは無いから、どうか私の代わりにレイセンとしてここで過ごして。きっと貴女にとってそれが一番だと思うの』
「……そう、ですね」
一体どんな考えで鈴仙さんがそう言ったのかは分からない。
しかし、不思議と安心感があった。
「えぇ……なっちゃん帰ってきたんじゃないの?」
『ごめんねみっちゃん。私、地上でどうしても見守ってあげたい人がいるの』
「……そっか、そうだよね。私もなっちゃんは地上に居た方が良いと思うの。けど……たまにでいいから、またこうしてお話ししよう」
『うん、約束する』
そうして指切りげんまんを交わす親友達。
なんというか……実に平和だ。
このままこの平和がいつまでも続きますように……
そしてその数十分後、やけに興奮した依姫様の登場により束の間の平和は消え去ったのだった。
具体的にいうと、鈴仙さんと依姫様の模擬戦闘で訓練所が見るも無惨な荒地と化したのだ。
「さて、それじゃあ約束通りお話ししましょうか」
訓練も終わり、夕食も終わった後、豊姫様の部屋に集まった。
メンバーは自分含めて三人、綿月姉妹と自分の三人だ。
「それで、レイセン……じゃなくて鈴仙ってアクセントにした方が良いかしら? 鈴仙は何を知りたいのかしら」
何を知りたいのか、とっくに豊姫様はそれを知っている筈だ。
しかしこうして聞かれたからには、ちゃんと答えなくては失礼というもの。
『では単刀直入に……この前の『捜索命令』は一体どういう事なんですか?』
それが自分の知りたかった事だ。
何故脱走兵扱いの自分を、わざわざ探し出そうとしたのか。
探し出してどうするつもりだったのか。
それを知っておかねばいけない気がした。
だからこうしてここに戻ってきたのだ。
「……やっぱりその事なのね。先に言っておくと、あれは私たちの意思ではなかったわ。せっかく地上に送り出したというのに、連れ戻しては意味がないもの……尤も、我が妹はちょっと迷ってたみたいだけどね」
「ち、違います! 確かに少しだけ……その、鈴仙が戻ってきてくれたら嬉しいなとは思いましたが……貴女の意思を踏みにじってまでするわけないじゃないですか」
『えぇ、大丈夫ですよ。わかっています』
命令はさらに上の組織からのものだとみっちゃんは言っていた。
むしろこの姉妹は自分の捜索命令に反対してくれたのだろう。
『それで、何故私を探せと上の組織は命令を?』
そこが一番の疑問だ。
二人は私の言葉に顔を見合わせ、やがて覚悟を決めたように答えを言った。
「……『予言』がされたのです」
『予言?』
「えぇ、ここ月の都一番の占い師が、以前一つの予言をしたのです。その結果、月の都は今混乱の中にあり、またそれが貴女の捜索命令に関係しているのです」
月の都を混乱に陥れる程の予言……それは如何なる内容なのか。
豊姫様がそれを答えるより先に、依姫様が答えた。
「『地の星、空の星、それ即ち地上と月。二つの星に影が覆うとき、退けられぬ大いなる厄災訪れん』……要するに、近いうちに地上と月に何かしらの災いが来るという事です」
「えぇ、しかもその占い師の予言は必ず当たるらしくて、上もそれを鵜呑みにしたのよ……その結果、その厄災とやらを何とか凌ごうと、月の兵力を強化しようとしてるらしいの」
『成る程、それで私を……』
確かに玉兎中で私は異質の存在だろう。
戦力を強化する人材としては持ってこいという事だ。
『しかし、その厄災は兵力を強くすれば防げるものなのですか?』
「分からないわ、分からないからこそ、今できる事としてやっているだけなのでしょうね」
「全く嘆かわしいです、そんな理由で民をただ混乱させているという事にどうして気付かないのでしょう。上の連中がそんなのばかりだから、八意様も月に愛想をつかしたのかしら……」
『いえ、師匠は姫様を地上に送り出したかっただけみたいですよ』
「そうなのですか……姫様というと蓬莱山様の事ですね? 確かにあのお二方は随分と仲の良い関係で……ん?」
しかしそうか、まさかそんな予言が……
正直いうと少し拍子抜けというかなんというか。
「待ちなさい鈴仙、貴女、今八意様の事をなんと……?」
『はい? ……あぁ言ってませんでした。私地上では師匠……八意永琳と蓬莱山輝夜のお二人と一緒に暮らしてるんですよ』
「「…………は?」」
流石は姉妹というべきか、見事なハモり具合だ。
「え、ちょ、待ちなさい鈴仙。それってつまり……八意様と一緒に生活をしてるというか、一体どんな関係に……!?」
「れ、鈴仙と八意様が一緒に地上で……? え、え?」
そして見事な混乱ぶり。
このままだと話が進まないので、能力で二人を落ち着かせよう。
「…………お姉様」
「待って依姫、言わなくていいわ」
「月とか、もうどうでもよくありません? 私達も地上に引越しを……」
「気持ちはわかるわ、わかるから落ち着きなさい。とりあえずダメよ、私もそうしたいのは山々だけど、それは色々と不味いわ!」
依姫「私の幻想郷は地上にあった」
豊姫「落ち着いてよっちゃん」